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ルイズと無重力巫女さん-66





 彼女は失ってしまった。心から良かったと叫べるほどの゛幸福゛を。

 あの狭い箱庭のような世界で限られた自由しか与えられず、常に血の匂いを漂わせていた彼女が唯一欲していたもの。
 それと触れ合う時だけ心の底から自由だと思い、血生臭い自分を一時の間だけ忘れさせてくれるような、そんな存在を求めていた。
 しかしそれは、彼女に戦う事を強いらせた者からなし崩し的に手渡された、胡散臭い゛幸福゛であった。
 一度はそれに抵抗を示してしまい距離を取ろうとしたが、結局のところ彼女自身がそれを快く受け入れてしまう。
 何故なら、憎い相手から受け取った゛幸福゛は戦う事しかできなかった彼女にとって、唯一の生きがいとなっていたのだから。
 常に自分の傍に居続け、喜怒哀楽を共にしてくれる゛幸福゛に、彼女は生き続けていて良かったとその時思った。
 日頃から無口であり、時に戦うことあれば生まれた時から持つ力で、獲物を食い散らす獣と化していた彼女。
 そのような者が人らしい幸せを享受できるほどに、その゛幸福゛には大きな力があったのである。

 しかし、その時の彼女には知る由も無かった。
 彼女に戦いを強いらせ゛幸福゛を授けた者が、二人を「教師」と「生徒」という関係で見ていた事。
 時が来れば彼女と共に笑う゛幸福゛を、第二の゛彼女゛へと仕立て上げる残酷な事実すらも知らずに、
 彼女は゛幸福゛をゆっくりと育て上げていった。すべてを知るその時まで。 

 そして、全てが手遅れとなってしまった時に真実を知った彼女は、その世界から消え去った。
 最初からその世界に存在せず、傍にいた゛幸福゛すら幼少時の幻覚だったのだと思ってしまうほどに…



 腰まで伸びた黒髪を持つ女が、川辺に佇んでいる。
 身じろぎ一つすることなくまるで時が止まったかのように、その場で静止していた。

 川のせせらぎと夜空を隠す木々の葉が擦れる音が、水で濡れた耳に入ってくる。
 自然が奏でる癒しの音を聞きながらも紅白の巫女服を身に纏う彼女は、ふと辺りを見回す。
 赤と青の月が照らす川岸には、今この場ではあまりにも不気味としか言いようがない光景が広がっていた。
 葉と葉が擦れる音を奏でる樹木には赤い血しぶきがこびりつき、艶めかしく赤色に輝いている。
 水の精霊が奏でるハープの音色を思わせる綺麗な川のせせらぎを聞く岸辺には、子供ほどの大きさしかない人影が横たわっている。
 しかし月明かりに照らされる頭は人のそれではなく、動物や人を群れで襲い食い殺してしまう山犬と酷似していた。
 体も良く見れば茶色の体毛に覆われ、犬のそれと同じような尻尾も生えている。
 握力を失った手にはそれぞれ剣や槍に斧といった獲物が握られ、少なくともある程度の知能があったのだとわかる。
 人々は奴らのような犬頭の亜人を、コボルドという名前で呼んでいた。

 本来なら旅人を襲って殺しては身ぐるみとその肉を剥ぎ、時に誘拐すら行う彼らは川岸で事切れている。
 その頭に相応しい犬歯が覗いている口からは血を流しているが、不思議な事に目立った外傷は見られない。
 目を見開き、驚愕に満ち溢れた顔で死んでいる様は、まるで唐突な発作で死んだかのようだ
 一匹だけではなく、何匹も同じ死にざまを見つめる女の眼差しは、氷の様に冷たい雰囲気を放っている。
 まるで亜人を単なる畜生としか見てないかのように、彼女はコボルドの死体を見つめていた。

 静寂さと自然の音が見事に調和した空間に、不釣り合いな肉片と返り血でもって台無しにした者は誰なのか?
 この場にいる女はそれを知っていた。知っていたからこそ、その場を動こうとはしなかい。
 何故ならば、この殺戮から逃れたコボルドがたった一匹、彼女の目の前にいたのだから。
 先程まで生きていた仲間たちと共に女を襲い、そしてボロ雑巾も同然となった犬頭の亜人が。

