「おお……」
コルベールは浮遊していく。
肉体が、ではない。
意識が身体を離れ、空に浮かんでいるのだ。
「……これが『死ぬ』ということか?」
そう呟く間にも、コルベールの意識は浮遊を続けた。
自分の身体や、それを剣で突き刺しているアニエスを見下ろし。
食堂の屋根をすり抜け。
トリステイン魔法学院の上空を通りすぎて。
雲の高さまで上昇してもなお止まらず。
あげくの果てにはトリステインどころか、ハルケギニアの形が分かるほどの高度に達する。
「む……止まったか」
ようやく止まってくれたことにホッとしつつ、コルベールはこれからどうしようかと首をひねった。
自分は先程、アニエスに刺された。
そしておそらく死んだ。
それはいい。
だが、それからどうすればいいのだろう。
「しかし、ヴァルハラ……いや、地獄とは意外にあっけないところなのだなぁ」
ヴァルハラ。
『天上』などと形容されることもある、死後の世界。
清く正しく生きていれば死んだ後にはそこに召されるらしいが、あれだけの罪を犯した自分がそんな場所に行けるわけがない。
つまりここは、いわゆる『地獄』という場所のはず。
「うぅむ……」
しかしその『地獄』らしき場所で、自分はただプカプカと浮かんでいるだけだった。
ある意味、予想外である。
「…………どうしたものか」
さすがに死んだ後のことまでは考えていなかったので、途方に暮れるコルベール。
と、そこに聞き覚えのある声が響いた。
「―――今のところはどうする必要もない」
「何?」
声のした方に振り向いてみれば、そこには虹色をした半透明の四角い箱のようなものに包まれた、
「ゴッツォ君……?」
「……こうしてじっくりと話をするのは初めてか、ミスタ・コルベール」
ユーゼス・ゴッツォがそこにいた。
「? なぜ君が……い、いや、ちょっと待ってくれ。どういうことなんだ?」
コルベールは右手で額を押さえながら状況を整理しようとするが、どうにも理解が追いつかない。
自分は死んだのではなかったのか。
それとも何だ、実はこのユーゼス・ゴッツォという男は地獄の水先案内人とでも言うのか。
「混乱しているようだな」
「……当たり前だ」
まあ無理もないか……などと呟きつつ、ユーゼスは『虹色の箱』に入ったままでコルベールに語りかける。
「お前がミス・ミランに刺された瞬間に、お前の精神を一時的に肉体から切り離し、位相が微妙に異なる空間に移したのだ。……私がこの空間にいるのも同じ理屈だな。ちなみにこの間、通常空間では全く時間が経過していないので安心しろ」
「は?」
「む、理解が出来ないか?」
「…………おそらくハルケギニア中を探しても、今の言葉を理解出来る人間はいないと思うよ」
「そうか。まあ理解したところで、今の状況ではあまり意味がないのだが」
「……………」
プカプカと浮きながらハルケギニア大陸を見下ろしつつ、コルベールは困惑する。
理屈はサッパリ分からないが、この現象はユーゼスの仕業によるものらしい。
……いくら始祖の使い魔とは言え、これはガンダールヴの能力ではあるまい。確実に自分の―――ハルケギニアの理解を超えた力によるもののはずだ。
この目の前の白衣の男が、なぜそんな力を持っているのか。
その力はどれだけのことが可能なのか。
そして何より解せないのは、
「これだけのことが出来るというのに……君は、どうして……」
今までほとんど何もしてこなかったのか。
そんなコルベールの強い疑問に対して、ユーゼスは無表情に答える。
「……確かにハルケギニアという世界において、私のこの力は異質すぎると言えるだろう」
「そうだろう、ならば……」
「だが人々が生きている世界に、超絶的な……神のごとき力など不要だ」
「何?」
「そんなものなどなくても人々は生きているし、世界は存在し続けている。……むしろ突出した力を持つ存在は、世界に無用な混乱を撒き散らしてしまうのだ。その精神や行為の善悪に関わらずな……」
「……ゴッツォ君?」
コルベールは四十二歳である。
決して長く生きたとは言えない年齢だったが、それでも軍人として、隊長として、教師として、若者に何かを伝える人間として、『それなりに』人生経験を積んできたという自負はあった。
そのコルベールが今のユーゼスに抱いた印象は……。
(……まるで老人だ)
しかもオールド・オスマンのような『老いてなお盛ん』というタイプではなく、『やるべきことを全てやり尽くしてしまった』タイプのそれだった。
少なくとも自分よりは若く見えるこの男に、そんな印象を抱くとは。
いや、もしかするとこの男の年齢は……。
「……いかんな。久し振りにシステムを本格起動させたせいで、思考まであの頃のパターンをなぞりつつある」
ユーゼスは首を振ると、あらためてコルベールに向き直る。
コルベールもそれを見て、今は余計な詮索はするまいと正面からユーゼスの視線を受け止めた。
「それで、この現象が君の……その、力によるものだとして、一体何が目的なのだ? こんな形で私と会話をすることに何の意味がある?」
ユーゼスは端的に呟いた。
「お前に選択権を与えに」
「選択権?」
「そうだ。お前の肉体は、このままでは確実に死ぬ」
「……それは……」
まあそうだろうな、とコルベールは思う。
何せさんざん殺しに慣れていた自分が『これは死んだ』と思ったほどなのだから。
しかし『選択権』とは何だろう。
「何を私に選択させるつもりなのかね?」
「簡単なことだ。……このまま通常空間に復帰して死ぬか、それとも新たな命を得て再びの生を歩むか。それを選ばせるために私はこの場を用意した」
「『選ばせる』? なぜそんなことを?」
「火の塔近くでメイジと戦闘した時、お前の助けがなければ私は死んでいたからな。その借りを返しに来たのだ」
「…………なるほど」
律儀と言うか、変に義理堅いと言うか。
コルベールはある種の感心を覚えると同時に、
(今の口振りからすると、彼は生命すら自在に操ることが出来るのか……)
このユーゼスという男に対して、軽い畏怖すら抱き始めた。
だが、この男は『自分の力を積極的に使いたくはない』と言い、自分の力を忌避しているようにさえ見える。
まるで『火』を人殺しに使いたくはない、と言っていた自分のように。
……いや、自分は『火』の平和的な利用方法を模索していたが、ユーゼスは自分の力そのものを嫌っているのか。
この男の過去には、一体何があったのだろう。
「……このような選択をさせずに、問答無用で生き返らせてもよかったのだが……ミス・ミランに刺される直前に杖を捨てたことからして、お前は自分から死を選んだように見えたのでな。……死にたがっている人間を、無理矢理に生き返らせるわけにもいくまい」
「……………」
自殺でもされてはあまりにも意味がない、とユーゼスは言う。
