見たことも無い光景がルイズの脳裏に広がっていた。敵艦の姿が、双眼鏡で見るよりもずっと大きく詳細に見える。いや、自分の目で見ているわけではない。なのに、その映像が見えるのだ。それだけではなかった。光ではない、何か別のものが敵艦隊の方向を照らしているような感覚。
ふと左手の熱に気付いた瞬間、全てを理解した。いま自分が見ているのは長門の視点だ。戦闘艦橋の下に設置されている十メイル測距儀、各主砲塔の測距儀、対空・対水上探索レーダー、それらが捉えた情報を視ているのだ。
それだけではない。艦の状態が自分の手足の延長のように感じられる。ボイラーで燃える重油、蒸気圧で回転するタービン、砲塔の向き、砲身の迎角……
* * *
「当たるわね……」
ルイズは意図せず口にだしてつぶやいていた。なぜか、当たると分かった。
敵艦隊の右側に回りこんだ長門は主砲射撃を再開したものの、第ニから第四射まで外れていた。第三射からは敵艦を夾叉していたから、そのうち命中するはずではあるのだが。
長門の主砲が五度目の咆哮をあげた後、敵旗艦レキシントンに複数の閃光が発生した。何発かが命中したのだ。
「やった!」
艦橋に歓声が満ちる。命中弾は二発。一発はレキシントンの舷側中央付近の装甲を貫通し、艦内で炸裂。多数の乗員を殺傷した。もう一発は第一砲塔に命中していた。徹甲弾は前盾を軽々と貫通して内部で炸裂し、砲塔最上階にあった何もかもを破壊していた。
この命中弾に危機感を覚えたのか、レキシントンだけでなく二隻のマジェスティック級も長門に向けて主砲を旋回させた。
ルイズはほくそ笑む。そうよ、こっちを見なさい。この長門はあんたたちのフネ一隻でどうこうできるほどヤワじゃないんだから。まとめて海の……空の藻屑って言うのかしら? ともかく、叩き潰してやるわ。
* * *
やはり、あの艦か! 被害報告を聞きながら、ボーウッド艦長はそう思った。敵旗艦メルカトールは撃沈にこそ至らなかったが、奇襲効果もあって容易く退けた。しかし、あの長門はどうだ。トリステイン艦隊が混乱するなか、あの艦だけが素早く反撃してきたではないか。トリステイン貴族の中にも、戦争を知る者がいたとみえる。いいだろう。相手にとって不足なし、だ。
長門はこちらの艦隊の後方を回りこみ、右舷後方から追い上げるようにして同航戦を挑んできている。このまま放っておけばトリステイン艦隊と長門に挟み込まれる形になってしまうだろう。それは避けたい。ならば――
「マジェスティックに発信。コレヨリ艦隊ヲ分割ス。<マジェスティック>及ビ<マグニフィセント>ハ我ニ続ケ。他ノ艦ハ、トリステイン艦隊ヲ撃滅セヨ。以上。後続に伝達せよ」
「艦長、何を考えているのだ!? 戦力を分散させるなど――」
「提督、長門を仕留めねばなりません」
ジョンストン提督が驚いて何かを言おうとしたが、ボーウッドはそれを途中で遮った。
「あの艦の主砲は、本艦の装甲を易々と貫きました。恐るべき威力です。放っておくことはできません」
それだけ言うと、返事を待たずにボーウッドは次々と指示を下す。ふん。放っておくべきは、この名ばかりの司令長官殿だな。
「操舵、面舵一杯。砲術、目標は敵戦艦長門だ!」
これで長門の進路上に丁字を描くことになるから、あちらも面舵を取らざるを得ないはず。このまま三対一の砲戦に付き合ってもらうぞ……! ボーウッドは不敵な笑みを浮かべた。
* * *
長門は敵艦隊から分離した戦艦三隻に引きずられるような形で同航戦に挑んでいた。ルイズは額に汗を滲ませながら考える。敵の新鋭戦艦群を引きつけることには成功したが、このままではトリステイン艦隊から離れていってしまう。くそっ、こちらの好きにはさせてくれないか。ならば、なるべく早くあの三隻を片付けなければ……。
その時、主砲発射とは別種の振動が長門の艦橋を揺らした。レキシントンが放った主砲弾がどこかに命中したのだ。
「被害報告!」
「舷側、中央付近に命中した模様。艦内に被害なし」
