第7話 冬の残響(前編)-3

ラプトゥス陸運社に付いて数時間サーラは図書館で調べてみた。
その結果、彼女はいくつかの情報を得た。
件の会社は業界最大手であり、特に政府発注の公共事業関連の輸送業務をほぼ一手に引き受けている。
社長ステファン・ファゴットの父親ライリー・ファゴットは現運輸大臣。そして伯父のヨーゼフ・ファゴットは前内務大臣であり、引退した今も政財界に隠然たる影響力を持つ大御所だ。
…成程、これだけのバックがあれば交通事故一つ揉み消す事など造作も無い事なのかもしれない。
しかし、サーラは何か釈然としない物を心中に抱えていた。
ただの交通事故を、会社がバックを利用して揉み消した…これはそんな単純な話なのだろうか?
そのもやもやをはっきりさせようと、サーラは図書館を出るとその足で事故現場へと向かう。
事故の場所は控えてきていた。然程の苦労も無く現地へと到着する。
現場は表の大きな通りから1本入った道路だ。
間も無く日が暮れようと言う時刻。人影はまばらではあるものの周囲は無人ではない。
広くは無いが狭くも無い道。馬車の通る為の車道と歩道はしっかり分けられている。
サーラの抱えていた漠然としたもやもやは、現場へ来て一層強まった。
(狭い…)
周囲を見回してサーラが思う。
現場は確かに人が歩き、馬車が行くなら問題の無い通りだ。
だが大型蒸気車両が通ろうとするにはやや手狭な感がある。
持ってきた地図をサーラは広げて見た。周囲一帯の道路に視線を走らせる。
(どこかへのショートカットっていう訳でもないわね)
抜け道となる道路でもない。…と、すれば件の車両がこの道を通る理由が無いのだ。
常識で考えれば1本隣の大通りを使うだろう。
(でも、もし…)
サーラの表情が曇る。
もしも、件の車両が「予めカタリナを轢くつもりであったのなら」
この道路がその最適の場所であると言える。
大通りでは人目があり過ぎる。その後揉み消すにしても大量の目撃者があってはそれも容易ではなくなるだろう。
そしてここよりも更に奥まった道を行かれれば、大型蒸気車両は入れなくなる。
だから、狙うならこの場所なのだ。

夕食の席。今日もリューは不在だ。
サーラは勇吹と2人で食卓に着いている。
「…じゃあ、サーラはその事故が最初からその人を狙って起こされたものだって言うのね?」
食卓の話題は必然的に事故の話になった。
サーラの話を聞いた勇吹がそう相槌を打つ。
「ええ。そう考えるのが妥当だと思う。…ちょっと、ただの交通事故にしては不自然な点が多過ぎるもの」
サーラがやや声のトーンを落としてそう答える。
ふむ、と小さく勇吹が唸った。
「ね、事故は意図的なものだったとして…標的は本当にその人だったのかしら? 『間違えた』と『誰でもよかった』っていう2つの可能性もあると思うけど」
勇吹に言われてサーラがハッと顔を上げた。
…彼女の言う通りだ。結果として轢かれたのがカタリナであっても、初めから標的が彼女であったのかどうかはわからない。
近くに居た別の標的を狙って失敗し、結果としてカタリナを轢いたとも考えられる。元より誰でもいい通り魔的な犯行であった可能性も0ではない。
「そうね…その通りだわ」
ふう、と息を吐きつつ呟くように言うサーラ。
何かを調べる時に、一番やってはいけないのは先入観を持つ事だと、悠陽にも良く言われていたのに。
少々自分は視野狭窄になってしまっていたようだと反省する。
「でも、まずは彼女が狙われたっていう線で調べてみようと思う」
それを弁えた上で、まずサーラはそう決めた。
「まー、色々考えてたんじゃこんがらがるしね。順番としてはそれでいいんじゃないのかな。…で、その人なんか狙われそうな事情でもあるの?」
勇吹に問われたサーラは、静かに首を横に振る。
「わからないわ。まだ、会ったばかりだから」
苦笑するサーラ。
テッドには友人として、と口にしたが実際の所はそれは言い訳でしかない。
サーラはカタリナの事をまだほとんど知らない。調査を思い立ったのは事故にサーラが最も嫌うもの「理不尽な暴力」を感じたからに他ならない。
見たところ親切で物静かな女性と言う印象を受けた。メイ達もある程度懐いているようだったし、悪い人ではないのだろう。
…ただ、それは表向きの話だ。
それだけの事で彼女を全て白だと思うほど、サーラは浅慮ではない。
どんな人間にも他人に見せない部分があるものだとサーラは知っている。
そして…誰ともまったく諍いを起こさずに生きていける人間はほとんどいないのだという事も。
仮に悪意のまったく無い100%の善人が存在しても、社会にあっては時としてその事実ですら諍いの原因となるのだ。
集団になれば衝突が発生するのは人の業だ。それを避けたいのであれば誰も居ない場所で1人で暮らすしかない。
「…だから、カタリナさん自身の事も調べてみる」
そう言うサーラに、勇吹が微笑んで相槌を打ったその時、屋敷の玄関の開く音がした。

