第11話 Prelude the Real Night -3


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マニが摺り足気味にリューとの距離を詰める。
「場所を移りたいのなら構わぬ」
マニが言う。
その語り調子は命を奪いにきた刺客というよりは、信者の悩みに答える穏やかな老牧師の様だ。
「いや…」
リューは頭を振ってそれに応じる。
「ここでいい」
言葉と同時に、周囲にオーラを展開するリュー。
自身を中心にマニの立ち位置を完全に飲み込んでリューの『結界』が完成する。
「では、この場にて立ち合おう」
マニは胸の前で両手を合わせるとリューへ向かって一礼した。
そして両足を開き腰を落として構えを取る。
(ヴァータ・パヤット…)
マニの構えを一目見ただけで、リューは彼の使う武術を看破していた。
古代リンド帝国発祥と言われている武術ヴァータパヤットは蹴り技を主体に拳打から関節技…果ては武器全般の扱いにまで及ぶ総合実戦格闘術だ。
リューも構えを取りながらマニの様子を油断無く窺う。
知識として知ってはいても、ヴァータの使い手と実際に立ち会うのは初めての事だった。
「…参る」
マニがハイキックを繰り出してきた。
ぶわ、と空気を裂いて上段の蹴りがリューを襲う。
鋭い…だが速度は捌けない程ではない。
そう考えてリューが蹴りに備えようとしたその時、その『違和感』に彼は気付く。
(違う…これではない!!!!)
咄嗟にリューは胸の前で両手を×の字に交差させ全身を緊張させた。
次の瞬間、上段からの蹴りはまるで幻の様に消失し、代わって鋭く射抜くように放たれた中段の蹴りがリューのガードの上に炸裂する。
ズドォン!!!!!!!
爆発音にも似た音を響かせて周囲の空気を震わせ、マニの蹴りが重ねたリューの腕を射抜いた。
(蹴りの軌道を途中で変えた…)
ガードの上に受けても尚、全身に重く響いた衝撃に僅かに顔を顰めながらリューが後ろに下がった。
放った蹴りの軌道をその途中で変えるという魔技…それは先の戦いでユーディス・バロックが見せていた。
一度見た事が無ければ今のはまともに受けていたかもしれない。
常軌を逸したフェイントの生み出す恐るべき幻影の蹴り。
最初の起動の蹴りを目と感覚で追い続ければどこから来たのかもわからない真の蹴りをまともに受ける。
初撃を防がれたマニは表情を変えずに、そのまま鋭く拳打を繰り出してきた。
その一撃がリューの左胸に炸裂する。
「…ぐ!!!!」
リューの表情が今度こそ激痛に歪んだ。
「…ぬ…」
しかしそれは攻撃を放ったマニも同様であった。
マニのわき腹にはリューのミドルキックが炸裂していた。
互いに同時に攻撃を繰り出して被弾し、それ故に両者の攻撃はどちらも致命の一撃とはならなかった。
2人はよろめいて後ずさり、距離を置く。
両者鋭い視線で相手を見る。
「アグニアータ・ヨーガに拠れば…」
突如、前置き無くマニが語り出す。
「人体には8箇所の気(プラーナ)を放出する門があるという。『チャクラ』と呼ばれるその門を開放し気を高める事で人は更なる高みへと至る事ができるとされている。我がヴァータ・パヤットはそのヨーガの修行によりチャクラの開放へと到達し己が力とする」
静かにマニは両手を合わせて目を閉じた。
「…その真髄、これよりお見せしよう」
そんな2人の足元に、静かに初冬の夜の冷気が満ちていく。


