第1話 The fang to the fang-2

サーラが改めて赤い髪の男を見る。
落ち着いて見れば、男が只者では無い事は一目瞭然だった。
鍛え上げてあるのがわかる身体つきに、練磨された鋭いオーラ。
・・・そして、何よりも呼吸。
日常、武術と共に生活を営んでいる者の呼吸だ。
「・・・無粋! 無粋だぞ、クリストファー・リュー」
亡霊犬を伴って、墓地から神父が出てくる。
その表情は蔑む様に歪んでいる。
「今は私と彼女の時間なのだよ、リュー。君は遠慮してもらいたいものだ」
「神父(ファーザー)デュラン、用件一つ済ませれば俺は帰る。別に長居する気はない」
リューと呼ばれた赤い髪の男は、腰の後ろで組んでいた両手を下ろした。
「お前が死ねば・・・俺は引き上げよう」
対してデュランと呼ばれた神父は、ハッと短く笑うと双剣を構えた。
会話は止まった。
対峙する両者の動きも停止した。
デュラン神父の足元で、亡霊犬がリューに対し威嚇の唸り声を上げている。
周囲を真冬の冷気の様に満たした両者の殺気に当てられたサーラは思わずごくりと喉を鳴らしていた。

初めに動いたのはデュラン神父だった。
神父は地を蹴り、一瞬でリューの間合いを侵略した。
両手の長剣が何度も繰り出される。
無数の死を呼ぶ軌跡が虚空に描かれる。
その刺突の雨を、全て最小の動作でリューは回避した。
そして神父の攻撃の間隙を突いて高速の上段蹴りを繰り出す。
「・・・!!!!」
ブン!!!と唸りを上げて突き刺す様に襲い掛かってきたリューの右足を、神父がその場で仰け反ってやり過ごす。
だが無理な回避は神父に大きな隙を生み出した。
追撃をかけるべく左の拳を引いたリューに、下から亡霊犬が襲い掛かる。
それを身を引いたリューが回避する。その間に神父は体勢を立て直す。
主従の連携は完璧だった。魔犬はこれという瞬間まで決して無駄にリューに攻撃を仕掛けない。
せめて犬の方の動きだけでも牽制できないかと、サーラはタイミングを計っていたのだがやがて手出しを諦めた。
・・・下手に手出しをすればリューの足を引っ張るだけだと悟ったからだ。
何度目かの攻防の後、神父の連撃を凌いでいた最中に唐突にリューは足元を鋭く蹴り払った。
そちらを見ようともせずに、だ。
地を薙いだ鋭い蹴りは、ボッ!と音を立てて魔犬の頭部を粉々に打ち砕いた。
「ぬぅ!!!!」
神父が目を見開いて眉間に皺を刻む。
頭部を失った亡霊犬は風に溶けるかのように消滅した。
「おのれぇッッ!! リュー!!!!」
激昂した神父が鋭い突きを繰り出す。
傍で見ているサーラでもわかる不用意な大振りだった。
その一撃を、わずかに首を傾けてかわしたリューががら空きになった神父の胴へ拳打を放つ。
ドン!!!!!!!!と爆発音にも似た音を響かせて神父の胸部の中央をリューの拳が穿った。
離れた場所にいるサーラがインパクトの瞬間に強い風を感じて目を細める程の一撃だった。
神父の身体は錐揉み回転しながら吹き飛び、墓地の鉄柵に当たり、さらにその鉄柵を破って後方の墓石を砕いてようやく大地へと帰還した。

倒れたデュラン神父は最早ピクリとも動かない。
手足は壊れた人形の様に出鱈目に折れ曲がっている。
その必要があるとも思えなかったが、サーラは屈み込んで神父の生死を確認した。
・・・絶命している。胸部に受けた拳打で内部の骨や臓器は滅茶苦茶だった。
おまけに吹き飛んだ時だろう、首の骨が折れている。
「・・・下がっていろ、娘」
そうサーラに声をかけて、リューが倒れた神父に歩み寄る。
そしてポケットから酒瓶らしき瓶を取り出すと、口を開けて中身を神父へぶちまけた。
続いてマッチを擦って落とす。瞬く間に神父の遺体は炎に包まれた。
髪の毛の焼ける嫌な匂いにサーラが微かに顔をしかめた。
炎が照らし出すリューの横顔は、眉間に皺が寄り、怒っているかの様に不機嫌そうに見えた。


