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マジシャン ザ ルイズ 3章 (56)

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マジシャン ザ ルイズ 3章 (56)運命の交差

 落ちる、落ちる。
 重力に誘われ、頭を下にして真っ逆さまの落下行。
 それが彼、ギーシュ・ド・グラモンののっぴきならない現実であった。

「ひ、いいいいいぃぃぃぃぃ!」

 躊躇いが無かったと言えば嘘になる。
 だが、それでもよく決心したとギーシュは自分自身を誉めてやりたいくらいだった。
 何せ女性二人の命を救う為に、男ギーシュ、こうして命を張ったのである。
 後悔はない。
 だが、そんな心意気とは関係無しに、やはり怖いものは怖い。
 びゅうびゅうと耳に押し寄せる風の音、目まぐるしく変わる光景、体全体を包み込む圧力は馬に乗っているときのそれなど比較にもならない。

〝ああ、やっぱり止めておけば良かったかなァ〟
 一瞬そんな考えがよぎる。
 よぎる、が、

       今はそんなことを考えている時ではない。

「なぜなら! そんなことをしていると僕が死んでしまうからっ、サァァァァァァァ!」
 叫んでパニックに陥りそうになっている頭を必死に鎮める。
 重要なのはタイミングだ。
 早すぎても死ぬ、遅すぎても死ぬ。
 これから彼が唱えようとしている『フライ』はそういうものなのだ。

 恐怖のあまりに今すぐ唱えてしまいそうになるフライを、ギーシュは理性を総動員して必死に堪える。
 こんな高さで唱えて、ゆっくりふよふよ降りていくなど無謀に過ぎる。弓や魔法の的にしてくれと言っているようなものだ。
 かといって遅すぎれば地面に激突、どうなるかなど考えたくもない。
 繰り返すが、重要なのはタイミングなのである。

「そうは言ってもねぇ! アーハハハハハハッ!! アッッハッァァァァァ!?」

 正直、もう何が何だか分からない。
 あとどのくらいの時間で地面に激突してしまうのかも分からない、今どのくらいの高さにいるのかも分からない。
 それに、さっきからだんだんと頭が真っ白になってきている気がする。
 総じて『もしや僕は今、新たな領域に突入しようとしているっ!?』などと本気で思ってしまうくらいには、彼は錯乱していた。
 真実は気圧の急激な変化で意識がホワイトアウト仕掛けているのと、脳内でどばどば出ているお薬の関係で、ちょっと頭が愉快なことになっているだけであるのだが。

「見えるっ! 僕にも何かいろいろ見えるよモンモランシー!」
『頑張って、ギーシュ、愛してる、抱いて!』
「嗚呼! 僕を導いてオクレ、モンモランシー!」

 真っ白になって消えていく意識の最中、ギーシュは幻覚のモンモランシーに最高の笑顔を返しながら、彼はこの先の生涯で幾度となく経験することとなる、墜落からフライを唱えたのだった。



 喧噪が聞こえる。
 次にギーシュが己を取り戻したとき、最初に目に入ったのは真っ青な空だった。
 広すぎる空に、自分が仰向けに倒れているのだとすぐに気付かされた。
 ついで、当然のことのように背の下に堅い感触があるのに意識が行って、恐る恐るそれを触ってみる。
 そして安堵。まぎれもなくそれは大地の感触だ。
 彼は帰ってきたのだ、大地に。

「……た、助かった、のか……」
 なんとかそう口にしてみてから、ギーシュは体を起こした。
 何がどうなって自分が地面に倒れていたのかはいまいち判然としなかったが、とりあえず体をいろいろ動かしてみて、目立って痛むところがないことにギーシュはほっとため息をついた。
 そして余裕が出てきたところで、自分がしっかり掴んでいる堅いものに気がついて、ギーシュはそちらに目を向けた。
 彼が落下の最中も抱き続けていたそれは、鞘に収められた一本の大剣である。
 と、それに気付いたギーシュは、あるものを探して慌てて周囲を見回した。
 幸い目当てのものはすぐに見つかった。ギーシュは自分のすぐ近くに落ちていたそれを見つけると、大慌てで引き寄せた。
 背嚢、である。
「だ、大丈夫かな。何か壊れているものは……そ、それよりも今役に立ちそうなものは何か……」
 そう言って、ギーシュはごそごそと背嚢の中身を物色し始めた。
 先ほどから嫌というほど耳に届いている喧噪。それは目を覚ましたギーシュが、戦場のど真ん中にいたという事実に直結している騒がしさなのである。
 彼はこんなこともあろうかと持ってきた、『役に立つ何か』を、その中から探し始めた。

