第7話 冬の残響(前編)-6


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パシュッ!と小気味の良い音を立ててリングを通過したボールがネットを鳴らす音がする。
放課後の体育館。
斜陽の光が窓から差し込む茜色のフロアに落ちたボールがバウンドする。
見事な3Pシュートを決めたサーラに、モニカがパチパチと拍手した。
別に彼女達は試合をしている訳ではなく、雑談のついでにバスケットボールとゴールで遊んでいるだけだ。
「またサーラは怪我してるね~」
サーラの袖から覗いた手首には包帯が巻かれている。
それに気付いたキャロルがその手を覗き込む。
「あ、ちょっとね…転んじゃって」
我ながら苦しいとは自覚しつつも、そう言って誤魔化すサーラ。
傷は昨晩、半鬼の傭兵バルバスに襲われた時の物だ。
リューの手当てと彼の塗ってくれた東洋の秘薬のお陰で傷はもうほぼ塞がってはいるものの、動かすとまだ微かに引き攣る様な痛みがある。
「何か危ない事してるんじゃないの…?」
半眼のメイが訝しむ様にサーラを見た。
ぶんぶんとサーラが首を横に振る。しかしその視線はメイから逸れている。
「ほんとにぃ~?」
メイの口調は完全に信用していない。
しかし彼女の追及はそこで止まった。
「…下校時刻は過ぎているわよ」
ふいに体育館の入り口から、そう凛とした声が4人に掛かったからだった。

「…エリーゼ学生会長」
モニカが小さく呟く。
入り口からツカツカと足音を鳴らしてエリーゼが近付いてくる。
紺色のリボンに纏められた2つのブロンドのテイルが揺れる。
そして何故か、腕を組んだエリーゼはサーラの目の前に立った。
「サーラ・エルシュラーハ」
やや硬質の声で名を呼ばれ、サーラが「はい」と返事をした。
エリーゼは気持ち顎を上げて僅かに首を傾けてサーラを見る。
「色々と聞いているわよ。最近ご活躍の様ね」
「いえ…私はそんな…」
小さく首を横に振って否定するサーラ。
内心で何故エリーゼが自分にそんな事を言ってくるのか、それを不審に思いながら。
するとエリーゼは今度はメイの方を向いた。
「傷はもういいの? メイハーツ」
言われてメイが「はい」と返事をした。
数週間前の話になるが、サーラを巡るある事件に巻き込まれてメイが負傷した事があった。
エリーゼはその傷の事を言ったのだろう。
最も、当然サーラ以外に負傷の理由を正しく知る者はこの学院にはいないのだが。
「そう。それはよかったわ」
ふふ、と笑ってそう言うとエリーゼはメイから再びサーラに視線を移した。
「気を付けてあげなさいね」
「…!」
サーラの瞳が揺れた。
…今のは「自分に」そう言ったのではないだろうか。
聞こえ様によっては、メイ以外の3人に対しての言葉とも取れるが…。
それだけ言うと、エリーゼは入ってきた時の様にきびきびとした足取りで体育館を出て行った。
「…何あれ? ライバル宣言?」
エリーゼが去ると、彼女の出て行った入り口とサーラを交互に見てモニカが言う。
メイとキャロルも首を傾げている。
「エリーゼ・グランチェスター…」
サーラは呟きは口の中で消えて、3人の耳に届く事は無かった。

寮生の3人とは校門で別れてサーラは帰途に就いた。
その途中に商店の並ぶ通りに寄ったサーラは、カタリナの店へ立ち寄った。
カタリナは丁度閉店準備をしようと店の外へ出てきた所だった。
サーラはカタリナに声を掛けて挨拶をすると、彼女が店内に仕舞おうとしていた「海外雑貨入荷しました」と白墨で書かれた小さな黒板とスタンドを店内に代わって仕舞った。
「ありがとうね」
カタリナは微笑んでそう礼を言う。
