第6話 砂塵の中の少年-5


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失禁して失神したカイリが皇宮からアレイオンの屋敷へと運び込まれてきた。
そんな有様のカイリを出迎えてスレイダーが嘆息する。
「ちょっとちょっとちょっと…何でそんな繊細な青年になっちゃってんのよ。以前のあの別の意味で心配になるくらいの図太さはどこいっちゃったのよ」
「なんか姫様のお部屋から運び出されてきたらしいですよ」
どこかで話を聞いてきたのか、カルタスがそう皆に説明した。
ちなみに彼の右手は包帯の塊になっている。
「お姫様の…? なんでうちのカイリがお姫様の部屋でおもらしした挙句に白目むいて運び出されてきちゃうのよ」
はぁ?という表情で言うスレイダーに
「や、私にそう言われましても…」
とカルタスが困惑顔を浮かべた。
「んで、お姫様は?」
スレイダーの問いにベルが答えた。
「2層に行くって出ていったわよ」
テーブルに着いたベルはそう言ってクリームソーダのストローに口を付けた。
「2層? 2層って今まさにお祭り騒ぎの人出の中じゃないのかい? そんな中に主役がひょこひょこ顔出しちゃっていいのかね」
スレイダーがタバコを口にくわえる。しかし人の家である事を気遣ってか火は着けない。
「2層はあの子にとっては自分の庭みたいなものよ。そんな下手な事にはならないわ」
事実まったく心配していなそうな素振りで、のんびりとベルが言った。

ベルの指摘した通り、2層へ赴いたメリルはそこで騒ぎを起こすような真似はしなかった。
今の彼女は瀟洒な衣装も身を飾る宝飾品も無く、質素な格好で道慣れた裏通りを歩いている。
そうしていればどこから見ても彼女は普通の町娘だ。
約束があった。だから彼女は今日、2層へとやってきた。
その約束の相手は、メリルが待ち合わせの広場に現れると一斉に歓声を上げて彼女へと駆け寄ってくる。
「姫様!」
「待ってたぜ!! 姫様!!」
駆け寄ってきた泥だらけの子供たちに向かって、苦笑したメリルはシーッと人差し指を立てて口の前に置いた。
「こーら、姫様は駄目って言ってあるでしょ?」
やんわりと笑顔で子供たちを嗜める。
「そうだった…メリル!」
「わーい! メリルだ!!」
はしゃぐ子供たちを目を細めて見るメリル。
今日は彼女はこの子らに付き合うという約束なのだ。

日が暮れるまで、メリルは子供たちと泥だらけになって遊んだ。
サッカーに付き合い、女の子達と花冠を作って、一緒に近所の夫人達の焼いたパンケーキに舌鼓を打つ。
やがて、斜陽の光が周囲を紅に染め上げる頃に「迎え」がやってきた。
いつの間にか、彼女は広場の端に立ち遊ぶ子供たちを優しげな瞳で見つめていた。
白い装束の女性。
「…フェルテ!」
その姿を見止めたメリルが走っていく。
「あらあら…とてももうすぐ花嫁になる方のお姿には見えませんね」
苦笑して、フェルテナージュは取り出したハンカチでメリルの鼻の頭の泥を拭った。
えへへ、とメリルが照れ笑いを浮かべる。
子供たちに元気に手を振って、また遊ぼうねと約束を交わして…メリルは帰途に就く。フェルテナージュを伴って。
帰路、2人は言葉少なであった。しかし、その雰囲気は決して悪いものではない。
フェルテは民を大切に思っているメリルの気性を好ましいと思っていたし、咎め立てる様な事は言わない。
また、メリルは何も言わずとも自分の居場所を察して1人で迎えに来てくれるフェルテに感謝していたし、信頼していた。
上層へ向かう王族用の特別な昇降機の中で、ふと、メリルが口を開いた。
「ねえ…フェルテ…」
メリルは昇降機の窓の側に立ち、ゆっくりと下へ流れる神都の景色を眺めている。
「はい、どうしました?」
その後ろで席に座っていたフェルテは、呼び掛けられて立ち上がった。
そのフェルテをメリルが振り返った。真剣な表情を浮かべて。
「私…」
何かを言い掛け、メリルの言葉が止まった。
「…あ…」
メリルが愕然とする。口を2,3度開け閉めするが、言葉はない。
思い出せなかった。ほんの一瞬前まで、本当に大事な事を告げるつもりだった。そうしたかったのに。
言葉を舌に乗せた瞬間に、メリルはその事を忘却してしまっていた。
「皇姫様…?」
メリルの様子にフェルテが怪訝そうな表情を浮かべた。
「えっと…私…」
自分は何を言おうとしていたのだろう。どうしてそれを僅かにでも思い出すことができないのだろう。
困惑の中をメリルの思考が迷走する。
…結局、思い出せないという事は些細な事だったのだろうと、メリルはそう自分を納得させるしかなかった。
「ごめんね、何でもないの」
無理に苦笑を浮かべて、フェルテに詫びる。
「何か心配事がお有りなのではないですか?」
とても彼女の言う様に「何でもない」とは思えない。しかしメリルは笑って首を横に振り、フェルテの言葉を否定する。
「…そうですか」
釈然としない表情を浮かべながらも、フェルテは大人しく引き下がった。
…否、そう見えた。
不敬に当たる事を内心で詫びながら、フェルテナージュは両眼に特殊な走査の魔術を発動させる。
マナを帯びた視線がメリルの全身をサーチする。
(…異常は…『無し』)
病や呪詛の類を彼女の内側に見つけ出す事は無かったが…この術では『心』まで見通せるわけではない。
フェルテは憂いを帯びた瞳を主の背中へと送り続けた。

