あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

其の十:カトレアとエレオノール、そして孫悟飯


 ――小さな頃の記憶だった。

 ともすれば忘れてしまっていた記憶だった。
 それは、小さい頃からの夢だった。

 ラディッツに出会う前、父である悟空と母であるのチチに、悟飯は夢を話したことがあった。
 まだ小さいにもかかわらず、しっかりした目標を語る息子に二人とも喜び、
 特にチチは感極まって悟飯を抱きしめた後、涙を流しながら牛魔王に報告していた。

 優しくも厳しく、小言が多い母の言葉に乗せられたわけじゃない。
 自分で好きなものを見つけ、自分で目指すと決めたこと。
 それがたまたま母の望む姿と重なっていただけだった。

 牛魔王への連絡に勤しむチチを遠目に、悟空が悟飯の頭に手を乗せた。
 ごつごつして、頭がすっぽり包まれそうに感じてしまう、大きな手だった。
 悟空は顔を近づけると、眉をしかめた。名残惜しそうに、悟飯の頭を掻き撫でる。

「……そっか。オラ、鍛えればおめぇは強くなると思うんだけどな。
 でも無理に鍛えるのはよくねぇし……、ま、しょうがねぇかな」

 呟きの後、悟空は自分の願望を振り切って、悟飯を抱き掲げた、
 白い歯を見せて底抜けに笑う悟空の顔に、もう不満は映っていない。
 代わりに、自分とは違う夢を目指す息子に送られるのは、精一杯の喜びと心からの応援の言葉。

「せっかくだから、偉い学者になるんだぞ!」

 小さな頃の、――――幸せな記憶だった。



 其の十:カトレアとエレオノール、そして孫悟飯


 そこは、さっぱりとした部屋だった。

 カーテンに覆われたキングサイズの仰々しいベッドが扉から数歩先に一つ。そっけな
 い鏡台と、ベッドに沿うように、花瓶の置いてある引き出し付きの机が二つ。ぎゅう
 ぎゅうに詰め込まれた本棚が一つ。
 外開きの窓が二つ。広々した部屋の中には、それ以外特に目立つものはない。
 壁や家具、それらの細かいところにも無駄な装飾はなく、鏡台の上の化粧品や香水の類
 はきっちり種類別に整理され、人を殴り殺せそうに分厚い本や中の紙が溢れそうになっ
 ている付箋だらけのファイルも、本棚の中に綺麗に並べられて快適に眠っている。
 壁の色はほぼダークグレー……――時間が時間故かもしれないが――でベッタリと塗ら
 れている。色気も減ったくれもない、機能性を追求したストイックな部屋だ。 

 そこは、ヴァリエール家の一室。
 そこはまさに、長女エレオノールの部屋だった。

 外は日が落ち始めた。空が、水で溶かした青絵の具を伸ばしたような薄ら寒さを見せ始
 めていた。開けた窓から涼しい風が吹き入り、エレオノールをおちょくる様にカーテン
 をゆらゆらと揺らしている。
 エレオノールは部屋の中をぐるぐる、早足で歩きまわっていた。先ほどカトレアから聞
 いた、嘘のような話。それに関しての考えがまとまらなくて…………落ち着かなかった。 

「ええい! なんで私がこんなに悩まなければならないのよーっ!?」 

 地団太を踏んで、誰に言うまでもなく一人叫んだ。
 あんな話は、とにかくまぁ、エレオノールを形作る常識と照らし合わせた場合、
 事の信憑性の是非は問いかけるまでもない。 

 あの平民の男が、別の世界から来たなどと。嘘に決まっている。
 エレオノールは納得するように頷いた。
 そうに決まっている。そんな話は真っ赤な大ウソ。心優しくて、
 ある種の度が過ぎている我が妹は、あのどこの馬の骨とも知れぬ平民を
 大した理由もなく信じてしまっているか、嘘だと見抜いた上でかばっているのだろう。

 エレオノールが頭の中で悟飯の事を思い返した。
 真っ先に想像して復元できたのは、やはり隻腕であるということ、そして額と頬の傷。
 次いで比較的珍しい黒髪黒眼。広い肩幅。最後に、改めて思い返すと
 身に纏っていた空気があの中でも一人、特に異質なものだったこと。 
 エレオノールはもうひとつ頭を捻った。彼女の常識から導き出された悟飯の出生は、
 よくてどこぞの傭兵か。最悪山賊。

