第7話 冬の残響(前編)-2

アンティークと手作り雑貨の店「眠り羊」(スリーピングシープ)の店主カタリナは車椅子の若い女性だった。
彼女は一度店の奥へ戻ると、ティーセットとパンケーキの乗った盆を手に再度売り場へと戻ってきた。
「そこのテーブルを使って。今お茶を淹れるから」
売り物の古い木造のテーブルセットを指して言うカタリナ。
売り物によいのだろうか…とサーラは一瞬逡巡したがメイ達は慣れているらしく皆素直にテーブルに着いている。
「わ~い。私カタリナさんの焼いたパンケーキ大好き」
キャロルがはしゃいでいる。そしてそれをメイがやんわりと嗜めるのもいつものやり取り。
しかし…。
サーラは周囲を見回した。
アンティークの物以外に店内に並ぶ衣類や銀のアクセサリー、その他にもぬいぐるみ等…。
先程のモニカの説明によれば、これらは全てカタリナの手による物だと言う事になる。
「何でもできちゃうんですね…」
サーラが感心してそう感想を述べると、カタリナは穏やかに笑った。
「足がこんなだからね。手先を使う事にばかり慣れていくわ」
車椅子に座っているカタリナが自分の膝の辺りをトン、と手で軽く叩いた。
「…そろそろ、1年ですね」
ティーカップを口から離してメイが表情を曇らせた。
そうね、とメイに肯いて同意を示してから、話が飲み込めていないであろうとカタリナはサーラの方を見る。
「ちょうど1年くらい前にね、事故に遭って車椅子になったの」
話の流れから予想はついていたものの、いざ本人の口から淡々と語られるとやはり言葉に詰まる。
「それは…」
口を開いてはみたものの、二の句が繋げずにサーラは視線を伏せる事しかできなかった。
「ごめんね、重たい話をして。だけど、大変だったけど命は大丈夫だったのだし、私は今幸せよ」
逆に労わる様にサーラにそう声をかけて微笑むカタリナ。
「カタリナさんには結婚を約束している彼がいるのよ」
メイがそう言うとカタリナはやや頬を赤らめて俯いた。
…なるほど、言われてみればその左手の薬指には銀の指輪がある。
「今はお仕事で外国にいるのだけど、それでも月に1度は必ずお手紙をくれるんですって。素敵よね」
「素敵ね」
メイの言葉に同意してサーラは微笑む。
「やめましょう、照れ臭いわ」
苦笑してカタリナは慌てて話を打ち切った。

その後は5人は学院の話題などで談笑し、各々買い物を済ませて帰路に就いた。
キャロルはクマのぬいぐるみを、モニカはマフラーと手袋を、メイとサーラはアクセサリをそれぞれ購入した。
「またぬいぐるみ増やして…エレナが怒るんじゃないの?」
モニカがキャロルに言う。エレナとは学院の寮でキャロルと相部屋の少女だ。
「え~。大丈夫だよ。エレナちゃん優しいもん」
サーラはふとエレナを思い出す。彼女とはクラスは別だが、キャロルを介して何度か話をした事があった。
モニカと同じ陸上部の、健康的に日焼けした短髪の少女。
性格も喋り口調も竹を割った様な、という形容詞が相応しい。…確かに、彼女であればその場では文句は言っても後には引き摺らなそうではある、とサーラは思った。
「にしてもさ、ケーサツもだらしないよな」
歩きながら話題を変えてモニカが言う。
そして隣のサーラを見る。
「カタリナさんさ、蒸気式の貨物車に轢かれたんだよ。なのに警察、犯人見つけられないんだ。蒸気式貨物車なんて私だってまだ2回くらいしか実際走ってるとこ見たことないよ。その時間にその場所走ってた車なんてさ、探せばすぐ見つかりそうなもんだけどなぁ」
言われてサーラもふと考え込んだ。
確かに、モニカの言う通りこの国では一般に蒸気式車輌はまだほとんど普及していない。
未だ交通、貨物移送手段は馬車や列車が主である。
ここがかの蒸気都市として名高い共和国首都でもあれば話も別であろうが、現状では確かに蒸気式貨物車輌を所持する者は調べればわかりそうなものだ。
(…協会で何かわからないかしら)
サーラの所属する協会は、必要があればあらゆる種類の事件の捜査や調査、場合によってはその解決までを請け負う。
その関係で日頃から情報収集は徹底しており、現在直接協会が関係している案件からそうでないものまでその種別は多岐に渡る。
もしかしたら、協会にカタリナの事件の情報が無いかとサーラは考えたのだ。
折しも明日は日曜日。自由になる時間はある。
(明日、久しぶりに支部へ顔を出してみよう)
既に他愛ない世間話に移った話題に相槌を打ちながら、サーラはそう思った。