皇宮の地下には遺跡となっている石造りの回廊が存在する。
そこはただの遺跡では無く、有事の際の皇族の脱出路にもなっている。
その闇の中を、音を抑えて進む一団があった。
黒いフードとローブ姿の集団。
纏うのは血と闇の気配。
神都の闇に暗躍する狂皇崇拝の邪教『黒の教団』の者達である。
彼らが何故、皇宮の要人達にのみ明かされ存在を秘されているこの回廊を進むのか…。
その秘密は彼らを先導している男にある。
…その男が、進みながらゆっくりとフードを捲り上げて頭部を外気に晒した。
クバード・カナート…かつて皇宮を守護する最強の四将軍『神護天将』の筆頭『紅の将』であった男。
そのトレードマークであったはずの右目を覆う眼帯は今は無い。
右の眼孔には眼球は無く、代わりに真紅の宝玉が埋められている。
『魔炎玉』…炎を自在に操る魔道遺物(アーティファクト)だ。
かつて皇国の守護の要であり、その護りを熟知している男が、今やその皇国に仇を為さんと歩みを進める。
途中の見張りは既に物言わぬ冷たい骸となっていた。
「…よォ、ちょいと順調過ぎるんじゃねえのか。旦那よ」
クバードの斜め後ろを進む男が、彼動揺にフードをまくって顔を出す。
フードの下から銀色の頭髪が現れる。
「見張りの配置も以前のままだった。…明らかに罠だな。誘われている」
そう口にして尚、クバードはまったく歩調を緩めようとはしない。
この場を知り尽くした男に対してのこの護り。
かつての戦友たちは、彼がここから来ると思っているのだろう。
ふ、と口元が僅かに緩む。
「そうだ…クバードはここから往くぞ」
その視線の先は遠く、かつて肩を並べた将たちや自らの主にして親友であったはずの神皇…そして神都を見ていた。
「お前たち全てを真紅の炎に包むためにな…」
そんなクバードの様子に、ゴルゴダが嘆息した。
「正面突破で食い破る気満々かよ。こりゃ今回は骨折れる仕事になりそうだぜ…」
ふと、クバードが横目でゴルゴダを見た。
「そういえば、得体の知れぬ連中を連れていた様だが」
「ああ…奴らは奴らで好き勝手やるさ。ま、教団の役に立つ連中じゃねえ。ヘタに使おうとすればこっちが痛い目見るだけだ。俺の馴染みって事でこっちの邪魔だけはしない取り決めになってるけどよ」
微妙な表情でゴルゴダが答えた。自身が『ユニオン』から連れて来る事になったエウロペアとみる茶についてである。
彼らは神都に着いてからはゴルゴダとは別行動を取っていた。
「そうか…」
短く答えるとクバードは腰に下げた短剣を抜き放ち、目にも止まらぬ動作で前方へ投擲した。
シャッ!という鋭い音を立てて暗闇を銀の光が走る。
前方の闇の中で「ぎゃっ!」という悲鳴と誰かの倒れる音が響いた。
皇国軍の斥候であろう。
「間も無く皇宮だ。狙うのは神皇の首」
振り返らず背後の教団員達にそう告げると、クバードは前方に現れた石造りの階段を上り始めた。
階段の上には石造りの巨大な両開きの扉が待っている。
その向こうが皇宮である。クバードの右の眼窩の宝玉が赤い輝きを放った。