そう、確かに自殺に意味などはない。
ないのだが……。
「……ダングルテールの一件以来、私は研究に打ち込んだ」
「む?」
コルベールはゆっくりと語り始める。
「多くの罪なき人々を焼き払った……その罪の償いをしようと、一人でも多くの人間を幸せにすることこそが私に出来る贖罪だと考えた。そうして私は、誰もが使えるような新しい技術の開発を目指した」
「傲慢だな。……そんなことをしようと死んだ人間は生き返ったりなどしないし、過去が消えるわけでもない」
「その通りだ」
ユーゼスに指摘されたことに動揺することなく、むしろ肯定すらするコルベール。
「どれほど人の役に立とうと考え、それを実行しても……私の大きすぎる罪は決して赦されることは決してない。罪は消えぬ。いつまでも消えぬ。この身が滅んでも、罪は消えぬ。『罪』とは、そう言ったものなのだ」
「……………」
「だから、これは『義務』なのだと。生きて世の人々に尽くすことが私の『義務』であり、死を選ぶことも赦されぬと、私はそう思った。……いや、今でもそう思っている」
「ならば生きることを望むか?」
「―――いいや」
「?」
ユーゼスは首を傾げ、怪訝な顔でコルベールを問い質す。
「……明らかに矛盾しているぞ。『死を選ぶことが赦されない』と言うのに、『生きることを望まない』とはどういうことだ?」
「それは……あのアニエス君だ」
「……………」
「私にとっては、死を選ぶことすら傲慢だが……唯一、私の死を決定することが出来る人間がいる。彼女だ。あの村の唯一の生き残りであるアニエス君だけが……私が焼き尽くした彼らの慰めのために、私を殺す権利を持っているのだ」
「ふむ」
ユーゼスは無感情な目でコルベールを見る。
その内心は呆れているのか、笑っているのか。あるいは全く別の感情を抱いているのか。
表情の動きからそれを窺うことは出来なかったが、やがて小さく息を吐いて言葉を紡いだ。
「……お前がそれで納得すると言うのなら、私としても構わんが」
するとコルベールは、照れくさそうに頭を掻き始める。
「いや……こうして格好のいいことを喋ってはみたが、本当のところは死に場所を探していただけだったのかも知れん」
「そうなのか?」
「ああ。彼女に殺されて何となく肩の荷が下りたと言うか、ホッとしているのも事実だしな」
「……因果の鎖から解き放たれた、か」
少し感慨深げに言うユーゼス。
一方、またいきなり理解の出来ない単語が出て来たのでコルベールはキョトンとした顔になった。
「どういう意味かね?」
「……何、ただの独り言だ。気にする必要はない」
「むう」
そういう言い方をされると、むしろ余計に気になってくる。
もっとも、気になるのはユーゼスの言動だけではなく、素性や能力や正体に関してもそうなのだが。
「まあ、今更惜しい命でもないからなぁ。未練はそれなりにあるし、『火』の新しい使い道のヒントくらいは見つけたかったが、『死に場所』に遭遇してしまってはどうしようもない」
「『往生際が良い』というやつか?」
「いいや、ただ単に見切りをつけるのが早いだけだよ」
と、ここまでユーゼスと会話して、コルベールの中で一つの好奇心が首をもたげてきた。
この短い会話の中で生まれた、数多くの疑問。その中でも最も強いもので、そしてコルベールが『もしかしたら』と思っていることがある。
それは……。
「―――ゴッツォ君、最後に一つだけ聞かせてくれ」
「何だ?」
「君はもしかして……その……、いわゆる『神』なのか?」
「………………『神』だと?」
ユーゼスの目が見開かれる。
予期していない質問をぶつけられたせいで、驚いたのだろうか。
「―――――」
ユーゼスは沈黙して何かを考え込む。
そして十秒ほどそうした後、ためらうような口調でコルベールに回答を告げた。
「……あいにくと人間だ。他人の目にはどう映るか知らんがな……」
「そうか」
それならそれで、別に構わない。
コルベールは疑問の一つが解けたことに充足感を感じていた。
一方そんな様子のコルベールを見て、ユーゼスは少し惜しそうに言う。
「もう少し早くこうして話をしていれば……いや、お前の研究対象が私の主義と真っ向から反するものでなければ、あるいはお前を友と呼べていたかも知れんな」
「そうだな……。色々と心残りはあるが、一番の悔いはそれかも知れない」
分野こそ違うが、何だかんだ言っても同じ研究者同士だ。
たとえ主義や信念が異なるものだとしても、前からもっと意見をぶつけ合わせるなりしていれば、今とは違った関係になっていた可能性は十分にあっただろう。
と、言うか。
「しかし、私の研究内容が君のお気に召していなかったとは初耳だな。そうならそうと言ってくれればよかったものを」
「言う必要性を感じなかったものでね」
「……そういうところは直した方がいいと思うぞ」
「考えておこう」
「考えておくって……君なぁ……」
……さて、そろそろ語るべきことも無くなってきた。
あとは『もういい』とでも言えば、コルベールの意識はすぐに魔法学院の食堂にある身体へと戻り、次の瞬間には死を迎えるのだろう。
「……………」
「……………」
だがコルベールは何も言わず、ユーゼスもまた沈黙をもって相対する。
体感時間にしてみれば、わずか数秒ほどのこと。
そして。
「さらばだ、ジャン・コルベール……」
「……ああ。君も達者でな、ユーゼス・ゴッツォ」
最後の最後に『ミスタ』も『君』も付けずにフルネームで呼び合って、二人は別れたのだった。
コルベールは浮遊していく。
肉体が、ではない。
意識が身体を離れ、空に浮かんでいるのだ。
「……これが『死ぬ』ということか?」
そう呟く間にも、コルベールの意識は浮遊を続けた。
自分の身体や、それを剣で突き刺しているアニエスを見下ろし。
食堂の屋根をすり抜け。
トリステイン魔法学院の上空を通りすぎて。
雲の高さまで上昇してもなお止まらず。
あげくの果てにはトリステインどころか、ハルケギニアの形が分かるほどの高度に達する。
「む……止まったか」
ようやく止まってくれたことにホッとしつつ、コルベールはこれからどうしようかと首をひねった。
自分は先程、アニエスに刺された。
そしておそらく死んだ。
それはいい。
だが、それからどうすればいいのだろう。
「しかし、ヴァルハラ……いや、地獄とは意外にあっけないところなのだなぁ」
ヴァルハラ。
『天上』などと形容されることもある、死後の世界。
清く正しく生きていれば死んだ後にはそこに召されるらしいが、あれだけの罪を犯した自分がそんな場所に行けるわけがない。
つまりここは、いわゆる『地獄』という場所のはず。
「うぅむ……」
しかしその『地獄』らしき場所で、自分はただプカプカと浮かんでいるだけだった。
ある意味、予想外である。
「…………どうしたものか」