「……まぁ、後者はないわね。普通に考えて」 

 ナンセンスな自答に苦笑いした。
 公爵家に堂々入る山賊などあり得るはずもない。

「でも……もし本当だとしたら? 異世界へ移動する魔法があるとしたら、
 それは4系統のどれにも適さないわ。
 となれば残るは伝説に聞く始祖の……虚無の系統に関係があるかも……」 

 己の理性的な部分をしっかりと確かめて、改めて学者肌が顔をのぞかせる。
 彼女はアカデミーの主席研究員である。
 アカデミー――魔法研究所――とは、始祖の魔法を研究し、より近づくことを目標としている。
 そのため分類的には『科学』というより『神学』を学ぶ者が集う場所である。

 とはいえ結局学問の徒であることに変わりなく。
 己の常識の域を超えた現象を見聞きし、かつてない好奇心を湧かせるのはある意味必然と言えた。 
 ましてや、好奇心の原因が身近にあるとなれば、足は動け手を動かせと、心が急かす。

「ハッキリさせるべきね、あいつがピエロか私がピエロか」

 あの平民(?)の男がピエロだった場合、どうしてやろうかと思う。 
 逸り猛る己を楽しみながら、エレオノールは一つ折をつけた。





 さて、エレオノールと対面をやり過ごした後、悟飯とカトレアは部屋に戻っていた。
 ヴァリエール姉妹の秘密の談笑が終わり、悟飯は若干早歩きのカトレアに連れられて、
 唖然としていた使用人たちを申し訳なさそうに横切って部屋に戻ったのだった。

 出迎えに喜び勇んで飛びつく動物たちを軽やかに受け流し、
 悟飯はやっと落ち着けるものかと一息ついた。

「……気の強い人だったな」

 吐き出す息に熱と言葉を乗せて、悟飯はカトレアに視線を移した。
 姉であるにも関わらず、カトレアと対照的だったエレオノール。
 その存在の衝撃が、まだ余韻として心に残っている。
 失礼だと思いつつ、微笑み返すカトレアに記憶しているエレオノールを被せてみたが、
 細部はともかく外見からしてやはり、大々的には似ていると言い難い。
 一番印象に残ったあの気性も、ぐでんぐでんに酔っぱらっていた時はお酒で
 自棄になったからこその賜物と思っていたが、先程のひどい挨拶からして、
 彼女のそれは生まれ持ったものなのだろうと察した。
 気の強い女性と言えば、悟飯はブルマや母であるチチのことを思い出すが、
 彼女はある意味で思い出の中の二人を越えている。

「エレオノールお姉さま、貴方を見て少し驚いちゃったわね」
「あれが、少しなんですか……」

 悪気のない、しかしやや申し訳なさそうな口調のカトレアの言葉を聞いて、
 悟飯は苦笑いした。
 カトレアの身ぶりに驚いた様子がないことから、やはりエレオノールという女性は
 普段からああいう気性なのだということを確信した。つまりは立てたばかりの仮説は
 正しかったようだ。

「照れ隠しに、ついつい怒ってしまうのよ。でも……さっきのはゴハンにも原因があるわ」
「……その通りですね」

 悟飯は頭を抱えた。
 そもそも、元の元までさかのぼると、悟飯があの時のことを何気なしに言った後、
 エレオノールはアレほどまでに怒り狂ってしまった。
 あの発言自体はエレオノールのことを本当に心配したが故の反動から来た発言なのだが、
 とはいえ彼女を不当に傷つけてしまったことに違いはない。


「そうだ謝らなきゃ。ええと、エレオノールさんのいるところは……」   
「あら、お姉さま気は分かるの?」
「ええ、あの人の気は分かりやすいですよ。なんせ……」

 悟飯は先ほどの件で、エレオノールの気を覚えていた。彼女の気はカトレアと違って基
 本的にどっしりと安定しており、そして激しい性格に沿うように、使用人たちを含めて
 もひときわ大小の降り幅が大きく、その間隔が短かった。少なくともさっき、エレオノ
 ールの気は、別れる際まで常に変動し続けていた。実にわかりやすく、感じ取りやすい。
 怒り出す前は平行線をなぞるように一定値で安定している彼女の気だが、その降り幅ゆ
 えに、何かあれば――あるいは彼女が何かしたならば、この屋敷にいる人間の中で真っ
 先に気づけるだろう。