 そのコボルドは、目の前の人間に向かって地を這っていた。
 右の手足を失った亜人の這いずる姿は、まるで死に瀕した芋虫のようである。
 爆発で吹き飛んだかのような傷口からは今も血が流れ、水を吸って元気に育つ川辺の草を真っ赤に染めていく。
 人間ならば出血多量で死んでもおかしくはないが、コボルドの様な亜人たちに人の常識は通用しない。
 彼らは時として人を武器や牙で殺すことは勿論、一部の者たちはこの地に眠る精霊の力を借りる事もできる。
 最も彼の様な普通のコボルドとその仲間゛だった゛者たちは腕っぷしと人より少し上程度の体力があるだけで、トロル鬼やオーク鬼の様な怪力は持っていない。
 頭も翼竜人や吸血鬼の様に賢いとは言えず、ましてやエルフの持つ崇高さすらなかった。
 それでも彼らは、コボルドとしての生を誇りに思って生き続け、今日まで戦ってきたのである。
 しかしその誇りを抱いたまま、今まで屠ってきた人間の一人に倒されるという覚悟まで背負ってはいなかった。


「…聞きたいことがあるの。言葉が通じるかどうか知らないけど」
 戦う意思を失うことなく自分の方へ這ってくるコボルドへ向けて、女は喋った。
 二十代後半を思わせる低音と高音が程よく混じった声に、亜人はその場で這いずるのを止める。
 少なくとも人語が分かるのかしら?彼女は疑問に思いつつ、今聞きたいことをその場で勝手に喋り出す。
「どうして、私に襲い掛かってきたのかしら?アンタたちの事はおろか、自分が誰なのかすら知らないというのに」
 疲労の色が少しだけ見える表情を浮かべた女の言葉には。この場で起きた惨劇の犯人が誰なのかを物語っている。
 そう…この綺麗な場所を血に飢えた亜人たちの屍で汚したのは、彼女自身であった。

 ◆

 今から数分程前に目を覚ました彼女は何もせずに水辺で佇んでいた所を、コボルド達に襲われたのだ。
 死にかけているリーダー格を含めて五体、皆が皆それなりの経験と場数を踏んだ戦士たちであった。
 だが…その戦士たちが彼女と戦った結果は、綺麗な水場を自らの血肉で染め上げてしまうだけに終わった。

 これまでどおり人間を八つ裂きにしようとした亜人達も、まさかこうなるとは思っていなかっただろう。
 何せ一目見ただけでも、この地方では珍しい身なりをした長い黒髪が特徴の人間の女だ。しかも杖の様なものは持っていない。
 相手がメイジで無ければ恐れるに足らずという意思でもって、彼女に襲い掛かったのである。それが間違いだとも知らずに。
 その後の数分間で、犬頭の亜人たちは一匹、また一匹とただの肉塊へと変えられた。彼女が唯一持っていた゛武器゛によって。
 それは剣や鎚も槍でも無く、弓矢やここ最近見るようになった゛銃゛ではなく、ましてやあの魔法を打ち出す゛杖゛でもない。
 自分たちが見つけた獲物の武器は、その体から出るとは思えぬ強力な力を宿した゛拳と脚゛だったのだ。

 青い光を纏い、目にも止まらぬ速さで繰り出される拳は跳びかかった同胞の胸を貫いた。
 同じように発光する足には丈夫なブーツを履いており、それで蹴飛ばされた同胞は気づく間もなく一瞬で事切れる。
 突撃した同胞が一気に二体もやられた事に狼狽えた一体が、近づいてきた彼女のチョップで脳天を打たれて死んだ。
 四体目はすぐさま自分たちが押されているという事に気づいたが、その直後に頭を横から蹴られ、周囲に脳漿を飛ばす。


 そして最後に残ったリーダー格があまりの展開に驚愕しつつも、無意識に手に持った斧を前へと突き出した。
 せめて次の攻撃を防いでカウンターを繰り出そうとした彼の考えに対し、目の前にいた女が地面を蹴って距離を詰めてきた。
 来るなら来い!覚悟を決めたリーダー格のコボルドであったが、突如として右の手足から激痛を感じると共に、その体が後ろへと吹き飛んでいく。
  一体何が…そう思うのも仕方ないとしか言いようがないだろう。
 何せ黒髪の女は彼に接近した直後、青く光る左手のチョップでもって亜人の右手足を粉砕したのだから。
 まるで林檎を素手で砕いたかの様にコボルドの手足゛だったもの゛が空中へ四散し、塵芥と化して周囲に散らばっていく。

 そして自分がどうしようも無い状況に立たされたという事をコボルドが自覚した時、戦いは終わっていた。
 否、それを第三者が何も知らずに見ればこんな事を言うだろう―――ちがう、あれは単なる゛虐殺゛だったと。

