あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

ブラスレイター コンシート-05


 ヴァリエール領に向かう一台の馬車。
 揺れる馬車の中、ルイズとエレオノールはずっと無言だった。

 例の男が逃げ出した翌日、エレオノールはルイズを半ば無理矢理に帰郷に同行させた。
 本来ならばアカデミーの研究員であり、今回の悪魔騒動の関係者であり、非公式とはいえ学院から例の男の調査を依頼された身であるエレオノールは、アカデミーに戻るべきなのだ。
 だが、エレオノールにとって、出来の悪い妹の事の方が大切だったのだ。 
 このまま学院にいても再召喚も出来ないルイズは進級など出来る筈も無く、それ以前に、最悪の場合何処からか脱走したあの男との関係に気づかれる若しくはでっち上げられ、そこからルイズに追求と怨嗟の矛先が向かう可能性もあった。
 そこで、ルイズの身を懸念したコルベールの提案もあり、学院の現状を理由に、ルイズには一時的に自領に帰ってもらう事となったのである。

 ちなみに、ここにきて学院に来るときに大慌てで忘れていた『貴族のたしなみ』である従者を学院で引き抜こうとしたエレオノールであったが、それは結局諦める事となった。
 エレオノールが異様な怯えぶりを見せる学院の使用人のうち一人を無理に引き抜こうとする様を、シュヴルーズが見かねてオスマンまで引き出して止めたのだ。
 公爵家のゆかりの者の作法として、従者も連れていないのは大きな問題であったが、それ以上に今回の事件における異常と問題が大きいという事であり、学院側としては余計な問題が生まれる可能性を見過ごすわけにはいかなかったのだ。
 ちなみに今馬車を動かしているのは若い男は、その形をした魔法人形であり、これにおいてはエレオノールが学院に訪れた際にも使用していたものである。

 エレオノールは向かいで俯くルイズの表情を読み取ろうと目を細める。
 彼女の視線に気づき、少し顔を上げてルイズは、エレオノールの細められた目を恐れるかのようにさっきよりも深く頭を下げてしまった。
(睨まれていると思われたのかしらね)
 思えば、いつもルイズに対しては優しく接した試しが無い事を思い出しながらも、エレオノールはこれだけ自分が心配しているというのにかなり失礼な態度では無いかと憤りを抱く。
 だが、それでも今のルイズに対し、エレオノールは怒鳴る事はしなかった。
 それだけ、目の前の少女の今の姿は儚い。
 いつも、姉である自分を苦手にしていながらも、どれだけ母や自分から叱咤されながらも、常に向上心を見せ、努力を怠らなかった彼女が、今はふとした拍子に崩れてしまいそうだった。
 実の所、ルイズを自領に戻る馬車に乗せようとした所、行きたくないと駄々を捏ねたので一度怒鳴ったのだが、その時の言葉を振り返れば酷い言葉をぶつけたものだ。
「“ゼロ”のあなたがこれ以上この場にいても何の意味も無いわ!」
 その一言は、間違いなくルイズの心を大きく抉った。
 自分だって誇り高きヴァリエールの一員だから判らない筈は無い。実質、留年であり、停学ないし退学同然のこの判断は、傍から見れば逃げであり恥である。  
 だが、一年の間、結局は魔法を成功させる事が無かったルイズがこれ以上学院にいても得るものなど何も無いであろう。
 それはつまり、ルイズに無能の恥晒しだという事をハッキリと告げた事に他ならないのだ。





 四日前、悪魔の襲撃があったその日。
「――ズ!  ルイズ! おちびのルイズッ! 起きなさい!」 
「エレオノール姉さま……」
 エレオノールの必死の呼びかけに、意識を取り戻したルイズは、霞掛かった意識で姉の見せる珍しい表情に少々驚きの感情を抱いていたが、少しして周囲の有様に気づき、先程何があったのかを思い出す。
「あ、あの悪魔は!」
 緊迫した事態であった事を思い出し、ルイズは眠気を吹き飛ばすように跳ね起きる。
「片方は倒して、もう一匹はミスタ・コルベールが追いかけているわ」
 そんなルイズの様子に驚きながらもそれに応えるエレオノールの言葉と、視界の隅で建物の影に姿を消すコルベールを認識するのはほぼ同時だった。
「追いかけないと!」
「あ、コラ! 待ちなさい!」
 見失ってはいけないと、咄嗟に立ち上がり駆け出すルイズに、突然の行動に一瞬あっけにとられたものの、気を取り戻したエレオノールが後を追いかけた。