屋敷では夕食の時刻になっていた。
帰らないリューを除くサーラと勇吹の2人が食卓に着いている。
リューの帰りが遅くなる事は別に珍しくないので、食事を取る2人はどちらもそれを気にしてはいない。
気になるといえば、目下サーラにとって気になるのは目の前の席で食事を取っている勇吹であった。
「…螺旋…? マナを乗せて…ぶつぶつ…」
先程から食事を取りながら何かをぶつぶつと呟いている勇吹は、時折顔を顰めたり頭を掻き毟ってみたりと一向に落ち着く様子が無い。
味噌汁にどぼどぼと醤油を注ぎ込んで口にして「ぶっ」とか吹いてみたり、オムレツに無数のつまようじを突き立ててハリセンボンを創作したりしている。
「う~う~…わっかんないわよ…! あの人私にそんな事言って何をさせたいの…!?」
もうここまで来ると只事ではない。
「何かあったの?」
食事の手を止めると、サーラが勇吹にそう尋ねる。
「…ふえ!?」
そこで初めて目の前のサーラに気が付いたように勇吹が慌てた。
そして勇吹が自分の周囲の皿の惨状に気付く。
「あ、あはははは…ちょっとね。クイズ…? みたいなものかなぁ。答えが全然わからなくて」
恐縮して照れ笑いを浮かべつつ勇吹が言う。
しかし答えられてサーラの困惑はかえって増しただけであった。
箸を握り締めたテーブルに置いた右手の拳を勇吹がじっと見詰める。
(…螺旋をイメージ…)
勇吹が目を閉じて大きく息を吐く。
体内をスプリングのように力が駆け巡っていく様子をイメージする。
「え…」
カタカタとテーブルが揺れている事に気付いてサーラは慌てた。
見れば目を閉じた勇吹が机に置いた拳に力を込めて、その場所からピシピシとテーブルにヒビが入っている。
「ちょっと…いぶ…」
立ち上がるサーラ。…しかしもう遅い。
「でええええぇぇぇぇぇい!!!!!!」
バキイッッ!!!!!!
重厚な樫の木のテーブルは中央部から真っ二つに割れてVの字に崩れた。
当然テーブルの上の料理が絨毯にぶちまけられる。
「違う…違うのよこれじゃ!! ただの力ずくじゃない!!!!」
苦悶する勇吹。
「ああ…ご飯…晩御飯が…」
そんな彼女の前で泣きながらサーラが床にぶちまけられた料理を片付ける。
その時、勇吹が買ってきて取り付けたばかりの新しい電話が鳴る。
「はい。…ああ、テッド?」
受話器を取ったサーラの耳に響いたのは、「よ、元気でやってるか、お姫様」という軽薄そうな陽気な声だった。
サーラや勇吹と同じく協会に所属するライングラント支部情報部の男、テッドである。
「仕事なの?」
サーラが問う。彼がここへ電話を入れてくると言う事は大体がそういう時である。
『まぁ、仕事っちゃ仕事かね。サーラ、ボスから伝言だ』
「!」
その言葉に思わず受話器を握るサーラは姿勢を正した。
ボス…テッドがそう言う相手は1人しかいない。
協会の会長…サーラの師にして保護者、天河悠陽。
『明日の午後3時の便で「助っ人」が到着する。セブンスアークの駅まで迎えに行ってやれとさ。確かに伝えたぜ』
「助っ人…!? 誰が来るの!?」
サーラが驚いて言う。
『さて…そいつは俺も聞かされてないんだなコレが。まあボスが言うには「行けばわかる」って事らしいぜ?』
じゃ、よろしくな、とテッドは会話を締め括って電話を切った。
行けばわかるというのは、自分の知己が来るという事なのだろうか。
考え込むサーラの背後では、未だにテーブルと料理の惨状に目が行ってないらしい勇吹が相変わらずうーうー唸っていた。


