夏期休暇が終わり、魔法学院の生徒たちは各々実家から学び舎へと戻って来た。
だが学院には長い休みが終わった直後のざわめきや落ち着きのなさが見られず、その代わりに妙な緊張感が蔓延している。
その理由は言わずもがな、もはや秒読み段階となったアルビオンへの侵攻である。
耳ざとい貴族諸侯の中には『王軍の仕官不足はかなり深刻で、学生仕官を登用することを検討しているらしい』という噂を早くから聞きつけ、それを自分の息子や娘に伝えている者もいた。
無論、いくら学生とは言え、親から伝え聞いたその情報を学院で声高に叫ぶような真似はしない。
だが『貴族たる者、国家の命あらば戦争に行かねばならない』という気負いのようなものが彼らの中では発生してしまい、それが独特の緊張感を生んでいるのだ。
また、学生仕官登用の情報を聞いていない、あるいは親から聞かされていない学生も多くいたが、そんなグループの人間とて『近い内に本格的なアルビオンへの侵攻が始まる』というムードは察していた。
そして学院中に漂っている『変に張り詰めた空気』を感じ取り、やはり緊張感を募らせる……という結果になっている。
つまり、緊張感が緊張感を呼んでいたのである。
「……うぅむ」
ギーシュ・ド・グラモンもまた、そんな緊張感を感じている一人だ。
彼の場合は父が王軍の元帥なため、軍の事情によく精通している。
よって学生仕官の話もかなり早い段階から掴んでおり、グラモン元帥はそれを聞くや否や息子のギーシュをこれでもかと言うほど激励したのであった。
ちなみにグラモン元帥は老齢のため軍務をすでに退いており(元帥は終身職のため、軍務を退いても死ぬまで元帥である)、今回の戦争に自分が出陣出来ないことを非常に残念がっていた。
生粋の武人である元帥は、いつもの文句である『命を惜しむな、名を惜しめ』という言葉をギーシュとその三人の兄たちに重ねて送り、特に一番若いギーシュに対して『王宮から仕官を募る触れが出たら真っ先に志願しろ』と言ったのである。
「うーん……」
父が言うにはそのお触れは夏期休暇が終わってすぐ、早ければ今日中で遅くとも今週中までには出るとのこと。
根が素直な、悪く言えば単純なギーシュはこれを聞いてすぐにやる気になり、『王宮からのお触れはまだか』と息巻きながら魔法学院に戻ったのだが……。
「……い、息が詰まる」
こうも学院のそこかしこで戦争間近な雰囲気が漂っていては、その意気込みもやや消沈してしまう。
とは言えアルビオンとの戦争に際して気負っている自分もまた、この空気を形成するのに一役かっていたりはするが。
「はぁ……」
溜息などをついてみても、それでこの緊張感が緩和されるわけでもない。
……実はギーシュとしては、戦争は戦争、学院は学院、と分けて考えていたかった。
何故なら。
(戦争になったら多分、モンモランシーを始めとするたくさんの女の子に会えなくなってしまうじゃあないか)
おそらく仕官すれば、しばらくは学院に戻って来れまい。
いや、下手をすれば命を落とす可能性だって十分にありえるのだ。
だったら、今くらいは女の子たちとのひと時をたっぷりと満喫しておきたい。
具体的に言うと、女の子を口説いておきたい。
もう少し欲を言ってしまうと、命をかける前にアレコレと忘れられない思い出を作っておきたいなぁウヘヘ。
実際にモンモンランシーに聞かれたら殴られて蹴られて踏まれて水責めされても文句の言えないような内容の考えだったが、ギーシュ的には大真面目なのである。
「……………」
だと言うのに、この空気は何だろう。
学院全体は落ち着かないムード、女子生徒たちの間では軽く悲愴感すら漂い始め、男子生徒たちの間では『仕官した後にどの部隊に配属されたいか』などと話している始末。
臆病で知られているマリコルヌや、見るからに荒事には向いていなさそうなレイナールまでがそんな会話に参加していたのだから驚きだった。
……そんなわけで、とてもじゃないが誰かを口説いてる空気ではないのだ。
いや、ギーシュも最初は果敢に挑戦はしていた。
学院に戻るなり真っ先にモンモランシーの部屋に駆け込み(女子寮への忍び込み方はユーゼスの研究室に通っている間に慣れていた)、彼女の顔を見た直後、
「やあ、会いたかったよモンモランシー! あまりにも君に会いたかったから、もう僕はどうにかなってしまいそうさ! ああっ、僕の心と身体がこれ以上どうにかなってしまう前に、君のその心と身体で僕をどうにかしてはくれまいか!!」
と言ったら、
「ええ、確かにどうにかなってるみたいね」
という金髪巻き毛の少女の言葉と共に、水のカタマリをぶつけられて吹っ飛ばされてしまった。
……この口説き文句は、けっこう自信があったのだが。
まあ、それはそれとして。
「……ユーゼスの研究室にでも行こうかなぁ」
何もやることがない時はユーゼス・ゴッツォの研究室に入りびたる……というのが、アルビオンで一騒動あってからのギーシュのライフスタイルである。
あの静かな部屋は、意外と憩いの空間としての機能もある。
それに何より、女子寮の真っ只中という立地が素晴らしい。……下手に動くと騒がれるので、そんなに活発には行動出来ないのが残念ではあるが。
「アイツ、二ヶ月の間に少しは成長したかな……」
『どの方面の成長』なのかは、言わずもがな女性方面だ。
聞く所によると、ユーゼスは夏期休暇の間ずっとラ・ヴァリエールの家にいたとか。
となると、当然そこに住んでいるエレオノールと何がしかのアクションはあったに違いあるまい。
いや、その場面にルイズが絡んでくる可能性も大いにあるし、下手をすると彼女たちの両親も出て来て、てんやわんやの大騒ぎになってしまったかも。
「まあ、話してみれば分かるか」
一体どんな感じになってるんだろう、と期待を抱きつつ研究室のドアを開けるギーシュ。
そこには……。
「……………」
「あれ?」
銀髪の男が、グッタリとした様子で机の上に突っ伏していた。
まるで糸の切れた操り人形のようだ。
「お、おい、ユーゼス?」
慌てて駆け寄ってユーゼスと思しき男の肩を揺するギーシュ。
するとその男は墓場から今まさに蘇えらんとでもするかのような動作でゆっくりと身体を起こし、どろりと濁った眼差しでギーシュを見つめた。
「…………ミスタ・グラモンか。久し振りだな…………」
「……何があったんだ?」
ギーシュの予想通り、その男はやはりユーゼス・ゴッツォであった。
しかし、何だか心身ともにボロボロな様子である。
と言っても、別にどこか怪我をしているとか精神的に追い詰められたという感じではない。
適切な表現を探すのなら……。
「どうしたんだい? どうも、凄く……疲れているみたいだけど」
そう、疲弊しきっているのだ。
それも長期間の疲労が蓄積しているっぽい。
「まあ……夏期休暇の間に……色々と、あってな……」
グッタリしながらそう言うユーゼス。
本当に何があったんだろう、と首を傾げつつ、ギーシュは詳しい話を聞こうとする。
「もしかしてルイズの実家で一悶着あった、とか?」
「…………『一悶着』で済めば良かったのだがな」
そうしてユーゼスは、この二ヶ月間に起こったことをポツリポツリと語り始めた。
「まず……御主人様の母親に、『訓練』もしくは『稽古』という名の拷問を受けてな……」
「うん?」
初っぱなから、何かがおかしい。
……まあいいや、黙って続きを聞いてみよう。
「それだけならまだ良かったのだが、他に御主人様から乗馬の指導を受け……」
「はあ」
「更に何故かよく分からないが、エレオノールが私にダンスの踊り方や女性のエスコートの仕方、服の着こなし方まで仕込もうとして……」
「……ふ、ふぅん」
「心が休まる時と言えば部屋に一人でいる時や、カトレアと二人で茶を飲んでいる時くらいだったか」
「……………」
そこまで聞いて、ギーシュは取りあえず話の中の疑問点をぶつけてみることにした。
「どうして君がルイズの母君から稽古を?」
「……どうも、私の実力についてかなりの不満があったらしい」
まあ、おせじにもユーゼスは『強い』とは言えない。
と言うか、弱い。
そんな男が娘の使い魔だということに、親として納得が行かなかったのだろう。いや、あるいは……ギーシュにはよく分からないが、『娘を取られる親の心境』というヤツなのだろうか。
しかし、どうして公爵じゃなくて『公爵夫人』がユーゼスに稽古をつけるのだろう?
