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「第8話 冬の残響(後編)-6」(2011/06/14 (火) 20:44:23) の最新版変更点
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「…サーラ…サーラ!!」
誰かが、自分の名前を呼んでいる。
ぼんやりと遠くから響いてくる様なその呼びかけの声は、徐々に大きく、そして現実味を帯びてくる。
サーラは薄っすらとその目を開いた。
自分を心配そうに見ている勇吹の顔がその視界に入る。
「…い、ぶ…き…」
掠れる声でその名を呼ぶ。
勇吹が微笑んで肯いた。
「もう大丈夫よ、サーラ」
サーラは勇吹に上半身を抱かれて寝かされている。
全身に強い疲労感があって、上手く身体が動かない。
首だけ動かしてサーラは周囲の状況を確認する。
雪の屋外だ。
意識を失って然程時間は経っていないのか、未だ周囲は夜の帳の中にあった。
2人のいる場所は路上だ。
先程まで自分たちがカタリナと交戦していた公園を見てサーラは言葉を失う。
かつて公園であった場所は完全に抉られ、崩落してしまっていた。
その部分だけ川の幅が広がってしまっている。
「カタリナ…さん…は…」
震える手でサーラは勇吹の腕を握った。
勇吹はそのサーラの手にそっと自分の手を重ねる。
「リューが…行ったわ」
首都を横断するエルマー川に掛かる大橋。
ビッグブリッジの名でシュタインベルグの住民に親しまれる石造りのその長大な橋の上を、ゆっくりと黒い影が進む。
「…ぁぁ…ぁぁぁ…」
すすり泣く様な、絶望の呻き声の様なか細い声がその口から漏れる。
雪の混じる風に、灰色のバサバサの長髪がたなびく。
カタリナの全身はボロボロだった。
自身の放った次元爆砕を跳ね返されてその身で受け、彼女の身体は崩壊を始めていた。
だが、今のカタリナにはそんな事はどうでもいい事だ。
彼女の内には、只絶望と嘆きだけがある。
それを解き放つ為に、彼女は往く。
…カタリナの歩みが、ふと停止した。
橋の途中で、誰かが彼女を待っていた。
黒い傘を差した赤い髪の男。
その男の事を、カタリナは見覚えがあると微かに思った。
僅かな記憶はすぐに絶望と悲しみの意識の中に溶けて消え、彼女はその詳細を思い出すことは無かったが。
橋の中央に立つ、いつかどこかで会っていたかもしれない男へ向けて、再びカタリナは歩き出す。
「…お前の境遇には同情する」
赤い髪の男…クリストファー・リューが静かに言う。
その手から傘が離れる。風に舞い、傘は冷たい川面へと落ちていく。
「だが、俺は調理師にして殺手(殺し屋)…俺の手が誰かに与えてやれるものは、料理と後一つしかない」
リューの言葉を意に解する事無く、カタリナは進む。
「…ぉぉぉ…」
風に乗って苦悶の呻き声が空へ溶けていく。
リューへと向けて、カタリナはその手を伸ばす。
「その様子ではもう、お前の飢えは現世(うつしよ)の食物では満たされまい」
左手の掌をカタリナへと向けて、右の拳を引く。
まるで矢を番えた弓を引き絞るかの様に、全身に爆発力を充填する。
その目が怜悧な輝きを帯びて細められた。
「ならばもう、俺がお前に与えてやれるものは…『死』だけだ」
突風と化したリューがカタリナへ向かって走る。
「…ぁぁぁっ…!」
カタリナが向かって来る物に対して自動で発動する歪曲空間のシールドを展開する。
嘆きの盾が空間に生まれる直前、リューの姿が消えた。
「…っっ!!!」
カタリナが目を見開く。
盾は展開された。しかしリューは既にその内側に到達していた。
