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ルイズと無重力巫女さん-60-b





「だからこそ、今の貴女を霊夢のもとへ行かせるわけにはいきませんのよ?貴女の安全の為にね」

 程よい涼しさを持った風が吹くチクトンネ街の人気無い通りに、八雲紫の言葉が響き渡る。
 綿が入った枕の様に柔らかな笑みを浮かべた彼女の言った事に、ルイズは信じられないと言いたげに目を丸くする。
 かつて有無を言わさず、霊夢と共に自分を幻想郷へと連れ込んだ大妖怪の口から出た言葉とは思えなかったのだ。

「…どういう事よ。それ…?」
「さっきも同じような言葉を使いましたけど…文字通りの意味よ」
 突然おかしくなった霊夢から今に至るまでのアクシデントに遭遇し、尚かつ落ち着いてきたルイズの言葉に対し紫は簡潔に返事をする。
 その言い方から何か喋りたいことがあるらしいと悟ったルイズは何も言わず、とりあえずは彼女に向けていた杖を下ろす。
 先程とは違い怒る気も失せてしまった今の彼女には、妖怪と言えど他者に杖を向ける気は一寸ほども無くなっていたのである。
 ルイズ自身を含む貴族達にとって、名誉と命の次に大事なそれを腰に差した所を見て紫は「ふっ…」と息を吐く。
 まるで安堵しているかのようなその動作に魔理沙とルイズが注目したところで、紫はその口を開いた。

「ようやく下ろしてくれたのね。これであの爆発にビクつく必要も無くなったわ」
 彼女の口から出た言葉はしかし、ルイズと魔理沙の安心を招かせることは無かった。
「…嘘をつく気が無いと確信できるほどの、清々しい嘘ね」
「むしろ、お前が何かに恐怖する姿を思い浮かべてみるのが困難な事だぜ」
 トドメと言いたげな魔理沙の言葉の後、ほんの二、三秒程度の沈黙を入れて紫は口を開く。
「――――貴女たちの過大評価に一応は喜んでおきますけど、…逸れてしまわない内に話を戻しましょう」
 自分の言葉で話が脱線しかけたのに気が付いたのか、こちらを凝視する二人にそう言った。
 二人の内ルイズがその言葉でハッとした表情を浮かべると、紫に向かってこんな質問を投げかける。
「それでどういう事なのかしら?私の安全の為が文字通りの意味って…」
 その表情を怪訝なモノへと変えたルイズからの質問に紫は「何処から話せば良いかしら?」と言いつつ、最初に一言を口に出す。 
「今回の異変で最も重要な人物は霊夢ではなく、実のところ貴女だと私は思ってるの」


「―――…何だって?」
 色の濃い金髪を陽光に照らされた紫の言葉にまず驚いたのは、意外にもルイズではなく魔理沙であった。
 唐突な介入者の言葉にルイズが咄嗟に振り返ると、少しだけ目を丸くした魔法使いの姿が目に入った。
 声も表情も驚いた素振りを見せていることから、紫の口からあのような言葉が出るとは思っていなかったらしい。
 ルイズがそう感じた所で言った方も同じような考えだったのか、魔理沙に話しかけてきた。

「あらあら、まるで死にかけの恋人を見捨てろと言ったかのような反応をしてるわねぇ?」
「えっ?こい…ムグッ」
 紫の口から出た「恋人」というワードをルイズが真似て言おうとしたが、魔理沙が慌ててそれを止める。
 咄嗟に動かした左手でルイズの口を塞いだ彼女は、焦るようにこう言った。
「イ、イヤッ…!そんなもんじゃないぜ?ただ、お前の口からそんな言葉が出たことにちょっと驚いただけさ」
 それが言いたかっただけなのか、魔理沙はホッと一息ついてからルイズの口を自由にする。
 時間にして数秒だが鼻呼吸しかできなかったルイズは軽く深呼吸した後、恨めしい目つきで魔理沙を一瞥した。
 魂魄四、六回程度生まれ変わっても恨み続けるかのようなメイジの視線に対し、魔法使いは何も言わずにただ肩を竦める。
 恨むならお前の前にいる妖怪を恨んでくれ。そう言いたげな笑みを浮かべながら。
 一方、ここまでの原因を作ったであろう妖怪は何が可笑しいのか暢気にもコロコロと笑っていた。
 口を塞がれたルイズと口を塞いだ魔理沙の二人には理解できないが、どうやら彼女にとっては面白いやり取りだったらしい。