翌日、サーラは決めていた通りに協会のサーラのいる地区の支部へと顔を出した。
相変わらずリューは不在であったが、屋敷にいた勇吹には「知り合いの事故について情報がないか調べてくる」とその目的を告げて出て来ている。
サーラのいる地区の支部は、首都の中で最大の規模の支部だ。
顔馴染みの職員数人に挨拶を交わすと、サーラは情報部の部屋を訪れた。
ノックしてドアを開ける。
「こんにちは。テッドはいる?」
サーラの声に反応して、奥でデスク用の椅子を3つ並べてその上で寝ていた男がひょいと顔を上げた。
ワイシャツにネクタイ姿ながら、それをだらしなく着崩した痩せた背の高い男。
何とも軽薄そうな雰囲気を漂わせた優男だ。
名をテッド・ニールセン。この支部に所属する協会の職員である。
「お、こりゃお姫様のお出ましとはねぇ」
ニヤニヤと笑ってテッドがサーラを出迎えた。
「その呼び方、やめてってば」
口を尖らせてサーラが抗議する。
そんな彼女に、テッドは大袈裟に両手を広げて嘆いて見せた。
「おいおーい、アンタは天河会長の秘蔵っ子だ。文字通りオレら協会員にとっちゃお姫様以外の何者でもないってワケよ。…ま、それはそれとしてだ。どしたん、今日は」
サーラに椅子を薦めたテッドが自分もデスクチェアに腰掛け、足を組んだ。
「1年前にあった、カタリナ・エーベルスさんの交通事故に…」
「ストップ」
ふいに鋭くテッドがサーラの台詞を遮った。
いつもの彼の顔にある軽薄そうな薄笑いは消えていた。瞳が真剣な光を放っている。
「…そこまでで十分だ。その話ならオレらの返事は決まってる…『ノーコメント』だ」
「……………」
サーラが無言でテッドの顔を見た。
彼が口にした言葉の意味は明白だ。「協会としてはその事件には関われない」と、テッドはそう言ったのだ。
ふう、と一息ついてテッドが煙草を咥えた。
「いいか? サーラ。…オレら協会は支部のあるどの国でも、そこの行政とは関係良好にやってる。そりゃ何でだ?」
そう言ってテッドはマッチを擦って煙草に火を着けた。
「…お互いの領分を基本的に侵さないという暗黙の了解を守っているから」
「ビンゴだ」
フーッとテッドが紫煙を吐き出す。煙は天井に向かってゆらゆらと立ち昇り、僅かに滞ってやがて消えていく。
その間、2人は無言だった。
「ケーサツさんはケーサツさんの、オレらはオレらの…お互いのナワバリってもんを双方が尊重してやってっから、関係は上手く行ってんだ。首を突っ込むのは請われた時だけ。それがルールだ」
「その事件には関わるなって、向こうから釘を刺されたのね」
サーラが硬い声で言った。
テッドは答えない。
「…わかったわ。ありがとう」
サーラが立ち上がった。
「悪ぃね。力んなれなくてさ」
自嘲気味に笑って、テッドも椅子から立ち上がる。
「いいわ。無理をごり押ししたくないし。…でも、個人でやる分には文句はないわよね」
は?という表情を浮かべてテッドが硬直した。
そんなテッドを見てサーラは不敵に笑った。
「手を引くなんて言ってないわよ。私は自分でこの件を調べてみるから。カタリナ・エーベルスさんの友人として」
「…………」
そんなサーラを、テッドはしばらく阿呆の様に口を開けて眺めていたが、やがてプッと吹き出して肩を竦めた。
「…思い出すね。駆け出しの頃にさ、会長と似た様なやり取りした事があったわ。ま、そん時ぁ『自分で調べる』っつった会長にオレはビンタ食らって奥歯飛んだんだけどね…」
やっぱ似るんだな、とそう懐かしむように言うと、テッドはさらさらとメモに何事かを書き付けた。
そしてそのメモをサーラに手渡す。
「行ってみな。何かわかるだろうぜ…オレがしてやれんのはここまでだ」
「ありがとう。テッド」
メモを受け取り、サーラが微笑む。
そして背を向けて部屋を出て行こうとしたサーラの背に、テッドが声を掛けた。
「いいか、サーラ…ヤバいと思ったらすぐ手を引くんだ。相手はデケぇぞ」
テッドの忠告に、無言で肯くとサーラは部屋を出て行った。