 では、そもそも彼が背負っていた背嚢とは何だったのか。
 明かしてしまえば、そこにはギーシュがアカデミーのウルザの部屋から持ち出した、様々なマジックアイテムが入っているのである。
 今から戦場に行くという段で、ウルザの部屋に忍び込むことを思いついたギーシュが、そこを適当に物色して放り込んできたものがそこには入っているのだ。
 だが――
「ああっ、参ったっ!」
 中を確認したギーシュが声を上げる。
 背嚢から出てきたのは、ミニチュアサイズの不細工な人形(後ろのゼンマイをまいてやるとチクタク動く)、道化師が被るような帽子、用途不明の奇抜な形をした分度器、蓋が開かないランプ、にやにや笑っててむかつく像、象牙の杯、etcetc……。
 中から出てきたのは、到底何に使うのか分からないようなガラクタの数々だった。
「くそっ、こんなことになるのが分かっていたら、面白そうなんていう基準で選ばずに、あの机の横にあった、いかにもって雰囲気の宝珠を持ってきたのに!」
 嘆くも後の祭りである。


 と、そのときギーシュの前に影が差した。

 多くの英雄譚において、英雄の行く先には次から次へと危難があらわれる。
 この場合もそうだ。
「アニキィ! ニンゲンだ、こんなところにニンゲンのガキがいるぜェ!」
「ほ、ホントなんだな。アニキ、アニキー!」
「おお、本当じゃねぇか。オスなのは残念だが、それでも他のニンゲンより柔らかそうだ」
 現れたのは子供くらいの体躯をした、赤茶けた肌の亜人達であった。
 手にはあまり切れ味の良さそうにない刃物を握っている。
「な、なんだ君たちは……!?」
 とっさに『戦利品』を抱え込むと、ギーシュはそう亜人達に問うた。
「き、聞いたんだな。アニキ、こいつオデ達のことを聞いたんだな」
「死ぬぜェ! 俺たちの名前を聞いたら死ぬぜェ! 超死ぬぜェ!」
「へっへっへ、おめぇらそんなにビビらせてやるなよ。俺たちはなぁ、ゴブリンロード第一の配下『モンスのゴブリン略奪隊』よっ!」
 そう言って名乗りを上げたのは、さっきから「アニキ」と呼ばれている、他の亜人よりも一回り大きい一匹である。
 どうやら彼がリーダーらしい。

「流石だアニキィ! 俺たちのヘッドはいつだってバックレガイだァ!」
「ば、バックレガイってなんなんだな?」
「バッカおめェ、バッドクレイジーガイの略に決まってんだろぉよォ!」
「頭良いなおまえ。ところで1+1はなんぼだ?」
「4に決まってまさァアニキィ!」
「馬鹿野郎ォ! 4は縁起が悪いって言ってるじゃねぇかよォォォォォ!」
 ……知能はあまり高そうではない。

 ゴブリンが喧嘩を始めたチャンスと見て、ギーシュが抜き打ちで振るった。
「行け! ワルキューレ達よ!」
 そして唱えていた呪文を発動させる。
 薔薇を模した杖の花びらが舞い散り、すぐにそれは六体の戦乙女へと変化して、敵に突進をしかけた。
 ギーシュの一八番、青銅のゴーレムの錬造である。

「な、なんなんだな、だな!?」
「あ、アニキィ、どっから沸いて来たんだこいつらァ!」
「おちつけおまえら! こういうときはとりあえずドラム叩くぞドラム!」
「で、でたァ! アニキ必殺のゴブリンウォードラムだァ! ぎゃああああ!」