 五秒ほど笑った後、気を取り直した紫は魔理沙の口から出た言葉に少し遅い返事を送った。
「ふふふ…貴女がそれで良いのならそういう事にしておきましょうか」
 先程までやけに慌てていた魔法使いに対しそう言ってから、今度はルイズに話しかけようとする。
 未だ恨めしそうな目つきのままコチラに顔を向けているルイズに恐怖する筈もなく、紫は遠慮無しにその口を開く
「さて…貴女も魔理沙と同じようにおかしいとは思わないかしら…私の考えに」
 質問を出す側から出される側に回った彼女は数秒ほど黙った後、「確かにそうね」と言って頷いた。

 霊夢や魔理沙と同じく幻想郷出身であり今回の゛異変゛の被害者側である八雲紫が、何故自分の身を案じるのだろうか?
 強いて言えば加害者側に位置する自分の身の安全を優先する理由を、今のルイズには思いつくことができない。
 それでも何か返答らしきものを出さねばと思い、自慢の頭脳を少しだけ動かして自身の意見を述べた。

「仮に私が被害者側ならば…優先するべきは同じ側の命かしら?」
「うん、実に人らしい人として模範的な答えですわ。ただ…」
 あまりにも典型的過ぎるけど。最後にそう付け加えた紫の言葉にルイズは思わず顔を顰めてしまう。
 そんな彼女を更に煽ろうとはせず、紫は口を閉じることなく話を続けていく。

「私が貴女の身の安全を、霊夢よりも優先するその理由の一つ…それは幻想郷を知る唯一のハルケギニア人だからよ。
 霊夢をこの世界に召喚して使い魔契約を行った事により、結果としてこことは違うもう一つの世界の存在を知ってしまった。
 そして貴女が召喚の際に開いたゲートの力を利用して今回の異変の゛黒幕゛が、幻想郷を覆う博麗大結界に干渉…
 既に霊夢が何処へ行ったのか把握していた私は彼女と一緒に貴女を連れて帰り、結界の一時修復と異変が起きている事を伝えた」

 そこまで言った所で彼女はホッと一息つき、何故か顔を上げて空を仰ぎ見る。
 彼女の動きについついツラれてしまったのか、ルイズもフッと顔を上げたが…見えた先にあるのは単なる青空であった。

 僅かではあるが段々と赤くなっていく青空の中を無数の雲がゆっくりと歩く牛の様に前進していく。
 魔理沙は二週間近く、そしてこの場にいない霊夢は二ヶ月近く見てきたトリスタニアの空模様は、ルイズにとって何千回も見てきた変哲のない物。
 一体どうして、彼女は空を仰ぎ見たのだろうか?ルイズの頭の中をそんな疑問が光の速さで過っていった。
 ルイズ自身がその疑問に気づくことはなく、上げていた顔を下ろした紫は何事も無かったかのように話を続けていく。

「少なくとも、゛黒幕゛は私たち側の事情を良く知る人物が貴女だと分かっている筈よ?―――――…まぁ、あくまで推測の域を出ないけどね」
 唐突に聞こえてきた言葉でハッとなったルイズはすぐさま顔を下ろし、紫の言葉を脳内でリピートさせる。
 不敵を笑みを浮かべている妖怪の話は彼女にとってまさかと思うレベルではあるが、それをあっさり否定することができない。
 何故なら霊夢と共に彼女らの世界である幻想郷へと赴き、再びこの世界へ戻ってきてから色んな事が立て続けに起こったのだから。
 突如学院に現れたという蟲の怪物の話を霊夢から聞き、それから間もなくして近くの山中で自分達に襲い掛かってきた亜人と思しき存在。
 16年間生きてきた中で最も不思議な体験が現在進行中であるルイズにとっても、つい最近のアレは怖ろしい思い出だった。

 そして…蟲の怪物の話の際彼女が言っていた、老貴族の幻影の事。
 仮面を付けていたらしく顔はわからなかったそうだが、もしかするとソイツがあの怪物たちをけしかけたのではないか?
 事実、蟲の怪物は貴族の声に従っていたようなそぶりを見せていたと霊夢も言っていた。
 だとすれば、森で霊夢どころか自分や魔理沙にも襲い掛かってきた怪物を操っていたのも…

「何とまぁ、私が話してる最中に考え事とは…きっと余程の事ですわね」
 その時であった。いつの間にか思考の渦に飲まれていたルイズに、紫が何気なく声を掛けたのは。
「えっ…?――あ…」
 彼女の言葉に今の状況を思い出したのか、ルイズは目を丸くして我に返る。
 一歩間違えれば場違いな考察を一人で行っていたかもしれない彼女はほんの少し頬を赤く染め、首を何回か横に振った。  

 今考えるべきではないという事でも無いが、後回しにしよう。
 心の中でそう決めたルイズは改まった様子で再度紫の方へ視線を向けた時、彼女の顔色が変わっている事に気が付いた。

