第5話 吹き荒ぶもの-1


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微かな黴の匂いのする、薄暗い空間。
古書店の地下書庫にクリストファー・リューはいた。
無言で本のページを捲るその手首には包帯が覗いている。
先日のメギドとの激闘の傷は、ようやく出歩ける程度に癒えていた。
「手酷くやられたようだね」
笑いを含んだ老婆の声に、無言でリューが横を向く。
書庫の奥から魔女シフォンがリューを見ていた。
「…………」
リューは無言だ。今日はこの老魔女の助言が必要でここを訪れた訳ではない。
自分が敗北したという事実があり、その事をこの老婆が既に把握している以上、そこへ言葉を重ねるつもりにはなれなかった。
別にリューの反応を期待しているわけでもないのか、シフォンはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて言葉を続ける。
「自分は1人だと…1人で何でもやってけるんだって思ってるだろ? それじゃ何度やってもメギドには勝てないねぇ」
「…!」
リューが古書から顔を上げ、老婆の方を見た。
老魔女は皺に覆われた口元を笑みの形に吊り上げてリューを見ている。
しかし、その瞳は笑っておらず、深い光を湛えてリューの姿を映していた。
「お聞き、リュー。この世に1人の者などいないんだよ。例えその場で1人でいたとしても、目に見えない部分…魂の深い部分で必ず誰かと繋がっているのさ」
「……………」
無言でリューは老魔女の言葉に耳を傾ける。
半年前までの自分であれば一笑に付していたであろう言葉。
しかし、今のリューにとっては老婆の言葉は聞き流す事のできない重みを持っていた。
自分は孤独な存在だと思っていた。そして彼自身孤独な求道者である自分に誇りを持っていた。
どんな相手であれ、戦って遅れを取る事など無いと信じていた。たとえ実力で及ばぬ相手と対峙しようと、命を落とすような事が無い様に対処できると思っていた。
しかし、マキャベリーとの戦いで命を落としかけた自分は勇吹によって助けられた。
そして先日のメギドとの戦い。…あの場にサーラがいなければ、やはり自分は命を落としていた様に思う。
「それがわからない内は、アンタは戦いにおいても物作りにおいても最良の結末へと到達する事はできないよ、リュー」
ヒッヒッヒ、と老婆は腹を揺すって不気味に笑うと、ロッキングチェアにゆったりと腰掛けて眠りにつく。
それを見届け、リューが手にしていた古書を書棚へと戻した。
「…繋がり、か」
聞く者のいない一言は、古書の並ぶ本棚に吸い込まれて消えていった。

スタンリー女学院の昼休み。
チャイムが鳴り、挨拶を終えた教師が出て行くと学生たちは皆、昼食の準備に入る。
弁当を広げる者、食堂へ連れ立って向かう者。
基本良家の息女の通うこの学院では庶民の通う学舎とは異なり、食事に窮している者はいない。
「早く~席が埋まっちゃうよ」
キャロルがメイの手を引いて席から立ち上がらせている。
普段、のんびりしているキャロルは昼食の時だけは普段の2割増しで元気だ。
「はいはい、今行くから」
苦笑してメイが立ち上がる。
サーラも席から立ち上がって、カバンから包みを一つ取り出した。
「あれ、お弁当?」
それを見たモニカが意外そうに問う。
「うん。今日からお弁当なの」
肯いてそうサーラが返事をする。
サーラ達4人は全員学食のメニューで昼食を済ませていたグループだ。
食堂で弁当を広げている学生も多い。サーラも弁当を持って3人と食堂へ向かった。
「お弁当、自分で作ったの?」
メイにそう聞かれて、サーラは思わず言葉に詰まってしまう。
「…え? あ、うん…そ、そう…なのかな」
どもりつつ何とかそう返事をするサーラ。
サーラの持つ弁当は彼女の作ったものではない。
建前上、サーラは貿易商の父親と2人でこの国へやって来た事になっている。母親が作った、というわけにはいかない。
かといって使用人に作らせて、というのもとっさにサーラは思いつかなかった。
「そっか~、それでサーラそんなに怪我してるんだね~」
キャロルがサーラの手を見て言う。
制服の袖から見えるサーラの手には包帯が巻かれている。
頬には絆創膏も貼ってある。
先日のメギドとの戦いの際の負傷だ。
「え…どんな調理法…」
キャロルの言葉にメイが怪訝そうな顔をしていた。