 ルイズ達の先を駆けるコルベールが蒼い悪魔を追った先は、例の男を閉じ込めている地下牢がある塔であった。
 確かあそこには自分が召還した平民がいた筈であり、もしや悪魔はそこで平民を襲っているのかもと、怖い想像をしたルイズは、後先も考えずに塔の中に入る。
 中に入ると、地下牢へと続く通路がある方から微かな声が聞こえてくる。
「――――――――がある」
 薄暗い通路に響く声はルイズの不安を煽るが、それでも彼女は声のする方向に進む。
「あの悪魔、いや、俺の持つ伝染病について、知ってもらわなければならない」
 そして、あの男の声がはっきりと聞こえる中、男のいる牢の前にさしかかった時、ルイズの目の前には奇妙にねじくれた鉄格子『だった』モノが石畳に転がっている事に気づく。
「まさかっ!?」
 この状況から、悪魔に襲われた男の末路を想像したルイズは慌てて牢の中を確認する。
 が、そこには、石で覆われた牢部屋の奥で何事も無かったかのように、床に座り壁に背を預ける男とその彼に杖を向けるコルベールの姿があった。
「こ、これは一体……」
 破壊された鉄格子と、その場に佇んだままの男、そして杖を向けるコルベールという、理解し難い組み合わせに思考がおいつかないルイズであったが、不意にかけられた声で思考を中断された。
「危険だ! 下がりなさい!」
 声の主はコルベール。足音で誰かが来たことを悟り、視線をこちらに向けることなく杖を男に向け続けながら叫んでいる。
 だが、ルイズには理解出来なかった。
 なにせ、杖を向けられているのは何も持たず座ったままの“只の平民”の男であり、トライアングルメイジのコルベールにとって脅威になるなどという発想が無いのだから。
「何を言っているのですか? その男は只の平民――」
「このまま放置したら、取り返しのつかない事になる」
 コルベールの“奇行”を非難するルイズであったが、それを遮ったのは男の言葉。
「ルイズ! 待ちなさいルイ――――えっ!?」
 そして、男は自分の右掌をコルベールとルイズ、今かけついたエレオノールら三人に見えるように掲げ――
「人間が、悪魔になる。俺の様に」
 ――男の掌に刻まれた円形の紋章が淡い光を漏らすと共に右手が変化した。
「あ、蒼い悪魔……」
 そう、先程戦っていた蒼い悪魔の右手に。





 魔法学院を出発してから二日。
 やっとヴァリエール領に入り、日が沈みかける頃、二人は一度馬車を降りて旅籠で休止する。
 そこに集まった領民達に早駆けの馬を伝令に出すよう指示をして、彼らによる持成しを受けながら、テーブルに座るルイズとエレオノールは無言であった。
 最初は何かと声をかけてきた領民達も、その雰囲気に押し黙る事になった。

 あまりに重い空気に、エレオノールは何とかしたいと思いながらも何も出来ずにいた。
 彼女には、気遣いの声のかけ方でさえ判らないからだ。
 空気の読めないというか読もうともしないとの定評であるヴァリエール家のエレオノールであるが、今のルイズの姿は、そんな彼女でさえ追い詰められている事が、自分が更に追い詰めてしまった事が一目で判る。
 だが、自分の感情を上手くコントロール出来ないエレオノールは、自分の不用意な言葉がどれだけルイズを追い詰めてしまうか怖くなっていた。
「そういえば、カトレアに会うのも久しぶりね」
 だから、自分のもう一人の妹であり、ルイズが慕う姉であるカトレアの名を口にした時、内心で彼女に縋ったエレオノールはそれっきり再び無言になる。
 あの心優しいカトレアならばなんとかしてくれるのではないかと淡い期待を持ちながら、同時に、自分の不甲斐無さに苛立ちを覚えながら。
 そのエレオノールの内心は、眉を顰める形で表に出てくる。
 だから、そのエレオノールの怖い表情に、ますます場の空気は沈み、ルイズも更に気を重くする。

