「じゃあなによ、結局タダメシ食えたんじゃない」
教室のドアをくぐりながらヴォルフが言う。
キクロプスの話によると、厨房で働かせてくれと頼んでみたはいいが、貴族の使い魔を横取りするようなことはできない、と断ら
れてしまったらしい。
ただ、食事はまかない食でいいなら好きなだけ出す、いつでも食べに来てくれということだった。
「…………ずいぶん気のいい親父だった……親切な話だ……」
キクロプスは感動しているようだった。表情があまり動かないので分かりにくいが。
「いい奴もいたもんねぇ。こりゃラッキーだわ」
「…………全くだ」
クリフ達はルイズの後ろについて低い階段を登る。教室はちょうど大学のような浅い傾斜のある形式だった。ただ、全て石ででき
ているのが違う。
へえ、とクリフは思った。自分もこんなところで講義を受けてみたかったなぁ。
クリフは三人の中で唯一多少の教育を受けているが、それはイメージとして能力を引き出すための簡単な物理学や構造学、部隊の
リーダーとして機能するための教育だった。真っ白で無味乾燥な無菌室の中で、毎度変わる白衣を着た男、もしくは軍人然とした威
圧的な男達に、マンツーマンで教えを受けたものだ。
他の雑学についても、成人して正式に部隊が発足してから得たわずかな自由時間の間に、趣味で覚えた程度のものでしかなかった。
だから、こういう学び舎というものでの学業にクリフは羨望に近い感情を抱く。
ルイズが席につくと、クリフ達は生徒たちの勉強の邪魔にならないよう通路の隅に立った。
「? どうしたの、椅子に座ればいいのに」
「いや……僕達はここでいいよ」
ルイズが勧めてくるが、クリフは断った。なんというか、学生達と同じ椅子に座るのは気が引けたのだ。
先ほどからこちらに向けられる好奇な視線もそうだが、子供達の空間に大人の自分達がいるというのはどこか場違いを感じたから
だ。なんだか無性に気恥ずかしい……。
とはいえ、そう感じているのは自分だけだろう。キクロプスは動きにくいところが嫌いらしいし、ヴォルフとしては単純に普通の
椅子では窮屈すぎるだけなのだろう、通路の段差に腰掛けていた。
周囲を見回すと、大小様々な動物たちが室内をうろついていた。見知った生き物も多くいるが、なによりも不可思議な生き物達が
いやに目につく。
「……なんだろうあれ……」
空を浮く巨大な目玉がいる。わけがわからん……。どうやって飛んでるんだあれは……。
ルイズが席についてから、すぐに教師は入ってきた。紫のローブをまとった中年の女性だった。
「こんにちは皆さん。使い魔召喚の儀式は、大成功のようですね。私シュヴルーズは、こうして毎年皆さんの使い魔を見るのが楽し
みなのですよ」
にこやかに微笑むシュヴルーズ。
「それにしても……ずいぶんと大勢召喚したものですねぇ、ミス・ヴァリエール。普通は一人一つのはずなんですけども」
多少興味深そうな顔をして、クリフ達に視線を向けた。教室がどっと笑いに包まれると、あら、とちょっと心外そうな顔をした。
「おいおいルイズ、召喚できなかったからって傭兵達でも雇ったのかよ!」
周囲から馬鹿にする声が飛ぶが、ルイズは泰然とした態度を崩さない。口元には笑みが浮かんでいる。
その様子に、ゆっくりと野次が止んでいく。白けた空気が教室に流れた。ルイズはふん、と鼻を鳴らして腕を組む。
ルイズを囃していた生徒達は、なぜか自信満々なルイズを見てクエスチョンを頭に浮かべていた。
「……なんだよルイズ、不気味なやつだな。できなかったんだろ、『サモン・サーヴァント』」
小太りの生徒がそう言うと、クスクスとした笑い声が上がった。
ルイズは意地の悪そうな声の響きに、少し気分を害したような表情を一瞬だけ見せる。
そこで、隣の通路に座るヴォルフがこっそりと呟いた。
「……なんだか知らないけど、相手の手に乗っちゃケンカは勝てないわよ。……主導権を取らなきゃ」
