第5話 吹き荒ぶもの-6


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構えたままじりじりと距離を詰めていた両者が遂にその足を止めた。
既に互いの距離は1m程…仕掛ければ必倒の距離である。
体勢を高く構えるユーディスと、低く構えるリュー。
傲然とユーディスがリューを見下ろしている。
静かにリューがユーディスを見上げている。
まるで静止画の様に、動かない2人。
互いに喉元に白刃の切っ先を当てられているが如き状況。
見つめるサーラは全身から冷や汗を噴き出し、その足は小刻みに震えていた。

その頃、塔の入り口では鳴江漂水がゆっくりと欠伸を噛み殺しながら外へ出てくる所だった。
「…ユーディス・バロックか。素材は確かに一級品」
呟いて薄笑いを浮かべ、塔の上層を見上げる漂水。
「ただし紙一重の命のやり取りにかけちゃド素人だ。ド素人にリューは殺れねぇ」
ポケットに手を突っ込むと、塔に背を向けて歩き出す漂水。
「クリストファー・リューは何度も死の淵を覗いてきた男だからな。だがまぁ、余興にしちゃそれなりに楽しめたぜ」
誰に向かってか、振り向かずに後ろ手にヒラヒラと手を振って、漂水は闇の中へ歩み去っていった。

無言無動で対峙する両者。
その時、不意にリューが構えに隙を作った。
「…!」
ユーディスがピクリと反応する。
ガードに穴を開けたのは頸部だ。急所である。
誘いにしても露骨過ぎた。この距離にしてその位置。
喉元に突き付けられた切っ先に向かって踏み出していくに等しい暴挙。
仕掛けるべきか、否か…一瞬だけ迷いユーディスは仕掛けた。
「…シッッ!!!!」
しなる蹴りがリューに襲い掛かる。
鋭く風を切る音は一瞬。
「やはり、迷ったな」
その蹴りが自身の頸部を捉えるコンマ数秒前に、リューの繰り出した拳打がユーディスの胸部中央に深々と突き刺さっていた。
鮮血を吐き出してぐらりとユーディスがよろめく。
「…ぐフッ…い、イカれてるな…リュー」
ユーディスが迷わなければ、やられていたのはリューだった。
そんなユーディスをリューは無言で見つめている。
「ああ…だが、これで…」
フラフラと倒れたフェルザーの方へとユーディスが歩いていく。
床に点々と血の跡を残しながら。
「お前を…寂しがらせずに済みそうだ…フェル…ザ…」
弟の脇に両膝を突くとユーディスは深く頭を垂れた。
祈るように請うように、俯いて動かなくなるユーディス。
その兄弟を青白い月光が照らしていた。

フーッとリューが長い呼気を吐く。
たった数手の攻防、時間にして3分程度の戦いだったが消耗は一昼夜戦い続けたそれに等しい。
…恐ろしい相手だった。
もしもユーディスが死闘の場数を踏んでいたとしたら、勝敗は違った可能性が大きい。
雄敵に恵まれてこなかった事がユーディスの不運、そしてリューの幸運だった。
思わず座り込んでしまっていたサーラもフラフラと立ち上がる。
そのサーラをチラリと一瞥して、深刻な傷が無いと判断するとリューは倒れている勇吹とメイの2人に歩み寄る。
「この人たち…私の聖紋が目的だったみたい…」
屈み込んで勇吹たちの様子を見ているリューの背にサーラが声をかけた。
沈んだ声だった。
「そうか」
短くリューが返事をする。サーラの一言に何を思ったのか、それとも何も思わなかったのか。
自分は勇吹を抱きかかえると、リューはサーラにメイを連れていけと告げた。
肯いてサーラはメイを背負う。
「ごめんね…メイ」
自分のせいで戦いに巻き込んでしまった友人にサーラが詫びる。
未だに目を覚まさないメイはその声に応える事は無かったが。
長い夜がようやく終わろうとしていた。

