第1話 The fang to the fang-4


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どこまでも続く青黒い大地に、影の様に黒く立ち並ぶ墓標。
それがデュラン神父の世界だった。
「ククク・・・『牙たちの墓標』 我が世界へようこそ、お嬢さん」
神父がサーラを見て不気味に笑う。
サーラは前方の神父から注意を逸らさずに周囲を窺った。
結界魔術・絶対世界とは相手を自らの作り出した亜空間へと引き擦り込む魔術だ。
絶対世界は内部の効果を術者自体でも自由に構築する事はできず、術者の人格の溶け出した各人オリジナルの物となる。
その為固有の攻略法が存在しないのだ。
『牙たちの墓標』と神父が呼んだこの世界は果たしてどの様な攻撃手段を秘めているのか・・・。
「私はね、お嬢さん・・・かつてはこれでも敬虔な女神の信徒だったのだよ」
歌うように神父が言う。
その視線はサーラではなく、斜め上の空を見上げて遠い。
「だが、ある時に同じく女神の敬虔な信徒であった我が最愛の妻は野犬に襲われ、その傷が元で命を落とした。・・・その時に私の信仰は壊れ、私はこのゴーストハウンドを操る力を得たのだ」
神父が狂気に濁った瞳を再びサーラへ向けるのと同時に、周囲の漆黒の墓標に青白い炎が灯った。
炎は揺らめきながら大きくなり、形を変え犬へと変じる。
「この『牙たちの墓標』の中で私は無限に亡霊犬を産み出す事ができるのだよ。絶対に君は助からない・・・さあ、絶望したまえ」
サーラをぐるりと囲んだ亡霊犬が低い唸り声を上げる。
サーラの鼓動が早くなる。
鳴り出しそうになる奥歯をぎゅっと噛み締めて、彼女は構えを取った。
その時、ふいにサーラは右の手首に僅かな違和感を感じた。
視線を下ろしてハッとする。
サーラの右の手首に、仄かに白く輝く糸が結んであった。
糸はサーラの右手から地面に垂れ、そのまま彼方までずっと続いている。
右手を上げ、左手でその糸を摘んでみる。
『・・・その糸を手繰り、走れ』
微かに、あのぶっきらぼうなリューの声が聞こえた気がした。
「・・・・・・・・・・・・」
顔を上げたサーラの表情には、もう先程の絶望感は無かった。
踵を返して彼女は全力で走り出す。
暗闇の彼方、その輝く糸の延びる方角へと。

突如猛然と逃走を開始したサーラに、一瞬神父は虚を突かれて固まった。
何もせずに逃げを打つとは思っていなかったからだ。
しかしすぐにその表情に余裕の薄笑いを戻すと、神父はやれやれと首をゆっくり横に振った。
「無駄だよ・・・どこにも逃げられはしない。『絶対世界』には物理的な果ては存在しないのだからね」
その神父の両脇を無数の亡霊犬が駆け抜けていく。
走るサーラを追って。
「しかし、恐怖にかられた者とはそうでなくてはいかんねぇ。無意味に逃げ惑いたまえ・・・力尽きるまでね」
そう言うと神父も自ら双剣を構えてサーラを追って走り始めた。
高速で疾駆する魔犬は一気にサーラに肉薄すると、その鋭い牙で襲い掛かる。
しかしそれを見越して構えていたサーラは、走りながら迫る魔犬を手にした短剣で斬り払った。
数匹をそれで凌ぐが、それでも休みなく襲い掛かってくる無数の牙に、サーラの傷は徐々に増えていく。
傷口から大地に赤い血を滴らせながら、サーラが振り返る。
・・・どうやら、神父にはこの糸は見えていないようだ。
明らかに糸の伸びる方角へ逃げているサーラだったが、神父がその事に気を払う様子が見られない。
細い糸とは言え、青黒い大地の彼方へ光る糸がずっと続いているのだ。
遠目にもそれは一目瞭然のはずである。
「ふははは!!! どうしたのかね!! 追いついてしまうぞ!!!」
しかし自分を追いつつ、哄笑する神父はその事について何もふれようとしない。
見えていないとは言っても、断ち切られぬとは限らない。
だからサーラは延びる糸を手繰り、またそれに神父や魔犬が触れぬ様に気を付けながら走り続けた。

暗闇を薙ぐ青白い無数の光。
襲い掛かってくる無数の爪と牙に晒され、サーラは既に傷だらけだ。
修道着は血と泥で汚れ、ボロボロに裂かれてしまっている。
それでも彼女は走るのをやめない。
しっかり前を向いたまま、濃紺の世界を走り続ける。
「・・・・・・・・・・・・」
いつの間にか、それを追う神父の顔から狂笑は消えていた。
・・・おかしい、と。ここへ来て初めて神父は気が付いた。
「どういうことだ・・・お嬢さん」
絶望に駆られた者の無意味な逃走だと思っていた。
しかしそれは誤りだった。
無意味な逃走にしては、彼女はある一点を目指して走っている様に見える。
前方を魔犬が塞ごうとも、走る方向を変えようとしないのだ。
それは、非常に奇妙な事だ。
先程神父が口にした通り、絶対世界には果てというものが存在しない。
円形に閉じた世界だ。端まで至れば最初の位置へ戻る。
「君は助からない・・・死ぬんだぞ・・・?」
そして・・・その目だ。
確かな光を失わないその瞳。
「恐怖に泣き叫びたまえ!! 絶望に膝を屈して平伏したまえ!!!!」
ジャッ!!と神父が手にした長剣で走るサーラの背を斜めに切り裂いた。
しかし追いながらの一撃は浅く、衣服を切り裂いて肌を浅く薙いだ程度だ。
「絶望は・・・しない。私には絶望する理由がないから」
走りながらサーラが言う。
「・・・何を言うこの小娘がッッ!!!! 逃げ惑うしかできぬ身で!!!!!」
激昂した神父が叫ぶ。
濃紺の大地、月のない夜空の下で、無数の青白い炎の中を2つの人影が走る。
「私は逃げていない。あなたを倒すために走ってる」
「何・・・?」
理屈に合わない奇妙な行動を取る娘が口にした台詞は、やはり理屈に合わない奇妙なものだ。
・・・そう、神父は思った。
「残念だけど、私は今あなたを倒す手がないから・・・」
悔しそうに唇を噛んでサーラが言う。
「・・・だから、私はあなたを届ける。彼の元へ」
そしてサーラは遂にその場所へと至った。
手繰る光る糸の果て、空間に握り拳程度の光があり、そこから糸は延びている。
手を伸ばす。
光の中からも、見覚えのある手が伸び彼女の伸ばした手首を掴んだ。
そして力強く、ぐいと引かれる。
怨念と狂気にまみれた暗い世界をサーラは跳躍した。
「バカな・・・私の世界が・・・!!!!」
愕然とした神父の叫びを背に受けて。

