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ルイズと無重力巫女さん-68





 夏の日差しを遮る森の中を走る川辺の近くに、腰を下ろした女性と少女がいる。
 腰まで届く黒い長髪を持つ異国情緒漂う巫女服の女性が、となりにいるピンクブロンドの少女に何かを話している。
 貴族らしい身なりをしたピンクブロンドの少女はその話を真剣な面もちで聞いており、時折驚いているのかハッとした表情も浮かべていた。
 一種の風景画とも思えるその光景には、女であってもついつい足を止めてみてしまうに違いない。
 しかしここは近隣の村人でも滅多に入ってこない秘境の様な場所であり、今の二人を目にする第三者が現れる可能性は低い。
 だからこそだろうか、二人は時間を忘れたかのように会話を続けていた。


「成る程…それで、その大女とやらを捜してここまで歩いてきたのね」
 数分後、巫女の話を聞き終えたピンクブロンドの少女――カトレアが耳にした話を纏めるかのように呟く。
 まぁ、そうかもね。特にいう事も無い巫女はそう返してから空を見上げてフゥと一息ついた。
「本当参ったわよ。自分が誰なのかも知らずにいきなり襲われたんですから」
 マジで堪らないわ。空を見上げて喋る巫女に対し、カトレアは少し怪訝な表情を浮かべている。
「…少し聞くけど、怖くないの?自分の記憶が無いって事に」
「えっ?」
 昨日の経緯をちゃんと聞いていた彼女の質問に、巫女は数秒ほどの沈黙を入れてから答えた。
「…確かに不安になるけども…今ここでジタバタしたって何も変わらないし、しょうがないじゃない。
 それにふとした拍子で戻るかもしれないんだから、今はそれ程焦ってないわね」

 暢気すぎる巫女の言葉にカトレアは少し呆れたような表情を浮かべて首を横に振った。
 きっと自分と相手に明確な゛違い゛がある事に気が付いたのか、次にこんな言葉を口にする。

「私なら記憶が無くなった瞬間びっくり仰天よ。だってそうでしょう?ある日突然、頭の中にあった事が全部消えてしまうのよ。
 自分の名前や年齢に好きな食べ物と嫌いな食べ物、今まで積み重ねてきた苦楽の混ざった思い出といった…大切な事全て
 それらが砂の城みたいに跡形もなく全部消えてしまったと思えば……とてもじゃないけど、私には……――――あら?」

 そんな時であった、議論を交わす二人の間に涼しげな仲裁役が割り込んできたのは。
 木陰と枝に遮られて肌を焼く日差しは入ってこず、代わりと言わんばかりの緑風が枝の間を通り抜けて彼女たちの体に吹きかかる。
「今日の風は随分優しいのね。私暑いのは苦手だから助かるわ…」
 風に気づき一人楽しそうに呟くカトレアの顔から、呆れの色がフッと消え去り嬉しげな表情に変わる。
 こちらに話していた時とは段違いに優しい笑みを浮かべるカトレアの言葉に、巫女は同意するかのように無言で頷く。
 目を細めて嬉しそうな様子を見せる彼女を見ていると、気のせいかこちらも喜ばしい何かが心の底から浮き出てくる。
「やっぱり迷い込んで正解だったわね。色々と悪いとは思っちゃうけど、こんな良い場所にたどり着けたんですから」
 森や山なんかの自然は人に対して危険なものだと知っとるけど、こうして恵みを与えてくれるものなのね。
 彼女は劇場の役者のセリフみたいな言葉を巫女に聞かせながら、スッと頭を上げて空を眺め始める。
 説教に近い助言を受け賜った巫女は気難しそうな顔で「へ~」と感心したような声を上げつつも、
「悪い事言ってるかも知れないけど、この人の護衛さんとか御付は今頃大変な思いをしてるわよ」
 とまぁそんな言葉を返すと、自分よりも先に彼女が話してくれた時の事を改めて思い出す。

