第7話 冬の残響(前編)-5


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遡る事2時間前。
首都大通りの雑踏の中を、着込んだコートのポケットに両手を突っ込んだ男が歩いている。
「…ヘヘッ、こんだけありゃしばらくは楽できるぜ」
男は小さく呟いてニヤリと笑った。
右のポケットの中で手に触れる封筒の感触を確かめる。
わずかな厚みを持ったその封筒の中には100クラウン紙幣が20枚入っている。
…それは、彼が某知人に提供したさる情報の報酬だった。
ふいに、人込みの中からスッと伸びた男の手が、彼の肩をポンポンと叩いた。
ビクリと身を竦ませ、それでもポケットから手は出さずにゆっくりと彼が振り返る。
「よっ、ハーディ」
恐る恐る振り返った彼の視線の先…そこには笑顔の同僚が立っていた。
笑顔だが頬には絆創膏でガーゼが貼り付けられていて痛々しい。
それは先程勇吹にぶっ飛ばされた時の物だ。
「な、なんだ…テッドか。驚いたぜ」
ハーディと呼ばれた男が、そこでようやくポケットから手を出し冷や汗の浮かんだ額を手の甲で拭った。
「どうしたんだよ。なんか用か?」
「ん? なあにもうすぐ晩飯だろ? 一緒にどうかと思ってよ」
テッドが愛想良く言う。
そんな事か…とハーディは内心で胸を撫で下ろした。
安心すると同時に、先程までの高揚感が蘇ってくる。
「あーいいぜ。よし!今日は俺が奢ってやる。気分がいいんでな」
自慢げに胸を反らして言うハーディに、テッドがいやいや、と苦笑して首を横に振った。
「待て待て、そりゃ悪いぜ」
「気にする事はねーよ! 何が食いたい? ちょっと値の張るモンだっていいんだぜ?」
はは、と笑ってから、ふっとテッドが真顔になった。
「いや…1人じゃねーんだわ、オレ」
その一言が合図に成ったかの様に、ぞろぞろと人込みの中から数名の男女が出てきてハーディを取り囲んだ。
ハーディの笑顔が凍り付く。
自分を取り囲んだ面々の顔にはどれも見覚えがある。
それもその筈だ…全員が彼の同僚。協会の情報部の面々だったからだ。
テッドが咥えた煙草に火を着ける。
「…さて、飯食いながら話そうぜ。お前の『お小遣い稼ぎ』に付いてな。再就職の相談にゃその後で乗るぜ」
はは…は…、と乾いた悲鳴にも聞こえる笑い声を上げてハーディがその場に座り込んだ。
その同僚をテッドが静かに見下ろす。
彼に付いては以前から内偵が進められていたのだ。特定企業団体との『不適切な関係』に付いて。
そして今回の一件、カタリナの事故の調査をサーラと勇吹が進めている事が彼の口からあちらに漏れたことは明白だった。
勇吹には予め、目立つようにその件を問い合わせて来いと話をしてあった。
…最もその目立ち方まで打ち合わせておかなかったせいで、テッドは鉄拳を食らう羽目になったが。
腕時計を見てテッドが目を細める。
(…連中に話が行ってから2,3時間は過ぎてるだろうな)
ラプトゥス陸運社は清廉潔白な企業ではない。政界とも癒着し裏社会にも大きな影響力を持っている。
当然様々なイリーガルな案件を処理する者達がいる。
テッドの脳裏に1人の男の姿が思い浮かぶ。
その男は歴戦の傭兵にして現在はラプトゥス子飼いの始末屋だ。
この手の話になれば…そして相手が腕に自信のある者なら確実に出てくるだろう。
(死ぬんじゃねーぞ…サーラ、勇吹)
紫煙を吐いて、テッドは遠く空を見上げた。

そして時刻は現在へ戻り。
夜の自然公園…その林の中の小道でその男はサーラと対峙していた。
男の名はバルバス。バルバス・レガート。
角は有していないが、その身体には半分鬼人(オーガ)の血が流れている。
激戦区ばかりを転戦してきた傭兵であったバルバスがラプトゥス陸運社に雇われたのは4年前の事だ。
「…これでもまだ死なんのか。面倒臭ぇ」
