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ゼロの魔王伝-06



ゼロの魔王伝――6

いかにして彼らはハルケギニアに召喚されたか――魔界医師の場合。

 西暦198X年――魔なる者共が跳梁跋扈し、宵月夜に異形の影を黒々と落とす夜の事、東京都二十三区の一つ“新宿”区は震度九を越す都市直下型地震に襲われる事となった。
 その地震が、後に人類の歴史が続く限り連綿と語り継がれる、おぞましき大地の咆哮“魔震”と呼ばれたのには、無論相応のわけがある。
 新宿区と他の区との境界を一ミリでも超えた向こう側では、一切の揺れが伝わる事はなく、新宿区外の人々は音も揺れもなく崩壊してゆく新宿の光景を、現実のものとして受け入れられずに呆然と見つめていたという。
 地震直後の消防・病院・警察関係への通報の際に関係各所の対応が、通報のほとんどをいたずらによるものと判断して初動が遅れたのも、この魔震の、二次災害における人身御供を望んだ“慎ましさ”による。
 もし、それだけで終わっていたならば決して魔震などと呼ばれる事はなかっただろう。不謹慎な言い方ではあるが、数千、数万のオーダーでの死傷者の発生と壊滅した区の再建に投じられる巨額の費用のみで済んだからだ。
 だが、魔震直後から発生した旧新宿区における非現実的な現象の数々が、人々に現代に突如として地獄の底の様な魔性の世界が生まれた事を高々と宣言した。
 旧新宿区の土地面積と一ミリのずれもないのにもかかわらず、魔震によって新宿を他の区から隔離した亀裂は、数十から数百メートル、深度は五千メートルとも、あるいは無限とも言われて存在している。
 時折その亀裂の中から発見される数千、数万どころか数十万年から数百万年の、既存の人類史を覆す超古代文明の残滓や、現代の技術をはるかに超越した古代文明や人類外の文明が残したオーバーテクノロジーの産物達。
 崩壊した市ヶ谷の生物研究所から漏れ出た様々な遺伝子サンプルと、魔震直後に新宿に立ち込み始めた妖気とのブレンドが、毎秒単位で生みだし総数数万種にも及ぼうかと言う異形のクリーチャー達。
 現代科学と立ち込める妖気のみならず、伝説の彼方に消え果てた筈の魑魅魍魎・妖魔の類が冥府の底から蘇り、陽光を遮る日陰に、夜闇の下ならば往来を堂々と闊歩する現代と過去の魔性が混在する街。
 法と秩序を失い、地獄絵図の酸鼻さも色褪せて映る血と暴力と死と滅び、この世全ての悪徳がはびこる街には区外から血の匂いを求める凶悪な犯罪者達が惹かれる様にして集まり、数十万を超す人口の半分は犯罪者とさえ言われる。
 光の表舞台から退き、闇と影に満ちた裏の世界で魔道の研鑽に努めていた魔法使いたちもまた、現代に突如癌病の如く生じた、ソドムとゴモラも比較にならぬ魔性の住む街に惹かれ、彼らの住みついた高田馬場は今や“高田馬場魔法街”の異名で知られている。
 亀裂から発見される超古代のロスト・オーバーテクノロジーはSFや映画、小説の中の産物でしかなかったサイボーグや、光学兵器、ロボットの類をいち早く新宿に誕生させ、区民レベルで軍隊顔負けの武装を整えるのも難しくはない。
 科学技術の異常なまでの進歩に留まらず、区外から集った魔法使いや呪術師たちもまた自分達の成果を生活の糧にすべく堂々と商品にした。これらの効果は区外にも及び、デパートでは殺傷能力のない、悪戯レベルの黒魔術グッズが堂々と売られている。
 いかなる邪悪な者も、異端なる者も受け入れる街。
 それゆえに如何なる者も排除される街。
 人間の持つすべての悪徳と邪悪が集うが故に、人間の持つすべての善と希望とが輝く街。
 故にその街を人々はこう呼ぶ。魔界都市<新宿>と。