 彼女、カトレアはここから遠い所にある領地から遥々やってきた貴族なのだという。
 本当なら遠出などもってのほかと家族に言われるほど体が弱いらしいのだが、そこはうまく説得できたらしい。
 彼女自身外の自然や動物と触れ合うのが好きであり、家族の本に従者や護衛達もそれは理解しているのだという。
 身体が弱い彼女の遠出を、家族が心配はしつつ許可を出したというのを聞くと色々良くない事を考えてしまう。
(まさか先が短い…何てことは無いわよね?多分)
 これまでの経緯を話してくれるカトレアを見て、巫女は口に出せる筈も無い事を思ってしまう。
 楽しげに話すカトレアに横槍を入れるような事などできず、その時の彼女はただただ黙って聞いていた。
 本当の目的地はまだまだ遠く、この近くの村で長旅で疲れた足を休める為に一泊したらしい。
 そして朝食後の散歩でついてきた護衛とはぐれてしまい森の中を歩くという事態を経て、今に至るのだという。 

 ◆

「そうよねぇ?もう少ししたら村の方へと戻ろうかと思ってるけど…何とかなるわよね?」
 毒が入った相手の返事にカラカラと笑いつつ平然と言ってのけたカトレアに、巫女はついつい苦笑してしまう。
 人というのはこういう状況に陥ると不安定になり、最悪ネガティブな方向に思考が進んでいくものだと…彼女は思っていた。
 しかし目の前にいるピンクブロンドの美女には暗い所など一切なく、むしろ太陽の様に光り輝いている。
 一体どのような生き方をすればこんなにも明るくいられるのだろうか?
 巫女はそんな疑問を感じながらも、それを知らないカトレアは空を見ていた顔を下げてまた喋り始めた。
「護衛の人たちには悪い事しちゃったわ。まさか私が消えるなんて思ってもいなかっただろうし」
「だったら最初から用心深く散歩してればいいじゃないのよ」
 瞬間的な突っ込みにカトレアは笑顔を浮かべつつ、その顔を俯かせる。
 その時になって巫女は気が付く。気のせいか、彼女の笑顔に少しだけ暗い陰りが見えていた。
「でもね、正直こういう体験はしてみたいと思ってたのよね」
 森で迷う事が?その疑問を口に出した巫女に、カトレアは軽く頷きながらも喋り続ける。

「さっきも話したけど、私は生まれつき身体が悪いから…ほとんど外に出たことが無かった。
 外から来るお客人とはあまり触れないようにと言われて育ってきたから、幼少の頃は家族と召使の顔しか見たことなかったのよ。
 だからいつも外の世界にあこがれていて何時の日か――――まだ立っていられる内に自分の足で歩いて散歩するのが昔の夢だったわ。
 幼少の頃と違って大分前から遠出も出来るようになったし…あぁでも、こんなに遠くまで来たのはこれが初めてかしら」

 数年前まで寝たきりだった人が語るような話に、巫女は何も言わずに黙っている。
 まるで彼女の口から出る言葉を耳で拾い、ほぼ空っぽの状態である頭の中に詰め込んでいるかのようだ。
 そんな巫女の姿を横目で見つめながら、カトレアは尚も離し続けていく。

「…ずっと前にね、風景画を載せた本でタルブという村の風景を目にしたことがあるの。
 葡萄のワインで有名な村でね、毎年旬になると王都やトリステイン中の街だけではなく、色んな国に運ばれていく。
 だからかしら、本の中に乗っていた絵画には見たことも無いくらい広大な葡萄畑が描かれていたのよ。
 豊穣の秋を象徴するような丸くて青い一個の葡萄粒が寄り集まって巨大な房となり、それらが一本の木に沢山出来ている。
 木だって一本だけじゃない。暇潰しにベッドの上で数えてみても、数えきれないほど葡萄の木が描かれていたの。あれには本当に驚いたわ」

 矢継ぎ早、という言葉が似合うくらいに捲し立てて喋ってはいたが、巫女はある異変に気が付く。
 楽しそうに話す彼女の顔から、玉のような汗が薄らと出始めていたのだ。
 いまの季節的に汗が出てもおかしくはないが、日陰にいて風に当たっている今の状態でこんな汗が出てくるのは少しおかしい。
 恐らくそれは本人も気づいているのだろうが決してそれを悟られず、そして相手に気を使わせないように喋り続けている。

