第10話 神都の花嫁 -5


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みる茶の圧縮精霊魔術『風輪刃』(ヴェガ・ルタ)が容赦なくジュデッカに襲い掛かる。
大気を裂いて迫り来る極薄の風の輪刃をジュデッカが必死に避ける。
通常、腕の半分を失ってしまえば人は体内重心が狂って長くまともに立つ事すらできなくなる。
ジュデッカはその狂いを体内に宿した鮮血精霊(ブラッドエレメンタル)により無理やり補正していた。
失血性のショックも同様である。
辛うじて当座の絶望を回避した形となってはいるものの、この事はジュデッカが精霊の制御を失った時点で命を落すという事を意味していた。
身を屈めたジュデッカの背を風の刃が切り裂いていった。
「…っっ!!!」
悲鳴は噛み殺した。迸った血が周囲にパラパラと落ちる。
無駄に流した血は鮮血精霊に変えて武器としたい所であるが、現在自分の精霊力の大半は右腕の切断面に集中させた鮮血精霊の制御に当てている。
外部へと向けられる精霊力は極僅かだ。それを外してしまえば自分にはもう生命維持に回す分だけの精霊力しか残らない。
そうなればその時点で勝敗は決する。
「よく、それだけかわせるよね」
感心した様に言って、みる茶は更に2つの風の輪を放った。
「!!!」
優れた動体視力と反応を持つジュデッカでも、到底目で追い切れる速度では無い。
傷を負いながらもジュデッカは形振り構わず横に跳び、地面をごろごろと転がった。
そして仰向けになったジュデッカは、はぁはぁと荒い息をついた。
「…無様だね」
ふ、とみる茶が短く鼻で笑った。
「もう避けるだけしかできないでしょ? それもいつまでも続くわけじゃないしね。見苦しいし、苦しむ時間が延びるだけなんだし…もう素直に諦めちゃえばいいのに」
その嘲りの言葉が耳に入っているのかいないのか…横たわるジュデッカが左手を自分の額に当てた。
「…はぁ…はぁ…くっ…は、ははっ…」
思わず笑い声を上げていた。
それは苦笑だったが、ジュデッカは笑っていた。
「何がおかしいのさ?」
追撃しようとせずに不思議そうにみる茶が尋ねる。
「…そりゃあな…おかしいさ…」
呟くように言うジュデッカ。
「死ねなくて死にたかったあの頃と、そうでもない今…結局私のやってる事は全然変わっちゃいない。血塗れになって、苦しんで、こうして転がってる。散々追いかけてた時にはつれなくそっぽ向き続けておいて、いざ必要なくなったと思えば笑顔で迎えにきやがる…死神め」
けどな、とジュデッカは額に当てていた手を空へ伸ばした。
「…悪いけどまだ、当分お前とは行かない」
左手を下ろし、地面に突いてゆっくりジュデッカは上体を起こした。
そして背後のみる茶を振り返る。
「ところでさ。オマエ…キスした事ってあるか?」
唐突にジュデッカはそんな問いを発した。
言葉の意味を図りかねてみる茶が怪訝そうな表情を浮かべる。
「は? ないけど…そんなの」
それでも正直にみる茶は答えた。
「そっか…。ま、実の所、私もないんだ」
ジュデッカがニヤリと笑った。
瞬間、みる茶が右足首の後ろ側に焼け付くような激痛を感じた。
「…ぐあっっ!!!!!」
思わず悲鳴を上げて、みる茶が足元を見下ろす。
自分の右足首に、深々とサバイバルナイフが突き刺さっていた。
そのナイフの柄を握り締めているのは、先程自分が切断したジュデッカの右腕だ。
ジュデッカはみる茶の攻撃を回避しながら、サバイバルナイフを抜いて地面に転がしていた。
そして斬り飛ばされた右腕を鮮血精霊で制御して、ナイフを拾いみる茶の背後の地面に潜ませていたのだ。