崩れゆく身で発動した防御能力は、彼の超速度を上回ることが出来なかったのだ。
…そしてリューの渾身の一撃は、カタリナの胸部へ炸裂する。
がくんとカタリナの顎が反る。
拳打はカタリナの胸部を刺し貫いてその背へと抜けていた。
「…レックス…」
カタリナの瞳から真紅の涙が流れた。
傘を差す黒服の男がゆっくりを顔を上げる。
その視線はビッグブリッジの方角へと向けられていた。
「…お前の願いは、叶わなかったか、カタリナ・エーベルス」
その口から憐憫の呟きが漏れた。
「だが、お前の悲しみも想いも、お前の側に在った者達の中に残る。彼らはそれを己が内に留めてこれからを生きていく。お前が生きた事も、お前が愛した事も、お前が嘆いた事も…何一つ無駄にはならん」
そのメギドの足元には、重症を負ったエリーゼが横たわっている。
メギドはそのエリーゼへ右手を翳す。
すると彼女の身体は淡いグリーンの輝きに包まれる。
光が消えた時、彼女の負傷は全て癒えていた。
「…う…メギド様…?」
エリーゼが目を覚まし、自分の身体を不思議そうに見る。
メギドはそのエリーゼに手を貸し、彼女を立ち上がらせた。
「帰るとしよう。ここでの俺の役割は終わった。見るべきものも見た」
「…はい、メギド様」
エリーゼが肯く。
そして2人の姿は、まるで風景に溶けていくかのように消えていった。
首都に初雪の降った夜が明ける。
そして街は普段通りの朝を迎えていた。
早朝の王宮の一室、豪華な調度品の並ぶ執務室で受話器を手にしている男がいる。
スーツ姿の豊かな口ひげを蓄えた初老の男だ。
「はい…ええ…。わかりました。では首都の非常事態宣言と住民への避難誘導を解除致します」
よく通る低い声で男が受話器に向かって言う。
男の背後の壁には、歴代のこの国の指導者の写真が並んでいる。
「この度の協会の方々のご協力、この国の全ての民を代表してお礼申し上げます。天河会長もどうかお元気で…では」
受話器の向こうの相手へと深々と頭を下げて、男は通話を終えた。
夕刻。王宮の運輸大臣ライリー・ファゴットの執務室の前が俄かに騒然となった。
「…オイ、どけぇ面倒臭ぇ!! 俺は大臣に用があるんだよ!!」
警備員と押し問答して、彼らを薙ぎ倒すように室内に入ってくる巨躯の男。
眉を潜めて禿頭の大臣が闖入者の姿を見る。
入ってきたのはバルバス・レガートだ。
「もう退院したのかね、バルバス」
ライリーが鷹揚にバルバスに言う。
先日、勇吹にのされて病院送りにされたバルバスの全身はまだ治療の跡が痛々しく、首にはコルセットが巻かれている。
点滴を引き千切って病院を飛び出してきたバルバスの腕には注射針の跡から血が滲んでいた。
「暢気なツラしてんじゃねぇよ…! 見やがれこのザマぁ!!」
バルバスが自分の胸をバンと手で叩いて、全身を走った痛みに顔を顰めた。
「アンタ俺に言ったよなぁ。絶対捜査の手が回らんようにしてやるってよお。それがこりゃどういう事だぁ!」
今にも掴みかかってきそうな剣幕のバルバスに、ライリーは動じる事無くフーッと嘆息して小さく首を横に振る。
「私は軍警察と協会は黙らせてやると言ったのだ。個人でお前を追った者までは約束した覚えはないな。…それに、聞けば女1人にやられたそうじゃないか。自分の力の無さを私に当たられても困る」
ライリーの台詞に、言葉に詰まったバルバスはギリギリと奥歯を鳴らした。
「…と、とにかくよぉ! こうなっちまった以上はアンタらとはここまでだぜ!! 俺は高飛びさせてもらうぞ!!」
捨て台詞を残すと、バルバスは踵を返して部屋を出て行こうとして、
そしてその足が止まった。
「…お…ぅ?」
バルバスはライリーの方を見ている。
おかしい、自分は後ろを向いたはずなのに…。