(公爵が忙しかったから、その代わりだった……とかかなぁ)
実際の事情とはかなり異なっているギーシュの予想だったが、ともあれそれで納得した彼は質問を重ねる。
「『カトレア』ってのは誰だい?」
「御主人様の姉で、エレオノールの妹……要するにヴァリエール家の人間だ。彼女たちは三人姉妹ということになるな」
それを聞いて、ギーシュがその顔を露骨にしかめた。
別にそのカトレア嬢とやらの容姿や性格がどうとか(『ルイズの姉でエレオノールの妹』という時点で大まかな想像はつくが)、ラ・ヴァリエール家の家族構成とかは重要ではない。
問題なのは。
「…………その、ルイズの姉君と、君が、『二人でお茶を飲む』という、関係に、至った、経緯が、よく分からない、んだが」
「?」
彼は『質問の内容の伝達に齟齬があってはいけない』という思いを込め、一句一句を噛み締めるようにしてゆっくりと発声しつつユーゼスに問いかけていく。
ルイズが乗馬の指導をして、エレオノールがダンスの踊り方とかを教えるのは分かる。
この男の乗馬の下手さ加減もまた折り紙付きだし、ダンスうんぬんに関してはいつかそんなことを話した覚えもある。
だが、茶を飲むって何だ。茶って。
しかもその口振りからすると、日常的に行っていたらしいし。
おまけにファーストネームの呼び捨てで呼んでいる。
これはエレオノールだけじゃなかったのか。
「よく分からない、と言われてもな。向こうの方から『お茶でも一緒にどうですか』と頻繁に声を掛けてきて、私がそれに応じた……というだけだぞ」
「………………それについて、ミス・ヴァリエールやルイズはどうしてたんだね?」
「そう言えば、茶を飲んでいる時に後から同席してくることが多かったな」
「~~~~~っ」
うめき声とも唸り声ともつかない奇妙な声を発し、頭を抱えるギーシュ。
何でコイツは理論とか考察とかについては周囲を驚愕させるほど凄いのに、女性関係とか恋愛方面とかになると周囲を驚愕させるほどダメなんだろう。
ついでに、稽古という名目ではあるが母親にまで手を出しやがって。
……いや、これはおそらく『純粋に稽古をつけられて』いるか、あるいは色々なストレスをぶつけられているかのどちらかだとは思うが。
って言うか、本当に母親まで『そういうこと』になっていたら、ギーシュはこの男を許せないかも知れない。
むしろ、理性を抑えきれる自信がない。
下手すると殺してしまうかも。
……………………まあ、取りあえず。
「もう君は……アレだ。『ヴァリエールキラー』とでも名乗ったらどうかね?」
「エースキラーのような呼び名だな」
「えーすきらー?」
「いや、こちらの話だ」
気を取り直して、ユーゼスはギーシュとの会話を再開させる。
「……いちいち二つ名を名乗るような面倒なことはしたくない。大体、私はヴァリエールの人間に対して何かをしたという訳ではないぞ。むしろ何かをされた方だ」
「……………」
ギーシュは呆れた。
コイツ、全然成長してない。
いや、むしろ酷くなってないか?
(逆の方向に成長したってことなんだろうか……)
もはや諦めにも似た境地に達しつつあるギーシュであったが、しかしこの男を何とかして(ある意味)真人間にするのも自分の使命であるような気がするので、ここはグッと我慢する。
と、そこでユーゼスがあらためて無表情な顔をギーシュに向け、逆に質問を繰り出してきた。
「……私の方はこんな所だが、お前の方はどうだったのだ、ミスタ・グラモン?」
「うん? いや、『どうだった』って言われても……」
ギーシュとしては、夏期休暇中に特筆すべきことが起こった訳でもない。
途中までモンモランシーと一緒に学院に残っていたが、実家から『帰って来い』と手紙で催促が来たので帰り、その実家で父や母や兄たちと過ごした……と、このくらいである。
まあ、強いて言うなら父に『戦とはうんぬんかんぬん』、『戦場における貴族のあり方とはああだこうだ』、『手柄を立てるにはどうしたこうした』とかの事項を、ことあるごとに言われたくらいか。
「……ほう。ということは、お前はやはりアルビオンに向かうのか」
「まあね。貴族たる者、イザという時にはこの身を投げ打ってでも祖国の為に尽くすものさ」
得意げにそんなことを言うギーシュ。
彼としては、この無愛想な男からも激励――とまでは行かずとも、ささやかな応援の言葉くらいは欲しかったのだが……。
「ふむ。……まあ、せいぜい死なないようにするのだな」
しかし投げかけられたのは、そんな素っ気ない一言だった。
「…………君なぁ。これから戦に向かおうって人間に向かって、そりゃないだろう?」
「どういう意味だ?」
「普通なら、ここで『手柄を立てて来い』とか、『頑張れよ』とか言うべきじゃないか」
ギーシュにそう言われたが、ユーゼスはあくまで興味がなさそうに応答する。
「それでお前の生還率や手柄を立てられる確率が上がる、と言うのならそうするが」
「……………」
何ともまあ、ミもフタもない言葉である。
そりゃ、言葉一つでそんな劇的に何かが変わるってわけじゃないだろうけど、それにしたってちょっとくらい励ましてくれても構わないのではなかろうか。
などとギーシュが不満に思っていると、ユーゼスは更に追い討ちをかけるように言葉を重ねた。
「率直な意見を言わせて貰えば、五体満足で生きて帰って来れれば良い方だろうな。学生にたかが二ヶ月程度の訓練を施したところで、マトモな働きは期待出来ん。これは私自身がこの二ヶ月で体験したことでもある」
「そうなのかい?」
「まったくの素人がゼロから訓練を始めたのだからな。少なくとも、劇的に強くなるのは無理だった。……もっとも、公爵夫人が言うには『余程の天才が連日昼夜を問わず訓練に明け暮れ、かつ指導者が優秀だった場合は話が違ってくる』らしいが」
「……君はそうじゃなかったのか」
「夫人には『肉体を使った戦闘の才能がほとんどない』と言い切られてしまってな。『下手に応用を教えたら逆効果になる』と言うことで、基本的な戦い方のみを二ヶ月間で仕込まれるだけ仕込まれてしまった。
……おそらくお前の場合も似たようなことになるのではないかと思うが」
「う……」
自分の力不足に関しては、それなりに実感しているギーシュである。
これは中々に痛いところを突かれてしまった。
「それでなくとも初陣なのだ。『戦場の空気』というものは独特だからな、まずはそれに順応するだけで手一杯だろう」
「……何だか実際に戦争を体験してきたみたいな言い方だな」
「昔に少しあってな」
やけに具体的に語るユーゼスに対してギーシュが疑問の声を上げるが、サラリと返されてしまった。
(コイツの『昔』って一体何なんだろう……)
興味はあるが、今はそれよりもユーゼスの語る戦争について、である。
「また、場合にもよるが『普通の兵士』が戦局に与える影響はあくまで微々たるものでしかない。トリステインとゲルマニアの連合軍の兵力は合計で六万ほどらしいが、お前に与えられた役割はその『六万分の一』が良い所だろう」
「…………何で君は、こう、やる気を削ぐようなことを言うかな」
「自分の意見を言っているまでだ」
その言葉通り、ユーゼスは感情を交えずにただ自分の予想を述べていく。
これがまた納得出来る部分がそれなりに多いので、ギーシュとしても『聞かなきゃ良かったかなぁ』と思いつつ、話自体を止めようとはしなかった。
「私はお前に対して『死ぬな』などという無責任なことを口にするつもりはないし、『死んでも手柄を立てて来い』と強制する権限も持ち合わせていない。
よって、『死なないように努力しろ』としか言えない訳だ」
ユーゼスはそこで一旦言葉を切ると、あらためてギーシュの顔を見て何かを考え込んだ。
「……とは言え、知人が死んだという知らせを聞かされるのは私としても辛いものがあるからな。参考になるかどうかはともかく、戦場に行くに当たっての軽いレクチャー程度ならばしても構わんが……どうする?」
「むぅ……」
そういうものならば、戦争が始まる前……いや、魔法学院に入学する前から父に飽きるほど聞かされている。
だが、この男のアイディアや意見は今までにあの『土くれ』のフーケのゴーレムを攻略し、不意打ちとは言えワルド子爵を打ち破り、オーク鬼の群れを片付け、キュルケとタバサを殺しかけて、『アンドバリ』の指輪で操られたアルビオン兵を封じてきた。
実績だけ見れば、ハッキリ言って驚異的である。
だから……。
「…………お願いしよう」
取りあえず聞けるものならば聞いておこう、とギーシュはそのレクチャーとやらを頼むのであった。
だが学院には長い休みが終わった直後のざわめきや落ち着きのなさが見られず、その代わりに妙な緊張感が蔓延している。
その理由は言わずもがな、もはや秒読み段階となったアルビオンへの侵攻である。
耳ざとい貴族諸侯の中には『王軍の仕官不足はかなり深刻で、学生仕官を登用することを検討しているらしい』という噂を早くから聞きつけ、それを自分の息子や娘に伝えている者もいた。
無論、いくら学生とは言え、親から伝え聞いたその情報を学院で声高に叫ぶような真似はしない。
だが『貴族たる者、国家の命あらば戦争に行かねばならない』という気負いのようなものが彼らの中では発生してしまい、それが独特の緊張感を生んでいるのだ。
また、学生仕官登用の情報を聞いていない、あるいは親から聞かされていない学生も多くいたが、そんなグループの人間とて『近い内に本格的なアルビオンへの侵攻が始まる』というムードは察していた。
そして学院中に漂っている『変に張り詰めた空気』を感じ取り、やはり緊張感を募らせる……という結果になっている。
つまり、緊張感が緊張感を呼んでいたのである。
「……うぅむ」
ギーシュ・ド・グラモンもまた、そんな緊張感を感じている一人だ。
彼の場合は父が王軍の元帥なため、軍の事情によく精通している。
