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ゼロの魔王伝-07



ゼロの魔王伝――7

 ぽす、と軽い音を立てて柔らかなベッドに一人の少女が頬を埋めた。
 ゆるく波打ち長く伸ばされた桃色がかった髪は手入れが行き届き、最高級の絹糸の滑らかさと染色や脱色ではあり得ぬ艶やかさに濡れ光っているようで、一本一本が纏う香りも胸の梳くような爽やかさとかすかな甘さを持っていた。
 ゆったりとした生地の薄いネグリジェに包まれた体はお世辞にも豊かとはいえぬラインを描いてはいたが、膨らみかけた双乳を包む肌は、その下に流れる血管が青く透けて見えそうなほど透き通り、煌めいていそうに見えた。
 掌で簡単に包み込める幼い胸元から腰、腰から尻、尻から足へと流れる肢体の曲線は、発達途上に在る未成熟さを補って余りあるほど美しい流れを描いていた。
 そのままの美しさを貪るも良し。いずれ花開く時を待って思う様味わうもよし。女として今も未来も、絢欄と咲き誇る美貌を約束されている。
 花開く前の蕾を手折る危険な誘惑と、実りきった時の美味を感じさせる絶妙な青い未熟さが、古い歴史を持つ血統のみが伝える高貴を持った美貌とあいまって、絵画に描かれるような美少女を作り上げていた。
 意志の強さがうかがえるものの、いささか我の強さも目立つ鳶色の瞳を、今は襲い来る睡魔にとろんと、半ばとろかせている少女の名は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ヴァリエール。
 つい先ほど自分達の目の前で起きたトリステイン魔法学院の宝物庫を、なぞの巨大ゴーレムが襲撃するという現場に居合わせ、慌てて起きた衛兵や教師達からの質問を終え、とりあえずは翌朝にまた呼び出しを受ける、として開放された後だ。
 自室に戻ってから緊張の糸が切れたのかどっと疲労が吹き出し、いそいそと着替えて、やや行儀悪くベッドに身を投げた所だ。なおルイズの持論では、貴族は着替えや洗顔などの雑事は自分では行わず、あくまで従僕や使用人にさせるものである。
 ルイズは先の使い魔召喚において、全生徒の中で唯一人間(正確には異なるのだが)を召喚し、それまでメイドにやらせていた着替えなどを、この使い魔にやらせようと考えた。
 だが、その考えは黒雲から雷が地に落ちて轟くよりも早くルイズの思考から撤回された。自分が呼び出した使い魔にそんな事をさせようものなら、下着姿の自分を見られる事になる。そんな事は到底許容できなかった。
 だから、ルイズは使い魔を呼び出してからはずっと自分で着替え、顔を洗っている。(水だけは汲んで来てもらった)。そうしたのは使い魔に対してそんな姿を晒す事に対する嫌悪感、羞恥心といった類に似て非なる感情が、理由だった。
 羞恥の心はあった。ただ、それが自分の体を他者、それも異性に対して晒す事へのモノではなく、美しいモノへ醜いものを晒す事への、となれば話は別だ。いわば美への冒涜を無意識に恐れたのである。
 無論、ルイズは一般的な美的感覚に置いて類稀と評しても過言ではない美貌の片鱗を持ち、今でも飾り立てて相応しい化粧を施せば、どんな社交の場でもダンスを申し込む男に事欠かぬだけの素質を秘めている。
 しかし、それはあくまでもこの世の範疇や、人間の常識の内に収まる美貌だ。しなを造り、媚を売って、色香で男をだまし破滅させた傾城の美女も世に多く居た事だろう。しかし、ルイズが呼び出した使い魔はそれを超越した領域に居た。
 一国を傾かせる美女を指して傾国の美女という。しかし、その使い魔の前ではその美女も二目と見れぬ醜女の如く変わり果てて見える事だろう。所詮、この世の美は、この世ならぬ美の前では無力なのだから。
 ルイズは悩ましげにベッドの上で溜息をついた。精巧な人形に魂が宿ったように愛らしいルイズがそのような行為に耽れば、その未成熟さゆえに目を向けていなかった男共も、思わず息を呑む美しさを醸し出す。
なにやらブツブツと呟いて自分と格闘し、それから意を決して着替えている間部屋の外で待ってもらっていた使い魔を呼ぶ。うつ伏せに寝転んでいた姿勢から上半身を起こし、使い魔の名前を呼ぶ声は切なげであった。
心を切るような思い、それが切なさだと誰もが理解できるような声が、ルイズの薄い花びらの様な唇から零れ落ちた。