自分が今どの様な有様になっているのか理解するよりも早く、首だけを180度背後に回されたバルバスは絶命し、鼻腔と口から夥しい量の血を吹き出しながらその場に倒れた。
まるで土下座するかのように、両膝を突いて崩れ落ちるバルバスの向こうには赤い髪の男が立っている。
「…ぬう」
怯んで後ずさったライリーが机の上の警備員の呼び出しボタンを押す。
しかし、即座に駆けつけてくるはずの警備員達の足音は聞こえない。
「彼らには少し眠ってもらった。この場には誰も来ない」
リューが低い声で言う。
そして彼は足元で死んでいるバルバスを見下ろす。
「1年前…お前は息子の指示で起きた人身事故の後始末を頼まれ、それを行った後、この男を被害者の婚約者が派遣されていた国へと送り込んで彼を暗殺させた」
「………・」
リューの言葉にライリーの返事はない。
やや間を置いてリューが言葉を続ける。
「それも息子の頼みか? そうならばこの後で彼も殺しに行く」
「…!! それは違うぞ…」
苦々しくライリーが口を開く。
「あれは…親の私が言うのも何だが、器の小さな男だ。憎んだ相手であれ、殺める所までは恐れて考えが及ばぬ」
「だから、代わって自分がやるしかないと思ったか」
ライリーは豪華な革張りの椅子に腰を下ろした。
そして長く息を吐く。
「…そうだ。学生の時分より、私はあれのつまらない執着を理解していた。そんなものに捉われればいつか己の身を滅ぼす事になると説いたが、あれには通じなかった」
ライリーが目を閉じる。
「卒業後、あれの頼みで例の同期の男を国外へと飛ばし、それで終わりになるかと思った。だが一年前のあの事故の時に、私はあれがまだその小さな執着を捨てられていなかった事を知った。子が捨てられぬ執着であれば、親が断ってやるより他あるまい…だからこの男を現地へ送ったのだ」
「理解した」
そう言ってリューは1歩前に出た。
「…では、レックス・ヘリングとカタリナ・エーベルスの復讐を代行する」
静かにリューが右手を上げる。
小さく苦笑して、ライリーは座ったまま天井を見上げる。
「…まさか、お前の様に高名な死神が我が生涯の終わりを運んでこようとはな…クリストファー・リュー…」
そして、室内に骨の砕ける鈍い音が響き渡った。
薬が効いて眠っていたサーラが、ゆっくりと目を覚ます。
朝の光の射し込む病室。
そのベッドの上だ。身を起こそうとして、サーラは痛みに顔を顰めた。
「まだ横になっていろ」
声を掛けられてサーラがそちらを見た。
ベッドの脇には、リューが座っている。
「リュー…カタリナさんは…」
サーラの言葉にリューが静かに目を閉じた。
その仕草が、「全て終わった」と言っていた。
サーラは白い天上を見上げる。その瞳にうっすらと涙が浮かぶ。
「私…彼女を助けてあげたかった…」
僅かに掠れる声で言う。
「お前はよくやった」
そう言ってリューはサーラを見る。
「…しばらくはゆっくり休め」
あ、とサーラは小さく声を上げていた。
今一瞬だったが、リューは間違いなく…。
また来る、と言って椅子を立ち上がろうとしたリューの袖をサーラが掴んだ。
「待って…」
中腰で動きを止めたリューをサーラが見上げる。
「もう一度…笑って…」
そのサーラの手をそっと外してリューが立つ。
「笑顔とは、笑えと言われて見せるものではあるまい。…いずれ機会があればな」
静かにリューが病室を出て行く。
「…もう…意地悪ね」
サーラが苦笑する。
病室の窓から見える雪景色が、陽光を弾いてキラキラと輝いている。
今日はきっといい天気になるだろう、そうサーラは思った。
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