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ゼロの魔王伝-15


ゼロの魔王伝――15


「おそーーい! もう、何時間待たせるつもり?」

 普段は自分が待たせる側であるキュルケは、不満も露わにようやく待ち合わせ場所に姿を見せたDとルイズに、大きな声で問い詰めた。
 Dはそよ風に吹かれているとでも言う様な、まるで意に介していない様子――要するにいつも通りと言う事だ。
 デルフリンガーとご長寿セットをまとめて左手に持ったDと、ビニールパックに血で濡れた制服をしまったルイズは、荷物をどっさりと抱えたタバサとキュルケの元へと悠々と歩いて行った。
 ちなみに、Dが左手に持っている『ご長寿セット』は、ドクター・メフィストが贔屓にしている西新宿にある『秋せんべい店』の三代目の店主が売り始めた品をアイディア基としている。
 本来、魔界都市<新宿>にある本院ならば販売はしていないのだが、ハルケギニアに開いた分院では、院内の売店や献血などのお礼の粗品として配られている。
 院長であるメフィスト手ずから焼いたとも、メフィストがどこからか招いた職人――あるいは生み出した人造生命体――が、手作りしていると、病院関係者ではもっぱらの噂だ。
 ご長寿セットの内訳は、噛んだ歯の方が欠けそうな位に大粒の砂糖が、びっしりと白く化粧を施した様にまぶされたざらめ。
 新潟県魚沼産コシヒカリと秋せんべい店秘伝の醤油の成分を、余す事無く再現したタレで焼いた厚焼き。
 いつまでも焼きたてのぱりぱりとした触感を保ち、磯の匂いがかすかに香る海苔が巻かれた海苔巻。
 計三種それぞれ四枚ずつの十二枚セットとなる。他にも抹茶せんべいや、げんこつせんべい、塩せんべい、ぬれせんべいなどなどバリエーションは豊富だ。
 これらの内、ティファニアがDに渡したのは、当たり外れの無い最もスタンダードな組み合わせと言えよう。
 これらのバリエーションの豊富さが院長の趣味なのか、秋せんべい店でも同じものが売られているからなのかは目下不明だ。
 まあ、せんべいとしては普通だし、味も評判がよいので文句が出た事はない。
 長さ一・五メイルはある長い包みを抱えたキュルケや、足元に大量の書物を置いたタバサが、ようやく姿を見せた桃色ブロンドと旅人帽の主従に抗議の視線を向けるが、黒づくめの青年の美貌に焦点を結ぶや、たちまち頬が落ちてしまいそうなほど蕩け掛ける。
 ここら辺は、もう一つの自然現象、大宇宙の鉄の掟に等しい物理法則なのだと諦めた方が手っ取り早い。抗う気力を振るい起こすのもいちいち面倒なのだ。
 その威力がどれほどのものか、ルイズ達がトリスタニアの城下町に到着した時に、Dの姿を一目見て、魂を口から放出させていた人々の大多数は、数時間を経過した今も膝や尻餅をつき、頬をうっすらと桜色に染めて幸せそうに蕩けているではないか。
 いくら慣れたとはいえ、正気を維持して行動しているルイズやタバサ、キュルケの精神力は大したものといえた。
 その精神力をフルに活用して、Dの美貌から視線を引き剥がしたキュルケは、どことなく元気の無い様子のルイズに気づき、何か失敗したのかしら? と疑惑を胸に抱いた。
 せっかくDと二人きりにしてあげたのに、不甲斐ないわねぇ、と思うのが半分、いつもの様子との違いに、何かあったのかしら? とやや不安になるのが残りもう半分。
 良くも悪くもキュルケは、ルイズの理解者と言えるだろう。なにしろ雰囲気と顔色から大体の感情や機嫌の良し悪しは察せるのだ。
本人は腐れ縁だのなんだのと否定するだろうけれど。

「あら、ルイズ、元気ないのね。そんなんじゃあ、ただでさえまっ平らな草原を描いている貴女の胸が、そのうち萎んで抉れてしまうわよ」

自分の言葉に対して烈火のごとく怒り、髪を逆立てて反論してくると予想したキュルケに返ってきたのは、どこか憮然としただけのルイズの声だった。

「そんなわけないでしょ」
「……ルイズはなにか悪いものでも食べた?」

 大好物と思って口に運んだ料理が、泥団子だと食べてから気付いた様な声で、キュルケが事情を知っていそうなDに水を向けた。
 どんな歳月の過ごし方をしても、変わらず厳然と聳え続ける鉄扉の様に固い口元が開いた。言葉は短い。