「D、もう入ってきてもいいわよ」

 眠れる美女の寝室に忍び入る夢魔を思わせる黒い影が、開いたドアの向こうからその全貌を露わにした。ルイズは既に何度も目にしているのにもかかわらず、火照りはじめる頬と心臓の脈動が一層激しくなるのを認めた。
 室内でも変わらずに被り続けている鍔の広い旅人帽。楕円の帽子から流れ落ちるような黒い髪は、雲ひとつない夜空の暗黒よりもなお深く、その一本一本が夜の闇を閉じ込めたかの様。
 目、鼻、唇と人間と同じはずの部位で構成されている顔は、しかしあり得ぬ黄金比で存在し、異世界の法則に則って配置された部位が作り上げる美貌は、一目見た者の魂までも奪い去る魔貌の域にあった。
 鍛え抜かれ、もはや鍛える余地の無い鍛え終えた体を包むロングコートも、銀の滑車が付けられたブーツも全てが黒一色。黒とは死人の色だ。真の意味で生者に似合う色ではない。では、それこそが唯一相応しい色と見えるこの若者は何だろうか。
 胸元に揺れるペンダントの蒼と、雪も恥じらって赤く染まりそうな肌の白、処女の血だけを吸って花開いた薔薇の花弁の様な唇の赤、この三色だけが漆黒のDのシルエットの中で艶やかに輝いていた。
 D、ルイズが召喚せし超絶の美貌を誇る光と闇の遺伝子を受け継いだ魔人であった。流石に学院内、しかもルイズの個室内とあってかデルフリンガーを収めた鞘は背ではなく左手に握り、Dはいつもと変わらぬ死仮面の様に無表情な顔のままで部屋に入っていた。

「きょ、きょ今日はもう寝るわね。あああ、貴方もゴーレム相手にあれだけ戦って疲れているんじゃないかしら? も、もう寝たら? ね?」

 自分としては自分に満点をあげたいくらいの意思表示で、ルイズは黙ったまま定位置となった椅子に腰かけたDに話しかけた。この使い魔、顔は途方もなく良いが、対人関係に関するコミュニケーション能力は著しい弊害がある。
 主人たるルイズが話しかけても返事が返ってくる事はあまり多くないし、わずかでもその表情を変えた所を見た事さえ無い。
 一応と言うかなんというか、ルイズの意を汲んでくれているらしい事はこれまでの経験でなんとか分かるのだが、いかんせんその美貌の凄まじさと、それとは別に一目見ただけでも思わず息を呑む鬼気とでもいうようなものを纏っている。
 理由もなく体が勝手に震えだし、歯が打ち鳴る音を立ててしまう、名状しがたい恐怖を感じるのだ。
 その身のこなし、見た事もないような衣服、トリステインでもその格式、歴史、品格において他の追随を許さぬラ・ヴァリエール家の令嬢たるルイズをして思わず背筋に鉄筋が通ったように正してしまう途方もない貴品が、Dへの文句を封殺していた。
 椅子に腰掛け彼方の闇を見つめるDは、ルイズの言葉を聞いているかどうか判別しがたいが、ルイズはなんとはなしにそれを了承と受取り、パチンと指を鳴らした。
 それに応じ、マジックアイテムであるランプの明かりが消え、部屋の中に夜の闇が訪れた。
 そうやって夜を過ごす事を何日も経っているのだが、ルイズは、Dを召喚した事でほぼすべての生徒(男女問わず)から向けられる羨望と憎悪が互いを高め合った視線を浴びせられる所為でろくすっぽ眠れずにいた。
この間は疲労の極みの為に肉体が限界を感じて眠りに就いたが、今日も騒動の影響もあってか疲れがたまり、すぐさま睡魔の手の中に落ちていった。
うとうととし始めた瞼と格闘しながら、ルイズがむにゃむにゃと眠たそうに口を開いた。半分寝言と言った所か。

「ねえ、D、どうして貴方は私の召喚に応えてくれたの? そうするしかない状況だったの? 貴方は私の事をどう思っているの?」
「……」
「相棒」
「ほっとけ」

 ルイズの言葉に応える素振りさえ見せないDに左肩に寄せられたデルフリンガーが声をかけたが、すぐさま左手から聞こえてきた皺まみれの老人を思わせるしわがれ声に遮られた。
 半ば夢の世界の住人と化したルイズは、答えの無い事を気にも留めず、言葉を続けた。