 ◆

 戦いが終わってから、彼女はこんな疑問を抱いていた。
 何故自分が襲われたのか、そもそもこの犬頭の怪物たちは何なんのだという事。
 そもそも自分は誰なのか、どうしてこんな人気のない所にいたのかという謎を抱えて、コボルド達と戦っていたのである。
  もしかすれば、あの犬頭達は何かを知っているのかもしれない…。
 そんな考えでもって、致命傷を負い一匹だけ生き残ったコボルドに話しかけたのである。

 しかし…少し小突けば死ぬような体で受け答えできるのか、そもそも人間の言葉を解するかどうかも良くわからない。
 仮に意思疎通ができたとしても、自分の事を知っているのかもしれないという可能性は、もはや゛賭け゛以外の何物でもない。
 それでもやってみなければ分からないという意思での問いかけは、亜人の口を動かさせる事に成功した。
「ウグ…ル…ルル…――――知ラ、ナイ…俺タチモオ前ノ事、全ク知ラナイ…」
 片言ながらも喋る事ができたコボルドを女以外の人間が見ていれば、さぞ驚いていただろう。
 コボルドは基本人の言葉は分かるが喋る事ができず、意思の疎通がほぼ不可能と言われてきたからだ。
 もしもこのコボルドを人目の付かない場所に隔離し、亜人の研究家に見せてやれば泣いて喜ぶに違いない。
 だが黒髪の女にとって゛人語を喋れるコボルド゛ということ自体にさして関心はなかった。
 大事なのはただ一つ、それは目の前の亜人が゛こちらの質問に答えてくれる゛という事だけである。
 そして、先程コボルドが返した言葉で確信し、得ることができた。
 この怪物と意思疎通が可能なのだという事と、賭けに失敗したという落胆せざるを得ない事実を。

「あっ、そう…アンタが私の事を知らない、というのならそれはそれで良いわ」
 あまり期待はしていなかったし。少し残念そうな声でそう返すと、露出させた両肩を竦めて見せる。
 服と別離した白い袖はよく目にする人間の服とは印象が違い、コボルドの目が自然とそちらへ動く。
 それを気にもしない女は初夏の風は少し肌寒いと思っていた時、亜人が再びその口を開けた。

「デモ…俺タチガオ前ヲ襲ッタ事…何モオカシイコトジャナイ」
 コボルドの口から出たその言葉に、女の目が鋭い光を見せた。
 黒みがかった赤色の瞳でもって、瀕死の亜人をそのまま殺さんとばかりに睨みつけている。
 しかし体はボロボロでも亜人としてのプライドを残しているコボルドは、それに怖気づくことなく喋り続ける。
「オ前タチ人間、イツモ…平気デ生キ物殺ス…食ベル為ニ…毛皮ヤ角ヲ取ルタメニ…」
 ソシテ、単ナル娯楽ノ為ニ――――最後にそう付け加えてから、亜人は一度深呼吸をした。


 口を開けて息を吸い、吐き出すたびにヒュウゥ…ヒュウゥ…という背筋を震わせてしまうような不快な音が周囲に響き渡る。
 息苦しい事がすぐに分かる呼吸の様子を見つめながら、黒髪の女は喋り出す。
「それと私を襲った事に、何の関係があるっていうのよ?」
「ゥウ…――人間ハイツモ、一方的ニ殺シテイク…俺、ソレガ許セナイ…」 
「…だから、人間である私を襲ったって事よね?森を荒らす様な連中の仲間は、死んで当然だという一方的な考えで」
 ため息を混ぜてそんな言葉をくれてやった彼女であるが、不思議な事にコボルドは返事をよこさない。
 今まで地面を見ていた顔を彼女の方へ向けて、闇夜の中で茶色に光る両目で見つめている。
 一体どうしたのかと思った時だ。地面に這いつくばる亜人が一言だけ、こんな事を呟いた。

