「ふんだ。そんな嘘信じないわ」
夜食のパンをほおばりながら、ルイズはそっぽを向いた。
クリフとルイズはテーブルを挟んで、椅子に腰掛けていた。
ヴォルフは壁にもたれかかって腕を組んでおり、キクロプスはそのまま床に座り込んでいる。
ここはルイズの部屋だ。
二十平米ほどの広めにとられた部屋に、彼女のベッドやタンスなどが並べられていた。
あれからクリフ達はルイズに連れられて、学院内にある彼女の部屋まで来ていた。
「生き返った話のくだりは、僕も正直なところ半信半疑なんだけどね……」
頭をポリポリと掻きながら、クリフはそう言うしかなかった。
自分達は日本の東京・藍空市というところにいた事。
そこで襲われ、命を失った事。気づいたら、草原にいてなぜか蘇っていた事。
そこまでをクリフはルイズに話していた。
自分達が超人的能力者で結成された特殊部隊であることは、当然ながら漏らしていない。
もちろん、エグリゴリの話などはどうせ信じられもしないが話さなかった。
「死体が生き返るわけないじゃない。ばっかじゃないの」
ルイズはからかわれているとでも思っているらしい。苛立ちを隠そうともしていない。
「だいたい、そのニホンノトーキョーってどこよ? なにそれ? どこの国?」
「いや、どこの国っていうか……」
どうも様子がおかしかった。
地図での位置はともかく、日本と言えば以前はステイツに次いでいたほどの、
大抵どこの国でも知られている極東の経済大国なのだが。
少女も含む周囲の人間の風貌からしてまずヨーロッパである、とクリフはあたりをつけていたのだが、少なくともEU圏の人間で知らないというのはよほどのことである。
クリフの横にいるヴォルフも、少し怪訝な顔をして少女を見ていた。
「日本も知らないなんて。ロシアじゃシベリアの田舎でだって知ってるわよ?」
「悪いけど、そんな国聞いたこともないわ。その、ロシアジャシベリアってのも」
「うん? ……ふーん、じゃ、ここ東欧のどこかですらないのね。
アタシてっきりそのへんかと思ったけど」
いやヴォルフ、東欧は英語圏じゃないぞ。……しかしこいつ、こんなに英語上手かったっけ。
ずいぶんネイティブな発音するな……?
などと思いつつ、クリフは先ほどルイズから聞き出した地名について再び確認をとる。
「君、ここはトリステイン……でいいんだね?」
「君ってなによ。ご主人様って呼びなさい。ええ、トリステインよ。
そしてここはかの有名なトリステイン魔法学園」
「うーん……」
聞いたことのない国名だった。フランス系言語の響きを感じるが、
この国の隣国は西にガリア、東にゲルマニアという国があるという。
ガリア、というのはケルト系ガリア人の居住地から来た西ヨーロッパの広域もしくはイタリア北部の地域を指す言葉だし、ゲルマニアもドイツ地域を表す古称だ。
国ではなく、むしろ地方全体のことである。
北部が海に面しているなどの話を総合すると、どうもベネルクス周辺のように思えるのだが、いまいち判然としない。それに、オランダ語もしくはフランス語圏やドイツ語圏のはずだ。
「まったく、どこの田舎から来たのか知らないけど、トリステインも知らないなんて」
そう言われてもなぁ……。なんだがすごい齟齬だな……?
「なに言ってるのかしらこの小娘は……。
どんだけ不勉強なのよ。それにこーんなのどかな風景のが珍しいわよ。
車すら走ってないじゃない」
ヴォルフが肩をすくめて呟く。そう、問題は車の一つどころか電線すら見当たらないのである。
多少程度の金はあるが、これでは電話でタクシーを呼ぶこともできない。
「はぁ? 馬車ぐらい使うに決まってるじゃない、貴族をなんだと思ってるのかしら」
「馬車……? ええ? 何言ってんの?」
変な顔をしてヴォルフがルイズを見る。ルイズはさっきから、ズレたことをよく言う。
「ホントに変な子ねぇ……。どうしちゃってるのかしら」
「なによ、馬に乗るより走る方が得意そうなくせに」
「そんな経験そうそうあるわけないじゃない、コサック兵じゃないんだから。何言ってるのよ?」
「あっきれた。馬にも乗らないなんてどれだけ野蛮なのかしら」
「……なによこのガキ。口悪いわねー。おバカなのかしら」
「そっちこそなによ。これみよがしにゴテゴテして、筋肉ダルマ。変な筆髭しちゃって」
「大きなお世話よ、桃色の髪した頭の軽いガキがよく言うわ。まんまパープリンじゃない」
「……あんただって同じような色でしょ。人のこと言えた義理じゃないわ、ばっかじゃないの」
「アタシはいいのよ、知性溢るるピンクだし、あんたみたいな下品なブロンドじゃないしー」
「下品ですって? ……もう一度言ってごらんなさい、下僕」
ケンカをはじめようとする二人を、クリフは仲裁した。
「ちょっと止めてくれ。ヴォルフ、落ち着いて話せ」
「生意気はいいけどむやみに偉そうなガキは嫌いなのよ。特に女は」
「止めろって。話が進まないだろ。まったく……」
こんな下らないことで口ゲンカなんかして何になるというのやら……。
それに、何が知性溢るるだよ。
「誰がガキよ、なんなのよこの肉ダルマは、もう。だいたいね。
そんな文明の進んだ場所なんて、東方にもエルフの住むサハラの先にもあるわけないじゃないの。
300メイル以上の赤い塔? 『びる』? 『えすかれーたー』に『えれべーたー』?
空を飛ぶ鉄の機械がいっぱい飛び回って、挙句の果てに『宇宙ろけっと』で月まで進出?
子供だってもっとマシなお話考えるわよ」
憤然としてルイズは言う。日本を説明した際のやり取りを、ルイズは露ほども信じていない。
(……うーん。これは……)
ルイズに冗談を言っている様子はなかった。
アームストロング船長を知らなくても、人類が月に立ったことなどはアフリカのマサイ族ですら伝聞で知っていることだ。信じているかどうかはともかくとして。
だが、少女は誰もが知っている常識的な事柄が知識になかった。
それに、彼女の言うメイルなどという単位に覚えはない。
メートル法と変わらない尺度のようではあるが、もちろんそんな表記は存在しない。
(フフッ……まるで、異世界にでも飛ばされたみたいだな)
それこそ御伽噺みたいな事を思う。
「こら、あなたもなに笑ってるのよ、わたしをからかってるの?
もう、なんなのかしら。……それで? あんた達は使い魔になるって言うの?」
ルイズが話題を切り替えた。
「……ああ。とにかくどうしようもないみたいだし。それに、色々知りたいことがある。
ぜひお願いするよ」
クリフは首肯した。方針を決めた以上、少しの間だけここに留まることに決めていた。
内心で、まあ長くはないが、と付け足す。
この子には悪いが、逃亡者である自分達がここに長く居れば迷惑をかける恐れもある。
エグリゴリのやり方からいって、その公算はかなり高いだろう。
我々がここにいたということも出来れば知られるべきではない。
情報を集めたらできるだけ早く、とりあえずアフリカか南米にでも飛ばなければ。
「ふーん、そう。ま、しょうがないわ。わたしの使い魔にしてあげる。
わたしが呼び出しちゃったんだしね。そう言うんなら認めてあげるわ」
「ああ。よろしく頼む」
クリフがそう言うと、ルイズは機嫌を直したようだ。
「ちょっと口調が気に入らないけど、それはおいおい教え込めばいいわね。
他はともかく、あなたの態度はちょっとマシみたいだし。
よろしくね、わたしがご主人様よ」
椅子から立ち上がると、小さな胸をそらして宣言する。
……なんでこの子はわざわざ居丈高にするんだろか?