翌日、昼近くなった頃に勇吹は目を覚ました。
屋敷の自分の部屋のベッドの上だった。
既に治療は終わっており、全身は包帯に覆われている。
サーラの屋敷には例え深夜であろうと即医師が賭け付けられる様に協会のサポートがある。
勇吹を治療したのはその医師だった。
「…それで、人質になってた子は?」
ベッドの上で上体だけ起こして勇吹が問う。
窓際に立つリューに向かって。
「学院の寮へと戻した。学院へは騒ぎにしないように協会から手を回させた」
寮生であった事が幸いし、メイの不在はそれ程の騒ぎにはなっていなかった。
目立った負傷は無かったが、今日は休ませてあるはずだった。
身体は平気だとしても、メンタル面で何か残ってしまっているかもしれないのだ。
「サーラは…辛いでしょうね」
微かに俯いて勇吹が言う。
彼女はきっと、自分を責めるだろう…そう勇吹は思った。
「だが、全て覚悟して背負って行かなければならないものだ」
瞳を閉じたリューが答える。
どこにいても、どんな時であっても、常にこういった事態は起こり得るのだ。
戦う事を決めた以上それが宿命というものだと、リューは一言にそれだけの意味を込めて言う。
「それにしても…」
リューが勇吹を見る。
その全身の負傷に視線を送る。
「人に無茶がどうのと言っておいて、その有様か」
「う…」
気まずそうに勇吹が言葉に詰まった。
幸いにして自分は後遺症が残るような負傷は無かったらしいが…。
「し、仕方が無かったのよ…あの場じゃ他にどうしようもなかったし…」
ぼそぼそと呟く勇吹。
「次からは自重しろ」
短く言うリューに、むっと勇吹が眉を上げる。
「…イヤよ」
ムスッと横を向いて不機嫌に答える勇吹。
「聞き分けろ」
「イヤです」
互いに譲ろうとしない。
リューはいつもの静かな瞳で、勇吹は挑むように睨み付けて、両者は顔を見合わせる。
「…わかった。ならばもういい」
そして、先に視線を逸らせたのはリューだった。
足音を鳴らし、普段の歩調でドアへと歩いていく。
「な、何よ…怒ったの…?」
微かに不安を声に滲ませて、勇吹がその背に声をかけた。
「怒ってはいない。その理由が無い」
ドアノブに手を掛けて静かにリューが返事をする。
「誰かに言われて容易く節を曲げるくらいならば、俺もお前もこんな馬鹿な生き方はしていない。似た者同士だ、理解している」
「じ…じゃあ…」
どうして?と視線だけで勇吹が問う。
リューは拒否されるとわかっていてああ言ったのだろうか。
その事を勇吹は不思議に思った。
「それでも…」
肩越しにリューが勇吹を振り返る。
「それでも、大切なものは大切なものだ」
それだけ言い残して、リューは部屋を出て行った。
「え? え? …今の…どういう…」
閉じた戸を見つめて、残された勇吹がベッドの上で呟いた。

その日、サーラはずっと暗い顔をしていた。
授業中も、食事の時間も。
朝、担任の老教師はメイの欠席を事故に巻き込まれた為のものだと皆に告げた。
その事に皆は動揺したものの、続けて怪我は大したことがないと言われて一様にホッとした表情を見せていた。
面倒見が良く、裏表のない性格のメイはクラスでも皆に好かれているのだ。
友人たちは皆、沈んだ様子のサーラをメイの身を案じての事だろうと思って気遣った。
その事自体は誤りでは無いものの、本質は少し違う。
サーラはメイを巻き添えにしてしまった事を気に病んでいたからだ。
今日、授業が終わったら寮のメイの部屋まで会いに行こうと思っている。
…その時に、自分は何と言えばよいのだろうか…。
放課後になり、生徒達が皆いなくなった教室にサーラは1人残る。
(全部正直に話そう…その上で許しを請うべきね)
やっと気持ちが定まり、カバンを手にサーラが席を立つ。
迷いは消えていた。後は誠意を相手に示すだけ。
小走りに寮へと駆け込み、聞いているメイの部屋へと急ぐ。
そのサーラの目に、メイの部屋から出てくる白衣姿の女性が映った。
…医師だろうか? と一瞬思った。
しかしカバンやその他のものを一切持っていない。空手である。
涼やかな風貌の綺麗な女性だった。左目の下の泣きぼくろが印象的な美人だ。
反射的にぺこりと頭を下げたサーラに対して、白衣の女性が微笑んだ。
「こんにちは。…お友達?」
メイの部屋の戸を見て女性が言う。
そうです、とサーラは返事をした。
「そう、心配だったでしょうね。でも大丈夫よ。今お話してきたのだけど、明日には普通に登校できると思うわ。…ええと」
「サーラです。サーラ・エルシュラーハ。2-Aです」
女性の言葉に安堵しつつ、サーラが名乗る。
「ありがとう。織原鏡子よ、先週から養護の仕事をしています。よろしくね」
キョウコ、と名乗った養護教諭は優しく微笑んだ。