第5話 吹き荒ぶもの-7


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ヴェルパールの塔の最上階にある公爵のオフィス。
豪奢な木造りのデスクに腰掛けて真紅の液体を満たしたワイングラスを手に、ヴェルパールが午後のシュタインベルグの街を見下ろす。
間も無く部下が届けてくるであろう、朗報を待つ。
バロック兄弟は公爵の手勢の中では精鋭中の精鋭、七星や四葉、ハイドラらとの戦闘を想定して鍛え上げてきた逸材だ。
万に一つも失敗もあるまいと、ヴェルパールは確信していた。
…しかし、彼の部屋へ飛び込んできた部下が持ってきた報告は、その予想を覆すものだった。
「どういう事だ…失敗しただと!?」
声を荒げる公爵に、部下は縮み上がる。
ガタン、と乱暴に椅子を鳴らして公爵は立ち上がった。
「ありえん! フェルザーのみならずユーディスまで殺られたというのか!!」
「はっ! 既に…両名の遺体を回収しております…」
震えながらも、はっきりと部下が返事をする。
「………・」
ドサッと公爵が再び椅子に腰を下ろした。
半ば呆然と、座るというよりは落下したという方がいいような状態で。
「…く、くそ…奴らめ…!!!」
呻くように怨嗟の言葉を漏らす。
「ならば…オズマだ!! オズマを呼べ!! …それにベルトラムもだ!!」
叫んで指示を飛ばすと、ヴェルパールが乱暴に自らの前髪を掴む。
「『真なる夜』まであと僅かだ…こんな所で躓いてたまるか。もうすぐ全て私の物になるのだ…この国も円卓も…!! 邪魔はさせん…誰にも邪魔はさせんぞ!!!」
がしがしと前髪を掻く公爵。
そこへ、ノックもそこそこに慌しく別の部下が駆け込んでくる。
「こ、公爵様…!! 大変でございます…っ!!」
「今度は何だ!!」
ギラリと2人目の部下を怒鳴りつけてヴェルパールが怒鳴った。
「そ、それが…オズマ様が、今朝方死体で発見されたと…」
「な、何ィィ…?」
公爵は言葉に詰まり、ただ目をむいた。
オズマ・シアルドは公爵の部下の中ではバロック兄弟と並ぶ精鋭である。
その隣で電話をかけていた1人目の部下が受話器を下ろす。
「ベルトラム様、連絡がつきません…」
公爵の部下であれば24時間絶対に所在が確認できるはずの回線を通じて連絡を入れていた部下が深刻な表情をしていた。
その部下の斜め上の壁で投げつけられたグラスが派手な音を立てて砕け散る。
「誰だ…」
憤怒とドス黒い怨嗟を声に乗せて公爵が吐き出す。
「聖紋の娘とクリストファー・リューの他に、この国で私に対してこんな下らん真似を仕出かすのは誰だ。協会か…? だがそれ程の使い手が入国したという報せは無い…ならば誰だ…」
カツカツと靴音を鳴らしてうろうろと公爵が歩き回る。
そして足を止めた公爵は右手を机の上に置いてため息をついた。
「誰であろうが私の邪魔をするなら容赦はせん…。バロック兄弟にオズマ…それにベルトラムももう殺されたか…? 私の手駒がそれだけだと思ったら大間違いだぞ…」
ゆらりと赤い陽炎のようなものが公爵から立ち昇る。
何気なくその公爵の影に目を落とした部下は声を失い顔を引き攣らせた。
公爵の影は、まるで悪魔の様にその背に巨大な蝙蝠に似た翼を広げていた。