「……うん。それで……使い魔、っていうのは何をすればいいんだい?」
「まず。使い魔は主人の目となり耳となる能力を持つわ」
「目となり耳となる、能力。どういうことだい?」
「使い魔が見たものは主人も見ることができるの。
でも、ちょっとあんた達は無理みたいね……何も見えないし」
「ふむ。僕達はちょっと珍しい? らしいしね」
「そうね。まあそれはいいわ。次に、使い魔は秘薬の触媒を探してきたりするの。
例えば硫黄とか、コケとか」
「硫黄か。……僕はちょっと難しそうだな。キクロプスはできるか?」
「…………簡単な火薬の調合ぐらいならできるが。探すとなると、さすがにな……」
「無理に決まってんじゃないそんなの。
てゆーか、地面掘り返すのならあんたの専売特許みたいなもんでしょ」
ヴォルフが口を挟む。だからこっちの『力』を簡単に漏らそうとするな。
あとでよく言い含めておかないと……。
「……鉱夫でもやってたの? そうは見えないんだけど……」
ルイズが意外そうにこちらを見る。
「ああ、いや、似たようなものさ。それで、他には……」
「んー、無理ならしょうがないわね……それで、これが一番大事なんだけど。
使い魔はね、主人を守るのよ。その能力で、主人を守るのが一番の役目!
……なんだけど」
言葉を途切ると、部屋にいる三人の男をざっと眺めた。
「うーん、あなたちょっとそういうの苦手そうよね……そこのオカマ男は強いかもしんないけど、腹立つからわたしはやだし。となるとそこの妙ちくりんなメガネかしら」
そう言って、キクロプスを指名するルイズ。
「…………俺か」
「ええ。あなたもけっこう大きいし。適任でしょ?」
「…………ボディーガードは苦手な方なんだが」
軽くヴォルフに視線を送るキクロプス。
護衛役なら本当は『不死身』であるヴォルフこそが適任なのだが、それは口に出せないことをクリフが言わずとも承知しているようだ。
「わがまま言わないの! あんたは今日からわたしの護衛よ。
……ところでそのメガネ、マジックアイテム? あとで見てもいい?」
キクロプスがつけているのはサングラスのように光線を遮断する特殊改造の超小型暗視スコープである。とは言っても、一般人が触ったところで使い方など分からないが。
「…………壊さなければ構わんが」
キクロプスはスコープを外すと、念の為に電源を切った。
もし動作不良を起こしたらあらゆる光線を拾ってしまうキクロプスの目は、
日中では半日もすればひどく痛むようになってしまうのだ。
「壊すわけないでしょ。じゃ、決まりね。あとは……」
くるりとクリフに振り返り、にこりと可愛らしく笑いかける。
「あなたはもろもろの雑用。なにか用事があったら呼ぶわ。それまで待機!」
うんうんと頷くルイズ。雑用か、ちょっと面倒かもなぁ……とクリフは思った。
「で。そ・れ・で!」
つかつかとヴォルフの前まで歩くと、びしぃ! とその顔に向かって力強く指差した。
「あんた! あんたは掃除洗濯ベッドメイクにわたしの夜食の用意、
靴の手入れからランプの整備に何から何までやってもらうわよ!」
「ええ? クリフがやるんじゃないの?今そう言ったじゃない」
「うるさーい! あんたの仕事はそれ! ご主人様に逆らうの!?」
「なによもう」
「ヴォルフ。お前なら適任だろ、手伝うからさ」
クリフがそう言うと、やれやれとばかりに肩をすくめた。
「しょうがないわね。ま、いいわ。アタシ家事好きだし」
「……ずいぶん意外ね。まるで見た目とはかけ離れてるように思えるけど」
「人は見かけによらないものよ、お嬢ちゃん」
ウインクするヴォルフ。
「……ふん。変なことしたら許さないからね」
「するわけないでしょ。
やるんだったらあんたの首根っこでも掴んで外に放り投げちゃった方が早いし」
「……それこそただじゃおかないんだから」
ルイズは踵を返すと、ベットにぽん、と腰掛けた。
そうして、大きく伸びをしながらあくびをする。
「さてと。しゃべったら眠くなっちゃったわ、もういい時間みたいだし。
あとはもう明日ね。ああそうそう、さっきのマジックアイテムのメガネ……どうしたのよ?」
ルイズの言葉に、周囲の視線がキクロプスに集まった。
見れば、キクロプスは手にスコープを握り締めて、大量の脂汗を流していた。
「? なんか悪いものでも食べたのキクロプス。なんかすごく顔色が悪いわよ?」
ヴォルフが心配する声をかけるが、それには答えずただ窓に向かって虚空を睨むキクロプス。
こころなしか、手が震えている。
「ねえちょっとってば。どしたのよ? 風邪でもひいた?」
キクロプスはゆっくりと窓を指差し、呟いた。
「…………そこからでは、見えない。……カーテンを開けろ。……窓の外を見るんだ」
窓の外になにかあるのか、キクロプスの『千里眼』は何かを捉えているらしい。
クリフは窓に近づいて、カーテンを開いた。
見下ろしても、外の景色に特に変わった様子はない。
さきほど、自分達が転がっていた草原と、鬱蒼と生い茂る大きな森が暗闇の中に横たわっているだけだ。
「特に変わったところはないが……?」
「…………違う。上だ。月を……見ろ」
「月?」
空を見上げたクリフの目に、あり得ない光景が映った。
「……な!?」
……月が……二つ、輝いている。
……ふ、二つだと? なんだ、なんだこれは!?
「どしたのよ? ……はぁ!? ちょ、ちょっと。なにこれ、どして?」
クリフの横から頭を出したヴォルフが、紅と蒼を帯びた二つの満月に、唖然とした。
「……こんな月見たことないわよ? ……え、これ、実はすっごいレアな光景? 何百年に一度とか?」
脳天気なヴォルフのセリフに、平然とルイズが答える。
「月が二つなんて当たり前じゃないの。何を驚いてるのよ?」
「なにその冗談。……え、でもなんで? こんな風に見えることなんてあるの、クリフ?」
そんなことが……。
「そんなこと、あるわけないだろ! 地球上のどこに行ったって、月は一つだ!
一つしかない!!」
急いで、クリフは窓の外の周囲に『魔王』を展開して周辺の状況を捜索した。
クリフの『魔王』は視界内の力学的物理法則を支配するほどの強力なサイコキネシスである。支配する、ということは同時に、物体の状況を知覚できるということでもある。
人が手で物を触り持ち上げる時、その物体が固いのか柔らかいのか、重いのか軽いのか、尖っているのか丸いのか、握れば潰れる感触など、それと同じように物の状態を知ることができる。
捜索の結果に、クリフは愕然とした。
周囲の物全ては、双方向からの月光とおぼしき光の照射を受けている。
この木々も、この草原も、この建物も。
あの月は。
あの月は、本物だ。プロジェクターや幻像の類ではない。
間違いなく、あの月はおそらくかなりの高度から、太陽光を反射した光を、それも別方向から照らしている……!
