第8話 冬の残響(後編)-2


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厚い雲に覆われた月の無い夜空の下で、無言の殺意と殺意が交錯する。
ゆらりと緩慢に見えて実際は鋭く早い動作で迫る水妖に対して、リューはフーッと呼気を吐き出すと自身の拳に気を込める。
拳に宿るのは確滅の意思。…その瞬間に彼の拳はこの世で最も冷酷な凶器と化す。
その軌跡は弧を描かない。打ち抜く様に一直線なリューの拳打。
水でできたボディを穿つその一撃はバン!と爆発音の様な音を周囲に響かせる。
水妖はボディの真ん中を拳に打ち抜かれて風穴を開けていた。
本来ならばそんな物理攻撃は水妖に対してはまったくの無意味だ。穿たれた穴は即座に塞がり活動を再開する。
しかしリューの一撃はただの一撃ではない。
…それは「実」でなく「意」を穿つ致命の一撃。
「存在の核」とも言うべき一点を打ち抜かれた水妖は最早現界に実態を持つことは能わず、崩れて溶けて消失していく。
元々リューは戦闘時に自身の周囲をオーラで覆い、その中の事ならばまるで指先で触れるが如く感知する事ができた。
いまやその能力は更に研鑽を積んで高みにあり、本来見えず触れることもできない超常の事実ですらリューは感じ取る。
流動する液体で構成された水妖の身体の中であっても、彼は致命の一点を見出す事ができるのだ。
最初の水妖が崩れて、その飛沫が全て地に落ちる頃には、残る2体も身体に大穴を開けて動きを停めていた。
それはリューの初動から一呼吸の間にも満たない一瞬の間の出来事だった。

屋敷にて。
1人で夕食を終えた勇吹は、リビングのソファに寝そべって雑誌を広げていた。
そこへ電話のベルが鳴る。
立ち上がり、電話の所まで歩いて行って勇吹が受話器を取る。
「…はい、もしもし…。ああ、サーラ?」
一瞬表情を和らげた勇吹だったが、すぐに怪訝そうに眉根を寄せた。
「どうしたの? 何かあったの…?」
『ごめんなさい…確かめたい事があるの。帰りは少し遅くなるかもしれないわ』
電話越しにも表情を失ったサーラの様子が窺える。
その声は僅かに震えていた。
「平気? 私もすぐに出られるけど…」
言いながら勇吹は、件の水妖の件について今日放課後にサーラが協会の支部に寄って情報がないか当ってくると言っていたことを思い出す。
…協会で、何かあったのだろうか…?
「うん…ええ…。何だかわからないけど、気を付けるのよ」
釈然としない表情で勇吹が受話器をフックへ戻したその時、屋敷の扉が静かに開いてリューが入ってきた。
「あ、お帰り。…って、どうしたの? それ」
リューの様子を見て勇吹が眉間に皺を寄せて目を細めた。
彼の衣服が一部水を含んでいる事がわかったからだ。
「…大事ない」
とだけリューが返答する。
「ふーん…。あ、ねえ…リュー。サーラがね」
先程の電話の様子をリューに語って聞かせる勇吹。
リューは黙ったままそれを聞いている。
「何だか様子が普通じゃなくってね。ちょっと心配だなぁって」
「そうか」
短く答えてリューはテーブルまで歩いて行き、その上に手にしていた紙袋を置いた。
それは買い物をして彼がカタリナの店で手渡された紙袋。
「…辿り着いたか」
呟いてリューが紙袋の口を開く。
「辿り着くって…何に?」
「真実にだ」
しかしリューがその紙袋から取り出したものは、買い物をした品物ではない。
リューが紙袋から取り出したものは一通の手紙。
レックスよりカタリナに宛てられた手紙。
それは先程彼が店で気付かれずに抜き取ってきたもの。
手渡されて文面に目を通し、勇吹がすぐにそれを察する。
「ちょっと…! これって…」
咎める様に自分を睨む勇吹を、リューは静かに見ている。
「…その手紙を書いた人間が、件の水妖使いだ」
そして彼が口にした一言が、勇吹の喉まで出掛かっていた更なる文句を封殺した。
「だ、だって…それじゃレックスさんになっちゃうじゃない…。彼は今外国にいて…」
「その手紙を書いた人物は、レックス・へリングではない」
呆然と呟くように言う勇吹に、リューがゆっくり首を横に振る。
「…何故なら、彼は今から一年近く前に赴任先で命を落としているからだ」

