第9話 エトワールの憂鬱 -5


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大空にゴンゴンと低い唸り声の様な蒸気エンジンの駆動音が響き渡る。
数機の飛空艇は規則正しく隊列を組んだまま滑るように空を進んでいた。
共和国軍の空中艦隊である。
先頭の飛空艇のブリッジには、艦隊の指揮官、陸軍中佐ガノッサ・クリューガーの姿があった。
そのガノッサは先程から不機嫌そうに眉間に皺を作り、前方の空を見据えて微動だにしない。
彼の胸中を不愉快たらしめているのは、先日の任務の失態である。
標的ツカサを後一歩の所まで追い詰めておきながら、むざむざと逃がしてしまった。
結果として今彼らは本来の予定には無い空路を進んでいるのである。
彼の脳裏に、上官の言葉が蘇る。
「いいか、ガノッサ。ターゲットは財団の最新鋭の生体兵器工学の技術の結晶だ。必ず捕えて連れて来い」
上官…ビスマルク大佐はそう自分に命じた。
ガノッサにとってはビスマルクは神にも等しい存在だ。その指令は命に勝る。
ビスマルクは自分が下士官だった頃から目を掛け、中佐まで取り立て、更には自身を鋼鉄化させる能力まで与えてくれた。
故にガノッサにとってはビスマルクの存在とは祖国よりも大統領よりも重い。
「逃がさんぞ。…地の果てまで追いかけても必ず捕えてやる」
ガノッサの口から漏れた低い呟きの声。
その声を僅かに耳に拾った周囲の下士官達が、込められた暗い迫力に身を縮ませた。

そのガノッサの艦隊の4番艦の独房に幽閉されている人物がいる。
「…あいたたた…」
激しい暴行を受けたその男は全身を痣だらけにして、血と泥に汚れて独房の床に転がされていた。
さすらいの元銀行員(バンカー)シラノである。
「いやー、参りましたね…」
後ろ手に縛られているシラノは、ごろりと床に転がって、濃いヒゲの合間からふーっと大きく息を吐いた。
「物語だと、こんな時は颯爽とヒーローが現れて助けてくれるんですが…」
そうシラノが呟いたその時、見張りの声が鋼鉄のドア越しに聞こえてきた。
「な、何だお前は…うっ」
低い呻き声と共に、ドサリと床に見張りが倒れる音がする。
次いでガチャガチャと鍵を開ける音がしてゆっくりと扉が開いた。
眩しさにシラノが目を細める。
「…何をしているんですか、シラノ。貴方は…」
白一色の視界に響く呆れた様な女性の声。
やがてゆっくりと視界が光に慣れてくると、グリーンの長髪が見えてくる。
スーツ姿の女性は、口調の通りの呆れ顔で彼を見下ろしていた。
「やぁ、エメラルド」
笑顔でシラノが挨拶する。
…床の上から、腫れ上がった顔で。
「待ち合わせの場所に、何時までも来ないと思えば」
文句を言いつつ、エメラルドと呼ばれた女性がシラノの戒めを解く。
「いやー…それが色々と出会いやハプニングがありまして。や、ありがとう」
礼を言って立ち上がったシラノにエメラルドが回復系らしい魔術をかけた。
シラノの身体が淡い緑色の輝きに包まれる。
「私はヒーラーではありませんので、それが限界です」
「十分ですよ。ほとんど痛みも感じません」
肩を上げたり回したりしているシラノ。
「それでですね…なるべく後腐れの無い方法でこの場を離れたいんですが、例の流れで1つ…」
手を合わせて頭を下げるシラノに、エメラルドは小さく肩を竦めるとため息をついた。

ガノッサのいる1番艦のブリッジにブザーが鳴り響いた。
4番艦からの緊急連絡のアラームである。
「何事だ」
通信機をガノッサが手に取る。
『も、申し訳ありません中佐! 捕虜が…捕虜がちょっと目を離した隙にどうやってか縄を解いたらしく…』
ガノッサの目が細められる。
「逃げたのか…?」
『いいえ、扉は突破できませんから。その、天井のパイプにベルトを引っ掛けまして…首を…』
報告の声が小さくなる。
「死んだのか」
『はい…我々が見つけた時にはもう…』
チッと舌打ちしてガノッサが通信機を握る手に力を込めた。
…まあ、問題の捕虜は数度の尋問の結果、どうも本人の言う様にターゲットとは偶然行き会っただけでそれ以上の関係性は無さそうであると言う結論にはなっていたのだが。
「止むを得ん。死体は海へ捨てろ。次に同じ事があれば降格の上営倉だ、肝に銘じておけよ」
引き攣った声での了解を聞きながらガノッサは通信を切った。