 ワルキューレ達が俊敏な動きで襲いかかり、ゴブリン達は大混乱に陥っている。
「良し!」
 思った以上に奇襲が上手くいったことに、ギーシュが拳を握る。
「ワルキューレ! そのままそいつらを叩きのめせ!」
 気をよくしたギーシュはそのまま次の指示を飛ばした。

 だが、悲しいかな素人は所詮素人だった。
 彼は致命的なミスを犯した。
 彼はその場に止まるべきではなかったのだ。
 敵に見つかったのなら、即座に逃げ出すべきだったのだ。
 また、ワルキューレによる奇襲が成功したなら、その隙にさっさと逃げるべきだったのだ。
 そして、味方のいる場所まで逃げて、誰かに保護を願うべきだったのだ。
 だが、そうするには彼は若かった。あるいは幼かった。

 生き残りたいなら、分不相応な英雄願望などかなぐり捨てて、逃げるべきだったのだ。

「なんだ何だぁ? こっちからウォードラムが聞こえたぞ?」
「ヒッヒッヒ、敵じゃあ、敵がおるどぉ!」
「ヒャッハー! 敵だ敵だぁ!」
「ゲェ!? 爆弾兵だ、爆弾兵がいるぞー!」
「打たせてくれよぉ、いいだろぉ、その剣打たせてくれよぉ」
「パイルパイルパイル! 追うぜ追うぜ追うぜぇっ!」
「……俺の後ろに立つなゴブ」

 気が付いたときには、既に無数のゴブリン達に囲まれた後だった。
「……どうしよう」
 ギーシュが呟く。

 ――本当に、どうしよう。



 ところ変わって今度は空。
 そこでもまた、一つの激突が起こっていた。
『ウィンディ・アイシクル』
 ルーンに従い、タバサの杖から氷の矢が四本同時に放たれる。
 だがそれは、炎のブレスによって、敵に到達する前に溶け消えてしまう。

「次、右仰角太陽の方向二十五度六秒上昇、後機首を上に垂直落下荷三秒、騎首を上に反転して上昇全速四秒、減速しながら破片群に紛れ込んで水平飛行」
「ちょちょっ! お姉さまそんなに早口で一辺に言われてもシルフィ覚え……」
「いいから、早く」

 時間が惜しい。
 言葉を交わす間も敵の攻撃は続いている。
 先ほど炎を吐いた口から、今度は氷のブレスが放たれた。それをシルフィードは紙一重で回避してみせ、主人の指示に従って空を飛ぶ。
 それを見たドラゴンは、必死に逃げ回る仔竜をはっとあざ笑い、魔法を唱えて追い立てる。
 竜の爪先から赤と青が織り混ざったような紫電がほとばしり、それが一直線にシルフィードの進む先に向かった。
 稲妻は速い。それは避けようのない一撃である。
 だがシルフィードが雷にうたれる寸前、突如行く手に現れた白い雲によって、稲妻がかき消されてしまった。
 タバサが風と水を使って作った雲が、稲妻を放電させてそれを凌いだのである。
「ほう……」
 竜が示した一時の感心。しかしシルフィードはその好機を逃さず一気に距離を離していった。
 竜が感嘆したのはシルフィードの逃げ足にではない、先ほど雷撃を防いだタバサの手際にである。
 雷撃の速度を考えれば、防御のための雲の盾を事前に用意していなければ、あのタイミングで迎撃はできない。
 つまり彼女はこちらの攻撃を読んで先手を打ったのである。
 それは長い長い時を生きてきた竜にして、タバサを賞賛せしめるほどの戦闘センスだった。
「楽しませてくれる」
 竜はどう猛そうな口でそう言って、カカッと笑った。

「タバサ! 凄いじゃない! どうして雷撃が来るって分かったの!?」
 背後から興奮した様子のモンモランシーの声が聞こえてくる。
 疑問の回答は『炎のブレス、氷のブレスと来たから次は雷』そう単純に考えてのことだった。防御の方法として雲を選んだのは、あるいは炎のブレスを吐かれたとしても、防御効果が望めそうな呪文だったから用意したに過ぎない。
 しかし今のタバサには、そんなことを説明している余裕はなかった。
 やらねばならないことは山ほどあるのだ。