 それは先程まで浮かべていたのと同じ不敵な笑みであったが、最初の時のそれとは雰囲気が少しだけ変わっていた。
 両目を柔らかく瞑り、綺麗な口元を緩く歪ませたその顔からは僅かではあるが不気味な気配が漂い始めていたのである。
 一見すれば優しい笑みを浮かべている八雲紫の中にある人ならざる気配を、ルイズは察知していた。
(な…何よ、一体どうしたっていうの?)
 さしものルイズもこれには恐怖よりも焦りを感じ、無意識に動いた足が彼女をゆっくりと後退させる。
 いくら魔法を使えるメイジといえども恐れているのだ。八雲紫という人とよく似た容姿を持つバケモノの本質を。
 例え花も恥じらう美貌を持っていても分かる者には分かるのである。妖怪が放つ、毒気の様な不気味な雰囲気というのは。

 しかし彼女の後ろにいる魔理沙は気づいていないのか、何故か後ずさりしているルイズに首を傾げた。
 何かあったのかと思い一人ニヤニヤしている紫の方を見つめるが、特に変わったことは無い。
 強いて言えば、胡散臭いいつもの柔らかな笑みがもっと胡散臭くなっただけである。
 だとすれば何でルイズは後退るのだろうか?疑問に思った彼女は暢気にも本人へ直接聞いてみることにした。
「おいおいルイズ、霊夢みたいに何か見えない物でも見えたのか?足が勝手に動いてるぜ」
「…うぅっ!?」
 人の気も知らず気軽に話しかけてきた黒白に、ルイズはどう返事をしたら良いか分からず言葉を詰まらせる。
 予想外の事に喉から変な声が出てしまった直後、彼女の代わりと言わんばかりに紫がその口を開く。
「どうやら私の笑顔を怖がっているらしいわね。タダ笑っていただけだというのに」
「―――っていうか、私が怖がるような笑みを浮かべる理由を教えてくれないかしら…?」
 口元を手で隠しつつも喋ってくる紫に対し、怪訝な表情を浮かべるルイズはそう言った。
「う~ん、そうねぇ~………まぁこの際だから言っておきましょうか」
 彼女の返事に紫は数秒ほどの時間を置いた後、唐突にその口を開いて喋り始める。
 こうなったら何でも来い!心の中で叫んだルイズは紫の口から出る言葉を迎え撃たんとしていた。
 だがそれは、彼女にとって絶望とも言える一つの確信を得させる事となったのである。


「貴女たちに襲い掛かってきたバケモノが黒幕の一端だと考えている事に、私は喜んでいるのよ」
 彼女――八雲紫は全てを知っているのだと。 


「―――――」
「……ぇっ!?」
 その言葉を聞いた瞬間、ルイズの表情が怪訝なモノから唖然としたソレへと一変した。
 鳶色の両目をゆっくりと見開き、それに合わせて口をあんぐり小さく開けたその顔からは驚きの色が垣間見える。
 彼女の後ろにいる魔理沙はというと…その口から素っ頓狂な声を上げ、次いでルイズと同じような表情を浮かべた。
 二人して声が出ぬ状況の中、その原因を作り出した紫はキョトンした表情を浮かべている。
「…どうしたのよ二人とも?まるで「何で知ってるのよ」って言いたそうな顔じゃない?」
「――…っ!?い、言ってくれてありがとう。今、本当にそう思ってるところだから」
 紫が口を開いたことで硬直状態から抜け出せたルイズは、敵意丸出しの表情で言葉を返す。
 確かに彼女の言葉通りである。少なくともルイズは何で知っているのかと疑問に思っていた。

 蟲の怪物の話を霊夢から聞いた時や森での体験の時、少なくとも近くには紫はいなかった。
 律儀にもデルフを返しに来た夜の時は、霊夢が帰ってくる前の事で彼女が怪物の事を知っている筈がない。
 森での事もあの場にいた自分と霊夢にデルフ、そして襲ってきた怪物を倒した魔理沙の三人と一本だけしか知らないのである。
 ハッタリの可能性も一瞬だけルイズは考えたが、それは無いだろうと自らの手で斬り捨てた。
 仮にそうであるならば、わざわざ「バケモノ」という単語など口に出す必要は無いのだから。 

 そこまで考えた所で、ルイズの次に硬直から脱した魔理沙が口を開く。
 怪訝な表情を浮かべて紫に話しかける彼女の姿は、いつも気楽に生きている少女とは思いにくい。
「もしかしてとは思うが…ずっと見てたって事なのか?それだったら随分酷薄なやつだと私は思うよ」
 探りを入れるかのような魔理沙の質問に、少しだけ考えるそぶりを見せた紫はあっさりと質問に答える。