「ちょうどよかったわ、サーラ。あなたに渡したいものがあるの」
そう言うとカタリナはカウンターの引き出しから何かを取り出してきた。
「はい、これ」
手渡されたものは銀細工のペンギンのネックレスだった。
「この間会った時に何となくイメージが湧いて作ってみたの。今度あなたがお店に来たらプレゼントしようって」
「あ、ありがとうございます…! 今お代を…」
慌ててカバンから財布を出そうとしたサーラを、やんわりとカタリナが制する。
「いいえ、いらないわ。プレゼントだってば」
恐縮して小さくなりながらも、サーラがネックレスを身に着けてみる。
はにかむサーラをカタリナは優しい目で見ている。
「カタリナさん…」
車椅子に座るカタリナの右手を、サーラは両手でそっと持って握った。
「何にも、ならないかもしれないけど…私、精一杯やってきますね」
「…?」
カタリナの瞳を真っ直ぐに見つめてサーラが言った。
カタリナは、サーラが何を言ったのかわからないだろう。
不思議そうに小首を傾げている。
しかし、やがて
「ええ、気を付けてね」
そう言うとカタリナは優しく微笑んだ。

夜の大通りを黒塗りの蒸気自動車が進む。
高級要人用の特別仕様車だ。
ボディが長く座席が三列で8人が乗ることができる。
最後部の座席に、両脇を黒服のボディガードに挟まれて一人の男が座っている。
整った顔立ちの若い男だ。
高級そうなスーツに身を包んだシルバーブロンドの髪の男。
面持ちはどこか神経質そうな印象もある。
彼の名はステファン・ファゴット…ラプトゥス陸運社の現社長である。
彼は今、仕事を終えて屋敷へと帰る途中だった。
滑るように進む自動車は大通りを曲がり、1本細い道路に入った。
「…!!! 何だ!!!」
ふいに運転手がそう叫ぶと、ハンドルを慌てて横へ切った。
キキィッ!!!とブレーキ音を響かせて自動車が停まる。
「…何事だ?」
大きく揺さぶられて、乱れた前髪を指先で直しながらステファンが苛立たしげに言った。
「申し訳ありません。道が塞がれています」
後部座席を振り返った運転手が頭を下げる。
道路の先には、木箱や木材などが積み上げられ、完全に塞がれてしまっている。
運転手が車を降りてバリケードを確認する。
「悪戯か? 酷い事をするもんだ…」
すぐどかして通れるという物量では無い。
運転手がやれやれとため息をついた。
「仕方が無い…社長、迂回しましょ…」
その時、ふいに車へ戻りかけた運転手の背後にスタッと何者かが降り立った。
足音に運転手が振り向くよりも早く、その首筋にトンと手刀が落ちる。
う、と低く呻いて運転手はその場に崩れ落ちた。
運転手を昏倒させたのは勇吹だった。彼女は倒れた運転手の隣から動かず、車から次々に出てくるボディーガード達を見ている。
黒服の数は4人だ。 全員がプロフェッショナルな雰囲気を漂わせており、スーツの上からでもその下の鍛えられた肉体が窺える。
「何者だ」
拳を上げて構えを取りながらドスの効いた声で黒服の1人が勇吹に問う。
勇吹は答えずに4人のに視線を走らせた。
「ねえ、あいつはいないの? …例の何とか言う半分オーガっていうデカい奴」
「!」
問いに問いを返した勇吹に、黒服たちがピクリと反応した。
どうやらはっきりと「敵」だと認識されたらしい。黒服たちの殺気が強まる。
しかしその黒服たちよりもずっと獰猛で強い殺気は、ふいに勇吹の背後に現れた。
「…!!!!!!」
ゴウ!!!と背後の何者かが自分の脳天に振り下ろした刃物を勇吹が横へ跳んで回避した。跳びながら身体を反転させ、背後の襲撃者へと向き直る勇吹。
靴底がザッと地面を薙いで砂埃が上がった。