みる茶の隙を突いてジュデッカが身を起こし、跳んだ。
「…!!!」
みる茶が顔を上げた時、既にジュデッカは目前にいた。
「…じゃあ、お互いこれがファーストキスって事になるな」
そう言うとジュデッカは強くみる茶と唇を重ね合わせた。
「!!???」
みる茶の口内にどろりと生暖かい何かが流し込まれる。
錆びた鉄の匂いと味のする…。
「!!!!!!」
みる茶が渾身の力でジュデッカを突き飛ばした。
「…かはッッ!! げえっっ!!!!」
そして跪くと必死にたった今自分が飲み下してしまったものを吐き出す。
「おいおい…げーげーはないだろ、キスの後にさ。失礼な奴」
おどけてジュデッカは肩を竦めた。
そのジュデッカを憎々しげにみる茶が見上げる。
「…い、イカれてる…お前…自分の舌を噛み切って…!!!」
呻きながらみる茶が苦しげに言う。
ジュデッカの口元から鮮血が流れて顎へ伝い、そこからぽたぽたと地面に垂れている。
噛み切らないギリギリの所まで深く舌を噛み裂いて、溢れ出た血を直接みる茶の喉に押し込んだのだ。
そして彼女の血を飲み込んでしまったと言う事は…。
「…ぐっ!! が…!!!!!」
苦しげに呻いたみる茶が自らの胸元を鷲掴みにした。
体内で鮮血精霊と化したジュデッカの血が暴れ始める。
自らの精霊力でも支配下に置けない最悪の異物を、最も無防備な内臓に入れてしまったのだ。
みる茶は全身の全ての精霊力で体内の鮮血精霊を押さえ込む。
少しでも気を抜けば、鮮血精霊達は内臓を食い破るだろう。
「…ぎぎぎ…ぎっ…!!!」
座り込んだまま両手で胸を掻き毟って、みる茶が苦悶の呻き声を漏らす。
その隣をゆっくりとジュデッカは横切ると、地面から自分の右手を拾い上げた。
そしてその腕を、ぐちゃ、と無造作に切断面に押し付ける。
傷口にワサワサと沸いてきた鮮血精霊が腕を繋ぎ始める。
「…!」
斜め後ろ上方からコツンとみる茶の後頭部に何かが当った。
左手で銃を構えたジュデッカがしゃがみ込むみる茶の頭に銃口を押し当てたのだ。
「…じゃあ、これでサヨナラだな。みる茶」
冷たく言うジュデッカ。
最早みる茶にはわずかに頭をずらしてその銃口から逃れる余裕すらない。
ジュデッカが引き鉄に掛けた指にぐぐっと力を入れたその時、彼女の襟元でブチ、と小さな音がした。
黒のタンクトップのインナーの裾から地面に何かがパサッと落ちる。
ジュデッカが見下ろす。
それは動物の牙と木の実と羽飾りを革紐で纏めたネックレスだった。
革紐が突然切れて地面に落ちたのだ。
「…エミット…」
ジュデッカが呟く。
それは彼女を姉の様に慕ったエミットが初任給で彼女に贈ったお守りだった。
「……………」
ジュデッカが静かに銃口を下ろした。
同時にみる茶の体内の鮮血精霊が消える。
「…はあっ…!!!」
ドサッとみる茶が地面に身を投げ出した。
全ての力を出し切って立ち上がることもできない彼は、横倒しの姿勢のまま視線だけでジュデッカを見上げた。
「…ど、どうして…」
殺さないのか、と続く言葉はもう声にはならない。
「エミットが、お前はやり直せる、ってさ…」
そう言ってみる茶を見下ろすジュデッカは静かに目を閉じた。


ずるり、と真っ赤に血で染まった長剣がエウロペアの肩から引き抜かれる。
エウロペアとカーラ、両者はそのままフラフラと後方へ下がった。
再び互いの距離が開く。
(…ぬぅぅ…右腕…!!)
下がりながらエウロペアが左手で力なくぶら下がる右手に触れた。
途端に全身を走った激痛に、漏れかけた悲鳴を口の中で噛み殺す。
(駄目だ…動かん。右腕は死んだか…!!)