3人がそれぞれ注文した物をトレイに置いて席に着いた。
キャロルは先程からサーラの弁当箱が気になってしょうがないらしい。
「ね、ね、どんなお弁当? 見せてよ~」
目を輝かせて身を乗り出しているキャロルにサーラが苦笑する。
「あんまり見ないで、恥ずかしいから」
「はしたないわよ、キャロル」
そんなキャロルを嗜めるメイ。
しかしそのメイもサーラの弁当は気になるらしく、ちらちらとたまに弁当箱を窺っている。
「…えっと、じゃあ」
恐る恐る、といった風にサーラが弁当箱を開けた。
彼女自身まだ中身を目にしていないのだ。
(…う)
弁当箱の蓋を開けて、思わずサーラは硬直してしまう。
わあ、とキャロルが感嘆の声を上げた。
弁当箱の中には高級そうな料理が美しい細工を施されて綺麗に並んでいた。
「うはー…何か凄いなぁ」
魚貝のパスタを突いていたモニカのフォークも思わず止まってしまっている。
(こ、懲りすぎ…リュー…)
『弁当を用意した。昼食はこれで済ませろ』
今朝、そう言って自分に弁当箱を手渡した赤い髪の男をサーラが思う。
先日のメギドとの戦いの後で、サーラは住居を替えていた。
協会が用意した古い屋敷へと移ったのだ。
そこで、リューも協会の派遣してきた医師によって治療を受けた。
2人の傷は何とか日常生活ができるまでに回復し、医師は引き上げたが、そのまま2人は何となくその屋敷で共同生活をしていた。
屋敷は2人で暮らすには広すぎて、不自由を感じる事は無かったものの、サーラはすぐリューが出て行かない事を不思議に思った。
治療が終われば、もう用は無いとさっさと出ていきそうなものだが…。
そしてある日、リューはサーラに屋敷を出ていかない理由を告げた。
『ユニオン』と戦う為に悠陽より共闘の申し出があり、リューがそれを受けたという話だった。
「不本意だが、奴らとの戦いにお前の力を借りる事もあるだろう。その代わりに俺も可能な範囲でお前に力を貸そう」
愛想も無く、いつもの無感情な声でリューはサーラにそう言った。
こうして2人は再びパートナーとなった。
男と二人暮らしである事に抵抗が無いわけではなかったが、協会の作戦で男性の職員と一緒に行動する事もこれまで何度もあったし、これも作戦の延長の様に考えればあまり気にはならない。
…そもそも、このストイックさを体現して生きているような男といて間違いもあるまい、とそうサーラは思った。
そんな矢先の、今朝の弁当である。
動けるようになってから、屋敷の厨房はリューのテリトリーだった。
食事の支度は全て彼がしている。サーラも料理はできたが、当然その腕はリューには遠く及ばない。
それなら無理に分担にする事もあるまい、と彼女は別の家事を担当していた。
今度はもっと「普通の」弁当にしてくれと頼もうかとサーラは頭を悩ませる。
というか、自分と彼の共同生活はいつまで続くのだろう。
その事を電話で悠陽に問い合わせたが、
「もうちょっとしたら応援を送るからね。それまで2人で頑張って」
との事であった。

サーラが学院の食堂で弁当箱を前に慌てていたのと同時刻、リューは首都最大の鉄道の駅であるセブンスアーク・ステーションにいた。
用件はある人物の出迎えである。
と言っても、リューは誰が来るのかは聞かされていない。
ここへ赴いたのは天河悠陽の要請だった。
メギドに敗れた自分は、またしても協会の助けを受ける事となった。
その際に、会長である悠陽から連絡があったのだ。
手を組みましょう、と。
そしてリューはその話に乗った。『ユニオン』と戦う為に協会と共同戦線を張ることにした。
極めて合理的に、それが最良であろうと判断した結果であった。
それにしても…、とリューがベンチに座り腕を組む。
仕事を言いつけて来るのは構わないが、その内容が問題だ。
昼過ぎにセブンスアークの駅へ行け、と只それだけ告げられて自分はここへ来た。
アバウトにも程がある。誰が来るのかもわからなければ何時の汽車で来るのかもわからない。
…ふいに、ベンチの端に座っていたリューの横に旅行カバンがドン、と置かれた。
次いで2列背中合わせに並んでいるベンチのリューの真後ろの席に誰かがやや乱暴に腰掛ける。
リューには、それが誰なのか振り向かなくてもわかった。
「…こんな所で何をしている。店はどうした」
いつかと同じ言葉で、彼女を出迎える。
「何よ…あんただって…」
背中合わせの彼女が言う。長いお下げが揺れる。
「こんなトコで何やってんのよ。よくわかんない連中との戦いに首突っ込んだって…そんなに戦いたいの?」
「お前には関係が無い事だ」
そっけ無くリューが言う。そして立ち上がる。
ふん、と鼻を鳴らして背後の女性…勇吹は腕を組んだ。
「なら私のしてる事だってあんたには関係ないわ。私は悠陽様から仕事を請けてここに来たんだから」
「……………」
勇吹がこの場に現れたという事はそういう事なのだろうとリューも察しがついていた。
そしてこうなった以上は、彼女を説得して帰らせるのは難しいであろうという事も。
「何故、店を休んでまで協会の仕事を請けた、勇吹」
勇吹が立ち上がる。真正面からリューを見る。
やや怒ったように…つまりはリューに対する普段の彼女だ…眉を上げてリューを見る勇吹の瞳は澄んでいた。
「わかんないの? …まあ、わかんないでしょうね」
ふう、と俯いて息を吐く勇吹。
「あんたバカだから、無茶しない様に誰か見張る人がいるじゃない…」
そう言って勇吹は、静かに右の拳でトンとリューの胸を突いた。
「ままならないものだな」
「…え?」
呟くとリューは、意外そうな顔をしている勇吹にそれ以上言葉をかける事無く、彼女の旅行カバンを手にして歩き出した。
慌てて勇吹がその後を追う。
一番傷つけたくないものが、自分のために戦場へ来てしまう…その不条理を思って出た一言だった。

2人は駅の近くの店で昼食を取り、そのままリューの案内で屋敷へと戻ってきた。
駅から屋敷へは徒歩で一時間半ほどである。
普通なら馬車を呼ぶ距離だが、鍛えた2人は踏破するに難は無い。
「…ここだ」
屋敷へ着いて、リューが勇吹を振り返る。
「へぇ、いいお屋敷ね。…え、もしかして私たち2人…?」
急に足を止めて気後れした様な表情を浮かべる勇吹。
いや、とリューが口を開きかけたその時、ちょうどサーラが学院から帰ってきた。
「あ、リュー。ちょっと…お弁当なんだけど自然に手を抜いてくれると嬉し…」
言葉を中断し、サーラが足を止めた。
リューの背後にいる勇吹に気が付いたのだ。
「…あ、えっと…」
「…誰?」
斜陽の光を背負った屋敷の前で、サーラと勇吹は互いに顔を見合わせて停止したのだった。