ルイズは安堵の息を漏らした。レキシントンが放った砲弾は長門の舷側に激突したが、装甲板に弾かれて炸裂。艦内には何の被害ももたらさなかったのだ。貫通力の足りない砲弾は厚さ三〇サントに達する垂直装甲で弾き、貫通された場合は内部の厚さ十二サントを越える傾斜装甲で食い止める。十四インチや十六インチ砲弾を食らいながら最後の瞬間まで主砲を放ち続けること、それを実現するために徹底した重防護を施されているのが、この長門という戦艦なのだ。
「長門を沈めたかったら、四六サント砲戦艦でも持って来ることね」
脚を組み、敵艦隊を睨み付けるルイズは、いまこの戦場を支配する女王そのものであった。レキシントンは内部で火災が発生しているのだろう、舷側の被弾箇所から黒煙を吹き出していた。風穴の開いた第一砲塔は沈黙している。
「いやはや、四一サント砲の威力は凄いですね。戦列艦同士の撃ち合いでは、一発であそこまで破壊されることは滅多にない」
中佐が呆れ半分、驚き半分という感じでつぶやいた。艦隊戦が砲戦だけで終わった例はあまりない。砲戦はあくまで敵の砲を破壊し、接近を容易にするために行われるのだ。どちらかの砲の数が大きく減ったところで接近し、衝角戦法で大破させたり、竜騎士やメイジたちが敵艦に乗り込み白兵戦で決着をつける――これが従来の戦いだった。
だが、長門は砲戦のみで敵を屠ろうとしている。それを可能にするだけの能力を発揮していた。主砲が六度目の斉射を放つ。
「当たり前よ。このフネはね、異世界のとある国が、その命運を賭けて作った戦艦群の一隻なんだから。見てなさい、次も当たるわよ」
一体何を言い出すのかと振り返る中佐に、ルイズは左手で光を発しているルーンを掲げて見せた。先ほどまで不安と責務に苛まれていた少女の表情が一変している。目が据わり、口元には微笑が浮かんでいて、端的に表現するとヤバイ表情であった。
何か得体の知れない力に目覚めつつあるルイズには、長門の何もかもを感じることができた。機関が設計限界に迫る出力を発揮していて、過熱気味であること。測距儀が捉えている敵艦の姿。各砲塔の方位角と砲身の迎角から、砲弾の描く散布界まで。
「だんちゃーく(弾着)、今!」
* * *
レキシントンに破滅をもたらしたのは、長門の第六射のうちの一発であった。船体後半に命中したその砲弾は装甲板を食い破り、進路上にある何もかもを弾き飛ばし、何かの構造材にめり込んだところで遅動信管を作動させた。徹甲弾が炸裂したその場所は、主砲弾庫だった。
「何が起きた!? 被害状況知らせ!」
激震に襲われた艦橋で、ボーウッドは艦長席から投げ出されていた。制帽を拾いながら立ち上がると、艦が徐々に後ろに傾いていくのが分かった。金属が軋む音が響いてくる。
「艦内後部で大火災が発生しています! 連絡が取れない部署多数!」
「船体傾斜、復元できません! 高度低下止まらず!」
報告を聞いて、ボーウッドは何が起こったのかを理解した。後部主砲弾庫に一発食らったのだ。誘爆した弾薬がさらに被害を拡大し、艦の浮力を維持していた風石がいくらか失われたに違いない。少々の火災なら砂を撒いたり、メイジの魔法ですぐに消し止められる。だが主砲弾の誘爆となると、応急作業を行う人員自体に大きな被害が発生しているだろう。要するに、レキシントンは撃沈されつつあるのだ。
「なんということだ……」
ジョンストン提督が呆然とつぶやいていた。まさか、このレキシントンがやられるとは思いもしなかったのだろう。その点についてはボーウッドも同じであったが、しかし同じように呆けている訳にはいかない。傾斜がきつくなるなか、伝声管に取り付いた。
「総員、上甲板! 負傷者を短艇へ! メイジは飛行魔法を掛ける準備! 竜騎士は飛べないものをなるべく抱えて飛び立つのだ!」
指示を出し終えたボーウッドは艦橋にいる者たちにも退艦を命ずるが、逃げ出すことを渋る者がいた。ボーウッドはそういった者たちに、笑みを浮かべて言う。
「艦長が乗員より先に脱出するわけにはいかないだろう? さあ、私が心置きなく逃げ出す為にも、早く行くんだ!」
そう言うと、みな敬礼を捧げて艦橋から出て行った。ジョンストンは長官席に掴まったまま、動こうとしていない。
「サー、みな脱出しました。我々も――」
ジョンストンはゆっくり首を横に振った。その表情は驚くほど落ち着いている。