「今は夏だけど…私は、見に行きたいの…。秋に大勢の人々に幸をもたらすその畑を…。
 自分の領地からすごく離れてるし、本当なら竜籠で行けば良かったのだけれど…今はこうして地上にいるの。
 でも馬車に乗ったおかげで良い思い出ができたわ。目新しいモノが沢山見れたし色んな人たちとも会えて…――そして」

 貴女みたいな、凄く興味深い人にも会えたわ。
 最後に一言、そう呟いた直後であった。静かに地面を見つめていた両目が見開かれたのは。
 巫女がそれに気づいたときには、カトレアは咄嗟に両手で口元を押さえた後に、苦しそうに咳き込みだした。
「ゴホ…ッ!ゲホ…ッ!ゴホ…ッ!!」
「ちょっと、アンタ…!大丈夫なの?」
「大丈夫…いつものゴホッ…事、だから…ゲホ…」
 苦しげに喋るカトレアにそんな事ないじゃないと思いつつ、巫女は確信する。
 最初の話から察して、やはりカトレアの身には何か良くない病が幼少の時から寄生しているらしい。
 咳だって普通の人間がするようなものではない。何も知らない巫女ですら明らかに異常としか思えないくらいひどいものだ。
 流石に座ってはいられないと思った彼女は腰を上げるとカトレアのすぐ横で膝立ちになり、とりあえずは背中をさすり始める。
 しかしそれでマシになるという事は無く、それを無視するかのように更に悪い方向へと進んでいく。

「ゴホ…カハ…ッ!」
 辛そうな咳き込みの最中であった。カトレアの口から赤く小さな水滴が、指の合間を縫って飛び出した。
 まるで葉っぱに付着した雫を振り落すかのように散り、パッと地面に落ちる。
 彼女がそれを吐き出す瞬間を見ていなかった巫女であったが、足元を見て何が起こったのか察する。
「ちょっとちょっと…!アンタ本当に不味いじゃないの?」
 先程までの冷静さが何処へと消え去り、慌てた様子で咳き込み続けるカトレアに話しかける。
 それに対し喋れぬが聞こえているのだろう、カトレアは苦しそうな表情で頷いて見せる。
 大丈夫と言いたいのだろうが…口の端から血を垂らしながら咳き込む人間など、誰が見ても異常アリと判断するだろう。
 無論その傍にいる巫女も同じ考えであり、すぐさま行動に移そうとスクッと立ち上がった。
 しかしふと何かを思ったのか、足元で咳き込み続けるカトレアに向けて喋りかける。

「ねぇ、そんなに酷いなら何か薬でも持ってるの?」
 彼女の質問に、口を押さえるカトレアは言葉ではなく首を横に振って答える。
 今も充分危険だが、このまま何もせずに放置すれば…予期せぬ危機に遭遇した巫女は小さな舌打ちをしてしまう。
 そんな時だ。カトレアが咳き込むのを我慢しつつ、荒い息をつきながらも言ってきた。
「村…村に戻れば…薬があるの…ゲホッ!」
 ほんの少ししか喋れずとも、しっかりとアドバイスを聞けた巫女であったが、それでも事態は解決していない。
 彼女が言う村とは、きっと旅の最中に止まっている宿屋がある場所の事だろう。 
 恐らくそれ程離れていない場所にあるのだろうが、何も知らない巫女がその村の居場所など知らない。 
 幸い体力には自信があるのでカトレアを背負って森の中を彷徨っても、目的地へ直行できるワケが無い。
 カトレアが道案内してくれればまだ可能性はある。しかし今の彼女にそれを任せるのは多少キツイものがある。

 そこまで考えた所で、巫女はふとカトレアの方を見やる。
 最初の一回目以降に血は吐いてないらしく、咳は続いているが素人目から見てヒドイものではない。
 ここで自分の考えている事を実行して村までの道案内をしてくれれば、一人で行くよりも遥かに直行できる可能性が高まる。
 ならばここで立ち止まる必要は無い。動けるうちに動いて村へ行くしか他にすることは無い。
 巫女は一人決心し、その事を苦しそうなカトレアに話そうとした―――――――――その直後であった。

