第8話 冬の残響(後編)-3


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夜の道を勇吹とリューが急いでいる。
大気が湿っている…間も無く雨になるだろう。
だから2人は傘を手にしていた。
「私達のした事が…カタリナさんの暴走を招いた…?」
走りながら勇吹が辛そうに顔を伏せる。
「いや…」
リューがそれを否定する。
「崩壊を早める結果にはなったかもしれんが、騎士団の派兵期間が過ぎれば同じ事になっただろう。戻る筈の婚約者は戻らず…現実と偽りの齟齬を防衛人格は補正し切れなくなる。どの道、時間の問題だった」
リューの言葉に労わるような響きはない。
普段の彼の淡々とした口調だ。
しかし今は逆にそれが勇吹を落ち着かせる。
「彼女は裁かれるのかな…」
「さてな」
互いに視線を合わせる事無く前を向いて2人は走る。
視界に映る景色は高速で後方へ流れていく。
「彼女は心の病だ。罪の有無には意見が分かれるだろう。…しかし、彼女の召び出したものは既に無関係の人間を殺めている。今はともかく彼女を保護し、しかるべき施設に収容するべきだ」
リューはカタリナを刺激せず、傷付けずに保護する方法を考えるつもりだった。
しかし事態は彼が考えているよりも進行が早かった。
サーラは自ら真相の尾を見つけ出し、それに手を掛けてしまっている。

ガチャガチャと慌てた動作で車椅子を反転させると、カタリナは真正面からサーラに向き直った。
「…はあっ…はあっ…」
呼吸は荒い。
その額には玉の汗が浮かんでいる。
追い詰められた者の表情を浮かべてカタリナがサーラを見る。
「カタリナさん…」
ぐちゃぐちゃのサーラの頭の中には、ただ自分の為に、とアクセサリーを作ってくれたカタリナの笑顔が思い出されていた。
何を言えばよいのか、思考はまとまらない。
ただ名前を呼んで、サーラが1歩前に出る。
「…来ないで…」
か細い声でカタリナがサーラを拒絶する。
その肩越しに、カタリナが先程まで書いていた何かがサーラの目に入る。
…違う。
サーラが自身の頭に浮かんだ思考を否定する。
…あれは違う。『そんな筈はない』
だけどサーラの思考はそこへ辿り着いてしまう。
カタリナの動揺。レックスが既に死んでいると告げたテッド。
(彼女は…自分で…)
いくつかの情報の断片を鍵に、その推論へ到達してしまう。
「…てが…み…」
半ば呆然と、サーラは呟いていた。
自分が何を口にしたかったのかもわからぬままに。
「……ッッ」
そしてその一言が、カタリナの形相を一変させる。
「…来るなぁぁぁァァァァァァァァァァッッッッッ!!!!!!!!!!!!」
血を吐くような絶叫だった。
その叫びが合図になったかの様に、2体の水妖がサーラに襲いかかる。
自分へ向けて伸ばされる水の腕をサーラがバックステップで回避する。
下がりながらショートソードを抜き放つ。
サーラは対霊戦闘のエキスパートだ。水妖の様に半幽体の魔力体も得意な相手と言える。
聖なる銀で造られたショートソードは水妖の『構成』にも確実にダメージを与えていく。
彼女が2体の水妖を霧散させるまでに掛かった時間は極僅かだった。
しかしその間に、カタリナは書斎を飛び出して行ってしまっている。
サーラは小走りに家の中を周った。
カタリナの姿は無い。…どうやら外へ出て行ってしまったらしい。
すぐさま追って飛び出そうとして、サーラがふとその足を止める。
…追い付いて、どうすればいいのだろう。
サーラは先程のカタリナの様子を思い出して俯く。
自分に何ができるのだろう。どう声を掛ければいいのだろう。
店の扉に手を掛けて、ゆっくりと開く。
「…あ」
呟いて空を見上げるサーラ。
外は雨になっていた。いつ雪に変わってもおかしくない冷たい雨。
「…行かなくちゃ」
ぎゅっとサーラが拳を握り締める。
まずは追いついてからだ。それからの事はそこで考える。
そう決めてサーラは雨の中走り出した。

雨の降る街の中を、カタリナは車椅子を走らせる。
どこへ行く宛てもない。ただあの場から逃げ出さなくてはと思った。
「…違う…違うわ…あの人は死んでいない…」
苦しい息の中に、途切れ途切れに言葉が混じる。
視界が滲む。雨が瞳に流れ込んだせいではない。
「…帰ってくるわ…もう少しで…」
必死に車輪を繰る指先は擦り剥けて血が滲んでいる。
カタリナはもう自分の頬を濡らしているのが降り頻る雨なのか、自分の涙なのかもわからない。
指先の感覚がなくなって、腕が痺れて上がらなくなるまでがむしゃらに車椅子を走らせて、ようやくカタリナが停まる。
気が付けば、彼女は川沿いの広い公園まで来ていた。
雨の夜だ。周囲に人影は無い。
広い公園の真ん中にぽつりと、彼女は佇んでいる。
「…寒い…」
ぶるっと震えて自らの両肩を抱くカタリナ。
雨に打たれて体温を失った手足は死人の様に白い。
まるで暗い深い海の底で、たった一人でいるような孤独感。
彼女はその魂の凍えに絶望する。苦しみに嗚咽する。
そんな彼女に、声を掛けるものがいた。