「行きたまえ、ボーウッド艦長」
ボーウッドは無言で敬礼を捧げると、艦橋を後にした。気に入らない人物ではあったが、彼なりに責任を取るつもりなのだろう。それが正しいのかどうかは分からないし、考える時間もない。少なくとも自分は死ぬつもりはない。今は脱出しなければ。傾いた艦内を、出口へ向けて走る。
* * *
レキシントンの船尾が切断され、地上に落下していった。切断面から吹き出す大量の黒煙は、艦内で大火災が発生していることを意味している。被弾で風石を失って浮力がたりなくなったのか、危険な速度で降下し始めていた。
「レキシントンはもうダメですね。あの燃え方では消火が間に合わないし、降下速度が速すぎてリカバリーもできない。首脳陣が生きていれば総員退艦を命ずるでしょう」
艦橋では信号手までが感極まって歓声を上げているというのに、中佐は相変わらず冷静だった。ルイズはそうね、と頷く。中佐の言ったとおり、レキシントンからは飛行魔法をかけた小型ボートや生き残っていた竜騎士などが、飛べない者たちを乗せて脱出し始めていた。
「よろしい。目標を変更しましょう。砲術、目標は敵艦隊二番艦よ」
指示をうけて十メイル測距儀が新たな目標を指向し、砲塔がそれに続いた。
* * *
長門が新たな目標への照準を行うあいだ、二隻のマジェスティック級戦艦からの砲撃が降り注ぎ始めた。バイタルパートの装甲を貫くものはないが、非装甲部位へのダメージを避けることはできない。対空機銃などの装備品が吹き飛び、副砲のいくつかが沈黙した。死傷者の報告も次々と上がってくる。だが、ルイズは意に介せずという風に指揮を執り続けた。後悔も懺悔も、戦いが終わったあとですればいいのだ。
射撃準備が完成しようというとき、ルイズは何を思ったのか艦内電話の受話器を取った。
「砲術長、その照準だと外れるわ。ちょい下げて――うん。それでいいわ」
「艦長、分かるんですか……?」
中佐が不思議なものを見つめるような視線でルイズの方を見ていた。
「ええ。何となくね。このルーンのおかげらしいわ」
「艦長は……始祖の末裔なのかもしれませんね」
中佐も始祖の伝説は子供の頃、学んだことがある。それほど熱心な信奉者ではなかったが、目の前の少女の力を目の当たりにすると、どうも信じざるを得ないような気がしてきた。ルイズの力は始祖の加護を受けているとしか思えないのだ。
轟音とともに主砲が斉射を放つ。ルイズはフンと鼻を鳴らした。
「なんでもいいわ。いまここで役に立つのならね」
第六射の砲弾のうち、一発が命中した。マジェスティック級の舷側に大穴が開く。双方の距離が縮まったせいで、命中率が上がっているのだ。
「ただいまの射撃見事。この調子でスクラップにしてやりなさい」
ルイズの言葉に応えるべく、再装填を終えた主砲の砲身が持ち上がる。
* * *
長門の砲撃は目標変更からの三斉射で四発もの命中弾を叩き出した。それを食らったマジェスティック級戦艦は船体内部を食い荒らされ、黒煙を吹きながらも砲撃を続けていた。大したしぶとさだったが、その後に発生した命中弾で艦橋を吹き飛ばされ、指揮要員が全滅してしまってはどうしようもない。徐々に高度を下げて戦列を離れていった。
この時点で長門は副砲によるニ隻撃破を含めて四隻を撃破していた。大戦果と言っていいだろう。しかし戦況は相変わらず不利に傾いたままだ。トリステイン艦隊の方も敵艦何隻かを戦闘不能に追い込んでいるが、アルビオン艦隊に対して数で負けているため、大きな損害を受けていた。先ほどまで先頭にいた戦列艦ソレイユの姿は無く、他の艦も大なり小なり損傷を負っているものがほとんどだ。
対するアルビオン艦隊は新鋭戦艦二隻を失ってはいるものの、それと引き換えに長門の火力が他の艦に向けられるのを防いでいる。このままではトリステイン艦隊が長門を残して全滅しかねない状況にあった。
「何とかしなきゃ、まずいわね……」
こうなったら、外しようがない距離まで近づいて撃ちまくるしかないか? 被弾を免れないが、頑丈さならこちらが上だ。
ルイズが近距離乱打戦の覚悟を決めようかとしていたとき、見張り員が叫んだ。
「左舷前方に艦影……味方です! 戦列艦メルカトールです!」