よって学生仕官の話もかなり早い段階から掴んでおり、グラモン元帥はそれを聞くや否や息子のギーシュをこれでもかと言うほど激励したのであった。
ちなみにグラモン元帥は老齢のため軍務をすでに退いており(元帥は終身職のため、軍務を退いても死ぬまで元帥である)、今回の戦争に自分が出陣出来ないことを非常に残念がっていた。
生粋の武人である元帥は、いつもの文句である『命を惜しむな、名を惜しめ』という言葉をギーシュとその三人の兄たちに重ねて送り、特に一番若いギーシュに対して『王宮から仕官を募る触れが出たら真っ先に志願しろ』と言ったのである。
「うーん……」
父が言うにはそのお触れは夏期休暇が終わってすぐ、早ければ今日中で遅くとも今週中までには出るとのこと。
根が素直な、悪く言えば単純なギーシュはこれを聞いてすぐにやる気になり、『王宮からのお触れはまだか』と息巻きながら魔法学院に戻ったのだが……。
「……い、息が詰まる」
こうも学院のそこかしこで戦争間近な雰囲気が漂っていては、その意気込みもやや消沈してしまう。
とは言えアルビオンとの戦争に際して気負っている自分もまた、この空気を形成するのに一役かっていたりはするが。
「はぁ……」
溜息などをついてみても、それでこの緊張感が緩和されるわけでもない。
……実はギーシュとしては、戦争は戦争、学院は学院、と分けて考えていたかった。
何故なら。
(戦争になったら多分、モンモランシーを始めとするたくさんの女の子に会えなくなってしまうじゃあないか)
おそらく仕官すれば、しばらくは学院に戻って来れまい。
いや、下手をすれば命を落とす可能性だって十分にありえるのだ。
だったら、今くらいは女の子たちとのひと時をたっぷりと満喫しておきたい。
具体的に言うと、女の子を口説いておきたい。
もう少し欲を言ってしまうと、命をかける前にアレコレと忘れられない思い出を作っておきたいなぁウヘヘ。
実際にモンモンランシーに聞かれたら殴られて蹴られて踏まれて水責めされても文句の言えないような内容の考えだったが、ギーシュ的には大真面目なのである。
「……………」
だと言うのに、この空気は何だろう。
学院全体は落ち着かないムード、女子生徒たちの間では軽く悲愴感すら漂い始め、男子生徒たちの間では『仕官した後にどの部隊に配属されたいか』などと話している始末。
臆病で知られているマリコルヌや、見るからに荒事には向いていなさそうなレイナールまでがそんな会話に参加していたのだから驚きだった。
……そんなわけで、とてもじゃないが誰かを口説いてる空気ではないのだ。
いや、ギーシュも最初は果敢に挑戦はしていた。
学院に戻るなり真っ先にモンモランシーの部屋に駆け込み(女子寮への忍び込み方はユーゼスの研究室に通っている間に慣れていた)、彼女の顔を見た直後、
「やあ、会いたかったよモンモランシー! あまりにも君に会いたかったから、もう僕はどうにかなってしまいそうさ! ああっ、僕の心と身体がこれ以上どうにかなってしまう前に、君のその心と身体で僕をどうにかしてはくれまいか!!」
と言ったら、
「ええ、確かにどうにかなってるみたいね」
という金髪巻き毛の少女の言葉と共に、水のカタマリをぶつけられて吹っ飛ばされてしまった。
……この口説き文句は、けっこう自信があったのだが。
まあ、それはそれとして。
「……ユーゼスの研究室にでも行こうかなぁ」
何もやることがない時はユーゼス・ゴッツォの研究室に入りびたる……というのが、アルビオンで一騒動あってからのギーシュのライフスタイルである。
あの静かな部屋は、意外と憩いの空間としての機能もある。
それに何より、女子寮の真っ只中という立地が素晴らしい。……下手に動くと騒がれるので、そんなに活発には行動出来ないのが残念ではあるが。
「アイツ、二ヶ月の間に少しは成長したかな……」
『どの方面の成長』なのかは、言わずもがな女性方面だ。
聞く所によると、ユーゼスは夏期休暇の間ずっとラ・ヴァリエールの家にいたとか。
となると、当然そこに住んでいるエレオノールと何がしかのアクションはあったに違いあるまい。
いや、その場面にルイズが絡んでくる可能性も大いにあるし、下手をすると彼女たちの両親も出て来て、てんやわんやの大騒ぎになってしまったかも。
「まあ、話してみれば分かるか」
一体どんな感じになってるんだろう、と期待を抱きつつ研究室のドアを開けるギーシュ。
そこには……。
「……………」
「あれ?」
銀髪の男が、グッタリとした様子で机の上に突っ伏していた。
まるで糸の切れた操り人形のようだ。
「お、おい、ユーゼス?」
慌てて駆け寄ってユーゼスと思しき男の肩を揺するギーシュ。
するとその男は墓場から今まさに蘇えらんとでもするかのような動作でゆっくりと身体を起こし、どろりと濁った眼差しでギーシュを見つめた。
「…………ミスタ・グラモンか。久し振りだな…………」
「……何があったんだ?」
ギーシュの予想通り、その男はやはりユーゼス・ゴッツォであった。
しかし、何だか心身ともにボロボロな様子である。
と言っても、別にどこか怪我をしているとか精神的に追い詰められたという感じではない。
適切な表現を探すのなら……。
「どうしたんだい? どうも、凄く……疲れているみたいだけど」
そう、疲弊しきっているのだ。
それも長期間の疲労が蓄積しているっぽい。
「まあ……夏期休暇の間に……色々と、あってな……」
グッタリしながらそう言うユーゼス。
本当に何があったんだろう、と首を傾げつつ、ギーシュは詳しい話を聞こうとする。
「もしかしてルイズの実家で一悶着あった、とか?」
「…………『一悶着』で済めば良かったのだがな」
そうしてユーゼスは、この二ヶ月間に起こったことをポツリポツリと語り始めた。
「まず……御主人様の母親に、『訓練』もしくは『稽古』という名の拷問を受けてな……」
「うん?」
初っぱなから、何かがおかしい。
……まあいいや、黙って続きを聞いてみよう。
「それだけならまだ良かったのだが、他に御主人様から乗馬の指導を受け……」
「はあ」
「更に何故かよく分からないが、エレオノールが私にダンスの踊り方や女性のエスコートの仕方、服の着こなし方まで仕込もうとして……」
「……ふ、ふぅん」
「心が休まる時と言えば部屋に一人でいる時や、カトレアと二人で茶を飲んでいる時くらいだったか」
「……………」
そこまで聞いて、ギーシュは取りあえず話の中の疑問点をぶつけてみることにした。
「どうして君がルイズの母君から稽古を?」
「……どうも、私の実力についてかなりの不満があったらしい」
まあ、おせじにもユーゼスは『強い』とは言えない。
と言うか、弱い。
そんな男が娘の使い魔だということに、親として納得が行かなかったのだろう。いや、あるいは……ギーシュにはよく分からないが、『娘を取られる親の心境』というヤツなのだろうか。
しかし、どうして公爵じゃなくて『公爵夫人』がユーゼスに稽古をつけるのだろう?
(公爵が忙しかったから、その代わりだった……とかかなぁ)
実際の事情とはかなり異なっているギーシュの予想だったが、ともあれそれで納得した彼は質問を重ねる。
「『カトレア』ってのは誰だい?」
「御主人様の姉で、エレオノールの妹……要するにヴァリエール家の人間だ。彼女たちは三人姉妹ということになるな」
それを聞いて、ギーシュがその顔を露骨にしかめた。
別にそのカトレア嬢とやらの容姿や性格がどうとか(『ルイズの姉でエレオノールの妹』という時点で大まかな想像はつくが)、ラ・ヴァリエール家の家族構成とかは重要ではない。
問題なのは。
「…………その、ルイズの姉君と、君が、『二人でお茶を飲む』という、関係に、至った、経緯が、よく分からない、んだが」
「?」
彼は『質問の内容の伝達に齟齬があってはいけない』という思いを込め、一句一句を噛み締めるようにしてゆっくりと発声しつつユーゼスに問いかけていく。
ルイズが乗馬の指導をして、エレオノールがダンスの踊り方とかを教えるのは分かる。
この男の乗馬の下手さ加減もまた折り紙付きだし、ダンスうんぬんに関してはいつかそんなことを話した覚えもある。
だが、茶を飲むって何だ。茶って。
しかもその口振りからすると、日常的に行っていたらしいし。
おまけにファーストネームの呼び捨てで呼んでいる。
これはエレオノールだけじゃなかったのか。
「よく分からない、と言われてもな。向こうの方から『お茶でも一緒にどうですか』と頻繁に声を掛けてきて、私がそれに応じた……というだけだぞ」
「………………それについて、ミス・ヴァリエールやルイズはどうしてたんだね?」
「そう言えば、茶を飲んでいる時に後から同席してくることが多かったな」
「~~~~~っ」
うめき声とも唸り声ともつかない奇妙な声を発し、頭を抱えるギーシュ。
何でコイツは理論とか考察とかについては周囲を驚愕させるほど凄いのに、女性関係とか恋愛方面とかになると周囲を驚愕させるほどダメなんだろう。
ついでに、稽古という名目ではあるが母親にまで手を出しやがって。
……いや、これはおそらく『純粋に稽古をつけられて』いるか、あるいは色々なストレスをぶつけられているかのどちらかだとは思うが。
って言うか、本当に母親まで『そういうこと』になっていたら、ギーシュはこの男を許せないかも知れない。
むしろ、理性を抑えきれる自信がない。
下手すると殺してしまうかも。
……………………まあ、取りあえず。
「もう君は……アレだ。『ヴァリエールキラー』とでも名乗ったらどうかね?」
「エースキラーのような呼び名だな」
「えーすきらー?」
「いや、こちらの話だ」
気を取り直して、ユーゼスはギーシュとの会話を再開させる。
「……いちいち二つ名を名乗るような面倒なことはしたくない。大体、私はヴァリエールの人間に対して何かをしたという訳ではないぞ。むしろ何かをされた方だ」
「……………」
ギーシュは呆れた。
コイツ、全然成長してない。
いや、むしろ酷くなってないか?