「そう……」

 説明を聞いたカトレアは、浅く頷いた。彼女にしては、妙に引っかかるしぐさだった。
 悟飯は気になりつつも、今は再び、気を探る作業に戻る。 
 意識を集中し、屋敷の中に範囲を絞る。感覚の中に浮かび上がるさまざまな気を掻き 
 わけて、目的の人物へとたどり着いた。

「! いたな。結構離れてる」  

 その時、部屋の戸を叩く音がした。
 悟飯の集中が途切れる。 

「カトレアさま、カトレアさま。よろしいでしょうか?」

 メイドの声だった。カトレアはわざわざ扉に駆け寄って、どうぞ、と優しく招き入れた。
 開けた向こうにいたメイドは、眉間にしわを寄せて若干顔を青ざめさせていた。
 遠目には真剣な顔なのだが、近くで見ると頬肉が引き攣っている。
 カトレアが「どうしたの?」と尋ねた。メイドは悟飯を一瞥すると、カトレアの耳に顔を寄せた。
 言いにくそうに、口を開く。

「エレオノールお嬢様がお呼びです」

 待ちわびた答えを聞いたかのように、カトレアはにこりと笑った。

「今ちょうど、向かうところでしたわ」





 カトレアが扉を開ける直前に「どこに行くんです?」と悟飯が尋ねると、
 「今度は、私が貴方を待たせる番よ」と悪戯めいた微笑みを返し、逃げるように部屋を出た。
 わざわざ悟飯のことを確認したメイドの言葉は、思惑通り悟飯には届いていなかった。





 ……そういうわけで、悟飯は今、一人。椅子に座って頭を悩ませていた。
 頭の上に小鳥が乗っかって寝息を立てているが、特に気にならない程度に。

「うーん……」

 座り心地はいいのに、どうにも落ち着かなかった。心身にその理由があった。身体的に
 は、装飾が細かく施され、眠りこけてしまいそうになる座り心地の良さ、総合して高級
 な芸術品のような椅子が色々と身の丈に合っていないように思えてどことなくむず痒い。
 ちなみに、服は着替えていた。これに関しては「スーツはやはり似合わないと思った」
 など小洒落た理由ではなく、単純にいつもの道着が動きやすいし、心持もいくらか軽く
 なる、と思ったからだ。

 精神的には、カトレアのことが心配だった。そして、今カトレアのことを考えると、
 自然とエレオノール――彼女の姉の存在が、頭に引っかかる。
 もし、カトレアがエレオノールに自分のことを言い訳しているとしたら?
 考えれば考える程、いたたまれない気持ちになって、落ち着かなかった。

 ふと見上げた際に眼に入った窓。そこから見える空が、遠くから茜色になり始め
 て暫く立つ。待ちぼうけにされて、だいぶ時間がたっている。 

「遅いな、大丈夫だろうか」

 小さく溜めた息を、言葉と重ねて吐き出した。

 念の為に、二人と別れてからずっと気を探っていた。甲斐あってか、今のところどこか
 らも荒波が立った様子はない。……もちろんそれは、エレオノールの気も含めて。であ
 る。 
 最も、気の激しい変化がないから安心、というわけではない。悟飯は顎に手を当てて考
 える。
 脳裏に浮かぶ、エレオノールが杖を持った姿。あの杖は、エレオノールが手に取った、
 その瞬間までは確かに何の変哲もない杖だった。にも関わらず、高く打ち上げられた
 途端にその身に光を集め、輝かせてた。見慣れた光景によく似ていた上に、良くない
 雰囲気につい身構えてしまったが、見慣れた光景とは決定的に違うものがそこにはあった。

 脳裏に、ある言葉が浮かぶ。

 ――魔法。

 『気』以外の力を、いくつか悟飯は知っている。特に、そのうちの二つとは長い付き合
 いがある。懐かしい、思い出すだけで涙が出そうになる力と、思い出すだけで怒りと悲
 しみが込み上がってくる力……。

