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Mission 31 <深淵の魔女> 中編



アニエスが抱えてきた女性は何の怪我もなく、意識を失っているだけだった。
魅惑の妖精亭へ立ち寄ったのは単なる偶然であり彼女を宿に預け次第、すぐにあの悪魔の行方を追うはずであったのだが、ここで思わぬ男と再会することになったのである。
女を部屋に寝かせて下りてきたアニエスはアラストルをテーブルに立て掛け、スパーダ達のテーブルに自分もつくことになった。一応、酒場なので酒でも注文しておく。
「スパーダ、誰なのよこの女は」
スパーダと共に席についている桃色の髪の貴族の子女……恐らくは魔法学院の生徒なのだろう。その少女はアニエスを訝しそうに見つめて声を上げる。
同じく席に付いている金髪の髪を覗かせている修道女は、きょとんとアニエスを見つめて呆けていた。
「仕事仲間と言った所だ。共に仕事をしたのはまだ一度だけだがな」
「仕事って何よ。あなた、あたしに隠れて何かやってるっていうの?」
スパーダが自分の知らないうちにこんな平民の女と知り合っていたのがどうにも納得ができず、食って掛かった。
「たまたま、共に悪魔退治をしたというだけだ」
ほとんど食べ尽くしたサンデーを食しつつスパーダは答える。
「アニエスと申すものだ。よろしく頼む」
軽く一礼したアニエスだったが、ルイズは相手が平民だということで侮り自分からは名乗ろうとしなかった。
「あ、あの……ティファニアと言います」
それに対し、ティファニアはアニエスが微かに発する気迫に少し怖じ気づきながらも挨拶を返していた。
「あの、アニエスさん? さっきの方はどうしたのですか? あんなにぐったりして……」
「そうだな。何かあったのか」
ティファニアとスパーダが尋ねると、アニエスは事のいきさつを話し始めた。