さすがに死んだ後のことまでは考えていなかったので、途方に暮れるコルベール。
と、そこに聞き覚えのある声が響いた。
「―――今のところはどうする必要もない」
「何?」
声のした方に振り向いてみれば、そこには虹色をした半透明の四角い箱のようなものに包まれた、
「ゴッツォ君……?」
「……こうしてじっくりと話をするのは初めてか、ミスタ・コルベール」
ユーゼス・ゴッツォがそこにいた。
「? なぜ君が……い、いや、ちょっと待ってくれ。どういうことなんだ?」
コルベールは右手で額を押さえながら状況を整理しようとするが、どうにも理解が追いつかない。
自分は死んだのではなかったのか。
それとも何だ、実はこのユーゼス・ゴッツォという男は地獄の水先案内人とでも言うのか。
「混乱しているようだな」
「……当たり前だ」
まあ無理もないか……などと呟きつつ、ユーゼスは『虹色の箱』に入ったままでコルベールに語りかける。
「お前がミス・ミランに刺された瞬間に、お前の精神を一時的に肉体から切り離し、位相が微妙に異なる空間に移したのだ。……私がこの空間にいるのも同じ理屈だな。ちなみにこの間、通常空間では全く時間が経過していないので安心しろ」
「は?」
「む、理解が出来ないか?」
「…………おそらくハルケギニア中を探しても、今の言葉を理解出来る人間はいないと思うよ」
「そうか。まあ理解したところで、今の状況ではあまり意味がないのだが」
「……………」
プカプカと浮きながらハルケギニア大陸を見下ろしつつ、コルベールは困惑する。
理屈はサッパリ分からないが、この現象はユーゼスの仕業によるものらしい。
……いくら始祖の使い魔とは言え、これはガンダールヴの能力ではあるまい。確実に自分の―――ハルケギニアの理解を超えた力によるもののはずだ。
この目の前の白衣の男が、なぜそんな力を持っているのか。
その力はどれだけのことが可能なのか。
そして何より解せないのは、
「これだけのことが出来るというのに……君は、どうして……」
今までほとんど何もしてこなかったのか。
そんなコルベールの強い疑問に対して、ユーゼスは無表情に答える。
「……確かにハルケギニアという世界において、私のこの力は異質すぎると言えるだろう」
「そうだろう、ならば……」
「だが人々が生きている世界に、超絶的な……神のごとき力など不要だ」
「何?」
「そんなものなどなくても人々は生きているし、世界は存在し続けている。……むしろ突出した力を持つ存在は、世界に無用な混乱を撒き散らしてしまうのだ。その精神や行為の善悪に関わらずな……」
「……ゴッツォ君?」
コルベールは四十二歳である。
決して長く生きたとは言えない年齢だったが、それでも軍人として、隊長として、教師として、若者に何かを伝える人間として、『それなりに』人生経験を積んできたという自負はあった。
そのコルベールが今のユーゼスに抱いた印象は……。
(……まるで老人だ)
しかもオールド・オスマンのような『老いてなお盛ん』というタイプではなく、『やるべきことを全てやり尽くしてしまった』タイプのそれだった。
少なくとも自分よりは若く見えるこの男に、そんな印象を抱くとは。
いや、もしかするとこの男の年齢は……。
「……いかんな。久し振りにシステムを本格起動させたせいで、思考まであの頃のパターンをなぞりつつある」
ユーゼスは首を振ると、あらためてコルベールに向き直る。
コルベールもそれを見て、今は余計な詮索はするまいと正面からユーゼスの視線を受け止めた。
「それで、この現象が君の……その、力によるものだとして、一体何が目的なのだ? こんな形で私と会話をすることに何の意味がある?」
ユーゼスは端的に呟いた。
「お前に選択権を与えに」
「選択権?」
「そうだ。お前の肉体は、このままでは確実に死ぬ」
「……それは……」
まあそうだろうな、とコルベールは思う。
何せさんざん殺しに慣れていた自分が『これは死んだ』と思ったほどなのだから。
しかし『選択権』とは何だろう。
「何を私に選択させるつもりなのかね?」
「簡単なことだ。……このまま通常空間に復帰して死ぬか、それとも新たな命を得て再びの生を歩むか。それを選ばせるために私はこの場を用意した」
「『選ばせる』? なぜそんなことを?」
「火の塔近くでメイジと戦闘した時、お前の助けがなければ私は死んでいたからな。その借りを返しに来たのだ」
「…………なるほど」
律儀と言うか、変に義理堅いと言うか。
コルベールはある種の感心を覚えると同時に、
(今の口振りからすると、彼は生命すら自在に操ることが出来るのか……)
このユーゼスという男に対して、軽い畏怖すら抱き始めた。
だが、この男は『自分の力を積極的に使いたくはない』と言い、自分の力を忌避しているようにさえ見える。
まるで『火』を人殺しに使いたくはない、と言っていた自分のように。
……いや、自分は『火』の平和的な利用方法を模索していたが、ユーゼスは自分の力そのものを嫌っているのか。
この男の過去には、一体何があったのだろう。
「……このような選択をさせずに、問答無用で生き返らせてもよかったのだが……ミス・ミランに刺される直前に杖を捨てたことからして、お前は自分から死を選んだように見えたのでな。……死にたがっている人間を、無理矢理に生き返らせるわけにもいくまい」
「……………」
自殺でもされてはあまりにも意味がない、とユーゼスは言う。
そう、確かに自殺に意味などはない。
ないのだが……。
「……ダングルテールの一件以来、私は研究に打ち込んだ」
「む?」
コルベールはゆっくりと語り始める。
「多くの罪なき人々を焼き払った……その罪の償いをしようと、一人でも多くの人間を幸せにすることこそが私に出来る贖罪だと考えた。そうして私は、誰もが使えるような新しい技術の開発を目指した」
「傲慢だな。……そんなことをしようと死んだ人間は生き返ったりなどしないし、過去が消えるわけでもない」
「その通りだ」
ユーゼスに指摘されたことに動揺することなく、むしろ肯定すらするコルベール。
「どれほど人の役に立とうと考え、それを実行しても……私の大きすぎる罪は決して赦されることは決してない。罪は消えぬ。いつまでも消えぬ。この身が滅んでも、罪は消えぬ。『罪』とは、そう言ったものなのだ」
「……………」
「だから、これは『義務』なのだと。生きて世の人々に尽くすことが私の『義務』であり、死を選ぶことも赦されぬと、私はそう思った。……いや、今でもそう思っている」
「ならば生きることを望むか?」
「―――いいや」
「?」
ユーゼスは首を傾げ、怪訝な顔でコルベールを問い質す。
「……明らかに矛盾しているぞ。『死を選ぶことが赦されない』と言うのに、『生きることを望まない』とはどういうことだ?」
