第9話 エトワールの憂鬱 -7


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銃士隊本部隊舎の廊下に規則正しい足音が2つ響いている。
間隔の長い力強い靴音と、間隔の短い軽いハイヒールの音。
1人は口髭が左右に跳ねている老人だった。スーツに蝶ネクタイ姿の巨躯の老人だ。
身長は2mに近いだろう。彼1人歩くだけで広い隊舎の廊下が狭く見える。
その顔に深く刻まれた皺の数々と真っ白の頭髪は彼の生きてきた長い年月を物語っている。
しかしその眼光は鋭く、胸部から肩にかけて盛り上がりパンパンに張ったワイシャツからはその下の筋肉の厚い層を窺い知る事ができる。
齢80を超えて尚、毎朝1時間のジョギングと1時間の筋トレを欠かすことの無い老傑。
共和国政界の重鎮…ルーク・ハワードである。
そのハワードの隣を歩くのはスーツ姿の女性だった。
ブロンドの長髪の眼鏡の女性。
青い涼やかな瞳が知性の光を湛えて前方を見据えている。
彼女の名はジュリア・シュタイナー。
先日、陸軍大佐レオンハルト・ビスマルクの謀略によって命を落とした三銃士エリック・シュタイナーの実の姉である。

やがて歩く2人は銃士隊オフィスに到着した。
ゴゴン!と扉を揺らしてハワードがノックすると、返事を待たずして開け放った。
「親愛なる銃士の諸君。今日も職務に励んでおるかな?」
彼は特別大声を出したわけではない。
だが、彼の口から発せられたバリトンボイスは広いオフィスに響き渡り、全員の鼓膜を揺らした。
聞く者が決して注意を払わずにはいられない。そんな大きな存在感を持つ声。
「ハワード様…!」
銃士達は皆一斉に立ち上がって、入ってきた巨漢の老人へ敬礼した。
ルーク・ハワードは常日頃から銃士隊の後見人として彼らの面倒を見続けてきた。
銃士達も皆、この豪快で力強く、それでいて気さくな老人を慕っている。
続いて銃士達は皆怪訝な表情を浮かべる事となる。
そのハワードの隣に、見知った…されどこの場には馴染みのない筈の人物の姿を見たからである。
先日、同胞の葬儀で顔を合わせたばかりの女性、ジュリアの姿をだ。
「諸君らに新しいリーダーを紹介しよう」
ジュリアの来訪の意味を銃士の誰かが問うよりも早く、ハワードの口からその答えは発せられた。
ポン、と肩を叩かれたジュリアが1歩前に出る。
「…ジュリア・シュタイナーです。今日からこの銃士隊の指揮官として皆さんと一緒に仕事をする事になりました。よろしくお願いします」
凛とした良く通る声がオフィスの空気を震わせた。
しかし銃士達の表情は変わらない。むしろより困惑の度合いを強めた者もいる。
「…し、しかし…ハワード様」
恐る恐る、と言った感じで1人の銃士がジュリアではなく、その隣のハワードへ話し掛けた。
「ジュリアさんは…その、民間人では…」
彼のみならず、銃士であれば皆知っている。
参謀エリックの姉、ジュリアとは共和国財界に彗星の如く現れた女傑。
史上最年少かつ、初の女性として共和国中央銀行の経営部長に就任し、一説に拠れば専務への就任も近いのではないかと言われている女性…それがジュリア・シュタイナーだ。
いかな金融業界の英雄とはいえ…激務の銃士隊の指揮が取れるとは思えない。
ここで必要なのは、金勘定と経営の才能ではなく…生死を分かつ一瞬のタイミングを見極める目と、戦地へ送った部下へ的確に指示を出す才能なのだ。
声を出した銃士の表情はそう言っていた。
ハワードは答えない。