(逆の方向に成長したってことなんだろうか……)
もはや諦めにも似た境地に達しつつあるギーシュであったが、しかしこの男を何とかして(ある意味)真人間にするのも自分の使命であるような気がするので、ここはグッと我慢する。
と、そこでユーゼスがあらためて無表情な顔をギーシュに向け、逆に質問を繰り出してきた。
「……私の方はこんな所だが、お前の方はどうだったのだ、ミスタ・グラモン?」
「うん? いや、『どうだった』って言われても……」
ギーシュとしては、夏期休暇中に特筆すべきことが起こった訳でもない。
途中までモンモランシーと一緒に学院に残っていたが、実家から『帰って来い』と手紙で催促が来たので帰り、その実家で父や母や兄たちと過ごした……と、このくらいである。
まあ、強いて言うなら父に『戦とはうんぬんかんぬん』、『戦場における貴族のあり方とはああだこうだ』、『手柄を立てるにはどうしたこうした』とかの事項を、ことあるごとに言われたくらいか。
「……ほう。ということは、お前はやはりアルビオンに向かうのか」
「まあね。貴族たる者、イザという時にはこの身を投げ打ってでも祖国の為に尽くすものさ」
得意げにそんなことを言うギーシュ。
彼としては、この無愛想な男からも激励――とまでは行かずとも、ささやかな応援の言葉くらいは欲しかったのだが……。
「ふむ。……まあ、せいぜい死なないようにするのだな」
しかし投げかけられたのは、そんな素っ気ない一言だった。
「…………君なぁ。これから戦に向かおうって人間に向かって、そりゃないだろう?」
「どういう意味だ?」
「普通なら、ここで『手柄を立てて来い』とか、『頑張れよ』とか言うべきじゃないか」
ギーシュにそう言われたが、ユーゼスはあくまで興味がなさそうに応答する。
「それでお前の生還率や手柄を立てられる確率が上がる、と言うのならそうするが」
「……………」
何ともまあ、ミもフタもない言葉である。
そりゃ、言葉一つでそんな劇的に何かが変わるってわけじゃないだろうけど、それにしたってちょっとくらい励ましてくれても構わないのではなかろうか。
などとギーシュが不満に思っていると、ユーゼスは更に追い討ちをかけるように言葉を重ねた。
「率直な意見を言わせて貰えば、五体満足で生きて帰って来れれば良い方だろうな。学生にたかが二ヶ月程度の訓練を施したところで、マトモな働きは期待出来ん。これは私自身がこの二ヶ月で体験したことでもある」
「そうなのかい?」
「まったくの素人がゼロから訓練を始めたのだからな。少なくとも、劇的に強くなるのは無理だった。……もっとも、公爵夫人が言うには『余程の天才が連日昼夜を問わず訓練に明け暮れ、かつ指導者が優秀だった場合は話が違ってくる』らしいが」
「……君はそうじゃなかったのか」
「夫人には『肉体を使った戦闘の才能がほとんどない』と言い切られてしまってな。『下手に応用を教えたら逆効果になる』と言うことで、基本的な戦い方のみを二ヶ月間で仕込まれるだけ仕込まれてしまった。
……おそらくお前の場合も似たようなことになるのではないかと思うが」
「う……」
自分の力不足に関しては、それなりに実感しているギーシュである。
これは中々に痛いところを突かれてしまった。
「それでなくとも初陣なのだ。『戦場の空気』というものは独特だからな、まずはそれに順応するだけで手一杯だろう」
「……何だか実際に戦争を体験してきたみたいな言い方だな」
「昔に少しあってな」
やけに具体的に語るユーゼスに対してギーシュが疑問の声を上げるが、サラリと返されてしまった。
(コイツの『昔』って一体何なんだろう……)
興味はあるが、今はそれよりもユーゼスの語る戦争について、である。
「また、場合にもよるが『普通の兵士』が戦局に与える影響はあくまで微々たるものでしかない。トリステインとゲルマニアの連合軍の兵力は合計で六万ほどらしいが、お前に与えられた役割はその『六万分の一』が良い所だろう」
「…………何で君は、こう、やる気を削ぐようなことを言うかな」
「自分の意見を言っているまでだ」
その言葉通り、ユーゼスは感情を交えずにただ自分の予想を述べていく。
これがまた納得出来る部分がそれなりに多いので、ギーシュとしても『聞かなきゃ良かったかなぁ』と思いつつ、話自体を止めようとはしなかった。
「私はお前に対して『死ぬな』などという無責任なことを口にするつもりはないし、『死んでも手柄を立てて来い』と強制する権限も持ち合わせていない。
よって、『死なないように努力しろ』としか言えない訳だ」
ユーゼスはそこで一旦言葉を切ると、あらためてギーシュの顔を見て何かを考え込んだ。
「……とは言え、知人が死んだという知らせを聞かされるのは私としても辛いものがあるからな。参考になるかどうかはともかく、戦場に行くに当たっての軽いレクチャー程度ならばしても構わんが……どうする?」
「むぅ……」
そういうものならば、戦争が始まる前……いや、魔法学院に入学する前から父に飽きるほど聞かされている。
だが、この男のアイディアや意見は今までにあの『土くれ』のフーケのゴーレムを攻略し、不意打ちとは言えワルド子爵を打ち破り、オーク鬼の群れを片付け、キュルケとタバサを殺しかけて、『アンドバリ』の指輪で操られたアルビオン兵を封じてきた。
実績だけ見れば、ハッキリ言って驚異的である。
だから……。
「…………お願いしよう」
取りあえず聞けるものならば聞いておこう、とギーシュはそのレクチャーとやらを頼むのであった。
三日後、魔法学院の学院長室。
学院長たるオールド・オスマンは、ヒゲをいじりながらボヤき声を上げていた。
「……トリステインも何だか、せっぱ詰まってきたのう」
「グチを言ったところでどうにかなるものでもないでしょうに」
「いいんじゃよ、言うだけタダなんじゃし」
ボヤきを秘書のミス・ロングビルにたしなめられつつ、しかし態度を改めようとしないオスマン。
つい二日前、アルビオンへの侵攻作戦が魔法学院に正式に発布され、それと同時に王軍は学生仕官の志願を募った。
当然と言えば当然だが、それを受けて学院の男子生徒たちや男性教師たちは我先にと志願。昨日から即席の士官教育を二ヶ月ほど受けることになっている。
おかげで魔法学院の人口は半分ほどにまで減少し、いつもなら賑わっているはずのこのトリステイン魔法学院もすっかりガランとしていたのだが……。
そんな閑散としていた魔法学院に昨晩、王政府から『残った女子生徒たちにも軍事教練を施す』という連絡が舞い込んできた。
そして先ほど、その教練のために銃士隊の隊長であるアニエス・シュヴァリエ・ド・ミランが現れ、『これから軍事教練を行います』とかなり一方的に告げてきた。
「……ミス・ロングビル」
「何でしょうか」
「忌憚なき意見を聞かせてもらいたいんじゃが……この軍事教練について、君はどう思うかね?」
オスマンはカリカリと書類に向かってペンを走らせるミス・ロングビルに、いつになく真剣な目で問いかける。
「どう、と言いますと?」
「そのまんまの意味じゃよ。第一印象ってヤツじゃな」
「―――率直な所を言ってもよろしいのでしょうか?」
「構わん、構わん。誰かに聞かれても困ることはありゃあせん」
「……………」
ミス・ロングビルはペンを止めて少し考え込むが、やがて本当に『率直な第一印象』を口にした。
「『気休めにもならない』、ですかね」
「……キッパリ言うのう」
「『言え』、と言ったのは学院長ですわ」
だが、オスマンもミス・ロングビルのそのセリフを否定はしない。
トリステイン……いやアンリエッタの王政府は、割と早くから国中の貴族をこの戦に投入する構えを見せていた。女子生徒まで予備士官として確保しておき、アルビオンで実際に戦っている戦力が消耗した場合には彼女たちを向かわせるつもりらしい。
オスマンは、そんな王政府の姿勢に疑問を感じる一人であった。
百歩譲って男子学生ならともかく、女子生徒まで戦に巻き込もうとすることを良しとしなかったのである。
無論、男子生徒の徴用も含めて反対意見は出したのだが『勉学は戦争が終わってからだ』と王政府に言い切られてしまってはどうにもならない。
よって、ささやかな嫌がらせ……もとい、抵抗の意志を示すため、男子生徒たちの士官教育が終わる二ヵ月後に予定されている王軍見送りの式に出席せず、また女子生徒たちにも出席を禁じさせる旨を伝えたら……。
