第11話 Prelude the Real Night -2


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

ヴェルパール公爵とマニの出会いは現在より6年前に遡る。
初めて公爵がマニという男を見たのは、あるカジノの地下にある非合法の闘技場だった。
そこでは日夜莫大な報奨金目当てに戦士達が殺し合い、客達はその勝負に金を賭けて楽しんでいた。
公爵もその闘技場の常連だった。
マニはそこでは余りにも異質だった。欲と血に溺れた他の出場者や観客達とは真逆の雰囲気を持っていた。
そのどこか哲学者じみた静けさを持つ男に、公爵は興味を持った。
マニは強かった。それまで無敗だった闘技場の顔だった男達を眉1つ動かさず次々に血の海に沈めた。
初めは熱狂的に客達に熱狂的に迎えられたマニであったが、やがてその常軌を逸した強さに客は怯え、また試合が常に一方的である為に賭けが成立しなくなった。
そんな折、公爵はマニと接触を持った。
話を聞けば、やはりマニは金を求めていた。
それも大金をだ。
マニには重病に冒された妹がいたのだ。
その治療の為に大金を欲していた。
公爵はマニの忠誠と引き換えに、その妹を自らの経営する病院へ引き取った。
最新の設備を持つ大病院で治療を受けた事により、マニの妹の病状は快癒はしないものの進行は大幅に抑えられた。
マニはその事で公爵に深く恩義を感じており、公爵の術を受けて『眷族』と化す事にも迷わずに承諾の意を示した。
『眷属』と化した者は夜間に大幅に身体能力を増大させる。ただしそれと引き換えに主人と運命共同体となり、主人が死ねば自らも滅びる。
それは円卓にあって公爵のみが使う秘術。彼が二つ名を『吸血鬼』とされている所以であった。


その日の夕刻。
勇吹は買い物を済ませて屋敷への帰路にあった。
手にした紙袋の中身は、昨日自分の鉄拳で木っ端微塵にしてしまった電話機の替えである。
11月の大通り。行き交う人々の息は白い。
常春のシードラゴン島で何年か過ごした勇吹にとっては、この寒さは忘れていたものだった。
手を擦り合わせて、襟元のマフラーを口元まで引き上げて…そして勇吹はその『違和感』に気付いた。
人込みの中、横目で『それ』を確認する。
数人の間隔を置いて左隣にまったく自分と同じ速度で歩いている男がいる。
それだけなら取るに足らないことだが、男は微細な殺気を放っていた。
僅かに首元を撫でられているかのような不快感。
…明らかに、挑発されている。
勇吹が男を見ながら歩いていると、男も勇吹を見た。
両者の視線が交錯し、男はニヤリと白い歯を見せて笑った。
まだ若い男だ。日焼けした野生的な雰囲気を持つ男。
背負っている物は布で包まれた長い棒の様な何か。
槍か、棍か…いずれにせよ何らかの武器であると推測される。
そのまま男は歩きながら、徐々に両者の間隔を詰めてきた。
やがて2人は歩きながら並ぶ。
「…最初から正々堂々と姿を見せてきた事は評価してあげるわ」
歩みを止めずに勇吹が男に言う。
「名乗りなさいよ」
言われて男がふふん、と鼻を鳴らして胸を反らせた。
「我門…鷲塚我門」
ガモン、と男が名乗る。
「そう、私は…」
「知ってるでぇ。…ラーメンの勇吹ちゃん」
くっくっ、と喉を鳴らして我門が笑う。
むっ、と勇吹がその我門を睨んだ。
「馴れ馴れしいわね…。それで、どこで戦るの?」
勇吹の言葉に我門が大袈裟に肩を竦める。
「落ち着きぃな。こないなトコじゃあゆっくり話もでけへん」
そう言うと我門はくるりと向きを変える。
「こっちや。付いて来ぃ」
さっさと歩き始めてしまった我門に、一瞬勇吹は鼻白んだように言葉を失った。
言われてノコノコ付いて行くのもバカげてはいるが、ここまであからさまだと逆に罠は無い様にも思える。
少しだけ迷った後、結局勇吹は我門を追って歩き出した。