 彼女は腕を伸ばして杖を水平に構え、次々にルーンを唱えて立て続けに魔法を完成させた。
 すると一つ呪文が完成する度、杖の先から氷の槍が作られ、それが飛行するシルフィードに置いて行かれるようにして、作られた先から背後へと流れていく。
 いや、事実タバサはそれを空間に『置いて』いるのだ。
 槍をたっぷり十数本は射出したころ、咆吼を上げてタバサ達を追いかけてきていた竜が、最初に氷槍を仕掛けたあたりに差し掛かった。
 その途端、空間に設置された槍達が次々時間差で次々放たれ始めた。
 時間差を利用したトラップである。
 あの竜にとっては多少五月蠅い程度の仕掛けかもしれないが、足止め程度にはなるだろう。
 今は少しでも、作戦を考える為の時間を稼がなければならないのだ。


「ええと、次は……な、なんだったかしらね? お姉さま! 忘れちゃったのね!」
「後機首を上に垂直落下荷三秒、それから騎首を上に反転して全速上昇四秒よ!」
「思い出した! そうだったのね! ありがとうモンモン」
「どういたしまして……って、あたしはモンモンじゃなーいっ!」

 モンモランシーとシルフィードのそのようなやりとりがある中も、タバサは呪文を唱えながら必死に考えを巡らし続ける。

 今は逃げおおせているが、こんなものは一時凌ぎでしかない。
 言うなれば、長距離走のつもりで走っている相手に、全力疾走を仕掛けているのと同じだ。
 そうしてやっと、ひいき目に評価して対等という程度の状況。
 こんな調子で魔法を連発していれば、やがてそう遠くない将来にタバサの精神力は尽き果てる。
 そうなったら勝ち目はない。
 何か決定的な打開策、それが今彼女達に必要とされているものだった。


 タバサの呪文とシルフィードの早さで、何とかドラゴンの追撃をやり過ごしたタバサ達は、一端フネの残骸が無数に残る空域を経由して上昇を果たし、今は戦闘空域を外れて雲の中に突入していた。
 当初は高度を上げることで謎の吸引力に引っ張り込まれることを警戒して速度を緩めていたシルフィードだったが、幸運なことに上昇中、突然吸引力が弱まったことで、見つかる前に全力で雲に逃げ込むことが出来たのである。

 とりあえず使えるものは何でも使う。
 そう決めて、一息ついたタバサは、直ぐに後ろにいるモンモランシーに声をかけた。
「……モンモランシー。指示の、補佐をお願い」
 普段滅多に話さないタバサに突然声をかけられて、モンモランシーが目をぱちくりとさせた。
「指示って……この子の? さっきみたいな感じで」
「そう」
 実際、先ほどのやりとりはかなり有り難かった。
 先ほどシルフィードに言った長い指示は、杖を構えることで疎かになる飛行操作を補うための事前指示であったのだが、シルフィードが実際にそれをこなせるかは賭けであった。
 だがその賭けも、後ろでモンモランシーが指示を復唱してくれたおかげで何とか乗り切ることができた。
 熟練の竜騎士と竜ならば、そのあたりは経験と阿吽の呼吸で合わせてしまうのだが、それをこの幼竜に求めるというのは酷というものである。

「………」
「……出来る?」
「ええ、出来る、けど……それよりもタバサ、聞いてほしいことがあるの。もしかしたら、私の魔法であのドラゴンを倒せるかも知れないのよ」

 モンモランシーはそう前置いて、自分がウルザから授かった秘本から二つの魔法を習得してきたこと。そのうちの一つが、実際にウェザーライトを襲ってきたドラゴンを撃退して見せたことを説明した。
「だから、もしもあのドラゴンも他のと同じように『召喚』されたものなら、きっと私の魔法で倒せると思うの」
 大ざっぱに外から『召喚』されたとしかモンモランシーは説明しなかったのだが、タバサはその説明だけであのドラゴンにも少なからず効果があると見積もった。
 聞いた限り、要は召喚されたものを元いた場所に戻す呪文なのだろう。
 赤と青の鱗を持った韻竜、そんな噂は聞いたことがない。となれば、元いた場所は秘境か僻地、それだけ遠くに飛ばしてしまえば脅威ではなくなる。そう考えてのことである。