「それが余計に向こうを刺激しちゃった、ってことじゃな」
はあ、と溜息をつくオスマン。
ミス・ロングビルはそんな老人に頓着せず、ただ黙々と書類を片付けている。
「……なあ、ミス・ロングビルや」
「何でしょうか」
「こんな風に可哀想な老人がこれ見よがしに溜息をつき、若者たちの未来を憂いていると言うのに、慰めの言葉の一つもない……というのは少し酷くはないかね?」
「……………」
物凄く嫌そうな顔で、本人曰く『可哀想な老人』を見るミス・ロングビル。
その『可哀想な老人』は、何かを期待するような瞳で自分を見つめている。
「はぁ……」
仕方がないのでミス・ロングビルは再び仕事の手を止めて、その慰めの言葉とやらを言ってやることにした。
「げんきだしてくださいよ、そのうちきっといいことありますって」
「何、その適当なセリフ!? しかも棒読み!!」
「……下らないこと言ってる暇があったら、夏期休暇中に溜まっていた仕事を片付けてください」
ピシャリと言い放ち、仕事に戻るミス・ロングビル。
夏期休暇の間、彼女は実家(厳密に言うと『実家』ではないが)に帰省していた。
そして当たり前だが、夏期休暇中であろうがなかろうが、秘書がいようがいなかろうが書類やら何やらの処理は発生する。
……だと言うのに、オールド・オスマンはその色々な仕事をほとんど手付かずのまま放置していたのである。
「って言うか、何で仕事してないんですか!? 時間はたっぷりあったでしょう、それこそ二ヶ月も!」
「だ、だって……生徒たちは休みで実家に帰ったりして夏を満喫しとるのに、魔法学院で一番偉い私が仕事に忙殺されるなんて、理不尽だとは思わんかね?」
「つまりずっと遊んでたんですか、あなた!?」
「『遊んでた』とは失敬な! この夏という一瞬の輝きを逃さないために、日々酒場やカジノに繰り出したりして最大限の努力を行っていただけじゃあ!!」
「それを遊んでたって言うんだよ、このボケジジイ!!」
思わず口調を巣に戻してオスマンをなじるミス・ロングビル。
その秘書の剣幕に押されてか、学院長はシュンと小さくなってうなだれてしまった。
「くすん……。最近キツいのう、ミス・ロングビル」
「キツくなるようなことを言ってるのはそっちでしょう。それと変な泣き真似なんかしないでください、気色悪いですから」
「ひどっ」
しかし、かく言うミス・ロングビルもまた夏期休暇で帰省していた際には、妹代わりの少女や居候の男などと割と楽しく過ごしていのだが……。
(それにしてもシュウの奴、『アインストの研究はほぼ終わりましたが、アレよりも厄介で興味深い研究対象を見つけました』とか言ってたけど、一体何なんだろうねぇ……)
シュウが『厄介』と言うくらいなのだから、きっと物凄いモノなのだろうが……まあ、あの男の得体が知れなくて何を考えているのか分からないのは、いつものことだ。
(それに『厄介』だって言うんなら、私にとってはティファニアの誤解を解く方が厄介だったし……)
いやもう、アレには本当に苦労した。
自分が何を言っても『いいの、わたしに気を使わなくっても……』とか『そうよね、シュウさんもわたしなんかよりマチルダ姉さんの方が……』とか言うばかりで、誤解を解くと言うよりはもはや説得に近かったほどだ。
何せ、どうにかティファニアを納得させるまでに一週間もかかったのである。
「ふぅ……」
まあ、過去のことはともかくとして。
「明日にはアカデミーから臨時教師の方も来られるんですから、その時はキチンとしてもらいますよ」
「えー」
「『えー』じゃありませんっ!」
何でこんなのが魔法学院の学院長になれたのかねぇ……などと思いつつ、ミス・ロングビルはその学院長のサインを残すのみとなった書類を次々とオスマンへ回していく。
学院長たるオールド・オスマンは、ヒゲをいじりながらボヤき声を上げていた。
「……トリステインも何だか、せっぱ詰まってきたのう」
「グチを言ったところでどうにかなるものでもないでしょうに」
「いいんじゃよ、言うだけタダなんじゃし」
ボヤきを秘書のミス・ロングビルにたしなめられつつ、しかし態度を改めようとしないオスマン。
つい二日前、アルビオンへの侵攻作戦が魔法学院に正式に発布され、それと同時に王軍は学生仕官の志願を募った。
当然と言えば当然だが、それを受けて学院の男子生徒たちや男性教師たちは我先にと志願。昨日から即席の士官教育を二ヶ月ほど受けることになっている。
おかげで魔法学院の人口は半分ほどにまで減少し、いつもなら賑わっているはずのこのトリステイン魔法学院もすっかりガランとしていたのだが……。
そんな閑散としていた魔法学院に昨晩、王政府から『残った女子生徒たちにも軍事教練を施す』という連絡が舞い込んできた。
そして先ほど、その教練のために銃士隊の隊長であるアニエス・シュヴァリエ・ド・ミランが現れ、『これから軍事教練を行います』とかなり一方的に告げてきた。
「……ミス・ロングビル」
「何でしょうか」
「忌憚なき意見を聞かせてもらいたいんじゃが……この軍事教練について、君はどう思うかね?」
オスマンはカリカリと書類に向かってペンを走らせるミス・ロングビルに、いつになく真剣な目で問いかける。
「どう、と言いますと?」
「そのまんまの意味じゃよ。第一印象ってヤツじゃな」
「―――率直な所を言ってもよろしいのでしょうか?」
「構わん、構わん。誰かに聞かれても困ることはありゃあせん」
「……………」
ミス・ロングビルはペンを止めて少し考え込むが、やがて本当に『率直な第一印象』を口にした。
「『気休めにもならない』、ですかね」
「……キッパリ言うのう」
「『言え』、と言ったのは学院長ですわ」
だが、オスマンもミス・ロングビルのそのセリフを否定はしない。
トリステイン……いやアンリエッタの王政府は、割と早くから国中の貴族をこの戦に投入する構えを見せていた。女子生徒まで予備士官として確保しておき、アルビオンで実際に戦っている戦力が消耗した場合には彼女たちを向かわせるつもりらしい。
オスマンは、そんな王政府の姿勢に疑問を感じる一人であった。
百歩譲って男子学生ならともかく、女子生徒まで戦に巻き込もうとすることを良しとしなかったのである。
無論、男子生徒の徴用も含めて反対意見は出したのだが『勉学は戦争が終わってからだ』と王政府に言い切られてしまってはどうにもならない。
よって、ささやかな嫌がらせ……もとい、抵抗の意志を示すため、男子生徒たちの士官教育が終わる二ヵ月後に予定されている王軍見送りの式に出席せず、また女子生徒たちにも出席を禁じさせる旨を伝えたら……。
「それが余計に向こうを刺激しちゃった、ってことじゃな」
はあ、と溜息をつくオスマン。
ミス・ロングビルはそんな老人に頓着せず、ただ黙々と書類を片付けている。
「……なあ、ミス・ロングビルや」
「何でしょうか」
「こんな風に可哀想な老人がこれ見よがしに溜息をつき、若者たちの未来を憂いていると言うのに、慰めの言葉の一つもない……というのは少し酷くはないかね?」
「……………」
物凄く嫌そうな顔で、本人曰く『可哀想な老人』を見るミス・ロングビル。
その『可哀想な老人』は、何かを期待するような瞳で自分を見つめている。
「はぁ……」
仕方がないのでミス・ロングビルは再び仕事の手を止めて、その慰めの言葉とやらを言ってやることにした。
「げんきだしてくださいよ、そのうちきっといいことありますって」
「何、その適当なセリフ!? しかも棒読み!!」
「……下らないこと言ってる暇があったら、夏期休暇中に溜まっていた仕事を片付けてください」
ピシャリと言い放ち、仕事に戻るミス・ロングビル。
夏期休暇の間、彼女は実家(厳密に言うと『実家』ではないが)に帰省していた。
そして当たり前だが、夏期休暇中であろうがなかろうが、秘書がいようがいなかろうが書類やら何やらの処理は発生する。
……だと言うのに、オールド・オスマンはその色々な仕事をほとんど手付かずのまま放置していたのである。
「って言うか、何で仕事してないんですか!? 時間はたっぷりあったでしょう、それこそ二ヶ月も!」
「だ、だって……生徒たちは休みで実家に帰ったりして夏を満喫しとるのに、魔法学院で一番偉い私が仕事に忙殺されるなんて、理不尽だとは思わんかね?」
「つまりずっと遊んでたんですか、あなた!?」
「『遊んでた』とは失敬な! この夏という一瞬の輝きを逃さないために、日々酒場やカジノに繰り出したりして最大限の努力を行っていただけじゃあ!!」