「飲みはしたな」
「衝撃的な体験をしたという奴じゃ」
「なにそれ? そういえばルイズ、貴女その服はどうしたの? それに手に持っているのは……」

 目敏くルイズが両手で抱き締める様にして抱えているビニールパックの透明な生地越しに、血に濡れた制服の一部が見えたキュルケは、ルイズの様子の変化とDと二人きりだったという状況、さらに遅れてやってきたという事を極めてあらぬ方向で曲解した。
 キュルケはどこか感動したように、あるいはよくもまあ、Dを相手に、この青年をその気にさせるなんて! と奇跡を目の当たりにしたように瞳を震わせていた。
 キュルケの隣のタバサは、この親友の反応に思い当たる節が無く、初めてみる様子に少しだけ興味深そうな眼を向けていた。

「ルイズ、まさか貴女がそんな事をするなんて。いいえ、むしろ凄いと思うわ。正直な私の感想よ。痛かったでしょう? ミスタ・Dは優しくしてくださった? よく頑張ったわ。けれど学院に戻っても誰にも言ってはダメよ。
 貴女とミスタ・Dがそういう関係になってそういう事をするのが何の不思議もないからと言って、自慢げに吹聴すると貴女の身に危険が及ぶわ。これまでの嫉妬が千倍、憎悪は万倍になるわよ」

 なにやら、ルイズの事を心から心配してはいるらしいのだが、妙に熱のこもったキュルケの言葉に、流石にルイズやタバサも噛み合っていないというか、互いの間に例え難い温度の違いがある事に気づいた。
 こっちこそ、なにか悪いものでも食べたんでしょう、と言いたいのを堪えて、ルイズが典雅な形の眉を寄せて質問した。
 Dと私の関係? 何を言っているのかしら、このツェルプストーは?

「なんの話よ?」
「もう、照れているのね、ルイズ! 恥ずかしがるのも無理はないけれど、大丈夫、私が今後いろいろとアドバイスしてあげるわよ! いやぁね、なんだか自分の事みたいに嬉しいだなんて」
「だから、なんの話をしているのよ。さっぱりわからないんだけど?」
「もう、私の口から言わせるつもり? いいわ、ならはっきりと言ってあげる。ルイズ、貴女、大人になったのでしょう? 殿方の事を体でよく知ったのでしょう? しかも初めてなのに『飲む』なんて」
「……………………ハイ?」

 ぶふぉ、と吹き出す声がした。Dの左腰の辺りに垂らされたその左手からだった。Dの隣に居るルイズには、必死に笑いを堪える皺まみれの老人の姿が容易に想像できた。
 キュルケが何を言っているのかまだよく分かっていないルイズは、ふと、Dの顔を見上げた。
 大体三十サント位背丈に差があるから、すぐ隣でDの顔を見上げるのは首が疲れる。疲れの代わりに目に映す事が出来るモノを考えれば、苦にはならないのがせめてもの救いだろう。
 ルイズは心中でキュルケの発言が反芻した。

 『大人になったのでしょう?』『殿方の事を体でよく知ったのでしょう?』

 そう言いだす前にキュルケが見たのは何だったろうか。メフィスト病院で手伝いを行っていた時に、血で汚れた制服だったはずだ。

 制服、制服……『血』で汚れた?
 キュルケは言った。『痛かったでしょう?』と。
 痛かった? 大丈夫だった? Dは優しくしてくれた? 『してくれた』?? なにを? いや、ナニを? ナニ? ナニって、ナニで、ナニの事なの、かし、ら……って、それって、ひょっとしてひょっとすると。

 Dの横顔を見つめていたルイズの頬にたちまち朱が昇った。白百合が唐突に自分は本当は薔薇の花だと思いだしたような色の変化だった。
ルイズの体温が一気に三度は上昇し、心臓の鼓動は数割増しで激しくなる。

「きゅ、きゅる、きゅるきゅるキュルケ!? な、あああ、あんた、なに、ナニ、を考えているのよ!!!」

 あまりに破廉恥で、あまりに魅惑的で、あまりにも甘美な誤解を炸裂させているキュルケを怒鳴りつけようとして、ルイズは、タバサの使い魔の鳴き声みたいにキュルケの名前を呼んでしまった。
 かなり動揺している。
 すっかり赤一色になった顔色は、そのうち髪の毛まで同じ色に染まるのではないかと思うほど鮮やかだった。湯気が立ち上っていないのが不思議なほどである。
 キュルケは、Dを一瞥してからポッと頬を染めて顔を逸らした。キュルケらしいようならしくないような勘違いに、タバサもようやく気付いたのか、霊峰に降り積もった白雪の様な頬を林檎色にして、俯いた。
 普段、無表情、無感情で通しているタバサにしては珍しいはっきりとした感情の表れ方であったが、まあ、事態が事態だ。止むをえまい。