夜の大気を音が切り裂いていく。
最早その攻撃の像はリューをして目で追える速度ではなく、彼は無数の拳撃をその身に受けながらグラつく両足を必死に踏みしめた。
パッと赤く血飛沫が上がる。
「…がッッ…!!」
苦悶の呻きが漏れる。
視界が激しくぶれる。
その一撃一撃は全て内臓にまで重く響いた。
チャクラを開放してからのマニは圧倒的だった。
リューの繰り出す攻撃の全てをまるで蚊トンボのように打ち払い、彼を一方的に打ちのめした。
マニは本来高潔な武人である。闘争の果てに他者の命を奪うことなどよしとする事は無い。
だがそれ以上にマニは公爵の僕であるという一点にのみ徹している。
その事に如何なる予断も私情も挟まない。
だから公爵の指示であれば無抵抗の女子供であれ、彼は眉一つ動かす事無く命を奪う。
マニにとっては、病床の妹を救うという事がこの世の自分の唯一つの存在意義であり、至上の命題だった。
その妹に手を差し伸べた公爵は彼にとっては絶対者であり、彼の存在意義、命題はそのまま公爵のために働くという事に重なったのだ。
思考は停止させてある。心は凍てつかせてある。
地獄へ堕ちる覚悟なら、遥かな昔に済ませてある。
だからマニはリューに決して手心を加えることは無い。
その拳が、頭蓋を粉々に打ち砕くまで…その殺意には一点の曇りも存在しない。
打ち据えられ、後ろに下がりながらもリューが練気する。
無造作に繰り出されたマニの拳を辛うじて紙一重で回避し、リューが必殺の拳打を放った。
「………」
マニの眉がピクリと揺れる。
次の瞬間、肉を穿ち骨を砕く嫌な音が周囲に響き渡った。

「リューに公爵を殺らすつもりやったんやないんですか?」
体調を崩した生徒用のベッドにどっかと腰を下ろして、我門がキリコに尋ねた。
ここはスタンリー女学院の保健室。
既に時刻は夜遅く、校舎には彼らの他に人影は無い。
デスクの椅子に座る白衣姿のキリコは湯気の立つティーカップを手に微笑む。
「そのつもりだったのだけどね、少し気が変わったわ」
優雅に紅茶を口にしてキリコが目を閉じる。
「勇吹…久しぶりに見たあの子が随分面白い化け方をしていたからね。伸び代を考えればリューより上かもしれないわ」
「せやろか…ワシにはわからんかったですわ」
腕を組んでふーむ、と我門が唸った。
「まあ見ていなさい。また化けるわよあの子…リューの死で、きっとね」
そして瞳を開けたキリコは窓から夜の街を見た。
「マニは…勇吹が倒してくれるわ」

「……!!!!」
リューが喉の奥から漏れかけた苦悶の叫びを噛み殺す。
リューの右拳とマニの右拳が打ち合わされていた。
その攻撃を見たマニが後から拳を繰り出してリューの一撃に真正面からぶつけたのだ。
そして拳を砕かれたのはリューの方だった。
指が滅茶苦茶に折れ曲がり、手首の骨は砕けた。
拳から肘近くまで皮膚にいくつもの亀裂、裂け目が広がりそこから鮮血が噴き出す。
間髪入れずにマニは右足を高く振り上げる。
…踵落しだ、とリューにはそれがわかった。
しかしもうその一撃を回避できるだけの体力が彼には残されていなかった。
重たい炸裂音を立てて、マニの踵がリューの左肩と首の丁度中間地点へと振り下ろされる。
鎖骨を砕かれて左手がだらりと力なく垂れる。
ここに、リューの両腕は死んだ。
「…………………」
しかしその両の瞳はまだ死んではいなかった。
勝負あり、とマニが一息ついたまさにその瞬間を狙ってリューは跳躍していた。
上空から頭部目掛け、鋭く蹴りを放つリュー。
その一撃は初めてマニの頬を掠め、血を飛沫かせる。
「この際(きわ)にして、その闘志…」
マニが呟く。その瞳がリューを見ている。
「お前は本当に素晴らしい武術家だ」
地へ降り立ったリューがそのまま後ろ回し蹴りを放つ。
僅かに後ろに下がってマニがその蹴りを回避する。
「私の様な悪鬼の記憶に残されては、お前の名が穢れよう…」
呟きながらマニが両手を合わせる。チャクラより迸る気が彼の全身に充填される。
「お前の名はお前の愛した人々の、お前の信じた仲間達の記憶にのみ残ればいい。故に私はお前の名をこの場へ置いていく…さらばだ、リュー」
再度繰り出されたリューのハイキックをかわしながら、マニが拳を撃ち出す。
致命の一撃はその狙いを過たず、リューの胸部中央付近…心臓の真上に炸裂した。