その言葉に、はた、とルイズはつまらなそうに頬杖をついている大男に視線を向けた。
「ほら、なにか言い返してみろ『ゼロ』のルイズ!」
小太りの生徒は少々しつこく食いついて、なおもからかおうとしている。
ルイズは少し考えるように顎に手をやり、一瞬の間を置いてから、
「……「ただの」フクロウごときの使い魔のくせして、ずいぶんと偉そうね『かぜっぴき』」
と言い返した。
「な、かぜっぴきだと? 僕は『風上』のマリコルヌだ!」
「はいはい、ガラガラうるさいから薬でも飲んで寝てなさい。デブが感染りそうだから話しかけないで」
ルイズのカウンターに周囲の女の子達がぶっと噴き出した。相手にしないといった風で目もくれずに、ルイズは淡々と机の上にあ
る自分の教科書やノートを広げている。
「な、なんだと! ミセス・シュヴルーズ、ゼロのルイズが僕を侮辱しました!」
「あーあ、恥の上塗りね。男のくせに先生に言いつけ?」
「なぁ!? も、もう一度言ってみろゼロ!!」
からかったはずの男の子は、気づけばルイズとの立場が逆転していた。興奮して顔が紅潮する彼を、周囲の男子が「お前の負けだ」
「やめとけ、恥ずかしい」などと言いながら抑える。
「……言うじゃない、あんた」
横に座るヴォルフがニッと笑うと、ルイズは机の下でガッツポーズをして見せた。……なんだか、大人が子供にあまりよろしくな
い影響を与えてしまっているような気がするんだが……。
「はいはい、お友達をあまり悪く言ってはいけませんよミス・ヴァリエール。授業を始めますよ」
こほん、と咳をつくと、教壇に立つシュヴルーズは軽くお辞儀をした。
「私の二つ名は『赤土』。赤土のシュヴルーズです。これから、皆さんに一年間『土』系統の魔法を皆さんに講義します」
魔法……。また魔法か、とクリフは思った。ここに来てから、幾度となく聞いたフレーズ。
「魔法の四大系統と虚無は皆さんご存知ですね? この学園で一年間学んだ皆さんは、もちろんご存知でしょうからここは省きまし
ょう。しかし、基本を忘れてはいけませんよ?」
そう言って、軽く杖を振る。机の上に、突如としていくつかの石ころが現れた。あれ、なんだ? 今のはどうやって出した?
「私は四大系統でも『土』が一番重要だと考えます。それは私が『土』系統のメイジだから、判官びいきしているわけではありませ
ん。『土』系統の魔法は皆さんの生活に密接に関係しているからです。これがなければ宮殿をはじめとするあらゆる建物、この学園
を建てるのにも大変な労力を伴うものでしょう」
ふと、クリフの脳裏に学園のレンガが思い浮かんだ。昨日の夜に調べた、不思議な謎の力で加工された強固なレンガ。
なんとなく、こっそりと教壇の石を『魔王』で触ってみた。これはただの石ころか?
「農作物の収穫、金属の加工、製本や綺麗なお洋服を作るのまで『土』系統の魔法に私達は大きく依存しています。いまや、虚無の
ように失ってはならない、絶対に手放せない魔法と呼べるでしょう」
生活を依存するほどの『魔法』?
「そこで、本日は皆さんには『土』系統の基本中の基本である、『錬金』の魔法を覚えてもらいましょう。すでにできるようになっ
た生徒もいるでしょうが、基本は大事です。まずはお手本をお見せしましょう」
ふむ……錬金。錬金術といえば中世から近世にかけて卑金属から貴金属を作り出そうとしてはじめられた試みだ。一攫千金を夢見
た山師よりも、むしろ宗教的な側面が非常に強く、不老不死などをもたらすありもしない幻の物質を求めて試行錯誤を行った出来事
でもある。
やがてその過程でなされた多くの発見が現代の化学に受け継がれていったのだが……。
シュヴルーズは何かをぶつぶつと唱えると、石ころに向けて再度杖を振った。
石ころが光り出す。輝きが去ると、そこにはキラキラと光る金属の塊があった。
……は?