 鳥の鳴き声と葉と葉がこすれる音と、多少暑い木漏れ日に包まれた森の何処かから異音が聞こえてきた。

 まるで喉を悪くした犬の遠吠えの様な、人の耳に不快感しか残さないそれは、二人の耳にも入ってくる。
 そして続くようにしてもう一回聞こえてくると、それに遅れまいとかするかのように連続して聞きたくも無い遠吠えが森の中に響き渡った。
 こんな真っ昼間にも関わらず、騒音をまき散らす異音の゛正体゛に二人は嫌な何かを感じた。
「な…何なの、犬…にしては何か変な感じがするわ…」
 突然の事態に目を丸くしてそう言ったカトレアに対し、巫女は目を細めて異音を聞いていた。

 彼女は知っていた。この異音の゛正体゛が何なのかを。
 多くの事を忘れてしまった頭の中に入っている昨夜の出来事の一部で、それを耳にしている。
 見た目どころか価値観すら人と違うあのバケモノたちも、今聞こえてくる音と似たような叫び声を上げていた。
 そう、カトレアに語ることすらやめた程…むごたらしく始末した犬頭の怪物たち―――奴らの鳴き声そのものである。

「こんな天気の良い日に騒ぐなんて、よっぽどこの私に退治されたいようね」
 一人呟いた巫女の言葉に、カトレアがハッとした表情を浮かべて顔を上げる。
 その時の彼女が見た巫女の顔は、水面下で渦巻きながら並一つ立てぬ湖面の様な静かな怒りに満ち溢れていた。




 いつどこでどういう風に聞いたのかは忘れてしまったが、ニナはこんな言葉を聞いたことがあった。
「お伽噺に出てくるような人の言葉を喋れる優しい動物さんはね、お話の中だけにしかいないんだよ」
 誰がそう言ったのか覚えていないが、最初にそれを聞いた彼女は何でとその人に聞いてみた。
 そうする事が自然だと思っていたし、それを言ってくれた人も同じ思いを抱いてたようで、嬉しそうに話してくれた。

「私たち人間が言葉を使って喋れるのは、この世界を作っていくうえで必要な事だからなんだ。
 もしも動物たちが私たちと同じ言葉を喋れたら、生きていくうえで彼らを狩る僕たち人間とはきっとケンカするだろう?」

 森や山を壊すな、俺たちの仲間を殺すな…ってね、茶目っ気を隠さぬ態度でその人は言った。
 一方のニナも矢継ぎ早に三度目の質問をする。ならもしもこの世界に喋れる動物たちがいたら…ケンカになっちゃうのかな?
 ニナの言葉を聞いたその人は一瞬だけ目を丸くさせた後、数秒ほど唸ったのちに返事をした。
「そうかもしれないけど。きっとそれは…ニナの考えている様な動物さんとは全く違うと思うんだ」
 何で聞いてみたところ、その人は苦い物を食べてしまったような表情を浮かべてこう答えてくれた。

「もしも現実に喋れる動物がいたとしたら、それはもう…怖い話に出てくる怪物になってしまうからだよ」

 その人の言葉が正しければ…
 今自分たちの目の前に現れた犬たちは、まさしく怪物と呼べる存在に違いない。
 幼く、大切な記憶の多くが頭から抜け落ちてしまった少女は、ふとそんな事を思った。



「小さな人間よ。大人しく、何もせずにただ私の質問に答えろ。従うならば首を縦に振れ、さぁ」
 あまり整備されていない真昼の林道の真ん中で腰を抜かしているニナに、多数いる亜人たちのうち一匹が話しかけてくる。
 人の言葉を流暢に喋るソイツは、世間一般の呼び方では゛コボルド゛と呼ばれる存在だ。
 ただそれなりの値段と分厚さを誇る図鑑に載っているような、犬頭の二足歩行の亜人とは少し違った所があった。
 体そのものは周りで棍棒や槍を持って唸り声を上げるコボルド達と変わりないが、身に着けている物が大きく違う。
 茶色の毛に包まれた背中を守るようにして、生臭さが漂う熊皮でできた外套を羽織っている。
 そしてその右手で器用に持っているのは他のコボルド達とは違い、メイジが持つような気の杖であった。
 棍棒としても充分な凶悪さを誇るそれには血でも塗っているのだろうか?外套とはまた別の不快な臭いが漂ってきていた。
 だがその二つを差し置いてニナの目が優先的に向いた先にあったのは、そのコボルドが頭に被っている゛頭蓋骨゛である。