扉を開き、クリストファー・緑(リュー)が食堂へ入ってくる。
東洋の装束に身を包んだ長身で精悍な身体つきの男。
特徴的なのはその真紅の長髪と、険しい表情だ。
眉間に刻まれた皺にへの字に結ばれた口元、そして睨み付けるかの様な鋭い目。
それが平時のリューの表情なのだが、初めて会った者はほぼ例外なく彼から憤怒と不機嫌を感じ取る。
彼は小脇に3冊の重厚な造りの古書を抱えて食堂へ入ってきた。
おかえり、と言う2人に「ああ」と表情を変えずにリューは短く応じた。
「長かったわね」
勇吹がリューに声を掛ける。彼が屋敷を不在にする事は珍しくないが、それが数日に渡る事は稀であった。
「頼んでいた本が届いたというのでな。受け取りに行っていた」
リューが小脇の本を見て言う。どこへ、とは彼は口にしなかったが、往復に数日かかるような場所なら結構遠方まで受け取りに行って来たのだろう。
「何の本?」
勇吹が興味深そうに古書の表紙を見る。しかし彼女にはそこに記された文字が何語であるのかも判別が付かなかった。
「古代リンドのスパイスに付いて記された本だ」
リューが答える。調理師であるリューは料理に関する研究に余念が無い。
「ふーん…読めないから、あなたが読んで料理に活かしてね。私はそれを食べて味を盗む!」
そう言って勇吹が笑った。
「って…それはそれとして、ちょっとリューも聞いておいて欲しいんだけど」
「どうした」
表情を真剣なものに変えた勇吹にリューが椅子に腰を下ろす。
ほら、と勇吹がサーラに視線で話を促した。
「あ、うん…あのね、リュー」
サーラがカタリナの件に付いて話し始める。
一通り全てサーラが話し終えるまで、リューは一切の言葉を挟むことなく黙って話を聞いていた。
サーラの話が一区切り付いた所で、勇吹がリューを見る。
「それで、あなたも何かアドバイスがある?」
「アドバイスか」
目を開けたリューがサーラを見る。
「言える事は一つだけだ。今すぐその件からは手を引け」
「!!! …ど、どうして…?」
静かに、しかしはっきりと言うリューにサーラが驚愕する。
「今の話の中だけで既に結論は出てしまっている。協会の男がそう情報を回してきたのなら、件の事故の犯人はラプトゥス陸運の者なのだろう。そしてその犯人はこの国の司法では裁けない。…それで話は終わりだ。それ以上はどうにも出来まい」
「……………」
黙るサーラにリューは言葉を続ける。
「それとも、犯人を見つけて私刑にかけるか。或いはその女の所へ謝らせにでも行かせるか。…どちらもただ波風を余計に立てるだけで、その女にしてみれば何の救いにもなるまい。お前が今やろうとしている事は、即ちそういう事だ。苦労が多くリスクが高い割に誰も救われん。下手をすれば自分も協会も立場を悪くするだろう。だからやめろと言った」
「でも…」
リューの言っている事は正論なのだろう。それは理解できても、サーラは納得はしない。
「でも…足を奪われた人が現実にいるのよ。他人から自分の両足で歩く自由を永遠に奪っておいて、今も平然としている人がいるのよ。…それを見て見ぬふりをするなんて、私にはできない」
「思い上がるな」
リューが鋭く、冷たく言い放つ。
「お前はたまたま行き会っただけだ。そんな話などこの世界にいくらでも転がっている。お前はこれから自分の関わる世の不正を1つ1つ一々暴き立てていくつもりか」
「そんな…そんなつもりはないけど…」
ガタッと椅子を鳴らしてサーラが立ち上がった。
そして気持ち潤んだ瞳でリューをキッと睨み付ける。
「それでも、私は諦めない!!!」
宣言する様にそう叫んで、サーラは部屋を飛び出して行く。
乱暴に閉められたドアのバーンという音が響く。
「…リューってさ、サーラには厳しいよね」
サーラの飛び出していったドアを見つめて勇吹が呟いた。
「誰に対しても同じだ」
そっけなくリューが返事をする。
「…あっ!!」
そして、ふいに何かを思い付いた様に勇吹は声を張り上げると、途端にぶすっと口を尖らせて頬を膨らませた。
「何故お前が急に不機嫌になる」
そんな勇吹の様子に、リューがそう問う。
そのリューを勇吹はジトっと睨み付けた。
「…心配だからでしょ」
怒気の滲んだ声で勇吹が言う。
「心配だから厳しくするんでしょ!! 大事だから!!!」
「誰に対しても同じだと言っている」
バーンと両手をテーブルに突いて勢い良く勇吹が立ち上がった。
テーブルの上の食器が一斉にガチャンと鳴る。
「同じじゃないってば! 私にはわかるんだから!! ナメないでよ! こっちがどれ程いつもあなたの事気にして暮らしてると思ってんのよ!!」
ずいっとリューに詰め寄って勇吹が一気にまくし立てる。
「もっとサーラには優しくしてあげなさいよ! それで私に厳しくしなさい!! …あああああでも優しくしたらそれはそれで問題!!!」
唸って勇吹ががしがしと乱暴に前髪を掻く。
「お前が何を言っているのか、俺にはまるで理解ができん」
相変わらず、見た目と口調は普段のままでリューがそう言う。
そのリューの鼻先にビッと勇吹が人差し指を突き付けた。
「とにかく!! 私はサーラを手伝うからね!!! 見てなさいよ!!!」
そう叫んで勇吹も部屋を飛び出して行った。
再度バーンと乱暴にドアを閉める音が部屋に響き渡る。
「大体、お前は厳しく言おうが優しく言おうが俺の助言を聞き入れた事がない」
自分1人になった食卓で、リューは静かにそう呟いてティーカップを口へ運んだ。