「ニンゲン…?オマエヤッパリ…ニンゲン…ナノカ?」

 質問するかのような言い方に、流石の彼女も目を丸くした。
 まるで単なる銅像が「俺は人間だ」と叫んだ瞬間を目撃したかのような、信じられないという思いに満ちた様な言い方。
 人間である筈の彼女はそんな風に言われて驚いたのだが、そこから落ち着く暇もなくコボルドは言葉を続けていく。
「最初ニオマエ見ツケタ時…俺タチオマエガ人間ナノカ不思議ニ思ッタ…」
「不思議に…それってどういう意味よ」
 目を丸くしたまま動揺を隠せぬ巫女の追及に、コボルドは怪我を忘れたように喋り始める。
「俺タチノ様ナ種族ハ…マズニオイト気配デ…相手ガ何、ナノカ…ワカル。人間ナラ…スグニワカル。
 ケド…オ前ノ体カラ滲ム、匂イト気配ハ…トテモ人間トハ思エナカッタ……」
 もう残された時間が僅かなのか、喋る合間の呼吸の回数が増えていく。
 だけど亜人は喋り続ける。まるで自分を見下ろす女に何かを伝えようとしているかのように。
 女は女で微動だにする事無くただ目を丸くして、自分が人間なのか疑問を覚えた奴の話を黙って聞いていた。
 そして…その命も風前の灯火同然となったコボルドは、本当に言いたかったことをようやっと口に出し始める。

「アレ、最初…ニ感ジ、タ時…俺、身震イ、シタ…。デモソ、ノ姿見タ時、スゴク…驚イタ。
 オマエ、人…間ナノニ何デ体ノ中ニ血生臭イ溜マッテル?何デ自分デ…気ヅカナイ?
 良ク、イル…人間、ハソンナ…匂イ出サ、ナイ………オシ、エロ…オマエ――――――ニンゲ…ンジャ」

 ――――――――ニンゲンジャ、ナインダロ?

 それを最期の一言にしたかったコボルドはしかし、その言葉を口に出せなかった。
 いや、正確にいえばそれを発言する前に止められた…と言えば正しいのだろうか? 
 体力はあとほんの少し残っていただろうし、喋ろうと思えば簡単に喋れた筈だ。
 けどそれでも言う事が出来なかったのかと言えば、たしかにそれを言う事はできなかったであろう。

 何故なら最期の一言を口から出す前に、コボルドの頭は踏み潰されたのだから。
 赤い目を真ん丸と見開き、その顔に動揺を隠し切れぬ巫女のブーツによって…

 街の靴屋でもそうそうお目に掛かれない様な実用性に優れる黒いソレの下には、見るも怖ろしい肉片が散乱していた。
 紅い肉片がこびりついた茶色の毛と辺りに散らばった汚れた犬歯に…川の方へと転がっていてく一個の眼球。
 まるで持ち主の魂が宿ったかのような黄色の球体はそのまま川へと入り、流れに乗って何処へと流れていく。
 もう片方の眼球は、頭を踏み抜いた女の足元でその動きを止めた。まるで持ち主を殺した相手を睨みつけるように。
 先程まで生きていた命を自らの手で紡いだ黒髪の巫女は横殴りに吹く夜風に当たりながらも、ゆっくりと思い出していた。
 それは急所を潰されて息絶えた亜人の口から放たれた、自分に関する言葉の数々である。
「人間…だったのか?…体の中から…血生臭い匂い…」
 まるで録音したテープを巻き戻し、再生するかのように生前のコボルドが口にした言葉を喋りなおす。
 相手の頭を踏み潰した足を動かせぬまま、彼女は一人呟きながら左手で自分の胸に触れた。
 白いサラシと黒のアンダーウェア、そして赤い上着越しに感じられるのは控えめに見えて少し大きな感触と僅かな温もりだけ。
 そこから上下左右に動かし力を入れようとも、亜人の言ったような゛血生臭い゛匂いなど漂ってこない。
「まぁ当たり前なんだろうけど…さぁ――――ん?アレ…っえっ?」
 我ながら阿呆な事をしていたと軽く恥じつつ手を下ろした時、彼女はある事に気が付いた。
 最初はその゛気づいたこと゛にキョトンとした表情を浮かべたが、次第にその顔色が悪くなっていく。
 先程と同じように目が見開いていき、胸に当てていた左手で口元を隠した彼女の額からは、ゆっくりと冷や汗が出てくる。
 取り返しのつかない事をしたのに後々気づいた人間が浮かべる様な表情を見せる女は、自分が何をしたのか今になって気が付いた。


 どうして、死ぬ寸前のヤツをわざわざ念入りに殺したの?