「私ね、ずっと思ってた。私は本当に出来損ないで魔法が一生使えなくって、家名を汚すだけで、生まれてこない方が良かったんじゃないかって。
その度に絶対誰もが認めるようなメイジになって、私を馬鹿にした連中を見返してやるって思っていた。ううん、今もそうよ。貴方を召喚する事は出来たけど、他の魔法は相変わらず失敗の爆発しか起こせない、ゼロのルイズのまま」

 美の神と芸術の神が結託して世に送り出した美神像の様に窓の外の彼方を見つめていたDの黒瞳が、あろうことかベッドの上でうとうととしているルイズを見つめた。ルイズの言葉の何が、感情とはいっさい縁の無いと見える冷美な青年の気を引いたのであろう。

「ああ、でも、なんだかね、貴方を見ていたら絶対ゼロのままで終わってたまるもんですかってね、思うの。なんでか分かる? 貴方とね、何時か肩を並べてみたいって、貴方の見ているものを私も見たいって思うようになったからよ。
 どうしてかしらね、貴方の背中を見ているとそう思うの。変よね、主人の方が使い魔と同じものを見ようとする、なんて……。でも、ね……貴方と同じ所に立てたら、きっと、父様や母様をもう悲しませなくて、済むと、思う。
 ずっと、私なんかが生まれてきてごめんなさい、そう思っていたから、何時か……こう言いたいの。私を産んでくださって、ありがとうございますって。私、父様や母様、姉様やちいねえさまの、自慢の娘と妹に……なりたい」

 だんだんと眠りの世界に落ちて行くルイズの耳に、小さな奇跡が届いた。

「君ならなれる」

 それがDの声と悟り、ルイズは夢の中だから聞こえた幻の声であったか、現実のそれであったか分からなかったが、それでも幸せそうに微笑みながら、すう、と瞼を閉じた。

「……ふふ、ありが、とう」

 穏やか寝息をルイズが立てるのを聞き届け、Dは再び視線を窓の外に広がる無窮の闇へと向けた。環境開発や操作が行われていない夜の空は、Dにとっての貴族達の多くも知らぬ、自然のままの世界が広がっていた。
 人が作った狭い箱庭の建物の中から悠久の時が流れてきた夜空を見上げ、Dよ、何を思うのか。

「どうしたい、相棒。ずいぶん娘っ子に優しいじゃねえの」
「デルフリンガーの言う通りじゃのう。およそお前らしくないわい。なんじゃ、お前ああいう平たい体が趣味か」

 揶揄するデルフリンガーと左手の追及を一顧だにせず、Dの瞳は彼方を見つめたままだった。その先に、途方もない何かが居るのだと、史上最強最高の吸血鬼ハンターの勘が告げているのかもしれなかった。


 Dの視線のはるか彼方、同じ蒼と紅の双月に照らされる夜だというのに、その世界だけは時の流れから隔離させていた。
 始祖ブリミルへの信仰からなる宗教の頂点に立つ聖王エイギス三十二世のお膝元である、ロマリア国にある打ち捨てられた寺院に、顔こそ隠しているがやんごとない身分に在ると分かる二つの人影が足を踏み入れた。
 数十年前の嵐で荒れ果てて、神官が再建を諦めた日々がより一層荒廃に拍車を掛けて、今や積み上げられた土台の石にも罅や蔦が縦横に走っている。
 白絹の法衣に身を包んだ若々しい男と、それを護衛する様に先を行く紫のマントと腰に差した瀟洒な細工の拵えの短剣を提げた少年であった。既に何度かこの場所に足を運んだのか、暗闇の中を月明かりのみを頼りに足を運んで行く。
 そのうちに巧妙に瓦礫の陰に隠された木の扉が姿を見せ、少年が引きあけた扉の向こうには暗黒がぽっかりと顎を開いて待ち構えていた。そのまま足を運べば二度と光の射す世界へは帰れぬと予感させる暗闇である。
 それに一瞬だけ躊躇する様な動作を二人は見せたが、すぐに意を決して足を進ませた。背信の匂いを漂わせ、神に仕える清廉な聖職者たちは悪魔が三日月のような笑顔を浮かべて待つ奈落へと堕ちて行く。
 十分か、三十分か、一時間か、闇の中を歩み続ける二人は、やがて赤錆を浮かせた鉄鋲がいくつも打たれた鉄扉を前にした。
 両開きの扉は一辺が十メイル、高さはその倍もあろうかと言う巨扉である。オーク鬼を十匹集めても開く事はできそうにない重厚さがのしかかる様に聳えている。
 その扉の前に、くらぶれば到底気付けそうにもない小柄な老人が居た。ロマリアやトリステイン、ガリアでは見慣れぬ、しかし金糸銀糸をふんだんに使った長衣を纏い、節くれ立った杖を突いている。
 地面に着きそうなほど伸び、垂らされた見事な白髭と痩せこけて鶴の様な細い体の老人である。長く延びて瞳の大部分を隠す白い眉の下の瞳だけが異様に輝き、そこに途方もない知性と知識が秘められている。
 両手を組み合わせて老人は深く頭を下げ、ハルケギニアの公用語であるガリア語を流暢に語った。

