第7話 冬の残響(前編)-4


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

カツカツと白墨が黒板を叩く音が教室内に響き渡る。
時折その音は止み。その時は代わって教室内に響くのは教師の説明の声だ。
雑談をする生徒はおらず、皆真面目に教師の説明を聞きながらノートにペンを走らせている。
何事もない普段の授業風景。
…そのはずだった。
ふと、テキストを片手に黒板の数式を解説していた教師が言葉を止めた。
神経質そうな色白の痩身の中年男性。数学のスミス教諭。
「…サーラ。先生の説明はわかり辛いですか?」
「え??」
言われてサーラはキョトンと目を点にした。
「いいえ、貴女が私を親の仇を見るような目で睨んでいたものでね」

そして授業は終わり、休み時間になった。
「…私、そんな怖い顔してたかしら」
自分の頬を指先で撫でてサーラが呟く。
「してるって。朝から怖かったよ」
モニカが今更…と言う表情で言った。
メイとキャロルも肯いている。
「そ、そっか…ちょっと色々考えてて…」
「……………」
机に肘を突いてメイはサーラを無言で眺めている。
「ど、どうしたの?」
「考え事って、カタリナさんの事?」
サーラの問いに、メイは問いで返答した。
う、とサーラが言葉に詰まる。
「やっぱりね」
ふぅ、と息を吐くメイ。
「サーラが怖い顔して考え込む事ないのに」
「え、ええと…気の毒だし、犯人が許せないなーって…」
この中でメイだけはサーラが協会に所属している事など諸々を知っているのだ。
勝手に捜査を始めてしまっている事までバレるのではないかとサーラが動揺する。
しかし幸いにしてメイの追求がそこにまで及ぶ事は無かった。
「勿論私も気の毒だとは思うけどね。事故もそうだし、フィアンセは何だか良くわかんない理由で外国飛ばされちゃうし…」
ふと、メイの台詞の中に気になる部分があったサーラは彼女の方を見た。
「良くわからない理由?」
海外に仕事でいる婚約者から定期的に手紙が届く、とは確かに先日カタリナの店で話は聞いている。
しかし、その海外にいる理由が良くわからないとは…?
「あ、えっと…」
少しの間、メイは黙り込んだ。
説明を躊躇ったのではなく、言うべき事を頭の中で整理しているらしい。
「カタリナさんの婚約者って同じ大学で同期だったレックスさんっていう人なんだけど、卒業してから騎士団に入団したのよ。大学で士学を学んでたレックスさんは実技も問題なくパスして最初から正騎士団員として入団したのよね」
メイがサーラにそう説明する。
一般的に、学歴の無い者が騎士団に入団する時は「従士」からの入団となる。これは所謂「見習い」の身分だ。
「ところがレックスさん、入団早々に海外派兵に回されちゃったのよ。海外派兵って同盟国の戦地へ援軍に行くわけなんだけど、本当はこの仕事は従士の人か、正騎士の人である程度の経験を積んだ人が回される仕事なんですって。入団したての正騎士が任命される仕事じゃないらしいんだけど…」
前例の無い事だと、知り合いの間じゃちょっとした騒ぎになったらしい、とメイが付け足した。
そしてそれから1年ほどして、カタリナは事故に遭い足が不自由になった。
サーラが視線を伏せて思案に耽る。
同時期の話ではない。しかし、レックスの不自然な海外任務とカタリナの事故はまったく無関係なのだろうか?
(…そのレックスさんに付いても、少し調べてみた方がよさそうね)
努めてさりげなく話題を変えつつ、サーラは内心でそう決めた。