 そして、<新宿>区民、いや妖物までもが口を揃えてこう語る者達がいる。

 敵にしてはならぬ魔人、触れてはならぬ三魔人。魔界都市<新宿>において凄惨無比な鮮血の伝説と共に語られ、<新宿>に住む超人魔人妖物達の頂点に君臨する者たちを指す。
 一人目、黒づくめの格好の西新宿でせんべい屋を営み、副業として人探しも行っている主人、二人目、ある吸血鬼の女との魔戦で命を落とした、高田馬場魔法町に住むチェコ一の魔法使いの老婆、三人目、旧区役所跡に建つ病院の院長。
 これは、その内の三人目、白衣の医師の身に降りかかったとある出来事についてのお話である。


 新宿が<新宿>と呼ばれるようになってから二十数年余の年月を経たとある夜の事。<新宿>に潜む魔性や外道の精神を宿した人間モドキ達は昼夜を問わずその牙をむいているが、やはり昼よりも夜の方がその兇暴性を発露させる。
 しかし、凶暴無残さでは他に類を見ないと評判の三つ首犬も、筋肉組織を変化させて鉛に変える強化薬で武装した殺人鬼も、注射一本であらゆる獣へと変身するトランス・ビースト・マンも、どんな命知らずの化け物だろうと決して悪意を持って訪れない場所がある。
 旧新宿区区役所跡に建つ白亜の大病院だ。最大二千人の収容人数を誇り、時間を問わず病苦や傷に苦しむ人々を受け入れ、世界最高の医療水準を誇り、魔界都市が区外に対して胸を張って誇れる輝かしい業績の一つである。
 その際限のない財源は病院の院長が完成させた分子変換装置によって生み出される大量の金銀や宝石とも言われ、それを狙った業突張りや、入院中の患者を狙った暗殺者達はこれまで、美しき女吸血鬼とその眷属を除いて五体満足に生還した例はない。
 病院の誇る超科学技術からなる物理防御及び迎撃兵器群、加えて魔術への造詣の深い院長が施したとされる病院そのものに備えられた極めて高度な霊的・魔術的防御が、不逞の輩の喉笛を噛みちぎり、心臓を抉り、その痕跡を抹消してきたからだ。
 その病院の中庭で二つの影が対峙し、二つの影がそれを見守っていた。対峙する影の片方は黒い影であった。闇夜の事、それも当然かもしれぬ。だが、これを見てもなおそう言えるだろうか?
 月の冷たい白い光の下でも、無味な人工の電灯の明かりの下でも、決してその光に染まる事も跳ね返す事もない、奈落の底に繋がっているような漆黒。尋常ならざる黒であった。他を拒絶し塗りつぶし、屈服させる傲慢なまでの黒。
 その黒をオーバーの形で纏い、近世の欧州紳士さながらの衣服に身を包んでいるのは二十代中頃から後半にさしかかった精悍な若者であった。
 日に焼けた肌に眩いまでに白い歯が良く映え、匂い立つ気品に目を剥くような野生の凄味が絡み合い、一目見た女の胸を焦がす色香を纏っている。だが何よりもその全身から吹きつける悪意そのものとしかいえぬ気迫。
 吸い込んだ肺を中から腐敗させ、目に映した瞳をそのまま焼き尽くし、触れた肌を容赦なく貪らんまでの、生命全てに対する絶対的な憎悪。理由もなく無造作にあどけない命も容易く踏み潰せる残忍さ。
 人間の悪の面のみを抽出し、濾過し、凝固させても果たしてこれほどの異形の雰囲気を生みうるか否か。
 男は、霧深き魔都倫敦の魔王、“闇男爵”呪紋大三郎という。かつて、世界一の大魔道ガーレン・ヌーレンブルクと魔界医師を相手に、<新宿>と倫敦の存亡を賭けた死闘を演じ、そして敗れた筈の男であった。
 魔性の都として寿命を迎えつつあった倫敦を復活させる為に<新宿>の魔性をそのまま倫敦に移し、<新宿>を凡百の一都市に変えんとし、<新宿>の象徴たる魔界医師に敗れ、異世界へと放逐された筈の魔王。
 その一助となったガーレンの死より数年、いかなる手段によりてか、現世へと帰還した闇男爵は、今一度<新宿>へとその魔手を伸ばしていた。
 理想的なフォームから闇男爵が投げた黒一色の槍が、世界中の破邪の呪文によって浄化された院内の空気を裂いて走った。闇男爵と対峙する白衣の医師の心臓を貫かんと飛翔する黒い槍を、医師の手元から延びた銀の筋が絡め取り、空中で止める。
 地上六六六メートルまで存在する妖気圏によって不純物が存在できない<新宿>の大気は、霊峰の山頂の様に澄み渡っている。その夜空越しに降り注ぐ月の光を浴びて輝く銀の筋は、なんということはない平凡な針金であった。
 医師の親指と人差し指の狭間から無限長に伸びた針金は闇色の槍を、銀色に包んで大地に落とした。長さ一メートル弱の槍の表面を隙間なく針金が巻き絡まって覆い尽くしていた。
 医師の唇が動いた。紡がれた言葉は賞賛であった。