最近チクトンネ街で密かに発生しているという怪事件。それは人間によるものではなく悪魔によって引き起こされており、既に多数の犠牲者が出ているという。
宮廷の役人に届けは出されているものの、役人はまともに相手をしようとせずに揉み潰し、上への報告もされず公にもされていないそうだ。
アニエスは何日か前からこの事件のことは耳にしており、独自に調査をしているという。
そして、つい先ほどここに運んできた市民を襲おうとした悪魔を見つけたのだが、取り逃がしてしまったのだ。
「どういうことよ! 仕事を怠けて姫様にも伝えないなんて! 貴族の風上にも置けないわ!」
バンッ、とテーブルを叩いて立ち上がったルイズは腹立たしく大声を上げていた。
「一々、飼い慣らす家畜のことを気にかける暇はないのだろうな」
冷淡に鼻を鳴らし、スパーダは空になったストロベリーサンデーのグラスにスプーンを置く。
力を手にする者の多くは己より力を持たない、もしくは同じ力を持たない者を蔑む傾向にある。ましてやこの魔法至上主義の世界では魔法とそれを操るメイジこそが
絶対の存在だと認識されており、平民は飼い慣らす家畜も同然なのだろう。
以前、チュレンヌとかいう宮廷の醜い豚を叩きのめしたことがあったが、奴は良い例だ。
これがもしも貴族の人間の被害者が出たのであればすぐにでも上に報告し、調査が行なわれるのだろう。それまでに平民はどれだけの被害が出るかなど、想像もつかない。
クズに任せるくらいならば自分達で解決する。アニエスはそう考えた訳だ。
「スパーダ! あたし達でその悪魔を見つけてやっつけてやりましょうよ!」
「ル、ルイズさん!?」
唐突に意気込みだすルイズにティファニアは驚き、戸惑う。
「貴族は絶対に敵に後ろを見せちゃいけないのよ! たとえ相手が悪魔だろうとね! そんな自分の仕事も果たさないなんて貴族でも何でもないわ。
あたし達でその事件を解決してこそ、本当の貴族の役目なのよ!」
取り出した杖を構えて、ルイズはさらに発奮している。
スパーダの指導の元、新しい魔法として特訓を続けている〝バースト〟のちょうど良い練習相手にもなるのだ。
どんな悪魔が相手だろうと、この魔法で吹き飛ばしてやるのである。
そうして一人張り切るルイズを見て、アニエスが渋面を浮かべる。
「ルイズ殿と言ったな。相手は悪魔だぞ。あなたもメイジだろうが、生半可な実力で挑める相手ではない」
「うるさいわね。平民が生意気な口を聞くんじゃないの。第一、あんたその悪魔を逃がしたんでしょう? だったらここからはあたし達に任せなさいよ」
アニエスに杖を突きつけ、ルイズは尊大に言い返した。当の侮辱されたアニエスも顔を顰めたままルイズを睨み返す。
そんなルイズの姿と態度にスパーダは細く溜め息を吐く。
ルイズもまた、力を手に入れようとしているためか調子に乗って己より力なき者を蔑む人間になりかけている。
この数日、スパーダはルイズの魔法の特訓に付き合ってその腕を磨き上げたり、様々な応用法を編み出させたりしていたのだが、その都度ルイズは舞い上がっていたのだ。
本来、彼女は〝ゼロのルイズ〟と呼ばれて蔑まれ、まともな魔法が使えないコンプレックスを抱いていた。
力を求めていた彼女はその思いの分、自分だけの力を手に入れられたことに有頂天になってしまったのだろう。
「ミス・ヴァリエール。アニエスは確かに平民だが、腕は確かだ。それに悪魔との実戦経験は君より上だ」
「はいはい。とにかく、あたしはその悪魔を倒してみせるわ。スパーダもパートナーなんだからもちろん手伝うのよ」
スパーダとしては当然、アニエスに協力をするつもりであったのだがルイズのこの態度には眉を顰めていた。
「あ、あの……」
話に全く付いていけずにおどおどしていたティファニアが恐る恐る声を出す。
「ああ、あんたは良いのよ。大人しく修道院に戻っていて」
「そうですよね。……わたしじゃ足手まといになりますよね」
切なそうに俯くティファニアは膝の上で重ねた手を、嵌めてある指輪をぎゅっと握り締める。
亡くなった母は〝困っている人を見つけたら、必ず助けてあげなさい〟と言って、この指輪を託してくれた。
だからその遺言に従い、目の前に困っている人間が現れれば、どんな相手だろうと助けてあげようと誓ったのだ。
だが、今の自分は何の役にも立てない。ましてや、悪魔と戦うことなんてできやしない。中途半端な自分は誰の力にもなれない。その無力さに歯がゆさを感じていた。
「そういうことで、そうと決まったらすぐにその悪魔を捜しましょう!」
ルイズのあまりの危機感のなさにスパーダはもちろん、アニエスですら密かに溜め息を吐いていた。
こういう無駄に張り切る人間が一番、危なっかしく足手まといになるのだ。