同時刻、首都協会支部。
情報部のドアが勢い良く開け放たれる。
「…テッド! テッドいる!!?」
長いお下げを揺らして情報部のオフィスへ飛び込んできたのは勇吹だ。
ペンを耳に挟んだテッドが自分のデスクに広げていた書類から顔を上げた。
「今日はあんたか…ラーメンの大将。一体どんなご用向きだよ、そんな慌てちまって」
ギィ、と椅子を鳴らしてテッドが立ち上がった。
そのテッドの前に勇吹が立つ。
「聞きたい事があるの。1年前にあったカタリナさんっていう人の事故の件なんだけど…」
「おっと、そこまで」
スッと右の掌をかざしてテッドが勇吹の台詞を遮った。
「お前もその話か…。悪いが勇吹、その件に関しちゃオレに話してやれる事は何も…」
「何ですって!!!!」
ガン!!!!と勇吹の右拳がテッドの頬にめり込んだ。
「ぶふぇッッ!!! な、殴るなよ!!!!」
顔面の左半分を歪ませたテッドがぼたぼたと鼻血を垂らしながら叫んだ。
そのテッドを両手を腰に当てた勇吹が睨む。
「…どういう事よ」
詰め寄る勇吹に、鼻血をハンカチで拭きながらテッドが嘆息した。
「だからさ…ストップがかかってんだって。上からね。その件にはオレらは触…」
「何ですって!!!!!!」
ドボッ!!!!!と勇吹の右拳がテッドのミゾオチに激しく突き刺さる。
「うごェッッ!!!! ちょ!! ちょっと待て…!!! 勇吹ッッ!!!!」
身体をくの字に折り曲げて悶絶しつつ、テッドが必死に勇吹を制止する。
「…何よ」
「おっ、お前なぁ!! …いいか、オレの話を聞いて最終的にオレを殴ると決めたんなら百歩譲ってそれはしょうがないとする…だけどなぁ! お前殴りに行くまでが早すぎるぞ!!! ほとんど相槌みたいなレベルで殴ってるじゃねえか!!!!」
言われて勇吹はムスッと不機嫌そうに口をへの字に結ぶ。
「失礼しちゃうわ。…あなたそれ名誉毀損って言うのよ」
「その前にそっちの傷害罪でしょォォォォォ!!!!??」
テッドの台詞の後半は悲鳴になっていた。
フン、と鼻を鳴らして勇吹が腕を組む。
「まあ、わかってたわ。あなたがそう言うって事は。サーラに話は聞いてきたから」
言われたテッドがカクンと口を大きく開いた。
「…え? …じゃあ何でオレ…殴られたり…?」
「一応念の為に話を聞きに来たのよ。じゃあね」
それだけ言うと勇吹は足早に情報部のオフィスを出ていってしまった。
「…ひ、酷い…」
そして残されたテッドがその場にドシャッと崩れ落ちた。

協会を出た勇吹は、その足でそのままカタリナの店「眠り羊」へと向かった。
時刻は午後3時過ぎ。店は普通に営業している。
「こんにちは!」
ドアベルを鳴らして元気に勇吹が店内に挨拶する。
「こ、こんにちは…いらっしゃいませ」
突然店内に入ってきた勇吹の勢いに驚きつつも、カタリナが彼女を笑顔で出迎えた。
「あ、実はお客じゃないの。少しあなたにお話を聞きたくてね」
笑って言う勇吹にカタリナが不思議そうな表情を浮かべた。
勇吹はカタリナに自己紹介を済ませる。協会の者だとは告げたがサーラの知人であるとは言わずにおいた。
言えばサーラまで協会に所属しているのだとばれてしまうかもしれないからだ。
カタリナは何故協会の者が当時の事故を調べるのか不思議に思ったようだったが、勇吹の質問に一つ一つ丁寧に答えた。
しかし、その話の中に真新しい情報は無かった。
「…それで、蒸気式の貨物車輌を持っている会社とか調べてみたんだけど。ラプトゥス陸運社って知ってる?」
そう問うとカタリナがコクンと肯いた。
「はい、知っています」
「そっか。まあ大きな会社だからね」
勇吹が相槌を打つと、カタリナは静かに微笑んで首を横に振った。
「いいえ。確かに有名な会社なのだけど、今の社長が私の大学の同期なんです。それで…」
「!! …へえ、偶然ね。親しかったの?」
内心驚いたものの、それを表情には出さない勇吹。
「残念ですがまったく…。同期にその人がいるという話だけで、正直顔も思い出せませんね」
カタリナが答える。
…ウソを言っているようには見えなかった。また、そこでウソを付かなくてはならない理由も彼女にはないだろう。
(んー…知り合いから怨恨て線は薄い、か)
今度は密かに落胆する勇吹。
「ありがとう。今日はこんな所で…。もしかしたらまたお話を聞きにくるかもしれないわ」
そう言って勇吹は椅子から立ち上がった。
そしてふと、勇吹の視線はカウンターの端に纏められた封筒の束に留まった。
「…フィアンセの人から?」
そう問うと、カタリナが僅かに頬を染めて肯いた。
「早く犯人を捕まえて、彼氏にも安心してもらわなくちゃね」
笑ってそう言うと、勇吹は手を振って店を出た。
思いの外店内で長く過ごしていたらしく、表は既に暗い。
(…まずい。今日の夕食は私だ…)
勇吹が宵闇の通りを足早に歩き始めた。
…その時、唐突に勇吹の視界が揺らめいた。
「!!!! …ゴボッ!!」
声を出そうとして、その叫びが大きな気泡になった事に気付く勇吹。
一瞬、混乱した頭で自分が水に落ちたのかと思った。
しかし、ぼやけて揺らめいた視界に映るのは先程までと同じ町並みだ。
…『陸上で溺れ掛けている』
正体不明の水に覆われているのは頭部だけだ。
「…フッ!!!」
足元の石畳を蹴り散らし、一気に勇吹が前へ走る。
頭部を覆う水の塊を引き剥がして置き去りにして。
「…はあッ! はあッ!」
息を荒げて足を止めた勇吹が振り返る。
先程、自分の頭部があった場所に水塊はふわふわと浮いていた。
その量は徐々に増し、揺らめきながら女性の形になっていく。
「な、何よ…コイツ…」
勇吹が掠れた声で呟く。
ボコボコと内部に気泡を生みながら、水でできた妖女がゆらりと勇吹に向かって進み始めた。