「……もう一つの呪文は」
「ああ、そっちのことは気にしないで。防御に使えそうだから覚えてきたけど、今はあんまり意味が無さそうだから」
「……わかった。距離は」
「十メイル……いえ、五メイルでお願い。そのくらいの距離なら絶対に外さない……と思う」
「五メイル!?」
 そこで、それまで黙って聴いていたシルフィードが思わず口を挟んだ。
「何言ってるのモンモン!? そんなの絶対無理なのね!」

 五メイル。それは余りに絶望的な間合いだ。
 地上なら兎も角、空中軌道戦闘において五メイルまで距離を詰めるとなると、それこそ神業に等しい。
 殆ど不可能と言っても良い。
 だが、そんな無茶に対してタバサは首を縦に振った。
「分かった」
「お姉さま!?」
「どのみち、他に手段がない」
 そう答えたタバサが、突然シルフィードの手綱を捌いた。
「きゅい!?」
 突然軌道を変えられて、錐揉みに近いロールを強いられるシルフィード。そのすぐ側を三つの火の玉が流れ過ぎていった。

「見つかった。このまままっすぐ」
 タバサはそれだけ言うとすぐに呪文の詠唱に入ってしまう。
「もうお姉さまったら! モンモン、しっかり捕まってなさいなのよ!」
「えっ、何!? ぎゃあっ!」
 慌ててモンモランシーがタバサにしがみついたのと、シルフィードが全力で羽ばたいたのは殆ど同時。
 竜は華麗に雲を舞う。
 デッドチェイスは始まったばかりだ。



「ほう。その熱には覚えがある……ツェルプストーの娘か」
「ええそうよ。そしてそれ以上は覚えてくれなくて結構。今から私が焼き尽くしてあげるから」
「はっ、面白い。これだから戦いは止められぬ。燃やし尽くしたと思っても、向こうから新しい熱がやってきてくれるのだからな」
「……言ってなさい。すぐにその口を閉じることになるから」
「よかろう」
 言ってメンヌヴィルは燃えさかる火猫からひらりと飛び降りた。
「おまえの相手はこの俺一人だ。存分にかかってくるが良い」
 肩に重そうなメイスを担いで、メンヌヴィルが傲岸不遜に言い放つ。

 対してキュルケはタクト型杖を懐から取り出すと、体を低くする。
 その様は飛びかからんとする豹のようだ。

 一方で騎手の手を離れた炎獣は、ぐるぐると喉を鳴らしながら、キュルケ達から一定の距離をとって大回りに動いている。
 その距離は二十メイルほどもあるが、俊敏な獣からすれば一足飛びの距離なのは先ほどの件からも明白である。
 それを見てもはや逃げることは不可能と悟ったカステルモールは軍杖を構えると、非戦闘員ということになっているマチルダを庇う為の位置取りをした。
 そして最後の一人、ヘンドリックはというと、彼は火猫に対して攻めに出るつもりなのか、じりじりと距離を詰めるべく動いていた。
「お嬢、あの火猫は私が」
「……ええ、頼んだわ」
「副長を、いや、あの男を止めてやって下さい」
「………」
 なんと答えるべきか、怒りの感情に支配されたキュルケには、返すべき言葉が見つけられない。
 結果として、彼女は地を蹴り前に飛び出すことで、最後になるかもしれない部下との会話に終止符を打った。

「ふんっ!」
 既に口の中で詠唱を終えていたのだろう。キュルケが前に飛ぶや否や、メンヌヴィルは淀みない動作でメイスを振るい、そこから直球一メイルはある巨大な白い火の玉を生み出した。
 骨まで瞬時に焼き尽くす白い炎。常人ならば本能的に身を竦めるところである。
 だが、
「ほうっ」
 と、感嘆の声を漏らしたのはメンヌヴィルだった。