我門が足を止めたのは、やや開けた路地に入った所だった。
その場には先客がいた。
…その顔に、勇吹は見覚えがあった。
「姐さん…連れてきたで」
我門が言うと、その先客は微笑んで「ご苦労様」と彼を労った。
スーツ姿の、赤い瞳の女性。
「柳生…霧呼!!」
勇吹が紙袋を地面に落として身構えた。
…罠が無い等ととんでもない。彼女が自らの迂闊さに内心で歯噛みする。
かつて言葉を交わした当時は、彼女の正体を勇吹は知らなかった。
しかし今は違う。
その恐るべき素顔をもう自分は知っている。
ロードリアス財団の重鎮…あの恐るべき『ハイドラ』達を支配していた女性、柳生霧呼。
警戒する勇吹に、キリコは下唇に左の親指を当てると、「うーん」と唸った。
「そんなに構えなくていいのよ」
そう言って、キリコは右手で勇吹の右の手首をそっと握って軽く持ち上げた。
「…え!!!?? …あ…」
驚愕して勇吹は一瞬パニックに陥った。
互いの距離は10m以上離れていたはずだ。キリコは走り出す予備動作すら見せていない。
なのに一瞬で彼女は自分のすぐ前に現れて、今手を取られている。
握られた右の手首に、ざわっと勇吹は何かを感じた。
何らかのエネルギー、力の流れの様なものを。
「…なっ!!」
慌てて勇吹はキリコの手を振り払った。
キリコは別に抵抗しようとはせず、あっさりその手を離す。
「ふふ…どう?」
1歩下がって、微笑んでキリコは勇吹の右手を指した。
その袖から肘にかけて、服がざわざわと捻れて螺旋を描いている。
しかし、それはそこで終わりのようだ。それ以上捻れは広がる事は無く、また内部の身体にはまったく影響は無く…勇吹の感じたエネルギーは霧散していく。
「それが、『スパイラル』よ」
キリコが言う。勇吹が眉を顰めて彼女を見る。
「…スパイラル…?」
訝しげに言う勇吹。
「そう。大元の思考はツェンレン武術に言う『発勁』だけど」
そう言うと、キリコはぶん、と目の前の何も無い空間に拳を突き出した。
「言うまでも無く、私たちは全身の間接の駆動によって運動を行っているわ。打突1つ行うにも、足首の間接から膝、腿から腰、肩、肘から手首、そして打撃面へと運動エネルギーは伝播していっている」
キリコは勇吹に見せるように、肘を何度か曲げ伸ばしして手首を回した。
「だけど、その各部に発生した運動エネルギーの大半は実際の作用点へ伝わる前に体外に漏れて消えていってしまうわ。大地を踏みしめて足首から発生するエネルギーを全て余す事無く膝へと伝達して更に股間接へと伝えるなんて本来なら不可能な事。その無駄になる運動エネルギーを全て体内で理想的に伝達して、作用点へと導こうという運動力学上の思想とその為の技術が『発勁』ね」
「…………………」
突然彼女は何を言い出すのだろうか。
勇吹は無言でキリコの言葉に耳を傾ける。
発勁の思想は勇吹も聞き及んでいたが、それはあのように他人を捻るエネルギーを放出するようなものではないと記憶している。
「『発勁』とは螺旋のエネルギー。体内に螺旋を描く力の流れをイメージするの。そのイメージに乗せて力を体外に逃がさずに作用点へと導く」
そしてキリコは自らの傍らに立つガス灯の柱に右手で触れた。
「…だけど私の『スパイラル』はそれだけでは終わらないの。更にその力の流れに魔力を乗せる。…わかる? これは『武術にして魔術』 破壊の為の体術にして、自身の肉体を操作する魔術でもあるのよ」
キリコがそっとガス灯の鉄柱を撫でた。…ただ、それだけの動作に見えた。
ベキベキベキベキベキベキ!!!!!!!!
突如として鉄柱は捻れてのたうつヘビのような曲りくねった形状に成り果てた。
その惨状に勇吹が息を飲む。
「外部にそのまま放出すればこんな手品も可能になるし。…放出せずに打撃に乗せれば…」
コン、とキリコが背後の壁を振り向かずに軽く裏拳で叩いた。
ザッ、とキリコが叩いた点を中心に壁の一部が崩れ落ちた。
その破片は丸で砂だ。
…壁を殴って粉砕する事なら勇吹にもできる。
でも…どうしたらこんなに細かく崩す事ができるのだろう。
そんな2人のやり取りを腕を組んで無言で聞いていた我門の頬を一筋冷や汗が伝った。
(…これやから、『天才』ちうもんはホンマに…)
声に、表情に出さずに我門が苦笑する。
(自分がどんだけムチャクチャ言うとるか自覚あるんかいな。そないな事、絶対に誰もでけへんがな。『発勁』の技術を習得するのだけで達人が延々時間をかけてやるっつーのに、そこにマナを乗っけるとか…)
正気の発想ではない。
だけどそれを彼女は普通にこなす。『武術家』でも『魔術師』でもない彼女が普通にこなす。
それが柳生霧呼だった。
常人も達人も決して理解できない世界に孤独に1人で君臨する女帝。
鷲塚我門がこの世で唯1人、自分の主人と認めた女性だった。
「さて、ヒントはあげたわ。興味があるのなら、後は自力で辿り着いて御覧なさい」
左手を腰に当てて、右手で勇吹を指さすキリコ。
そして返事も出来ずに自分を見ている勇吹に微笑みかけると、キリコは我門を伴って静かにその場を去って行った。
「…スパイラル…」
その場に1人残された勇吹が、袖口が捻れて波打つ右手首を左手で握って呟いた。