 元は大きな狼や野犬のモノだったのであろう頭骨は、下あご部分だけを外した状態で付けているのでコボルドがどんな目をしているのかまではわからない。
 不思議な事だが、それだけでも何故か目の前の亜人がコボルドでない何かになってしまったかのような不気味な違和感を、ニナは感じてしまう。
 後ろに控えるコボルドたちはまだ犬の頭が見えるだけに動物らしさが残ってはいるが、頭蓋骨を被っている奴だけはどうにもそういう風には見えない。
 幼いニナにはそいつが冥府からやってきて、死者の魂を掻っ攫って消えてしまう死神としか思えないのである。
 ちょっとだけ怖い絵本やお伽噺だけの中だけにしかいない架空の存在が、コボルドの体を借りて顕在してきたかのような異様な存在。
 それを目の前にして腰を抜かしているニナは、自分の後ろで押さえつけられた老人の言葉は耳に届いていなかった。

「に…ニナ……」
 軽量ながらも三匹のコボルドに乗られている彼は苦しそうに呻きながらも、ニナに声を掛ける。
 しかし放心状態の少女にその声は届かず、代わりと言わんばかりに背中のコボルド達がグルルと唸る。
 下手な事をすれば殺す、と彼らの言葉で言っているのか、ニナの前に立ちふさがるコボルドがふと「まだ手を出すな」と呟いた。
 喋れなくとも意味は分かるのか老人の背の上と周りにいる亜人たちは唸り声を上げるだけで、地面に付した老いぼれを血祭りに上げることは無い。
 その様子を見てあの頭蓋骨を被った奴がリーダー格なのだと老人は直感したが、それで状況が好転するワケでもない。
 真昼間だというのにこんな災難に巻き込まれるとは…。老人は心の中で毒づきつつ、今に至るまでの経緯を思い出す。

 村を出てからニナを自分の家に置いて、戸締りをしっかりした後にこの森で迷い込んだという貴族さまの捜索を手伝う筈であった。
 しかしどうだろうか、村を出てから数十分ほど歩いていた時…突如茂みの中から犬頭の亜人たちが跳びかかってきたのである。
 森で生まれ育ったおかげで自然と鍛えられてきた老人であっても、小柄であっても一度に何匹ものコボルドに襲われてはひとたまりも無かった。
 ニナだけは幸いにも跳びかかられはしなかったが、今の状況が安全などと口が裂けても言えぬ状況に立たされているのが現実だ。

 そんな時だ、一向に口を開かぬニナの前に立つリーダー格が、再度口を開く。
「小さな人間よ、もう一度言うぞ。我の言う事に従うか?従うならばすぐにでも頷くのだ」
 何もしゃべらない事に苛立っているのか、頭骨を被るコボルドが急かすように聞いてくる。
 ニナよりも少し大きめの亜人の質問はしかし、眼を見開き呆然とする少女の耳に入るがそれを言葉として認識できない。
 いつも耳にする森のざわめきや風の音を聞き流す時の様に頭の中をスッと通り過ぎ、何処か人知れぬ場所へと消えていく。
 故に二度目の質問に対してもニナは何一つ言葉を返すことなく、じっと目の前のコボルドを見上げていた。
「…何一つ喋らぬとは強情な。…まぁいい、丁度二人いるのだから…」
 ―――人一匹消えたとしても構わぬか。
 リーダー格が言葉の最後にそんな一言を付け加えると、その背後から獰猛な唸り声が聞こえてくる。
 何かと思い這いつくばった老人が顔を上げると、リーダー格の後ろからバカに体格の良いコボルドが一匹歩いてきた。
 周りの仲間たちと比べても一回り少し大きいヤツは、その手にこれまた凶悪そうな肉切り包丁の如き鉈を握り締めている。
 使い続けて碌に手入れもしていないのか、血錆びに塗れて刃こぼれも酷いその外見は呪われた武器にしか見えない。
 人間や同じコボルドはおろか、やりようによってはオーク鬼すら殺せそうな雰囲気が、その鉈から発せられていた。
「お、おいお前ら…一体何をするつもりだ?」
「何、そう難しい事ではない。お前たち人間がどれほど生きることに執着しているのか、試そうと思っているだけだ」
 呻き声に近い老人の質問にリーダー格がそう返すと、鉈を持ったコボルドが見せつけるように右手の獲物を軽く一振りする。
 まるでこの刃に殺された者たちが三でいるかのような空気を切り裂く音が、周囲に響き渡る。
 それを耳にしたリーダー格を覗くコボルド達が、小さな声で嬉しそうに鳴き始めた。
 彼らは理解していた。これから何が起ころうとして、その代償に誰が゛犠牲゛となるのかを。だからこそ喜んでいた。