足を止めて勇吹が顔を上げる。
「ご指名かぁ…? 面倒臭ぇ!!!」
その勇吹の視線の先で巨躯の男が咆える。手にしているのは蛮刀。
「勇吹!!」
物陰からサーラが飛び出してくる。
最初の予定では勇吹が取り巻きを引き付けている間にサーラがステファンを確保する筈だった。
しかしこの男が出てくるとなると話は別だ。
「ごめん、そっちの4人よろしく」
正面に見据えたバルバスから視線を逸らさずに勇吹がサーラに言った。
黒服たちもバルバスに加勢する気は無いのか、全員がサーラに向き直った。
スッ、とまるで魔法の様に無音でサーラの両手にリボルバーが現れる。
青白い月光の下で対峙した二組の間に殺気が満ちていく。
「あなたには3つの選択肢があるわ」
そう言って勇吹はバルバスへ向けてすっと右手を差し出した。
バルバスが眉を顰めてそれを見る。
「1つ、このまま私に戦いを挑んでボコボコにされるか」
人差し指を立てて勇吹が言う。
「2つ、逃げ出して逃げ切れなくて私にボコボコにされるか」
人差し指に続いて中指も立てて勇吹が言う。
そして、薬指も上がる。
「…3つ、大人しく投降して私にボコボコにされるか!」
「結局全部ボコボコだろうが!!!! 面倒臭ぇ!!!!!!」
ダン!と踏み込んだバルバスが瞬時に勇吹の眼前に至る。
振り上げる蛮刀が剣呑な輝きを放つ。
ブン!!と振るわれたバルバスの刃が浅く勇吹の武闘着を切り裂いていった。
「…っ!」
かわしつつ、反撃の拳を振るう勇吹。
弾丸の様なその一撃を僅かに首を横に逸らせたバルバスが回避する。
「…オオオオオオぉぉぁぁぁぁ!!!!!」
バルバスが咆哮した。
怒涛の連撃が勇吹に襲い掛かる。
打ち下ろし、薙ぎ、突き、無数の切っ先が弾幕となって勇吹を覆う。
その攻撃のいくつかは勇吹を掠めていった。
「…ふッ!!」
そして勇吹は一撃だけ反撃を試みた。
自らに襲い掛かる剣先の雨の中、そのたった一点の隙間を突いた拳打。
「ぬッッ!!!??」
咄嗟に構えた蛮刀の腹でバルバスが勇吹の拳を防いだ。
バァン!!!という炸裂音と共に蛮刀がビリビリと振るえて衝撃がバルバスの両腕に伝わる。
むう、とバルバスが低く唸った。
今の一撃の意を感じ取ったのだ。
…仕留める為の一撃ではなかった。勇吹は拳でバルバスに「黙れ」と言ったのだ。
「頭に来るんだけど…」
台詞の通りに勇吹の声にはわずかに怒りの色があった。
双眸に冷たい光を湛えて勇吹はバルバスを見ている。
「手抜いてないで本気でやんなさいよ」
鋭く言い放つ勇吹。
自分に余力のある事を見抜いた彼女に、バルバスが意外そうな、それでいてやや楽しげな視線を送った。
「…クククク、良く見抜いた」
犬歯を見せてバルバスが笑う。
「しばらくぶりだぜ。全力を出して戦うのはな…」
そう言うとバルバスはふいに苦しそうに表情を歪ませた。
額に脂汗が浮かび、ギリギリと奥歯をかみ締める音が聞こえる。
「…ヌ…おぉ…!!!」
ブシュッ!!!とバルバスの額の左右両端から鮮血が噴出した。
「…!!!」
その異様な光景に思わず勇吹が1歩下がる。
メリメリと嫌な音を立ててバルバスの額から皮膚を突き破りながら2本の角が生えてくる。
鬼人(オーガ)の証たる角が。
同時にオーラが変質していく。
先程までよりも遥かに強大に、そして遥かに禍々しく。
「さぁて…お待ちどうさんだ…」
腰を落としていたバルバスがゆらりと直立する。
その体躯は先程までより一回り巨大化していた。
「ここまでやって見せたんだ…せいぜいあっさり死んで俺をガッカリさせないでくれよ」
ギラリと黄金色の瞳を輝かせて、バルバスはそう言ってフォォォ、と呼気を吐き出した。