竜族の超回復力を持つ彼女ではあるが、この損傷は流石にこの戦闘中に癒すというわけにはもういくまい。
誤算があった。油断もあった。
結果としてそれが彼女に、実力において劣る筈の相手にここまでに傷を許す事となった。
「なんたる不覚…そして無様…!! どうやら暫く良敵に巡り会わずにいたせいで随分と勘も腕も鈍ってしまっていたものと見えるわ…恥を知れ赤竜…!!!」
自らに侮蔑の言葉を投げながらも、言葉とは裏腹にエウロペアの脳髄は冷えていく。
そう、この場で彼女に必要なのは何よりも冷静さであった。
冷静になり、的確な判断と対処ができるようになれば、元より実力差は埋めるべくもない程に開いているのだから。
下がりながらカーラは必死に呼吸を整えていた。
本当なら、一気に攻めて突き崩してしまいたい所だった。
だが、カーラの負傷と疲労はそれを許さない。
まずは一旦退いて体勢を立て直さなくては、続く攻撃に移れない。
「…!!!」
そのカーラが表情を険しいものにする。
エウロペアが眼前で左手を振り上げたのだ。
「紛い物の身でありながら…その実力を始祖に等しい程に練磨したか。褒めてやるぞ」
先程の攻撃とは違う。
左手全体が赤い陽炎の様なオーラに包まれる。
「…『竜の尾』(ドラゴンテイル)!!!!!」
ぶん、とエウロペアが左掌を前方、カーラへと向けて突き出した。
突風を伴った真紅の衝撃波が周囲を薙ぐ。
さらに後方へ跳んでカーラが回避する。
次の瞬間、4層全体がズズン、と大きく揺れた。
直接の被弾は避けられたものの、余波を受け吹き飛ばされたカーラが地面に落下して転がる。
「…くっ…」
そして必死に身を起こして彼女は絶句する。
眼前に広がった惨状に。
式典広場は無残な有様になってしまっていた。
巨大なクレーターが広場中央を大きく抉っている。
そのクレーターの上空に、エウロペアはカーラへ向けて跳んでいた。
「手は休めぬぞ。もうお前が肉塊になるまではな…!!!」
左手の指先に、5つの赤い光。
次の攻撃、ドラゴンクロウを予見してカーラが全身を戦慄させる。

「…そこまでです」

ふいにその場に第三者の声が響いた。
同時に空中にいたエウロペアの身体にバチッとプラズマが走るとその場に静止する。
「…何ッッ!!!」
空中でエウロペアがギリッと奥歯を鳴らした。
ぶぅん、とエウロペアを中心として球形の力場が広がる。
「フェルテナージュ…」
カーラが呟く。
自らに襲い掛かってきたエウロペアを、術で捕えたのは白の将フェルテナージュだった。
神都の各所に異変が起きた時にフェルテナージュはその中でも一際巨大な気配を放っていた存在…エウロペアに注視した。
皇国の民として、自身も竜の血を引くフェルテナージュは、すぐにその襲撃者が竜か、或いはそれに極近い何かである事に気付く。
そしてここは竜の国。神竜を奉じる魔法国家。
この世界のどこよりも、竜に対する研究の進んでいる国だ。
「…護法・封神縛竜結界…」
フェルテナージュがエウロペアを捕えた魔術は、竜を封じる為の最強の結界魔術だった。
球形に自らを覆った結界の力場の中で、プラズマに打たれながらエウロペアの身体をミシミシと呪圧が苛む。
「…こっ…こんなもので…!!!! この…私を…!!!!!」
その時、エウロペアの身体の数箇所でピシッという異音が響いた。
呪圧により、何箇所かの骨にヒビの入った音だった。
「亜竜であれば…封印に至る前に呪圧だけで圧殺できる程の結界です」
油断無く結界を維持しながらフェルテナージュが言う。
「……………」
エウロペアが血が滴るほどに唇を噛み締める。
怒りに目を眩ませながらも、この忌まわしい戒めにどう対処するか…その方法を模索する。
…恐らく、この場で全ての力を使い切れば、この結界を破りこの場から逃走する事は可能だろう。
そして再び来襲したその時、自分はもう決して彼女達に遅れを取る事はあるまい。
カーラは、これまで出会った中では屈指の使い手だった。
しかし、その実力は自分には及ばない。致命的に手札の切り方を誤った今回はここまでの傷を負わされはしたが、今彼女の事を理解した上で再度戦えば10戦して10回自分が勝つだろう。
そしてフェルテナージュの結界。
成る程、確かにその効果は凄まじいものである。
しかし発動の前の違和感をエウロペアは既に記憶した。
次は術が発動する前にその効果外へ逃れられる。
…だから、この場は逃れて傷を癒して再戦するのが最良の選択肢だった。
いや、それ以外の正解などないのだ。
「…クク…」
エウロペアが笑った。
この自分が、レッドドラゴンである自分が、対敵に背を向けて退く…?
…否。
金色の瞳が、カーラとフェルテを見る。
2人がぞくりと身を震わせた。
考慮する必要もない。
退く等、そんな選択肢は存在しない。
…そんなものはもう、エウロペアではない。
「聞くがいい…お前たち」
ニヤリと笑って、結界の中で更にエウロペアがオーラを噴き上げる。
「これよりこのエウロペアが…お前たちを蹂躙する…!!!!」
そして赤竜は咆哮した。
その叫びが物質的な圧力を伴って周囲を鳴動させた。