 しかしその事を問いただす言葉は、彼女自信の口ではなく―――彼女の頭上から聞こえてきた。
 少なくとも彼女の少ない記憶には覚えのない、低く太い女の声が、血肉に塗れた川辺に響き渡る。
「はっ――――…なっ…!?」
 突然の事に多少驚いた彼女はその場で振り向いて顔を上げ、そして驚愕した。
 こちらを見下ろす低い声の正体を見れば、きっと誰もが彼女と同じ反応を見せたであろう。

 彼女から一メイルほど離れた場所に、黒い服を纏った見知らぬ長身の女が佇んでいたのだ。
 いつの間にかいた相手に驚きを隠せなかった彼女であったが、それと同時に相手が゛長身゛という単語では表現できぬほど大きい事に気づく。
 幾ら世界広しと言えども、八尺もの背丈を持つ人間などいる筈もないのだから。
 八尺の女はその体に相応しい位に伸ばした黒髪の所為で、どんな顔をしているのかまでは分からない。
 だけどそれを見上げる彼女はあの低い声の主がコイツなのだと知っていた為、少なくとも美人ではないだろうと予想していた。
「何よ、コイツ…一体いつの間に」
 突如現れた八尺の女に狼狽える事を隠せぬ彼女は、問いかけるような独り言を口から漏らす。
 無理も無い。何せ自分よりも数倍ほどの身長を持つ人間を前にしているのだから。
 周囲が暗い事もあって全体像が不鮮明すぎる八尺の女は、何も言わずに佇んでいるというのもより一層不気味さを増している。
 理由もわからずにして起こった異常事態にどう対処すればいいのかと女が考えようとした時、再びあの低い声が聞こえてきた。

「――――の巫女だから?使命だから?鬱陶しいから?……それとも―――――」

 「それとも…」という所でふと喋るのをやめた相手の言葉の一つに、彼女はキョトンとした表情を浮かべる。
 巫女って言葉は…何かしら?他とは違い、明らかに何かの意味がありそうな単語に、彼女は疑問を感じた。


「――――…っ!」
 その『何か』が気になって質問しようとした直前、八尺の女が唐突な動きを見せた。
 文字通り八尺もの長さがある体の丁度真ん中部分が、音を立てずに折れ曲がったのである。
 まるで細い切り枝を片手で折った時のように、アッサリと行われた行為に驚かぬ人はいないであろう。
 その内の一人である彼女もまた例外でないようで、口を小さく開けて放心寸前にまで驚かされた。
 ましてや、折れ曲がった八尺の女の顔が丁度彼女のすぐ上にまで近づいてきたのだから余計に驚いたであろう。
 だがしかし、自分の体が折れた八尺の女はさも平気そうな様子で彼女のすぐ頭上で口を開き…囁いた。

「私たちを殺すのが―――とっても、楽しいから?」
 その言葉が聞こえた瞬間、彼女は見た。醜く傷ついた女の顔を。
 まるで金槌を何度も叩きつけられたかのように腫れあがって紫色の腫物となり、顔を大きく見せている。
 口の端から流れ落ちる一筋の血はどす黒く、体液ではなく瘴気を吸収した毒の水にも見えた。
 目を背けたくなるモノという言葉は、きっとこういうモノを目にしたときに使えばいいのだろうか?
 そんなどうでもいいことを考えている彼女の事など見ず知らず、醜悪な面を向ける女が口を開く。
 まるで決壊した水門から土砂交じりの水があふれ出すようにして、黒に近い血がこぼれてくる。
「私だッて生きてテいタい――デもおマえは殺しタ」
 そんな事を言ってきた時、彼女はある事に気が付く。
 口から大量の血を吐き出しながら喋る女の眼窩には、本来あるはずの目玉が無かったのである。
 ぽっかりと空いた二つの暗く小さな穴は不気味であり、まるで亡者を引きずり込む地獄へ直結しているかのようだ。
 取れた眼球はどこへ行ったのかという疑問など湧いてこず、彼女は何も言えずに八尺の女の前にいる。
 ただただ息を呑み赤い目を見開くその顔には戦慄に満ちた表情が浮かび、これからどうなるのかという不安を抱いていた。
「オまエはもう引キカエせナい。ズっとずットオまエは誰カを傷つケなガラ生きテいク」
 潰れた蛙の様な声で喋る度に痣だらけの顔が溶けていく中で、八尺の女は窪みしかない眼窩で目の前の相手を睨み続ける。
 コボルドと対面していたときの態度は何処へやら。今の彼女はまるで壁の隅で縮こまる軍用犬であった。
 彼女は恐かった。目の前にいる得体の知れない女が、自分が忘れてしまった事を知っているようで。
 同時にそれを口にし続けられ、自分が忘れていた事を思い出してしまう事の方が、何よりも怖かった。

 知ってしまえば、何をしてしまうのかわからない。きっと良くない事が起こる気がする。
 そうなる確証は無い。しかし本能が訴えているのだ。聞き続けるな、何としてもヤツの口を黙らせろ、…と。