「それは……あのアニエス君だ」
「……………」
「私にとっては、死を選ぶことすら傲慢だが……唯一、私の死を決定することが出来る人間がいる。彼女だ。あの村の唯一の生き残りであるアニエス君だけが……私が焼き尽くした彼らの慰めのために、私を殺す権利を持っているのだ」
「ふむ」
ユーゼスは無感情な目でコルベールを見る。
その内心は呆れているのか、笑っているのか。あるいは全く別の感情を抱いているのか。
表情の動きからそれを窺うことは出来なかったが、やがて小さく息を吐いて言葉を紡いだ。
「……お前がそれで納得すると言うのなら、私としても構わんが」
するとコルベールは、照れくさそうに頭を掻き始める。
「いや……こうして格好のいいことを喋ってはみたが、本当のところは死に場所を探していただけだったのかも知れん」
「そうなのか?」
「ああ。彼女に殺されて何となく肩の荷が下りたと言うか、ホッとしているのも事実だしな」
「……因果の鎖から解き放たれた、か」
少し感慨深げに言うユーゼス。
一方、またいきなり理解の出来ない単語が出て来たのでコルベールはキョトンとした顔になった。
「どういう意味かね?」
「……何、ただの独り言だ。気にする必要はない」
「むう」
そういう言い方をされると、むしろ余計に気になってくる。
もっとも、気になるのはユーゼスの言動だけではなく、素性や能力や正体に関してもそうなのだが。
「まあ、今更惜しい命でもないからなぁ。未練はそれなりにあるし、『火』の新しい使い道のヒントくらいは見つけたかったが、『死に場所』に遭遇してしまってはどうしようもない」
「『往生際が良い』というやつか?」
「いいや、ただ単に見切りをつけるのが早いだけだよ」
と、ここまでユーゼスと会話して、コルベールの中で一つの好奇心が首をもたげてきた。
この短い会話の中で生まれた、数多くの疑問。その中でも最も強いもので、そしてコルベールが『もしかしたら』と思っていることがある。
それは……。
「―――ゴッツォ君、最後に一つだけ聞かせてくれ」
「何だ?」
「君はもしかして……その……、いわゆる『神』なのか?」
「………………『神』だと?」
ユーゼスの目が見開かれる。
予期していない質問をぶつけられたせいで、驚いたのだろうか。
「―――――」
ユーゼスは沈黙して何かを考え込む。
そして十秒ほどそうした後、ためらうような口調でコルベールに回答を告げた。
「……あいにくと人間だ。他人の目にはどう映るか知らんがな……」
「そうか」
それならそれで、別に構わない。
コルベールは疑問の一つが解けたことに充足感を感じていた。
一方そんな様子のコルベールを見て、ユーゼスは少し惜しそうに言う。
「もう少し早くこうして話をしていれば……いや、お前の研究対象が私の主義と真っ向から反するものでなければ、あるいはお前を友と呼べていたかも知れんな」
「そうだな……。色々と心残りはあるが、一番の悔いはそれかも知れない」
分野こそ違うが、何だかんだ言っても同じ研究者同士だ。
たとえ主義や信念が異なるものだとしても、前からもっと意見をぶつけ合わせるなりしていれば、今とは違った関係になっていた可能性は十分にあっただろう。
と、言うか。
「しかし、私の研究内容が君のお気に召していなかったとは初耳だな。そうならそうと言ってくれればよかったものを」
「言う必要性を感じなかったものでね」
「……そういうところは直した方がいいと思うぞ」
「考えておこう」
「考えておくって……君なぁ……」
……さて、そろそろ語るべきことも無くなってきた。
あとは『もういい』とでも言えば、コルベールの意識はすぐに魔法学院の食堂にある身体へと戻り、次の瞬間には死を迎えるのだろう。
「……………」
「……………」
だがコルベールは何も言わず、ユーゼスもまた沈黙をもって相対する。
体感時間にしてみれば、わずか数秒ほどのこと。
そして。
「さらばだ、ジャン・コルベール……」
「……ああ。君も達者でな、ユーゼス・ゴッツォ」
最後の最後に『ミスタ』も『君』も付けずにフルネームで呼び合って、二人は別れたのだった。
「ぅ……っ、ぐ……」
「…………!」
ズ、とコルベールの胸から剣を引き抜くアニエス。
その身体にはコルベールから流れ出た血がベッタリと付着してしまっているが、それを気にした様子はない。
「―――――」
倒れこむコルベールの身体はアニエスの身体をすべり、床へと崩れ落ちていく。
「っ」
アニエスはうずくまっているような体勢のコルベールを蹴飛ばし、強引に仰向けにさせた。
そしてまた剣を突きつけ、強い口調で問いかける。
「……なぜ、杖を捨てた!? お前は刺される直前、やろうと思えば私を倒せたはずだ!!」
どうしても納得が行かない、と彼女の全身が告げている。
そんなアニエスに対し、コルベールは息も絶え絶えに話しかけた。
「き、君には……私を、殺す……権……利が、ある……」
「何だと!!?」
「わ……私を、ここで、殺すのは……別に、構わない。……だが……、これを最後に、もう……人を殺すのは……、やめて……くれ」
「貴様……何をぬけぬけと!!」
激昂し、もう一度剣を構えてコルベールに突き刺そうとするアニエス。
コルベールはそんな彼女から視線を離さずに喋り続ける。
「……あの時、初めて……罪に、気付いた。……命令に従うのが、正しい……こ……と、だと、思っていた……」
アニエスの憎き仇、そして魔法学院の教師でもある男。
彼は最後の力を振り絞り、何かを訴えかけようとしていた。
「だが……! たとえ、どんな正当な……理由が、……あっても、人を……殺すのは……罪、だ……!」
対するアニエスは、憎悪の表情のまま。
とてもコルベールの言葉が届いているとは思えない。
「だ……、だから……」
しかしコルベールはそれでも喋り続けようとして、
「っ……――――」
そのまま動きを止めた。
「……………」
冷ややかな目でそれを見つめるアニエス。
彼女は目を開けたまま微動だにしなくなったコルベールの肩を突き刺し、更に身体をまた蹴り飛ばしまでしてから一つの結論を下す。
「やった……」
20年越しの仇討ちは、今ここに果たされた。
彼女は人生の宿願を果たしたのだ。
しかし。
「…………終わった、のか」
呆然と呟くその言葉には、不思議と力がこもっていなかった。
「…………!」
ズ、とコルベールの胸から剣を引き抜くアニエス。
その身体にはコルベールから流れ出た血がベッタリと付着してしまっているが、それを気にした様子はない。
「―――――」
倒れこむコルベールの身体はアニエスの身体をすべり、床へと崩れ落ちていく。
「っ」
アニエスはうずくまっているような体勢のコルベールを蹴飛ばし、強引に仰向けにさせた。
