第10話 神都の花嫁 -8


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どくん、どくん、と心臓の音が耳の奥に響く。
1歩前へ進むごとに、鼓動は早まり汗が出る。
確実に増していく両足の重みを感じながら、メリルは壁に片手を突くと大きく息を吐いた。
『「魂の炉」か、考えたな…』
己の内より声が聞こえる。
深く、冥く、冷たい声。
長い間ずっと自分を苛んで来た、禍々しい悪意に満ちた声が。
『魂の炉に燃える根源の炎であれば、成る程我を滅する事もできよう。…ただし、自分の身体ごとな…メリルリアーナよ』
最後の言葉には嘲笑の響が混じっていた。
お前にそれができるのか、と声は言っていた。
「…そうよ…」
メリルが顔を上げる。
哀しい決意を秘めた瞳で前を見据え、ゆっくりとまた進み始める。
「…ここが…お墓よ。あなたと私の…!!」
涙を零して、歯を食い縛って…喘ぐ様に、もがく様にメリルが叫ぶ。
「あなたに私の身体は自由にさせない!! 私の大事な人たちも傷付けさせない!!! あなたと私は誰にも知られずに静かにここで滅びるのよ!!!!」
しかしそんなメリルの悲壮な叫びも、内なる悪意の声は嘲笑で返す。
『ククク…悪くないな。お前のその決意、そして絶望…本当にここ暫く、お前の悲しみと嘆きは我の良い退屈凌ぎとなってくれた』
メリルはその一言を黙殺した。
そして内側からの抵抗により、鉛の様に重い足を引き摺るようにして、彼女は祭壇へと辿り着いた。
「………」
祭壇には長い階段があった。
その階段の先、台座には巨大な深い縦穴がある。
11枚の石扉で封印された穴だ。
メリルが階段の下に据え付けられている石のプレートに手をかざした。
開封の呪文を口にする。
この呪文は、神皇家に厳重に保管されてきた秘儀。
その古文書の閲覧には神皇の許可が必要となる。
未だ己を取り戻さない神皇は、メリルに乞われるままに閲覧の許可を示す書類に署名した。
遺跡が振動する。封印の石扉が開いていく。
1枚…また1枚と底へ続く扉が開いていく。
そして最後の11枚目が開き、穴の底に燃え盛る青白い炎が外気に晒された。
『根源の炎』…それは肉体のみならず魂までも焼き尽くす炎。
この炎を用いたこの『魂の炉』は古代に造られた人よりも高位の存在に対する処刑場だ。
ゆっくりとメリルが石段を登り始める。
その身体の内側では、肉体の主導権を巡って最後の綱引きが始まっていた。
しかしメリルにはわかる。
間に合う…ギリギリで。
あの穴にこの身を投じてしまえば、それで全てが終わるのだ。
「…う…く…」
歯を食い縛って、メリルが最上段へと辿り着いた。
眼前に巨大な円形の穴が広がっている。
「みんな…さよなら…」
呟いたメリルが深遠へと跳躍しようとして…そしてその身体がガクンと大きく揺れた。
「!!!!??」
驚愕したメリルが自分の足元を見る。
自らの影より無数の黒い腕が伸びてその足首をガッシリと掴んでいる。
そしてメリルの隣にゆらりと黒い影が立ち上がった。
「…遅くなりました、我が神よ」
金属を擦り合わせたような不気味な低い声で言う影。
それはひょろりと痩せて背の高い黒いローブの人影だった。
目深に被ったフードの奥から、まるで骸骨の様な白い仮面が覗いている。
「大儀であった…ジュダよ」
メリルの口から、メリルの声で…メリルでは無い者が言葉を発した。
(!! …ジュダ!!)