「ソうシておマえハ血ノ道ヲ作リ続け、怨嗟ト憎悪に満チた私タちがそノ道を通っテいク…おマエを、ずっト呪イ続けルたメに」
 酷く崩れていく八尺の女を前に、首を横に振りながら彼女は後ろへ後退り始める。
 その顔を見れば逃げようとしているかのように見えるだろうが、実際はそうでない。
 だらんと下げていた左手の拳にゆっくりと力を込めて、攻撃に移ろうとしているのであった。
 後ろへ下がるのは距離を取るためであり、彼女自信ここから逃げようという気など微塵も無かった。
 コボルド達を倒したという事もある。顔を狙えば一発で黙らせることができる。
 そんな自身を抱きながら、彼女は心の中で拒絶の意思を述べる。自らが忘れてしまった゛何か゛へ…

 もう聞きたくないし、知りたくも無くなった…だから、私の目の前から消えてくれ――――

 そんな事を心の中で思い立ながらも、彼女は思う。
 先程まで知りたかった事実をアッサリと拒否する事は、いささか可笑しいものがある。
 それでも彼女は拳を振り上げた。嫌な事全てから目を背けるようにして、青く光る゛キョウキ゛で殴り掛かろとした。



「貴女は昔からその調子ね。口下手だからすぐに拳が出る。それが貴女の良くない癖よ?」


 その瞬間であった。自分の真後ろから、何処かで聞いたことのある別の女の声が聞こえてきたのは。
 硝子で作られたベルが奏でる音の様に透き通った声色に、彼女はある種の゛懐かしさ゛というものを感じてしまう。
 目の前いるおぞましい相手をすぐ殺そうとしたのにも関わらず、振り上げた拳が頭上でピタリと止まる。
 そして、拳を包む青い光が消えたと同時に彼女はソレを下ろしてから、後ろを振り向く。

「けれど貴女はハクレイの巫女。時にはその力でもって、聞き分けのない連中を捻るのも仕事なの」
 そこにいたのは…白い導師服を身に纏う、微笑を浮かべる金髪の女性だ。
 腰まで伸ばした髪に青い前掛け、そして夜中だというのに差している導師服とお似合いの真っ白な日傘。
 まるで絵画の中からと飛び出してきたかのような絶世の美女が、いつの間にか後ろに立っていた。
 振り返った彼女がその姿を目にして驚き、同時にどこか゛懐かしいモノ゛を感じ取った瞬間、目の前を暗闇が包んでいくのに気が付く。

 あぁ―――意識が落ちているのか。
 それに気が付いた瞬間、彼女は深い眠りについた。




 晴れた日の夜風は、どの季節でも体に良いものだ。ピンクのブロンドを持つ彼女はそんな事を思う。
 ちょっとした事故で馬車が止まった時はどうしようかと思ったが、思わぬ幸に巡り会えたのは奇跡と言って良い。
 もう半年したら少しだけ切ってみようかと考えている髪を撫でていると何を思ったのか、窓からひょっこりと顔を出してみる。
 馬車に取り付けられたカンテラの下で見る林道は何処となく不気味であるが、怖いとは思わない。
 彼女自身気の抜けた性格の持ち主という事もあるのだが、何よりも傍に数人の従者たちがいるのも理由としては大きい。
 遠出の護衛としてついてきた彼らは、王宮勤務の魔法衛士たちとよく似た姿をしている。
 その姿に負けぬくらいに凛々しく忠誠心溢れた彼らは、彼女の乗る馬車の周りに集まっていた。
 理由は一つ。それは道の真ん中で立ち往生している馬車を、なんとか動かそうとしている最中であった。

 今から数分前に、とある場所を目指していた彼女の乗った馬車が、突如大きな揺れと共に止まったのである。
 何事かと思い車輪を調べてみたところ、どうやら林道の真ん中にできた窪みに右後ろの車輪が嵌ってしまったらしい。
 馬車を動かしているのは人型のゴーレムだという事もあって、護衛達が窪みから車輪を出す事となった。
「良し、私の合図で二人が車輪を浮かして…私と残りの三人で馬車を前に押す。分かったか?」
 護衛部隊のリーダーである太い眉が目立つメイジがそう言うと、他の五人のメイジは無言で頷く。
 主人であるピンクブロンドの女性を守るために訓練を積んだ彼らは、王宮の魔法衛士隊と戦っても引けを取りはしないだろう。
 引き締まった表情と、不用意に近づいてきた相手を斬り殺さんばかりの緊張感を体から出している彼らには、それ程の自負があった。