 ――――――そんな時だ。獣達の悪臭が漂うこの道に、手荒な緑風が吹いてきたのは。
 ここに漂う負の何かを含め、全てを更に持ち上げ消さんとする風に続いて゛彼女゛は森の中からやってきた。
 動物で例えるならば、正に草原を一直線に駆け抜けていく狼とも言えるだろう。
 それは誰の目にも――ニナや老人、そしてリーダー格を含めたコボルド達でさえ…近づいていた゛彼女゛の気配に気づけなかった。
 全てが起こった時にはコボルド達にとって何もかも手遅れであり、また一瞬で状況を把握する事などできない。

「待ちなさいっ!この犬頭共っ!!!」

 静かな林道を騒がすコボルド達の唸り声を、覇気と勢いに溢れた゛彼女゛の声が掻き消してしまう。
 まるで不可視の力を声に纏わせていたかのように、コボルド達が一瞬だけ怯んだ。
 単に驚いただけなのかもしれないのだろうが、少なくともその瞬間は゛彼女゛にとって最大のチャンスとなる。
 声が聞こえてきたと同時に林道を囲う木々の合間から異国情緒漂う服を纏った黒髪の女性が、地面を蹴って跳びかかってきたのである。
 まるで飛蝗と見間違えんばかりの高さまで飛んだ黒髪の女―――゛彼女゛は、五メイル程飛んだ所で足を地面に向けて落ちてくる。
 部下たちよりも早くに気を取り直し、左右上下と辺りを見回していたリーダー格が゛彼女゛に気づいたが、その時にはもう手遅れであった。

 軍用と見間違うほどに立派な革のブーツの底が軽い音を立てて地面に着いたと同時に、黒髪の女が右腕を勢いよく横に振るう。
 片足立ちの状態の彼女が降り立った場所はリーダー格と鉈を手に持つ大柄なコボルドのすぐ近く。
 一メイル程もない距離で、彼女は服と別離した白色の袖を付けた右腕を、何の遠慮も無く自分出せる力でもって攻撃する。
 いち早く気づいていたリーダー格は咄嗟に後ろへ下がったが、彼の後ろにいた鉈持ちのコボルドは哀れにもその腕の餌食となった。
 太い喉に女のラリアットが直撃したコボルドは、ギャイ!という低い悲鳴と共にでかい図体を大きくよろめかせ、その場で仰向けに倒れる。
 その際に手に持っていた血錆びに塗れた鉈が離れ、コボルドが倒れたと同時にその刃先が湿った林道の土に突き刺さる。

 とりあえず最初の一撃を決めた女は間髪入れずに足元の鉈に目をやり、それを手に取ろうとした直前。
 女の右腕から逃れていたリーダー格のコボルドが、動揺さが見え隠れする声色で叫ぶ。
「ム…何だ貴様は?今の今までどこに隠れていた!」
 間一髪で攻撃を避けていた亜人の言葉に、女は答えるよりも先に今まで上げていた左足を地面に着ける。
 右足を下ろした時と同様の軽い音と共にブーツの底が地面につくと後ろを振り返り、ふと目の前でニナへと視線を向けた。
 黒みがかった赤い両目が足元で腰を抜かす少女を見つめると同時に、その少女の口から小さな呻き声が漏れる。