「まぁ゛見ただけ゛という言い方が正しいわね。あくまで゛見ただけ゛で゛見ていた゛わけではないの」
 紫の返答によって、ルイズは苦虫を踏んでしまったかのような表情を彼女に見せつける。
 一体何処にいたのかすら分からなかったが、彼女の言葉が本当であるのならば相当ひどいことに違いは無い。
 ルイズがその気持ちを言葉として出す前に、偶然にも同じことを思っていた魔理沙が彼女の言葉を代弁してくれた。
「゛見てた゛と゛見た゛の違いはともかくあの時の私たちを傍観してだけとは、お前はやっぱりとんでもない妖怪だぜ」
 まぁ、別に助けて貰う必要もなかったけど。最後にそう付け加え、魔理沙は苦笑いしつつ肩を竦める。
 その姿には先程口を開いたときの緊張感は無く、ルイズの知っている彼女に戻っていた。
 確かに彼女の言う通りだ。あの時魔理沙が助けてくれなければ、傷を負った霊夢と一緒にあの世へ逝っていただろう。
(でも元を辿れば、あの怪物を倒したマリサのマジックアイテムを持ってた私のおかげって事にもなるのかしら?)
 九死に一生を得たあの時の事を軽く思い出していたルイズであったが、そんな彼女の耳に再び紫の声が入ってくる。

「まぁそこは私も同意しますけど。あれを゛見て゛私の心中に一つの考えが浮かんだの」
 紫はそう呟いて右手の人差指をグルグルと軽く回した後、その指でもってルイズを差した。
 丁度顔の手前で手首を曲げた姿で指差してきた相手に、彼女は脊椎的な反射でたじろいでしまう。
 いきなり指差してくるとは何事かとルイズが聞いてみようとする前に、紫は彼女が゛聞きたい゛であろう事を口にする。

「これ以上霊夢や私たちの異変解決に巻き込まれれば、貴女の命が持たない――ってね」
「なっ…!?」
 それを聞いた瞬間、全く予想すらしていなかった言葉にルイズは今まで以上に驚愕する事となった。
 突如霊夢がおかしくなった時や、いきなり紫がやってきて今に至るまでの目まぐるしい数々のアクシデント。
 常人ならば休憩が必要かもしれない非日常なシーンの連続の中で、今日一番彼女が驚いた言葉であろう。

「わ、私の命って…どういう事なのよ!」
 他人ならぬ他妖怪に自分の命がどうと言われた所為か、ルイズは声を張り上げて怒った。  
 今までは何とか堪えつついつの間にか消えていた紫への怒りが、今になって沸々と蘇ってくる。
 怒りやすい自分の性格を砂の城と例えられた事は、今考えても相当許しがたい事だ。
 というよりも何故あの時の襲撃を゛見た゛だけである彼女が、自分の命についてとやかく言ってくるのだろうか。
 先程魔法を放った時は多少やってしまったという感じはあったが、今の彼女ならば遠慮なく自分の魔法をお見舞いできる。
 少しだけ理不尽な妖怪を粛清せんと心の中で決めたルイズが自分の杖に手を伸ばそうとした直後、それを制止するかの如く魔理沙が喋った。
「おいお いおい…話が見えてこないぞ。どうしてルイズの命が危ないっていうんだよ?」
 黒白からの質問に、紫はフッと鼻で笑いながらもすぐに答えをよこす。
 まるで良い悪戯を思いついた大人が浮かべるような笑みを二人に見せつけながら、彼女はルイズに言った。
「あの時…すぐ近くにいた貴女ならわかるでしょう?…霊夢に寄り添い、子猫の様に怯える事しかできなかったあの娘の事は」
 自分に向けて送られたその言葉で、彼女はあの時の事を一瞬で思い出した。

 ◆

 霊夢に攻撃を浴びせてきた怪物に襲われたとき、ルイズは確かな恐怖を感じていた。
 それはアルビオンでワルドとその遍在達に襲われた程ではないが、あの時の恐怖はそれと全く別物だ。
 ワルドは人間であったし、スクウェアメイジという圧倒的存在から来る威圧感に恐怖していた。
 彼は結果的に助けに来てくれた霊夢に倒され、今となっては大分前の出来事に過ぎない。
  しかし、森で襲ってきた怪物からは本能からくる嫌悪感が恐怖の源であった。
 シルエットだけは人らしいものの、いざ蓋を開けてみれば中にいるのは非日常的なモンスター。
 オーク鬼やコボルドと言った獣らしい亜人たちとは比べ物にならないグロテスクな容姿。
 右腕が無かったのにも関わらず霊夢を苦しませた挙句、自分たちにも牙を向けるその執拗さ。
 そして、地面に転がった霊夢へ近づいた時…こちらへゆっくりと近づくヤツの姿を間近で見ていた。

 麻薬中毒者のようにギョロギョロと忙しなく動く目玉。
 生者を地獄へ誘う死神の笛の如き、シュルシュルと聞こえる呼吸音。
 見る者の心をジワジワと染み込むように侵していく毒々しい皮膚の色。
 左腕には霊夢の身体を穢した毒の詰まっている、鋭い爪。

 絵本に出てくる。という例えが通用しない怪物を前にして、ルイズは本能的な恐怖を体験した。
 フーケに羽交い絞めにされた時や、ワルドのライトニング・クラウドを喰らいそうになった時とは全く違う恐怖。
 人が本来持っているであろう異形への恐ろしさと、ソイツの手に掛かって死んでしまう事への嫌悪。
 そして…何故自分や霊夢達がこの様な怪物に殺されなければならないのかという理不尽さ。 

――――やだっ…!こっち来ないでよぉ!わたし達が何したっていうのよ!?