「なん……だと……! そんな馬鹿な……! あり得ない、あれは……月だ……!」
ありえない。こんな現象が存在できるわけがない。
しかし、眼前の双月はその考えを真っ向から否定するかの如く、爛々と輝いていた。
「……ええ? でも月が二つあるって……つまり、どういうこと?」
本物の月が二つ。これの意味するところは何か。
「つまり……こんな光景は、地球上には……存在しない!!」
天地がさかさまになったって、こんな月は存在しない。では、自分達はどこにいる。
「でも、なんかふつーに目の前にあるんだけど……
どっかで、アメリカあたりが変な実験でもやって……そう見えるとか?」
「違う……! 違うぞ、違うんだヴォルフ。あれは……本物の、正真正銘の月だ……!
「僕には」分かるんだ……知ってるだろ……!」
「……え?そんなわけ、ないでしょ?」
「わけもないも、あるか!! あれは、月だ!! なんで二つある!?」
「お、落ち着いてよクリフ。アタシが知るわけないじゃない」
「くそっ!何故だ!? なんだ、なにがあったんだ!?」
「ちょっと、ヒートアップしないでよ。……なんだかわかんないけど、えーと……増えたとか?」
「増えるわけないだろ!!」
「そ、そんなの分かんないじゃない。げ、現にあるんだし、さ」
「だから困ってる!!」
「知らないわよぅ」
ヴォルフに食いかかりながら、クリフは思い出した。
この学園の門をくぐった時の、妙な違和感。
慌ててドアに向かって走る。鍵を開きドアを開け、廊下に出た。
「ちょ、ちょっと!? どうしたのよ急に?」
急な行動を起こしたクリフにルイズが後ろから声をかけるが、構わずに学園内が一望できる窓に走り寄る。夜の闇に、古びた城のような学園の外観が見えた。
そうだ、おかしい。これはあまりにもおかしい。思えばあの時、なぜ気づかなかった。
最初は、バロック後期の建築かと思った。だがよく目を凝らせば、そうでないことに気づく。
クリフはその能力をより発揮し巨大な建造物をより効率的に破壊するために、建築について多少程度の知識は持っている。この建物の「形」は、自分の記憶の中にない。
これは、この建物は、ルネッサンス以降のあらゆる時代の建築様式が用いられて建てられていた。
軒棟ごと、階層ごとに違う時代の建築様式が用いられている、ということは何度も増改築を行った歴史のある聖堂などに稀に存在する。その時代ごとの職工が、自分の建築手法で建て増しを行うからである。
しかしこの学院は、あらゆる時代の建築様式が、まるでパーツ取りでもしたみたいに、そして寸分の狂いすらなく、「これで一つの様式」として全てが統一されていた。
似てはいるが、こんな様式は存在しない。
それどころか、ものによっては近現代の技法も一部混じっている。
「……嘘だろ?」
これはあきらかにおかしい。こんな歴史的オーパーツがあれば、世界的に有名になるからだ。
自分が知らないはずがない。
ゆっくりと展開している『魔王』がさらなる異常をクリフに知らせる。
変な『力』を感じた。この学園全体に、自分が感じたことのない力のオーラのようななにかを。
建物の中、廊下や天井や壁、その全体をなぞるように調べてみる。
クリフに衝撃が走った。
ありえないことに、建物そのものが、なんらかの力学的運動に近い『力の支え』を行っていた。
いや、建物というよりも、それを構成する石材や木材が自身が自壊しないように、つっかえでも入ったかのように「保護」されている。ただの無機物自体が、重量や重力による軋みや劣化を無視して、その場に停止するように建物に収まっていた。
試しに、近くの壁のレンガを『魔王』で調べてみる。
普段はここまではしないが、じっくりと詳しくチェックをする。
間違いない。完全に空間のその場所に停止して、謎の不思議な『力』でレンガ自身を支えている。
なんだこの『力』は。イメージするために両眼に力を込め、よく目を凝らす。
物体の物理的強度自体を補填している? いや、違うな。正確ではない。
では時間を止めている?
バカな、ナンセンスだ。だいたい光まで遮断してしまう。
……よく見ろ、深く。もっと深く。もっともっと深く……。
クリフの意識は人体の持つ目の能力をはるかに飛び越え、さらなるレンガの詳細を探っていく。
両目の周りに、血管がびしびしと浮き出してきた。
脳内に漠然とした分子の構造イメージがおぼろげに湧き出る。
これは……表面の分子構成に無茶な割り込み、をかけて……崩れもせずに、安定している、だと?
しかも、それ自身に重量が、存在……しない……!? な、なんで……!! いや待て、それより……物理法則を、完全に無視している……!?
こんなことをすれば、通常分子はただちに崩壊を起こすはずだ。
そもそも、重量がないとはなんだ!?
「ねえー……リーダー、そんな固まられても……」
ふと顔を上げると、ヴォルフがこちらを覗きこんでいた。
「どうしたのよ急に。なにかあったの?」
「……あ、あ……」
足の力が抜け、クリフはその場にへたり込んだ。
「ちょ、ちょっと! だいじょぶ?」
崩壊しない分子といい、摩訶不思議な『力』を持つ重量のない何かといい。
月も建築も謎の『力』も、こんなものは地球上には存在しない。
地球上には存在しない場所に自分達がいる。ので、あるならば。
いや、信じられない。そんなはずはない。馬鹿な、ありえない、そんな馬鹿な。
子供の御伽噺じゃないんだ、これは現実だ。
昼間の記憶が蘇る。見た事のない生物、コルベールが用いた妙な念動力の使い方。
そして、ヴォルフやキクロプスが治癒した理由。
自分達が死んでいないこと。
いくつもの傍証が、下らない仮説を裏付けていく。
まさか。本当に。そんなことが?
「ヴォ……ルフ。……落ち着いて、聞いてくれ」
「アタシはずっと落ち着いてるわよぅ」
「……ヴォルフ。僕達は……僕達は今、ひょっとした、ら……」
「ひょっとしたら……?」
「……異世界に、いるかもしれない」
「……はぁ?……なにそれ? ……マジ? マジなの?」
「多……分、間違い……ない……」
「……嘘、でしょ……!」
くっくっく、と噛み殺したような笑いが聞こえた。
戸口に立つルイズの後ろで、キクロプスが静かに笑っていた。
「……キクロプス、何がおかしいんだ」
キクロプスの笑いは止まらない。やがて、声を上げて大きく笑いはじめた。
「笑い事じゃないぞ! とんでもないことだ!」
クリフが責めると、可笑しそうに腹を押さえながら手を振る。
「クククッ…………いや、すまん。しかしな……異世界、か。なるほどな……ハハッ……」
「僕は冗談を言ってるつもりはない! 間違いなく、ここは地球上のどこでもない!」
「…………悪かった。クック……疑ってるわけじゃないんだ。 ……俺も、そうとしか思えない。
確かに月からの光線は二つあるみたいだしな。……だが、ククク……」
「……何を笑ってるんだ?」
「…………笑うしか、ないだろう。……死んだはずが生きていて、異世界の子供の従者に?
……こんなにおかしなことはないな……ハハハ……」
そう言って目頭を拭う。
「全然笑えないぞ!」
「笑えないわねぇ……」
「…………いやしかし……ちょっとな……本当に悪い、しかし……ククク……」
そこで三人のやり取りに、ルイズが水をかけた。
「……ねえちょっと。よく分かんないんだけど。とにかく、中に入ってもらっていい?