「…願いは定まったか。カタリナ・エーベルス」

「…!!!」
カタリナが顔を上げる。
見上げた彼女の視界に映ったのは、先日一度顔を合わせただけの黒い服の男。
自らの願いを聞くと言った、赤い瞳の男。
傘を差したメギドがゆっくりとカタリナへと向かって歩いてくる。
「メギド…」
震える口元からその名が漏れる。
「さあ、お前の願いを叶えよう。カタリナ・エーベルス…お前の一番の望みを言うがいい」
口元に微笑を浮かべて、穏やかにメギドが言う。
あ、あ…とカタリナが全身を震わせる。
哀願する様にメギドを見て、そして彼女は願いを口にする。
「…か、彼を…レックスを返して…」
メギドはカタリナのその言葉に、口元の微笑みは崩さなかったがやや困った様に眉を顰めると静かに首を横に振った。
「違う。そうではないぞ…カタリナ・エーベルス。俺が聞き届けて叶えるのはお前の中にある『一番強い願い』だけだ。その願いはお前の中にあって一番大きなものではない。だからそれは俺が叶えてやる事はできん」
カタリナが愕然とする。
目を見開いて絶句する。
固まるカタリナをメギドが静かに見下ろす。
「レックス・ヘリングは死んだ。もうこの世には存在しない。そして、『死んだ者はもう帰っては来ない』…それがこの世のルールだ。その常識がお前の心を縛っている。だからお前は自分の中で、その願いを一番にする事ができないのだ、カタリナ・エーベルス」
その時、ふいにバシャッ!!と水溜りの水を跳ね上げる音が響いた。
メギドの視界に陰が差す。
「…メギド!!!!!」
「来たか…聖紋の娘よ」
ショートソードを構えて自らに躍り掛かるサーラに、愉しげにメギドが笑う。
ギィン!!!!と甲高い音を立てて見えざる障壁にサーラのショートソードが阻まれた。
傘を上げてメギドがサーラを見上げる。
障壁越しに、火花を散らす短剣の刃を挟んで2人の視線が交錯する。
「…だが、今は邪魔だ」
そうメギドが口にすると同時に、障壁が弾けた。
衝撃波は波紋の様にそこから周囲に広がり、それに打たれたサーラは声にならない悲鳴を上げて後方へと吹き飛ばされる。
公園の街灯に叩き付けられたサーラは、そのポールを歪ませて地面に投げ出された。
「…メギド…カタリナさんから…離れて…!!」
震える手を地に突く。
荒い息を白く吐き出しながら、サーラが必死に身を起こす。
「勘違いするな、聖紋の娘。この場で決定権を持つのはお前ではない」
メギドはそんなサーラの方を向いて、目を閉じた。
「…そして、俺でもない。決めるのはただ彼女だ。『願うのか、願わぬのか』」
その言葉にカタリナがびくりと身を竦ませる。
「さあ…どうする、カタリナ・エーベルス。お前の中のその願い、放棄するのか…それとも現実とするのか。決めるがいい」
カタリナはただ俯いて震えている。
そして僅かな静寂が一同の間に舞い降りる。
「…カタリナさん…ダメ…」
苦しげに呟いて、サーラがカタリナへと震える足を1歩踏み出した。
そんなサーラを顔を上げたカタリナが見る。
その時にはもう、カタリナは決断していた。
サーラが言葉を失う。カタリナの瞳を見て。
…サーラはこれまでに何度か、その目に出会ってきた事がある。それは破滅へ向かう者の目だ。
カタリナの唇が動く。声にならない言葉をサーラへと彼女は最後に掛けた。
(…『ごめんね』…!!…)
サーラは叫んでいた。
悲鳴にも呼び掛けにも聞こえる絶叫を上げて彼女は走った。
カタリナは傍らのメギドを見上げて、何事かを口にした。
それが、彼女が自分自身とこの世界から決別した瞬間だった。
メギドの顔から表情が消える。
彼はただ厳かに、その一言を口にした。

-その願い、確かに聞き届けた-

カタリナが立ち上がった。
…否、正確には地面から僅かに浮かび上がった。
彼女の足元で車椅子がバラバラに崩れていく。
この1年、彼女を支え続けてきた車椅子が壊れて消えていく。
伸ばしたサーラの手は届かなかった。
サーラの眼前で、カタリナは闇に包まれた。
「お前も知己ならば見届けてやるがいい。…聖紋の娘よ。彼女が願いの果てへと至る様をな」
両膝を突いて嗚咽するサーラを見下ろしてメギドが言う。
闇が集まっていく。
帯状に伸びた暗黒はカタリナを幾重にも包み込み、闇の繭を形成していく。
「今、『終焉』が産まれる。…彼女は自身の望みを叶えうる姿へと存在を変質させる」
暗黒の繭がぶるっと1度震えた。
その瞬間、周囲に闇の波動が放出された。
それは周囲に無差別に終局をもたらす圧倒的な力の奔流だった。
一瞬にして公園とその周辺の町並みが灰色に染まった。
生き物も、建物も、大地も…全てが白けた灰色に染まる。
崩れていく。何もかも…風に溶けて消えていく。
繭を中心として周囲半径200m程は瞬く間に生命の無い更地になった。
「…うっ…かはッ…!!」
灰色の地面にぽたぽたとサーラの吐いた赤い血が滴った。
瞬間的に全力で抵抗して、辛うじて身体が灰化するのをサーラは防いでいた。
繭が脈動する。
サーラは跪いた姿勢のまま、それを絶望的な気持ちで見上げる。

周囲に降り注ぐ雨は、いつの間にか雪へと変わっていた。