第8話 冬の残響(後編)-4


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脈動する暗黒の繭。
その中から感じる気配は確実に大きくなっている。
サーラはその事に戦慄しつつ、繭の傍らで涼しい顔をしているメギドを睨み付けた。
「カタリナさんに…何をしたの…!!!」
メギドがゆっくりとサーラを振り返った。
その真紅の瞳に、怒りに燃える双眸で自分を睨み付けているサーラの顔が映る。
「俺は彼女に自身の望む姿へと己を変質させる力を与えた。…彼女は自身の願いを糧に選び取った姿となってここから出てくる」
メギドは目を閉じて口の端を笑みの形に歪めた。
「2度とかつての姿に戻る事はできん。彼女はそれまでの自分自身と他の何もかもを捨て去る事を承知で願いの成就を選んだ」
「願いって…願いって何よ!!」
サーラが叫ぶ。
「彼女の願いは簡単な事だ」
メギドは傘を片手にもう片方の手はポケットに突っ込んだまま、軽く肩を竦めた。
「彼女は己を欺き、ずっと殺し続けてきた感情をこの世界へ向けて解き放つ事を望んだ。…その感情とは全ての希望を失った者の絶望と悲哀だ。つまり、彼女の願いの大きさとは、取りも直さず彼女の内包した絶望と悲しみの大きさという事になるな」
「………」
片足を失って…愛する者も失った。その悲しみと絶望を世界にぶつけるために、変貌したカタリナはここから再誕する…。
「どうして…」
悲しみと怒りにサーラの手に力が入る。
指先が公園の石造りの歩道を引っ掻き、傷を付ける。
「どうしてあなたは人を破滅させるの!! メギド!!!」
この男が背中を押さなければ、まだカタリナはやり直せたかもしれない。
その口惜しさが涙交じりの声になってサーラの口から迸る。
「俺は全ての願いを肯定する」
メギドは言う。サーラを見つめる瞳には嘲笑はなく凪の海の様に穏やかだ。
「生に向かう願いであろうと、死に向かう願いであろうと…俺は等しく汲み上げる。善悪とはそれを語る者の数だけ存在する。そんなもので願いの可否を決するのは無意味だ」
メギドがサーラへと歩み寄る。
「願いを肯定するという事は、その人間の生き様を肯定するという事だ…聖紋の娘よ」
メギドが片方の膝を折って腰を落す。
そしてサーラの顎に指を掛けると、上を向かせて視線を正面から合わせた。
「お前が願った彼女の未来が、彼女にとっての幸せであるとは限らない。望みを失って生きていく事は、時として望みを叶えて死ぬ事よりも残酷なのだ、サーラ・エルシュラーハ」
「…!!」
サーラが目を見開いた。
「その事を良く考えてみる事だな」
サーラの顎から指を離し、メギドが立ち上がった。
振り返ったその視線の先に、カタリナの繭がある。
「…さあ、時間だ。お前の嘆きは現実となる。」

闇の繭に真紅の亀裂が入った。
バラバラと崩れて風に溶けて繭が消えていく。
最初に風に靡く針金の様な灰色の髪の毛が見えた。
続いて見えたひび割れた肌も灰色。
崩れた穴から外へ伸ばされた灰色の腕は、何かを掴もうとするかのように指を広げて空を掻く。
そして繭は完全に崩れ、彼女は現世へと帰還した。
ボロ布の様にもドレスの様にも見える漆黒の装束を身に纏った灰色の彼女。
赤い目に金色の瞳。
地面から僅かに浮いている変貌したカタリナがゆっくりと首を回して周囲を見る。
その瞳がサーラを映した。
「…カタリナさん…」
サーラが震える声でカタリナの名を呼ぶ。
変わり果ててはしまったものの、まだカタリナは人の形を失ってはいない。
その事が、サーラに一筋の光明の様に希望を与えていた。
サーラを見るカタリナの虚ろな表情に変化は無い。
そしてカタリナはサーラへ向かってゆっくりと大きく口を開く。
「…!!!!!!!」
その瞬間、サーラは全身が氷結したかの様な戦慄を覚えてその場を飛び退った。
カタリナの口の中、その覗いた喉の奥に底知れない闇が見えた。
「…・ぁぁぁぁ」
本当にか細い、泣いている様な、歌っている様な、風の巻く音の様な声だった。
しかしその声と同時にカタリナの前方の風景がぐにゃりと歪み、次いで目に見えない大爆発が起こった。
十分に距離を取っていたはずのサーラは、全身を衝撃波に撃たれて吹き飛ばされた。
後方の地面に叩き付けられ、尚も何度も跳ねて転がり、ようやくサーラが止まる。
「…っ…」
雪の降り頻る中、サーラは地面にうつ伏せに投げ出されている。
「…あ…ぅ…」
辛うじて呻き声を漏らすサーラ。
口の中に血の味がする。全身から激痛を感じる。
手足が言う事を聞かない。
「…『嘆きの黒灰』…バンシーへと自身を変質させたか、カタリナ・エーベルス」
興味深そうにメギドが言う。
そのメギドの方をカタリナは向いた。
「…おっと」
フッとメギドの姿が消える。
次の瞬間、カタリナの嘆きの声は一瞬前までメギドの居た空間を爆砕した。
そこから僅かに離れた場所にメギドが現れる。
「危ない危ない。バンシーの『次元震』、まともに受ければ俺もただでは済まん」
「…バン…シ…」
驚愕したサーラが身を強張らせる。
その瞬間、絶望で全身を覆う激痛すらサーラは一瞬忘れていた。
バンシー…『嘆きの黒灰』と呼ばれる存在。
それは人が人を超えて至った1つの究極の形だった。
全てを拒絶し、嘆き、打ち壊すだけの『致死災害』…それがバンシーだ。
協会での危険度は完全に『ランク外』
もたらす破壊は既に人の尺度で測る事すら滑稽。
だがどんな存在であれ、歴史上に確認された事実があるものならば対応マニュアルが存在している。
バンシーが現れた際の対応の序文は、サーラの記憶にこびりついて残っている。
(…バンシーが現れた時は…まず、初めに…)
初めてそれをファイルの中に目にした時、半ば冗談と受け取ってサーラは笑いすらしたものだ。
(その都市、地域…場合によっては国家を、全ての住民は速やかに放棄し、脱出するべし…)
これからカタリナは、この国を滅ぼしてしまうだろう。
そして更なる破壊をもたらす為に、国外に彷徨い出ていくだろう。