そのハワードの方をジュリアも見る。「よろしいですか?」と視線だけで問うて。
「ウム」と肯いたハワードはニヤリと白い歯を見せてジュリアへと笑顔を見せた。
「任せたのだ…好きにやりたまえ」
カッ、とハイヒールを鳴らしてジュリアが銃士の前に立った。
そして突然、彼の頬を思い切り平手で打った。
パァン!!と大きな音がオフィスに響き渡る。
…それだけでは済まない。
打たれた銃士はまるでトラックに跳ねられた様に吹き飛んだ。
轟音を立ててスチールの机をなぎ倒し、さらに吹き飛んで壁のスチール棚をひしゃげさせてめり込み、ようやく停止する。
そしてピクリとも動かない。完全に意識を失っている。
誰もが動けず、オフィスは氷の沈黙に満たされた。
次に全員の耳に届いた音は、ジュリアが発したため息だ。
「…『民間人』の気合にそのザマ?」
呆れた様に言って、一同を見回すジュリア。
「君達を見ていたら、今までどのくらい甘やかされてやってきたのかが良く解るわ」
そしてジュリアはその視線を鋭く細める。
「全員横一列に並びなさい。…立っていられる子がいたら、その子からは意見を聞いてあげる」
彼女の言葉の意味と、そしてこれから自らの身に何が降り掛かるのかを一瞬で察した銃士達が言葉と顔色を失う。
「カッはっはっは…頼もしいのう」
そんな中、腕を組んでその様子を見ているハワードだけが、1人上機嫌だった。

周囲は呻き声に満ちていた。
後は倒れた者が微かに立てる物音と。
「…こんな所ね」
そう言ってジュリアは平手を放ち続けて真っ赤になっている自分の掌をふーっと吹いた。
オフィスは酷い有様だった。
まるで竜巻の通過した後だ。
机は滅茶苦茶に吹き飛び、そこかしこに銃士達が倒れている。
窓は窓枠ごと吹き飛んで、その外に消えて行った者もいる。
そして初めてジュリアは口元に微笑を浮かべた。
「約束だったわね。君達からは話を聞いてあげるわ」
彼女の視線の先には、彼女の「気合」に膝を屈する事のなかった2人の男がいた。
その1人、シグナルは唇の端を汚す血を手の甲で拭うと静かに首を横に振る。
「言うべき事は特に無い」
短くそれだけを口にする。
それ以上の言葉を発する余裕は、フラつく上体を必死に支えている今の自分にはありそうもなかったからだ。
「…み、右に同じィ…」
その隣で大龍峰が言う。
かつて『ハイドラ』でも屈指の強靭さを誇った元力士の膝はガクガクと揺れていた。
(…な、なんちぅ平手じゃあ…)
内心戦慄しつつ、大龍峰はジュリアを見る。
これだけの惨状を平手1つで作り出した女性は、あくまでも涼やかに佇んでいるのみだ。
「そう」
とジュリアは短く言うと胸の下で両手を組んでシグナルと大龍峰を改めて見る。
「ちょうど2人残ってくれて嬉しいわ。シグナル・アークライト、そして大龍峰国光…君達2人と私が今日から『三銃士』よ」
『!!!』
目を見開いたシグナルと大龍峰が同時に顔を上げてジュリアを見た。
「よろしくね」
しかし、自分達を見てにっこりと笑ったジュリアを前に、両者言葉は無く互いに顔を見合わせるのみだった。
「さて、と…まずは後片付けね。起き上がった子達からこの辺片付けてね」
情け容赦なく倒れて呻いている銃士たちにそう命じるジュリア。
そして彼女は気が付いた。
酷い有様のオフィスで、中央のある一箇所だけがまるで被害が無くそのままの状態なのだ。
それはある机を中心とした一角だった。
「…………」
ジュリアがその机へと近付く。
…何だか、酷い机だ。机の上にはお菓子と漫画雑誌。
とても国の重要機関の職員の机とは思えない。