「どういうこと? 被弾して離脱したはずじゃないの!?」
報告を聞いてルイズだけでなく、他の者達も驚いたようだった。
「メルカトールより発信。ワレ、コレヨリ空海軍ノ誉ヲ見セン」
「誉を見せん、ってどういう意味かしら?」
ルイズの疑問に答えたのは中佐だった。
「……衝角戦法です。メルカトールは敵艦に体当たりするつもりなのです」
「そんな……!」
今度こそルイズは絶句した。体当たりなんて、正気とは思えなかった。そんなことをすれば、ただでは済まないのは明らかだ。しかも相手はメルカトールより大きく重い戦艦で、舷側には装甲板も張ってある。下手をすれば激突のショックで自壊してしまうかもしれない。
「止めないと――」
「いえ、彼らは退かないでしょう。しかし、さすがメルカトールです。退避したと見せかけて進路上に回り込むとは」
「何暢気なこと言ってるの、あれだけ大きさに差があるのよ? ぶつかっただけで壊れちゃうわよ!」
ルイズの言葉は悲鳴に近いものだった。目には涙が滲んでいる。それを見た中佐は、己の胸を苛む良心とかいうものを意図的に無視し、言葉を続けた。
「体当たりが危険であることなど百も承知です。ですが、空海軍とて何も考えずに衝角を艦艇に装備し続けているわけではないのですよ」
メルカトールは敵艦めがけて加速を続けている。敵マジェスティック級戦艦もその意図に気付いているはずだが、いまだに回避運動をとるそぶりはなかった。メルカトールが正艦首方向から突っ込んでくるため、左右どちらに転舵しても回避できそうにないのだ。移動を続けている艦隊の進路を読み、その前方に艦を移動させてみせたメルカトールの航法・操艦は見事という他なかった。
突進を続けるメルカトールがふわりと高度を上げ、次いで艦首を沈み込ませた。
「上手い! 前後のバランスをああも素早く崩すなんて、そうそう出来ることではない」
中佐は思わず拳を握っていた。
「何をするつもりなの……?」
「艦長もご存知だと思いますが、系統魔法には武器を強化するものがあります」
* * *
戦列艦メルカトールの艦橋では、フェヴィス艦長が自ずから操艦指揮を執っていた。艦橋にいた者たちのほとんどが死傷してしまったためだ。メルカトールは敵艦からの砲撃であちこちに損傷を負っていたが、幸いにして船体への深刻なダメージは無かった。大砲の装薬などは火薬庫に仕舞われていたため誘爆が起きず、火災が小規模に留まったのだ。
戦列を離脱したメルカトールは、水の魔法と秘薬を駆使して負傷者の応急処置をしつつ、低空へ降りた。無論、逃げるためではない。メルカトール乗員たちの戦意は失われてはいなかった。フェヴィスはラ・ロシェール近辺の山間部に強い風が吹くことを知っていたのだ。乱れやすい低空の風に突っ込むのは、地の利があるからこそできる荒業だった。
そして今、メルカトールは見事に敵艦隊の前方に回り込んでいた。血の染みた制帽を被りなおしたフェヴィスは敵艦を見つめ、ほくそ笑む。奴ら、慌ててるに違いない。僚艦が二隻撃破されたうえ、目の前に体当たりしようとするフネが現れたのだから。
「艦首衝角、ブレイド発動!」
命令が復唱され伝わっていき、艦首付近に待機していたメイジたちが衝角にブレイドの魔法を掛けた。自身へのダメージを抑えつつ敵船体に大穴を空け、場合によってはへし折ることすらある。これがトリステイン空海軍の奥の手、衝角戦法だ。
「よぉーし、ツリム維持しろ。降下率を上げすぎるなよ」
艦の前後バランスを崩すため、艦内では重量物が前方に寄せられていた。昔のフネはバランスを調整するために船内を人が駆け回ったものだが、戦列艦はその程度でバランスが変動するほど小さくはないのだ。
わざわざこんなことをするには理由があった。敵艦の舷側に装甲板が張られているためだ。ブレイドを掛けた衝角は装甲板を貫けるだろうが、船体のその他の部分に掛かる負担まで減らせるわけではない。下手をすれば、激突時に船首が潰れかねないのだ。それを避けるために考案したのが、この降下しつつの体当たりだった。敵艦より高い位置から、艦首を下げて降下していく。上手くいけば敵艦の上甲板に突き刺さるように体当たりできるはずだ。