 それ等三つの要素が揃っていた時、ルイズは叫んだのである。

 ◆

「でもまぁ、貴女が怯えるのも確かな事と思うわ。私だってあんな怪物が出てくるとは予想範囲から少し外れていましたし」
 軽く暗い回想に浸っていたルイズに向けて、紫は肩を竦めつつも慰めるかのような言葉を彼女に投げかける。
 しかしトラウマとして記憶に残っているのだろうか、暗い表情で俯いているルイズはその言葉に反応しない。
 その後ろにいる魔理沙は珍しく何も言うことなく、目の前にいる二人を交互に見合っていた。
「だけど…出てきた以上は今後もああいうのが出てこないとは限らないし、その時にまた怯えていれば貴女の命の保証は出来ない」
「…ちょっと待て。その言い方じゃあ、まるで私や霊夢がコイツを見捨てるって事になるぜ」
 軽い雰囲気でそう言った紫に、流石にムッとした表情を浮かべる魔理沙が異議を唱えた。
 そんな彼女の言葉に対し自分のペースを崩すはずもない紫は、手早く返事をする。
「別に貴女と霊夢がこの娘を守らないとは思っていませんわ。―――ただ、あの森の時の様にシンプルな攻め方でしたらね」
「シン…プル…?」
 予想外の単語を聞いて無意識に呟いたルイズへ「そう、シンプル」と相槌を打ちつつ、紫は話を続けていく  

「二度目もあって一体だけなら不意打ちを仕掛けても今の霊夢が後れを取るとは思わないし、魔理沙も負ける程弱くは無い。
 だけどあの怪物が単なる様子見として放たれたのなら、相手はもっと手駒を増やすとは思わないかしら?
 仮に相手が異変の黒幕ならば、貴女を捕まえるか…最低でも始末しようと思うのならば一体だけで攻撃しても勝敗は目に見えてる。
 けれども、数を増やしてしまえば倒すのはともかく貴女を守るのに二人が手間取るどころか霊夢の様に隙を見せてしまい後ろから一撃…なんてことも有り得るわ」

 紫はそこまで言って一旦口を止めるとホッと息をつき、またも喋り始める。

「無論、貴女は異変が解決するまで部屋に引き籠れ…とは言いません。けれど、多少の自重はしなさい。
 貴女が自分の魔法で霊夢達と一緒に戦えずただただ怯えていても、何の役にも立たないの。
 偉そうなうえに悪い事を言いますけど。もし今後も怯えるだけなら、霊夢の傍につくような事はやめなさいな。
 あの娘は誰かを守りながら戦う…って経験は殆ど無いし、あの娘自身鬱陶しいってことは多少思ってるかもね?」

 とどのつまり、臆病者は引っ込んでいろという冷たい紫の言い方に、魔理沙は異議を唱えようとしてやめた。
 自分が見知っている者の中では一番冷たくて酷いであろうあの巫女なら、そんな事を思っていても不思議ではない。
 だがそれを言われた当の本人は酷く落ち込んでいるのか、顔を俯かせたまま微かに両肩を震わせている。
 泣いているのか?一瞬だけそう思った魔理沙はしかし…すぐにそれが勘違いだと気づき、ギョッと驚いた。

 肩の震えに付いていくかのようにサラサラと揺れる桃色のブロンドヘアーからは、悲しみの雰囲気は伝わってこない。
 否…悲しみどころかそれとまったく別の、言わば発火性の強い油の如き気配を読み取ったのである。
 それを読み取った魔理沙は以前に一度だけ経験した゛ある出来事゛を思い出し、すぐに後退れるよう無意識に身構えた。
 何時爆発するかもわからない存在と化したルイズと距離を置くことは、自分の身を守るのと同義である。
 当時その場にいた霊夢と一緒に゛ある出来事゛を体験した彼女にとって、これは咄嗟の行動であった。
(触らぬ神に祟りなしとはこの事か?…いや、この場合は人か…もしくはルイズで良いかな?)
 地面に置いていた箒を手に取りつつ、二人の動きを見てみることにした。