一瞬、居間が水を打ったように静まり返った。
勇吹がごくりと喉を鳴らした音が響く。
「…有り得ないわ」
掠れた声でそう言って、勇吹は目を閉じた。
そして何かを振り払うように頭を振る。
「だって…そんなの気付かれないわけないじゃない。恋人なのに…。他の人間が書いた手紙なら筆跡や書いてある内容でカタリナさんはすぐ不自然だって気付くでしょ…?」
「そうだ。…その手紙はレックス本人が書いたものではないが、彼の筆跡を完全に再現してある。そして書かれている内容は『レックス・ヘリングがカタリナ・エーベルスに宛てて記した手紙』として何ら不自然な所が無い。だから受け取っているカタリナもレックスからの手紙ではない事に気付かない」
澱みなく言葉を紡ぐリューに、勇吹は未だ不審そうな表情を浮かべている。
「そんな手紙を一体、本人以外に誰が準備できるのよ」
リューが机の上に広げられた手紙の文面を指でなぞる。
「筆跡は…手先の器用な人間ならそのつもりがあって練習を繰り返せば見た目にわからん程度には再現はできる」
「でも…内容は?」
手紙にはカタリナとレックスしか知らないような内容も記されている。
だから勇吹にはこの手紙が第三者の記したものだとは思えない。
「本人以外に1人だけ、この文面を作りえる人物がいる」
「誰?」
手紙に落としていた視線を、勇吹に向けるリュー。
「…カタリナ・エーベルス自身だ」

夜の大通りをサーラは小走りに進む。
その彼女の勢いと必死の表情に、すれ違う者達が何人か不思議そうに振り返る。
しかし今のサーラにはその事に気付く余裕はない。
些細なやり取りだった。
水妖の一件について何か情報がないかと協会を尋ねたサーラに応対したのは、先日同様にテッドだった。
「カタリナさんのお店の近くの話だもの。気になるのよ。彼女が危ない目に遭うかもしれないし…」
現場の地図や資料を見せて貰いながらそう言うサーラに、テッドがはは、と笑ってタバコに火を着ける。
「なるほどなぁ…。しかし、カタリナ・エーベルスか…」
そう言って紫煙をフーッと吐き出したテッドが視線を遠くした。
「彼女も立派だよな。婚約者を亡くして、片足も失ったってのに…立派に自分の店を持って生活してるんだからなぁ」
テッドの台詞にサーラがムッとする。
「縁起悪い事言わないで。海外にいるだけでしょ?」
それを聞いたテッドが、おや、という表情を浮かべた。
「いや…何も聞いてないのか? カタリナ氏の婚約者は派兵先の国で亡くなってるぞ。…確か、例の事故のちょっと後だったはずだ。その御仁は身寄りがなかったらしく、死亡通知は婚約者のカタリナ氏が受け取ったはずだぞ」
「……………」
サーラの表情が固まった。
テッドは確かに軽薄な面はあるものの、そんな悪趣味な嘘をつく男では無い。
だが、そんな事は有り得ない。
月に一度の婚約者からの手紙を心待ちにしていたカタリナ。それを語るときのはにかんだ幸せそうな表情。
あれが偽りのものだとは到底思えない。
そして何も言わずにサーラは情報部のオフィスを飛び出した。
そのまま勇吹に電話を掛けて、今カタリナの店を目指している。
(何かの…間違いよ…)
小走りはいつの間にか完全な駆け足になっていた。