その名にメリルは驚愕し、そして絶望する。
ジュダ…教主ジュダ。
神都にあって2番目に忌まわしい名前…黒の教団の指導者。
(…あ…)
突如メリルは強い失墜感を覚えた。
暗い奈落へ真っ逆さまに落ちていく感触。
自身が急速に失われていく寒気にも似た喪失感。
「…メリルリアーナよ、悲しむ事はない」
メリルの身体を乗っ取ったメリルではないものが、その手を胸に当てて言う。
「お前のこれまでの生涯は、全てこの偉大な我の為にあったのだ。我を再びこの世に降臨させる為にこそ、お前という人間は存在していた」
その瞳が真紅に染まる。
その口元に邪悪な笑みが浮かぶ。
…無にして無限の名「ゼロ」を持つ者。
最強の魔人、「刺し貫くもの」狂皇ラシュオーンが復活した瞬間であった。

「…フン」
頭部を覆っていたヴェールを乱暴に掴み取ると、ゼロはそれを無造作に穴の底に投げ捨てた。
「行くぞ…ジュダ。現状を報告せよ」
カツカツと靴音を鳴らしてメリルの姿のゼロは石段を下り始める。
その背後にまったく足音を立てずに幽鬼の様にジュダが付き従う。
「はは。『侵食するもの』と『閉ざすもの』が命を落しまして、両名の『生命の鍵』が開錠された状態となっております」
恭しく頭を下げてジュダが言う。
「…また、『貪るもの』ですが、交戦の記録も消失の反応も御座いませんでしたが、どうした事か島より反応が消え失せており、同時に『生命の鍵』も開錠されておりまする」
「あれは知性も理性も無い食欲と破壊欲だけの意識体。…食い意地に突き動かされて島の外に出ようとして消滅でもしたか…?」
ゼロが眉を顰める。
「パーラムとの戦いで傷付いた我が本体が完全に回復する為にはまだ数百年の眠りが必要となろう。…三使徒を目覚めさせるのだ。『圧し流すもの』や『焼き尽くすもの』程度であれば、奴らがその首を取ってくるだろう」
「…『惑わせるもの』は如何致しましょう…?」
頭を下げつつ、ジュダが問うとゼロはやや視線を遠くへ送った。
「ナイアールか…」
その名を口にした時、ゼロの声には様々な感情が入り混じっていた。
「あれは…一筋縄ではいかぬ。我が弟子の中でも際立って優秀な魔女であった」
そしてゼロは背後のジュダを振り返ると、ニヤリと笑った。
「あ奴だけは、いずれこの我が直々に相手をしてやろう」

メリルに睡眠薬を盛られて眠りに落ちていたカイリがゆっくりと目を開いた。
元々ドラゴンナイトである彼には毒物薬物の効果が極端に薄い。
体内の誘眠因子を自力で分解して、カイリは目を覚ました。
「…あ、あれ…」
まだ寝ぼけ眼でカイリが周囲を見回す。
そして段々と自分の置かれている状況を思い出してくる。
「あ、メリルは…」
そうカイリが呟いたその時、彼は遺跡の奥から近付いてくる足音に気付いた。
メリルが姿を見せる。
その事に一先ず彼は安堵した。
「あ、よかった。メリル…どこに行って…」
声をかけ、彼女に歩み寄ろうとして…カイリはその足を止めた。
気付いたのだ。彼女を覆う強大で禍々しい気配に…。
思わずゴクリと喉を鳴らして、カイリが1歩退いた。
メリルがカイリを見た。
その瞳の赤い輝きを目にした瞬間、カイリは魂までも凍えそうな程の戦慄を覚える。
「誰だ…お前…!」
カイリはメリルに…否、『メリルの姿をしたなにか』に向かって叫ぶ。
「『お前』? …キサマ、今この我に向かって『お前』と言ったか…?」
ぶわ、とメリルから殺意を秘めた赤黒いオーラが爆発的に立ち昇る。
殺気を放っただけで、周囲にパチパチと火花が散る。
「発言を許した覚えすらないのに、お前等と…吹き消すぞ蛆虫が」
「…ふっ」
失禁してあっさりと意識を失ったカイリがパタリと倒れた。
「………………」
「………………」