時速六〇リーグ近い相対速度があるため、みるみるうちに敵艦の姿が大きくなる。こちらの意図を察してくれたのだろう、長門の砲撃が止んでいた。
「衝突警報鳴らせ。総員、衝撃に備えよ!」
乗員たちは各々手近な固定物につかまり、その瞬間に備えた。
* * *
まるでトリステイン空海軍の意地に後押しされるかのようなメルカトールの突撃だった。淡く光る衝角がマジェスティック級戦艦の前甲板に接触し、火花と魔法の残滓が舞い散る。金属が歪み引き裂ける音と共に、甲板がめくれ上がっていく。のしかかるように激突したメルカトールの前進は、艦首が主砲バーベットにめり込んだところでようやく止まった。
衝撃をやり過ごしたフェヴィス艦長は艦橋の横から身を乗り出し、叫んだ。
「副長、やってくれ!」
メルカトールの前甲板で兵達と待機していた副長が頷く。いよいよ白兵戦の開幕だ。
「よぉーし、メイジ隊突撃! 陸戦隊も準備しておけ!」
副長の指揮の下、メイジたちがメルカトールの上甲板から飛行魔法を使って次々と飛び移っていた。慌てて甲板に出てきたアルビオン兵に魔法を放ち、撃退している。続いてロープや縄梯子を伝って、銃や刀剣類で武装した平民の陸戦隊が降り始めた。
「砲手、撃てるか?」
そう呼びかけられた大砲――砲甲板から飛行魔法で上甲板に運び出されたもの――の操作員は緊張した面持ちで頷いた。
「射撃準備よろし! ま、砲尾から覗いて狙いつけただけですが。とりあえず、一発はぶっ放せます」
砲には緩衝機構(駐退復座機)が備わっているものの、砲自体は傾いた甲板上にロープや鎖で固縛されているに過ぎない。撃った瞬間、反動でどうなるか分かったものではないのだ。
「よろしい。皆、砲から離れろ」
副長はそう言って、筒先の向いている方――敵艦の艦橋を見つめる。艦橋内からこちらの様子をうかがっていた者と目が合ったので、にやりと笑みを浮かべてやった。こちらの意図に気付いたのか、敵艦橋内が慌しくなるが……ふん、もう遅い。
「テェーッ!!」
轟音と共に敵艦橋に幾つもの穴が開き、内部で様々なものが飛び散る。砲に装填されていたのは、対空射撃用のブドウ弾(散弾)であった。
* * *
メルカトール上甲板からの援護射撃で敵が怯んだとみるや、敵艦に降下していたメイジたちは梱包爆薬――大砲の装薬を袋に入れただけのもの――を魔法で飛ばし、火の魔法で点火。上部構造のハッチを吹き飛ばし、艦内へ突入していった。
その様子を長門艦橋から見守っていたルイズは、思わず呟く。
「なんていうか、不意打ち食らってぼろぼろになってると思ったのに、よくやるわね……」
「トリステイン空海軍は白兵戦を重視していますから。あの戦艦相手に衝角戦法を敢行するとは思いもしませんでしたが」
苦笑しながら答える中佐。しかし同時に、この白兵戦術は廃れていくのだろうな、とも思った。アルビオン艦隊の新鋭戦艦群のように、砲火力を重視した大型艦が空海戦の主力となっていくのは間違いない。ガリアやゲルマニアがこの艦隊戦で繰り広げられた光景を知れば、同じように戦艦を建造しようとするだろう。あるいは、トリステインが知らないだけで、既に建造中かもしれない。このルイズという少女とその使い魔長門は、時代の転換点の象徴のようだと中佐は感じた。
よし、と言ってルイズが艦橋内に向き直る。
「ここはメルカトールに任せましょう。長門はトリステイン艦隊の救援に向かうわ」
ルイズの指示を受けて、長門が大角度変針を始めた。
* * *
ルイズが長門をトリステイン艦隊の救援に向かわせたことで、ラ・ロシェール上空で行われた艦隊戦は終結しつつあった。双方、短時間のうちに膨大な損害が発生し、これ以上の戦闘を続ける意味を失ったのだ。特にアルビオン艦隊は、奇襲によってトリステイン艦隊を壊滅させるはずが長門に阻まれ、大損害こそ与えたものの当初の目的であった陸上戦力を降下させることに事実上失敗していた。
長門は最終的に戦艦二隻、戦列艦四隻撃破という戦果をあげていた。
アルビオン艦隊の残存艦が煙幕を張って撤退していく。それを追う者はなかった。トリステイン艦隊は満身創痍で追撃どころではなかったし、長門は機関を休ませつつメルカトールの負傷者を収容せねばならなかったからだ。