「ナニって、意地悪なルイズ。それを、こんな往来で私の口に上らせるつもりなの?」

 かは、とルイズは肺に残っていた空気を吐き出した。脳が沸騰する様な興奮と混乱の極みに達した所為で、呼吸さえも碌にできない。
 そんな主人と友人達の喜劇をどう思っているのか、Dは変わらず無言である。どうでもいいにも程があるのだろう。
 その左手の掌の奥に引っ込んだ老人と、鞘に収められた所為で喋れないデルフリンガーは、少女達の誤解劇を大いに楽しんでいるらしく、Dの左手は小刻みに揺れ、デルフリンガーも鞘と鍔がかちゃかちゃと音を立てて震えていた。
 人間だったら腹筋がよじれるような大爆笑を必死の思いで堪えているに違いない。
 そんな使い魔と寄生生物とインテリジェンスソードの様子に気づく余裕の無いルイズは、最近やたらと豊かになってきた想像力と妄想力を、幸か不幸か発揮していた。
 キュルケはこうも言っていなかったか。

 『初めてなのに“飲む”なんて』

 そしてその前にDはこう言っていなかったか。

 『飲みはしたな』

 これまでの流れからいって、キュルケはDの言葉からルイズが飲んだと誤解したのだろう。何を飲んだと思ったのかは語るまい。
 が、ルイズにはキュルケの脳内でどのような連鎖反応が生じ、いかなる答えを導き出したかを理解した。
 愛娘の成長を喜び、慈しみに満ちた目で見守る母の様な顔をしたキュルケ。こんな時でさえ無かったら、彼女がこんな顔をするなんて、とルイズは驚くだけで済んだだろう。
 だが、今は。
 キュルケが優しく囁く。

「寝具は確かに要らなかったわね。二人で同じベッドに入ればいいんですもの。そして毎夜熱い夜を過ごすのね、ルイズ」

 本当にキュルケに悪意はないらしく、あくまで宿敵たるラ・ヴァリエール家の息女であるルイズを祝福している様子だ。
 自分自身の妄想とキュルケの言葉の数々に、まるで石像の様に固まって思考停止しているルイズに、キュルケがとどめの一言を放った。

「ちなみに、何回したの?」

 これが引き金になった。ずわ、と肌を撫でる気配に、Dが傍らのルイズを見た。この青年に注意を向けさせるほどの、半ば物体化したルイズの気配であった。
 ルイズの口元には、あの、キュルケとタバサを恐怖で震わせた笑みが浮かんでいた。
 聖母の仮面を被った悪魔の笑み。小柄な体からは全てを凍りつかせる冷気と、触れるもの全てを灰にする灼熱の殺気とが矛盾しながらも溢れだす。
 それでもルイズの頬は紅に染まっていた。妄想の余韻だろう。音も無く腰のベルトに挟んでいた愛用の杖を手に持ち、その先をキュルケへ。
一連の動作は淀みない川の流れの様に流麗でさえあった。
 Dとルイズがニャンニャンしている姿を妄想し、身をくねらせて照れているキュルケは、ルイズの変貌に気が付かなかったが、傍らのタバサは今一度目の前に出現した魔王に気づき、とっさに退避しようと反射レベルで動いて見せた。
 しかし、恥ずかしいやら嬉しいやらでまともな思考を失った魔王ルイズの反応は、タバサの回避行動の数段先を行く速さだった。

「き、記憶を失ええええええええーーーーーーーーーー!!!!!!!!」

 城下町への出入りを検閲する門に、直径数メートルの光球が突如産まれ、世界を苛烈な白い光で飲み込み、鼓膜を突き破る轟音が響き渡ったのは、ルイズの絶叫の直後であった。

「巻き添え」

 悟ったようなタバサの諦めの言葉も、ルイズの起こした爆発の轟音と爆煙と光の中に飲み込まれて呆気なく消えた。


 ふっくらほっぺをぷりぷりと膨らませて、拗ねた様子のルイズは乗り込んだシルフィードの青い鱗をぐりぐりとやや力強く撫でていた。きゅい~、と時折迷惑そうにシルフィードが鳴くが、それを無視して、ぐりぐり、ぐりぐり。
 ルイズの渾身の爆発で半径三メートルのクレーターを作り出し、その痛みと衝撃の二重奏でキュルケを正気に戻した帰り道の途上である。
 巻き添えを食らい、髪の毛があちらこちらに跳ねて制服の裾を焦がしたタバサが気絶から目を覚まし、上空に向けて指笛を鳴らし、空で待機していたシルフィードを呼び、今は幼い風竜に乗っている。
 タバサ同様に目を覚ましたキュルケが、自分のしでかした盛大な誤解に気づき、一応ルイズに謝罪するように口を開いた。