そんなジュリアの様子に大龍峰が気付く。
「…ああっ、姐さん。その机は…」
慌てて声を上げた大龍峰をジュリアが振り返った。
「そん机だけは…そのままにしといてやってくれますかいのォ。『絶対帰ってくるから、そのままにしとけ』ってリーダ…カミュが言い残してったんでのォ」
気まずそうに…それでも必死に大龍峰が訴える。
その隣のシグナルは無言だったが、表情を見れば彼に同意なのは明白であった。
そしてジュリアは大龍峰の言葉の意味に気が付いた。
ここはルノーの…エリックの死以来、行方のわからなくなっているルーシー銃士の机なのだ。
(そう、それで…)
自分に吹き飛ばされた銃士達は皆、必死でこの机だけを避けたのだ。
見れば机の上の菓子類は皆未開封で新しい物、雑誌も全て最新号である。
「やや意見を修正する必要がありそうね」
そう言ってジュリアは眼鏡の位置を直した。
少しは見所があるかもしれない、と声には出さずに彼女はそう思った。
そしてジュリアはルノーの机をそっと指先で撫でると、
「…すぐに迎えに行くわ。待ってて」
と、誰にも聞こえない小声で呟いた。

共和国軍部、訓練生宿舎。
晴れ渡るグラウンドに怒号が響き渡っている。
「バカヤロ!! アゴ出るのはえぇぞ!!! ここが戦場ならもうお前らは今ごろ冷たくなってるぞ!!!」
メガホンを手に怒鳴り散らしているのは、サングラスにジャージ、サンダル履きという出で立ちのカミュだった。
左手持った竹刀でカミュが地面をドン!と突く。
重装備を背負ってグラウンドを走らされている訓練生達は全員もうグロッキー気味だ。
「…チッ! ったくしゃーねえな!! 休憩ッッ!!!」
舌打ちをしてカミュが叫ぶと、訓練生が全員崩れ落ちる。
「最近の新兵は軟弱でいけねえな」
ブツブツ言いながらカミュはグラウンド脇のベンチまで行くと、そこにドカッと腰を下ろした。
ジャージのポケットから煙草を取り出して火を着ける。
そしてカミュがフーッと煙草の紫煙を吐き出したその時、背後からザッザッと砂を鳴らして彼に近付いてくる者がいた。
「…よォ」
振り向かずにカミュが言う。
彼には、誰が来たのかわかっていた。
「無事に着任したわよ」
背後のジュリアが言う。
嫌煙家の彼女は漂ってくる煙草の煙を嫌そうにぱたぱたと払った。
「流石だな…爺さん。ここぞって時にはやっぱあの人だな…」
カミュがサングラスの奥の瞳を細めた。
「可愛い弟分どもをヨロシク頼むぜ」
そう言って座ったまま彼女へと向き直り、カミュが頭を下げた。
ジュリアがそれにフッと笑って応じる。
「私のやり方に付いて来れるのなら、ね」
そしてジュリアはグラウンドの上の青い空を見上げた。
「…2ヶ月以内に、レオンハルト・ビスマルクを倒すわ」
「…!!!」
驚いたカミュが顔を上げる。
空を見るジュリアは無表情だった。
…そして、それだけにカミュは彼女が真剣である事を知る。
「それが終われば、今度は財団とピョートル・ヴォルグニコフを叩くつもり」
ジュリアがカミュを見下ろして微笑む。
「あなたにも色々として貰うつもりですから、覚悟しておいてね」
「…おう」
ぶっきら棒に言って、カミュが地面に落とした煙草を足で揉み消す。
「悪ぃな…俺らの復讐を肩代わりさせちまったみてーでよ」
やや神妙な面持ちでカミュがそう言うと、ジュリアは肩を竦めた。
「復讐(リベンジ)? …やめてよ、志の低い」
そしてジュリアは腕を組み、不敵に微笑む。
「これから私達が始めるのは、逆襲(ストライク・バック)よ」