 しかし、魔法はそのどちらの力とも違うもののようだった。気と違ってそれを感じ取れ
 ない。昨晩カトレアに聞いた話では、より力を発揮するためには詠唱という面倒くさい
 手順を踏まねばならないらしい他、色々と制約があるらしい。  

 不思議だよなぁ、と悟飯は思った。
 この世界に来て――正確には目覚めてから――驚くことばかりである。

「(オレが此処へやってきたのも、もしかして魔法のせいかもしれないな……)」

 悟飯はきわめて冷静に、仮説をたてた。




 重く閉じていた扉ががちゃりと音をたてて開いたのは、空がうすく青黒い色に塗り替わ
 ってきた頃だった。カトレアの気配と、その後ろにもう一人の気配。

「ゴハン、お待たせー……」

 顔を覗かせたカトレアの目には、彼女が昼時に途中まで読んでいた本を膝上に広げて、
 四苦八苦しているらしい悟飯が映った。そういえばあの本は本棚に戻さず付箋をして鏡
 台の上に置いていた。随分待たせてしまったのだ。暇つぶしにと悟飯が興味を持ったの
 だろう。
 意識が本に集中しているせいか、悟飯はカトレアには気づいていない。真剣な面持ちで、
 眉をひそめ、額に汗を滲ませながら、指先で懸命に文字をなぞる。時折本がめくれて閉
 じそうになるのを不器用に片手で抑えては、読みづらいのか、それとも何か不可解な事
 があるのか、うーんと唸っている。

「どうしたの、カトレア?」 

 後ろにいた気配――エレオノールがカトレアの上から、重なるように顔をのぞかせた。

「なんだ、いるじゃないの……何してるのかしら?」
「本を読んでいるんですわ、きっと」
「……見ればわかるわよ、そんなこと」

 冗談を交えたやり取りに、カトレアはくすっと、小さく笑った。下で微笑する妹を見て、
 相変わらず、と呟いたエレオノールは怪訝な顔になった。相変わらず、よくわからない
 ことで微笑む。
 カトレアは微笑む。庭先で拾った動物を手当てして戯れ、使用人やメイドを気遣って、
 花や木々、果ては雑草の成長にさえ表情を綻ばせる。血のつながった妹でありながら、
 カトレアはエレオノールにとっても少々不思議な子だった。

 しかし、不思議と言えば。 

「カトレア、そこをどきなさい」

 妹の言葉が真実であるのならば、今最大の不思議は目の前のあの男に他ならない。

 エレオノールが声を掛けると、悟飯はびくりと驚いた。
 悟飯はワケあって本に夢中になってしまい、気を探ることを忘れていた。

「カトレアさん……!」

 後方、扉のすぐ傍にカトレアの姿を確認した悟飯は、ほっと安堵した。
 堂々無視されたエレオノールはカチンときたが、所詮小さな怒りである、
 優先すべきことは別にあるわ、と自分に言い聞かせて感情を抑え込んだ。

「平民! アナタにちょっと話があるわ。ついてきなさい!」





 三人は客間にいた。屋敷の規模から考えると、随分小さい部屋である。

 エレオノールは悟飯とカトレアを部屋に入れるなり、窓を閉め、カーテンを閉ざした。
 次いでドアに鍵を掛けた。かちりと音をたてたドアの前で杖を取り出して、動きを止
 めた。
 悟飯とカトレアはエレオノールの後ろ姿を見つめていた。暫くして、彼女は何かを考
 えついたのか、あるいは何かを思いついたのか、「ま、いいわ」と言って杖をしまう。
 振り返って近づき、悟飯の前で腰に手を当て立ち止まった。

「これで人は来ないし、話が漏れることはないわ。さ、詳しく説明してもらうわよ」

 悟飯を指差して、意気揚々とエレオノールが口を切った。

「何をですか?」

 脈絡のない質問に、悟飯は力の抜けた答えを返す。何のことを?
 エレオノールの指し手と頭がガクッと下がった。ついでにメガネがずれた。
 カトレアが苦笑を零し、悟飯に歩み寄る。姉の様子を見ながらも、耳を借りた。