「もう、ルイズ、いつまでも拗ねないでよ。ちょっとしたすれ違いでしょ? そんなに気にしなくてもいいじゃない」

 ばりばり、ぱりぱり。

「うっさい」

 ごりごり、ぽりぽり。

「まったく、頑固なんだからラ・ヴァリエールの所の人達って。もー、私が悪かったわよ。これからはあんな風に貴女と貴方の使い魔さんの関係を勘違いする様な事も言わないし、勘ぐるような真似もしないわ。だから機嫌を直しなさいな」
「あのね、本当に謝るつもりがあるなら、せめてその食べる口と手を止めなさいよ。なによ、さっきからばりばり、ばりばり、私が貰ったものよ。勝手に食べるんじゃないわよ!」

 と振り返ったルイズの眼には、二枚目の海苔巻をかじっているキュルケの姿があった。
 シルフィードの首のやや前の方に座ったタバサを先頭に、D、ルイズ、キュルケの順で座っている。
 歯を剥いて威嚇するルイズを、きょとんとした顔で見つめてから、キュルケは軽い調子で言い返した。

「美味しいわよ、このオセンベイ。ここらへんじゃ慣れない味だけど、歯応えもあって食べがいがあるわね。貴女も食べたら?」
「ツェルプルストーに食べさせるぐらいなら全部私が食べるわ!」

 といって、Dからご長寿セットの袋を受け取り、適当に中にあった砂糖の粒がきらびやかなざらめを一枚掴み、初めて口にする食べ物に対して一瞬躊躇する素振りを見せたが、そこはルイズ、ままよ、と目を瞑って思い切り齧りついた。

「ふう~、う~、か、固い」

 咬筋力の弱いルイズでは、厚みがあり砂糖の粒もびっしりとしたざらめを一撃で噛み砕くのは難しかったようだ。この調子では他の海苔巻や厚焼きも簡単に食べられそうにはない。

「胸だけじゃなくて体全体が貧弱なのね、ルイズ。タバサなんて貴女より小さいのにしっかりと食べているわよ」
「珍しい味。でも美味」

 とタバサ。くるりとルイズを振り返り、小さく割った厚焼きを口に運び、ぼりぼりと盛大な音を立て、頬を膨らましながら食べている。
 まだ付き合いが短くていまいちタバサとの接し方が分からないルイズは、シルフィードに乗せてもらっているという事もあってか、キュルケの時と違い文句は言わなかった。
 悪戦苦闘する事、数えて五齧り目、ようやくぱき、と音を立ててざらめを割る事に成功したルイズは、口の中に広がる醤油の辛さと次いで溶けてゆく砂糖の甘味に、ちょっと驚いたように眼を開いた。

「…………」

 ぼりぼり、ごりごりと口の中でざらめを砕く音が木霊する。ルイズがこれまで食べた事が無い不思議な甘辛さと、固い触感だ。
 クックベリーパイが大好物のルイズとしては、この固さは極めて異質的だったが、この“ぼりぼり”という音と歯応えも、このオセンベイのおいしさの一つなのではないだろうか、とそんな風に思う。
 更に十数秒苦戦を続け、ようやく飲み下したルイズはこう言った。米を焼いた独特の香ばしさは初めての味だったけれど、美味しいと思えた。とはいえ素直に口には出なかった。
 この辺がルイズがルイズたる由縁だろう。

「まあ、クックベリーパイほどじゃあないけどなかなか食べられる味ね。でも紅茶にはちょっと合いそうにはないかしら」
「あなたの言う通りかしら? これだけを食べるのは少し辛いかも。なにか飲みたくはなるわね」

 指についた海苔の切れ端を、ひどく艶めかしい動作でキュルケが舐め取りながらルイズに同意した。ちろちろと小さく燃える火の様な色をしたキュルケの舌が、ぬめぬめと濡れたまま褐色の指を這う仕草は、眺める者に生唾を飲み込ませる艶があった。
 それからしばらく、四人の間では会話もなくせんべいを齧る音が続いた。
 ルイズがようやくざらめとの戦いを終えて、胃の中に米と砂糖と醤油の申し子を下した時、不意に風を受けて黒髪をなびかせるDの背中を見た。
 どこまでも広く、どこかさびしげな背中だった。人は孤高と言うかもしれない。孤独と評するかもしれない。
 何よりも美しく、故に誰からも遠い、壮絶な独りぼっち。そんな背中だった。
 ルイズはなぜだかそれがとても悲しい事のように思えた。
 気づけば口が動いていた。目の前の黒尽くめの青年の事をわずかでも知る事で、せめてその孤独を和らげる事が出来たなら、その孤独を少しでも分かち合う事が出来たならと、そう思ったのかどうか、後になって思い返してもルイズには分からなかった。

