第1話 The fang to the fang-1


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西部大陸北東部にある歴史ある大国ライングラント。
その首都シュタインベルグは古くから西部大陸北方の文化、産業の中心として栄えてきた。
しかしどんな華やかな大都市であれ、陽の当たらない場所はある。
むしろ、聳え立つものが大きく高くあればあるほど、影は長く濃く地面に落ちるものだ。

メインストリートから1本奥まった路地。
表通りは繁華街である。
その裏路地に、その場所としては珍しく人だかりがある。
断続的に光って見えるのは、カメラのフラッシュだろう。
人だかりの中央に真っ白い布が何かを覆っていた。
布の盛り上がり方は、ちょうど人間の形をしている。
「け、警部~」
1人の背の高いスーツ姿の若い男がフラフラと人だかりに近付いた。
その声にブラウンのトレンチコートを来た小太りの初老の男が振り向く。
「だらしないぞノーマン君」
警部と呼ばれた初老の男が嘆息する。
「刑事が仏見て取り乱してどうする?」
ノーマンと呼ばれた若い男は青ざめてまだ口元をハンカチで覆っていた。
「は、はぁ・・・すいません、ダニエル警部。何分、こんな酷い死体は初めてで・・・」
言いながら思い出したのか、またノーマンはウッと呻いた。
「酷いモンかね、この程度で・・・ちゃんと人の形しとるじゃないか。いいかね? ワシの駆け出しの頃なんてな・・・」
言いながらダニエル警部は無造作に白い布を捲り上げた。
反射的にノーマンが横を向く。
布の下から現れた遺体は、シックだがきちんとした身なりをした老人のものだった。
死因は・・・誰が見てもわかる。喉笛を食い千切られているのだ。
よほど恐ろしい目に遭ったのか、その表情は恐怖のまま凍り付いている。
首はほとんど皮一枚で辛うじて胴体に繋がっているような有様だ。
他にざっと見て外傷らしきものは見当たらない。
既に死後大分時間が経過しているらしく、石畳に流れた血は赤黒く固まっていた。
「ブン屋どもがまた大はしゃぎだな・・・」
警部が苦々しく独りごちる。
「『魔犬の殺人』今月に入ってこれで3件目か・・・」
ふと警部が脇を見ると、野次馬の中に制服姿の数名の少女がいた。
「コラコラ・・・これはお嬢さん方が見て楽しいもんじゃないぞ。さぁ行った行った」
警部が言うと少女達は、はーいと返事をして小走りに去っていった。

その凄惨な殺人現場より1km程離れた場所にその女学生達の通うスタンリー女学院がある。
スタンリー女学院は、いわゆる良家のご息女ばかりの通う名門校であった。
良家の息女ばかりとは言え、ゴシップに示す好奇心は一般の者達となんら遜色は無い。
・・・朝の教室は件の「魔犬の殺人」の話題で持ちきりだった。
ここしばらく、シュタインベルグの都を震撼させている凶悪殺人事件。
被害者はいずれも喉笛を食い千切られて絶命している。
その死因や、現場で淡く光る犬を見た等と言う目撃話もあり、事件は「魔犬の殺人」と呼ばれていた。
しかしこの日、教室を騒がせるニュースはそれだけでは無かった。
HRの時間が来て、このクラスの担任である鷲鼻に引っ掛けた小さな丸メガネが特徴的な老教師が入ってきた。
途端にざわついていた教室が、しんと静まり返る。
教師が入ってきたからではなく・・・彼が自分たちと同じ制服を着た見知らぬ少女を伴っていたからだった。

クラス委員の号令で礼を済ませた皆が着席すると、老教師が自分の横に立つ少女を見る。
・・・異国の出なのか、少女は褐色の肌をしていた。
この教室の女学生たちは例外なく全員白人である。物珍しさもあって教室が控えめにざわつく。
「あー・・・静かに、諸君。今日からこのクラスで諸君らと一緒に学ぶ友人を紹介する」
教師に促され、褐色の肌の少女が教壇の上で1歩前に出る。
「サーラ・エルシュラーハです。父の仕事でこの町へ越してきました。仲良くして頂ければ幸いです」
笑顔は無かったが、はっきりと丁寧にそう言うとサーラは頭を下げた。
教師に席を与えられ、サーラがその机に着いた。
すると隣の巻き髪の少女が明るく声をかけてくる。
「よろしく! 私はメイ。メイハーツ・スペンサー。クラス委員をしているの。わからない事があれば何でも聞いてね!」
言われてサーラはメイと名乗った少女が先程号令をかけていた事を思い出していた。
よろしくね、とメイに返事をしてサーラははにかんだ。
・・・内心で上手く笑顔が作れているのか、不安に思いながら。