「どうしたのかしら、ルイズ・フワンソワーズ。身体が震えていますわよ?」
 一方の紫は、これから何が起こるか知っているうえでルイズの出方を伺っているのだろうか。
 面白い物を見るかのような目でもってルイズに話しかけいるが、それこそ火に油を注ぐようなものだ。
 油を大量に加えた火は並大抵の獣より凶悪であり、人間はおろか妖怪でも下手をすれば致命的な火傷を負う。
 そして今、油を注がれた小さな日は燃え盛る炎となって紫の体へと牙をむかんとしていた。


「…………しら」


 紫が話しかけてきてから十秒も経たぬうちに、ルイズがひとり呟いた。
 最もその声は小さく、大妖怪の耳をもってしても最後の部分しかまともに聞こえなかったが。
 ともかく、ルイズが反応を見せてくれたことに良しと感じたのか、彼女は首を傾げつつ口を開く。
「ん?今なんて言ったの?良く聞こえませんでしたわ」
 妖怪からのリクエストを、ルイズは律儀にも言葉として答える。 

「……言いたいことは…それだけかしら?」

 体の震えを止めることなく、顔を俯かせたままのルイズは言い直す。
 この場にいる三人の中では一番小さい両手に作られた握り拳が微かな音を上げている。
 あぁ、もう取り返しがつかない。魔理沙は心中でそう呟きつつもゆっくりと後ろへ下がり始めた。
 以前にもあんな調子のルイズを見て、襲われた彼女にとってこの展開は非常に危険で駄目な展開であった。 
 しかし襲われる相手が余裕の笑みを浮かべる大妖怪という事か、その顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。

(さて、先程の爆発かこの前の素手…どっちが来る?両方ってのも面白そうだぜ)
「…えぇそうよ。怯えるだけなら霊夢たちの邪魔をせずに安全な場所にいて欲しいと…私は言いましたの」
 これから自身の目に映るであろうルイズと紫の姿を思い浮かべている魔理沙を尻目に、紫はルイズに言い放つ。
 戦力外通告とも言えるその冷たい言葉にルイズは「そう…」とだけ呟いた瞬間、その足をゆっくりと動かした。
 魔法学院お墨付きのローファーを履いた彼女の足が向かう先には、微笑み浮かべる大妖怪の姿。
 ゆっくりと、だが確実に紫へと近づくルイズは顔を上げることなく、その口を開く。

「成るほ、ど…こ、この私が…ヴァリエール出身のき、貴族である私を戦力、外…あつか、いなんてねぇ…」
 もはや限界に達しているのか、言葉を詰まらせながら喋るルイズを見て魔理沙は思い出す。
 あの時もこうであった。今はまだマシな方だが、ルイズが゛爆発゛するのは後十秒程度といったところか。
 自らの経験をもとにそう予測した魔理沙であったが、その時はすぐに起こった。

 魔理沙が自分の脳内で勝手な予測を立てた直後、今まで歩いていたルイズはその足を一気に速めたのである。
 ゆっくりとしたテンポを奏でていた足音が一気に早くなり、紫との距離をあっという間に縮めていく。
 これにはさすがの紫も表情を変えてしまのうか、今までの笑顔から一変したキョトンとしたモノとなる。
 一方の魔理沙は思っていた以上に早かったルイズの゛爆発゛に対し、そのまま一発かましてしまえと心の中で叫ぶ。

 そして相手まで後五十サントというところで、ルイズは握り締めていた右手を振り上げ、
「言って…くれるじゃない…――のぉっ!」
 紫の胴体部目がけて勢い良く殴り掛かったのである。

 小柄な見た目と比べ対照的な程運動神経の良い彼女の右手は、今や強力な怒りという名の大爆弾。
 当たれば一発、妖怪であっても紫ほどの存在なら悶絶する事は間違いないであろう。
 紅魔館の門番や鬼といった面子だと蚊に刺された程度のパンチは、紫のような日ごろから鍛えて無いような奴には効果覿面だ。
 更にそれを喰らう本人は身構える事すらしておらず、今から回避しようにも手遅れなのは決定事項と言える。
 恐らく霊夢も見たことが無いであろう紫が悶絶する姿を想像し、魔理沙は思わず笑みを浮かべてしまう。

 だが。現実は非情だという言葉があるように、そううまくいく事は無かった。

「あら?」
 暴風雨に吹かれて飛んできた紙袋を避けるかのように、紫は自らの左手を腹の前に出す。
 直後、ちょっと認識できる程度の速度で襲ってきたルイズの拳は見事妖怪の掌に直撃したのである。
 少し人間離れした紫の反射神経に対し流石の魔理沙も驚きを隠せず、アッと大きな声を上げてしまう。
 その声に顔を上げたルイズはピクリと左の眉を動かし、残っている左手の握り拳を振り上げようとする。

