第7話 冬の残響(前編)-1


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聖歴1997年 10月

時刻は午後7時半。
既に日は落ちて町は夜の黒色に沈んでいく。
通りに並ぶ瓦斯灯が石畳の道路を白く浮かび上がらせる。
冷涼な気候の国の事、行き交う人々の吐息はこの時期にして既に白い。
降雪の気配すら感じられる、そんなある夜の事。
彼女は、家路を急ぐ途中だった。
人影の疎らな通りに、コツコツと石畳をブーツの底が叩く音が響く。
心なしか早足で、彼女は夜の通りを進む。
久し振りに学生時代の友人に会った帰り道。
懐かしさに話は弾み、予定していた時刻を大幅にオーバーして話し込んでしまった。
緩やかにウエーブを描く黒髪が揺れる。眼鏡の若い女性。

ーこれは、始まりの日の事ー

ふいに、通りに大きな音が響き渡った。
今だ、列車と馬車が主な交通手段であるこの国には耳慣れぬ者が大半である轟音。
…それは、蒸気動力機関より生み出される排気音。
ヘッドライトに照らし出され彼女の目は眩んだ。
光の中に大きな影が浮かぶ。しかし、その瞬間に彼女はその影が大型の蒸気式貨物乗用車のものである事を認識できてはいない。
その時、悲鳴を自分は上げたのだろうか。
彼女にはそれもわからなかった。

数名いた目撃者の中で、一番近くにいた男がすぐに彼女に駆け寄った。
それは工場帰りの中年男だった。飛び切りの善人ではなかったが、人並みの親切心は持ち合わせていた男。
「おいっ! アンタ…大丈夫か!! チクショウ、ひでえ事しやがる!!」
女性を跳ね、ブレーキを踏んだ様子も無く走り去ったトラックを見送って、男は倒れた彼女へ手を伸ばした。
気を失っているのか、倒れた女性は微かに呻くだけで目を開かない。
抱き起こそうとした男の手にぬるりと生暖かい感触がする。
「…うっ」
思わず男は声を失った。それが何かを、脳が理解してしまった。
手にべっとりと付いたのは血。
…女性は右足を無残に轢き潰されていた。
「たっ…大変だ…! 誰か!! 医者を呼んでくれ!!」
顔色を失って男は叫び声を上げた。
その声を聞き付けて数名が駆け寄ってくる。
通りが俄かに騒然となる。
そしてその喧騒の最中に、空から静かに初雪が舞い散り始めていた。

-これが、始まりの日の事ー

聖歴1998年 10月

ライングラント王国、首都シュタインベルグ屈指の名門スタンリー女学院。
創立200年以上という歴史を誇るこの古き学院には、ライングラント中から良家の女子が集う。
赤煉瓦の校舎に通う生徒数は600名程。
家柄が良いだけの者に門を開く事のないこの学院に通う事を許された優秀な生徒達である。
2年A組。
放課後になり、クラブ活動で人影が疎らになった教室にはいつもの4人組が残っていた。
「だからね、絶対お話の面白い人がいいと思うの~。だって、デートの時に会話が弾まなかったら気まずいじゃない?」
夢見るようにうっとりと言った少女の名はキャロル…キャロル・セフォート。
綺麗なブロンドに垂れ目気味の目元が特徴的なこの少女は、いつも大体笑顔であり4人のムードメーカーだった。
食べる事…特に甘いものが好きなのに、まったく崩れることなく維持されたスリムな体型は学院の七不思議とまで言われている。
…どうやら、今日の話題は理想の男性像であるらしい。
「アタシは話がどうのってより、身体動かせる人がいいかなぁ。男はやっぱさ、何かスポーツできた方がいいって、絶対」
そう言って腕を組んだ少女はモニカ・パーシヴァル。
やや青みがかった銀髪をポニーテールにした活発そうな印象の少女。
その見た目のイメージ通りに、彼女は陸上部のエースである。
「私は…知性かな。インテリジェンス溢れる人って、少し憧れるわ」
落ち着いた声で言うメイ…メイハーツ・スペンサー。
ダークブラウンの髪の毛の落ち着いた感じの彼女は、このクラスの委員長だ。
読書好きであり無類のミステリファンであるメイらしい意見だった。
「ね、サーラはどうなの~?」
キャロルが先程から唯一発言の無い、この場の最後の1人に声をかけた。
「え?」
とやや面食らったように顔を上げた褐色の肌にブロンドの少女。
その容姿から一目で外国の出である事が窺えるこの少女の名はサーラ・エルシュラーハ。
今は学生として暮らすサーラではあるが、その本業は『協会』と呼ばれる組織に所属するエージェント…対霊戦闘に特化した『退魔師』(エクソシスト)である。
しかし、その事実を知るものは友人ではメイだけだ。
「私は…そうね」
思案顔で視線を泳がせるサーラ。
その天井を映した大きな瞳が微かに揺れた。
「笑顔が素敵な人かな…」
呟く様にそう口にする。
「…………・」
その台詞に、残りの3人が顔を見合わせた。
「…フツーだ」
モニカが言う。
「何よ、普通でいいじゃない」
サーラは苦笑する。
そして口元の笑みを苦笑いから穏やかな微笑みにシフトすると、彼女はやや視線を遠いものにする。
「普通でいいのよ。…普通がいいと思うわ」
平凡で平穏…しかしそれがどれだけ幸せであるか。
メイだけは何となくサーラの言いたい事を察した。
「ね、ね、サーラ。あの人は笑顔が素敵なの?」
興味津々、と言った感じでキャロルが机の上に身を乗り出して尋ねる。
「あの、赤い髪の男の人~」
「ああ…」
キャロルが言うのは、現在サーラが住居としている屋敷で奇妙な共同生活を営むある男の事だ。
彼は同じ組織の者ではないが、共通の敵を持ち共闘関係にある。
『それだけ』の関係であるはずの男ではあるが、サーラは何故か彼の事が気になる。
「それはわからないわ。…私、彼が笑った所見た事ないから」
困った様に笑って、サーラはそう言った。