 結局、エレオノールもルイズも、無言のまま再び馬車に乗り、夜が更けた頃に屋敷に着くまで一度も言葉を発する事は無かった。





「すぐに対処しなければいけない。怪我をした者、悪魔の血を浴びた者は危険だ」
 男の口から語られる事実は、とても信じがたいものであった。
 だが、目前で、人の姿から悪魔になる事を見せられた以上、全くの虚言と断じる事など既に出来なかった。
「ルイズ、部屋に戻っていなさい」
「……」
 その話を杖を向けたまま、黙って聞くコルベールの後ろに立っていたエレオノールは、男の話を耳に入れながら、隣にいるルイズに命令する。
「その者達も悪魔になり、人を襲う可能性があるからだ」
 男はそんな二人の遣り取りを全く気にしていないように語り続け、コルベールも動かず話を聞いている。
 そして、エレオノールに帰るように言われたルイズであったが、彼女も微動だにしない。
「言う事が聞けないの? おチビ」
「……これは、これは私が呼び出した使い魔です! 私には、ここにいる責任があります!」
 そんな二人に、とてつもなく鋭い視線が刺さる。
 男と向き合い、ルイズとエレオノールに背を向けていたコルベールが、背中から肩越しに二人を睨んだのだ。
「静かにしてください」
 そんなコルベールの公爵家の者に対する態度では無い振る舞いに、エレオノールが激興して眉を顰める。
 だが、それもお構いなしに、男は言葉を続ける。 
「あと、原型を留めた死体も悪魔となって目覚めるかもしれない」
 今は非常事態なのだ。
 優先されるのは状況への対処であり、その対処への指針となる男の言葉に耳を傾け、迅速に行動しなければいけない。 
「……」
 だから、エレオノールは、言う事を聞かずにここに居続けるルイズと、無礼なコルベールにも怒鳴る事無く口を閉じたままであった。
「となれば、すぐさま怪我人や血を浴びた者達の隔離と、遺体の処理をしなければ!」
 すぐさま行動しようと牢部屋から出て行こうとするコルベールであったが、男の言葉は更に続く。
「只、悪魔になってしまった者の中には人の心を保てる者もいる」
「……なんと」
 その言葉に、コルベールは思わず足を止める。
「だが、常に悪魔の力がその者達をも殺戮に駆り立てさせる」
 振り返れるコルベールが見たのは、相も変らぬ、男の静かな瞳。
「憎しみ、殺意、破壊衝動、そういった負の感情を増幅させる。先程俺が倒したあの男も『貴族』を強く憎んでいた」
 その言葉は、貴族という存在を悪と指摘するかのように受け取られても仕方ないものであった。
「貴族を憎んでいたですと? それではあの悪魔は!」
「そうだ。彼も元は人間だ」
 コルベールの予測を淡々と肯定する男の言葉に、大きな反発の声が上がる。
「平民の分際で貴族に不満を持つですって!?」
 端整な目を憤怒の表情に歪ませヒステリックな叫びを上げるエレオノールにとって、それはあってはならない不遜であり忌まわしき『悪』であった。