翌日の朝、登校中のサーラが欠伸を噛み殺す。
見事な寝不足である。
昨夜は戻ってすぐにベッドに入ったものの、色々と考え事をしていて長く寝付けなかったのだ。
あの赤い髪の男・・・クリストファー・リューについてだ。
昨日、あの後リューは無言で立ち去ってしまった。
サーラは自分の部屋に戻って、その名を自分が聞いた事があると思い出した。
ロードリアス財団の暗部、特務部隊の9人の精鋭『ハイドラ』の1人。
・・・しかし、確か財団は一月ほど前に総帥のギャラガーを失い、ハイドラも瓦解したと聞いている。
総帥亡き後、ロードリアス財団は幾つかの国や地域から関連企業を撤退させ、または企業側から財団の支援を打ち切るように要請されたりもして全世界で2割ほどの勢力を失った。
しかしそれでも、財団は現行のどの国家や組織も及ばない強大な組織であった。
クリストファー・リューは総帥亡き後、どの様な身の降り方をしたのだろう。
今回の件の報告書を提出しつつ、そのあたりの事を本部で尋ねてみようとサーラは思った。
そもそも、自分が何もしない内に勝手に事件は終わってしまった。
その事に若干の虚しさを覚えつつも、サーラは朝の教室へ入っていった。
「おはよう! サーラ」
彼女を見つけるなり、メイが元気良く挨拶してくる。
サーラもおはよう、と返事を返すと自分の席に着いた。
「ねえねえ、聞いた? サーラ。昨日も魔犬の犠牲者が出たんですって! 2晩連続なんて今まで無かったのに、怖いわね」
思わず、サーラは真剣な表情でメイの顔を見つめてしまった。
「昨日も・・・犠牲者が出たの?」
サーラの静かな迫力にメイがたじろぐ。
「え、ええ。何か明け方近くにアールベルの通りで死体が見つかったんですって」
隣のクラスの友人に聞いたのだ、とメイが付け足す。
その友人は、通いのお手伝いさんから話を聞いたらしい。
・・・おかしい。
サーラが考え込む。明け方近くではリューが神父を打ち倒してから数時間も経過している。
昨日自分が神父と遭遇していた時には、既に殺人は起こっていて死体の発見が遅れたのだろうか?
それとも亡霊犬は一頭ではなかったのだろうか・・・?
メイの話は魔犬の事件の話から、学院近くに出来たチェリーパイの美味しい喫茶店の話題になっていたが、サーラの耳にはロクに入っていなかった。

サーラの内心の葛藤も動揺もお構い無しに授業は滞りなく進んでいく。
そして半分気を逸らしながらもサーラは授業で要求される事を全て完璧にこなしていた。
そもそもサーラは協会で高等学校の卒業程度の学問は既に修めているのだ。
あまりここで脚光を浴びたくないサーラにとっては、本当は適度に手を抜けばよいのだが生来の生真面目さのせいでそれも上手くできず、結果としてサーラはこの2日間ですっかり「優等生」であるとクラス中で認識される様になってしまった。
休み時間毎に級友に取り囲まれるのにも、もう半ば諦めはしているもののまだまだ慣れそうに無い。
・・・一晩中、悪霊を追って走り続けている方がまだ楽かもしれない。
そんな事を考えながら、サーラはこの日の授業を終えた。
しかし、どうしたものか。
外履きへと靴を履き替えて、サーラは難しい顔をしていた。
今晩、宿へ戻ったら協会への報告書を作成する気でいたのだが、どうにも事件はまだ終わっていない様だ。
あの赤い髪の男・・・クリストファー・緑と何か話ができればいいのだが。
しかしそう言っても、サーラには彼との連絡方法などわからなかったし、そもそもが会えた所で彼が知っている事をペラペラ話すともまったく思えなかったが・・・。
ふと、喧噪に気付く。校門の周辺だろうか・・・控えめに生徒たちがざわついている。
耳を澄ませば
「警備の人に・・・」
「警察の方がよくないかしら?」
等と中々に穏やかで無い呟きが聞き取れる。
何事かとサーラは校門の方を伺い、「う」と思わず声を上げて固まってしまった。
校門から出てすぐの街灯に腕を組んで寄り掛かり、門を潜る生徒一人一人に刺すような視線を送っているのは紛れもなく昨夜の赤い髪の男、クリストファー・緑であったからだ。

下校しようとしている生徒達は皆怯えている。
当然だ。この男とにかく目つきが悪い。
ひたすらにスルーして裏門から帰りたいと思ったサーラだったが、昨日の今日だ。この男のこの行動は自分と関係があるような気がしてそれもできない。
自分から接触したいと思った相手ではあるものの、場所は選んで欲しかった。
そう思いつつ、サーラはリューへ歩み寄る。
「クリストファー・リュー・・・」
「来たか」
やはり、この男自分に用があった様だ。
サーラを見たリューが背を街灯から離す。
「お前に話がある、サーラ・エルシュラーハ。俺と来てもらおう」
それだけ言うと有無を言わさずにリューは背を向けて通りを歩き出した。
その強引さにやや呆れつつ、サーラはリューの背を追って歩き始めた。
リューは大通りに出ると一台の料金式客送蒸気自動車(タクシー)を呼び止めた。
・・・乗れ、という事なのだろう。
何とも豪勢な事だ。サーラの日常の移動手段はといえば列車や馬車が主であり、蒸気自動車にこれまで乗った回数など片手の指の数で足りてしまう。
リューはサーラが自分の隣に乗り込んできたのを確認すると
「ロックフィール通りの3番地『銀杏亭』へ」
と運転手に行き先を告げた。
「まず食事を取る」
車が走り出すと、リューはそれだけ言って後は黙り込んだ。
食事の席で何か話そうと言うのだろうか。
サーラは何と返事をしてよいのかわからず、黙ったまま窓の外を流れる景色を眺めていた。