翌日が土曜日で、授業が午前中で終わる為にサーラ達は午後から一緒に街へ出ようと約束して教室を出た。
昇降口へと廊下を歩む4人の前を1人の学生が横切っていった。
颯爽と、凛々しく…そんな形容詞の似合う少女。
ブロンドの長髪を2つに縛り、青碧の瞳の横顔が印象的にサーラの記憶に残る。
カリスマ性というのだろうか、ただ黙ってそこに居るだけでも人目を引き、何か惹きつけられるようなそんな雰囲気を持つ少女だった。
すれ違う生徒達が皆その少女にさようなら、と挨拶している。
「ご機嫌よう。気をつけて帰るのよ」
少女も一人一人に微笑んで別れの挨拶を口にしている。
「…相変わらず、雰囲気のある人ね」
メイが呟くと、キャロルとモニカがうんうんと肯いて同意する。
サーラ1人がその少女が誰なのかわからない。
「エリーゼ・グランチェスター…うちの学生会長よ」
そんなサーラにメイが説明する。
「我が校創立以来の神才… オマケにロードリアス、サジタリウスの両家と並んで御三家と称される魔道の名門グランチェスター家の跡取り娘」
中々ご大層な肩書きと実力を持つ少女であるらしい。
思わずサーラがへぇ…と感嘆の吐息を漏らした。
そして彼女の歩いていった方角を見てみる。
…その背は、もうずっと遠くにあった。

サーラ以外の3人は学院の寮住まいだ。
校門で彼女らと別れてサーラは1人で帰路に就く。
彼女は今、市街のある立派な古い屋敷で生活している。
『協会』が用意してくれた住まいだった。
随分豪勢な住居を用意してくれたものだと思えば、案の定『曰く付き』の物件だったらしい。
数年前に浮気が原因で刃傷沙汰があり、死人まで出たとか…。
その後はサーラ達が越してくるまで住人も無く、周辺の住民からは幽霊屋敷と呼ばれていた物件だった。
聞けば気分の良い話では無いが、サーラにはそのあたりをえり好みする気は無かった。
それこそ恨みを抱いて幽霊でも出てくるのならそれは自分の得意分野でもある。
(死んでしまった人の恨みよりも、今生きてる人間の方がずっと物騒で怖いわ)
それがサーラの持論だった。
屋敷へ帰ってきたサーラが扉を開けて中へ入る。
扉は静かに開く。嫌な軋みは無い。
ずっと住人がいなかった屋敷とは言え、サーラ達の入居が決まった時に一通り手が入っており、外装内装共に新築も同然に綺麗に整っている。
「おかえり、サーラ」
奥から同居人の1人である敷島勇吹が顔を出した。
大きな瞳と2つの長いお下げがトレードマークの活発そうな女性だ。
彼女は調理師にして格闘の達人でもある。そしてサーラと同じく協会に所属するエージェントでもあった。
自分よりずっと感情表現が豊かな彼女は時としてサーラより年下の様にも見えるが、それでもこの年上の同僚はサーラにとっては友人であり姉の様でもある存在である。
この勇吹ともう1人…先程メイ達との話題に出た笑わない赤い髪の男…クリストファー・緑(リュー)の2人がサーラの同居人だ。
その勇吹は出かける仕度を済ませてサーラを出迎えた。
「私ちょっとこれから仕事だから。夕食できてるからね。リューも今夜は戻らないかもって」
慌しく靴を履きながら勇吹が言う。
勇吹は協会の様々な仕事を請け負ったり手伝ったりしている。「仕事」とはそういう事だ。
リューは普段は何をしているのか、サーラは知らない。
調べ物をしている事が多いようだが、不規則に屋敷を長く空けることも珍しい話ではなかった。
「気をつけてね、勇吹」
屋敷を出る勇吹の背に、そうサーラは声をかけた。
振り返った勇吹は歯を見せて笑うと、ぐっと親指を立てて出かけていった。