 風のうわさでハルケギニアの人々が耳にする東方の出自かと思うような風体だが、流れる様に紡がれる言葉は生まれも育ちもハルケギニアのものでも、こうも巧みに操れる者は少ないだろう。

「ようこそのご入来、このような老骨のみで恐縮ですが歓迎いたしますぞ、教皇聖下、聖騎士ジュリオ殿」
「麒鬼翁殿も変わらずご壮健そうでなによりです」

 ブリミルの信徒全てに対し無限の慈愛を向ける、まさしく理想そのものの教皇の慈笑を浮かべて、麒鬼翁(ききおう)と呼んだ老人とにこやかに挨拶を交わした。
 あくまでも友好的な笑みを浮かべる教皇ヴィットーリオ・セレヴァレの傍らに控えるジュリオという少年は、左右で色の違う月目と呼ばれる特徴的な瞳に好々爺然とした老人の姿を油断なく映している。
 Dや幻十、メフィストなどと言った人の領域を外れた美とは比べるまでもないが、ハルケギニアでは忌避される月目が、その非の打ち所の無い美貌に宿る限りにおいては神秘的な輝きとして世の女性の胸をときめかすに違いない程の美少年である。
 まだ二十歳にもなっていない若さで聖騎士の地位にあるのならば、由緒ある家柄かよほどの功績をあげたか、あるいは有力な権力者の後押しを得ているのだろう。おそらくは目の前の教皇の。
 二三言、ヴィットーリオと言葉を交わした麒鬼翁が、背後の鉄扉を振り返り、数百トンはあろうかと言う鉄扉を手に持った杖で小突いた。たったそれだけで、錆びついた音を立てて扉が奥へと押し開いてゆく。
 そのまま押し潰されてしまいそうな質量を感じさせるほど深い闇が四方を占めていたが、ぼんやりと月輪の様に光るほの白い光があった。舳先に幻燈を吊るした一艘の小舟である。
 白い光を水面が照り返していたが、ゆらゆらと揺れる様子はない。どうやら波風の無い静けさに満たされた場所の様だ。この過程もすでに幾度か経ているのか、ヴィットーリオとジュリオに動揺の色はない。
 白い光に照らされる船に乗り込み、麒鬼翁が杖でもやわれていた縄を軽くこすると、するすると一人手に縄はとけ、船の真ん中の左右にある球体から突き出た櫂が動き出した。
 燃料も、人の手も一切必要とせぬ完全自動の船なのだ。魔法を使えば同様の事も可能ではあろうが、ディテクトマジックにも何の反応も見せぬこの船は、ヴィットーリオの目の前の小柄な老人の技術によって作られたものなのだ。
 ジュリオが、自分達に向けられた視線に気づき、周囲の暗闇に月目を向けた。一瞬だけ、廻らせた視界の中に、水面から首から上を突き出した女の顔が見えた。三人分、良く似通った姉妹の様な美女である。
 やや鼻は低いが儚い花の一片の様な美女たちである。ジュリオがこちらを見返している事に気づいたのか、とぷん、と水音を立てて水の中に消えていった。そのすぐ後に、ぬらぬらと光る鱗を輝かせた大蛇の胴が現れて、首を追うようにして水の中に潜ってゆく。
 瞼を瞬いた次の瞬間には、美女の顔も大蛇の胴も消えていた。夢か幻の様に跡形もなく消えた女達が、しかし現実のものだとジュリオは知っている。
 初めてこの場所を訪れた時、麒鬼翁に案内される道中、この船の上で四メイルの高みからこちらを美味そうに見つめていた女たち。見目麗しい若々しい美貌が覗かせた歯は、槍穂のように鋭く研ぎ澄まされた刃であった。
 その女怪達を一声で追い払った麒鬼翁が言うに、あれらの妖魔はこの老人が生み出したものだという。その多くが既に死に絶えているが、まれにああやって生き延びた者がいるそうだ。