手を引かれたサーラは現実の空間へと帰還した。
周囲の風景は先程サーラが亜空間へ引き擦り込まれた路地の物だ。
「・・・よくやった」
握っていたサーラの手首を離して、リューが静かに言った。
サーラの手首に結ばれていた糸、その片端はリューが持っていた。
「これはツェンレンのある霊泉にひたした糸だ。幽世(かくりよ)へ赴く道士が向こうで迷わぬように持つ」
それにしてもいつの間にこんな物を結んでいたのやら・・・。
安堵感もあってか、サーラが小さく苦笑する。
「なるほどな・・・やはり君か、クリストファー・リュー」
声がして、2人はそちらを見た。
無数の亡霊犬を伴ったデュラン神父が立っている。
その表情は怒りと憎悪で歪み、こめかみは細かく痙攣している。
「君もわからん男だな・・・。何度私を殺そうが私を止める事はできんのだよ」
「いいや・・・」
ジャッ、と足元を鳴らしてリューが神父の前に立った。
その両手はまだ、腰の後ろに組まれたままだ。
「この次の死が、お前が体験する最後の死になるだろう。・・・そしてお前はもうこの世に戻って来る事はない」
言い放つリューにを神父が嘲笑う。
「何をバカな・・・我が身の秘密、君などに暴けるものかね」
突如、リューが何かを鋭く投擲した。
反射的に神父が手を上げてその飛来する何かを防ぐ。
それは両端に小さな分銅の様な物が付いた短い銀の鎖だった。
鎖は勢い良く神父の手に巻き付く。
「・・・? 何のつもりだね?」
ダメージらしきものは皆無。またこの長さでは動きを制限される事もありえない。
神父が訝しげに眉を顰める。
「終わりだ、デュラン・パウエル。・・・その鎖は魔女シフォンの作った『縛魂鎖』 魂をその身に縛り付ける鎖だ」
「・・・!!!!!!!!」
その効果が彼にとっていかなる意味を持つのか、神父は驚愕に目を見開く。
「肉体が死を迎えた時に魂を犬の霊に変えて遊離させ、その犬が誰かを殺め・・・即ち自身の『死すべき運命』をなすり付けて蘇ってくる。その呪いがお前の秘密だ」
咄嗟に神父が腕に巻きついている鎖を掴んだ。
しかし、バチッ!!と音を立てて迸った電撃の様なものにその手を弾かれる。
「おのれぇぇ・・・リュー・・・!!!」
苦しそうに神父が喘ぐ。
見開いた目を爛々と輝かせ、大きく開けた口からは長い舌が覗き涎が滴っていた。
まるで、神父自身が狂犬であるかのように。
「邪魔をするな・・・私は教えてやっているのだ・・・!!! 命というものがいかに小さく儚いものか!! 自身に何の落ち度がなくとも、ふとした暴力であっさりと失われるものだと!!!」
神父が空を仰いで叫ぶ。まるで歌劇場の舞台にいる役者の様に。
「そうだろう!!?? 見たまえこの世の中を!!! どれだけの無意味な死が満ちている!!?? 信仰も!! 財も!! 知識も訪れる死には何の意味もないのだよ!!!! 『ただ受け入れるしかない』・・・それが死だ!! これからも私が人々にもたらし続けるものなのだ!!!!」
「何を勝手な・・・!!」
叫びかけたサーラを、片手を翳したリューが制する。
「無意味だ。この男はとうの昔に死んでいる。・・・妻を失ったときに心が死んだ」
「・・・・・・」
サーラが奥歯を噛み締める。
そしてリューは1歩前に出た。
神父がビクリと身を竦ませ、すぐに自分も構えを取る。
・・・クリストファー・リューは料理人にして殺し屋である。
今までに殺めてきた人間の数は両手の指では足りない。
だから嫌悪感はあっても、神父に感じる義憤はない。
それでも、リューは神父に対しまっすぐに純粋な怒りをぶつけようとしたサーラを、一瞬だけ眩しそうに見て目を細めた。
ガアッ!!と神父が咆哮した。
周囲に無数の鬼火が現れ、魔犬へと変じていく。
夥しい数の亡霊犬に囲まれ、リューとサーラはそれぞれ構えを取った。
「死なん・・・私は死なんぞ・・・!!!」
神父がゆらりと構えた剣を頭上に振り上げる。
「死ぬのはお前たちだ!!! 無意味に塵のように死んでいけッッッ!!!!」
神父の叫びに応じ、周囲の亡霊犬の群れが一斉に2人に襲い掛かった。