そしてまた剣を突きつけ、強い口調で問いかける。
「……なぜ、杖を捨てた!? お前は刺される直前、やろうと思えば私を倒せたはずだ!!」
どうしても納得が行かない、と彼女の全身が告げている。
そんなアニエスに対し、コルベールは息も絶え絶えに話しかけた。
「き、君には……私を、殺す……権……利が、ある……」
「何だと!!?」
「わ……私を、ここで、殺すのは……別に、構わない。……だが……、これを最後に、もう……人を殺すのは……、やめて……くれ」
「貴様……何をぬけぬけと!!」
激昂し、もう一度剣を構えてコルベールに突き刺そうとするアニエス。
コルベールはそんな彼女から視線を離さずに喋り続ける。
「……あの時、初めて……罪に、気付いた。……命令に従うのが、正しい……こ……と、だと、思っていた……」
アニエスの憎き仇、そして魔法学院の教師でもある男。
彼は最後の力を振り絞り、何かを訴えかけようとしていた。
「だが……! たとえ、どんな正当な……理由が、……あっても、人を……殺すのは……罪、だ……!」
対するアニエスは、憎悪の表情のまま。
とてもコルベールの言葉が届いているとは思えない。
「だ……、だから……」
しかしコルベールはそれでも喋り続けようとして、
「っ……――――」
そのまま動きを止めた。
「……………」
冷ややかな目でそれを見つめるアニエス。
彼女は目を開けたまま微動だにしなくなったコルベールの肩を突き刺し、更に身体をまた蹴り飛ばしまでしてから一つの結論を下す。
「やった……」
20年越しの仇討ちは、今ここに果たされた。
彼女は人生の宿願を果たしたのだ。
しかし。
「…………終わった、のか」
呆然と呟くその言葉には、不思議と力がこもっていなかった。
(『死に場所』か)
ユーゼスはコルベールが息を引き取る瞬間を見守りながら、特殊空間で聞いた彼の言葉を思い出していた。
(私の本当の死に場所は、一体どこなのだろうな……)
人の命を奪うことが罪だと言うのならば、ユーゼスも罪を犯している。
それもコルベールとは比較にならないほどの数をだ。
直接ではないが……自分の行為が原因で都市の10や20は軽く壊滅させてしまったこともあれば、歴史を捻じ曲げたりもしたし(最小限度に抑えるように尽力はしたつもりだが)、あとは組織を乗っ取るために因果律を操作して邪魔者を排除したりもしたか。
しかしその罪と引き換えという訳でもないだろうが、自分は二度ほど死んでいる。
身体の大部分と、本来の顔を失った一度目の死。
イングラムとガイアセイバーズによって打ち倒された、二度目の死。
しかし二度の死を迎えてもなお、自分はこうしてここに生きている。
コルベールの言葉によれば、死んだところで決して罪は消えないし、赦されないらしいが……。
(……まさか私は、永遠に死と生を繰り返すのではないだろうな)
ある意味、地獄である。
……いや、いくら何でもそれはないか。
(『ユーゼス・ゴッツォ』という存在が全ての並行世界から完全に消滅することはないにしても、『この私』の終わりはあるはず……)
あるいは、自分は本当に死ぬためにこのハルケギニアという世界に存在しているのかも知れない。
いや、それならそれで別に構わないが、だったら二度目の時に素直に死なせてくれれば良かったものを。
『宇宙の意思』……確かどこかの世界では『アカシック・レコード』とか呼ばれていたモノは、一体『このユーゼス・ゴッツォ』に何をさせたいのやら。
まあ、少なくとも『贖罪』という線はあるまい。
今更そんなことをしたところで、何の意味もないのだから。
(……まったく)
何にせよ、よく分からないことだらけである。
だが……。
(少なくとも、それは今考えることではないか)
自分の存在意義や生存理由など、真面目に考え始めたら一生かかってしまう。
そんなことはそれこそ死に際にでも考えればいい。
「やれやれ……」
溜息をつきつつ、食堂のある本塔から出るユーゼス。
ただでさえ戦闘で疲れているのに、これ以上疲れることを考えたくはない。
取りあえず部屋に戻って、睡眠でも取ろう。
そう思って寮へと足を向けると、
「……む?」
物陰からコソコソとこちらを窺っている人影を発見した。
そろそろ白み始めてきた空のおかげで、その人影の特徴である見事なブロンドやら眼鏡やらが、キラリと光っている。
……と言うか、顔をほぼ丸ごと壁から出してしまっていては『物陰に潜んでいる』意味がなくなってしまうのだが。
おまけに寒さ対策のためか、寝巻き姿の上にマント(おそらくどこからか持ってきたのだろう)を羽織るという格好をしているため、ヒラヒラしていていて隠密性もへったくれもない。
まさに素人丸出しの隠れ方だった。
ユーゼスはコルベールが息を引き取る瞬間を見守りながら、特殊空間で聞いた彼の言葉を思い出していた。
(私の本当の死に場所は、一体どこなのだろうな……)
人の命を奪うことが罪だと言うのならば、ユーゼスも罪を犯している。
それもコルベールとは比較にならないほどの数をだ。
直接ではないが……自分の行為が原因で都市の10や20は軽く壊滅させてしまったこともあれば、歴史を捻じ曲げたりもしたし(最小限度に抑えるように尽力はしたつもりだが)、あとは組織を乗っ取るために因果律を操作して邪魔者を排除したりもしたか。
しかしその罪と引き換えという訳でもないだろうが、自分は二度ほど死んでいる。
身体の大部分と、本来の顔を失った一度目の死。
イングラムとガイアセイバーズによって打ち倒された、二度目の死。
しかし二度の死を迎えてもなお、自分はこうしてここに生きている。
コルベールの言葉によれば、死んだところで決して罪は消えないし、赦されないらしいが……。
(……まさか私は、永遠に死と生を繰り返すのではないだろうな)
ある意味、地獄である。
……いや、いくら何でもそれはないか。
(『ユーゼス・ゴッツォ』という存在が全ての並行世界から完全に消滅することはないにしても、『この私』の終わりはあるはず……)
あるいは、自分は本当に死ぬためにこのハルケギニアという世界に存在しているのかも知れない。
いや、それならそれで別に構わないが、だったら二度目の時に素直に死なせてくれれば良かったものを。
『宇宙の意思』……確かどこかの世界では『アカシック・レコード』とか呼ばれていたモノは、一体『このユーゼス・ゴッツォ』に何をさせたいのやら。
まあ、少なくとも『贖罪』という線はあるまい。
今更そんなことをしたところで、何の意味もないのだから。
(……まったく)
何にせよ、よく分からないことだらけである。
だが……。
(少なくとも、それは今考えることではないか)
自分の存在意義や生存理由など、真面目に考え始めたら一生かかってしまう。
そんなことはそれこそ死に際にでも考えればいい。