「あのねゴハン。エレオノール姉さまには貴方のことを、話しました」  
「えっ!? し、しゃべっちゃったんですか……!?」

 驚きと同時に、悟飯はようやく状況が呑み込めた。カトレアを待っていた時間。カトレアは
 この部屋で悟飯の正体をエレオノールに自分から話していたのだ。

「ごめんなさい。勝手なことをして……」
「いえ、それはいいですけど……。理由を教えてくれませんか。なぜ、オレのことを話したのか」
「私がアカデミーに所属しているからよ」 

 重く響くエレオノールの声に、カトレアが体を震わせた。エレオノールはいつの間にか立ち上がり、
 片手を腰に当て片手でメガネの位置を直していた。目の奥が冷たくぎらつき、声とは正反対に凍え
 るような冷静さを醸し出している。苦い感情が複雑に混ざり合っていた。  

「アカデミー……?」

 悟飯訝しげに繰り返すと、エレオノールは誇らしげに「ええ、そうよ」と自己主張の慎ましい胸を
 そらした。しかし、得意げな顔をされても分からないものは分からないので、その説明を求めよう
 と空に伸ばした悟飯の手を、カトレアの手が包み込んだ。
 瞬間、エレオノールの表情が一転して強張った。眉が、目が憎々しい物を見るように顰められる。
 カトレアは不機嫌さを振りまく姉を見て、少し申し訳なさそうにまた苦笑して身を縮めた。悟飯は
 高々荒れ始めたエレオノールの気を感じながら、なんのことか、と思った。だが考えても分からな
 いので、とりあえず今は目の前にいるカトレアに意識を集中させることにした。
 近距離で顔を見合わせているので、なんだか恥ずかしく、頬が微妙に熱を持っている。

「ゴハンは魔法については、どのくらい知ってるかしら?」
「ええと……、カトレアさんが教えてくれたことは、覚えてます」

 苦笑が、喜びから来る純粋な笑みにとって代わる。カトレアは頷いた。

「エレオノールお姉さまはね、魔法について研究しているのよ」
「!」

 悟飯の目が驚きに見開いた。
 その言葉は遠く、忘れていた言葉だった。

「それはつまり、学者さん……ということですか」

 声を大きくしていたが、ぽつぽつと、一文字ずつ絞り出すようにその単語は呟やかれた。
 目は輝いているが、口調はまるで魂が抜けたように自失ししている。
 悟飯の中で、言い知れぬ感情が唸る。 
 カトレアが不安げに肩を叩いた。か細い揺さぶられた体は、その気になれば星を砕く本来
 の力をどこに忘れたのか、簡単に心ごと振るわされた。それが逆に意識を覚醒させた。
 一旦心を落ち着かせるために、深く静かに息を吐きだした。

 言葉を続けようとしていたエレオノールも、目の前の男の変化に気づき、貴族の意識と
 プライドが生み出した憤りを一旦感情の隅に置いて、素面に戻っていた。 
 そして、ちょうど出番を待っていたとばかりに、静寂が訪れて場を掻っ攫った。
 他者の心臓の鼓動が聞こえてきそうな程静まり返ったそれは、どこか寂しげなこの部屋
 によく馴染んだ。
 悟飯から感じたことのない異様さを読み取ったエレオノールの顔が、不安げに歪む。

 静けさに活路を見出し、とにかく落ち着こうと己を御する悟飯の中を、憤りか、悲しみか、
 尊敬か、形容できない何かか、あるいはそれらをごちゃごちゃした感情が再び渦巻き始めた。
 ともすれば力の緩みから吐き出してしまいそうになる気を、反芻するように何度も体の
 中心に抑え込んだ。

 エレオノールが学者だとは既に聞いていた。あの時、二人は不本意な偶然からあまりよろ
 しくない遭遇を果たした。その過程で悟飯は、酔って自暴自棄になっていたエレオノール
 本人の口から聞いたのだ。
 なのに、と悟飯は歯を食いしばる。今、同じ事実を告げられただけだというのに、脳を直
 接殴られたような衝撃はなんなのか、理解が追い付かなかった。感情の整理がスムーズに
 行えずにいる。
 隣には、カトレアがいた。