「図星を突かれて悪戯とは、頂けませんわね。思ったより見苦しい人ですこと…」
 しかし次の手は既に読まれていたのか、ルイズの動きを見た紫は一人呟きながらスッと自身の右腕を動かす。
 結果、勢いよく振り下ろそうとしたルイズの左手が紫の右手に掴まれ、その場でピタリと静止した。
 まさかこれで終わりか?魔理沙がそう思った直後、ルイズはバッと左足を上げる。
 突然の動きに紫が怪訝な表情を浮かべた瞬間、その足が目にも止まらぬ速さで下ろされた。

「?…――うっ!」

 それを目で追おうとした瞬間、彼女は自分の右足に激痛が走ったのに気づきその顔を苦痛で歪めてしまう。
 一体何なのかと顔を俯かせたところ、先程振り下ろしたルイズの足が自分の足を踏んでいるのだと気が付く。
 ローファーを履いたルイズの足が踏んだもの、それは自分の腕を掴み上げた大妖怪八雲紫の足。
 自分を戦力外扱いした八雲紫への仕返しとして放たれた彼女のストンプは、思いのほか効果抜群だったようだ、
 いつも澄ましたような紫が珍しく痛い目を見たことに、魔理沙は後の事を考えが「おっ、スゲェ」とルイズに賞賛の言葉を贈った。
 孤独の野次馬と化した黒白の声を耳に入れつつ、ルイズと紫の二人はキッと真正面から睨み合う。

 身長の関係からか、紫は自分の足を踏む少女を見下す格好となるがそれでもルイズは動じない。
 今まで俯かせていた顔にはため込んでいた憤怒を解放させており、見る者に恐怖を覚えさせる。
 両目に嵌る鳶色の瞳でもって人の形をした人外を睨み上げるその姿を見れば、誰が臆病者と呼ぶだろう。
 人知と科学的常識では説明できない力を操る八雲紫の足を踏む彼女こそ、俗にいう勇者ではないのか? 
 それなりの硬さを持つルイズのローファーは紫のロングブーツをグリグリと踏み続け、その下にある指にまで攻撃している。

 一度現れれば全てを破壊する竜巻と化したルイズを睨みつける紫の頭にも、自ら退くという選択肢はないようだ。
 先程まで浮かべていた不敵な笑顔は痛みをこらえる苦笑いへと変わっている事から、攻撃事態はかなり効いたらしい。
 両目からは微かな怒りの気配が放たれており、この場に霊夢がいるなら驚いていただろう。
 時に柔らかくも胡散臭い笑みの下に怒りの色を滲ませる事はあれど、今の様に痛み堪える苦笑いの表情は滅多に見ないのだから。
 強い者ほど常に笑顔を浮かべると幻想郷録起にも書かれているが、彼女も例外ではないようだ。
 たとえルイズの踏み付けが思っていた以上に痛くとも、八雲紫は笑顔を崩すことなく彼女を睨みつけている。

 お互い引くに引けなくなった状況から十秒近く経過した後、そこで変化があった。
 指先の痛みが段々と酷くなっていくのを感じていた紫が、足の力を弱めないルイズに話しかけてきた。
「成る程…これが貴女の返答というワケね」 
「…えぇ。ついで、人を臆病者と罵ったアンタへの攻撃…って事もあるけどさぁ」
 ひたすら痛みに堪えているのか苦笑いを浮かべる顔で右の眉をヒクヒクと動かす紫の言葉に、ルイズはすぐさま返事をする。 
 今まで好き放題に言われていたルイズは今ここで鬱憤を解消せんと、その口から言葉を放出し始めた。


「確かに今までの私は臆病だった。それに間違いは無いわ。
 生まれたころから魔法が使えないからと幼少時に母親からスパルタ教育されて、辛い時はいつも逃げていた。
 学院に入っても魔法が使えないという理由でイジメの的にあって、それに抗うことなくただ受け流してきたわ。
 それで一年生の夏頃に゛ゼロのルイズ゛っていう不名誉なあだ名を貰ったのよ。おかげでイジメがもっと酷くなったけど。
 辛くて耐えられない時はいつも自室に籠って夢見てた。いつか私だってスゴイ事ができるって。
 誰にも真似できないような、自分にのみ許された゛何か゛がきっとあるって…そう信じてたのよ」

 そこまで言ってから一息分の休みを入れて、再びルイズは喋り出す。
 まるで喋るごとに憑きものが落ちていくかのように、彼女の顔から怒りの表情が薄くなっていく。

「そして二年生へと進級する際に行う使い魔召喚の儀式で、私はレイムと出会った。
 黒い髪に蝶みたいな赤いリボン。この世界じゃ考えられないくらいに派手な紅白の衣装と分離した白い袖。
 私とほぼ同年齢だというのにとても同世代の人間とは思えないくらいに冷たい性格の異世界少女。
 召喚したばかりの頃は酷いヤツだと思ってたけど。今じゃそんな事滅多に思わない。
 確かにアイツは酷いけど。二ヶ月近く一緒にいれば案外良いヤツじゃないかって…不覚にも思えてくるの」