「やれやれ……」
溜息をつきつつ、食堂のある本塔から出るユーゼス。
ただでさえ戦闘で疲れているのに、これ以上疲れることを考えたくはない。
取りあえず部屋に戻って、睡眠でも取ろう。
そう思って寮へと足を向けると、
「……む?」
物陰からコソコソとこちらを窺っている人影を発見した。
そろそろ白み始めてきた空のおかげで、その人影の特徴である見事なブロンドやら眼鏡やらが、キラリと光っている。
……と言うか、顔をほぼ丸ごと壁から出してしまっていては『物陰に潜んでいる』意味がなくなってしまうのだが。
おまけに寒さ対策のためか、寝巻き姿の上にマント(おそらくどこからか持ってきたのだろう)を羽織るという格好をしているため、ヒラヒラしていていて隠密性もへったくれもない。
まさに素人丸出しの隠れ方だった。
「…………何をやっているのだ、お前は」
呆れつつ、顔見知りのその人影に話しかけるユーゼス。
するとその人影はビクッと反応し、おそるおそると言った様子で返事をしてきた。
「だ、だって……あの連中が、まだいるかも知れないでしょ」
「……私がこうやって無防備に外に出た時点で、おおよその察しはつくのではないか?」
「伏兵とかがいる可能性だってあるじゃないの」
「…………その伏兵以外の戦力が全滅しているのでは意味があるまい。仮にいたところで、撤退していると私は見るが」
「そうかしら?」
「そうだろう」
まあ、素人判断ではあるのだが。
ともあれその物陰に潜んでいた人影は、おっかなびっくり姿を現す。
ユーゼスはそんな彼女に内心でほんの僅かに苦笑しつつ、取りあえず不安を払拭させるために声をかけた。
「安心しろ。仮に敵がいたとしても、その時は……」
「その時は?」
「……二人で戦えば何とかなるはずだ」
「………………あのねえ、ユーゼス。そこは『私が守ってやる』とか、そういうセリフを言うべきだと思うんだけど?」
「利用が出来るものは可能な限り利用する、というのが私のスタンスでね」
「……前に『私は戦闘に向いてないから戦闘メンバーから除外する』とか言ってなかったかしら?」
「非常事態だ。仕方があるまい」
サラッと自分を戦力に組み込んだユーゼスに対して、金髪眼鏡の美女はジロリと白い目を向ける。
だがユーゼスは気にした風もなく、
「しかし……意外と臆病だな、エレオノール」
「……慎重と言ってちょうだい」
目の前のエレオノールに対して、そんな指摘をする。
エレオノールは何となくバツが悪そうにそっぽを向くが、ユーゼスは構わずに彼女に話しかけた。
「御主人様は無事か?」
「ええ、ルイズならいつでも学院から逃げられる場所に置いてきたわ。何だかやたらと落ち込んでたって言うか、辛そうだったみたいだけど……」
「あれだけのことがあったのだ、無理もあるまい」
「ただでさえあの年頃は色々と微妙でもあるし……変な影響とかが出なければいいんだけど」
「『あの年頃』か」
精神年齢68歳くらいのユーゼスとしては、10代後半の頃などはもう遠い彼方である。
あまりにも遠すぎて、もはや何も思い出せないほどに。
一方、エレオノールはその言葉を曲解したらしく、ジト~ッとした目をユーゼスに向けていた。
「……何が言いたいのかしら?」
「特に他意はない」
本当に他意はないのだが、納得いかない様子のエレオノールはユーゼスに視線を注ぎ続ける。
すると、不意にその目が『チクチクと刺すようなもの』から『心配そうなもの』へと変わった。
「何だ? 外見的にそれほどおかしい点はないと思うが」
「……いえ、けっこうボロボロよ、あなた」
「む?」
言われてユーゼスが自分の身体や衣服を確認してみると、確かにボロボロだった。
無理もない。
食堂に入る前にはメイジ二人と交戦し、その後にはメンヌヴィルの炎にあぶられ続けていたのだから、特殊加工も魔法もかけられていない普通の白衣がボロボロにならない方がおかしいだろう。
もちろん、そんな普通の白衣の下にある普通の身体にもダメージはあるわけで。
「……そう言えば火傷も各部に出来ているな。当然と言えば当然だが」
「『そう言えば』って、他人事みたいに言うんじゃないわよ! ああもう、顔についたススくらいは拭いておきなさい!」
言うなり、指でユーゼスの右頬のススをぬぐうエレオノール。
「……やっぱりちゃんとした布で拭いた方がいいわね。これだと私の手も汚れるし。それじゃあ、取りあえず……」
そして医務室にでも連れて行くつもりなのだろう、そのままユーゼスの腕を掴むと、
「ところでエレオノール」
不意にユーゼスから声をかけられる。
「何よ? ……まさか『大した火傷でもないから放っておけ』とでも言うんじゃないでしょうね?」
「いや、倒れてもいいだろうか」
「え?」
その言葉の意味を問い質すよりも早く、ユーゼスの身体がエレオノールに向かってフラリと倒れこむ。
エレオノールはその倒れてくる男の腕を掴んでいるので避けるわけにもいかず、わたわたしながらもユーゼスの身体を抱きとめてしまった。
「……………」
「は? え? ちょ、ちょっと……えっ、ええぇ!!?」
たちまち顔を紅潮させて混乱する金髪眼鏡の美女。
だがしどろもどろになりながらも、何とか状況の説明だけは要求する。
「なっ……ななな、なっ、何するのよ、いきなり!? こっ、こういうことは恥ずかしいから、外にいるときじゃなくって部屋の中で……じゃないっ! とにかく、何事よ!!?」
唐突に抱きつかれてドキドキ状態、その上いっぱいいっぱいな様子のエレオノールだったが、抱きついているユーゼスは割と落ちついている様子で質問に答える。
「……先程のやり取りで完全に気が抜けたというか、緊張の糸が切れてな。一気に身体の力が抜けてしまった」
「は、はあ?」
実を言うと、ユーゼスは心身ともにもう限界に近かった。
いくらガンダールヴのルーンで強化されているとは言え、ユーゼスは宇宙刑事のようにコンバットスーツを身にまとっている訳でもなければ、ガンダムファイターのような戦闘用の身体でもない。
火の塔近くでのメイジ二人との戦いと、メンヌヴィルとの戦いとの連戦は『本職が研究者』であるユーゼスにはかなり厳しいものがあったのだ。
特にメンヌヴィルとの戦いは最初から最後までかなりギリギリの展開だったし、その間は精神が張り詰めたまま、体力は消耗しっぱなしだった。
そんな状態でいきなり気が緩んだりしたら、こうなるのも仕方がない。
とは言え。
「……一人であんな危険な相手に向かっていくような無茶をするからよ、まったく」
「その危険な相手に一人で食って掛かっていった、お前にだけは言われたくないセリフだな」
「あ、あの時は何て言うか、反射的にそうしちゃったんだから、仕方がないでしょう!」
「だろうな。私もそうだ」