え、あれ、今のはなんだ。
もう一度『魔王』で金属を確かめる。これは……銅……と亜鉛……真鍮? なぜに? ……な……!? ……どうして!? どう
やったんだ、そんなバカな!?
「ゴゴゴ、ゴールドですか? ミセス・シュヴ……」
「なんだとぉ!!?」
誰かの声に被せて、思わずクリフは素っ頓狂な声を出した。
なんだ今のは、ちょっと待て、意味が分からない。何が起きた!?
クリフの意識は確かに石ころに向いていた。あの状態で物質が入れ替わるのはまず不可能だ。というよりも、クリフの能力だと物
体の形状が正確に分かるため基本的にすりかえは効かない。
手品じゃない、なんだ、どうしてFeを微量に含んだただの石がほぼ純粋なCuとZnに変わる!?
自分を取り巻く視線に、はっとクリフは我を取り戻した。教室の中の全員の目が、クリフ一人に集まっている。
あ、しまった。つい叫んでしまった。
「……ゴホン、あー……その、失礼……」
驚いた拍子に乗り出してしまった身を戻し、クリフは謝罪した。クスクスと笑いが生徒達から漏れた。
「……なにしてんのよリーダー……」
ヴォルフがじとっとした目を向けた。キクロプスはよそを向いて他人の振りをしていた。椅子に座るルイズが赤面して俯いている。
「……ミス・ヴァリエールの使い魔さんにはちょっと新鮮な驚きだったみたいですわね」
シュヴルーズがそう言うと、周囲の笑いが強くなった。
……恥ずかしい。……やってしまった……。
「……す、すまん……つい、その……」
「なにバカみたいにはしゃいでるのよ……。恥ずかしいったらありゃしないわ……」
「…………俺を、見るな……」
「やっぱり外れ使い魔だったかも……」
口々の非難するルイズ達。うう……言葉が胸に刺さる……。
ひとしきり笑いが収まると、教壇のシュヴルーズは授業を続けた。
「これは金ではありませんよ皆さん、それはスクウェアクラスだけができる技です。私はトライアングルですから……真鍮、といっ
たところですね」
少し誇らしげにシュヴルーズは言う。
「では……生徒の皆さんにもやって頂きましょう。まずは、先ほどの使い魔の主さんに。ミス・ヴァリエール」
指でルイズを指名した。その声に、周囲からどよめきが起こった。
「え、あ、わたし、ですか?」
「ええそうです、ミス・ヴァリエール。立派に『錬金』して、使い魔さんの恥を雪いであげなさい」
ルイズが前を見据えてすっと立ち上がった。教室の動揺が大きくなる。急いで机の陰に隠れる者、蒼白な顔をして見ている者、止
めようと手を伸ばす者。誰かがシュヴルーズに警告していた。
クリフはというと、それどころではなかった。さっきの『錬金』を目撃した衝撃で、頭の中がぐるぐると回っていた。
一体どうしてあんなことができるのだろうか、物理的にありえないはずだ。元素変換? 粒子加速器もなく?
いや、それ以前にあの質量を剥き出しでそんなことをしたら核反応で大変なことが起きるのでは? 周辺地域が焦土になりそうだ
ぞ? 一体過程はどこに消えた?