「なんとか終わったわね……」
艦長席にぐったりと座り込みながらルイズが言った。メルカトールが白兵戦を挑んだ艦(マジェスティック級戦艦<マグニフィセント>だと分かった)は抵抗を諦めて降伏していた。艦内では熾烈な白兵戦が繰り広げられたらしく、負傷したトリステイン兵が飛行魔法を掛けたボートで運び出され、長門で応急処置を受けている。
トリステイン艦隊の残存艦のうち、損傷の酷いものはラ・ロシェールに入港し、それ以外の艦は地上に墜落した敵味方の救助に向かったりしていた。メルカトールが突き刺さったままの敵戦艦マグニフィセントはひとまず地上に着底させ、おかしな気を起こさぬよう長門の主砲が狙いをつけている。長門はこの二隻を曳航して王都トリスタニアまで帰還せねばならない。捕虜は王都の部隊に引き渡すことになるだろう。
長門も小さな損傷があちこちにある。ドック入りする必要はない(そもそも入れるドックがない)にしても、既存のフネとは構造がまったく異なるから修理には時間がかかるだろう。そういえば、全開運転し続けた機関の具合も気になる。王都に戻っても休む暇は無さそうだ、とルイズは目を閉じた。
アドバイザーの中佐は、いち早く詳細な報告をする必要があると言って、竜騎士に同乗して王都に向かった。これから大事になるのだろうな、などと他人事のように考えていると、艦橋に上がってくる者がいた。艦長の女房役である副長だ。負傷者の収容が終わったので、これから曳航作業に入るとのことだった。
「了解。もうひと頑張りね。早く戻って、皆を休ませてあげたいわ」
「そうですね」
「それにしても、大変なことになったわね」
「この先どうなることやら、ですな。なんにしても、我々は忙しくなりそうですが」
そうね、とルイズも頷く。トリステインの戦力は、今日の艦隊戦で半減……いや、それ以上の損害を受けた。アルビオンの侵攻艦隊にも大打撃を与えたことは確かだが、あちらにはまだ本国に残している艦隊がある。もしアルビオンが再侵攻を掛けてくるなら、トリステインは相応の覚悟をせねばなるまい。背筋が寒くなる話だ。
しばし二人とも無言で外を眺めていた。戦闘の残滓は既になく、竜騎士らが連絡のために行き来する姿が目に付いた。おもむろにルイズが口を開く。
「ねえ、副長。私の部下は、何人死んだのかしら」
「十二名です。他の重傷者は、水の魔法で一命を取り留めました」
「そう……」
ルイズは制帽を目深に被り、俯いていた。十二名の戦死者を、自分の中でどう扱っていいのか、まったく分からなかった。一人きりだったら、泣いていたと思う。
これまでも何度か大変な事件に遭遇してきたが、そのいずれも自分の手の届く範囲で起きたことで、仲間達と協力してなんとか解決してきた。しかし、戦場では自分の手の届かないところで、いとも簡単に命が消えていく。自分の指示で、長門の砲撃で、何人の敵が死んだか想像もできない。
ルイズは最善を尽くしたつもりだ。だが、感情面ではそう簡単に割り切れるものではなかった。
* * *
「艦長、どうかご自分のなさったことを誇ってください。皆、それを望んでおります」
ルイズの様子を察したのだろう、副長が落ち着いた声で語りかけた。
「悩むな、というのは艦長のお歳では無理かと存じます。ですが、悩むことも生き残れたからこそ出来る贅沢です。奇襲の混乱の中で、艦長は誰よりも立派に責務を果たしたと、私は考えます」
副長は考える。本来は、艦長職とはこのような少女が勤められるものではないのだ。空海軍で艦隊勤務を続け、経験と能力を認められた者だけが艦長という栄誉と責務を背負うことを許される。だが、このルイズという少女を取り巻く数奇な運命が、十六歳の艦長というものを実現せしめている。その小さな双肩に、千数百名にのぼる乗員の命運が掛かっているのだ。これが始祖の導きだというなら、あまりにも過酷である。
「……部下に励まされるようじゃ、ダメよね」
「差し出がましい発言でした」
「いえ、ありがとう」
ルイズは顔をあげ、無理に笑ってみせた。王都トリスタニアに到着するのは、夕刻以降になりそうだった。