 話の方向が自らの過去から霊夢の事へと移っていく彼女の脳内を、召喚からアルビオンまでの出来事が過っていく。

 魔法学院の自室で使い魔やこれからの事を説明した時。自分の魔法を失敗だと思わなかった事。
 連れて行った街で東方のお茶を買わされた事や、フーケのゴーレムから自分を守ってくれた時。
 話してもいないのに何故か任務で赴いたアルビオンで再開した時に、自分を守る代わりに怪我を追ってしまった事。
 その怪我の所為で裏切ったワルドに致命傷を与えられたのにも関わらず、ただ震えていた自分を助けてくれた紅白の彼女。

「アイツと出会ってからは、色々と面倒な借りまで沢山作って来たわ。
 今日はそれを返す為に新しい服を同じようなモノばかり着てるアイツに買ってあげた。けど、それでもまだ足りない。
 私をフーケの攻撃から救ってくれたり、トリステインの裏切り者まで倒してくれたアイツへの借りは大きすぎるのよ。
 それに、アンタが見ていた森での時はただただ怯えるだけで、戦うどころか泣いていたのは事実。
 でもね…、もう決めたのよ。――――次は絶対に逃げたり怯えたりしないって」

 霊夢を召喚して以来、ルイズは彼女の所為で色々とイヤなことがあった。
 それこそ今まで生きてきた中で、数多くいる人間の中には霊夢みたいな冷たくて酷い奴がいるのだとさえ思った。
 だがそれを差し置いても、今の彼女を見捨てて大人しくしていろと言われてはいそうですかと従う事はできない。
 仮に従ったとして、もしも霊夢が自分の目の届かぬ所で死ぬような事があればルイズは悔やむであろう。

 そしてルイズの考えを聞けば、アイツが死ぬ瞬間は思い浮かばんと魔理沙は言いそうだが、それは違う。
 霊夢だって異世界の中核をなす博麗の巫女でなければ、ただの少女だ。
 普通の人間と同じく傷だって負うし疲れる事もあり、そして致命傷を喰らえばそのまま死ぬことだって有り得る。
 ニューカッスル城でワルドに刺され、森の地面に倒れ苦しむ彼女の姿を見てきたというのに、その時手助けの一つもできなかった
 そして紫に異変解決を手伝ってほしい言われたのにも関わらず戦いに怯え、結果彼女自身から臆病者と呼ばれる始末。

 だから、この時のルイズは改めて決心していた。
 これからどんな事が起こり、体験しようとも…怯えたり泣きわめく事はしない。
 霊夢達の世界が抱えた未曾有の異変を解決する為に、異変の゛きっかけ゛となった自分も杖を手に取り戦おうと。


 もう後には引き返せないであろうルイズの決意表明を聞き、紫の顔が無表情となる。
 まるで自分の心を閉ざしたかのような冷たい眼差しでもって、ルイズの顔を見つめていた。
「――――言うだけなら簡単ですけど…。貴女の様な貴族に、これからの人生を棒に振るかもしれないような事を…体験できるかしら?」
 話の途中に口を挟むような事はしなかった紫の言葉は、まるで契約書に書かれている注意事項である。
 自らの家名が刻まれた判子を押す前に、本当に契約をするかどうかの瀬戸際で教えられる唯一の折り返し地点。
 ここで引き返せば契約は無かったこととなるが、承諾すれば何が起こるかもわからないであろう。
 しかし、紫の言葉によって興奮した今のルイズは彼女の言葉に戸惑うことなく口を開く。


「舐めないで頂戴。―――何せこの私は、博麗の巫女を召喚した貴族なんですから」
 怖気づくことなく吐き出したルイズの返事に、紫はフッと微笑んだ。


 今日、この世界へ来てから結構な数の笑顔を浮かべていた。
 だがしかし、今浮かべている微笑もにはそれまで浮かんでいた不敵さや柔らかさ、そして胡散臭さは無い。
 その微笑の裏に隠れているのは、ほんの一握りの安堵。
 一人で戦う事を好む霊夢の為に戦ってくれるという少女の存在に、紫は安堵していたのである。
(こんなにもあの子…霊夢を大切に思ってくれるような人間がこの世にいたなんてね)


――――ハルケギニアに酔狂という言葉があれば、きっと彼女の為にあるのかしら?


 紫は一人そう思いながら、揺ぎ無い決意に満ち溢れる鳶色の瞳を見つめていた。





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