寒いしもう夜中だから迷惑かかるし」
「え……あ、ああ。……すまない」
促され、ルイズの部屋に戻るクリフ達。
全員が入ると、ルイズはかちゃり、と鍵をかけ直した。
「何よ急にみんなして慌てて。びっくりしたわ」
「……すまない、驚かせて」
「何があったのよ。異世界がどーのこーのって……」
「……」
「ほら、座って。立っててもしょうがないでしょ」
そう言って、再びルイズはベットの上に腰を下ろした。クリフも椅子に戻る。
「……信じられないかも、しれないけど」
クリフはルイズに向き直り、居ずまいを正した。
「僕も、嘘だと信じたい。こんな……いや、うん。僕達は君とは違う……別の、世界から。
……異世界からきた、らしい」
しごく真面目な顔をして、クリフは言った。
キクロプスもすでに笑うのをやめ、鋭い視線を送っている。
「……なによそれ。さっきの話より信じらんない」
疑わしそうな目を向けるルイズ。当然だ。
「僕も信じられない。だが、そうとしか思えない……こんなことがあるのか?」
「知らないわ」
「ううむ……」
ルイズも何も知らないらしい。確かに、この子は現代の文明を知らなかった。
「ねえ、また明日にしてもいい? もう眠いわ……」
「え? あ……でも、その……」
「目もしょぼしょぼするし……明日も授業があるのよわたし」
「そ、そうかい……いや、でも……」
「なにがあったか知らないけど……大丈夫よ、明日だって時間はいくらでもあるわよ」
「……本当に、何も知らないのかい?」
「知らないってば。とにかく、朝になったらまた話しましょ。ふわああ……」
釈然としないまま、クリフは納得するしかなかった。どうすればいいんだ……何故こんなことに。
思わず頭を抱える。溜め息がついて出た。訳が分からないとはこの事だ。
ルイズは立ち上がると、ブラウスのボタンに手をかけた。
一個ずつボタンを外していき、するりという音を出して脱いだ。下着が露になる。
「え、ちょっと。なんでいきなりここで脱いでるのよ?」
突然の奇行にヴォルフが驚いて声を上げるが、きょとんとした顔でルイズは答えた。
「なんでって、寝るから着替えるのよ」
「着替えるって……」
キクロプスも落ち込んでいたクリフも、顔を上げてぽかんとした。
「ちょ、ちょっとストップ。ストップよ!」
「なんで?」
「なんでって、あんた恥じらいってもんがないの!? まずいでしょ」
「まずくないわよ」
「ええー。嘘でしょあんた、目の前に男がゴロゴロいるのよ?」
「男? そうは言っても、使い魔じゃないの。別に気にしないわ」
「気にしなさいよ! ああもうちょっと……」
さっとルイズの前に背中を向けて立ち、クリフ達の方を睨む。
ヴォルフの巨体がルイズの姿を覆い隠した。
「あんた達、なにレディの着替えをジロジロ見てるのよ。目を伏せる!」
そう言い放たれ、すぐにクリフは目を伏せた。キクロプスは後ろを向く。
「別に見られても平気なのに」
「なに言ってるのよ。男は狼なのよ、気をつけないと取って食われちゃうわよ」
「あんただって男じゃない」
「アタシは女には興味ないのよ」
「なにそれ、本当にそっちの趣味なの?」
「悪い? 心は乙女で体は男だから、オカマは最強なのよ?」
「最強ね……」
「ええ、最強。いずれあんたにも分かる日がくるわ」
「別に分かりたくない……」
「あら、つれないわね」
いつの間にか、ルイズは着替え終わっていた。大きめのネグリジェをすっぽりとかぶっている。
「はい、これ下着。心が女なら気にしないでしょ、明日になったら洗濯しといて」
ぽん、とヴォルフの肩の上に下着が投げられた。
「気にしないけどね……ちょっとムカつくわ」
「いいからやりなさい。わたしは授業があるんだから」
「はいはい。しょうがないわね、もう」
ルイズはばふ、とベッドに飛び込んだ。そのまま布団に潜り込んでいく。
「ちょっと。アタシ達はどこで寝ればいいのよ?」
「あんたは床。他のも、今日のところはそこで我慢しといて」
「なによそれ。扱い悪くない?」
「しょうがないでしょ、ベッドは一つしかないんだから。……はい、毛布ぐらいはあげるわ」
「……嘘でしょー。いやねーもう」
ぶつぶつと文句をこぼしつつ、着替えから目を背けていた二人に話しかけた。
「だってさ。どうする?」
ひらひらと手渡された毛布を空中で泳がせるヴォルフ。
毛布は普通のサイズに比べればかなり大きめとはいえ、彼の体は二mを越すのだ。
「…………俺はいらん」
キクロプスは部屋の隅に座り込むと、壁に背をもたらせて目をつぶった。
「ええと、僕もいいかな……一応、屋内ではあるし。ヴォルフが使いなよ」
どう考えても二人で分けきれそうにないと、クリフは断ろうとした。
もちろんそれは口実で、別の問題が非常に大きい。
「ダーメよ。あんた一番体弱いんだから。風邪でも引いたらどうすんの。アタシと一緒に寝ましょ」
そうしてクリフの肩を叩く。
「大丈夫よ? アタシはクリフ、そこまでタイプってほどじゃないし。それに若い男の子でなきゃ」
「……分かったよ、それでいい」
どうせ断りきれないだろう、とクリフは諦めて頷いた。
さすがにこんな時に手を出してくるなんてことはしないだろう。
クリフはスーツの上着とネクタイだけを椅子にかけて、寝転がった。
うーん、床が意外に冷たい……。
「はーい。んじゃ、仲良く分けましょ」
毛布を半分だけクリフにかけつつ、自分も床に転がるヴォルフ。
「おやすみなさーい」
「……明かり消すわよ」
ルイズがぱちり、と指を鳴らした。途端にランプの灯火が消え、部屋は暗闇に包まれた。
へえ、便利なものだなぁ。あれもあの不思議な『力』みたいなものだろうか?
相変わらず、原理や物理的な力の流れが全然分からない。
窓の外には二つの月が光っていた。信じられないが、現実だ。確かにある。
その周りを、数多くの星が瞬いていた。自分は天文には疎いが、見たことがない星空に見えた。
これからどうしようか。本当に参った、まさかこんなことが起きるだなんて。
信じたくはないが、信じるしかない。全ての現象はこれが現実だと言っている。
このまま、このルイズという子の使い魔とやらになるしかないのか。
それしか手段はない。自分達は何も知らない世界に、いきなり放り出されたのだから。
エグリゴリからの追っ手から逃亡するのも、いずれ復讐を遂げるのもとりあえずはご破算だ。
まあ、そもそも生きていただけで儲けものではあるのだが……。
まず、情報を集めなければ。とにかくは地理。自分達の位置を知りたい。
何かの間違いであってほしいと願う。
ユーゴー。今頃はどうしているのか。兄さんは生きていたよ。彼女の顔が見たい。
死んだはずの自分の姿を見せたら、どんな顔をするだろうか?