 そんな時、窓から顔を出して様子を見ていたピンクブロンドの女性がその顔に微笑みを浮かべて言った。
「ごめんなさいね。本当なら私たちが馬車から降りた方がもっと軽くなるのに…」
 敬愛する主からそんな言葉を頂いた六人の内、太眉の隊長が慌てた感じですぐに返事をする。
 まるで神話に出てくる女神が浮かべるような優しげな笑みを見れば、誰もが口を開いてしまうだろう。
「えッ…!あっ、いえ、そんな、私は貴女様からのお気遣いだけで充分であります故!」
「そう?でも無理はしないでくださいね。貴方達の歳なら人生これからっていう時期なんだし」
 隊長格のお礼を聞いて女性はそう答えたが、その言葉には何か違和感の様なものがある。
 外見は隊長格やほかの護衛達よりも年若いだろうに、まるで自らの死期を悟った老人だ。

「それじゃあ、申し訳ないけどお願いね」
 彼女はそれだけ言うと頭を引っ込め、座り心地の良い馬車のシートに腰を下ろす。
 それを見て向かい側にいた眼鏡を掛けた侍女が、申し訳なさそうに口を開いて言う。
「主様…言いにくいのですが、あのような弱気の言葉を吐かれては、また体調が悪くなってしまいますよ?」
 主治医殿もそう言っていたではありませんか。最後にそう付け加えて、侍女は主と慕う女性に苦言を告げる。
 人付き合いが好きなピンクブロンドの主はその言葉に軽く微笑みと共に、言い返してきた。
「ふふふ…心配ご無用、私はそう簡単に死にはしないわ。逆にこういう事は軽いジョークで言うのが良いのよ」
 主治医殿がそう言っていたわ。先程侍女が口に出した事を真似た様な言葉を付け加え、主はカラカラと笑う。
 その雰囲気と元気に笑う姿と表情だけを見れば、彼女を知らぬ人間は思いもしないであろう。
 絵画の中から出てきた女神のような美貌の持ち主が、複雑な重病を患っていると…

 それから数分も経たぬうちに、馬車は再び走れるようになっていた。
 主と侍女の乗る御車台を引っ張る馬たちを離してから御車台そのものを魔法を浮かせる。
 後は窪みから離れた場所で下ろし、再び馬たちを御車台を引かせる…という作業は、思いのほか短い時間で済んだのだ。
「良し、これでもう大丈夫だな」
 窪みに嵌っていた車輪に異常が無い事を確認した隊長格は、覇気のある声で一人呟く。
 他の護衛達は後ろに待機させている馬に跨っており、窪み自体も土を被せて塞いである。
 自分たちだけではなく、後からここを通る人たちの事も考えての事であった。
 窪みがあった場所は何回か踏んで安全を確認した後、隊長格は手に持った地図を見る。
 場所のカンテラを頼りにこの土地の事を調べた後、彼は馬車の中にいる主へと声を掛けた。

「カトレア様。この先を行けば宿のある村に着くそうです。今夜はもう遅い故、そこで一旦足を止めましょう」
 狼の遠吠えが何処からか響く森の中、カトレアと呼ばれたピンクブロンドの主はゆっくりと頷く。
 地図を見れば自分が行きたい場所とはまだまだ離れている。しかし、それもまた長旅の醍醐味と言えよう。
「どんな事でも一歩…また一歩と、ゆっくり楽しみながら進む事が肝心なんだと…私は思うのよ」
 例え目的地が遠くともね。そんな一言を呟き、カトレアは微笑んだ。



 深夜の闇には、不気味な何かを感じてしまう。
 そんな事を最初に思ったのが五つの頃で、今からもう七十年近く経っても変わらない。
 気を抜けば窓越しにみる森の中から何か現れるのではないかという妄想を、抱き続けている。
 たかが妄想と若者や町から来る人々は言うかもしれないが、それを妄想と言い切る証明は無い。
 どんなに否定しようとも、世界は不思議に満ちているのだ。それが目に見えぬものだとしても。

「いや、目に見えるモノの方がいいのかも知れん。不可視のモノに怯え続けるよりかは…」
 老人は胸中で見らしていた言葉を呟いてから、コップの底に残っていた水を勢いよく飲み干す。
 木々に囲まれた家の中から見る森というのは木季節に関わらず不気味なもので、常に嫌な妄想を抱かせてくれる。
 ここから少し離れた所には他の人たちも住んでいて賑やかなのだが、今更あの土地に新居は作れはしないだろう。
 最も、ずっと昔の先祖から引き継いできたこの土地を手放す事など、彼はこれっぽっちも考えてはいない。