 キュルケは正面から迫る炎を見据えながら、それでも全く避ける動作を見せず、一直線にメンヌヴィルへ向かって走ってくる。
 彼女がしたことと言えば、精々体勢を更に低くして、左手を前に突き出したことくらいである。
 いくら長身のメンヌヴィルによって放たれたといっても、人を焼くことに特化された炎である。体勢を低くした程度でやり過ごせるものではない。
 そんなことも分からぬほどに愚鈍であったのか? あるいは気でも狂ったのか?
 一端は疑念に目をすがめるメンヌヴィルであったが、キュルケが次にとった行動によって、今度はその眉を跳ね上げることになった。
 キュルケは火の玉が自分にぶつかる直前、突き出した左手を、火球の下部に突っ込んだのである。
 防御のつもりであるならば、そのようなことに何の意味がないことをメンヌヴィルは知っていた。
 左手を犠牲にするか? しかし魔法の火勢は小娘一人の左腕を燃やし尽くした程度で衰えたりはしない。全くもって無駄である。
 しかし、そんなメンヌヴィルの予測に反して、白炎はキュルケの左手を焼いくことが出来なかった。
 それどころかキュルケは無傷の手を炎球の表面で滑らせると、更に下へと潜り込ませたのである。
 そこまでの動作を見て、メンヌヴィルはその意味するところを知った。
 彼女は左手に、防御の為の魔法を一点集中させているのだ。

 火球の下にまで腕を滑り込ませたキュルケは、そのまま左手を跳ね上げて火球の軌道を大きくずらした。
 そうやって出来た隙間。彼女はそこに、地を擦るようにして素早く躍り込む。
 すれ違う一瞬、短く切り揃えた髪がちりちりと音を立てた。もしも以前のような長い髪だったなら、それこそ無事では済まなかったろう。

 己の顔のすぐ傍を火球が通り過ぎていったというのに顔色一つ変えず、自分を見据え続けている娘の姿を見て、メンヌヴィルはにぃっと顔を歪めた。
 心の奥底からわき上がる感情を隠しきれないのだ。
 それは一言であらわして、『歓喜』である。

「素晴らしいっ、素晴らしい温度だっ! 貴様の父と母もなかなかの温度の持ち主だったが、おまえはそれ以上だっ!」
 メンヌヴィルは口の両端をつり上げて、狂喜に酔いしれる顔でキュルケにメイスを突きつけた。
 途端、キュルケの目と鼻の距離から吹き出す白い炎。
 今度こそ白い濁流がキュルケに襲いかかった。
 焼き焦がした肉の匂いを思い描き、メンヌヴィルの顔は一層喜びに染まる。
 だが、

「むぅ!?」
 次の瞬間、メンヌヴィルの顔が驚愕に染まった。

 白い輝きの中を、鮮烈な赤が散っていた。
 人を瞬時に焼き尽くすだけの熱量を持った炎が、キュルケが突き出した左手、それに阻まれているのである。
 真っ白なメンヌヴィルの炎、それがキュルケの左手に触れた先から赤い火の粉になって宙を舞う。
 いっそ幻想的とも言える光景の中、キュルケは口を開く。
「いつもいつも白い炎ってのは芸がなさ過ぎたわね。そんな熱いの、何度も見せられたら嫌でも覚えちゃうじゃない。そう、微熱くらいが丁度良いのよ」
「温度操作か!?」
 キュルケの左手にかけられた魔法、メンヌヴィルが防御魔法だと思っていたものは、その実防御のための魔法ではなく、白炎を自分の扱える温度に変化させる魔法だったのである。
 カラクリに気付いたメンヌヴィルが咄嗟に炎の温度を調節しようとするが、その時にはもう既に、キュルケが目と鼻の先に飛び込んできていた。

「終わりよ。地獄で詫びなさい」
 キュルケは冷徹な声でそう言い放ち、タクト型の杖をメンヌヴィルの鍛えられた腹筋に両手で押しつけた。
 そして唱える、炎を意味するルーンの調べを。
「ウル・カーノ・ゲーボ!」
 必殺の呪文が発動すると同時、紅蓮の炎が大空洞内を赤く照らし出した。
 キュルケの魔法により、炎がメンヌヴィルの体内を貫いて、奔流となってその背中から迸ったのである。

                   「多くの場合不幸の運命というのは、複数の不運が重なって起こるものだ。
                    また、多くの場合、本当に不幸な人間は自分のことを不幸だとは思っていない」
                                          ――テフェリー

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