喜んでくれるだろうか。あの子のことだ、気絶してしまうかもしれないな。
そもそも、また会うことはできるのだろうか。
キャロル。タカツキとの戦いの中で、あの子にもひどいことをしてしまったな。
ちゃんと謝ることもなく自分はキースの前に斃れてしまった。無事でいてくれるといいんだが。
隣では背を向けたヴォルフから、すやすやとした寝息が聞こえてきた。
早い……。本当に順応性高いなぁ。こいつのこういうところは羨ましい。
僕はあまり眠れそうにない。
毛布にくるまって目を閉じる。目が覚めたら、全て悪い夢だったことにならないかな。
起きたら、ユーゴーとキャロルがいたら。
僕の話を聞いて、可笑しそうに笑ってくれたら。
隣でそれを聞いていたヴォルフがいつものように合いの手を入れ、キクロプスが静かに隅でナイフを研いでいたら。
とりとめのない思いの中、眠れない夜はただ過ぎていった。
夜食のパンをほおばりながら、ルイズはそっぽを向いた。
クリフとルイズはテーブルを挟んで、椅子に腰掛けていた。
ヴォルフは壁にもたれかかって腕を組んでおり、キクロプスはそのまま床に座り込んでいる。
ここはルイズの部屋だ。
二十平米ほどの広めにとられた部屋に、彼女のベッドやタンスなどが並べられていた。
あれからクリフ達はルイズに連れられて、学院内にある彼女の部屋まで来ていた。
「生き返った話のくだりは、僕も正直なところ半信半疑なんだけどね……」
頭をポリポリと掻きながら、クリフはそう言うしかなかった。
自分達は日本の東京・藍空市というところにいた事。
そこで襲われ、命を失った事。気づいたら、草原にいてなぜか蘇っていた事。
そこまでをクリフはルイズに話していた。
自分達が超人的能力者で結成された特殊部隊であることは、当然ながら漏らしていない。
もちろん、エグリゴリの話などはどうせ信じられもしないが話さなかった。
「死体が生き返るわけないじゃない。ばっかじゃないの」
ルイズはからかわれているとでも思っているらしい。苛立ちを隠そうともしていない。
「だいたい、そのニホンノトーキョーってどこよ? なにそれ? どこの国?」
「いや、どこの国っていうか……」
どうも様子がおかしかった。
地図での位置はともかく、日本と言えば以前はステイツに次いでいたほどの、
大抵どこの国でも知られている極東の経済大国なのだが。
少女も含む周囲の人間の風貌からしてまずヨーロッパである、とクリフはあたりをつけていたのだが、少なくともEU圏の人間で知らないというのはよほどのことである。
クリフの横にいるヴォルフも、少し怪訝な顔をして少女を見ていた。
「日本も知らないなんて。ロシアじゃシベリアの田舎でだって知ってるわよ?」
「悪いけど、そんな国聞いたこともないわ。その、ロシアジャシベリアってのも」
「うん? ……ふーん、じゃ、ここ東欧のどこかですらないのね。
アタシてっきりそのへんかと思ったけど」
いやヴォルフ、東欧は英語圏じゃないぞ。……しかしこいつ、こんなに英語上手かったっけ。
ずいぶんネイティブな発音するな……?
などと思いつつ、クリフは先ほどルイズから聞き出した地名について再び確認をとる。
「君、ここはトリステイン……でいいんだね?」
「君ってなによ。ご主人様って呼びなさい。ええ、トリステインよ。
そしてここはかの有名なトリステイン魔法学園」
「うーん……」
聞いたことのない国名だった。フランス系言語の響きを感じるが、
この国の隣国は西にガリア、東にゲルマニアという国があるという。
ガリア、というのはケルト系ガリア人の居住地から来た西ヨーロッパの広域もしくはイタリア北部の地域を指す言葉だし、ゲルマニアもドイツ地域を表す古称だ。
国ではなく、むしろ地方全体のことである。
北部が海に面しているなどの話を総合すると、どうもベネルクス周辺のように思えるのだが、いまいち判然としない。それに、オランダ語もしくはフランス語圏やドイツ語圏のはずだ。
「まったく、どこの田舎から来たのか知らないけど、トリステインも知らないなんて」
そう言われてもなぁ……。なんだがすごい齟齬だな……?
「なに言ってるのかしらこの小娘は……。
どんだけ不勉強なのよ。それにこーんなのどかな風景のが珍しいわよ。
車すら走ってないじゃない」
ヴォルフが肩をすくめて呟く。そう、問題は車の一つどころか電線すら見当たらないのである。
多少程度の金はあるが、これでは電話でタクシーを呼ぶこともできない。
「はぁ? 馬車ぐらい使うに決まってるじゃない、貴族をなんだと思ってるのかしら」
「馬車……? ええ? 何言ってんの?」
変な顔をしてヴォルフがルイズを見る。ルイズはさっきから、ズレたことをよく言う。
「ホントに変な子ねぇ……。どうしちゃってるのかしら」
「なによ、馬に乗るより走る方が得意そうなくせに」
「そんな経験そうそうあるわけないじゃない、コサック兵じゃないんだから。何言ってるのよ?」
「あっきれた。馬にも乗らないなんてどれだけ野蛮なのかしら」
「……なによこのガキ。口悪いわねー。おバカなのかしら」
「そっちこそなによ。これみよがしにゴテゴテして、筋肉ダルマ。変な筆髭しちゃって」
「大きなお世話よ、桃色の髪した頭の軽いガキがよく言うわ。まんまパープリンじゃない」
「……あんただって同じような色でしょ。人のこと言えた義理じゃないわ、ばっかじゃないの」
「アタシはいいのよ、知性溢るるピンクだし、あんたみたいな下品なブロンドじゃないしー」
「下品ですって? ……もう一度言ってごらんなさい、下僕」
ケンカをはじめようとする二人を、クリフは仲裁した。
「ちょっと止めてくれ。ヴォルフ、落ち着いて話せ」
「生意気はいいけどむやみに偉そうなガキは嫌いなのよ。特に女は」
「止めろって。話が進まないだろ。まったく……」
こんな下らないことで口ゲンカなんかして何になるというのやら……。
それに、何が知性溢るるだよ。
「誰がガキよ、なんなのよこの肉ダルマは、もう。だいたいね。
そんな文明の進んだ場所なんて、東方にもエルフの住むサハラの先にもあるわけないじゃないの。
300メイル以上の赤い塔? 『びる』? 『えすかれーたー』に『えれべーたー』?
空を飛ぶ鉄の機械がいっぱい飛び回って、挙句の果てに『宇宙ろけっと』で月まで進出?
子供だってもっとマシなお話考えるわよ」
憤然としてルイズは言う。日本を説明した際のやり取りを、ルイズは露ほども信じていない。
(……うーん。これは……)
ルイズに冗談を言っている様子はなかった。
アームストロング船長を知らなくても、人類が月に立ったことなどはアフリカのマサイ族ですら伝聞で知っていることだ。信じているかどうかはともかくとして。
だが、少女は誰もが知っている常識的な事柄が知識になかった。
それに、彼女の言うメイルなどという単位に覚えはない。
メートル法と変わらない尺度のようではあるが、もちろんそんな表記は存在しない。
(フフッ……まるで、異世界にでも飛ばされたみたいだな)
それこそ御伽噺みたいな事を思う。
「こら、あなたもなに笑ってるのよ、わたしをからかってるの?
もう、なんなのかしら。……それで? あんた達は使い魔になるって言うの?」
ルイズが話題を切り替えた。
「……ああ。とにかくどうしようもないみたいだし。それに、色々知りたいことがある。
ぜひお願いするよ」
クリフは首肯した。方針を決めた以上、少しの間だけここに留まることに決めていた。
内心で、まあ長くはないが、と付け足す。
この子には悪いが、逃亡者である自分達がここに長く居れば迷惑をかける恐れもある。
エグリゴリのやり方からいって、その公算はかなり高いだろう。
我々がここにいたということも出来れば知られるべきではない。
情報を集めたらできるだけ早く、とりあえずアフリカか南米にでも飛ばなければ。
「ふーん、そう。ま、しょうがないわ。わたしの使い魔にしてあげる。
わたしが呼び出しちゃったんだしね。そう言うんなら認めてあげるわ」
「ああ。よろしく頼む」
クリフがそう言うと、ルイズは機嫌を直したようだ。
「ちょっと口調が気に入らないけど、それはおいおい教え込めばいいわね。
他はともかく、あなたの態度はちょっとマシみたいだし。
よろしくね、わたしがご主人様よ」
椅子から立ち上がると、小さな胸をそらして宣言する。
……なんでこの子はわざわざ居丈高にするんだろか?