リューがサーラを連れてきた「銀杏亭」は小さなレストランだった。
小さいが・・・酷く高級そうな店だ。
入り口で上品な中年の給仕が丁寧に2人を出迎える。
店内は然程広くなく、テーブルは5つ程度しかない。
テーブル同士の間隔はかなり開いていて、これなら隣の席の会話でこちらの会話が途切れる事も無さそうである。
メニューには値段が一切記載されていなかった。
そこがまた高級感を漂わせていて、サーラは気後れしてしまう。
「・・・大華(ツェンレン)料理のお店じゃないんですね」
何とはなしにサーラはそうリューに言った。
メニューを見れば洋食の店である。
クリストファー・緑はツェンレン料理の名手として名高いが・・・。
「周辺の飯店は一通り回った。その中で再び足を運ぶに値する店はここだけだった」
リューは給仕に2人分のコースを注文するとサーラへそう答えた。
「ここの料理人は食材を常に自らの舌で吟味している。扱う食材がその日味が落ちると判断すれば客の皿に乗ることはない。ただレシピのままに調理するだけの三流の店とは違う」
オードブルが運ばれてくる。
「お前も自らを高めんとするならば食事には妥協するな。食は全ての基本だ。食わずに生きていける人間は存在しない」
食の専門家らしい意見を口にすると、リューは食事を始めた。
サーラもそれに倣って食べ始める。
ここまできたら、遠慮していてもしょうがない。
出会って1時間足らずで、何だかサーラは随分達観した心境になっていた。

メインディッシュは子牛のソテーだった。
確かに言うだけの事はあり、その上品ながらにも芳醇な肉の風味は絶品だった。
その肉料理を食べ終えたあたりで、唐突にまたリューが口を開いた。
「悪いが・・・お前の事を調べさせてもらった」
サーラのナイフが止まる。
顔を上げてリューを見る。
「サーラ・エルシュラーハ。協会のAクラス退魔師。この町へはゴーストハウンドによる殺人事件の調査解決の為に来た・・・そうだな」
サーラが肯く。
「俺も私用でお前と同じ標的を追っている。昨日お前が遭遇したあの男・・・デュラン・パウエル神父が死せる狂犬の使い手だ」
「でも、彼は昨晩あなたが・・・」
サーラが言いかけるとリューが肯く。
「ああ、この手で殺した。そして死体は焼き捨てた。・・・だが、今朝の話を聞いているだろう。魔犬は再び現れてまた犠牲者を出した」
「他の魔犬使いや自然発生したゴーストハウンドである可能性は?」
おそらくそれはあるまい、とリューがサーラの言葉を否定する。
「亡霊犬によるものと思われる被害者がこの街に出始めた時期と、奴・・・デュラン神父がこの街へやってきたと推測される時期はほぼ合致する。そして、俺が奴をこの手にかけたのは昨晩が初めてではない」
「・・・!」
確かに両者は面識があるように振舞っていた。
「この一週間で3度、俺は奴をこの手で殺めている。1度目は普通に始末しその場を後にした。2度目は1度目に仕損じていたかと思い念入りに死を確認した。そして昨晩が3度目だ」
それで・・・リューは神父の死体を焼いたのだ。
「結果は知っての通りだ。奴はあの数時間後に、俺を嘲笑うかの様にまた事件を起こしている。ともかく、これではっきりした。奴はいかなる方法でか『死から蘇ってくる』 その奴の奇妙な能力の秘密を暴かぬ限りは、完全に葬り去る事はできまい」
「・・・・・・・・・・・・」
『蘇ってくる男』・・・不気味にして恐るべき異能。
その禍々しさにサーラは戦慄した。
「それで・・・何故、私にその話を?」
「お前の事を調べていたのと同様に、デュラン神父の事も俺は詳細に調べ上げている。・・・その趣向、性癖に至るまでな」
抑揚のないリューの声が店内に響く。何とも会話の内容が流れるクラシック音楽に合っていない。
「奴は一旦獲物と定めた相手には執念深く付き纏う。こと若い女が標的の時にその傾向は顕著になる。昨晩のやり取りから奴がお前を殺しの標的と定めた可能性は極めて高い」
サーラは、リューが何を言いたいのか悟った。
・・・この男は、自分に生餌になれと言っているのだ。
「奴は日中や人目の多い場所で標的を狙う事はない。だから奴を始末するまでの間、夜間は俺はお前と行動を共にする。別にお前の行動に口を挟むつもりはない。お前はお前で勝手に動け。ただ俺が常に側にいる。それだけだ」
簡潔に言いたい事だけ言い切ると、リューはワイングラスを口に運んだ。



最終更新:2010年09月19日 13:51