「見事だ。一巻きで止めるつもりがそうはいかなかった。修行の程が伺えるな。闇男爵」
「お褒めに預かり光栄の極みです。ドクター・メフィスト、貴方とこの街に追いやられた場所で良き師と巡り合いました。その成果とお思いください」

 人間がどれだけ歴史を重ねても再現成し得ぬ重厚な気品を纏わすメフィストの声に恭しく応える闇男爵の声音もまた、人間以外の何かが人間の真似をしているような違和感を抱かせるが、しかし果てしない重さを持っていた。
 重さを持った夜の闇が、そのまま全身に圧し掛かってきたような錯覚を覚えさせる声であった。事実、二人の魔戦妖闘を見守っていた少年と男の影はわずかに膝を屈し、苦鳴を漏らしつつあった。

 メフィストを見つめる闇男爵の顔を黒い影が覆った。魔界都市の闇さえも白く見えるほどの暗黒の中で、闇男爵の双眸だけが赤く赤く燃え盛り、爛々と凶光を明滅させながらメフィストを見つめていた。
 その影に覆われた闇男爵の双眸に覚えがあるのか、メフィストはどこか懐かしげに眼を細めていた。その挙措に、初めて闇男爵の傲岸な自信が揺らいだ。異界でさらなる力を得た倫敦の魔王を前に、魔界都市の象徴たる美の魔人は静かに語る。

「黒い神父、顔の無いファラオ、アウグストゥス、ナイア、無貌の神、這い寄る混沌……。決して人の声帯では発音できぬ名を持つ神々の中でもっとも狡猾で、唯一宇宙原初の住人“旧神”の束縛から放たれた存在。それが君の師かね?」
「恐ろしい方だ。そこまでお見通しでしたか。ならば、今の“おれ”の体に満ちる力の凄まじさが、貴方にもお分かりの筈だ。旧支配者、外なる神の力は一つの宇宙の命運をいともたやすく左右するほどです。いわんや魔界都市一つなど」
「ふむ。確かに、かつてない空腹によって本来の力を発揮出来ぬクトゥルーとヨグ=ソトースの激突だけでついこの間、宇宙が一つ滅びたばかりだ。その力を鑑みれば、君の自惚れもいた仕方あるまい。だが愚かなり闇男爵」
「なに?」
「ここがどこだか忘れたか? 魔界都市<新宿>、何が起きてもおかしくはない不思議の街。ヨグ=ソトースの落とし子の脳と心臓を移植し、体内にヨグ=ソトースを宿した写真スタジオの助手や、お前の師たる神の一面が天才料理人の姿を借りて訪れた街だ。
 いかなる神もこの街では絶対の存在足り得ぬ事を、いまだに理解出来ぬと見える。闇男爵の名を継ぎながら、この街の闇の深奥を見測れぬ男」
「辛辣な物良いですね。しかし悪魔――メフィストフェレスなら勝てますか? 千の貌を持つ神に?」
「その為の手は打った。もっとも、正確には君の師たる神に勝つわけではないが」
「あそこの詰まらぬ二人がその鍵ですか」