「……うん。それで……使い魔、っていうのは何をすればいいんだい?」
「まず。使い魔は主人の目となり耳となる能力を持つわ」
「目となり耳となる、能力。どういうことだい?」
「使い魔が見たものは主人も見ることができるの。
でも、ちょっとあんた達は無理みたいね……何も見えないし」
「ふむ。僕達はちょっと珍しい? らしいしね」
「そうね。まあそれはいいわ。次に、使い魔は秘薬の触媒を探してきたりするの。
例えば硫黄とか、コケとか」
「硫黄か。……僕はちょっと難しそうだな。キクロプスはできるか?」
「…………簡単な火薬の調合ぐらいならできるが。探すとなると、さすがにな……」
「無理に決まってんじゃないそんなの。
てゆーか、地面掘り返すのならあんたの専売特許みたいなもんでしょ」
ヴォルフが口を挟む。だからこっちの『力』を簡単に漏らそうとするな。
あとでよく言い含めておかないと……。
「……鉱夫でもやってたの? そうは見えないんだけど……」
ルイズが意外そうにこちらを見る。
「ああ、いや、似たようなものさ。それで、他には……」
「んー、無理ならしょうがないわね……それで、これが一番大事なんだけど。
使い魔はね、主人を守るのよ。その能力で、主人を守るのが一番の役目!
……なんだけど」
言葉を途切ると、部屋にいる三人の男をざっと眺めた。
「うーん、あなたちょっとそういうの苦手そうよね……そこのオカマ男は強いかもしんないけど、腹立つからわたしはやだし。となるとそこの妙ちくりんなメガネかしら」
そう言って、キクロプスを指名するルイズ。
「…………俺か」
「ええ。あなたもけっこう大きいし。適任でしょ?」
「…………ボディーガードは苦手な方なんだが」
軽くヴォルフに視線を送るキクロプス。
護衛役なら本当は『不死身』であるヴォルフこそが適任なのだが、それは口に出せないことをクリフが言わずとも承知しているようだ。
「わがまま言わないの! あんたは今日からわたしの護衛よ。
……ところでそのメガネ、マジックアイテム? あとで見てもいい?」
キクロプスがつけているのはサングラスのように光線を遮断する特殊改造の超小型暗視スコープである。とは言っても、一般人が触ったところで使い方など分からないが。
「…………壊さなければ構わんが」
キクロプスはスコープを外すと、念の為に電源を切った。
もし動作不良を起こしたらあらゆる光線を拾ってしまうキクロプスの目は、
日中では半日もすればひどく痛むようになってしまうのだ。
「壊すわけないでしょ。じゃ、決まりね。あとは……」
くるりとクリフに振り返り、にこりと可愛らしく笑いかける。
「あなたはもろもろの雑用。なにか用事があったら呼ぶわ。それまで待機!」
うんうんと頷くルイズ。雑用か、ちょっと面倒かもなぁ……とクリフは思った。
「で。そ・れ・で!」
つかつかとヴォルフの前まで歩くと、びしぃ! とその顔に向かって力強く指差した。
「あんた! あんたは掃除洗濯ベッドメイクにわたしの夜食の用意、
靴の手入れからランプの整備に何から何までやってもらうわよ!」
「ええ? クリフがやるんじゃないの?今そう言ったじゃない」
「うるさーい! あんたの仕事はそれ! ご主人様に逆らうの!?」
「なによもう」
「ヴォルフ。お前なら適任だろ、手伝うからさ」
クリフがそう言うと、やれやれとばかりに肩をすくめた。
「しょうがないわね。ま、いいわ。アタシ家事好きだし」
「……ずいぶん意外ね。まるで見た目とはかけ離れてるように思えるけど」
「人は見かけによらないものよ、お嬢ちゃん」
ウインクするヴォルフ。
「……ふん。変なことしたら許さないからね」
「するわけないでしょ。
やるんだったらあんたの首根っこでも掴んで外に放り投げちゃった方が早いし」
「……それこそただじゃおかないんだから」
ルイズは踵を返すと、ベットにぽん、と腰掛けた。
そうして、大きく伸びをしながらあくびをする。
「さてと。しゃべったら眠くなっちゃったわ、もういい時間みたいだし。
あとはもう明日ね。ああそうそう、さっきのマジックアイテムのメガネ……どうしたのよ?」
ルイズの言葉に、周囲の視線がキクロプスに集まった。
見れば、キクロプスは手にスコープを握り締めて、大量の脂汗を流していた。
「? なんか悪いものでも食べたのキクロプス。なんかすごく顔色が悪いわよ?」
ヴォルフが心配する声をかけるが、それには答えずただ窓に向かって虚空を睨むキクロプス。
こころなしか、手が震えている。
「ねえちょっとってば。どしたのよ? 風邪でもひいた?」
キクロプスはゆっくりと窓を指差し、呟いた。
「…………そこからでは、見えない。……カーテンを開けろ。……窓の外を見るんだ」
窓の外になにかあるのか、キクロプスの『千里眼』は何かを捉えているらしい。
クリフは窓に近づいて、カーテンを開いた。
見下ろしても、外の景色に特に変わった様子はない。
さきほど、自分達が転がっていた草原と、鬱蒼と生い茂る大きな森が暗闇の中に横たわっているだけだ。
「特に変わったところはないが……?」
「…………違う。上だ。月を……見ろ」
「月?」
空を見上げたクリフの目に、あり得ない光景が映った。
「……な!?」
……月が……二つ、輝いている。
……ふ、二つだと? なんだ、なんだこれは!?
「どしたのよ? ……はぁ!? ちょ、ちょっと。なにこれ、どして?」
クリフの横から頭を出したヴォルフが、紅と蒼を帯びた二つの満月に、唖然とした。
「……こんな月見たことないわよ? ……え、これ、実はすっごいレアな光景? 何百年に一度とか?」
脳天気なヴォルフのセリフに、平然とルイズが答える。
「月が二つなんて当たり前じゃないの。何を驚いてるのよ?」
「なにその冗談。……え、でもなんで? こんな風に見えることなんてあるの、クリフ?」
そんなことが……。
「そんなこと、あるわけないだろ! 地球上のどこに行ったって、月は一つだ!
一つしかない!!」
急いで、クリフは窓の外の周囲に『魔王』を展開して周辺の状況を捜索した。
クリフの『魔王』は視界内の力学的物理法則を支配するほどの強力なサイコキネシスである。支配する、ということは同時に、物体の状況を知覚できるということでもある。
人が手で物を触り持ち上げる時、その物体が固いのか柔らかいのか、重いのか軽いのか、尖っているのか丸いのか、握れば潰れる感触など、それと同じように物の状態を知ることができる。
捜索の結果に、クリフは愕然とした。
周囲の物全ては、双方向からの月光とおぼしき光の照射を受けている。
この木々も、この草原も、この建物も。
あの月は。
あの月は、本物だ。プロジェクターや幻像の類ではない。
間違いなく、あの月はおそらくかなりの高度から、太陽光を反射した光を、それも別方向から照らしている……!
