魔拳士・李書文。
基本、義を通す善性だが、悪もまた良しとする武芸者。
あまりに多くの対手を殺めた事で多くの憎しみを買い、最後は毒を盛られて命を終えたという。
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サーヴァントとしての書文はその道徳性こと一般常識から逸脱していたが、人間性そのものは合理性を重んじる“良識人”である。
正義も悪もそう大差はないが、某(なにがし)の行いが合理に損なっている…無駄が多い…のなら、某(なにがし)に対して露骨な嫌悪を向けるのである。
この某(なにがし)が巨利をむさぼる悪党であった場合、そして某(なにがし)の被害にあっている者からの懇願があった場合、李書文は“縁が出来たな”として某(なにがし)と対峙し、結果として殺害する。
一見、義侠の徒に見える行為だが、中華における義侠とは『情をもって剣を取る』なので、彼の考えは真逆にあたる。李書文の性格、合理性はむしろ現代人のそれに近いものだったようだ。
単純に(純粋に、ではない)強さのみを求めた李書文だが、晩年は暴力の強さではなく、自身の生き方、信念の強さに武を見いだしたと言われる。
自身を拳法家というより殺し屋のたぐいと自認しているが、それを卑下する事も、誇る事もない。
生前は善(よ)く学び、善(よ)く戦い、善(よ)く殺めたので、無念や怨念はまったく持っていない。
サーヴァントとして召還されてからは主であるユリウスの暗器として、ためらいなくその凶拳を振るったが……?
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