「それじゃあ皆さん、どうか気をつけてください」
修道院へと送り届けたティファニアが三人……特にスパーダのことを心底心配した様子で無事を祈った。
「大丈夫よ。あんたも外に出ないで中で大人しくしてるのよ?」
張り切っているルイズは増長しているのが明らかだった。これではその悪魔の格好の餌食になりかねない。
ティファニアを送り届けた一行はチクトンネ街を歩き回り、アニエスが取り逃がしたという悪魔を捜すことになった。
彼女によるとその悪魔は女悪魔だそうで、対峙した時に口にした言葉からどこかの酒場に潜伏しているかもしれないという。
その悪魔は人間に化けているのだろうがスパーダは当然のこと、アニエスが持つアラストルは悪魔の気配を察知できるので酒場を適当に渡り歩いていれば見つけることができるだろう。
「ふぅん、悪魔にも女がいるんだ」
「女だからといって油断はするな」
むしろ女悪魔の方がより狡猾な連中が多いのだ。ルイズはまともに悪魔と相対したことがないから、その恐ろしさが分からないのだろう。
……スパーダは悪魔とはいえ、ルイズからしてみればその姿はもちろん行動ですら人間としてしか意識していないのだ。
「アニエスとか言ったわよね。あなた、魔法は使えないでしょうけど武器はちゃんと持っているんでしょうね」
ルイズのその言葉にアニエスは無言で一瞥していた。
平民である以上、魔法は使えないがそれに代わる力は手に入れ、磨き上げているのだ。
実力のあるメイジだったらまだしも、まともに実戦経験のないルイズから軽んじられて、さすがの彼女も溜め息を吐いていた。
「そういえばどうだ。アラストルの調子は」
スパーダはアニエスが背負う盟友の化身を指しながら尋ねる。
「ああ。大事に使わせてもらっているさ。こいつはとても相性が良いみたいでな。悪魔共との戦いでは役に立っている」
アニエスは鞘に収められているアラストルの柄に軽く触れながら満足げに答えていた。
アラストルを手に入れてからのアニエスはこれまで以上の奮闘で悪魔達を相手に戦っており、過去には手こずっていた悪魔もかなり楽に倒せるようになったのだ。
それは単純にアラストルの力だけでなく、アニエス自身の能力にもある。
魔法が使えない平民である以上、それに代わる力として剣術を磨き上げてきたために今では腕の立つメイジを相手にしても引けをとらない実力を有するようになったのだ。
鍛錬によって積み重ねてきた力がアラストルを己の一部として使いこなす源となり、その力を認めたアラストルはアニエスを主として認め、力を与えてくれているのである。

盟友の化身が強者の手で有意義に使われていることに、スパーダ自身も満足してほくそ笑んだ。
だが、同時に懸念も抱いていた。
「しかし、それを使って取り逃がすとはな」
「ああ。不覚だった。奴は今まで私が相手をしてきたような雑魚とは違ったみたいでな。いつものようにすぐに片付けられなかった」
「ま、今回はあたし達に任せなさいよ。その悪魔もあたし達で倒してあげるから」
悔しそうに返すアニエスであったが、そこにルイズが溜め息混じりに馬鹿にした態度を取っていた。
直接アニエスの実力を目にしていないので仕方ないことであるが、本来ルイズは純粋な平民は貴族には絶対に勝てないという固定概念を抱いているのだ。
スパーダを認めているのは彼自身の力を飽きるほどに見せ付けられ、しかも人間ではなく悪魔という強大な存在であることを認識しているからである。
故に純粋な平民であるアニエスをこうも侮ってしまうのはある意味、普通の貴族としては当然と言えるだろう。
その傲慢な考えが、彼女を窮地に追いやることになりかねないのに。

約三十分、スパーダ達はチクトンネ街の様々な酒場の前を通りがかっていたがどこの酒場も悪魔の気配は感じられず、閑古鳥な様子を覗き見るだけであった。
「もうっ、まだ見つからないの? 本当にこの街に潜んでいるんでしょうね?」
ずっと歩き回っているのに未だ見つからないことにルイズは苛立ちを感じ、アニエスに食って掛かった。
「そう焦るな。まだ全てを回ったわけではない」
スパーダは短銃を一つ取り出しクルクルと手の中で回しながら代わりに答えるが、唐突に足を止めた。
「……何かしら?」
見ると、何人もの男達が次々と路地の中へと入っていく姿が窺えた。それも一人や二人ではない上、貴族の人間までもいる。
その後を追ってスパーダ達も路地へ入って進んでみると、その奥の袋小路には一軒の店があった。
どうやら酒場のようだ。他の酒場は閑古鳥だというのに、あそこだけ何故か客足が凄まじい。