 そのエレオノールの激情ぶりは、隣で彼女と同じように男の言葉に反発を覚えていたルイズが恐怖で竦むほどであった。
 実際、彼女を知る他の者や、平民達がその顔を見たならば、間違いなく恐怖に捕らわれるであろう。
 力の有るメイジを怒らせるとは、このハルケギニアの民にとってはそれだけの意味があるのだ。
「俺は、この地での貴族と平民の関係は詳しくは知らない。だが、少なくともその男は貴族に対して不満を持っていた事だけは確かだ」
 しかし、恐怖の象徴と化したエレオノールに対する男の表情は、まるで意に介さないかのように変化を見せる事無く言葉を紡ぎ続ける。
「それなら教えてあげるわ。魔法の使えない平民は魔法を使える貴族に服従するものなの。それがここでの常識よ!」
 傍から聞けば貴族という存在の傲慢さを顕著に表すエレオノールの言葉ではあるが、少なくともトリステインではそれが大体での一般常識であり、共通認識であった。
「だから平民は貴族がどのように振舞おうとも不満を抱く事でさえ許されない。そう言う事なのか?」
 だが、更に男は淡々とした口調を崩さずにエレオノールという火に油を注ぐ。
「それは違う!」
 憤怒に駆られ、思わず手に持った杖を振るおうとするエレオノールを静止したのはコルベールの反論であった。
「貴族には、始祖より承った魔法の力を以ってこの国の繁栄に尽くす責務がある! そして、国を、民を護る事は貴族たる者の務めですぞ!」
 本来、貴族の条件は一つだけ。
 国を、民を、命がけで守る、それだけであった。
 かつての王は命がけで守る者の功績を称え、領地を分け与え、民もその誇り高き姿に敬意を示し敬った。
 だが、そんな単純な話ですら、六千年という時間はハルケギニアの、特にトリステインの大半の人間に忘れ去られていたものであった。
「そうか。ならば……」
 口から出る言葉は、瞳の奥の色は、込められた想いは、あまりに“優し過ぎる”ものであった。
「もしも、心を保っていられる者がいるなら、どうか彼らを支えてやってくれないか?」
 それが人の心を保つ方法であると、男の話はそこで止まる。
「約束は出来兼ねます」
 少し、目を閉じて思案するコルベールが、ゆっくりと目を開けて漏らしたのは否定的な言葉。
 男の目が初めて微かに細められる、表情の変化を見せる。
 対するコルベールは静かに理由を述べる。
「もし、仮に心を失わずに悪魔になった者が、彼の言う殺戮衝動に負け、その牙を周囲に向ければ、被害が広がり、それこそ取り返しのつかない事になりかねません」
 彼の言う事は正しい。エレオノールも、男も静かに彼の言葉に耳を傾ける。
「善処はしてみます。ですが、私にはまず、貴族として、この学院の教師として、皆の安全を守る責務があります」
 コルベールの返答を受けた男の表情は相も変らぬ無愛想ぶりであったが、それでも真っ直ぐに彼を見据えていた。
「……ありがとう」
 その男から洩れたのは飾り無い短い感謝の言葉。
 故にこの場に居た貴族達にとって不可解に過ぎる言葉であった。