「ねえ、D」

 ちら、とDがルイズを振り返った。返事はしなくとも振り返るだけ以前よりもルイズに対して反応しているといえた。常なら無言を維持したまま背を向けっぱなしのままにしている所だ。

「貴方は、どこから来たの? そして、どこへ行くの?」
「どこへ、か。どこへ行くのか、おれにもわからん」

 わずかにDの口調に翳の様なものが差していた。Dは苦笑したかったのかもしれない。ルイズの問いに答えられない自分にか、それともかつてルイズではない誰かに同じ様な事を聞かれたのを思い出したからか。

「だが、どこから来たか、なら分かる。君達は知らんだろうが、『辺境』というところからな」
「辺境? 地名じゃないじゃない」

 これはルイズだ。それもそうだろう。Dが言葉を続けた。神が奇跡を大盤振る舞いしているのかもしれない。この青年がこうも多弁になろうとしているのは、それほどに珍しい事であった。

「昔は名前があったらしいがな。今はだれもがそう呼んでいる」
「ふうん。それで、Dは何をしていたの? 剣を背負っていたから傭兵か何か?」
「似たようなものだ。どの道褒められるような仕事ではない」

 貴族を名乗った吸血鬼の血を引くダンピールは、吸血鬼ハンターとして最高の素質を秘めているが、その身に流れる吸血鬼の血は、時に狩るべき吸血鬼と同等の脅威となって周囲の人々に災厄をまき散らす事がある。
 そうでなくとも、『辺境』の人間にとって数千年にわたって人類の上に君臨し、恐怖と力と血と死で支配していた吸血鬼達への憎悪と恐怖は計り知れないモノがある。
 例え半分“しか”その身に吸血鬼の血が流れていなくとも、半分“も”流れているという事実が、人々にダンピールへ恐怖と排斥の意識を向けさせる。
 貴族を自称する吸血鬼からしても、高貴な同胞の血を引きながら下賤な人間の血を持ち、自分達を狩り立てるダンピール達は最も唾棄すべき下劣な存在であった。
 かつて、吸血貴族達の間で、仕留めた獲物や返り討ちにした人間達の生首や干し首を競りに掛ける残酷で血なまぐさい市場が開かれていた頃、最も安く売り払われたのがダンピール達の首であった。
 人間からは恐怖と迫害と不理解を。貴族からは目にするも汚らわしい雑種、そして親殺しを生業とする下賤な輩と蔑みを向けられる。
 昼に生きる者からも夜に生きる者からも嫌われ、受け入れられぬダンピール達の運命は極めて過酷であり、そしてまた絶対的に孤独なのであった。
 そういった背景を考えれば、今Dが身を置く状況は『辺境』では考えられないものだろう。
 多分に、Dが生きてきた世界と彼自身の素性への無知と未知によるものであったが、ルイズらのDへの態度と接し方は、長い時を生きてきたDにしても珍しい事であったろう。

「ここに比べて随分と生きる事が厳しい世界だ。その昔世界を支配していた支配者達が生み出した妖物や怪奇現象、外からやってきた侵略者たちの置き土産や彼らとの戦争の名残が、あちこちに残り、今も牙をむいている」
「なんだか、実感がわかないけど凄い所なのね」
「三歳の子供でも、必要とあれば自分の親の心臓に短剣を突きたてられなければ生きてはいけない。親もまた必要とあれば我が子の首を絞める事が出来なければならん。できなければ失うのは自分と多くの者達の命だからだ」
「子供が、親の心臓にって、なによ、それ。そんな酷い事が罷り通るの!?」

 親殺し、子殺し。それをさも当然の様に語るDのセリフに直情径行の傾向があるルイズが真っ先に噛み付く。ルイズほどあからさまではないが、キュルケやタバサも面白い話を聞いたという顔をしてはいなかった。

「言った筈だ。できなければ失うのは、自分の命とその他の者達の命だと」
「だけど!」

 言い募ろうとするルイズを宥めたのは、Dの右手だった。いつもの揶揄する様子はなく諭すような口調でルイズに話しかけた。

「そう噛み付くな、お嬢ちゃん。『辺境』に住む連中の誰もが親殺しや子殺し、兄弟殺しを経験しておるわけではない。最近はましになってきおるからの。
 まあ、村の中でも妖物共の侵入が完全にないとは言い切れんから、女子供も短槍、剣、銃くらいなら当たり前に使いこなす。それとて身を守る為じゃ。好き好んで殺戮を行う者など……あ~~、まあ、少ない方じゃよ、たぶん」
「変な間が空いたわね」
「なに、気にするな。それにの、こやつとて素知らぬ顔をしておるが必要となれば、泣き叫んで命乞いをする子供の首も……」
「そこまでにしておけ」
「ふん、どうした? 自分が悪く思われるのが嫌だったか? ありのままを晒せとまでは言わぬが、本当の事を言う位構うまいに」
「学院が見えてきた。お喋りはここまでだ」