あまりにもメチャクチャだ、法則も何もあったものではない。
記憶から一つの言葉が甦ってくる。
魔法。
まさに魔法。そうとしか考えられない。あまりにも馬鹿馬鹿しい。だが現実は法則を否定している。冷や汗が出た。
い、異世界……。これは、ここは異世界……。異世界……。
ふと気づくと、ルイズが教壇に立っていた。シュヴルーズのようになにかを呟きながら、石ころに向かって左手をかざしている。
クリフは変な力を感じた。凄まじく濃く、濃縮された力の奔流。ん?これは知ってるぞ、たしか、あの時の爆発の……。
「……危ない!」
クリフの手が虚空を掴んだ。石ころの周囲を包むように念動のシールドを展開する。
しかし、気が抜けたように力が集まらない。あれ、おかしい。さっきと同じだ。どうしてこんな。集まれ、もっと幾重に重ねて抑
え込んで―――。
ルイズが杖を振るうと、ボヒュッ、という篭った音の爆発が起きた。
教室のドアをくぐりながらヴォルフが言う。
キクロプスの話によると、厨房で働かせてくれと頼んでみたはいいが、貴族の使い魔を横取りするようなことはできない、と断ら
れてしまったらしい。
ただ、食事はまかない食でいいなら好きなだけ出す、いつでも食べに来てくれということだった。
「…………ずいぶん気のいい親父だった……親切な話だ……」
キクロプスは感動しているようだった。表情があまり動かないので分かりにくいが。
「いい奴もいたもんねぇ。こりゃラッキーだわ」
「…………全くだ」
クリフ達はルイズの後ろについて低い階段を登る。教室はちょうど大学のような浅い傾斜のある形式だった。ただ、全て石ででき
ているのが違う。
へえ、とクリフは思った。自分もこんなところで講義を受けてみたかったなぁ。
クリフは三人の中で唯一多少の教育を受けているが、それはイメージとして能力を引き出すための簡単な物理学や構造学、部隊の
リーダーとして機能するための教育だった。真っ白で無味乾燥な無菌室の中で、毎度変わる白衣を着た男、もしくは軍人然とした威
圧的な男達に、マンツーマンで教えを受けたものだ。
他の雑学についても、成人して正式に部隊が発足してから得たわずかな自由時間の間に、趣味で覚えた程度のものでしかなかった。
だから、こういう学び舎というものでの学業にクリフは羨望に近い感情を抱く。
ルイズが席につくと、クリフ達は生徒たちの勉強の邪魔にならないよう通路の隅に立った。
「? どうしたの、椅子に座ればいいのに」
「いや……僕達はここでいいよ」
ルイズが勧めてくるが、クリフは断った。なんというか、学生達と同じ椅子に座るのは気が引けたのだ。
先ほどからこちらに向けられる好奇な視線もそうだが、子供達の空間に大人の自分達がいるというのはどこか場違いを感じたから
だ。なんだか無性に気恥ずかしい……。
とはいえ、そう感じているのは自分だけだろう。キクロプスは動きにくいところが嫌いらしいし、ヴォルフとしては単純に普通の
椅子では窮屈すぎるだけなのだろう、通路の段差に腰掛けていた。
周囲を見回すと、大小様々な動物たちが室内をうろついていた。見知った生き物も多くいるが、なによりも不可思議な生き物達が
いやに目につく。
「……なんだろうあれ……」
空を浮く巨大な目玉がいる。わけがわからん……。どうやって飛んでるんだあれは……。
ルイズが席についてから、すぐに教師は入ってきた。紫のローブをまとった中年の女性だった。
「こんにちは皆さん。使い魔召喚の儀式は、大成功のようですね。私シュヴルーズは、こうして毎年皆さんの使い魔を見るのが楽し
みなのですよ」
にこやかに微笑むシュヴルーズ。
「それにしても……ずいぶんと大勢召喚したものですねぇ、ミス・ヴァリエール。普通は一人一つのはずなんですけども」
多少興味深そうな顔をして、クリフ達に視線を向けた。教室がどっと笑いに包まれると、あら、とちょっと心外そうな顔をした。
「おいおいルイズ、召喚できなかったからって傭兵達でも雇ったのかよ!」
周囲から馬鹿にする声が飛ぶが、ルイズは泰然とした態度を崩さない。口元には笑みが浮かんでいる。
その様子に、ゆっくりと野次が止んでいく。白けた空気が教室に流れた。ルイズはふん、と鼻を鳴らして腕を組む。
ルイズを囃していた生徒達は、なぜか自信満々なルイズを見てクエスチョンを頭に浮かべていた。