あは、と思わず勇吹は口から乾いた笑い声を漏らしていた。
「な、何を言っているの? リュー」
そんな筈は無い。
だって、あんなに彼女は手紙を幸せそうに待っているのに…。
「わかっている事実を語るが…」
それには答えずにリューが淡々と言葉を続ける。
「カタリナ・エーベルスの母方の家系を6代ほど遡ると、さる魔術師の家柄に行き当たる。一族の専門は契約と使役…中でも長けていたのは水妖の扱いだ。彼女にはその血が流れている」
恐らく本人にはその自覚はないだろうが、とリューが付け足す。
勇吹は黙ってリューの言葉に聞き入っている。
カタリナの家系まで彼は調べていたのだ。
「そしてレックス・へリングは既に故人。これも間違いが無い。現地で関係者によって死亡が確認されている。遺体は現地で埋葬されたが遺品は届けられているそうだ。死亡通知と共にそれを受け取ったのはカタリナだ。…つまり、彼女は婚約者の死を一度認識している」
勇吹は瞳を閉じた。目蓋の裏に婚約者の話をする時の彼女の優しげな微笑が蘇る。
…その彼女が、既にレックスがこの世の者ではない事を知っている…?
「派兵先の国で情報を商う者に調べさせた。1年ほど前に新聞の広告に風変わりな募集が載った。それは月に1度、送られてくる手紙を受け取り、封を開いて中の封筒をそのまま現地から投函すればいいというだけの簡単な仕事だ。たったそれだけの事で封筒に同封されている100クラウン紙幣が報酬として入手できる。貧しいかの国では目の飛び出るような大金だ。誰か…この1年その割の良すぎる仕事を続けている者がいるはずだ」
「…………………」
いつの間にか、話を聞く勇吹の口の中はカラカラに乾いていた。
あの手紙は、この国から投函され現地で再度この国へ送り返されているものだと言う事だ。
「ここからは推論になる」
そうリューが前置きして話を続ける。
「1年前、事故の直後…カタリナは激しい失意の中にいたのだろう。2度と自分の足で歩けないという絶望感を抱えた彼女の元に、更に最愛の婚約者が死んだという知らせが届いた。その時点で彼女は重なったこの2つの事実に自分の精神が耐え切れないと悟った。…そして彼女は自分を維持する為にもう1人の自分を作り出したのだ。本来の人格の他に、残酷な真実からその本来の人格を護り抜く為の人格…仮にそれを『防衛人格』と呼称する。その防衛人格がレックスの死という情報を引き受け、主人格からはその記憶は失われた」
リューは言葉を止めると、机の上の手紙を勇吹に向けて滑らせた。
「筆跡を辿れ…オーラを指先に集中しろ。今のお前ならできるはずだ。紙面にペンが作った溝をトレースしろ」
言われて勇吹は手紙の上に右手を差し出した。
指先にオーラを集中して文面を辿る。針の先の様に研ぎ澄まされたオーラが微細なペン跡の情報を勇吹の脳へと伝える。
「…『ペンはどちらに傾いている』?」
問われて勇吹がハッと顔を上げた。
「僅かに左…」
リューが肯いた。
「そうだ。その手紙は左手で書かれたものだ。防衛人格は主人格にレックスの死を悟らせないために、彼からの手紙を途絶えさせる訳にはいかなかった。しかし本来の利き腕である右手にレックスの筆跡を覚えこませたのでは主人格の時の字体にまで乱れが生じてしまう。だから防衛人格は左手でレックスの筆跡をマスターした」
「…じゃあ、あの水妖は…」
自分が彼女の店を訪れた時の事を思い出す勇吹。
「あれは防衛人格時のカタリナが無意識の内に召び出して使役しているものだ。主人格と婚約者の死の事実を結び付けてしまいそうだと推測された存在を襲う。…だが、ここの所続いた2件の殺人は恐らく狂った水妖が無差別に引き起こしたものだ。防衛人格は既に暴走を始めて半ば水妖の制御を失っている。きっかけは恐らく先日の一件で支払われた支援金だ。思いも寄らぬ大金が入った事で、自分が何らかの形で一部の人間から注目されると思ったのだろう。その中にレックス・へリングの死の情報を持つ者がいるかもしれない、と。支援金も国から出たもので、婚約者もその国に仕えていた騎士だったのだからな」
リューの言葉が終わるよりも早く、勇吹は椅子を鳴らして立ち上がっていた。
真剣な瞳に光が揺れている。
「サーラが危ないわ…行きましょう」

カタリナの店は既に閉まっていたが、裏口は開いていた。
ノックをしようとしたサーラがピクリと眉を上げる。
訓練している彼女だからこそ感じ取れる独特のマナ波動を感じ取ったのだ。
それは幽体に近い魔力存在の放つ波動。
水妖もその類に分類される存在だ。
意を決して無言でサーラは扉を開き、中へ入った。
屋内は暗く、静まり返っている。
廊下にはある部屋から漏れた明かりが差していた。
魔力波動もその部屋からだ。
足音を忍ばせてサーラはその部屋に近付き、静かにノブを回して扉を開いた。
その部屋は書斎だった。
机では入り口に背を向ける格好で車椅子のカタリナが何かを書いている。
そしてその周囲には2体の水妖がゆらゆらと踊るように揺れていた。
「………………」
サーラが辛そうに唇を噛んだ。
カタリナが水妖使い…知りたくなかった事実を目の当たりにしてしまった。
水妖がサーラの存在を感じ取り、その水妖を通じてカタリナも背後にサーラがいる事を知る。
「…っ!!!!」
バッと弾かれたかの様に振り返ったカタリナの視線がサーラを捉えた。
「…サー…ラ…」
驚愕に表情を凍り付かせてカタリナが喘ぐ様にその名を呼ぶ。
そしてその左手から、ペンが倒れて机の上を転がった。