スタンリー女学院、保健室。
仄かに薬品の匂いの漂う清潔な白い空間に、今この部屋の主である織原鏡子がいる。
仕事は手際よく、生徒には親切で…同僚にも学生達にも概ね彼女の評判は良好だった。
今も彼女は放課後に訪れた数名の生徒の相手を終えたばかりだ。
最も彼女らは怪我や病気でここを訪れたのではなく、話し相手を求めてやってきたのだが。
親切に明るく、されどある程度の教師の威厳も失わずに彼女達の満足のいく様にその相手を務め上げて…キョウコは今彼女達と使用したティーカップを片付けていた。
そして予想を上回る消費ぶりに新しい紅茶葉の注文をキョウコが思い立ったその時、彼女のデスクの電話が鳴った。
「…はい、もしもし」
受話器の向こうの声を聞いてキョウコは立ち上がり、戸に近付いて鍵をかけた。
「ええ、ご苦労様だったわね」
鍵をかけた戸から戻り椅子に座るキョウコ。
「そこまででいいわ。一旦手を止めなさい。いつも言っているでしょう? 完全に叩き潰してしまった方が後々何かと面倒なの」
コツコツ、とペンの尻でテーブルを叩く。
キョウコの手にした受話器の向こう側から漏れてくるのは男の声だった。
「…そうよ。敵対者は弱らせた上で泳がせておくのが理想よ。それに、もう黙っていたって後は『彼ら』がやってくれるかもしれないわ」
くすりとキョウコが口元に微笑を浮かべた。
『彼ら』…その一言を口にした時彼女の脳裏を赤い髪の男の姿が過ぎった。
「戦いたいの? そうね…いつかはそうなるのかもしれないけど、少なくとも当面私にはその予定はないわ。邪魔をしてくるのなら話は別だけどね」
手の中で遊ばせていたペンを、唇の下に当てる。
「でも、手強いわよ? 彼、『ハイドラ』でも私とラゴールに次いで強かったもの。あれから色々あったし、ひょっとしたらもう私、並ばれてるかもしれないわ」
最後に、ふふ、と笑い声を受話器に送ると、キョウコは受話器をフックに戻した。

受話器を置いて、男が電話ボックスから外へ出た。
夕焼けの街に2人分の影が長く伸びている。
電話ボックスから出てきた男と、それを外で待っていた男。
「…とりあえずここまででええそうや。後はおとなしゅーしとけ言われたわ」
口を開いたのは電話ボックスから出てきた男だ。
引き締まった体格の浅黒く日焼けした男だ。尖らせたブロンドの髪の下には、野生的な鋭い瞳がある。
「だろう。あの方はそうおっしゃる筈だ」
答えたのは外で待っていた男。
ストレートの黒髪のロングヘアを腰まで伸ばした色白の線の細い男だ。
衣装も漆黒…黒ずくめの男だった。
「かー、ワシまだ暴れ足りんねん! 何や昨日の奴も歯応えあらへんかったしなぁ」
日焼けした男がそう言って足元の小石を蹴った。
「ならば…好きに戦ってきたらどうだ。私は止める気はない」
腕を組んで黒髪の男が言う。
そんな黒髪の男を、ジロリと睨んで日焼けした男が口元に笑みを浮かべた。
「アホ抜かせ。ワシが姐さんの言葉に逆らうわけあらへんやろ」
「それが懸命だ。アイザックの様になりたくなければ、勝手な真似はしない事だ」
言われて日焼けした男はふと遠い目をする。
「アイザックか…アイツは、どっちみちいつかはああなったやろ。アイツ、破滅願望あったで。力を求めときながら、どっか虚しさも感じてたんやろ」
「かもしれんな」
それきり、会話が途切れる。
夕闇の街へと、2人は並んで歩み去っていった。