飛空艇からシラノの遺体が投げ捨てられる。
それを離れた空からエメラルドが見ていた。
彼女の背には白い翼があり、それを羽ばたかせて宙に浮いている。
そしてそのエメラルドの腰には、今死体が海へと落ちていったはずのシラノがしっかりと掴まってぶら下がっていた。
遥か下の海面に小さく水柱が見えた。
それを確認して、エメラルドがスナップを効かせて指をパチンと鳴らす。
海中へ没した幻術で作った偽りのシラノの死体を消したのだ。
「これでいいでしょう」
自分の腰に両手を回してぶら下がっているシラノを見下ろしてエメラルドが言う。
「恩に着ます」
笑顔でシラノが礼を言う。
エメラルドはそれには答えず、飛び去る艦隊に視線を送った。
「…思ったより早めに処理してくれて助かりました」
呟くようにエメラルドが言う。
彼女の幻術は見た目のみなら術を解くまでずっと有効だが、質量を与えられるのは15分程の間だけだ。
それが過ぎれば幻は触れることができなくなる。
「それにしても…」
再びエメラルドが腰のシラノに視線を落とした。
心なしかその目の光は冷たい。
「こんな短い間に2度もどなたかの死を偽装させられるとは思いませんでした」
そっけなく言うエメラルドに、はっはっはとシラノが乾いた笑い声を上げる。
「まったく面目次第も…」
恐縮するシラノの頭に、エメラルドがトン、と優しく手刀を落とした。
そしてそのまま静かにエメラルドはシラノの頭を撫でる。
「本当の事を言えない内は、悲しんでいる人達がいるんですよ。…それを、忘れないで」
「…心得ています」
神妙な声でシラノが答えた。
風が吹く。エメラルドの長い髪が揺れる。
彼女は目を細めると遠くの空を見やった。
「しばらくは2人旅ですね」
2人の前には空の青色がどこまでも続いていた。
「行きましょう」
シラノが言う。その彼の目をエメラルドが見る。
「…復讐の為に?」
彼女が問うと、シラノはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、今から始めるのは…逆襲です」


早くて安くてエグい宿「ニコチン爆裂亭」の夜。
シズマ達一向は夕食のテーブルを囲んでいる。
「……で、拾ってきちゃったんだ」
どこか疲れたようにマリスが言った。
目の前に座る巨漢の僧を見て。
「ごめんなさい。放置もできなくて…」
ツカサが俯いて小さな声で言う。
「これも御仏のお導きよ」
法岩はジャラジャラと数珠を鳴らして手を合わせた。
「聞けばそなたらも何かと難儀しておる模様。食い物を恵んでもらった恩もある。拙僧が力になろうぞ」
「うわー…微妙に遠慮したいなぁ」
嫌そうに言いながらマリスがシズマを見る。
どうするんだ、とその視線が言っている。
「ツカサの知己だと言うなら、彼女が良いなら俺は構わんが…」
シズマが普段の調子で言う。
相変わらず彼は物事に動じるという事がない。
「けどねぇ、私達の旅って本当に危険なのよ? ホーガンさん」
「法岩ね、そこイントネーション重要だから」
マリスに細かいツッコミを入れる法岩。
その法岩をツカサが見る。
「リチャード…私は今、共和国に狙われています。一緒にいればあなたもただでは済まないと思います」
「だから法岩だってば」
またもツッコんでから、法岩は胸を反らし腕を組む。
「…なぁに、大方あの戦いで不覚を取った拙僧の腕の程を御主は訝しんでおるのであろうが、その様な懸念は無用よ」
そして袖を捲り上げて右手を晒す。
筋肉に覆われた巨岩の如き右腕に力が入り、血管が浮かび上がる。
「わ、凄い腕…」
マリスが思わずヒュウと口笛を吹いていた。
「あの戦いの後…財団を去り仏門に入った拙者は、そこで新たな力に目覚めたのだ。そう、言うなれば御仏力! この御仏力のある限り拙僧が悪しき仏敵どもに遅れを取る事などありはせんのだ!!!!」
力強く言って、法岩は食事に箸を伸ばした。
「うむ…秋刀魚にはやはり下ろしよな。がっはっはっは」
そんな上機嫌な法岩を前に、ツカサとマリスが顔を見合わせる。
「どうするの? すっごく胡散臭いんだけど」
マリスに言われ、ツカサは困ったように眉を顰めた。
「根っからの悪い人ではないんです。…色々と残念な所はあるんですけど…」
するとその時、ピーンポーンと来客を告げるブザーが鳴った。
宿の扉が開き、何者かが入ってくる。
テーブルの4人がなんとなくそちらを見た。
「…つる?」
思わず来客の顔を見てマリスが呟いていた。

入ってきたのは鶴だった。
旅装の鶴だ。どこを見ているのかよくわからない目が特徴的だ。
その男の名は一鶴。ツェンレンの誇る七大将軍…七星の1人である。
一鶴の顔を見た法岩の手から、カチャンと音を立てて箸が落ちていた。
そして突然法岩は椅子を吹き飛ばして大きく宿の奥へ跳ぶ。
「…そ、その眼光!! 只者ではないな御主!! 刺客か!!!!」
構えを取って法岩が叫ぶ。
対する一鶴もスラリと刀を抜き放つ。
(その顔、見覚えがある)
そう一鶴の視線が言っていた。
(財団『ハイドラ』の1人…大龍峰!!!)
「や、それ違う人だから」
思わずマリスは一鶴の視線にツッコミを入れていた。
そのマリスの方を見た一鶴が驚愕に目を見開く。
(…そ、その顔…あなたはもしや…)
「…え?」
またも視線で語る一鶴にマリスがポカンとした表情を浮かべる。
(大和で伝説となっている、あの…コンドー・ケバヤシ!!!!)
「ちげEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!11111111」
夜のニコチン爆裂亭を震わせてマリスの絶叫がカマナの港に響き渡った。