「……なんだよルイズ、不気味なやつだな。できなかったんだろ、『サモン・サーヴァント』」
小太りの生徒がそう言うと、クスクスとした笑い声が上がった。
ルイズは意地の悪そうな声の響きに、少し気分を害したような表情を一瞬だけ見せる。
そこで、隣の通路に座るヴォルフがこっそりと呟いた。
「……なんだか知らないけど、相手の手に乗っちゃケンカは勝てないわよ。……主導権を取らなきゃ」
その言葉に、はた、とルイズはつまらなそうに頬杖をついている大男に視線を向けた。
「ほら、なにか言い返してみろ『ゼロ』のルイズ!」
小太りの生徒は少々しつこく食いついて、なおもからかおうとしている。
ルイズは少し考えるように顎に手をやり、一瞬の間を置いてから、
「……「ただの」フクロウごときの使い魔のくせして、ずいぶんと偉そうね『かぜっぴき』」
と言い返した。
「な、かぜっぴきだと? 僕は『風上』のマリコルヌだ!」
「はいはい、ガラガラうるさいから薬でも飲んで寝てなさい。デブが感染りそうだから話しかけないで」
ルイズのカウンターに周囲の女の子達がぶっと噴き出した。相手にしないといった風で目もくれずに、ルイズは淡々と机の上にあ
る自分の教科書やノートを広げている。
「な、なんだと! ミセス・シュヴルーズ、ゼロのルイズが僕を侮辱しました!」
「あーあ、恥の上塗りね。男のくせに先生に言いつけ?」
「なぁ!? も、もう一度言ってみろゼロ!!」
からかったはずの男の子は、気づけばルイズとの立場が逆転していた。興奮して顔が紅潮する彼を、周囲の男子が「お前の負けだ」
「やめとけ、恥ずかしい」などと言いながら抑える。
「……言うじゃない、あんた」
横に座るヴォルフがニッと笑うと、ルイズは机の下でガッツポーズをして見せた。……なんだか、大人が子供にあまりよろしくな
い影響を与えてしまっているような気がするんだが……。
「はいはい、お友達をあまり悪く言ってはいけませんよミス・ヴァリエール。授業を始めますよ」
こほん、と咳をつくと、教壇に立つシュヴルーズは軽くお辞儀をした。
「私の二つ名は『赤土』。赤土のシュヴルーズです。これから、皆さんに一年間『土』系統の魔法を皆さんに講義します」
魔法……。また魔法か、とクリフは思った。ここに来てから、幾度となく聞いたフレーズ。
「魔法の四大系統と虚無は皆さんご存知ですね? この学園で一年間学んだ皆さんは、もちろんご存知でしょうからここは省きまし
ょう。しかし、基本を忘れてはいけませんよ?」
そう言って、軽く杖を振る。机の上に、突如としていくつかの石ころが現れた。あれ、なんだ? 今のはどうやって出した?
「私は四大系統でも『土』が一番重要だと考えます。それは私が『土』系統のメイジだから、判官びいきしているわけではありませ
ん。『土』系統の魔法は皆さんの生活に密接に関係しているからです。これがなければ宮殿をはじめとするあらゆる建物、この学園
を建てるのにも大変な労力を伴うものでしょう」
ふと、クリフの脳裏に学園のレンガが思い浮かんだ。昨日の夜に調べた、不思議な謎の力で加工された強固なレンガ。
なんとなく、こっそりと教壇の石を『魔王』で触ってみた。これはただの石ころか?
「農作物の収穫、金属の加工、製本や綺麗なお洋服を作るのまで『土』系統の魔法に私達は大きく依存しています。いまや、虚無の
ように失ってはならない、絶対に手放せない魔法と呼べるでしょう」
生活を依存するほどの『魔法』?
「そこで、本日は皆さんには『土』系統の基本中の基本である、『錬金』の魔法を覚えてもらいましょう。すでにできるようになっ
た生徒もいるでしょうが、基本は大事です。まずはお手本をお見せしましょう」
ふむ……錬金。錬金術といえば中世から近世にかけて卑金属から貴金属を作り出そうとしてはじめられた試みだ。一攫千金を夢見
た山師よりも、むしろ宗教的な側面が非常に強く、不老不死などをもたらすありもしない幻の物質を求めて試行錯誤を行った出来事
でもある。
やがてその過程でなされた多くの発見が現代の化学に受け継がれていったのだが……。
シュヴルーズは何かをぶつぶつと唱えると、石ころに向けて再度杖を振った。
石ころが光り出す。輝きが去ると、そこにはキラキラと光る金属の塊があった。
……は?