 不気味ではあるがそれなりに住みやすい場所だし、何より静かな土地だというのも気に入っている理由だ。
「こんな場所、俺が死んだあとは若い連中が入ってくるんだろうなぁ…」
 老人が孤独死した、魔の土地として…ため息交じりに呟き、テーブルにコップを置いてカンテラの灯りを消した。


 今年で七十五、六という年齢に入った彼は、とても老いた者とは思えぬ体躯の持ち主であった。
 無論、若かりし頃と比べれば大分劣ったと彼自身も自覚するが、山で仕事をするには十分の体力は残っている。
 街で見かけるような同年代の老人たちと比べれば驚くことに、彼の体は四十代後半くらいの若さと力を保っていた。 
 それだけあれば木を伐採するための斧や鉈を片手で持てるし、丸太を背負って家と山を一日に何回も往復できる。
 文明圏で暮らす人々が想像するよりも、山というのは過酷な場所だ。
 老人の体が年齢不相応な力を保持し続けているのは努力ではなく、ここで生きていく為の証明であった。

 家の灯りを消し、何回も補強したドアの鍵が閉まってるかどうか確認してから、彼は寝室へと足を運ぶ。
 何回も踏み続けた廊下の床が軋む音を上げ、暗闇に包まれた家の中に外の不気味さを持ち込んでくる。
 台所とリビング、そして玄関があるリビングから入れるこの廊下はそれ程長くは無く、三十秒もあれば奥にある裏口へとたどり着ける。
 その間にあるのは彼の寝室と、ワケあって掃除したばかりの物置部屋へと続くドアがあるだけ。
 本当なら寝室に入ってベッドに潜り込みたいところだが、その前にある物置部屋に行く必要があった。
 別にその部屋に寝室のかぎが置いてあるワケではない。ただ、つい最近ここに回い込んできた゛少女゛の様子を見る為である。
「ん……明りが?」
 廊下を歩き始めて十秒もしない内に、彼は物置部屋へと続くドアの下から小さな光が漏れている事に気づく。
 ぼんやりとドアの下を照らすそれを見てしまえば安堵感よりも、更なる不安を感じてしまうだろう。
 少しだけ臆病な老人がその明りに気が付き、一瞬だけ足を止めてしまったのもそれが原因だ。
 しかし、彼は小さなため息をつくと再び足を動かし、ついでそのまま物置部屋のドアをゆっくりと開けた。
 その先には、古びたソファに腰かけて窓の外を見やる幼い少女がいた。

「ニナ…まだ起きてたのか?」
 寝てなきゃ駄目だろう。叱るとは言えぬ声色で呼びかけると、ニナと呼ばれた少女が老人の方へと顔を向ける。
 あどけなさが色濃く残るぬいぐるみの様に愛らしい顔に、キョトンとした表情が浮かぶ。
 ベッド代わりのソファに膝を乗せて夜空を見上げる体は年相応でまだまだ人として未発達だ。
 世の中にはそういうのを好む男性が数多く存在するが、幸いな事だが老人にそのような嗜好は無い。
 それよりも今の彼が気にしている事は、まだここに住み始めてから間もないこの子が未だ起きている事だった。
「子供はもうとっくの前に寝てないと体があんまり育たたんぞ、知らんかったのか?」
 今みたいに夜更かししてたら、全然大きななれんぞ。一人呟きながらも老人はソファの下にあるカンテラの灯りを消した。
 文明の光は呆気なく消えたが、それを待っていたかのようにニナと呼ばれた少女が言った。

「さっきね、二ナの事を窓から迎えに来てくれる黒い人の夢を見たの。不思議でしょう?」
 アタシ、何も覚えてないのにね。楽しそうに喋る彼女の頭を、老人はそうかそうかと返しながら撫でる。


 この世界には不思議な事などいくらでもあるが、それと同じか…あるいはそれ以上に色々な事柄で満ちている。
 幸せな事、優しい事、美しい事、悲しい事、血生臭い事、怖い事、忘れてしまいたい事、そして―――――残酷な事。
 七十年も生きてきた老人は思いつく限りの事柄を経験してきたし、どんな人間でもいずれは体験せねばならない事だと思っている。

 しかし始祖ブリミルよ、これは残酷ではないだろうか?こんな小さな子に、親も帰る場所も忘れさせるなんていう…残酷な事は。

 村の医者に記憶喪失だと告げられた少女の頭を撫でながら、彼は心の中で毒づいた。





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