協会の支部を出たサーラが、テッドのくれたメモを見る。
「ラプトゥス陸運社…」
そこには社名と本社の場所が記されていた。
…件の蒸気貨物車を所有する会社なのだろうか。
いきなり本社に押しかけても追い返されるのが関の山だろう。
まずはこの会社について調べてみようとサーラは思った。
ルールのラインを半分はみ出している事を承知でテッドは自分にここまでしてくれたのだ。
これ以上協会に迷惑を掛けるわけにはいかない。
…それに、もしこの事故が偶発的なものでないのだとしたら…。
カタリナとこの会社に何らかの関係があるのか、それも調べなければならないだろう。
一先ずサーラは図書館へ向かう事にした。
道すがら、サーラは考える。
テッドの言った事の意味を。
調べを進めて…もしもその犯人がどうしてもサーラの手出しできない相手であったら、その時は自分はどうすればいいのだろう。
1人の友人を救おうとして、その結果が他の友人達に迷惑を掛けるのでは本末転倒である。
(悠陽さま…)
サーラは母代わりだった女性を思い浮かべた。
彼女はきっと、自分のいいと思うようにしなさい、とそう言う気がする。
(ヨギさん…)
眼鏡の人の良さそうな青年の顔を思い出す。協会最強と言われる『三聖』の1人ヨギ・ヴァン・クリーフ。
記憶の中の彼は、いつも悠陽にケツバットされていた。
(ELHさん…)
東洋から来た同僚を思い出す。サムライと呼ばれる剣士の男、ELH。
記憶の中の彼は、いつも脱いでいた。
「………………・」
思い出せばヘンなシーンばかりが出てくる。
ひょっとして自分は結構とんでもない環境で育ってきたのではないだろうか?
軽く頭を振って、サーラはその事はそれ以上考えないようにしたのだった。

晩秋の落日は早い。
すっかり日が落ちて夜が訪れると、カタリナは店じまいを始める。
夜に訪れる客はほとんどいないので、彼女の店は閉店時間をはっきりと定めてはおらず、大体落日と共に店を閉める。
表に出してある小さな黒板を店内にしまい込んでカタリナは一息ついた。
「…っ」
ふいに驚いて彼女が硬直した。
店内には客がいたのだ。白いシャツに、黒のジャケットとズボンの背の高い男だった。
いつ、男が店内に入ってきたのか…まったくカタリナは気付かなかった。
長い後ろ髪を後頭部で無造作に束ねた男は、興味深そうに店内の品物を眺めている。
「あ、あの…何かお探しでしょうか…」
気を取り直して、男にカタリナが声を掛ける。
すると男が振り返ってカタリナを見た。
どこか野性味のある…しかしそれでいて気品も感じられる顔立ちの男だ。
その真紅の瞳がカタリナを映す。
「探し物か…生憎だが、俺に探しているものはない」
低いがよく通る声でそう言うと、男はゆっくりとカタリナへ近付いてくる。
静まり返った店内に、男が木の床を軋ませる音がやけに大きく響く。
反射的に怯えるようにカタリナは身を竦めた。
「お前が俺を呼んだのだ…カタリナ・エーベルス。正確には、お前の中にある願いが俺をここへ呼び寄せた」
「…な…」
キィと車椅子を軋ませてカタリナが後ろへ下がる。
告げてはいない自分の名を呼んだ黒い服の男から逃れようと。
「怯える事はない。俺はお前に害を加える事はない。…俺はただ聞き届ける。お前の願いを叶えるものだ」
「わ、私の願い…?」
震える声でカタリナが言う。
「…む」
ふと、近付いてきた男がその足を止めた。
訝しげに眉根を寄せてカタリナを見ている。
「ほう…これは面白い。渇望の気配を嗅ぎ付けて、やって来てはみたが…些かに気が早かったようだな」
フッと笑って男が目を閉じた。
「こんな形で自身の願いを覆い隠している者には初めて出会う。…なるほど、お前の願いはお前の中で未だ熟してはいないようだ。お前が俺を必要とするまでには、今しばらくの時が必要なようだな」
そう言うと男はカタリナに背を向け、店の戸に手を掛けた。
「いずれまた会うだろう。お前がお前の願いを自覚したその時に」
「あ、あなたは…!」
扉の持ち手の金具に手をかけた姿勢のまま、男がカタリナを振り返る。
「あなたは…誰なんですか…! 一体どうして…」
「俺はメギド。『聞き届けるもの』だ」
そう名乗ってメギドはゆっくりと外へ出て行った。
カタリナは何も言えない。ただ、震えてそれを見送るだけで。
扉は閉まり店内に虚しくドアベルの音が響き渡った。



最終更新:2011年03月21日 15:47