え、あれ、今のはなんだ。
もう一度『魔王』で金属を確かめる。これは……銅……と亜鉛……真鍮? なぜに? ……な……!? ……どうして!? どう
やったんだ、そんなバカな!?
「ゴゴゴ、ゴールドですか? ミセス・シュヴ……」
「なんだとぉ!!?」
誰かの声に被せて、思わずクリフは素っ頓狂な声を出した。
なんだ今のは、ちょっと待て、意味が分からない。何が起きた!?
クリフの意識は確かに石ころに向いていた。あの状態で物質が入れ替わるのはまず不可能だ。というよりも、クリフの能力だと物
体の形状が正確に分かるため基本的にすりかえは効かない。
手品じゃない、なんだ、どうしてFeを微量に含んだただの石がほぼ純粋なCuとZnに変わる!?
自分を取り巻く視線に、はっとクリフは我を取り戻した。教室の中の全員の目が、クリフ一人に集まっている。
あ、しまった。つい叫んでしまった。
「……ゴホン、あー……その、失礼……」
驚いた拍子に乗り出してしまった身を戻し、クリフは謝罪した。クスクスと笑いが生徒達から漏れた。
「……なにしてんのよリーダー……」
ヴォルフがじとっとした目を向けた。キクロプスはよそを向いて他人の振りをしていた。椅子に座るルイズが赤面して俯いている。
「……ミス・ヴァリエールの使い魔さんにはちょっと新鮮な驚きだったみたいですわね」
シュヴルーズがそう言うと、周囲の笑いが強くなった。
……恥ずかしい。……やってしまった……。
「……す、すまん……つい、その……」
「なにバカみたいにはしゃいでるのよ……。恥ずかしいったらありゃしないわ……」
「…………俺を、見るな……」
「やっぱり外れ使い魔だったかも……」
口々の非難するルイズ達。うう……言葉が胸に刺さる……。
ひとしきり笑いが収まると、教壇のシュヴルーズは授業を続けた。
「これは金ではありませんよ皆さん、それはスクウェアクラスだけができる技です。私はトライアングルですから……真鍮、といっ
たところですね」
少し誇らしげにシュヴルーズは言う。
「では……生徒の皆さんにもやって頂きましょう。まずは、先ほどの使い魔の主さんに。ミス・ヴァリエール」
指でルイズを指名した。その声に、周囲からどよめきが起こった。
「え、あ、わたし、ですか?」
「ええそうです、ミス・ヴァリエール。立派に『錬金』して、使い魔さんの恥を雪いであげなさい」
ルイズが前を見据えてすっと立ち上がった。教室の動揺が大きくなる。急いで机の陰に隠れる者、蒼白な顔をして見ている者、止
めようと手を伸ばす者。誰かがシュヴルーズに警告していた。
クリフはというと、それどころではなかった。さっきの『錬金』を目撃した衝撃で、頭の中がぐるぐると回っていた。
一体どうしてあんなことができるのだろうか、物理的にありえないはずだ。元素変換? 粒子加速器もなく?
いや、それ以前にあの質量を剥き出しでそんなことをしたら核反応で大変なことが起きるのでは? 周辺地域が焦土になりそうだ
ぞ? 一体過程はどこに消えた?
あまりにもメチャクチャだ、法則も何もあったものではない。
記憶から一つの言葉が甦ってくる。
魔法。
まさに魔法。そうとしか考えられない。あまりにも馬鹿馬鹿しい。だが現実は法則を否定している。冷や汗が出た。
い、異世界……。これは、ここは異世界……。異世界……。
ふと気づくと、ルイズが教壇に立っていた。シュヴルーズのようになにかを呟きながら、石ころに向かって左手をかざしている。
クリフは変な力を感じた。凄まじく濃く、濃縮された力の奔流。ん?これは知ってるぞ、たしか、あの時の爆発の……。
「……危ない!」
クリフの手が虚空を掴んだ。石ころの周囲を包むように念動のシールドを展開する。
しかし、気が抜けたように力が集まらない。あれ、おかしい。さっきと同じだ。どうしてこんな。集まれ、もっと幾重に重ねて抑
え込んで―――。
ルイズが杖を振るうと、ボヒュッ、という篭った音の爆発が起きた。