「なん……だと……! そんな馬鹿な……! あり得ない、あれは……月だ……!」
ありえない。こんな現象が存在できるわけがない。
しかし、眼前の双月はその考えを真っ向から否定するかの如く、爛々と輝いていた。
「……ええ? でも月が二つあるって……つまり、どういうこと?」
本物の月が二つ。これの意味するところは何か。
「つまり……こんな光景は、地球上には……存在しない!!」
天地がさかさまになったって、こんな月は存在しない。では、自分達はどこにいる。
「でも、なんかふつーに目の前にあるんだけど……
どっかで、アメリカあたりが変な実験でもやって……そう見えるとか?」
「違う……! 違うぞ、違うんだヴォルフ。あれは……本物の、正真正銘の月だ……!
「僕には」分かるんだ……知ってるだろ……!」
「……え?そんなわけ、ないでしょ?」
「わけもないも、あるか!! あれは、月だ!! なんで二つある!?」
「お、落ち着いてよクリフ。アタシが知るわけないじゃない」
「くそっ!何故だ!? なんだ、なにがあったんだ!?」
「ちょっと、ヒートアップしないでよ。……なんだかわかんないけど、えーと……増えたとか?」
「増えるわけないだろ!!」
「そ、そんなの分かんないじゃない。げ、現にあるんだし、さ」
「だから困ってる!!」
「知らないわよぅ」
ヴォルフに食いかかりながら、クリフは思い出した。
この学園の門をくぐった時の、妙な違和感。
慌ててドアに向かって走る。鍵を開きドアを開け、廊下に出た。
「ちょ、ちょっと!? どうしたのよ急に?」
急な行動を起こしたクリフにルイズが後ろから声をかけるが、構わずに学園内が一望できる窓に走り寄る。夜の闇に、古びた城のような学園の外観が見えた。
そうだ、おかしい。これはあまりにもおかしい。思えばあの時、なぜ気づかなかった。
最初は、バロック後期の建築かと思った。だがよく目を凝らせば、そうでないことに気づく。
クリフはその能力をより発揮し巨大な建造物をより効率的に破壊するために、建築について多少程度の知識は持っている。この建物の「形」は、自分の記憶の中にない。
これは、この建物は、ルネッサンス以降のあらゆる時代の建築様式が用いられて建てられていた。
軒棟ごと、階層ごとに違う時代の建築様式が用いられている、ということは何度も増改築を行った歴史のある聖堂などに稀に存在する。その時代ごとの職工が、自分の建築手法で建て増しを行うからである。
しかしこの学院は、あらゆる時代の建築様式が、まるでパーツ取りでもしたみたいに、そして寸分の狂いすらなく、「これで一つの様式」として全てが統一されていた。
似てはいるが、こんな様式は存在しない。
それどころか、ものによっては近現代の技法も一部混じっている。
「……嘘だろ?」
これはあきらかにおかしい。こんな歴史的オーパーツがあれば、世界的に有名になるからだ。
自分が知らないはずがない。
ゆっくりと展開している『魔王』がさらなる異常をクリフに知らせる。
変な『力』を感じた。この学園全体に、自分が感じたことのない力のオーラのようななにかを。
建物の中、廊下や天井や壁、その全体をなぞるように調べてみる。
クリフに衝撃が走った。
ありえないことに、建物そのものが、なんらかの力学的運動に近い『力の支え』を行っていた。
いや、建物というよりも、それを構成する石材や木材が自身が自壊しないように、つっかえでも入ったかのように「保護」されている。ただの無機物自体が、重量や重力による軋みや劣化を無視して、その場に停止するように建物に収まっていた。
試しに、近くの壁のレンガを『魔王』で調べてみる。
普段はここまではしないが、じっくりと詳しくチェックをする。
間違いない。完全に空間のその場所に停止して、謎の不思議な『力』でレンガ自身を支えている。
なんだこの『力』は。イメージするために両眼に力を込め、よく目を凝らす。
物体の物理的強度自体を補填している? いや、違うな。正確ではない。
では時間を止めている?
バカな、ナンセンスだ。だいたい光まで遮断してしまう。
……よく見ろ、深く。もっと深く。もっともっと深く……。
クリフの意識は人体の持つ目の能力をはるかに飛び越え、さらなるレンガの詳細を探っていく。
両目の周りに、血管がびしびしと浮き出してきた。
脳内に漠然とした分子の構造イメージがおぼろげに湧き出る。
これは……表面の分子構成に無茶な割り込み、をかけて……崩れもせずに、安定している、だと?
しかも、それ自身に重量が、存在……しない……!? な、なんで……!! いや待て、それより……物理法則を、完全に無視している……!?
こんなことをすれば、通常分子はただちに崩壊を起こすはずだ。
そもそも、重量がないとはなんだ!?
「ねえー……リーダー、そんな固まられても……」
ふと顔を上げると、ヴォルフがこちらを覗きこんでいた。
「どうしたのよ急に。なにかあったの?」
「……あ、あ……」
足の力が抜け、クリフはその場にへたり込んだ。
「ちょ、ちょっと! だいじょぶ?」
崩壊しない分子といい、摩訶不思議な『力』を持つ重量のない何かといい。
月も建築も謎の『力』も、こんなものは地球上には存在しない。
地球上には存在しない場所に自分達がいる。ので、あるならば。
いや、信じられない。そんなはずはない。馬鹿な、ありえない、そんな馬鹿な。
子供の御伽噺じゃないんだ、これは現実だ。
昼間の記憶が蘇る。見た事のない生物、コルベールが用いた妙な念動力の使い方。
そして、ヴォルフやキクロプスが治癒した理由。
自分達が死んでいないこと。
いくつもの傍証が、下らない仮説を裏付けていく。
まさか。本当に。そんなことが?
「ヴォ……ルフ。……落ち着いて、聞いてくれ」
「アタシはずっと落ち着いてるわよぅ」
「……ヴォルフ。僕達は……僕達は今、ひょっとした、ら……」
「ひょっとしたら……?」
「……異世界に、いるかもしれない」
「……はぁ?……なにそれ? ……マジ? マジなの?」
「多……分、間違い……ない……」
「……嘘、でしょ……!」
くっくっく、と噛み殺したような笑いが聞こえた。
戸口に立つルイズの後ろで、キクロプスが静かに笑っていた。
「……キクロプス、何がおかしいんだ」
キクロプスの笑いは止まらない。やがて、声を上げて大きく笑いはじめた。
「笑い事じゃないぞ! とんでもないことだ!」
クリフが責めると、可笑しそうに腹を押さえながら手を振る。
「クククッ…………いや、すまん。しかしな……異世界、か。なるほどな……ハハッ……」
「僕は冗談を言ってるつもりはない! 間違いなく、ここは地球上のどこでもない!」
「…………悪かった。クック……疑ってるわけじゃないんだ。 ……俺も、そうとしか思えない。
確かに月からの光線は二つあるみたいだしな。……だが、ククク……」
「……何を笑ってるんだ?」
「…………笑うしか、ないだろう。……死んだはずが生きていて、異世界の子供の従者に?
……こんなにおかしなことはないな……ハハハ……」
そう言って目頭を拭う。
「全然笑えないぞ!」
「笑えないわねぇ……」
「…………いやしかし……ちょっとな……本当に悪い、しかし……ククク……」
そこで三人のやり取りに、ルイズが水をかけた。
「……ねえちょっと。よく分かんないんだけど。とにかく、中に入ってもらっていい?