…させない。

ガクガクと五体を揺らがせてサーラが地に突いた両手で上半身を起こした。

……そんな事はさせない。

震える両足を気力で支えてサーラは立ち上がる。
「…そうだ」
立ち上がるサーラを見つめてメギドが静かに呟いた。
「彼女の願い…絶望のもたらす破滅を否定するのならば、願うがいい。…流血も死も無い穏やかな日常を、愛した者達の笑顔を、また当たり前の様にやってくる明日を想え」
その視線の先で、サーラがカタリナに斬り掛かった。
しかし全ての斬撃は、カタリナの空間を歪ませた障壁の前に阻まれる。
振るわれる短剣が何度も火花を散らす。
力の差は歴然。
破滅の化身であるバンシーに挑む褐色の肌の少女は、哀れなほどに小さく見えた。
「…願いとは可能性だ。この世に奇跡など存在しない。想い願った者だけが本当にわずかなその可能性を掴みうる」
その男はずっと誰かの願いを見つめて生きてきた。
だから、その目に映った哀れで小さな少女の胸に宿った願いが…想いが決して小さなものではない事を知っていた。
少女のその願いに、自身の出番は存在しない。
しかしメギドはその願いを見つめる。
これまでもずっとそうだった様に。これからも恐らくそうする様に。
小さな誰かの、小さくはない願いが何かを変えていく様を…ずっと見つめていく。

弾き飛ばされたサーラが地に転がる。
「…くっ!!!」
必死に体勢を立て直そうと身を起こしたその彼女に向かって、カタリナが口を開く。
(…間に合わない…!!!!!)
空間を歪ませて爆砕する嘆きの叫びがカタリナの口から放出されたその瞬間、ふいに視界に飛び込んできた何者かがサーラを掴んで飛翔した。
眼下で大爆発が起こる。
それを見下ろしながらサーラを掴んだ何者かは雪の夜空を飛んでいた。
サーラの顔を撫でるように2つのテールに縛られたブロンドの長髪が揺れている。
「…エリーゼ…学生会長…」
呆然とサーラが呟く。今自分を抱えて飛んでいるのは、同じ学院に通う学生会長、エリーゼ・グランチェスターだ。
「どうして…」
そんなサーラの顔にキッとエリーゼが鋭い視線をぶつけた。
「今はあっちに集中しなさい…!!!」
エリーゼが怒鳴る。カタリナが追ってきている。
エリーゼの様に高速で飛翔する事はできないが、カタリナは浮遊する事ができる。
そしてカタリナの嘆きの叫びの最大射程は視界に入る全てだった。
「…来るッ!!!!」
うねりを上げてのたうつ空間の歪みが夜空を走った。
目前に次元震が迫る。
ひゅっ、と鋭く息を吸ったエリーゼが高速詠唱に入った。
魔術は専門ではないサーラだったが、彼女が恐ろしく高度な魔術を考えられない速度と集中で構成した事は何となく感じ取れた。
「雷(いかずち)よ…阻め!!!!」
ドォォン!!!!と天から何本もの雷が降り注ぎ、エリーゼの眼前に電撃の壁を作り出す。
…しかし、それではダメだ。
必死にサーラが叫ぶ。
「だめよ!! 次元震は電撃じゃ防げない…!!!」
「そんなの…」
サーラを掴む腕にエリーゼが力を込める。
「わかってるわよ!!!!!」
そしてそのままエリーゼは電撃の壁の中にサーラと共に身を投じた。
一瞬にしてサーラの視界は大きくぶれた。
上空にいたはずなのに、地面すれすれの場所に移動している。
見上げた空で空間爆砕が起こっている。
何が起きたのか理解できず、目を白黒させるサーラ。
「私は電撃の中を音に近い速さで移動できるの」
エリーゼがぶっきら棒に言う。
…先程彼女が地上へ打ち下ろした雷の柱は攻撃や防御の為ではなく、移動する通路を作る為のものだったのだ。
「…やるわよ、アイツ」
地面に下りてエリーゼがオープンフィンガーのグローブを装着する。
見上げる彼女の瞳にはゆっくりと降下してくるカタリナが映っている。
「どうせまた今回もこんな事になるんじゃないかって思ってたけど…今回のは私の予想をぶっち切って最悪だわ…!!!」
そしてエリーゼは悠然とそんな2人の様子を眺めているメギドの方を向く。
「サーラに手を貸します!! いいですね!!!」
そんなエリーゼを見てメギドが笑う。
「お前は自由だ。好きにするがいい、エリーゼ」