『倒れこんでいるユーゼスとそれを抱きとめているエレオノール』という構図なので、傍から見ているとこの二人は抱き合っているようにしか見えなかったりする。
もっとも、二人の内の片方にそんな自覚は全くないのだが。
「ん……」
と、ここでエレオノールが軽くよろめいた。
どうやらほぼ脱力しきっているユーゼスの身体が重いようだ。
「……どうでもいいけど……いえ、よくないけど。仮にも男が、いつまでも女の私にしがみついてて情けないとか思わないの?」
「思わん」
「……………」
呆れるエレオノール。
こうまで相手が冷静と言うか、何にも感じていないようだと、ドキドキするのも間が抜けているような気がしてきたらしい。
そして『もうその辺に放り出ちゃおうかしら』などということを本格的に考え始めたあたりで、
「それに意外と悪い気分でもないしな」
「んなっ!!?」
いきなりそんな爆弾が投下された。
たちまちエレオノールの心拍数は跳ね上がり、ドキドキが再加速し始める……が、そのドキドキさせている張本人は涼しい顔。
「どうした、いきなり狼狽などして。何か問題でもあったか?」
「っ、問題だらけよっ!」
「?」
エレオノールは無自覚な彼に腹を立て、ユーゼスはそんな彼女に首を傾げる。
ちなみにアレコレ言い合いつつも、お互いに抱き合っている身体を振りほどこうとはしていない。
「まったく……! 大体ね、もう何度も言ってる気がするけど、あなたはもう少しデリカシーというものを…………って、あれ?」
「―――――」
ユーゼスほどではないにせよ『マトモな恋愛経験』が皆無に等しいエレオノールは、それに気付かないままユーゼスに不平不満をぶつけようとして、そのユーゼスに起きている異変に気付いた。
力の抜けきった身体。
閉じられた瞳。
ゆっくりと繰り返される呼吸。
つまり、ユーゼスは。
「―――――」
「ユーゼス、あなた……」
「―――――」
「…………もしかして、寝てる?」
「―――――」
エレオノールにもたれ掛かりながら、睡眠に突入しているのであった。
まあ、一晩中どこかに(ユーゼスがカトレアの屋敷にいたことをエレオノールは知らない)出かけていて、学院に戻って来たと思ったらいきなり前述のような緊張状態が続き、しかもその緊張の糸が切れれば睡魔に襲われて当然ではある。
「……………ぅぅう」
当然ではあるのだが、エレオノールはどうにも納得がいかない。
「ね、寝るって……。いきなり何の脈絡もなく、寝るって……。いえ、そりゃあ休ませてあげたい気持ちも少しはあるけど……それにしたって、いきなり寝ることはないでしょ……」
細い身体にズッシリとのしかかるユーゼスの重みにまたよろめきながら、ブツブツと文句を呟くエレオノール。
「……………」
「―――――」
改めてユーゼスの顔を覗き込んでみると、何ともまあ無防備な顔で眠りこけていた。
いつも難しい顔をしていたり、斜に構えた態度を取ったりするユーゼスのこういう一面を見るのは、ある意味で貴重なような気がする。
エレオノールはそんなユーゼスを見ていると、何だか胸の奥がチクチクするような、締め付けられるような、どうにも上手く言い表せない気持ちになってきた。
「ぁぅ……」
今更ながら、『自分とユーゼスは抱き合っている』という自覚が芽生えてくる。
少し耳をすませば自分と密着しているユーゼスの呼吸音と、それよりも大きな自分の心音が響いている。
そして頭の中をグルグルと巡るのは、
呆れつつ、顔見知りのその人影に話しかけるユーゼス。
するとその人影はビクッと反応し、おそるおそると言った様子で返事をしてきた。
「だ、だって……あの連中が、まだいるかも知れないでしょ」
「……私がこうやって無防備に外に出た時点で、おおよその察しはつくのではないか?」
「伏兵とかがいる可能性だってあるじゃないの」
「…………その伏兵以外の戦力が全滅しているのでは意味があるまい。仮にいたところで、撤退していると私は見るが」
「そうかしら?」
「そうだろう」
まあ、素人判断ではあるのだが。
ともあれその物陰に潜んでいた人影は、おっかなびっくり姿を現す。
ユーゼスはそんな彼女に内心でほんの僅かに苦笑しつつ、取りあえず不安を払拭させるために声をかけた。
「安心しろ。仮に敵がいたとしても、その時は……」
「その時は?」
「……二人で戦えば何とかなるはずだ」
「………………あのねえ、ユーゼス。そこは『私が守ってやる』とか、そういうセリフを言うべきだと思うんだけど?」
「利用が出来るものは可能な限り利用する、というのが私のスタンスでね」
「……前に『私は戦闘に向いてないから戦闘メンバーから除外する』とか言ってなかったかしら?」
「非常事態だ。仕方があるまい」
サラッと自分を戦力に組み込んだユーゼスに対して、金髪眼鏡の美女はジロリと白い目を向ける。
だがユーゼスは気にした風もなく、
「しかし……意外と臆病だな、エレオノール」
「……慎重と言ってちょうだい」
目の前のエレオノールに対して、そんな指摘をする。
エレオノールは何となくバツが悪そうにそっぽを向くが、ユーゼスは構わずに彼女に話しかけた。
「御主人様は無事か?」
「ええ、ルイズならいつでも学院から逃げられる場所に置いてきたわ。何だかやたらと落ち込んでたって言うか、辛そうだったみたいだけど……」
「あれだけのことがあったのだ、無理もあるまい」
「ただでさえあの年頃は色々と微妙でもあるし……変な影響とかが出なければいいんだけど」
「『あの年頃』か」
精神年齢68歳くらいのユーゼスとしては、10代後半の頃などはもう遠い彼方である。
あまりにも遠すぎて、もはや何も思い出せないほどに。
一方、エレオノールはその言葉を曲解したらしく、ジト~ッとした目をユーゼスに向けていた。
「……何が言いたいのかしら?」
「特に他意はない」
本当に他意はないのだが、納得いかない様子のエレオノールはユーゼスに視線を注ぎ続ける。
すると、不意にその目が『チクチクと刺すようなもの』から『心配そうなもの』へと変わった。
「何だ? 外見的にそれほどおかしい点はないと思うが」
「……いえ、けっこうボロボロよ、あなた」
「む?」
言われてユーゼスが自分の身体や衣服を確認してみると、確かにボロボロだった。
無理もない。
食堂に入る前にはメイジ二人と交戦し、その後にはメンヌヴィルの炎にあぶられ続けていたのだから、特殊加工も魔法もかけられていない普通の白衣がボロボロにならない方がおかしいだろう。
もちろん、そんな普通の白衣の下にある普通の身体にもダメージはあるわけで。
「……そう言えば火傷も各部に出来ているな。当然と言えば当然だが」
「『そう言えば』って、他人事みたいに言うんじゃないわよ! ああもう、顔についたススくらいは拭いておきなさい!」