「…………」

 ここは平和な世界だ。自分の知る範囲、少なくとも、ただ生きたいと思う人たちが
 無意味無慈悲に虐殺されるような、そんな地獄のような場所ではないだろう。

 言葉を体の奥に押し込み、悟飯は自分を納得させる。

 魔法という特異な力はあるが、それは気とは全然違う用途で用いられ、世の中への
 浸透具合も全く違う。
 ここには学校というものがある。文字を学び、数を学び、生命を学べる場所がある。
 魔法はある種、それらと同じ、学ぶものだという。
 だから、おかしくないのだ。学ぶことができる以上。学ぶ者である学者が存在しても。  
 “かつて”悟飯がなりたかったものになっている者が存在していても、何もおかしい
 ことではない。

「す、凄いじゃないですか」

 辛うじて吐き出されたのは歪な称賛と硬い笑顔。
 エレオノールは一見真顔で、しかし目だけは鋭く悟飯を睨みつけ、 

「なんだか褒められた気がしないわね」

 つまらなさそうに、言った。 
 無言で、悟飯は項垂れる。

 カトレアは沈みゆく悟飯の手を、優しく掬い上げた。悟飯がそれに気づいてはっと顔を
 上げた時には両者のちょうど胸の前に持ってきて、悟飯の片手を両の手で挟むように握る。 

「大丈夫。貴方は貴方よ」

 目と目があった。
 悟飯の内情の原因など知らぬ筈の、不安定な気を放つカトレアは、まっすぐに強く、
 強大な気を持つ悟飯の目を射抜いていた。

「こうして生きているんだから、貴方が諦めない限り、きっと……」

 一呼吸の間をおいて、片腕でそっと悟飯を抱き寄せた。
 やわらかい感触と、いい香りとが混ざり合って、悟飯は何か懐かしい不思議な感覚に包まれた。

「貴方の想いは叶うでしょう」


「な、な、な……何をやってるのよぉぉっ!!」

 精神は優しさによって今一度息を吹き返し、肉体の意識は甲高い悲鳴にたたき起こされた。
 瞬間、悟飯は眼前で爆撃でもされたかのように後方に吹き飛びカトレアから離れた。
 部屋の中に鈍い音が響く。跳ね跳び過ぎて、悟飯は壁に後頭部をしたたかに打ちつけた。
 屋敷そのものが静かに揺れた後、いてて、と言いながら激突箇所を抑える。

 そんなことをしてる間に、顔を真っ赤にしたエレオノールはカトレアに詰め寄った。

「いいい、いっいっ、一体何をしてるの!!?」
「お姉さま。落ち着いてください」

 カトレアは諭すように言った。エレオノールは気が気じゃない、と叫ぶ。  

「い、いいこと!? そんな軽々しく殿方をだ、だ、だ、抱き寄せるなんてダメよ!!!

 しかも、と悟飯をビシッと指差した。
 興奮しすぎた自身を落ち着かせるため息継ぎし、再び叫ぶ。

「いいこと! あんなどこの馬の骨ともわからないような平民をだ、だ、だ、抱き寄せるなんて、
 抱擁するなんて、ぜぜ、ぜ絶対にダメよ!!」
「ゴハンはどこの馬の骨じゃありませんわ。えーっと、確か……
 の生まれ……よね?」
「あってます。よく覚えてますね。すごいですよカトレアさん!」  

 打ち合わせていたかのように応答を終え、ふふと笑いあう悟飯とカトレア。
 エレオノールは怒髪天。

「だぁ~かぁ~らぁ~ねぇ~……。そんな地名聞いたことないのよハルケギニアの地図にその
 ってのは載ってないのよ! おわかり!!?」

 どこから取り出したのか、エレオノールは三人の間に地図を広げた。 
 カトレアが微笑む。悟飯が顔をゆがめる。エレオノールは青筋まで真っ赤に染めた怒り顔のまま。
 すっ、と指がさされた。細くて色白の指は、カトレアのものだ。

「ほら見てゴハン。このあたりが今私たちのいるところよ」
「うーん。そういえばカトレアさん。オレ、なぜかこっちの……」
「は、は、は、は、ははははは話を聞け―!!!!! こ、こ、こ、こ、こここ、この平民がー!!!!!!」