「それを遊んでたって言うんだよ、このボケジジイ!!」
思わず口調を巣に戻してオスマンをなじるミス・ロングビル。
その秘書の剣幕に押されてか、学院長はシュンと小さくなってうなだれてしまった。
「くすん……。最近キツいのう、ミス・ロングビル」
「キツくなるようなことを言ってるのはそっちでしょう。それと変な泣き真似なんかしないでください、気色悪いですから」
「ひどっ」
しかし、かく言うミス・ロングビルもまた夏期休暇で帰省していた際には、妹代わりの少女や居候の男などと割と楽しく過ごしていのだが……。
(それにしてもシュウの奴、『アインストの研究はほぼ終わりましたが、アレよりも厄介で興味深い研究対象を見つけました』とか言ってたけど、一体何なんだろうねぇ……)
シュウが『厄介』と言うくらいなのだから、きっと物凄いモノなのだろうが……まあ、あの男の得体が知れなくて何を考えているのか分からないのは、いつものことだ。
(それに『厄介』だって言うんなら、私にとってはティファニアの誤解を解く方が厄介だったし……)
いやもう、アレには本当に苦労した。
自分が何を言っても『いいの、わたしに気を使わなくっても……』とか『そうよね、シュウさんもわたしなんかよりマチルダ姉さんの方が……』とか言うばかりで、誤解を解くと言うよりはもはや説得に近かったほどだ。
何せ、どうにかティファニアを納得させるまでに一週間もかかったのである。
「ふぅ……」
まあ、過去のことはともかくとして。
「明日にはアカデミーから臨時教師の方も来られるんですから、その時はキチンとしてもらいますよ」
「えー」
「『えー』じゃありませんっ!」
何でこんなのが魔法学院の学院長になれたのかねぇ……などと思いつつ、ミス・ロングビルはその学院長のサインを残すのみとなった書類を次々とオスマンへ回していく。
アウストリの広場。
いつもならば男子女子ひっくるめた学院生徒たちの声で賑わっているこの広場も、男子生徒たちの全員が軍へと志願してからはガランとしてしまっている……はずであったのだが。
「えいっ、やあっ!」
「とぉ~!」
「たぁぁ~~っ」
「きゃあっ!」
授業中のこの時間、アウストリの広場は女子生徒たちのきゃあきゃあ騒ぐ声で賑わっていた。
彼女たちは例外なく『布で包んだワタを先端にくくりつけた木の棒』を手に持っており、その棒を女子生徒同士でカコカコと突き合わせている。
「痛っ! もう、そんなに強くしないでよ!」
「ご、ごめん~」
……どうやら槍の訓練をしているらしいのだが、どうにも緊張感がないというか真剣味が足りなかった。
まあ、無理もない。
現在トリステイン各地の練兵場にいる男子生徒たちならともかく、この彼女たちは基本的には『貴族のご令嬢』であって、このような荒事には無縁の生活を送ってきた者がほとんどなのである。
では何故、そんな女子生徒たちがこのような訓練をしているのかと言うと。
「―――お前たち、もっと真剣にやれ! いっそのこと、目の前の相手を殺すつもりでやっても構わんぞ!!」
突然この魔法学院にやって来た『女王陛下の銃士隊』である所の女性たち……特にその隊長のアニエスという女が先頭に立ち、女子生徒たちに軍事教練を施しているからである。
名目としては『杖が使えない場合でも最低限、自分の身を守るための訓練』なのだそうだ。
(その発想は間違っていないと思うが……)
そんな女子生徒たちをボンヤリと眺めながら、ユーゼスは一人やることもないのでこの軍事教練について考えていた。
(……しかし、これでは『軍事教練』と言うよりも『護身術の稽古』だな)
まあ本格的に軍事教練などをやろうとしたら、それこそ男子生徒たちと同じように専用の施設と人材とそれなりの期間を用意しなければなるまい。
だが、今のトリステインにそんな余裕がある訳もなく。
かと言ってイザと言う時のための『頭数』(ユーゼスはあえて『戦力』という言葉は使わなかった)は確保しておきたいので、取りあえずの『軍事教練』を行っている……と、こんな所だろう。
(……ふむ)
一応の可能性として、『この少女たちが実際に戦場に行った場合』を想定してみる。
戦力がかなり消耗してから投入されるだろうことはユーゼスにも予想が出来るが、そんな『かなり消耗した戦局』で『にわか仕込みにもなっていない少女たち』を放り込んだら、果たしてどうなるか。
(…………良くて囮、普通に考えて防壁代わり、最悪の場合は特攻要員だろうか?)
中々に暗澹とした未来予想図であるが、100%否定することも出来ない。
……加えて言うなら、この軍事教練はアンリエッタ女王陛下の名において命じられたものであるため、教練を施す方にも施される方にも拒否権は無い。
(それがハルケギニアにおける必然であるならば、仕方がないな……)
ちなみに彼の主人である桃髪の少女も当然ながらこの軍事教練に参加しているのだが、この軍事教練についての彼女の意見は、
「『魔法学院の生徒として』なら受けるわ」
だそうだ。
ルイズとしてもこの軍事教練について思う所はあるようなのだが、今の所は『一人のトリステイン貴族』としての立場でいることにしたらしい。
(とは言え、それも今後の展開次第だろうが……)
ユーゼスがその気になれば今後の戦局の詳細かつ正確な予測どころか、この戦争の展開そのものを自在に操ること、本格的な戦争状態に突入する前のこの状態で両国の問題を解決することすら可能である。
……だが、彼はそれをすることを良しとしない。
そのような絶対者の存在は、必ず世界に何らかの歪みを生じさせるということを身に染みて理解しているからだ。
地球の環境再生のために作り出されたアルティメットガンダム、正義のために作られたはずの人造人間たち、そして宇宙の守護神と呼ばれていたウルトラマンですらそうだったのだから。
……もっともアルティメットガンダムに関して言うのであれば、自分の思惑もそれなりに入っているが。
ともかくそんな無用の混乱を避けるため、ユーゼスは御主人様たちがせっせと訓練に励んでいる光景を眺めつつ、こうして広場の隅に腰掛け、読みかけの本を手に取るのである。
「………」
一応ラ・ヴァリエールの領地を発つ時にカリーヌから『身体をなまらせないためにも、毎日最低限の訓練を欠かさないように』と言われていたが、『自分の現状の維持』など因果律のほんの少し操作で事足りる。
「……そう言えば」
今日はラーグの曜日である。
これもまたラ・ヴァリエールの領地を発つ前あたりにカトレアと話して決めたことなのだが、週に二度、虚無の曜日とラーグの曜日にはカトレアの診察のためにラ・フォンティーヌの領地に向かうことになっていた。
しかも、何故かエレオノールやルイズには秘密で。
「必然的に移動にはジェットビートルを使わなければならんのだが……まあ、御主人様には『一人で空の散歩がしたい』とでも言っておくことにするか」
なお、例によって例のごとく『断わる理由が特にない』といういつもの理由でもって、ユーゼスはカトレアの頼みをほぼ全面的に承諾している。
取りあえず彼女たちの訓練が終わって一段落したら、御主人様に許可を貰おうか……などとユーゼスが考えていると。
「おい、そこのお前!」
「?」
いきなり誰かに声をかけられた。
声の方に顔を向けてみれば、そこには金髪を短くカットし、鎖かたびらや簡易的な鎧を着込んだ女性の姿。
アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン。
何でも先のタルブ戦で貴族にもひけを取らない戦果を上げ、平民でありながら『シュヴァリエ』の称号を授与、更にはつい最近発足した女王直属の『銃士隊』とやらの隊長に任命された、という女傑である。
また外見から分かるように相当に気が強く、授業の真っ最中だというのにヅカヅカと教室の中に入ってきて問答無用で授業を中止させ、半ば強制的に現在行っている『軍事教練』へと移行させたほどだ。
……授業を行っていたコルベールは落ち込んでいた様子だったが、まあそれはどうでもいい。
しかし学院の男手は教師も含めてほぼ全員が王軍に志願したと言うのに、なぜあの男だけは学院に残っていたのだろうか。
本人は『戦が恐い』と言っていたが……。
(…………それこそどうでもいいか)
あの男の研究内容はユーゼスにとっては唾棄すべき物だが、その人間性まで否定が出来るほど彼のことを知っているわけではない。