 Dの言うとおり、彼方から迫る闇に払拭される間際の夕陽に、燃える様に照らし出された学院が見えてきた。朝陽と共に飛び立った学院へ、夕陽を従者の如く引き連れて、ルイズ達は帰って来たのだ。
 学院の中庭に舞い降りたシルフィードから降り立ち、おもにキュルケが買い込んだ大量の荷物を下ろす。タバサはともかく、ルイズはどこか機嫌悪げに口を閉ざしていた。
 せっかくDと話を出来たにもかかわらず、その内容の凄惨さと、あくまでも淡々と他人事のように語るDの様子がどうしても気に入らないのである。
 Dの言葉を全て信じるなら、『辺境』とはたった三歳の子供が自分の親を殺す様な事も罷り通る場所だという。
 実際に目の当たりにしたわけではないが、そんな場面を思えば誰だって胸に痛みを覚えるに違いない。
 なのに、Dは変わらぬ無表情の氷の仮面を被ったままだ。自分が口にした事の悲しさを、やるせなさをわずかなりとも理解していれば、あんな顔のままではいられまい。
 それを、Dは何も感じていないと誰にも分かる様子だった。
 無論、それが当たり前の環境で生きてきたDと、自分とでは価値観や倫理観にかなりの違いがあるのだろうという事はルイズにも分かってはいたが、それでも納得しきれぬものがあった。
 そんなルイズの胸の中で、ふとした疑惑が鎌首を持ちあげた。

――ひょっとして、私がDに対して怒っているのは、あんな話をしても悲しむ素振りも見せないからではなくて、Dが私と同じように悲しみ、怒ってくれないからではないか?

 同じ感情を抱いてくれない使い魔への苛立ち、それがこの怒りの原因か。その考えはひどく自分を惨めなものと感じさせたが、同時に頷くものもあった。
 ルイズはDに求めていたのだ。自分と同じものを見た時、聞いた時、同じように悲しみ、怒り、憎しみ、愛しみ、笑い、泣く事を。その片鱗でもよいから見せてはくれないかと。

「なによ、私だってひどい人間じゃない」

 そんな自分の考えが許せず、ルイズは柳眉を寄せて自分自身を責める。ぎゅ、とビニールパックを抱きしめるルイズの様子に気づいたのは、やはりDではなくキュルケだった。
 ルイズの落ち込んだ様子に、どうしてこう、Dは自分の主人を思いやる事が出来ないというか、気落ちさせるような真似を連発するのかしらねえ、と心底から呆れる。顔はいいが、中身はやはり問題ありと判を押すしかない。
 ああ、もう、とキュルケはなんで私がルイズを励ますようなことしなきゃいけないのよ、と心の中で愚痴を言いながら、武器屋の主人から買った一番見栄えの良い剣を手に、ルイズとD目掛けて歩きだした。
 そんなキュルケの様子を見ていた小さな親友はこう呟いた。

「素直じゃない」

 むう、と少し影を背負った様子のルイズに、キュルケは努めて明るく、そしてからかうような調子で声をかけた。
 麻の布を巻いていた包みを外して、中の宝石や黄金の鍔や柄の造りが眩いばかりの輝きを放つ大剣を取り出して自慢げに披露する。
 ルイズは、一度だけ大剣を見つめただけですぐにそっぽを向いた。そんな気分じゃないのよと、無言で告げている。とりあえず反応はしたわね、とキュルケ。

「ほらほら、見なさいな、ルイズ。貴女がDに買ってあげたボロっちいのと違って、ゲルマニアで名高い錬金魔術師シュペー卿の業物よ。これ一本で森付きの屋敷が帰るのよ。誰かさんが大切な使い魔に上げた剣とは格が違うわ。格が」
「ふん、使う相手もいない剣を買うなんて、ツェルプストーはお金の使い方も知らないのね。価値から勉強しなおしてきたら?」
「あら、贈る相手ならいるわよ? 貴方の使い魔さんよ。あんなおしゃべりで錆だらけの剣なんかよりも、この剣の方がいいわよね? ねえ、ミスタ」

 キュルケはこちらを向いたDににっこりと微笑ながら、視線で訴えかけた。貴方の所為でなんだかルイズが落ち込んでいるんだから、少しは気を利かせなさい、と強く睨む。
 これまでDに対して最も強気な態度で接したのは、この瞬間のキュルケだった。

