第11話 Prelude the Real Night -6


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薬品の匂いのする清潔な純白の空間。
ベッドの上には褐色の肌の少女が眠っている。
無数のチューブを全身に繋がれ、呼吸器を着けているその少女はまるで彫像の様に動かない。
微かに上下する胸元だけが、少女に生命のある事を示す信号だった。
マニは、そんな少女をガラス張りの病室の外から見詰めている。
『ペテン師』…日下部宗一郎に誑かされ、マニは妹の眠る病室へと駆け付けた。
その彼の前に、妹は普段と変わらぬ姿でそこにいた。
…そう、いつもの通りの姿。
傷付けられることも命を落すこともなかった代わりに、起き上がることも、彼に笑顔を見せることも、語りかけてくる事もないいつもの姿で。
彼は一切表には出さなかったが、心の底からその事に安堵した。
そして半日が過ぎた今も、そこに佇み妹の寝顔を見詰め続けていた。
廊下に抑えた足音が聞こえる。
マニがそちらへと顔を向けた。その視線に移ったのは静かに自分へと歩み寄る主人の姿であった。
「この病室の場所が、敵に漏れていたそうだな」
公爵の顔に笑みはない。…さりとて怒りが浮かんでいるわけでもなかった。
そのヴェルパール公爵へ、マニは廊下に両手を突いて平伏すと深々と頭を下げた。
「…申し訳御座いません。我が主よ。交戦中にここの事を口にされ、取り乱し戦場を放棄して参りました。この上は如何なる罰も受ける所存に御座います」
「いいや、その必要は無いぞ。秘されているはずのこの病室の事が敵に漏れていたのならば、それは私の落ち度だ。この上は妹御の病室を移し、更なる厳重な警備を付けるとしよう」
公爵はそう言うと、マニに立ち上がるように促した。
「有難き幸せに御座います」
再度深く頭を下げ、マニが立ち上がる。
「それで、リューは倒したのか」
腕を組み、公爵がマニに問う。
「打ち倒しはしましたが止めには至らず。…確認はしておりませぬが、いまだ命はあるものと思われます」
「お前の敵とはなり得る男か?」
重ねての問いに、マニが公爵にするには非常に珍しい事であったが、彼は即答を避けた。
目を閉じて僅かな時間、思考を巡らせるとマニは口を開く。
「現段階では脅威には当りません」
その微妙な言葉のニュアンスに公爵の眉が微かに揺れた。
「…この先はわからん、と?」
マニが肯く。
「はい。貴奴が生きているかもしれぬと思い浮かべた時、何故か次があるのならば一層油断ならぬ相手として我が前に現れる…そんな気がしました」
「だが…」
僅かに語調を強めて公爵が鋭くマニを見た。
その冷たい光を放つ瞳を真正面からマニが受け止める。
「この次は確実に仕留めろ」
「…公爵閣下の御心のままに」
そしてマニは深く一礼した。
マニから視線を外すと、公爵が前方を見る。
しかしその視線はマニの妹ではなく、もっとずっと遠くを見ていた。
「間も無く、古文書の解読が終わる。『白の宝冠』の在り処を突き止め、私はそれを手に入れる」
底知れぬ闇を湛えて、公爵の目が赤く輝く。
『白の宝冠』…それはライングラント王家が所有すると言われている魔道遺物(アーティファクト)
「その時にこそ、我が能力は完成し…最早我らは陽光の下を恐れる必要はなくなるのだ。世界は終わらぬ夜に閉ざされ、その中で私は超越者としてメギド様の下で円卓を…そして世界を統べる存在となる」
公爵が拳を握り締めた。
その拳の周囲に闇が揺らぐ。
光を拒絶する陽炎の中で、笑う主をマニは静かに見詰めていた。