今は目の前のアニエスである。
「……私がどうかしましたか、ミス・ミラン」
ユーゼスは立ち上がってアニエスに返答した。
なお、元々は平民とは言え彼女は初対面の貴族なので敬語を使っている。
対するアニエスはやや不機嫌そうな様子で、そんなユーゼスに質問をぶつけてきた。
「あの場にいる女子生徒の誰かの従者か何かだと見受けるが、主人が軍事教練を行っている最中だというのに、お前は何もしないのか?」
「……………」
何かと思えば、そんなことか。
「私の専門は戦闘ではなく研究や分析ですので」
一部の隙もない完璧な返答(だと言った本人は思っている)を行うユーゼス。
……人間には適材適所、というものがある。
メイジにはメイジの、兵士には兵士の、そして研究者には研究者の役割があるのだ。
そして研究者の役割とは、連日に渡ってスクウェアクラスの風メイジに拷問じみた訓練を受けることなどでは断じてないはずなのである。
と、言うか。
(学院では牧歌的な生活を送りたいのだが……)
しかし、どうもアニエスはユーゼスの言葉に納得がいかないらしい。
「今は戦時だぞ。専門であろうがなかろうが、イザという時のための備えはするべきだ。……それに本当に敵が攻めて来れば、お前とて戦うのだろう?」
「……戦いの専門家であるあなた方には遠く及ばないと思いますが」
「フン」
そしてユーゼスのことをジロジロと見つめた後、部下の銃士隊隊員に命じて木剣を二本持って来させる。
「……ミス・ミラン、何を?」
「おおよその察しは付いているのではないか、研究者殿?」
嫌な予感がしたユーゼスはアニエスのその行為の意図を問い質そうとするが、時すでに遅し。
アニエスはユーゼスに向かって木剣を一本放ると、もう一本の木剣をおもむろに構えた。
そして。
「貴族のお嬢さん方の相手ばかりしていても退屈だからな。暇潰しに貴様を鍛えてやる。喜べ」
「……少し待っていただきたいのですが」
一応の抗議を試みるユーゼスだったが、アニエスは『聞く耳持たぬ』と言わんばかりに木剣の切っ先をユーゼスの頭部に向けて振るう。
「!」
ユーゼスはそれを咄嗟にギリギリで回避し、しかしそのせいで体勢を崩して地面をゴロゴロと転がった。
「ほう、かわしたか。……避け方はてんでなっていないが、どうやらある程度の基本は出来ているようだな」
それはそうだ。
二ヶ月間も毎日実戦形式で戦闘訓練をやらされていれば、どんなに才能がない人間でも嫌でも戦い方の基本くらいは身に付いてしまうものである。
「単なる青びょうたんかと思ったら、意外と骨がありそうだ。……だが基本だけでは敵に勝てん。そこからいかにして『自分の戦い方』を模索するのかが重要になってくるのだが……まあいい、それをこれからみっちりと教えてやる」
「いえ、遠慮して……」
訓練終了時にカリーヌから言われたこととほとんど同じことをアニエスから言われたので、ユーゼスの感じていた嫌な予感が十倍くらいに膨れ上がった。
なので、アニエスの申し出を丁重に断ろうとしたのだが。
「遠慮することはない。……お前は鍛えられて実力が上がる、お前の主人は従者の実力が上がるので安全性が高まる、私は暇潰しが出来る。そら、一石三鳥ではないか」
ニヤリと笑うアニエス。
何だか押し切られそうな感じになってしまっている。
(……ハルケギニアに召喚されてから、やたらとこの手の女に縁があるな……)
もしや、そのような因果律か何かでも働いているのでは―――などと考えるが、そんな妙な因果律があるとも思えないのですぐに思考を打ち切る。
「さて、話はここまでだ!」
そしてその途端、互いの会話もここで打ち切りとばかりにアニエスが木剣を構えてこちらに突きを叩き込んできた。
「っ!」
カリーヌとの訓練の賜物か、ユーゼスは反射的にその切っ先を自分の木剣で払い、すかさずアニエスと距離を取った。
(本格的な対人戦の訓練は、それほどやっていないのだが……)
二ヶ月の間に魔法の刃である『ブレイド』を使ったカリーヌに一方的に斬りかかられたり突き込まれたりされた経験は多少あるが、それにしても『対メイジ戦』である。
直接戦闘と言えばギーシュのワルキューレとの戦いは単調な動きの隙を突けば何とかなったが、今の相手は本格的な『剣士』だ。参考にはなるまい。
それに何より、木剣ではガンダールヴのルーンが発動してくれない。
これは大問題だった。
カリーヌに受けた訓練も、オリハルコニウムの剣やデルフリンガーがあり、かつルーンの身体強化の効力があったからこそギリギリで乗り切れたのである。
訓練によって多少体力や腕力、そして技術が身に付いたとは言え、ハッキリ言ってガンダールヴのルーンなしのユーゼスの身体能力は『平均的な平民』とほぼ同じと言っていい。
(取りあえず、防戦に徹するか)
シャイニングガンダムに乗っていた頃のドモン・カッシュでもあるまいし、真正面からやたらめったら突っ込んでいく、というスタイルはユーゼスの望むところではない。
それに攻撃の際に出来た隙を突かれて、逆に反撃もされたくもない。
何より初見の相手である。迂闊に仕掛けるわけには行くまい。
(しかし、なぜ公爵夫人から解放されたと思った途端、魔法学院でまで訓練を受けければならないのだろう……)
別に強くなって困るという訳ではないのだが、自分の本来の担当は肉体労働ではなくて頭脳労働なのだ。
いわゆる『畑違い』というやつである。
それにそろそろ魔法学院の自分の研究室で本格的に『虚無』の研究を始めようかと思っていたのに、初手からつまずくことになってしまった。
(とんだ計算違いだな)
辟易しつつ、アニエスの攻撃をどうにかこうにか捌いていくユーゼス。
まあとにかく軍事教練の時間が終わるまでしのいでいれば、この自分に対する訓練も終わるだろう。
ということで、ユーゼスはアニエスの攻撃に対して回避と防御のみに専念するのであった。
いつもならば男子女子ひっくるめた学院生徒たちの声で賑わっているこの広場も、男子生徒たちの全員が軍へと志願してからはガランとしてしまっている……はずであったのだが。
「えいっ、やあっ!」
「とぉ~!」
「たぁぁ~~っ」
「きゃあっ!」
授業中のこの時間、アウストリの広場は女子生徒たちのきゃあきゃあ騒ぐ声で賑わっていた。
彼女たちは例外なく『布で包んだワタを先端にくくりつけた木の棒』を手に持っており、その棒を女子生徒同士でカコカコと突き合わせている。
「痛っ! もう、そんなに強くしないでよ!」
「ご、ごめん~」
……どうやら槍の訓練をしているらしいのだが、どうにも緊張感がないというか真剣味が足りなかった。
まあ、無理もない。
現在トリステイン各地の練兵場にいる男子生徒たちならともかく、この彼女たちは基本的には『貴族のご令嬢』であって、このような荒事には無縁の生活を送ってきた者がほとんどなのである。
では何故、そんな女子生徒たちがこのような訓練をしているのかと言うと。
「―――お前たち、もっと真剣にやれ! いっそのこと、目の前の相手を殺すつもりでやっても構わんぞ!!」
突然この魔法学院にやって来た『女王陛下の銃士隊』である所の女性たち……特にその隊長のアニエスという女が先頭に立ち、女子生徒たちに軍事教練を施しているからである。
名目としては『杖が使えない場合でも最低限、自分の身を守るための訓練』なのだそうだ。
(その発想は間違っていないと思うが……)
そんな女子生徒たちをボンヤリと眺めながら、ユーゼスは一人やることもないのでこの軍事教練について考えていた。
(……しかし、これでは『軍事教練』と言うよりも『護身術の稽古』だな)
まあ本格的に軍事教練などをやろうとしたら、それこそ男子生徒たちと同じように専用の施設と人材とそれなりの期間を用意しなければなるまい。
だが、今のトリステインにそんな余裕がある訳もなく。
かと言ってイザと言う時のための『頭数』(ユーゼスはあえて『戦力』という言葉は使わなかった)は確保しておきたいので、取りあえずの『軍事教練』を行っている……と、こんな所だろう。
(……ふむ)
一応の可能性として、『この少女たちが実際に戦場に行った場合』を想定してみる。
戦力がかなり消耗してから投入されるだろうことはユーゼスにも予想が出来るが、そんな『かなり消耗した戦局』で『にわか仕込みにもなっていない少女たち』を放り込んだら、果たしてどうなるか。
(…………良くて囮、普通に考えて防壁代わり、最悪の場合は特攻要員だろうか?)