(相変わらず、気味の悪い所だ)

 何度足を運んでも慣れぬ不快感を表には出さず、心の中にしまい込み、ジュリオは一刻も早くこの暗黒の船旅が終わる事を切に願った。ほどなくして彼方に半円状に陽の光が滲む出口が見えた。
 闇に慣れた目には明るい太陽の光はいささか辛いモノがあったが、その先にある光景にはジュリオも飽きず感嘆の吐息を洩らしてしまう。
 この世界の主である麒鬼翁からしてみればかつての広大で、雄大な自然を湛えていた残影はかすかにしか留めていないが、それでも夜の闇の中に昼の世界を構築する技はヴィットーリオ達にとって驚嘆に値した。


 夜の闇が深まる時刻だというのに、中天に太陽が燃え盛り、どこまでも突き抜ける青い空には白い雲が風に乗って流れ、翼を広げた鳥の群れが時折鳴き声を遠く響かせながら飛んでいる。
 船を乗せた川の左右は山頂が雲に掛かるほどの巨峰が連なり、その麓から川辺までを濃緑が埋めている。鬱蒼と生い茂った深い森である。地を走る大蛇の様に蛇行した川をそのまま船で行き、やがて小さな東屋が見えた。
 小さな桟橋の横で船が止まり、舗装された道がうねくりながら続くその先こそが三人の目的の地であった。小鳥たちの囀り、かすかに頬を撫でて行くそよ風、滾る陽光の活力が満ちた世界である。
 ぎ、と小舟を揺らしてまずジュリオが、ついで差し出されたジュリオの手を握ってヴィットーリオが桟橋に降りた。最後に麒鬼翁が降りた。
 麒鬼翁が再び杖で縄を突いて、生きた蛇の様にくねった縄がするするともやわれ、小舟を係留した時、三人の前に中国衣を纏った侍女たちが姿を見せ、うやうやしく膝礼をしてヴィットーリオ達を迎えた。
 無論、尋常な人間に在らざる、麒鬼翁の手によって生み出された人造の者たちである。見た目は幼ささえ感じるあどけない少女たちであるが、その実オーク鬼やミノタウルスも素手で解体する鬼女達だ。一人で並の兵士五十人分の働きもするだろう。
 どこの宮廷に出しても感嘆の吐息が零れるような優雅な仕草でヴィットーリオ達を先導する侍女たちに突き従い、深い森の中に伸びる道を行き、やがてハルケギニアではお目にかかれる古代中国風の豪奢な屋敷に辿り着く。
 緻密な透かし彫りの細工が施された巨大な翡翠の扉を抜け、異国の香り漂う屋敷の中へと三人は足を進めた。麝香に似た香りが屋敷の中に満ちていた。ここはいつも何かの香が炊かれているのか、澄み切った香りはない。
 幼い子供の様に屋敷の中を見回していたヴィットーリオが、不意に麒鬼翁に質問をした。

「そういえば、貴方のご主人殿はいつごろ目を覚ましになられるのですか? もう随分とあなた方を呼んでから時が経っておりますが?」
「いやいや、それにつきましては誠に申し訳ない。我が主は今だ負った傷が癒えませぬで床に伏したまま起き上がる事もままなりませぬ。そのような醜態を教皇聖下にお見せする事は礼を失すると」
「そのような事、わたくしは構いませぬが、誇り高い方なのですね」
「どうかご寛恕願います。いずれ、主ともども教皇聖下にご挨拶に伺います故」