「あっ…!あう…」
 湿った気配の声は命乞いを意味するのか、それとも幼い故に曖昧な死への恐怖に怯えているのだろうか?
 そんな少女を見下ろす女にはわからなかったものの、少なくとも何かにおびえている事だけは理解していた。
 時間にして二秒ほど見下ろした後、彼女は顔を上げてニナの後ろにいる老人と、その上にいるコボルド達に目をやる。
 突然の奇襲に呆然としていた亜人たちは女に睨みつけられるとビクッと体を震わせ、無意識に手に握る獲物を構えた。
 その直後だ。今まで穏やかな流れで吹いていた風が暴力を振るう不可視の鎚と化して、奴らを殴りつけたのは。
 老人の上と傍にいたコボルド達はその鎚で死にはしなかったものの、無様な悲鳴を上げて吹き飛ぶ。
 手にしていた武器も彼らの頭上へと舞い上がり、持ち主たちとほぼ同時に地面に叩きつけられる。
「なっ…?」
「あなた達、早くこっちへ…!」
 何の被害も無かった老人が目を見開き驚いていると、黒髪の女が出てきた林道から女性の声が聞こえてきた。
 ニナを助けてくれた女性とは違い優しさがありながらも何処か苦しそうな呼びかけに、老人はスッと首をそちらに向ける。
 そこにいたのは右手で杖を構え、左手で口を押えたピンクブロンドの令嬢風の女性だった。
 どうやら手に持った杖を見る限り、コボルド達を吹き飛ばした風の鎚は彼女が作り出したのだろうが、どうも様子がおかしい。
 老人の今いる場所から見てみると、顔に浮かんでいる表情は何かを耐えているかのように苦々しい。
 その時、颯爽と現れてコボルドに奇襲を仕掛けた黒髪の女が老人に向かって言った。

「女の子の方は私が絶対に助けるから、アンタはカトレアのいる茂みまで走って」
 リーダー格のコボルドと対峙する彼女の言葉に、老人はハッとした表情を浮かべて周囲を見やる。
 自分の背に乗っていたコボルド達は風の鎚で吹き飛ばされて地面で伸びており、未だ立ち上がる事が出来ない。
 巻き込まれていない連中も突然の奇襲で怯んでいるのか、地面に付したままの老人に近づくヤツは一匹もいない。
 厳しい森の中で生きてきた彼の体力ならすぐにでも立ち上がり、カトレアと呼ばれた少女のいる所へ走ることなど簡単であろう。
 しかし共に同伴し、今も尚命の危機に晒されているニナを放っておくワケにはいかなかった。

 まだ付き合いは短いが、記憶を失い実質的に天涯孤独となってしまった少女を見捨てて一人隠れる事など…誰ができようか?
 見ず知らずの他人に後の事を任せ、一人勝手に逃げて隠れるのならば、この老体に鞭打って抵抗してみようじゃないか。
 老人は黒髪の女の言葉を振り払うかのように首を横に振って素早く腰を上げると、自身の体に久々の気合を入れるために拳を鳴らす。
 今もな身体を鍛えるかのような生活をする彼にとって、それくらいの事は欠伸が出るくらいに造作も無い事だ。
 皺の多い顔には絶対的な決意に満ちた表情を浮かべたその姿は、とても老人とは思えぬ雰囲気を放っている。
 その気配を背中越しに感じた黒髪の女は、軽いため息をついた。

(老いても尚戦意を失わぬ古代の戦士とは、彼の事を言うのかもね…)
 一人寂しく例えながらも、黒髪の彼女は一人呟く。


「まぁその分、私は前の方に集中できるから良いけど…――良いんだけれど――――いてもいなくても同じかもね」
 誰にも聞こえぬくらいの小声で何気に毒のある事を言った後に、スッと腰を低くして身構える。
 目の前の不届きな化け物どもを蹴散らして少女を救い、この林道一帯の平和を取り戻すために。





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