「話は伝書で受けています。ルイズ、使い魔に逃げられたそうですね」
 食堂でルイズとエレオノールを出迎えた母、カリーヌが口にしたのは、短いながらもルイズへの非難の篭った言葉であった。
 使い魔に逃げられるメイジなど、無能以外の何物でも無い、と。
 その厳しい視線に射竦められるルイズは、黙って俯く事しか出来ない。
「母さま! 相手は学院中のメイジが束になっても敵わない悪魔なのですよ! ルイズにはどうしようもなかったのです!」
 だが、そのルイズを擁護したのはエレオノールであった。
 珍しい事もあると、微かに眉を寄せる
「口答えは許しません、エレオノール」
「ですがっ!」
 厳格な母を苦手とするのはルイズだけでなくエレオノールも含まれる。
 いくら激しやすいとはいえ、そんな彼女がこうも反発する事は本当に珍しい事であり、その剣幕にカリーヌは更に眉を顰める。
「とにかく、結局は魔法学院にいた一年の間でもやはり魔法も使えず、それどころか使い魔までいないとなると、学院に居る意味など無いでしょう」
「……」
 その言葉に、エレオノールは押し黙る。結局は、彼女も同じ事を思っているからだ。
「明日、お父さまが戻ります。それからこの話の続きをしましょう」
 そこで話は打ち切りと言わんばかりに、誰も声を出すことなく、少しの間少し冷めた料理を口に運ぶカリーヌとエレオノール。
 そして、この重苦しい空気に耐え切れなくなったルイズは、フォークを手にする事すら無く、無言のまま席を立つと早足でその場を逃げ出した。
「ルイズ!」
「放っておきなさい」
 そんなルイズの態度に流石に憤慨したエレオノールが思わず叫ぶが、それを今度はカリーヌが止める。
 それはカリーヌなりのルイズへの気遣い方であったが、エレオノールはそれに気づいているのか気づいていないのか、声を荒げたままカリーヌに言う。
「母様、今回の事はルイズにとってあまりにも辛い事だったという事は、事前に伝書で説明している筈です!」
「判っています」
「では何故!」
「……私達は貴族です。常に己を厳しく律しなければなりません」
 不器用なのは、ルイズにエレオノールだけではない。
 子も子なら親も親、カリーヌもまた旧い貴族の価値観に捕らわれるあまり、それ以外の事が出来ない人種であった。
 互いを睨むようにして顔を向きあっていたエレオノールとカリーヌだったが、先に口を開いたのはエレオノールであった。 
「ところで母さま、カトレアは?」
 そう、ルイズが懐く、もう一人の妹の姿がここにいない事を今更に尋ねる。
 エレオノールがバツの悪い表情をするのは、ルイズの事を癒せるであろう人物を常に念頭に置きながらも、聞き出すタイミングを逃していたからだ。
「少し遠出をしています。ですが、もうそろそろ戻って来る筈です」
 そう返答するカリーヌもエレオノールと似た表情をしていた。
 だが、それも少しだけで、カリーヌは珍しく柔らかい表情を浮かべてこう言った。
「カトレアの事を聞けば、ルイズもさぞ喜ぶでしょう」
「え?」
「カトレアの体が治ったのですよ」