そのあまりの打たれ弱さ…意識の手放しっぷりに、思わずメリルとジュダが無言で顔を見合わせた。
「何だ…この生き物は?」
「何でございましょうか…」
ふむ、とメリル…ゼロが顎をさする。
「下等な動植物には外敵に襲われて生命の危機を感じると、自ら仮死状態となり危険をやり過ごすものがあると聞くが、恐らくはこれもそういった類か」
納得した様に言うゼロの視線の先には、重ねた両手を顔の横に置く妙に乙女チックなポーズで気絶しているカイリがいる。
「下らぬ時間を取った。行くぞ」
主の言葉に無言で肯いたジュダが呪文を唱える。
そして2人は足元に広がった影に沈み込む様にして消えていった。

ゼロとジュダが何処かへと消えてしばらくの時間が過ぎる。
未だ意識の覚醒しないカイリの周囲が俄かに騒がしくなった。
軽快な足音を響かせ、遺跡に翼の無いダチョウにも似た形状の後ろ足の発達した爬虫類「走竜」が駆け込んできた。
その背には鞍が置かれ、人影がある。
動き易そうな小柄な人影は、走竜の背からひょいと床へ降りると倒れているカイリの顔をまじまじと覗き込んだ。
ターバンを巻き、額にゴーグルを置いた人物だ。
マフラーをずらすと、健康的に日焼けした顔が外気に晒される。
どうやら女性であるらしい。意思の強そうなベージュの瞳がカイリの寝顔を映す。
「どうした。アイラ…何かいたか?」
力強い低い声がして、もう一頭の走竜がその場へやってくる。
跨っているのはがっしりとした体躯の男だ。
無精ひげを生やして、鼻の頭には横一文字の傷がある。
アイラと呼ばれた少女が鞍上の男を見た。
「シュヴァール兄、人だ。人が倒れている」
シュヴァールと呼ばれた男は、ほほう、と呟いて鞍上からカイリを見下ろした。
「息はあるのか?」
問われてアイラはカイリの胸に手を当て、心音を確かめた。
そしてシュヴァールにこくんと肯いてみせる。
「よし…起こしてやれ。事情を知っているだろう。この地は皇家との盟約により我ら砂の一族の監視する地。何故急に封印の遺跡が開放されたのか、それを問い質さねばならん」
シュヴァールがそう言うと、肯いたアイラがカイリの肩を揺すった。
「おい…お前、起きろ」
アイラの呼びかけに、やがてうっすらとカイリがその両目を開いた。
「う…」
「大丈夫か? 見た所怪我はしていないようだが」
ぼんやりと意識がはっきりしてきたカイリが、アイラの顔を見て不思議そうな顔をした。
「お前たちは…?」
眉を顰めてカイリが問う。
「我らは砂の一族。砂漠を旅する一族だ」
倒れているカイリの上体を抱き起こしながらアイラが答えた。
「そ、そうか…砂の一族…ふっ」
それだけ言うとまたカイリは失禁して失神してしまった。
「…なっ、今の会話のどこに失禁して失神する要素があったんだ! あ、兄!!」
うろたえたアイラが走竜上のシュヴァールに助けを求めた。
「そ、そんな事俺にだってわかるわけなかろう…!」
そして鞍上では同じ様にシュヴァールが動揺していた。
「何かこの場でショックな事があったのかもしれんな。ともかくこの男を我々のキャラバンに連れて行こう」
「…バッターッッッッ!!!!!」
突如跳ね起きたカイリが周囲に響き渡る声で絶叫した。
びくん、と驚いたアイラが跳ね上がる。
「な、何だ…!!」
そのアイラの腕をガシッとカイリが掴んだ。
「ば、バッタ…表に僕のバッタがいる…一緒に連れて行ってくれ…ふっ」
それだけ言うとまた失禁して失神してしまうカイリ。
何とも言えない表情で、アイラはシュヴァールを見た。
「兄…この男、怖い。色々な意味で」
「うむ…恐ろしいな、色々な意味で」
そう言って互いに顔を見合わせ、アイラとシュヴァールはふーっと深く息を吐いたのだった。