 深々と腰を折って頭を下げる麒鬼翁の様子に、ヴィットーリオは変わらずにっこりと、その教皇、聖王の尊号に相応しい慈悲に充ち溢れた笑みを浮かべる。
 頭を下げたまま、麒鬼翁は、言葉とは裏腹に悪意の影をちらつかせた笑みを口元に刻んでいた。古代中国夏王朝の頃より生きる齢数千年を数える妖科学者は、このハルケギニアの世界で何を企むか、年経るごとに増した邪悪さを隠し、ただただ笑んでいた。
 かつてヴィットーリオの召喚によって姿を見せた崩壊寸前の船より姿を見せたこの老人の技術と、ヴィットーリオとロマリアの持つ虚無に関する知識とを引き換えに、互いを利用しあう関係を築いたが、いまも麒鬼翁の主人は姿を見せずにいた。
 その主人こそが、両者の関係に決定的な不和か、同調を齎す存在となるだろう。そして、この古代中国の故事に在る壷中天の世界を模した世界に立つ屋敷の地下、そこに麒鬼翁の主人は居た。
 薄闇がそここそに蟠る広い部屋だ。月光が変じたかのような薄い紗の幕を幾枚も重ねた奥には金色に輝く巨大な甕があった。 
 同じく金色の魔物がそこにいた。首の付け根で動が一つになった四つ首の龍であった。メフィストや麒鬼翁がもといた世界の欧州地方でいう、四肢に蝙蝠の翼を備えたドラゴンではなく、水神として奉られる事もある東方の龍だ。
 広げられた口の中には、凶暴かつ鋭い牙が幾重にも並び、口腔からは今にも紅蓮の炎が迸り、その長く伸びた鉤爪で目の前に立つ者を引き裂き貪ってしまいそうだ。
 瞳は見られた者の心臓が止まってしまいそうな錯覚に襲われそうなほどに残忍な造りであり、一枚一枚の鱗も繊細にして大胆に造られている。四方を向く龍は、大きな甕を支える土台であった。

 甕の中から、吸い込んだ肺の中に血の球を結んでしまいそうなほど濃厚な血の匂いが香っている。手を握ればその中に、血が滴り落ちそうなほどに濃い。ともすれば世界が赤い靄に覆われているように見えそうだ。
 直径ニメイルほどもある甕の中に一人の女が身を沈めていた。赤い海の底に沈んだように赤く染まる女のその美しさを語る言葉はない。女の美を超えた美を表す為の言葉を、すべての人間は滅びるまで生み出す事は出来ないだろう。
 かつてドクター・メフィストにさえ美しいと言わしめた女、メフィストよりも幻十よりもDよりも美しく、しかしその女は死んでいた。十文字に断たれた頭は麒鬼翁によって傷跡一つなく縫合されていたが、決して首と繋がる事はなく固く瞼を閉ざしたままだ。
 処女の血で満たされた甕の底にあっても赤をすべて白に変えてしまいそうなほどに輝く肌は、生前と変わらぬが胸の内に植え付けられた絶望がある限り女は死に続けるだろう。
 女は吸血鬼であるが故に、死んでも滅びる事はない。吸血鬼とは不死者、死なずの者と呼ばれる。殺すでは吸血鬼には足りぬ。殺す事で死を与える事は出来よう。しかし死なずの者たる吸血鬼は、殺されてもいずれは蘇る。
 吸血鬼の真の死とは滅びに他ならない。その意で言えば今のこの女は決して滅びてはいなかった。本来の女の能力を考えれば、このような状態は女にはありえない。例え核の炎の中心地に居ようと傷一つなく蘇ると称されたほどの不死者だ。
 その女がこうして死に続けているのは、かつてメフィストが告げたように生きる事への絶望が理由だ。かつて心底から愛した男によって、あるまじき手段によって殺された女は、今も尚その胸の内にいかなる希望も及ばぬ絶望を宿し、蘇る事を拒絶していた。
 それはこのハルケギニアの世界とそこに住む全ての命にとって幸いだったろう。この女の生命の復活は、他のすべての生命にとって地獄の底と繋がる事に相応しい。
 呪われた街<新宿>をしてなお、その存在を全力を掛けて否定せねばならなかった魔物。その女に名はない。あえて言うならば“姫”だろうか。目覚めてはならぬ姫は、しかしいずれ目覚めると魔界医師が予言していた。
 かつて魔界都市の象徴たる魔人――ガーレン・ヌーレンブルク、ドクター・メフィスト、秋せつらの三人をもってしても終には滅ぼしきれなかった吸血姫よ、何時までも目覚める事無かれ。その時こそこの世に地獄絵図が描かれる時なれば。




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