 事件から三日後、ようやく隔離状態が解除された事で部屋の外に出る事が出来たルイズは、何を思ったのか、地下牢に足を運んでいた。
「――ルイズか」
 特別に強固な固定化の魔法をかけられた新しい鉄格子の向こうでいつもの様に壁に背もたれて座っている男は、静かに顔を上げて面会者の名を口にする。
「ご主人様と呼びなさい。いくら契約を済ませていないとはいえ、私が呼び出した以上は私の使い魔なんだから!」
 先日のコルベールの言葉は、彼女が慕うもう一人の姉のカトレアがかつて魔法の使えないルイズを勇気付けるために諭した事であり、その言葉をいつしか忘れてしまっていたルイズ。
 魔法も使えず、貴族として最も大切な心構えをも失っていたルイズが最後に縋ったのは、“使い魔”というメイジとしての証明であった。
 自分の今の態度も既に『最も大切な心構え』から程遠いものだと、気付かずに。
「君の事はコルベールからいくらか聞いた。……済まない」
 だが、男の返答は、謝罪。
 しかし、その謝罪が何を指しているのかはルイズには判らず、ましてやルイズの要望にまるで沿うものではない。 
「そう思うのなら、少しは私の為に――」
 だからルイズはこの男に主人として命令しようとして、ふと考えた。
 自分はこの悪魔に何を命じようとしていたのか?
 忠誠? 力? 守護?
 それとも契約をするにはあまりに問題のある彼の死?
 ルイズ自身解らなかったが、実の所何でも良かった。
 只、目の前の“人の姿をした悪魔”が自分の使い魔である事を証明して欲しいだけだった。
「……俺はここで死ぬわけにも、ここに居続けるわけにもいかない」
 だが、男はルイズが何かの命令を口に出すか出さないかのうちに立ち上がり、ルイズの方へと歩み寄ってくる。
「ヒッ!?」
 固定化の魔法で強化した筈の鉄格子を、思わず後ずさったルイズの目の前で掴み、以前と同じように役に立たない捻れた鉄の棒へと変えて石畳に転がした。
 そして、牢の意味を成さなくなった部屋から踏み出した男に、ルイズは震える声で叫ぶ。 
「わ、私は逃げたりはしない! 悪魔に屈したりはしないわ!」
 その震えは悪魔に向けられたルイズのタクト状の杖にまで伝わり、とても照準など定まらない有様だ。
 それでも、ルイズは健気なまでに、男を睨みつけ、仁王立ちする。
 自分がメイジであり貴族である証明を、逃がしてなるものかと。
 逃がしてしまえば、もう何も残らないと、目の前の悪魔への恐怖以上に、自身の価値を失う事に怯えながら。
 この場において、“爆発する失敗魔法”を使う選択肢などルイズの脳裏には無かった。
 ルイズの価値観の中、ひいてはハルケギニアの一般的な価値観の上ではあくまで“魔法の失敗で爆発する”という概念でしかなく、それは魔法が使えない事と同義であり、自身の無能の象徴でしか無かったからだ。
 だからこそ、あの時、“爆発する失敗魔法”で二体の悪魔を攻撃したにもかかわらず浮かない顔をしたのは、結局自分がこの期に及んでも“魔法を失敗する”という認識しかなかったからだ。
 それに拍車をかけたのが、結局あれだけ爆発を受けたのに、まるで効いていないかのように戦闘を続けた二体の悪魔の存在も大きいの。
 だが、それでもあの状況を変化させるだけの力を持っていた事も揺るがない事実である筈なのだが、物事が見えないルイズにはそれを認識する事も理解する事も出来る事は無かった。
 男が一歩、一歩近づくにつれ、ルイズは緊張で鼓動が大きくなる。
 今は人の姿だが、目の前の男は、数多くのメイジを殺戮した悪魔をも倒す悪魔であり、魔法の使えないメイジのなりそこないのルイズなど、簡単に殺せるのだ。
 ――殺される。
 自分の前にまで歩み寄る男の姿に、いや、男の紅い瞳に映る自身の姿に、自分の死を連想したルイズは思わず目を瞑る。
 だが、自ら視界を闇に静めたルイズの耳に届くのは、自分の横を通り過ぎ、背中ごしで遠のく足音だけであった。
 ルイズが目を開けて振り向くと、既に男は通路の端にまで進んでいた。
「済まない」
 男は背中ごしに振り向きもせずにそれだけを言うと、右手から淡い光が洩らし、蒼い悪魔の姿へと一瞬で変貌する。
 それも一瞬、蒼い悪魔は文字通り目にも留まらぬ速さでその場から姿を消した。