「…どないなつもりですか、姐さん」
勇吹が見えなくなってから、我門は隣のキリコへ向いて声を掛けた。
「センセの真似事なんかしとるうちに、ホンマに教育心にでも目覚めはったんですか」
「そういうつもりはないのだけどね」
キリコは前を向いたまま、薄く笑って答える。
「興味よ。知的好奇心とでもいうのかしら」
「興味?」
そこで初めてキリコは我門の方を向く。
「リューの感知のオーラと、私のスパイラル…合わせて使える子がいたとしたら面白いと思わない?」
キリコの言葉に、我門は苦笑して目を閉じた。
「そらゾッとしませんなぁ。…そないな事になったら、あの嬢ちゃん姐さんより強くなってまうんやないですか?」
「そうかもしれないわね」
丸で何でも無い事の様にあっさりとキリコが肯く。
その返事に一瞬我門が呆気に取られる。
「別に、そうなったらそうなっても私は全然構わないわよ? …私よりも速く動けるとか、力が強いとか、技が巧みだとか…そんな事は全部私にとってはどうでもいい事だもの。ルールのある試合で戦うのなら私は負けるでしょうけどね。私は別に戦士でもスポーツ選手でもないから、彼らの専門分野で私より力量が上なのは当たり前の事で気にするに値しないわ」
そう言っても現状では霧呼はどんな戦士よりも戦士として優れている。
専門外の事でその道の達人を寄せ付けないのが彼女が彼女である所以。
「どれだけ私より戦闘力において優れていたって、殺し合いになったら私が勝つ。だから私は相手が自分より強くても気にはならない。…覚えてる? 私、自分よりずっと強かったエルンスト・ラゴールも殺してるのよ」
そう言うとキリコは我門に手の中にある物を見せた。
人差し指と親指で摘ままれた『それ』が街灯の光を受けてキラリと輝く。
それは、ドクロを意匠されたシルバーのリングだった。
「…ほえ? それ、ワシの…」
一瞬呆気に取られて、我門はポケットに突っ込んでいた手を抜いた。
左手を見る。中指に嵌めてあった筈のリングがない。
「………………」
我門の背筋に冷たいものが走る。
自分はずっとポケットに手を突っ込んで歩きながらキリコと会話していた。
その間、一度もその手はポケットから抜いていない。キリコも自分へ寄って来たり身体に触れたりする仕草も勿論見せたことはない。
「身に着けるのなら、もっと趣味のいいアクセサリーにしなさいよ」
くすっと笑って、キリコが我門に指輪を握らせた。
そして呆然として足を止めている我門をまったく気にする事無く歩いていく。
「…『甘露』(アムリタ)…」
その背を見送る我門の口から、呻くように呟きが漏れた。


完全に日が落ちた頃、リューは魔女シフォンのいる古書店から表へ出た。
彼は調べ物がある時の大半をこの古書店で過ごす。
本棚に並ぶ異国の古書も、そしてこの店の主である数百年の時を生きていると言われる老魔女も、どちらも彼の貴重な助言者であり情報源だ。
通りへ向かってリューが裏路地を歩く。
薄汚れた路地は、知らなければそこに書店があるなどと誰も想像できないだろう。
その時、ふと月が陰った。
「…………………」
リューが足を止める。
その気配に振り返る。
そこには、褐色の肌の痩せた背の高い男が立っていた。
高山の修行僧の様な白い簡素な衣を身に纏った男。
落ち窪んだ眼窩の奥の瞳がリューを見ている。
「私の名は、マニ」
リューが言葉を発するより早く、マニが名乗った。
纏った雰囲気同様の穏やかな声音だった。
「クリストファー・リュー…故あってお前の首を貰い受けにきた」
静かな宣告にリューが戦慄した。
殺気に気圧された訳ではない。…むしろその逆。
自分を殺すと口にしたこのマニと言う男の、あまりの気配の静けさにこそリューは戦慄したのだ。
あまりにも穏やかにして静か。
しかしそれは希薄だという意味では決してない。
丸で凪の大海原を前にしたような圧倒的な存在感。
…だから、リューは…
これまでのどんな危難の時よりも強く
…このマニという男に、自らの死を意識していた。