 影の奥で光る炎の眼のまま、闇男爵は石像と化したように固まっている二人を見つめて、限りない嘲笑を言葉に乗せる。不意に、メフィストの口元が淡く笑みを刻んだ。魂を捧げる契約に血の署名をした愚か者を前にした悪魔の様な、美しくも恐ろしい笑み。

「紹介が遅れたな。<新宿>一のガイド、外道棒八氏とその息子のイチローくんだ」
「下らぬ街のナンバーワンガイドと、その息子殿が何の役に立つとおっしゃる?」
「君のその物言いが命取りだ。君は知るまい。知っていたならそのような口は傲慢の極みたる君とて口が裂けようと言うまいよ。
外道氏は正真正銘の人間、サイボーグではあるが――君に力を与えた存在■■アル■■■テ■■の夫だよ。そして、イチローくんは邪神と外道氏との間に生まれた人と神のハーフだ」
「!?」
「外道氏の妻となった邪神は、どうやら人間に化けている間は人間そのものとなるのか、子供まで作った。その子供と夫を、君は侮辱した。もう分かっているだろう? 邪神とて赤の他人よりも我が子と夫の方が、邪な神なりに大事と見える」
「馬鹿な、力が……」

 見よ、メフィストと外道、イチローの目の前で闇男爵の総身からそれまで溢れ出していた混沌とした闇色の霧が薄れはじめ、その精悍な美貌を覆っていた影が消えて行く!

「君の様子を薄笑いを浮かべながら眺めていたのだろうが、夫と子への侮辱は怒りを覚えるのに十分だったようだな。存外に人間くさい神だ」
「は、謀ったか!? 魔界医師」
「罠に陥ったのは君の浅はかさと愚かしさによるものだ。自らの業が災いを呼び寄せたと知りたまえ。愚かな闇男爵よ。そして戻るがいい。這い寄る混沌の力を借りて脱出した異空間へ。自力で戻ってきたその時には、今一度君の挑戦を受けよう」
「おのれ、ドクター・メフィスト、おのれ、魔界都市!! だが、私ひとりでは消えん! 白い医師よ、お前もまた私と共に異界へと落ちるがいいっ!」

 最後の足掻きとして闇男爵の影が伸び、メフィストの黒いシルエットと混ざり合い融け合った。月光が落とす黒い影は、やがて人の形を失い、輪郭を失い、ぶよぶと無重力の環境に置かれた水の様に不定形に変わる。
 膝を屈したままの外道と息子イチローの口が等しく驚きによってこじ開けられた。邪神の加護を失いつつも人間としては最高最悪の極みに位置する魔王の背後に、極彩色が蠢く空間が垣間見える切れ目が出現していた。
 割られた硝子窓の様に空間に刻まれた切れ目は、徐々に闇男爵の体を引きよせ、モ説いた場所へと引きずり込もうとしていた。しかし、それには別のものもついていた。闇男爵と影を融け合わせたドクター・メフィストであった。

 浮かべる表情はなく、メフィストはかすかに目を細めて自分の影と繋がった闇男爵の影を見つめていた。闇男爵の口元に浮かぶ厭らしく、しかし圧倒的な威厳を持つ魔性の笑み。
 外なる神の力無くとも、やはり霧の深い魔都を象徴する魔人。最後の最後に魔界医師へと一矢を報いたか。

「三度目の敗北、しかし闇男爵に四度目はない。<新宿>よ、魔界都市よ! お前の破滅を告げるラッパの音はこの闇男爵が吹くぞ!!」

 たからかに地獄のサタンの如く笑う闇男爵は尾を引く笑い声と共に彼方の異空間へと消えていった。それにあわせ、ぐん、と引き寄せられるメフィスト。右手に握られた手術用のメスを、月明かりが銀に照らして示した。