既に陽は落ち、星の瞬く夜空に響き渡る怒号。
その声の主は長いお下げを振りかざして声を張り上げる。
「だから帰りなさいって言ってるでしょ!!!!」
そんな勇吹の剣幕にも涼しい顔で我門は耳の中をカリカリと小指で掻いた。
「せやから…自分ら弱っちいんやからワシが護ってやる言うてんねん。くり返すけどなぁ、ワシは好意で言ってやっとるんやで?」
「大きなお世話よ。私たちは自分の事は自分でできる!! あなたの力なんか必要としていないわ!!!」
帰れ、と勇吹が門の外をビッと指差した。
その指の指す先にいるサーラとシグルドには気付いていない。
「…………」
我門の口元から笑みが消えた。
「どうやら、口で言うただけじゃわからんみたいやな」
低く抑えた声でそう言うと、我門が担いでいた長柄の得物を納めた布袋を持った。
「何よ、やるっていうの?」
勇吹が構えを取る。
すると突然、我門は布袋を脇へと無造作にひょいと放り投げた。
大きく山なりに飛んだ布袋の先にいたのはサーラだ。
「え!? …わ…!!!」
慌てて律儀に投げられた布袋を両手でキャッチするサーラ。
その手にずしりと重さがかかった。
「…どういうつもり?」
それを横目でチラリと窺って勇吹は我門を睨んだ。
「ワシの得物はあの槍や。けどな、今はそっちの土俵で勝負したるわ」
そう言って我門は握った拳を見せ付けるように差し出した。
「『倒してみろ』とか無茶は言わんで。1発でもまともに入れられたらそっちの勝ちでええ。ワシは大人しく帰ったるわい。…ホレ、来てみぃ勇吹ちゃん」
握った拳を開くと、そのままちょいちょいと手招きする我門。
「馬鹿にして…」
きり…と勇吹の奥歯が小さく鳴った。
直後に彼女は地を蹴った。
常人が全く目で追う事の出来ない速度で我門に迫った勇吹が拳を繰り出す。
大岩を砕く威力を秘めたその拳打を、我門が僅かに上体をスライドさせて回避する。
「…!」
「フン」
嘲笑に口元を歪ませる我門。勇吹の視界が怒りで赤く染まる。
次いで繰り出された刻み打ちの連撃も我門は難なく捌いてみせた。
「ええか…聞け」
言いながら我門は反撃の拳を繰り出した。
しかしそれは牽制の為の一撃であったらしい。勇吹がかわすまでも無く、拳は大きく彼女を逸れた何も無い虚空を穿つ。
…しかし、それでも勇吹はその我門の一撃の速さと鋭さに身を竦ませた。
「ワシなんて姐さんから見ればほんのぺーぺーやで。大体そのワシですらまだこんなん全然本気やない」
ギラリと我門の目が獰猛な輝きを放った。
拳を引く。打ちかかる体勢を取る。
「…これからおんどれの目指すんは『そういう世界』や」
「…!」
息を飲んだのはサーラだった。
瞬間周囲を走った我門の闘気に気圧されたのだ。
「一つ、この前の姐さんのにワシからヒントを付け足したる。…これが『発勁』や」
渦を巻く力を帯びた拳が勇吹に襲い掛かる。
衝撃は感じなかった。
音も無かった。
光は途切れ、ただ静寂と闇が訪れ…そして勇吹は自身が打たれたと感じるより早く意識を失っていた。

「…勇吹!!」
我門に殴り飛ばされた勇吹にサーラが駆け寄る。
「心配いらんて。後に残るような当て方はしとらんで」
勇吹を抱き起こすサーラに我門が上から声を掛ける。
その言葉を裏付けるかの様に、我門を睨んだサーラが何か文句を口にするよりも早く、その手の中で小さく勇吹が呻いて揺れる。
ゆっくりと目を開いた勇吹の視界に、心配そうに自分を見ているサーラの顔が入る。
「ほーぉ…確かに姐さんが目ぇ掛けるだけの事はあるなぁ。手加減はしたんやけど、そんでもすぐ起きられるレベルでも無い筈やけどな」
腕を組んだ我門が感心した様に言った。
その我門をキッと睨み付けてサーラが立ち上がる。
「今度は私が…」
その肩に後ろからゆっくりとシグルドが手を置いた。
「…シグルドさん」
「やめておきなさい、サーラ」
静かに首を横に振ってシグルドが言う。
「この鷲塚我門という男…面識は無いが些か話には聞いている。お世辞にも善人と呼べた男ではないが、それでも詭弁を弄して卑劣な罠を張る男でもない。彼が勝手に我々の護衛を買って出るというのであれば、当面は戦力の内と割り切って好きにさせてやろう」
「でも…」
シグルドの言葉にサーラは表情を曇らせた。
一方の我門は楽しそうにカッカと笑い声を上げる。
「話せるやないか、シャルンホルスト本部局長サマは! …ま、仲良うしたってや」
「勘違いはしないでもらおうか」
ぴしゃりとシグルドが我門の言葉を遮る。
そして鋭くシグルドは我門の目を見た。
「君を信用したわけではないぞ。もしもの時は私が責任を取るのだという覚悟を決めたという意味だ。この2人にこの先僅かにでも害を及ぼしてみたまえ。その時は…」
ギギ、とシグルドの右手の革手袋から軋む音がした。
「君に次の日の朝は来ない」
「…ひゅー、おっかな。せーぜー肝に銘じておくで」
シグルドから放たれた静かな殺気に、肩を竦めて我門はやれやれとため息をついた。