西の空が茜色に染まる頃に学院での1日を終えたサーラは校門をくぐって帰路についていた。
メイを含め、今日顔馴染になった少女の大半が寮生だった事は幸いだった。
・・・もしも一緒に帰る等という事になれば、それはサーラにとっては面倒な事になっただろうから。
ふう、と知らず知らずの内にサーラは歩きながら大きく息を吐いていた。
疲労の為である。
別に学院生活やクラスメイト達との交流が苦痛だったわけではない。
ただ、慣れない。慣れない故に疲れた。
そもそもサーラは自分が何故慣れない学院生活に等に身を投じているのか、未だに釈然としない。
いつもの通りに、ひっそりとこの街を訪れ、『仕事』をこなし、また離れていく筈だったのだ。
突然彼女の上司が
「ね、サーラ。あなた学校に行きなさいよ。私が手配してあげるから。現場近くのてきとーなトコ。仕事が済むまで女学生として過ごしなさい」
等と言い出した時から全てはおかしな方向に進み始めた。
(・・・悠陽さまも、たまに何をお考えなのかわからない時があるから・・・)
事の発端である上司の顔を思い浮かべて、再度サーラは嘆息した。

サーラが「帰宅」したのは路地裏の薄汚れた安アパートだった。
とても彼女が今通っている学院の生徒が暮すような場所ではない。
学院で悪目立ちしない為にも、今の住まいは知られずにおかなければなるまい。
帰宅を共にする者がいなかった事をサーラが幸運に思ったのはその為である。
「協会」はもっと上等な宿を手配してくれていたのだが、サーラはそれを断った。
・・・経費の無駄遣いである、と。
部屋に戻り、サーラは一息つく間も無く「仕事着」へと着替えを済ませた。
紺色の修道女の様な衣装に。
机の上のランプを灯し、そこに仕事道具を並べる。
銀の弾丸の詰まった2丁の回転式拳銃(リボルバー)、聖水の入った小瓶、 装飾のある古い一対のショートソード。
上司の気まぐれのお陰で、日中は捜査に時間を割く事が出来なくなった。
間も無く夜の帳が下りる。
そこから、彼女の時間が始まる。

件の魔犬の事件について、協会に捜査の依頼が舞い込んだのは先週の事だった。
現地のスタッフが調査に当たっていたが、成果が芳しくない。「本部」から腕利きを送って欲しいとの事で。
別件を終え、本部へ帰還する途中だったサーラが本件を担当する事となり、このシュタインベルグの都へとやってきた。
協会のA級エージェントにして、辣腕の「退魔師」(エクソシスト)・・・それが彼女、サーラ・エルシュラーハである。
宿を出てサーラは2番目の殺人現場へと向かった。
既に警察の捜査も終わり、現場には何も残っていないだろうが、それでも彼女ならば常人では気付けない「痕跡」を見つけることができる。
月の無い夜。
街灯に照らし出された冷たい石畳の上に白墨で描かれた人の形。
屈み込んだサーラが地面を指先で撫でる。
その指先に何かが付着している。
常人では視認できないこの世ならざるものの残滓。
それは霊体の僅かな欠片だった。
・・・どうやらこの件、自身の得意分野であるらしい。
この欠片さえ入手できれば、サーラにとっては標的を追う事は困難では無くなる。
懐から取り出した四つ折にされていた紙を広げる。
そこには複雑な模様が描かれていた。
模様の紙の中心に先程路面から採集した霊体の欠片をこすり付けると。サーラが呪文の詠唱に入る。
魔術は発動し、模様の紙から目には見えない感覚の糸が無数に伸びて町中へ散っていった。
採集した霊体の気配へ向けて伸びたサーチの糸だ。
この糸がもたらす感覚がサーラに標的の現在の居場所を伝えてくれる。
「・・・誰だ! そこで何をしている!」
感覚の糸を手繰っていたサーラに、ふいにそう声がかけられ懐中電灯の光が当てられる。
しかしその声の主、巡回中の警官が瞬きすると光の中の姿は跡形も無く消えていた。