看板には〝妖艶の園〟という店名が記されている。

……スカロンが言っていた新しくできた酒場というのは、どうやらここらしい。
店は地下へと続く階段の奥にあるようで、中は相当繁盛しているのか賑やかな声がここまで届いてくる。
(ここだな)
そして、スパーダはこの店の中からはっきりと強い悪魔の気配を感じ取っていた。それも雑魚の下級悪魔ではない。
「どうやら、ここにいるようだな」
「うむ」
アニエスは背負っているアラストルが柄からパリパリと微かに紫電を散らしていることで、薄い笑みを浮かべた。
悪魔の気配を察知すると、こうしてアニエスにその存在を教えてくれるのだ。今度こそ逃がしはしない。
「それじゃあ早速突っ込んで――」
「待て。ここは一応、店だ。一般人もいるだろう」
杖を取り出し、張り切って階段を下りようとしたルイズをスパーダが制した。
「ヴァリエール殿。下手に暴れれば無関係の人達も傷つけてしまいますぞ」
さらにアニエスも右肩に吊るしていたゲルマニアの職人・ペリ卿に作ってもらった砲銃に弾を装填しながら言う。
「そ、そんなの分かってるわよ」
平民に注意されてしまったことにいささか不愉快であったが、ルイズは拗ねるように澄ました態度をとっていた。

さて、これから突入をする訳だがスパーダはちらりと後ろを振り返ってみたりするものの、路地の入り口からは誰もやってこない。
(今日はやはり来てないな)
どうやら今日はタバサは後を付けてきていないようだ。もしいるのであれば魔力を感知して存在の確認ができるのだが。
悪魔絡みの仕事があれば一緒に連れて行って欲しいとは言っていたものの、珍しく今回は付けてきていない。
またガリア王国に呼び出しでも食らっているのだろうか。
「スパーダ。何してるのよ。とりあえず中に入るわよ」
ルイズが促してきたため、スパーダは二人と一緒に階段を下りていく。
およそ10メイルほど地下へと下りた先には扉があり、人間界の文字で〝Welcome to Garden of Bewitchery(ようこそ、妖艶の園へ)〟などと書かれている。
その扉の向こうからは、美しい旋律のハープの音色が聞こえてきていた。
同時に、強い悪魔の気配もだ。……しかも、この気配は以前に飽きるほど感じたことがある。
(これは……)
「何をしているのよ。早く中に入ってよ」
ノブを握って動きを止めていたスパーダをルイズが急かしていた。

「これはすごいわね……」
「酒場というより、一種の劇場だな」
店の中へ足を踏み入れた途端、ルイズとアニエスは中の様子を目の当たりにして嘆息を漏らした。
そこは面積にして広さはおよそ40メイル四方、天井までは8メイルほどの高さという酒場としては広大な空間であった。
壁や天井は全て岩から削りだされて磨き上げられており、ラ・ロシェールまでとはいかないがかなり壮麗な造りとなっている。
岩の所々には小さな穴が開いており、その中には無数の蝋燭が立てられ、この地下の空間に淡い光をもたらしていた。
この薄暗い空間の中、ざっと百人は超える男の客達が備えられたテーブルについて酒を振舞われている。
中には空いている席がないのか、壁に寄りかかっている者もいた。

酒を運んでいるのは無数の小さなコウモリのようなもの。人間の従業員は一人もいない。
「何かしら。ガーゴイル?」
俗に魔法人形と呼ばれるガーゴイルなのかとルイズは踏んでいたが、スパーダはこのコウモリを目にした瞬間、相手の正体が分かってしまった。
(あいつまで来ているのか)
煩わしそうに顔を顰め、大きな溜め息を吐くと腰の閻魔刀に手をかける。今回はティファニアと会うため修道院にのみ寄る予定だったので、リベリオンを持ってきてはいない。
酒場の最奥、備えられている魔法の明かりによってかなり明るくなっている舞台上に視線をやると、そこには一人の女の姿があった。
いつもと違う色白の肌であったが、その赤毛の髪と妖しい美貌に満ちた顔はスパーダの記憶にはっきりと刻まれている。

(なっ……何なのよ。あの女! 腹立つわ!)
ルイズは舞台の上で異様な形をした大きなハープを演奏している女の姿を見て、プルプルと震えながら今にも癇癪を上げてしまいそうに顔を顰めていた。
何せその女は貴婦人のような優雅な雰囲気を醸し出してはいるものの裸婦のような格好で、まるで慎みのかけらもない姿を晒しているのだ。
髪の色がキュルケと同じである上、雰囲気も非常にそっくりであったために見ているだけで苛々する。
しかもキュルケでさえ下着を身に着けているというのにあの娼婦は両腕にショールをかけ、下半身にはドレスという漆黒の衣を纏っており、上半身には何も身に着けていない。
形の整っている豊かな胸はキュルケまでとはいかない大きさだが髪が垂らされ、申し訳程度に隠されている。
それが余計にルイズの癪に障る。

むかつく……。

むかつく。

むかつく!