首都シュタインベルグの闇。
公爵やユニオンのメンバーで無くとも、この街の夜の闇の中を根城にしている者は多い。
都市が大きければ大きいほど、その影も長く広く伸びるものだ。
様々な犯罪者やマフィア組織が今日も首都の闇の中を行く。
『彼ら』も…そう言った類のある組織のメンバー達であった。
とはいえ、その彼らはその日は何がしかの犯罪行為をしていたという訳ではない。
常日頃は法に触れる行為を数多している彼らも、その日はいわゆる「オフ」の状態であり行き付けの酒場で気分良く盛り上がり、2軒目へと向かう最中であった。
「…貴方達、尋ねたいことがあります」
ふいに、一向は後ろから声を掛けられた。
振り向いた男達が、一瞬周囲の気温によるものではない寒気に身を貫かれた。
それは声を掛けてきた男の発している陰鬱なドス黒い気配による寒気。
スーツ姿の男だった。
しかし、その全身は血と泥で所々汚れた包帯に覆われていた。
そう言えばスーツとその上に羽織ったコートにも汚れや血の跡がある。
男の乱れたブロンドの髪の毛だけが外気に触れている。
「クリストファー・リューという男を捜しています。赤い髪の東洋人です。…貴方達何か知りませんか?」
包帯の男の言葉に、マフィア達は互いに顔を見合わせた。
「知らねぇな」
「…大体よぅ、てめえ人に物を尋ねる態度ってモンがなっちゃいねえなぁ」
マフィアの1人が包帯の男の襟首をぐい、と掴んだ。
その手を包帯の男が無造作にパン、と払い除ける。
「…クズが。ならば貴方達にもう用はありません。行きなさい」
くい、と包帯の男がマフィア達をどこかへ行け、とばかりに顎でしゃくった。
その態度が酒気を帯びたマフィア達を激昂させる。
「ナメやがって!!!」
制裁を加えんとマフィア達が包帯の男を引っ張って路地裏へと入る。
その先が自分達の死地になるとも知らずに。

しゅるしゅる、と風を切る音が僅かに聞こえた。
包帯の男の両手をそれぞれ掴んでいた2人のマフィアがバラバラになった。
それはまるで積み上げた積み木を突付いて崩したような、そんなあまりにも呆気なく…また現実味の無い光景だった。
瞬く間に無数の「パーツ」に成り果てた仲間の有様を理解するのに、最後に1人残ったマフィアは数秒を要した。
目の前は赤一色の世界。
そこに転がるのはさっきまで一緒に飲んでいた筈の仲間の成れの果て。
「…は、はへ…」
ペタリとマフィアが座り込む。
そしてそのままずるずると包帯の男から遠ざかろうと尻を突いたまま後ずさった。
「私は清掃員ではないんですよ…。ゴミ掃除などさせられては…」
包帯の男の指先がキラキラと僅かに輝きを放つ。
鋭く研ぎ澄まされた鋼の糸が夜気を裂いて舞い踊る。
「困るんですよねぇ…!!!!」
最後にマフィアの男が目にしたのは、目の前の虚空を裂く縦一文字の銀のラインだった。
綺麗に2つに断ち割られた男が、左右にゆっくりと分かれてべしゃりと地面に倒れた。
「…うっ…ぐ…!!!!」
それを見届けた包帯の男が突如前屈みに体勢を崩した。
荒い息の中、ビクビクとその身を痙攣させている。
「はっ…は…おのれ…ッッ!!!」
スーツの内ポケットから小型のケースを取り出す包帯の男。
蓋を開いて中から注射器を取り出す。
そして包帯の男は震える手で乱暴に注射針の覆いを外すと、無造作に注射器を自らの首筋に突き立てた。
「はぁ…はぁ…今…行きますよ、クリストファー…」
いまだ痙攣の治まらない身体で、包帯の男がニヤリと笑った。
「私が…殺しに…行きますからね…!!!!!!」
そして包帯の男はヨロヨロとふらつきながら路地裏を出ると、雑踏に混じって夜の街へ消えていった。