そして翌日の朝の事。
目を覚ましたサーラは身嗜みを整えてから2階の自分の部屋から階下へと下りる。
朝食は無かった。普段なら勇吹かリューのどちらかが食事を準備してくれている。
勇吹と同じくリューも調理師であり、どちらかでもいればサーラは料理で出番は無いのだ。
靴を確認すると、どうやら勇吹は戻っているようだ。リューは戻っていないらしい。
勇吹の帰りは相当遅くなったのだろう。察するに今はまだ寝ているに違いない。
サーラは久し振りに厨房に立つと3人分の朝食を準備する。
普段厨房に立たせてもらう事はないのだが、サーラも一通りの家事はこなす事ができる。
サーラの本当の両親はサーラが幼い頃に命を落とした。そしてその後ずっと母親代わりとして一緒に暮らしてきた女性は…ぶっちゃけて家事については酷くズボラな女性だった。
…それはその女性が仕事が激務であり家事まで手が回らなかったというのもあるのだが。
その為、家事全般はいつもサーラの役割だった。
サーラの所属する『協会』の会長、それが彼女の母親代わりの女性だ。名を天河悠陽と言う。
当時を思い出して、フライパンを手にしてサーラは微笑んだ。
フライパンの上ではハムエッグがじゅうじゅうと小気味の良い音を立てている。
『目玉焼きはね、完熟にしてね。しっかり火を通して』
悠陽の口癖を思い出す。サーラはどちらかと言えば半熟が好みだったが、いつも焼き加減は悠陽の好みに合わせていた。
『…黄身がお皿に流れ出るのがイヤなのよね』
そんな事を思い出しながら焼いていたら結局完熟にしてしまった。
朝食を準備し終わっても、勇吹は起きてこなかった。
サーラは夕食に続いて朝食も1人で取ると、出かける仕度を整えて屋敷を出た。
机には『午後は友人と出かけてきます。夕食までには戻ります。サーラ』と書置きを残した。

授業を終えたサーラ達は、4人で街へ出た。
幸い天気も良く、結構冷え込む日も多い10月にしては暖かい。
キャロルがお薦めだというカフェテラスで昼食を済ませると、4人はのんびりと商店の立ち並ぶストリートを歩く。
そう言えば行き先を詳しくは聞いていなかったが、3人はどこか目的の場所があるのだろうか、とサーラは思った。
間も無く、3人はある店の前で足を止めた。
古めかしい小洒落た黒檀作りの店だ。看板には可愛い眠る羊がデザインされている。
「アンティークの…スリーピングシープ?」
看板をサーラが読み上げる。
「そそ。ここはさ、アンティーク雑貨や家具の店なんだけど、店主さんの手作りの衣類やらアクセやらも置いてあるんだ。それがちょっとしたもんなんだよ」
そうモニカが解説してくれる。
4人はカランカランとドアベルを鳴らして店内に入った。
店内は趣味のいい古物が並べられている。
年代を感じさせる家具や食器、調度品などが並ぶ中に、確かにモニカの言う様に衣類やアクセサリーの並んでいるコーナーもあった。
「わあ…素敵ね」
サーラは目を輝かせた。
どちらかと言えばサーラは最新の流行よりも、古い味のあるものに興味を引かれる性質だ。
この店の持つ空気は彼女の波長と合った。
その時、店の奥からキィ、と金属の微かに軋む音を立てて車椅子の女性が姿を現した。
ウェーブのかかった黒髪の眼鏡をかけた色白で物静かな感じのする若い女性だ。
「いらっしゃい。…あら、今日は新しい子がいるのね」
車椅子の女性はサーラを見て微笑んだ。
メイ達は馴染みであるのか、こんにちはーと明るく車椅子の女性に挨拶をしている。
サーラも慌ててそれに倣って頭を下げた。
「こ、こんにちは…! 初めまして、サーラ・エルシュラーハです」
「初めまして。ようこそ私のお店に。カタリナ・エーベルスです、よろしくね」
サーラの自己紹介を受けて、カタリナも名乗り口元を綻ばせた。