「あの武器屋のご主人が見せてくれた一番の業物よ。魔法が掛かっているから手伝って両断出来るわ。そんな、野菜位しか切れそうにない剣より、誰だってこちらを選ぶわよね。 
 刀身なんか鏡みたいに磨き抜かれているのよ。ねえ、ミスタ、貴方さえよければこちらのシュペー卿の剣、ただでお譲りするわ。貴方みたいな美しい人にはそれ相応の武器で無いとね」

 分かっていらっしゃるわよね、そう目配せするキュルケの意図をDが読み取ったかどうかは甚だ怪しかったが、ルイズの変化は顕著だった。
 落ちつかない様子で何度もDを見つめ、どこか縋るような、期待する様な、恐れるような、なんとも複雑な、そして思わず抱きしめたくなるほどいじらしい様子だ。
 自分がDに贈った初めてのプレゼントが、よりにもよってキュルケの買った剣に取って変わられるのかもしれないのだ。気が気ではない。
 そんなルイズを追い詰める様にDが口を開いた。

「見栄えはいい方がいいな」
「だ、だめーー!! だめ、だめ、だめったらだめ!! D、Dは私が買った剣を使いなさい! あ、貴女だってデルフリンガーで良いって言ったでしょ!? わ、わたし、が買ってあげたんだからっ」 

 食いついたわね、そう口の中で呟いたキュルケは、精々ルイズをからかってやろうと、さっきまでの励ますという目的を撤回していた。ここら辺の切り替えの早さは見事と言える。

「あーら、ルイズ、つまらない嫉妬でもしちゃったのかしら? 貴女がミスタ・Dに買った剣なんかよりもずーっと、立派な剣を私が買っちゃったものだから」
「ち、違うもん! ツェルプストーからは豆粒一粒だって恵んで欲しくないだけよ、それだけよ! なによ、ひ、人の使い魔に余計なことしないでよ!!」

 今にも泣き出してDに走り寄って抱き付きそうなルイズの様子に、キュルケは予想以上の成果にほくそ笑みそうになるのを堪えなければならなかった。
 本当に最近のルイズは面白い。

「でも、それを決めるのは貴女ではなくてミスタではなくて? 貴女も言っていたじゃない、ミスタの意向は汲むつもりだって。それ位はするって、貴女自身のお口が言ったのよ? それを言わなかった事にするつもり?」
「そうだけど、そうだけどっ」

 今にもルイズは泣きだしそうだった。Dがキュルケの大剣を選んでしまう事がよほど嫌らしい。せっかく使い魔との距離を埋める行為が出来たのに、それが無かった事にされてしまいそうで、ルイズはキュルケが思う以上に狼狽していた。

「ルイズ、貴女だってどっちがいいって言われたら私の剣を選ぶでしょう?」
「……」
「黙っていちゃ分からないでしょ。貴女の口と頭は何の為についているの? ほら、何か言いなさいな」
「……うぅ。……よ」
「んん? なあに? 声が小さくて聞こえないわよ」
「決闘よ!! ええもう、こうなったらツェルプストーとラ・ヴァリエールの因縁に決着付けてあげるわよ! 
 なによ人の使い魔に色目使っちゃってDもDよなんで見栄えのいい方がいいなんて言うのよ私が買ってあげたじゃない錆びててぼろくて喋るけど剣買ってあげたじゃないお金出したじゃないなのになんでそんな風に言うのよ貴方は私の使い魔でしょだったら素直に私の買った剣を使いなさいよ少しはキュルケに遠慮する素振りとか断る姿勢を見せなさいよ!!! はあ、はあ」
「…………」

 一息に言い切ったルイズが盛大に息を吐いて飲む音が響く中、キュルケが片目をつぶりちらっと赤い唇から舌を覗かせてタバサを振り返った。
 言葉には出さずにこう言っていた。

『やりすぎちゃった。テヘ』

 タバサは静かに首を横に振った。Dは、相変わらず無言である。渦中にあるのに、まるで気にした素振りが無いのは、大物と言うよりもどこか頭の中の大切なねじの締め方が間違っているように思われた。
 そしてこの後、タバサの提案で決闘ではなく本塔の上からロープで垂らしたお互いが購入した剣を、どちらの魔法が先に落とすか、という穏便な形で落ち着く。
 だが、運悪くこの場に居合わせた怪盗『土くれ』のフーケのゴーレムが、ルイズの爆発魔法によって罅の入った宝物庫の壁をぶち破り宝物をまんまと盗む事に成功する。
 かくて、物語はようやく過去の回想を終えるのだった。