皇宮が揺れる。下からの振動だ。
「…来たようですね」
フェルテナージュがゆっくりと顔を上げた。軍議のテーブル上で。
周囲の将兵達の顔が緊張したものとなる。
教団の接近を皇国軍は察知していた。
クバードの思ったとおり、護りの薄い地下通路はそこからの侵入を見越した上での事だ。
軍議の間には既に皇国軍の主な将が集合を完了している。
「では、フェルテナージュ将軍…手筈の通りに」
バルカン枢機卿がフェルテの方を見て言う。
肯いたフェルテは両手を胸の前で合わせると呪文の詠唱に入った。
護法結界が発動する。淡いブルーの輝きの光のドームが皇宮を覆う。
本来は外部からの攻撃より内部を護る為の結界。
しかし今回は逆…外敵を内部へ取り込んだ上での発動。
その攻撃を外へ漏らさぬ為のものである。

クバードが足を止め、周囲を見回した。
ゴルゴダも同様に動きを止める。
「護法結界か…俺たちを中へ入れた上で発動させたって事は…」
ゴルゴダが呟く。
クバードは肩を震わせている。…笑っているのだ。
「クククク…面白い。一切外へ出さないつもりか…連中、閉じた檻の中に自分達と我らを封じ込めたぞ。『思う存分殺し合おう』と、そう言いたいのだよ」
それは、皇国軍の覚悟の表れ。
背水の布陣。
ギラリと左目を輝かせたクバードが背後の教団員を振り返った。
「聞いていたなお前たち…!!! 最早連中にも我らにも逃げ場はない!!! 怨敵どもの血でこの結界内を赤く染め上げてやれ!!!!」
オオッ、と雄叫びを上げた教団員達がばらばらと皇宮内へ展開していく。
すぐに待ち構えていた皇国軍が姿を現した。
「退け…雑魚どもに用は無い!!!!」
クバードが叫ぶ。広い廊下を紅蓮の炎が埋める。
瞬く間に皇宮は怒号と剣戟の音に包まれた。

各所で戦闘を開始した皇国軍と教団を尻目、ゴルゴダは1人窓からその身を躍らせ皇宮の外壁に飛び付いた。
「盛り上がってる所悪いがね…俺はもう少し楽なルートで行くとするわ」
身軽に建造物の突起を跳び渡り、2階部分の屋根に乗るゴルゴダ。
「さて…神皇サマはどこだ?」
夜の闇の中に白く浮かび上がる巨大な皇宮を眺めてゴルゴダが呟く。
その時、不意に夜風に乗って声がゴルゴダの耳に届いた。
「…皇宮は不慣れなようだな。では私が案内を承ろう」
「何ッッ!!?」
ゴルゴダが長槍を構えた。
前方からの殺気。只者ではない。
久しくなかった戦慄にゴルゴダが全身を緊張させる。
黒い影だけが、高速で壁面を滑って一気に肉薄してくる。
(何だ…!!! 影だけが…ッッ!!!!)
刹那の交差。ゴルゴダはそれでも超人的な反応でその迫る影へ向けて槍を突き出した。
闇の中を殺意と殺意がすれ違う。
ゴルゴダの一閃は虚しく空を突いた。迫る何者かはゴルゴダの肩を浅く切り裂いていった。
鮮血が飛沫き、白い皇宮の屋根に赤い斑模様を描く。
「ただし…行き先は地獄だがな」
両手に一対の長剣を構えて、ゴルゴダに背を向ける格好になっていたキャムデンが振り返った。
「宰相か…!!! なるほど今のが名高い縮地術『影渡』(カゲワタリ)ってわけかよ!!!」
その男の事をゴルゴダは知っている。
表で道化を演じながら、暗部から皇国を四半世紀に渡って護ってきた男。
稀代の暗殺者…『影王』アルビレオ・J・キャムデン。
「はっはっは…こりゃツイてねえぜ。一番面倒なのとあたっちまったよ!!!」
言葉とは裏腹に、表情には殺意と喜悦を滲ませてゴルゴダが槍を構えキャムデンへ向けて地を蹴った。