中々に暗澹とした未来予想図であるが、100%否定することも出来ない。
……加えて言うなら、この軍事教練はアンリエッタ女王陛下の名において命じられたものであるため、教練を施す方にも施される方にも拒否権は無い。
(それがハルケギニアにおける必然であるならば、仕方がないな……)
ちなみに彼の主人である桃髪の少女も当然ながらこの軍事教練に参加しているのだが、この軍事教練についての彼女の意見は、
「『魔法学院の生徒として』なら受けるわ」
だそうだ。
ルイズとしてもこの軍事教練について思う所はあるようなのだが、今の所は『一人のトリステイン貴族』としての立場でいることにしたらしい。
(とは言え、それも今後の展開次第だろうが……)
ユーゼスがその気になれば今後の戦局の詳細かつ正確な予測どころか、この戦争の展開そのものを自在に操ること、本格的な戦争状態に突入する前のこの状態で両国の問題を解決することすら可能である。
……だが、彼はそれをすることを良しとしない。
そのような絶対者の存在は、必ず世界に何らかの歪みを生じさせるということを身に染みて理解しているからだ。
地球の環境再生のために作り出されたアルティメットガンダム、正義のために作られたはずの人造人間たち、そして宇宙の守護神と呼ばれていたウルトラマンですらそうだったのだから。
……もっともアルティメットガンダムに関して言うのであれば、自分の思惑もそれなりに入っているが。
ともかくそんな無用の混乱を避けるため、ユーゼスは御主人様たちがせっせと訓練に励んでいる光景を眺めつつ、こうして広場の隅に腰掛け、読みかけの本を手に取るのである。
「………」
一応ラ・ヴァリエールの領地を発つ時にカリーヌから『身体をなまらせないためにも、毎日最低限の訓練を欠かさないように』と言われていたが、『自分の現状の維持』など因果律のほんの少し操作で事足りる。
「……そう言えば」
今日はラーグの曜日である。
これもまたラ・ヴァリエールの領地を発つ前あたりにカトレアと話して決めたことなのだが、週に二度、虚無の曜日とラーグの曜日にはカトレアの診察のためにラ・フォンティーヌの領地に向かうことになっていた。
しかも、何故かエレオノールやルイズには秘密で。
「必然的に移動にはジェットビートルを使わなければならんのだが……まあ、御主人様には『一人で空の散歩がしたい』とでも言っておくことにするか」
なお、例によって例のごとく『断わる理由が特にない』といういつもの理由でもって、ユーゼスはカトレアの頼みをほぼ全面的に承諾している。
取りあえず彼女たちの訓練が終わって一段落したら、御主人様に許可を貰おうか……などとユーゼスが考えていると。
「おい、そこのお前!」
「?」
いきなり誰かに声をかけられた。
声の方に顔を向けてみれば、そこには金髪を短くカットし、鎖かたびらや簡易的な鎧を着込んだ女性の姿。
アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン。
何でも先のタルブ戦で貴族にもひけを取らない戦果を上げ、平民でありながら『シュヴァリエ』の称号を授与、更にはつい最近発足した女王直属の『銃士隊』とやらの隊長に任命された、という女傑である。
また外見から分かるように相当に気が強く、授業の真っ最中だというのにヅカヅカと教室の中に入ってきて問答無用で授業を中止させ、半ば強制的に現在行っている『軍事教練』へと移行させたほどだ。
……授業を行っていたコルベールは落ち込んでいた様子だったが、まあそれはどうでもいい。
しかし学院の男手は教師も含めてほぼ全員が王軍に志願したと言うのに、なぜあの男だけは学院に残っていたのだろうか。
本人は『戦が恐い』と言っていたが……。
(…………それこそどうでもいいか)
あの男の研究内容はユーゼスにとっては唾棄すべき物だが、その人間性まで否定が出来るほど彼のことを知っているわけではない。
今は目の前のアニエスである。
「……私がどうかしましたか、ミス・ミラン」
ユーゼスは立ち上がってアニエスに返答した。
なお、元々は平民とは言え彼女は初対面の貴族なので敬語を使っている。
対するアニエスはやや不機嫌そうな様子で、そんなユーゼスに質問をぶつけてきた。
「あの場にいる女子生徒の誰かの従者か何かだと見受けるが、主人が軍事教練を行っている最中だというのに、お前は何もしないのか?」
「……………」
何かと思えば、そんなことか。
「私の専門は戦闘ではなく研究や分析ですので」
一部の隙もない完璧な返答(だと言った本人は思っている)を行うユーゼス。
……人間には適材適所、というものがある。
メイジにはメイジの、兵士には兵士の、そして研究者には研究者の役割があるのだ。
そして研究者の役割とは、連日に渡ってスクウェアクラスの風メイジに拷問じみた訓練を受けることなどでは断じてないはずなのである。
と、言うか。
(学院では牧歌的な生活を送りたいのだが……)
しかし、どうもアニエスはユーゼスの言葉に納得がいかないらしい。
「今は戦時だぞ。専門であろうがなかろうが、イザという時のための備えはするべきだ。……それに本当に敵が攻めて来れば、お前とて戦うのだろう?」
「……戦いの専門家であるあなた方には遠く及ばないと思いますが」
「フン」
そしてユーゼスのことをジロジロと見つめた後、部下の銃士隊隊員に命じて木剣を二本持って来させる。
「……ミス・ミラン、何を?」
「おおよその察しは付いているのではないか、研究者殿?」
嫌な予感がしたユーゼスはアニエスのその行為の意図を問い質そうとするが、時すでに遅し。
アニエスはユーゼスに向かって木剣を一本放ると、もう一本の木剣をおもむろに構えた。
そして。
「貴族のお嬢さん方の相手ばかりしていても退屈だからな。暇潰しに貴様を鍛えてやる。喜べ」
「……少し待っていただきたいのですが」
一応の抗議を試みるユーゼスだったが、アニエスは『聞く耳持たぬ』と言わんばかりに木剣の切っ先をユーゼスの頭部に向けて振るう。
「!」
ユーゼスはそれを咄嗟にギリギリで回避し、しかしそのせいで体勢を崩して地面をゴロゴロと転がった。
「ほう、かわしたか。……避け方はてんでなっていないが、どうやらある程度の基本は出来ているようだな」
それはそうだ。
二ヶ月間も毎日実戦形式で戦闘訓練をやらされていれば、どんなに才能がない人間でも嫌でも戦い方の基本くらいは身に付いてしまうものである。
「単なる青びょうたんかと思ったら、意外と骨がありそうだ。……だが基本だけでは敵に勝てん。そこからいかにして『自分の戦い方』を模索するのかが重要になってくるのだが……まあいい、それをこれからみっちりと教えてやる」
「いえ、遠慮して……」
訓練終了時にカリーヌから言われたこととほとんど同じことをアニエスから言われたので、ユーゼスの感じていた嫌な予感が十倍くらいに膨れ上がった。
なので、アニエスの申し出を丁重に断ろうとしたのだが。
「遠慮することはない。……お前は鍛えられて実力が上がる、お前の主人は従者の実力が上がるので安全性が高まる、私は暇潰しが出来る。そら、一石三鳥ではないか」
ニヤリと笑うアニエス。
何だか押し切られそうな感じになってしまっている。
(……ハルケギニアに召喚されてから、やたらとこの手の女に縁があるな……)
もしや、そのような因果律か何かでも働いているのでは―――などと考えるが、そんな妙な因果律があるとも思えないのですぐに思考を打ち切る。
「さて、話はここまでだ!」
そしてその途端、互いの会話もここで打ち切りとばかりにアニエスが木剣を構えてこちらに突きを叩き込んできた。
「っ!」
カリーヌとの訓練の賜物か、ユーゼスは反射的にその切っ先を自分の木剣で払い、すかさずアニエスと距離を取った。
(本格的な対人戦の訓練は、それほどやっていないのだが……)
二ヶ月の間に魔法の刃である『ブレイド』を使ったカリーヌに一方的に斬りかかられたり突き込まれたりされた経験は多少あるが、それにしても『対メイジ戦』である。
直接戦闘と言えばギーシュのワルキューレとの戦いは単調な動きの隙を突けば何とかなったが、今の相手は本格的な『剣士』だ。参考にはなるまい。
それに何より、木剣ではガンダールヴのルーンが発動してくれない。
これは大問題だった。
カリーヌに受けた訓練も、オリハルコニウムの剣やデルフリンガーがあり、かつルーンの身体強化の効力があったからこそギリギリで乗り切れたのである。
訓練によって多少体力や腕力、そして技術が身に付いたとは言え、ハッキリ言ってガンダールヴのルーンなしのユーゼスの身体能力は『平均的な平民』とほぼ同じと言っていい。
(取りあえず、防戦に徹するか)
シャイニングガンダムに乗っていた頃のドモン・カッシュでもあるまいし、真正面からやたらめったら突っ込んでいく、というスタイルはユーゼスの望むところではない。
それに攻撃の際に出来た隙を突かれて、逆に反撃もされたくもない。
何より初見の相手である。迂闊に仕掛けるわけには行くまい。
(しかし、なぜ公爵夫人から解放されたと思った途端、魔法学院でまで訓練を受けければならないのだろう……)
別に強くなって困るという訳ではないのだが、自分の本来の担当は肉体労働ではなくて頭脳労働なのだ。
いわゆる『畑違い』というやつである。
それにそろそろ魔法学院の自分の研究室で本格的に『虚無』の研究を始めようかと思っていたのに、初手からつまずくことになってしまった。
(とんだ計算違いだな)
辟易しつつ、アニエスの攻撃をどうにかこうにか捌いていくユーゼス。
まあとにかく軍事教練の時間が終わるまでしのいでいれば、この自分に対する訓練も終わるだろう。
ということで、ユーゼスはアニエスの攻撃に対して回避と防御のみに専念するのであった。
なお、余談ではあるが。
この後、ユーゼスは『お前は避けることと受けることしか知らんのか』とアニエスに怒鳴られ、その直後に烈火の如き連撃でその防御を打ち破られ、全身を木剣でしたたかに打たれることになる。
この後、ユーゼスは『お前は避けることと受けることしか知らんのか』とアニエスに怒鳴られ、その直後に烈火の如き連撃でその防御を打ち破られ、全身を木剣でしたたかに打たれることになる。