ビュッ!と手にした蛮刀に着いた血を振るって飛ばすと舌打ちをしてバルバスは眼前のサーラを睨み付けた。
向き合うサーラもバルバスに鋭い視線を注いでショートソードを構えている。
しかし、無傷のバルバスに対しサーラは全身の数箇所に蛮刀による傷を負っており、地面にはぽたぽたと鮮血が滴り落ちていた。
僅かにサーラが下唇を噛む。
…正攻法では勝ち目が無い。
悔しいが身のこなしや近接戦闘のスキルは対敵の方が自分より大きく上回っている。
先程からの猛攻…サーラは致命傷を避けることだけで精一杯だった。
ならば…。
ガッ!!と地面を蹴ってサーラがバルバスへ向けて走る。
「来るかァッッ!!!!」
叫んでサーラを迎撃するべく、バルバスは手にした蛮刀を振り上げた。
数多の獲物の血を吸ってきたバルバス愛用の無骨な刃が月光を反射して鈍く輝く。
ゴウ!!と唸りを上げて振り下ろされる肉厚の刃の一撃を、その寸前で足を止めたサーラが横っ飛びに回避した。
「ぬぅ!!」
一瞬目標を見失ってバルバスが唸る。
横に跳んだサーラは脇の大木の幹を蹴っていた。
(スプリンガルド…!! これなら…)
縦横無尽に周囲を蹴り、跳ね回りながら加速するサーラの得意の体術。
天井のない分本来の加速へ至る事は不可能だがサーラはその技を選んだ。
「…!!!!!」
しかし、一瞬でバルバスはサーラの動きに反応していた。
一蹴り目を跳んだ直後のサーラの首を捉えて右手で鷲掴みにする。
「チョコマカと面倒臭ぇ…!!!!」
大きな手でサーラの首を握り締め、そのままバルバスがぐいっと彼女の身体を持ち上げた。
「…あ…あぅっ…!!!」
サーラの両脚が宙へ浮く。
その顔が苦悶に歪む。
容赦なく吊り下げたサーラを掴む右手に力を込めるバルバス。
指がめり込み、肉の軋むメキメキという嫌な音が響く。
サーラの視界が霞んでいく。
このままでは握り潰され、首の骨を折られる。
「…くっ!!!!!!」
サーラがブーツの両踵をガチンと打ち合わせた。
爪先から小型の仕込み刃が伸びる。
その爪先の刃を使って、サーラが自らを締め上げるバルバスの右手を蹴り上げた。
「…ン何ぃぃっ!!?」
腕を浅く斬られてバルバスがサーラから手を離した。
地面に投げ出されたサーラがゲホゲホと激しく咳き込みながらも必死にその場から飛び退く。
「面倒臭ぇモンを仕込んどるなぁぁぁ…小娘ぇ」
怒りを声に滲ませてバルバスがサーラへとゆっくり歩みを進める。
切り裂かれた腕の傷はダメージを計上するほどのものではないが、仕留めると決めた状態から逃れられた事が彼を苛立たせていた。
必死にサーラが体勢を立て直し、ショートソードを構える。
状況は何一つ好転していない。
じわじわと確実に自分は死に向かって追い詰められている。
その事実の認識がサーラの頬を伝う冷たい汗となって現れる。
しかし、両者の死闘は唐突に終わりを告げた。
がやがやと賑やかな数名の話し声と足音がこちらへ近付いて来たのだ。
バルバスが音の聞こえてくる方を向いてぺッと地面に唾を吐く。
「時間切れか…面倒臭ぇ。運がよかったな、小娘」
苦々しげにそう言い捨てると、バルバスは木々の間の闇に姿を消した。
「…はぁっ…」
全身で大きく息を吐いたサーラが背後の木の幹にドンと背中を預ける。
通り掛った数名のラフな格好をした若い男達がそんなサーラを不思議そうに見つめて通り過ぎて行った。

ボッ!!と空気を裂いて唸る勇吹の拳が水妖を捉えた。
バシャアッ!!!!と派手な水飛沫を上げて水妖が四散する。
「やれて…ないわよね…」
表情を歪めて勇吹が奥歯を噛んだ。
飛び散った水は再び集合し女性の姿を形作っていく。
既にこのプロセスは今の間だけでも何度も目撃している。
何度も打ち据え、砕き散らしてもその都度水妖は元の姿へと戻るのだ。
今の所、纏わり付いてきて溺れさせる以外の攻撃を仕掛けてはこないが、その単調な攻撃も無駄撃ちが嵩んで体力の落ちた状態で受ければ逃れられるかわからない。