言うなり、指でユーゼスの右頬のススをぬぐうエレオノール。
「……やっぱりちゃんとした布で拭いた方がいいわね。これだと私の手も汚れるし。それじゃあ、取りあえず……」
そして医務室にでも連れて行くつもりなのだろう、そのままユーゼスの腕を掴むと、
「ところでエレオノール」
不意にユーゼスから声をかけられる。
「何よ? ……まさか『大した火傷でもないから放っておけ』とでも言うんじゃないでしょうね?」
「いや、倒れてもいいだろうか」
「え?」
その言葉の意味を問い質すよりも早く、ユーゼスの身体がエレオノールに向かってフラリと倒れこむ。
エレオノールはその倒れてくる男の腕を掴んでいるので避けるわけにもいかず、わたわたしながらもユーゼスの身体を抱きとめてしまった。
「……………」
「は? え? ちょ、ちょっと……えっ、ええぇ!!?」
たちまち顔を紅潮させて混乱する金髪眼鏡の美女。
だがしどろもどろになりながらも、何とか状況の説明だけは要求する。
「なっ……ななな、なっ、何するのよ、いきなり!? こっ、こういうことは恥ずかしいから、外にいるときじゃなくって部屋の中で……じゃないっ! とにかく、何事よ!!?」
唐突に抱きつかれてドキドキ状態、その上いっぱいいっぱいな様子のエレオノールだったが、抱きついているユーゼスは割と落ちついている様子で質問に答える。
「……先程のやり取りで完全に気が抜けたというか、緊張の糸が切れてな。一気に身体の力が抜けてしまった」
「は、はあ?」
実を言うと、ユーゼスは心身ともにもう限界に近かった。
いくらガンダールヴのルーンで強化されているとは言え、ユーゼスは宇宙刑事のようにコンバットスーツを身にまとっている訳でもなければ、ガンダムファイターのような戦闘用の身体でもない。
火の塔近くでのメイジ二人との戦いと、メンヌヴィルとの戦いとの連戦は『本職が研究者』であるユーゼスにはかなり厳しいものがあったのだ。
特にメンヌヴィルとの戦いは最初から最後までかなりギリギリの展開だったし、その間は精神が張り詰めたまま、体力は消耗しっぱなしだった。
そんな状態でいきなり気が緩んだりしたら、こうなるのも仕方がない。
とは言え。
「……一人であんな危険な相手に向かっていくような無茶をするからよ、まったく」
「その危険な相手に一人で食って掛かっていった、お前にだけは言われたくないセリフだな」
「あ、あの時は何て言うか、反射的にそうしちゃったんだから、仕方がないでしょう!」
「だろうな。私もそうだ」
『倒れこんでいるユーゼスとそれを抱きとめているエレオノール』という構図なので、傍から見ているとこの二人は抱き合っているようにしか見えなかったりする。
もっとも、二人の内の片方にそんな自覚は全くないのだが。
「ん……」
と、ここでエレオノールが軽くよろめいた。
どうやらほぼ脱力しきっているユーゼスの身体が重いようだ。
「……どうでもいいけど……いえ、よくないけど。仮にも男が、いつまでも女の私にしがみついてて情けないとか思わないの?」
「思わん」
「……………」
呆れるエレオノール。
こうまで相手が冷静と言うか、何にも感じていないようだと、ドキドキするのも間が抜けているような気がしてきたらしい。
そして『もうその辺に放り出ちゃおうかしら』などということを本格的に考え始めたあたりで、
「それに意外と悪い気分でもないしな」
「んなっ!!?」
いきなりそんな爆弾が投下された。
たちまちエレオノールの心拍数は跳ね上がり、ドキドキが再加速し始める……が、そのドキドキさせている張本人は涼しい顔。
「どうした、いきなり狼狽などして。何か問題でもあったか?」
「っ、問題だらけよっ!」
「?」
エレオノールは無自覚な彼に腹を立て、ユーゼスはそんな彼女に首を傾げる。
ちなみにアレコレ言い合いつつも、お互いに抱き合っている身体を振りほどこうとはしていない。
「まったく……! 大体ね、もう何度も言ってる気がするけど、あなたはもう少しデリカシーというものを…………って、あれ?」
「―――――」
ユーゼスほどではないにせよ『マトモな恋愛経験』が皆無に等しいエレオノールは、それに気付かないままユーゼスに不平不満をぶつけようとして、そのユーゼスに起きている異変に気付いた。
力の抜けきった身体。
閉じられた瞳。
ゆっくりと繰り返される呼吸。
つまり、ユーゼスは。
「―――――」
「ユーゼス、あなた……」
「―――――」
「…………もしかして、寝てる?」
「―――――」
エレオノールにもたれ掛かりながら、睡眠に突入しているのであった。
まあ、一晩中どこかに(ユーゼスがカトレアの屋敷にいたことをエレオノールは知らない)出かけていて、学院に戻って来たと思ったらいきなり前述のような緊張状態が続き、しかもその緊張の糸が切れれば睡魔に襲われて当然ではある。
「……………ぅぅう」
当然ではあるのだが、エレオノールはどうにも納得がいかない。
「ね、寝るって……。いきなり何の脈絡もなく、寝るって……。いえ、そりゃあ休ませてあげたい気持ちも少しはあるけど……それにしたって、いきなり寝ることはないでしょ……」
細い身体にズッシリとのしかかるユーゼスの重みにまたよろめきながら、ブツブツと文句を呟くエレオノール。
「……………」
「―――――」
改めてユーゼスの顔を覗き込んでみると、何ともまあ無防備な顔で眠りこけていた。
いつも難しい顔をしていたり、斜に構えた態度を取ったりするユーゼスのこういう一面を見るのは、ある意味で貴重なような気がする。
エレオノールはそんなユーゼスを見ていると、何だか胸の奥がチクチクするような、締め付けられるような、どうにも上手く言い表せない気持ちになってきた。
「ぁぅ……」
今更ながら、『自分とユーゼスは抱き合っている』という自覚が芽生えてくる。
少し耳をすませば自分と密着しているユーゼスの呼吸音と、それよりも大きな自分の心音が響いている。
そして頭の中をグルグルと巡るのは、
―――「あの男に『近付かれる』以上の事はされなかっただろうな?」―――
などというユーゼスのセリフである。
とは言え、本人に『そういう自覚』があるのかどうかは定かではなく、その真意は分からない。
「………………もう、馬鹿」
拗ねるような口調でポツリと呟く。
幸か不幸か、そんなエレオノールの呟きはユーゼスの意識に届くことはなく。
また、彼女の唇が彼の右頬に触れたことにも、気付かれることはなかった。
とは言え、本人に『そういう自覚』があるのかどうかは定かではなく、その真意は分からない。
「………………もう、馬鹿」
拗ねるような口調でポツリと呟く。
幸か不幸か、そんなエレオノールの呟きはユーゼスの意識に届くことはなく。
また、彼女の唇が彼の右頬に触れたことにも、気付かれることはなかった。