寒いしもう夜中だから迷惑かかるし」
「え……あ、ああ。……すまない」
促され、ルイズの部屋に戻るクリフ達。
全員が入ると、ルイズはかちゃり、と鍵をかけ直した。
「何よ急にみんなして慌てて。びっくりしたわ」
「……すまない、驚かせて」
「何があったのよ。異世界がどーのこーのって……」
「……」
「ほら、座って。立っててもしょうがないでしょ」
そう言って、再びルイズはベットの上に腰を下ろした。クリフも椅子に戻る。
「……信じられないかも、しれないけど」
クリフはルイズに向き直り、居ずまいを正した。
「僕も、嘘だと信じたい。こんな……いや、うん。僕達は君とは違う……別の、世界から。
……異世界からきた、らしい」
しごく真面目な顔をして、クリフは言った。
キクロプスもすでに笑うのをやめ、鋭い視線を送っている。
「……なによそれ。さっきの話より信じらんない」
疑わしそうな目を向けるルイズ。当然だ。
「僕も信じられない。だが、そうとしか思えない……こんなことがあるのか?」
「知らないわ」
「ううむ……」
ルイズも何も知らないらしい。確かに、この子は現代の文明を知らなかった。
「ねえ、また明日にしてもいい? もう眠いわ……」
「え? あ……でも、その……」
「目もしょぼしょぼするし……明日も授業があるのよわたし」
「そ、そうかい……いや、でも……」
「なにがあったか知らないけど……大丈夫よ、明日だって時間はいくらでもあるわよ」
「……本当に、何も知らないのかい?」
「知らないってば。とにかく、朝になったらまた話しましょ。ふわああ……」
釈然としないまま、クリフは納得するしかなかった。どうすればいいんだ……何故こんなことに。
思わず頭を抱える。溜め息がついて出た。訳が分からないとはこの事だ。
ルイズは立ち上がると、ブラウスのボタンに手をかけた。
一個ずつボタンを外していき、するりという音を出して脱いだ。下着が露になる。
「え、ちょっと。なんでいきなりここで脱いでるのよ?」
突然の奇行にヴォルフが驚いて声を上げるが、きょとんとした顔でルイズは答えた。
「なんでって、寝るから着替えるのよ」
「着替えるって……」
キクロプスも落ち込んでいたクリフも、顔を上げてぽかんとした。
「ちょ、ちょっとストップ。ストップよ!」
「なんで?」
「なんでって、あんた恥じらいってもんがないの!? まずいでしょ」
「まずくないわよ」
「ええー。嘘でしょあんた、目の前に男がゴロゴロいるのよ?」
「男? そうは言っても、使い魔じゃないの。別に気にしないわ」
「気にしなさいよ! ああもうちょっと……」
さっとルイズの前に背中を向けて立ち、クリフ達の方を睨む。
ヴォルフの巨体がルイズの姿を覆い隠した。
「あんた達、なにレディの着替えをジロジロ見てるのよ。目を伏せる!」
そう言い放たれ、すぐにクリフは目を伏せた。キクロプスは後ろを向く。
「別に見られても平気なのに」
「なに言ってるのよ。男は狼なのよ、気をつけないと取って食われちゃうわよ」
「あんただって男じゃない」
「アタシは女には興味ないのよ」
「なにそれ、本当にそっちの趣味なの?」
「悪い? 心は乙女で体は男だから、オカマは最強なのよ?」
「最強ね……」
「ええ、最強。いずれあんたにも分かる日がくるわ」
「別に分かりたくない……」
「あら、つれないわね」
いつの間にか、ルイズは着替え終わっていた。大きめのネグリジェをすっぽりとかぶっている。
「はい、これ下着。心が女なら気にしないでしょ、明日になったら洗濯しといて」
ぽん、とヴォルフの肩の上に下着が投げられた。
「気にしないけどね……ちょっとムカつくわ」
「いいからやりなさい。わたしは授業があるんだから」
「はいはい。しょうがないわね、もう」
ルイズはばふ、とベッドに飛び込んだ。そのまま布団に潜り込んでいく。
「ちょっと。アタシ達はどこで寝ればいいのよ?」
「あんたは床。他のも、今日のところはそこで我慢しといて」
「なによそれ。扱い悪くない?」
「しょうがないでしょ、ベッドは一つしかないんだから。……はい、毛布ぐらいはあげるわ」
「……嘘でしょー。いやねーもう」
ぶつぶつと文句をこぼしつつ、着替えから目を背けていた二人に話しかけた。
「だってさ。どうする?」
ひらひらと手渡された毛布を空中で泳がせるヴォルフ。
毛布は普通のサイズに比べればかなり大きめとはいえ、彼の体は二mを越すのだ。
「…………俺はいらん」
キクロプスは部屋の隅に座り込むと、壁に背をもたらせて目をつぶった。
「ええと、僕もいいかな……一応、屋内ではあるし。ヴォルフが使いなよ」
どう考えても二人で分けきれそうにないと、クリフは断ろうとした。
もちろんそれは口実で、別の問題が非常に大きい。
「ダーメよ。あんた一番体弱いんだから。風邪でも引いたらどうすんの。アタシと一緒に寝ましょ」
そうしてクリフの肩を叩く。
「大丈夫よ? アタシはクリフ、そこまでタイプってほどじゃないし。それに若い男の子でなきゃ」
「……分かったよ、それでいい」
どうせ断りきれないだろう、とクリフは諦めて頷いた。
さすがにこんな時に手を出してくるなんてことはしないだろう。
クリフはスーツの上着とネクタイだけを椅子にかけて、寝転がった。
うーん、床が意外に冷たい……。
「はーい。んじゃ、仲良く分けましょ」
毛布を半分だけクリフにかけつつ、自分も床に転がるヴォルフ。
「おやすみなさーい」
「……明かり消すわよ」
ルイズがぱちり、と指を鳴らした。途端にランプの灯火が消え、部屋は暗闇に包まれた。
へえ、便利なものだなぁ。あれもあの不思議な『力』みたいなものだろうか?
相変わらず、原理や物理的な力の流れが全然分からない。
窓の外には二つの月が光っていた。信じられないが、現実だ。確かにある。
その周りを、数多くの星が瞬いていた。自分は天文には疎いが、見たことがない星空に見えた。
これからどうしようか。本当に参った、まさかこんなことが起きるだなんて。
信じたくはないが、信じるしかない。全ての現象はこれが現実だと言っている。
このまま、このルイズという子の使い魔とやらになるしかないのか。
それしか手段はない。自分達は何も知らない世界に、いきなり放り出されたのだから。
エグリゴリからの追っ手から逃亡するのも、いずれ復讐を遂げるのもとりあえずはご破算だ。
まあ、そもそも生きていただけで儲けものではあるのだが……。
まず、情報を集めなければ。とにかくは地理。自分達の位置を知りたい。
何かの間違いであってほしいと願う。
ユーゴー。今頃はどうしているのか。兄さんは生きていたよ。彼女の顔が見たい。
死んだはずの自分の姿を見せたら、どんな顔をするだろうか?
喜んでくれるだろうか。あの子のことだ、気絶してしまうかもしれないな。
そもそも、また会うことはできるのだろうか。
キャロル。タカツキとの戦いの中で、あの子にもひどいことをしてしまったな。
ちゃんと謝ることもなく自分はキースの前に斃れてしまった。無事でいてくれるといいんだが。
隣では背を向けたヴォルフから、すやすやとした寝息が聞こえてきた。
早い……。本当に順応性高いなぁ。こいつのこういうところは羨ましい。
僕はあまり眠れそうにない。
毛布にくるまって目を閉じる。目が覚めたら、全て悪い夢だったことにならないかな。
起きたら、ユーゴーとキャロルがいたら。
僕の話を聞いて、可笑しそうに笑ってくれたら。
隣でそれを聞いていたヴォルフがいつものように合いの手を入れ、キクロプスが静かに隅でナイフを研いでいたら。
とりとめのない思いの中、眠れない夜はただ過ぎていった。