客の男達は明らかにあの娼婦のあられもない姿に見惚れてだらしない顔を浮かべている。おまけに下級の官吏らしき貴族の客まで……。
(どいつもこいつも、胸が大きければ良いってもんじゃないわ!)
今にも杖を振るって男共もまとめて吹き飛ばしてやりたい衝動を、ルイズは必死に抑えこんでいた。
そうしてルイズが負の感情を渦巻かせているのをよそに、スパーダとアニエスは舞台上にいる娼婦を睨んでいた。
「……奴がそうだ」
アラストルの柄に手をかけたアニエスが呟く。人間の姿に化けているとはいっても変わっているのは肌の違いだけだ。
先刻、アニエスが対峙した時とほとんど変わらない。
「……ああ。私も奴とは因縁があってな」
「何?」
閻魔刀を指で押し上げ、鞘から刃を僅かに覗かせるスパーダの言葉にアニエスが怪訝そうな顔を浮かべた。

忘れられるはずもない。かつては共に同じ魔帝の勢力に属していた同胞でもあった、切っても切れない関係だったのだから。
スパーダは舞台上の娼婦をじっと細い目付きで睨み続けながら、奏でられているハープの演奏を聴いていた。
あのハープは、奴の魂の一部を取り出して魔具として変えているものだ。本来、あれは大鎌としての役割を果たしているのだが。

昔のことを色々と熟考していたが、その時スパーダは眉を僅かに顰めた。
演奏を続けている娼婦の視線が、ちらりとこちらを向いたのだ。
スパーダへ向けて、真っ直ぐと。
妖しい雰囲気と共に獣のように鋭い視線がスパーダを射抜いている。
「こちらに気付いているな。……やって良いぞ」
「ふっ、いいだろう」
不敵に笑み、砲銃を構えたアニエスは何の迷いも容赦もなく引き金を引いた。
砲口から放たれた砲弾が一直線に娼婦のいる舞台目掛けて飛んでいき、演奏に聞き惚れていた客達は突然の飛来物にざわめいた瞬間――。

バウゥンッ!!

砲弾は娼婦に直撃し、舞台の上で爆発を巻き起こした。
「な、何だぁ!?」
突然の事態に客達はパニックを引き起こした。煙を噴き上げて炎上している舞台で優雅に演奏していたはずの娼婦が炎に包まれてしまったのだ。

ズダンッ!

何が起きたのか分からずに混乱する客達だったが、そこにアニエスが短銃を頭上に向けて発砲した。
閉鎖された空間である店内に鋭い銃声が響き渡る。
「静まれぇ!」
威圧する声を上げるアニエスであったが、振り向いた客達は今起きた惨状の原因が彼女であると即座に判断して青ざめる。
「な、何てことしやがる……」
「人を殺しやがった……」
「しかもあんなバラバラに……」
何の前触れもなく娼婦を殺害してしまったと思い込んでいる客達であったが、その中から貴族の客が数人歩み出てくると杖を引き抜きながら食って掛かってきた。
「女! 貴様、これはどういう真似だ!」
「我らの楽しみを邪魔するとはどういうわけだ!」
杖を突きつけ、威圧してくる貴族の男達であったがアニエスは臆することなく逆に彼らを睨み返していた。
「すぐにここを出てもらおう。今日はもう閉店だ。永久にな」
「な、何だと! 平民が!」
アニエスの態度に激昂した貴族が杖を振り上げた途端、突如彼らを無数の小さな爆風が包み込み、吹き飛ばしていた。
「これ以上、怪我をしたくなかったらさっさとここから出なさい! あたし達は忙しいの!」
杖を構えていたルイズが大きく声を荒げていた。
小娘とはいえ、同じ貴族までもが姿を現したことに平民の客ともども動揺する。