学院の寮のメイの部屋にサーラは彼女を見舞った。
顔を合わせると、まずメイがサーラを身を気遣った。
見舞われているのは自分なのに…。
確かに、負傷の度合いにすればサーラの方が大分深いが、彼女は慣れているし仕事での事だ。
まるっきり巻き込まれただけの一般人のメイとは違う。
「…私、メイに話さなきゃいけない事があるの」
メイを真っ直ぐ見つめてサーラが言う。
ここへ来るまでの間に、彼女が決意してきた事だ。
「うん、聞くわ」
予想はしていたのだろう。
落ち着いた様子でベッドのメイは、サーラに自分の椅子を薦めた。
そしてサーラは語り出した。
自分の正体と、課せられた使命の話を。
サーラには守秘義務がある。自分の役目や組織の話を誰かにすることは禁じられている。
協会に報告すれば、彼女はメイに真実を語ることを許可されはしまい。
だからサーラは自分の判断だけで、その事をメイに話した。
「…だから、メイがあんな目にあったのは…私のせいなの…」
語尾が微かに震えた。
しかしサーラはメイから目を逸らさなかった。
憎まれても恐れられても、それは全て自分が受け止めなければいけない事なのだと思った。
メイは黙ったままサーラの話を聞いている。
「初めは…全部話して、それで皆の前からいなくなろうって、そう思ったわ」
膝の上に置かれたサーラの拳にぎゅっと力が篭る。
「だけど…私、諦めたくない! メイの友達でいる事も…皆のクラスメートでいる事も!」
「よかったわ」
ふいに、メイが言葉を挟んだ。
驚いてサーラが言葉を止める。
「全部話したからお別れですって言われたら、私ひっぱたいてやろうと思ったけど、そうしなくて済みそうでよかった」
そう言ってメイは笑った。
「メイ…」
「後、間違ってるから訂正しておくけど、サーラのせいじゃないわ」
メイがゆっくりベッドから下りてサーラに歩み寄る。
「私のクラスメイトは正義の味方だったか…」
そして、座るサーラの頭をメイがゆっくりと胸に抱いた。
「怖かったけど、でも助けに来てくれて本当に嬉しかった。ありがとう、サーラ」
「…っ」
何かを言おうとして、サーラはそれを言葉にできなかった。
代わりに漏れたのは嗚咽。
その頬を大粒の涙が零れ落ちる。
「昨日の夜も泣いてたでしょ…サーラってひょっとして泣き虫?」
優しくそう言うと、メイはサーラの頭をゆっくりと撫でた。

普段より2時間程遅れてサーラが屋敷に帰宅する。
普段ならこの時間にはもう夕食の並んでいる筈の机の上には何も乗っていない。
変わりにリューは出かける仕度をしていた。
「夕食は外で取る。お前も仕度を済ませろ」
そう言うとリューは机の上に一枚のチラシを滑らせた。
自分の目の前に来たチラシをサーラが手に取る。
「ロー飯店、オープン…ツェンレン料理のお店なのね」
そうだ、とリューが肯く。
「行って味を自分の舌で確認してくる」
「ラーメンは当店自慢の豚骨スープです、か…」
サーラがそう小さく呟くと、屋敷の2階の奥の方からバァン!!と大きくドアを開け放つ音が響き渡った。
次いで、ドサッと何かが床に落ちる音、ズルズルと這う様な音が続く。
「な、何…?」
サーラが眉を顰める。
音がしたのは勇吹の部屋の方角だ。サーラが2階へ上がる。
「ら…ラーメン…」
全身を包帯で覆った勇吹が廊下を這っている。
「勇吹…! まだ起きたら駄目よ!!」
慌ててその勇吹をサーラは抱き起こした。
すると勇吹は怪我人とは思えない力でサーラの襟首をガシッと掴む。
「私を置いて…ラーメン食べに行くとか…!!」
「あう…」
何と言うラーメンへの執念なのかとサーラが絶句する。
そこへリューも2階へ上がってきた。
「騒ぐな。まだ足を運ぶに足る価値のある味の店かわからん。行って確かめてくる。その価値ありとなれば、傷が癒えたら行ってくればいい」
「イヤよ! 私も行く…!!!」
サーラに掴みかかる様にして勇吹が立ち上がった。
痛みのためか、歪むその表情には汗が光っている。
「その身体では無理だ。無茶を言うな」
「…負ぶって」
リューをギラリと睨んで、勇吹が右手を伸ばした。
「………」
リューは一瞬何かを言いかけたが、思い直したらしく無言で勇吹に背を向けて腰を落とした。
その背に勇吹が抱き付く。
勇吹を背負ってリューが立ち上がる。
「そのまま…行くんですか…」
サーラはリューにそう聞いたのだが、ぶんぶんと首を縦に振ったのは勇吹だった。
「…そう簡単に、2人にはしない…!」
何やら勇吹はボソボソと呟いている。
この珍妙な3人組が入店したら、恐らくは賑わっているであろう新しく出来たばかりの料理店でどの様な反応をされるのだろうか。
その事を想像して、サーラは思わずふーっとため息をついたのだった。