学校の帰りに、サーラは協会へまた立ち寄っていた。
今度は資料課へ行き、首都の住民データからカタリナの婚約者、レックスに付いての資料を探し出す。
しかし、そこでわかった事は縁者に話を聞こうにもレックスは天涯孤独の身であるという事であった。
両親は共に病死してしまっている。
兄弟は無く。その他の親戚縁者も交流のある者はいないようだ。
彼自身は両親の残した遺産で普通の生活は営んでいたようであるが、寂しい話である。
(…友人関連を当るしかないかな)
そう思いながらサーラが夜の自然公園を行く。
屋敷までの近道だ。
周囲に人影はない。ここは公園と言ってもかなりの敷地面積があり、内部はちょっとした森林になっている箇所もある。
日が暮れてからあまり人が入るような場所ではないのだ。
サーラがある巨木の脇を通り過ぎようとしたその時、
「…!!!」
ふいに強い殺気を感じてサーラはその身を前方へ投げ出した。
ゴッ!!!!とサーラが飛び退いた直後に彼女の立っていた地面が抉られる。
「…チィィ!!! 避けんなや!!! 面倒臭ェ!!!!」
次いで聞こえたのは野太い苛立たしげな男の声。
前方の地面で一回転して跳ね起きたサーラがそちらを鋭く見る。
そのサーラの視線の先で、男がゆっくりと身を起こした。
(…お、大きい…!)
その体躯にサーラが目を見張った。
身長2mを超えるかもしれないという程の巨躯。10月の冷気の中で肩口から無造作に外気に晒されている両腕は筋肉で盛り上がっている。
レザーの上下に身を包んだ、まるで野獣の様な雰囲気を持つ男。
その手には、先程までサーラの立っていた地面を抉った肉厚の刃を持つ蛮刀(マチェット)があった。
隙はまるで感じられない。かなりの実力者だ。
「…何者…!!」
男から強い殺気を感じる。
その勢いにやや気圧されながらサーラが問う。
「聞くな…。答えるのが面倒臭ぇ…!!」
そう吐き捨てるかの様に言うと、男はブンブンと手にした蛮刀を×の字に振るった。
そしてザン、とブーツを鳴らして男が一歩前へ出る。
「小娘ぇ…下らん事を嗅ぎ回りよるから俺に仕事が増えるんじゃねえかよ…。ああ面倒臭ぇ、本当に面倒臭ぇ…」
鬱陶しそうに首を左右に振って、
そして男の姿が消えた。
「…え…?」
一瞬呆けたように呟いて、サーラは鋭く上を見た。
男は跳躍していた。サーラの頭上に。
無音にして目にも留まらぬ神速で。
サーラがカバンに忍ばせてあるショートソードを抜き放つ。
上空で男が構えた蛮刀の刃がギラリと光る。
そして放り出されたカバンが地面に落ちるのと同時に、上空から襲い来る刃と地より迎え撃つ刃が闇の中で交差した。