「本当に野暮なものね……。二度も邪魔をするだなんて」
その時、炎上が続いている舞台から妖しい響きのかかった女の気だるそうな声が上がった。
突然の事態に混乱し、戦慄していた客達はその声に反応し、舞台の方を振り向く。
スパーダはずっと舞台上を睨んだままであったが、後の二人は客達と同様に即座にそちらを見やった。
舞台上で燃え上がり、立ち昇る炎の中からゆっくりと人影が姿を現す。
客達に酒を運んでいたガーゴイルだと思っていたコウモリ達が次々と集まっていくと、人影の周囲に纏わりついていった。

炎の中から姿を現したのは、先ほどまで彼らを楽しませてくれていた娼婦だった。
だが、客達は誰も娼婦の無事に喜ぶことはない。むしろ、恐怖を湧き上がらせていた。貴族の客も同様である。
それまでの美しい色白であった娼婦の肌は、まるで死人のような土気色へと変貌していた。
纏っていたショールやドレスかと思われていたのは大量の小さなコウモリ達が密集することで出来上がっているものであった。
全身から発する色気と魅力こそ全く変わりはないが、その異様な姿と殺気は彼らの心臓を鷲掴みにしてしまうほどの恐怖を与えてしまう。
周囲を飛び交う無数のコウモリ達は娼婦に付き従うかのように侍らされていた。
誰しもが戦慄する。この女は……人間じゃない。化け物だと。

それはもはや彼らを楽しませてくれた妖艶な娼婦ではない。血に飢えた、異形の魔女と呼ぶに相応しい。
「ば、化け物……」
「化け物だああぁぁぁっ!」
「魔女だ! 悪魔だぁ!」
一人が口にすれば、それに乗じて恐怖に満ちた声と叫びが次々に上がっていく。
平民も貴族の客も我先にと入り口に押し寄せ、一分と経たない内にあれだけ大勢の客がいた店内はすっかり閑古鳥となってしまった。
人が出払ったことで動きやすくなり、スパーダは閻魔刀に手をかけたまま舞台に佇んでいる魔女へと近づいていく。
アニエスは既に新たな弾を砲銃に装填しており、アラストルも鞘から抜き出していた。ルイズも杖を突きつけたまま身構えている。
(何よ。やっぱり平民に任せてられないわね)
魔女は傷一つ負っていないことに、ルイズはアニエスのことをさらに見くびっていた。
平民の武器と力ではやはり悪魔は倒せないのだと。