「ドクター!?」

 ハルマゲドンの襲来を眼の当たりにした敬虔な信者の様な声を挙げる外道の瞳に、地面の上で融け合った影にメスを突き立てるメフィストの姿が刻印された。何の抵抗もなくは先が地面にめり込み、徐々に吸い込まれながらも横一文字を描いて影を斬り裂いて行く。
 地面に投げ落とされた影を切り離すその奇跡が、はたしてメフィストが異世界に放逐されるのとどちらがはやいか。<新宿>の象徴たる魔人の明暗を、外道は唾を呑む音を大きくたてながら見守った。
 やはり音もなく地面からメフィストのメスが抜き放たれ、異空間からの吸引の力が弱まった。影を切り離された闇男爵の姿は、すでに万色に染まっては粘度の高い濁流が渦巻いているような彼方に消えている。
 あらかじめこうなる事を知悉呈していたように、影を切り離す手術を終えたメフィストは常と変わらず静かな冬の聖夜の様にすがすがしく、厳かにそこに立っていた。
 やはり、魔界医師は別格か――<新宿>一の評価を受けるガイドは、心底からその事実を再認識していた。だが、それを裏切る様にメフィストは不意に目の前に迫っていた空間の亀裂に目を向けた。
 徐々に小さくなるその亀裂の中に、人の身の丈ほどもある大鏡が浮かんでいる。それだけならば、この医師は眼を向ける事もなかっただろうが、そこから聞こえてきた声がメフィストの意識を引いた。
 それがなんであるかを理解した時、メフィストは躊躇する事無くその美影身を混沌の空間へと躍らせていた。


 黄金がそのまま滴り落ちる液体となった様に美しい金の髪を持った少女が、一人の少女を抱き抱え、大粒の宝石の様な瞳を悲しみに染めていた。ウエストウッド村に住む孤児の子供達と、その姉であり、母である少女ティファニアだ。
 アルビオン王国の辺境に位置するこの村は王政府の眼からひっそりと隠れる様にして、森の奥に造られた小さな村だった。村を留守にしているとある人物からの仕送りによって生活の大部分を支え、静かな時ばかりが流れる村だ。
 ティファニアは人間の父とエルフである母との間に生まれたいわゆるハーフであった。
 その出自のみならず、父が今のアルビオン王政府にとって許されざる罪を犯した者として家名を奪われ、貴族としての地位も無きものとされているため村の外に出ることは許されない。
 時折姿を見せる義姉の話してくれる外の様子や、幼い頃に父母に聞かされた見た事も言った事もない世界の様子は、時折、この村で生涯を終えるのだとぼんやり思っていたティファニアの胸の中を切なくさせていた。
 だから、ほんの気まぐれだった。姉に習った魔法の一つで使い魔を召喚する気になったのは。いつも幼い子供達の為の存在である自分が、自分の為の存在を手に入れるという想像は、思いのほかティファニアの胸を高鳴らせた。
 子供達に無償の慈愛を捧げながらも、そうやってただ日々を過ごす事に対する鬱屈とした想いが、かすかに堆積していたとしても仕方のないことだろう。エルフの血を引く自分を恐れぬのは子供達と義姉だけ。
 外に出ればどんな目に逢うか、まず間違いなく生命の危機に陥る事だけは、ティファニアにも分かっていた。目の間で無残に殺された母の姿は、今も時折夢に出てはティファニアの頬を涙で濡らすのだから。
 外に出られない自分の境遇を理解し、閉鎖された小さな世界で終わる自分の寂しさを紛らわす為の行為は、ティファニアにとって、心躍るものだった。
 単なる人間の子供として世に生を受けていたなら、蝶よ花よと育てられ、アルビオン王国の内乱が怒るまでは高貴な一族の血を引くものとして何一つ不自由のない生活を送っていたことだろう。
 方々に伸びた木々の枝と新緑の葉をすかして差し込む木漏れ日のなか、四方を森に囲まれた家の裏庭に出て、ティファニアは小さな指揮棒の様なシンプルな拵えの杖を持ち、深呼吸をした。