 そして、ルイズ達とはまた別に、この夜思索に耽っていた者が居た。
 トリステイン王国王都トリスタニアの城下町――旧市街区の一角。
 異世界から訪れた謎の医師が、一週間の期限という条件で開いたメフィスト病院も、忍び寄る夜闇の静けさがゆっくりと満ちつつあった。
 闇の中に紛れて生きる術しか知らぬ夜の住人達や、表通りで眠る事を知らず酒を浴びるほど飲み、嬌態に耽り、一夜の快楽を貪る者達の喧騒は遠く、まるで彼岸の彼方の出来事の様。
 メフィストが手ずから作り上げた人造生命体達が大多数を占める病院のスタッフ達は、寝静まった患者達の容体の急変に対応すべく、体を休めつつも即座に対応できるよう半覚醒状態にある者が多い。
 浮遊大陸アルビオンのウエストウッド村にある本院ならば、十分な数のスタッフとメカニズムのサポートによって、スタッフ達個人個人への負担ももっと小さかったかもしれないが、今回は人手も少なく設備も乏しい。
 である以上一人一人への負担が増える事は無理もない事であった。しかし、不満や不平を口にする者はいない。
 彼らは決して患者の前で口にしてはならない言葉がある事を骨の髄まで『教育』されていたし、また一人一人が、命を救うというこの上ない崇高な使命を果たすこの職務に誇りを抱いているからだ。
 コンピュータ制御の治療ユニットが付属した重病者用のベッドの奥に、病院スタッフのよう簡易テントがいくつか並び、その奥にメフィスト個人用に設営された白いテントがあった。
 不可思議な事に中で灯りを燈してもテントの生地にメフィストの美影が映る事はなく、時折巡回する看護師達が不思議そうな視線を向けては、院長だから、と納得して歩き去ってゆく。
 どこから調達したのか重厚な黒壇の机の上に広げたカルテに目を通していたメフィストが、不意にテントの天井を見つめた。
 その瞳には空に輝き始めた満天の星空の、さらにその先の光景が映っているのかもしれない。
 霊魂が発生させるたんぱく質に酷似した物質であるエクトプラズム製の椅子は、使用者に最も快適な角度へ万分の一単位の精度で自動的に調整され、やや頤を天に向けたメフィストの姿勢に適した角度を取る。
 一生この青白い椅子の上で過ごしたいと願うものもいる事だろう。
 しかし、メフィストは世界の真理を既に解き明かしてしまった疲労感に苛まれる哲学の輩の様な様子で、天を見上げているきりだ。
 その唇から零れた言葉はこの医師にそぐわぬ感慨深げなものだった。人並みにそのような行為に耽る事は、人間ならざる美貌の存在がすれば途方もない違和感を伴う。

「せつら以外に黒が似合う益荒男に出会うとは。思いもかけぬ収穫だったな」

 胸を焦がすなどと言う例えが、虚しく聞こえるほどの想いを募らせる想い人“せつら”の名を呟き、次いで昼間に出会った黒衣の魔青年Dの姿を思い描いたのか、この非人間さぶりではD以上の医師が、どこか切なげでさえあった。
 次に言葉を紡いだ時、そこにはいつもどおりの魔界医師の顔があった。肌を斬る冷たさと静けさばかりが世界を満たす冬の静夜が、人間になったような顔が。

「私とDくんとそして召喚者達で二組。残る二組はどこの、そして誰が誰を呼ぶ? いいや、一つは分かっている。
 “姫”。全ての存在に対する反存在。関わったもの全てを破滅させるあの女だ。蘇らせたものは天からも冥府からも人からも呪われるだろう。では最後の一組は? いいや、これも分かっている」

 メフィストの瞳はソレを見つめていた。よりの闇を帯びつつある空を漂っている一筋の糸を。
 青い髪の少女の体のある一点に巻きつけられ、それの片端を握る者にあらゆる情報を伝えている千分の一ミクロンのチタン鋼の糸を。

「せつらの振るう糸と等しく美しく冷たい糸だ。千分の一ミクロンと言う細さも、材料も、加工法も、切れ味も、すべてが同じだ。
 だが、それでも私には違うと分かる。糸の問題ではない。振るうものの心の問題だ。それが糸にも現れるのだ。君もまたこの世界に居るのかね? 浪蘭幻十よ。私がせつら以外に黒が似合うと称賛を禁じ得ぬ男が、二人、か。さて、どうなることやら」

 この時、ただ一人魔界医師だけが、このハルケギニア大陸に虚無の担い手達によって“召喚されてしまった”四人の異邦人をすべて知っていた。
 ハルケギニア大陸がこれから血に染まり、死体で大地が埋め尽くされ、天を死者の嘆きが覆うか否かは、メフィストにも分からぬ事であった。


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