魔女は殺気を発しているアニエスやルイズと相対しても余裕の態度を崩さず、腰に手を当てていた。
それどころか今の爆発と炎で体に付いてしまったホコリや煤をパッパッ、と手で払っている。
「! 何だ?」
アニエスがアラストルで斬りかかるべく踏み出そうとした途端、スパーダが無言で肩を掴んで押しとどめてきた。
「何をやってるのよ、スパーダ! こいつが例の悪魔なんでしょ! ……なっ! 離してよ!」
ルイズも前に出て杖を振るおうとするが、スパーダに掴まれて止められてしまった。
せっかく人が出払って遠慮なく戦えるというのに、スパーダは何故か魔女に対して戦意を抱いていないことにアニエスもルイズも首を捻りそうになった。
スパーダならば相手がどんな悪魔だろうが、容赦なく手にする剣で斬り伏せるはずだというのに。どうして今回ばかりは?
(……因縁?)
ふとアニエスは先ほど、スパーダが呟いた言葉が頭をよぎっていた。この悪魔とスパーダは、顔見知りだと。
「ずいぶんと過激な女達と一緒なのね?」
魔女はその赤毛の髪と身に纏うショールを緩やかに揺らしながらずいぶんと親しげな態度でスパーダに語りかけてきた。
「お前もそう変わらんだろうが」
スパーダは舞台に一番近いテーブルの傍で転がっていた椅子を蹴り上げた。
クルクルと宙で二転、三転しながら床の上に立つと、堂々とその上に腰を下ろし膝を組んで魔女と向かい合った。
(なっ……どういうつもりよ?)
あまりの意外な行動にルイズとアニエスは呆気に取られてしまう。
魔女は自分の周りにコウモリ達を侍らせながら舞台から下りてくると、スパーダのいるテーブルの前に立つ。
スパーダは態度こそ戦意を露にしてはいないものの、その冷徹な瞳はまさに獲物を狙う狩人そのもので、刃のような鋭さを蓄えていた。
「あら? 私は違うわよ? 私はそこの女達みたいに野蛮じゃないし、せっかちでもないわ」
「だ、誰が野蛮ですってぇ!? この淫乱女ぁ!」
こんな淫魔そのものと言わんばかりの悪魔にいきなり野蛮と言われ、激昂したルイズは杖を振り上げようとした。
「あっ!」
その途端、ヒュンッという空を切る音と共にルイズの体はスパーダに軽く突き飛ばされていた。
アニエスが咄嗟にアラストルを振るい、魔女の振るったショールを弾き返す。
「せっかくのダーリンとの再会に水を差さないでもらいたいわ」
床に倒れたルイズを睨みつける魔女の赤い瞳には、殺気が宿っていた。邪魔する者は許さない。そう語っている。
「……!」
魔女の発する悪魔としての威圧感にルイズは思わず息を呑む。
その殺気は長姉が自分を叱ったりする時よりも遥かに恐ろしいもので、身動きが取れないでいた。

「最近、この街で起きているという事件はお前の仕業だそうだな」
テーブルにつくスパーダは目の前にいる魔女……〝妖雷婦〟ネヴァンに対して単刀直入に問いただしていた。
気を取り直したネヴァンは妖艶な笑みを浮かべ、スパーダの方を振り向く。
「あら。そんな噂は知らないわ。私はこのお店の準備前と閉店した後に食事をしていただけよ」
ネヴァンの食事は男の精を貪るか、女の生き血を啜るかのどちらかだ。
相変わらず、その嗜好は変わっていないらしい。
スパーダが僅かに眉を顰めると、ネヴァンは悩ましげな顔を浮かべてスパーダの頬に手を触れる。
「そんな顔をしないで……ハンサムな顔が台無しだわ……。せっかく久しぶりに再会できたんだから……楽しみましょう?」
顔を間近に近づけてきた途端、アニエスがスパーダの背後から短銃をネヴァンに突きつけてきた。
「黙れっ! この悪魔め! 貴様がスパーダとどんな因縁があろうと、この街の者達を害してきたのは明らかだ!」
「本当に無粋な女ね……。邪魔よ」
つまらなそうに鼻を鳴らしたネヴァンはアニエスに手を向けると、その指先から雷鳴と共に稲妻を発していた。
「ぐっ!」
咄嗟にアラストルを構えて盾にし、稲妻を天井へと逸らしていた。軌道を変えられた稲妻は天井で弾け散る。
「その辺にしておけ」
スパーダが一声を発するとようやく腰を上げ、閻魔刀に手をかけていた。
ネヴァンはスパーダの足元から頭まで、舐めるようにして見つめながらフフッ、と笑った。
「お前が退屈なら、相手をしてやる」
「また私に刺激を味あわせてもらえるかしら?」
その問いに、無言でスパーダは閻魔刀を指で押し上げ鞘から刃を覗かせる。
満足そうに唸るネヴァンは踵を返し、舞台に上がるとコウモリ達が彼女を守るようにして密集し始めた。
起き上がったルイズは杖を突きつけ、アニエスもまたアラストルを構えだす。
ネヴァンはその二人にも視線をやり、楽しげに笑った。血と刺激に飢えた獣のような瞳がきらりと光る。
「いいわよ。久しぶりに、楽しみましょう」



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