店の閉店作業を終えると、カタリナは1人の夕食を取った。
彼女は1人暮らしだ。両親は幼い頃に離婚しており、以後カタリナは父親に男手一つで育てられた。
大学を出て彼女は商社へ勤めたが、程なくして父親が病に倒れて命を落とし、父の遺したこの店を継ぐ為に会社を辞めた。
それから彼女はこの店舗を兼ねた自宅で1人で暮らしている。
今日は食が進まない。
それは先程店に現れたあのメギドと名乗った男の残した言葉のせいである。
「私の…願い…」
カタリナが呟く。胸がざわめく。
半分程残っている夕食をキッチンへ片付けてしまうと、彼女は自分の机の引き出しから沢山の封筒と写真を出してきた。
手紙と写真をテーブルに並べて、それを眺める。
写真には栗色の髪の毛の青年と自分が写っている。
手紙は全てその青年…カタリナの婚約者からのものであった。
「…レックス」
婚約者の名を呼んで、カタリナは微笑んだ。
彼とはカレッジのキャンパスで出会った。
引っ込み思案で友人も少なく、いつも本ばかり読んで過ごしていた自分と対照的に、彼は学内の人気者であった。
整った顔立ちで成績も優秀、スポーツも万能であったレックス。人柄も良かった彼の周囲にはいつも大勢の友人がいた。
自分とは、住む世界の違う人間なのだとカタリナは思っていた。
…しかし、その彼は自分を選んだ。
交際を申し込まれて、驚きながらも自分はそれを承諾し…卒業するまでには2人は結婚の約束を交わしていた。
彼は卒業して騎士団に入団しその後少しして海外派兵の為に外国へ行ってしまったが、月に1度は必ず手紙をくれる。
「レックス…あなたがいてくれれば、私はどんな辛い事でも耐えられるわ」
手紙の文面をそっと指先で撫でて、静かにカタリナはそう呟いた。



最終更新:2011年03月21日 15:50