探知術を用いてサーラが探り当てた標的の現在の居場所は、町外れの共同墓地だった。
分厚い雲に覆われた夜空に明かりは無く、街灯の少ないこの地区は一層闇が深い。
悪しき霊の潜む墓地・・・。霊的磁場の強い墓地は霊体の動きが活発化する。
(状況(シチュエーション)としては最高ね)
周囲を油断無く見回しながら、声には出さずにサーラが口の中で呟いた。
そしてその彼女をまるで待ち構えていたかの様に、墓石の間を走る細い道の上に「魔犬」は身構えていた。
淡く輝く半透明のボディが丸で炎の様にめらめらと揺れている。
牙をむいて低く唸り声を上げる大型の猟犬の両目が闇の中に爛々と輝いていた。
・・・亡霊犬(ゴーストハウンド)
獰猛な猟犬の悪霊。標的はサーラの予想していた通りの相手だった。
動きが素早く、距離を詰めてくる相手に対して拳銃は相性が悪い。
サーラは左右の手にそれぞれショートソードを構えた。
霊体であっても充分な殺傷能力を秘めた聖なる鋼を用いた短剣だ。
音も無く地を蹴り、高速で飛来する亡霊犬に迎え撃つサーラが短剣を一閃させる。
深夜の墓地に2つの影が交差する。
(・・・浅い!)
手の中の刃に手応えは感じたものの、サーラが微かに表情を歪めた。
僅かに胴を切り裂かれた亡霊犬は地面に降り立つや否や反転して再びサーラに襲い掛かる。
そして数手の攻防が交わされ、先程までより両者少しだけ傷を負う。
(並のゴーストハウンドより随分強い)
サーラの眉間に皺が寄る。
そこに、背後から男の声がかかった。
「如何致しましたかな、お嬢さん」
振り返るサーラの瞳に、この墓地の関係者なのだろうか・・・背の高い中年の神父の姿が映った。
危ない、離れて・・・サーラは喉まで出掛かった台詞を飲み込んだ。
神父の表情を見たからだ。
・・・その表情に動揺や警戒はまったくない。むしろ面白がるような笑みを浮かべている。
そして、彼はいくら交戦中であったとは言え、常人を遥かに凌ぐ鋭敏な感覚を持つサーラに気付かせずにいつの間にか側に近付いてきている。
サーラがふーっと長い呼気を吐いた。
「あなたが・・・主犯」
・・・魔犬には飼い主がいたのだ。

「今宵は良い夜だ・・・お嬢さん」
神父が近付いてくる。
その両手には細く長い2本の長剣が握られている。
「ここの所なかなか良い『供物』に出会えずにいてね。些かに腐っていた所なのだよ」
持ち上げた片方の長剣の刃を、神父が長い舌でベロリと舐めた。
その目には狂気の光があった。
「やはり死や絶望はうら若き乙女にこそ似合う」
墓地に、殺気が満ちる。
「さあその生命・・・私に捧げてもらおうか!!!!」
2本の長剣を振り上げて神父がサーラに肉薄する。
その動きは彼女の想像を遥かに超えて鋭敏だった。
(速い!!!!!!!!)
一呼吸で無数の斬撃が虚空を薙いだ。
サーラはその6撃目までを数えて回避したが、残りは目で追い切れずに勘を頼りに身を捩ってやり過ごした。
いくつか手傷を負ったものの、行動を制限されるほどの深手はない。
しかし同時に動いた亡霊犬が彼女の左足を浅く噛み裂いていった。
パッと地面にサーラの足から散った血が落ちる。
「・・・っ」
地の利の無さを悟ったサーラが地を蹴り逃走を試みた。
この墓地は彼女が本領を発揮するには向かない場所だ。
できれば遮蔽物の少ない・・・しかも屋根のある場所がいい。
「ふはは・・!! 逃がさんよ!!!」
神父はギラリと目を輝かせると亡霊犬を伴って追跡を開始する。

墓地を飛び出したサーラは、後ろを気にし過ぎる余りにその場にいた誰かとぶつかりそうになった。
きゃっ、と小さく悲鳴を上げて慌てて身をかわす。
対照的にサーラがぶつかりそうになった誰かはその場を微動だにせず、直立の姿勢のままだ。
「逃げてください・・・! ここは危ないんです!!」
その自分がぶつかりそうになった見知らぬ誰かへ、今度こそサーラは叫んでいた。
「お前の事情ではそうかもしれんが」
その誰かが口を開く。
落ち着いた男の声だ。
雲間からさっと月光が射した。
その光が赤い髪の背の高い男の姿を照らし出す。身に着けている衣装は東洋の物だ。
「こちらにはこちらの事情というものがある。・・・闇夜を狩場にしているのはお前達だけではない」
赤い髪の男は、サーラの方を見ようともせずにそう言い放った。