内心にじりじりと焦燥を感じつつ、勇吹が目を閉じる。
「…ちょっと…」
フーッという呼気と共に勇吹が呟いた。
「本気でやってみようかな…」
静かに勇吹が腰を低く落として構えを取った。
脳髄が冷えていく感覚。コンセントレーションが高まる。
周囲の音が消えていく。
静寂の中に、勇吹は自身と対敵の存在のみを感じる。
そして勇吹は地を蹴った。
水妖は視覚で相手を感知していない。
相手の体温や呼気、そして体外に放出される微弱なマナ波動を感知して相手を認識している。
その水妖の「感覚の目」の認識から突如勇吹が消失した。
わずかに身を揺らめかせて動揺の意を表す水妖。
勇吹は上空高く跳んでいた。
まるで天を突くかの如く右足を高く上げて。
真下の水妖はまだ自分の姿を見失ったままだ。
「…『飛燕』」
右足を振り下ろす。音の壁を破った右の踵は衝撃波を周囲に走らせた。
真上から蹴り砕かれた水妖は衝撃波と共に四散し、霧散し、消失する。
…もう再生はできない。完全に消却されている。
石畳が抉られ、破片が周囲に舞う。周囲の建物の窓ガラスが砕け散る。
「…ふぅ」
抉られた道路の中央で勇吹がゆっくりと身を起こした。
そして水妖がもう復活してこない事を確認する。
「って…やば…!!」
見回した周囲の惨状に勇吹が顔色を無くす。
周囲の道路には亀裂が走り、周辺の建物の窓ガラスは残らず割れ、壁までヒビが届いている家もある。
何事かと周辺の住民がざわざわと騒ぎ出している。
その喧騒を背に、慌てて勇吹はその場を後にした。

サーラと勇吹はほぼ同時に屋敷に帰ってきた。
サーラは負傷していたが、その傷は深くなかったのでリューが治療に当たった。
場所は書斎だ。
書斎はほとんどリューの私室と化しており、彼がここで夜を明かす事も珍しくない。
ソファにはリューがここで眠る時の為の毛布が畳んで置いてある。
「…お前を襲った男は」
サーラに包帯を巻きながらリューが口を開いた。
「バルバス・レガートという男だろう。特徴が合致している」
「…知ってる奴なの?」
椅子に座って2人の様子を見ていた勇吹が問う。
「面識は無い。その業界では名の知れた男だ。半鬼の元傭兵。何年か前から件の会社に雇われているらしい。人格的には褒められた男ではないようだが、その経歴と実力は本物だ。口癖は…」
「『面倒臭え』」
サーラが呟いた。
リューが肯く。
「やっぱり、会社が手を打って来たっていう訳ね」
勇吹が腕を組んで唸った。
リューがサーラの手当てを終える。
そして立ち上がったリューは机の上にあった封筒を手に取った。
中から折り畳まれた数枚の紙を取り出す。それは、どうやら報告書の類であるらしい。
「カタリナ・エーベルスの婚約者レックス・ヘリングの海外派遣は、ラプトゥス陸運社社長ステファン・ファゴットの父親、運輸大臣ライリー・ファゴットの指示によるものだ」
リューの言葉に、サーラと勇吹が驚いて彼の顔を見た。
リューが机の上に報告書を広げる。
それは彼と付き合いのある情報屋からのものだった。レックスの件について、騎士団関係者に調査を行った内容が記されている。
「騎士団は大臣の直接の管轄ではないが、関係者にパイプがあるのだろう」
「リュー…」
サーラが呟く。
反対され、無関係を貫くであろうと思っていたリューが事件の情報を集めていた事にサーラは驚いていた。
「真実とは残酷なものだ。…だが、一度立ち向かうと決めたのならどうにかしてみせろ」
目を閉じて静かにリューが言う。
「ありがとう。リュー」
瞳を輝かせてサーラが立ち上がる。
レックスの不自然な外国行き、そしてカタリナの事故。
そのどちらにも関係があり、鍵を握ると思われるのが…。
「ラプトゥス社長…ステファン」
その名を呼び、サーラがぎゅっと拳を握り締めた。