 エレオノールがついに杖を取り出した。杖の先にとんでもない量の魔力が集中し、
 彼女の怒りを表すような極太の鞭を形成する。
 山脈叩き斬らんばかりの勢いで悟飯に打ちおろした一撃は、地図を真っ二つに引き裂いた。
 土ぼこりが舞う。また、屋敷が揺れる。
 外を歩く、あるいは仕事に精を出していたメイドや執事たちは、突然の地震にも
 驚いた様子を見せず、代わりに全員が息を合わせて「またか……」と溜飲を下げた。

「ぜぃ……ぜぃ……!!」

 肩で息をするエレオノールの眼前やや左。片腕だけで落とさないようにと
 しっかりカトレアを抱えた悟飯が映る。無傷だった。
 というより、見事な無傷っぷりからして、まず当たってすらいないのは明白だった。

 悟飯はエレオノールにこれ以上の攻撃の意思がないことを再三確認すると、
 割れものを取り扱うような優しい手つきでカトレアを降ろした。

「あぶないあぶない。大丈夫ですか?」
「ええ……落ち着いてくださいお姉さま。お願いですから」
「無事でよかった」

 悟飯は心底ほっとした。
 内心、カトレアはちょっとびっくりしていた。

 カトレアに促されて、エレオノールは面持ちは渋々としながらもなんとか落ち着いた。
 あの平民にはイライラさせられるが、殺しにかかるために集まったわけではない。
 異世界から来た、という信じがたい事情が嘘か真かを確かめに来たのだ。

「で……証拠はあるのかしら?」

 抑え気味ではいるが、若干感情が混じった声色でエレオノールは聞いた。
 悟飯がうーんと唸る。

 悟飯は、己がこの世界の住人ではない。異世界から来た人間であると確実に
 証明できるものなど持ち合わせてはいない。
 ここに来たのは身一つと道着のみ。まさに文無しである。
 自分を見つめなおす。もしカトレアに拾われなかったなら、家無し宿無し文無しと、
 どうしようもなかった。それ以前に、カトレアでなければ今頃あの世である。
 身震いするような想像と、目の前に広がる温かな現実の差に、悟飯は息をのんだ。

「やっぱこれしかないか……」

 掌を見つめ、存在を確かめるように握りこぶしを作った。
 俯きなままカトレアに視線を送ると、意味を察したカトレアは頷く。
 それを見て、悟飯は微笑んだ。キッと凛々しく顔を上げる。
 伸ばした視線の先には、エレオノールがいた。

 突然悟飯に見つめられた当のエレオノールは、ほとんど反射的にたじろいだ。
 男性に正面から突然見据えられるなど、父以外では初めてだった。

「気を教えます。それがあなたの納得いく証明になるかはわかりませんけど……
 今オレが持ってるものと言えば、これしかないですから」

 言い終わって、部屋を見渡した。
 此処じゃ狭いな、と言った。 

「外に出ましょう」

 悟飯は素早く鍵を外し、ドアを開いて外に出た。カトレアが何も言わず、ゆっくりとそのあとに続く。
 戸惑っているようなエレオノールに対し、開いたドアの前で振り返って猫のように手招きする。 

「お姉さま、早く。早くしないと、もうすぐ夕食の時間ですわ」
「あ! カトレア! ちょっと! まちなさい!!」

 無邪気な頬笑みを最後にたっと立ち去ったカトレアを、エレオノールは慌てて追いかけた。



※作者注
前回の「気を探ること」に付いて少し意見があったので私の考察をば。対比で悟空の名が挙がったけど、
これは未来悟飯が特に下手とか修行不足なんじゃなくて、単純に悟空の気配察知能力が高すぎるんだと思ってます。
悟空はブウ編で、宇宙の外の界王神界から発せられる悟飯の気を(あの世からとはいえ)感じ取り、ブルマの気を
探りにくいと言いつつ探し当ててるのに対し、悟飯はビーデルの気を彼女が戦い始めるまで気づかなかった。
悟飯と一緒にいた界王神とキビトも悟空には超3化するまで気づいていません。
また、修行不足と取るなら、未来悟飯は10年以上気のない人造人間と戦ってたから
「気で相手の動きを見る」戦いをできなかったはずなので不得手になっていてもしょうがない
  • 魔力≠気
    • この作品では魔力(魔法)と気は全くの別物。DB原作でも魔力を気ほど明確に探れた描写はないし。
    • 故に悟飯は魔力は探れません。魔力の動き(流れ)を見ることもできません。



新着情報

取得中です。