 それが、ルイズが最後に聞いた男の言葉であり、最後に見た男の姿だった。





 二つの月に照らされた中庭の池に浮かぶ小船の上、そこにルイズは毛布にくるまって一人泣いていた。
 ルイズは幼い頃から、嫌な事あると決まってこの『秘密の場所』に逃げ込んで時を過ごしていた。
 皆から忘れ去られた寂しい場所は、かつては彼女の心を癒す場所だった。
 だが、今は、つきつけられた多くの過酷な現実が、夜の静寂のと寒空の中、鋭利な刃物の如く、彼女の心に突き刺さる。
(もう嫌……)
 民を守り国に尽くす『貴族』のあるべき姿などそこには欠片ほども無く、そこにいるのは只の哀れな少女であった。
(結局、私は魔法を成功させえる事も出来ない)
 悪魔と対峙した時も、結局はまともに魔法を使えないばかりか、唯一起こる爆発という現象も何の役にも立たなかった。
(自分の意地に固執していただけで誰かの為にだなんて考えなかった)
 あの時のコルベールの叫びは、それだけルイズのあり方の根底を揺らしていた。
(それだけじゃなく、悪魔を呼び出して、国を混乱に陥れ)
 そればかりか、国に民に、悪魔という混乱と危機を自分は齎したのだ。
(最後には使い魔にも逃げられて……)
 それどころか、その悪魔を使い魔として認め、また悪魔から主と認められる事で、己が貴族である事をメイジである事を証明しようとして、結局はそれも適わなかった。
 あの時にあの男の元を訪れたのは、己が貴族であるとの証明が欲した、最後の足掻きでしか無い事を思い知らされた。
 最後に残った筈のそれさえも、結局は、只の驕りと我侭を突きつけられる結果だけがルイズに残されたのだ。
(私は、何なの? やっぱり、私はゼロなの?)
 貴族の象徴である魔法も無く、常にそうであろうとした誇りも、最後には使い魔でさえも、自分が貴族だと胸を張れるものなど何処にも無かった。
 己に有ったのは大貴族の娘という看板と、誇りとは名ばかりの傲慢だけ。
「もう、嫌だ……」
 目から溢れた涙が頬を伝う。
 ルイズの嗚咽は、夜風にかき消される程にあまりに小さい。
 ともすれば、このままルイズの身体まで夜風に掻き消えそうな程に儚い世界。
「泣いているのかい? ルイズ」
 だが、夜風を切り裂くように優しい男の声がルイズに届いた。
 その声に気付いたルイズは顔を上げて、声のした方を向く。
 羽帽子の下、鷹の様に鋭い瞳が、ルイズを見つめていた。
「……誰?」
 精悍な顔立ちに形のよい口髭の男が、ルイズに親しく微笑みかける。
 その男は、湖面の上すれすれを浮いており、まるで湖面の上に立っているかの様だった。
 メイジにとってこの程度の芸当は誰でも出来るが、彼のそぶりは、何処となく優雅さを漂わせていた。
「もしかして……ワルドさま?」
「そうだよ、久しぶりだね、ルイズ。僕のルイズ」
 男は、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵。魔法衛士隊グリフォン隊隊長にしてルイズの婚約者の男であった。
 その彼は、湖面を軽く跳ねるように跳躍したかと思うと、軽やかにルイズの乗る小船の隅に立った。
「また怒られたんだね? 安心しなさい。ぼくから家族にとりなしてあげよう」
 憧れの子爵は、幼い頃の記憶と寸分違わず、優しい声で語りかけルイズに手を差し伸べる。
「さぁミ・レィディ。手を貸してあげよう」
 今でも見るあの優しい夢の続きに、ルイズは縋るような目で手を伸ばした。
 絵本の中のお姫様と王子の様に、ルイズの細くしなやかな手が、ワルドの力強い手に触れようとして――


「子爵。ルイズから離れて下さい」


 ――それはありえない声。
「これは、これは、ミス・フォンティーヌ」
 ワルドはルイズに差し向けていた手を引き、芝居がかったしぐさで声の方を向く。
「ちぃ姉さま!?」
 ルイズは只々驚いていた。
 聞き間違えるはずが無い。
 この声はカトレア、自分のもう一人の姉、そして自分の味方でいてくれる優しい人。
 だが、カトレアは、こんなに力強い、いや、ここまで重く威圧的な声を出すような人物であっただろうか?
 そもそも、何故そんな声をワルドに対して向けたのだ?
「まさか、貴方も“聖別”されていたとは」
「……ワルド様?」
 ワルドの視線は、池の外の向こうの闇夜、ルイズには人影らしきモノが全く見えない場所を向いており、その顔は忌々しげに眉が寄っているにも関わらず、何処か愉快げに口元がつりあがっていた。
 口元を笑みで歪めるワルドの表情は、ルイズがこれまで見たことも無い、想像だにした事も無い獰猛さを醸し出していた。
「“聖別”!? “聖別”ですって? これは、こんな力は……」
「……ちぃ姉さま?」
 対するカトレアの声は、ワルドが睨む闇の向こう、それこそ距離があるというのにはっきりとその声が響く。
 病弱な筈のカトレアが、こんな大声を出せるなど、いや、魔法で声を少しは遠くに飛ばす事も出来るのだろうが、それでもカトレアの身体を蝕む筈だ。
 だが、今この瞬間もカトレアの声にその危うさは一片たりとも含まれて居ない。
 病が治ったのだろうか? だとしたら喜ばしい事だ。
「ちぃ姉さま? どうしたのですか!?」
 しかし、ルイズは何か嫌な予感に捕らわれ、それを内心で拒むためにもう一度姉に、不安を隠せず上ずった声で呼びかける。
「……これは悪魔の力だわ」
 だが、カトレアはルイズの言葉に乗せるように、信じられない程に呪わしく絶望的な言葉を口にした。




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