 ティファニアの胸元で幼子の頭ほどもあるのではと眼を剥く巨大な果実が、噛み締めた時の芳醇な果汁を想像させるたっぷりとした豊さで、呼吸に合わせて揺れていた。
 その神秘的なほどの美貌とは反対にあまりにも豊かすぎるその肢体は、望めばいくらでも女としての幸せを掴めると美の神に約束されているに違いない。
 使い魔の召喚を行う事を決めてから、一生懸命唱え続けて暗記したルーンを口ずさみ、歌うような軽やかさでティファニアの呪文が紡がれてゆく。
 かつてない昂りは、子供達の目の前では決して見せない寂しさを紛らわしてくれる誰かへの期待の表れであったかもしれない。やがてルーンを唱え終え、閉じていた瞼を開いたティファニアの眼には、宙に浮かぶ巨大な鏡が映っていた。
 慌てて周囲を確認するが、自分以外に生き物の息遣いや気配は感じられない。失敗したのか? それともこれから何かが召喚されるのか?
 抑えようのない興奮に思わず豊かすぎる胸元を抑えて、ティファニアは新雪のきらめきを閉じ込めた頬に、朱を昇らせていた。そんな時である。お姉ちゃんと、子供達の泣き声が自分を呼んでいるのに気づいたのは。
 これまで耳にした事が無いくらい切迫したその響きに、我に返ったティファニアは急いで声の元へと駆けだした。自分が開いた使い魔を召喚する鏡をその場に放置したまま。
 声のした方へと息せき切って到着したティファニアが目にしたのは、数人の男の子と女の子の輪の中心で、顔を青白く変えて、右のわき腹から血を流している五歳くらいの女の子の姿だった。

「サンディ、どうしたの!?」

 自分自身も白磁の肌をさらに青褪めてティファニアがサンディと呼んだ女の子の顔を覗き込む。しゃくりあげていた男の子の一人が、つっかえつっかえ事情を説明した。
 昼食の後に、サンディや男の子を含む数人が森の中に蛙苺やモモリンゴを取りに出かけたのだが、ふと眼を離したすきに一番小さなサンディがいなくなり、慌ててみんなで探した時に、血を流して倒れているサンディを見つけ、ここまで運んで来たのだという。
 おそらく、足を滑らせたサンディが、運悪く斜めに枝が折れた木にぶつかり、その鋭利に尖っていた枝で脇腹を抉ってしまったらしい。今も男の子が抑えているサンディのわき腹からは赤い血が滔々と流れては地面を赤に染めている。
 水系統の魔法の中には強力な癒しの魔法もあるが、ティファニアは生まれてこの方系統魔法を使った試しがないし、ひょっとしたら父の血のお陰で学べば系統魔法も使えたかもしれない。
 だが現実には、ティファニアにはそのような魔法を使う実力はなく、まず自分が落ち着かなければ、とパニックに陥りそうになる自分を宥めすかす事しかできずにいた。
 自分も必死の思いでサンディのお腹を押さえ、生暖かい血の感触に、その暖かさの分だけサンディが死に近づいているのだと意識し、目の前が暗くなってゆく。

(神様でも誰でもいい、お願いです、この娘を助けてください。この娘の命が助かるのなら、私はどうなったっていい! だから、どうかお願いです、この子を)

「助けて……!」

 切なる願いを聞き届けた者はいた。しかし、しかし、果たしてそれは幸福な事であったろうか?
 ティファニアは、自分の背後に誰かが立っている事に気づいた。黒い影が自分とサンディの上に投げかけられている。この村でこんな長身の人間などいない。では、一体誰が?
 いぶかしむ思いで背後を振り返り、ティファニアは凍りついた。自分の願いが聞き届けられた事を悟ったからだ。なぜなら、目の前に立つものが、こんなに美しい者が人間である筈がない。
 ならば答えは天に住まう御使いか、地の底から現われた魔物のどちらかしかあるまい。白衣を着た異邦人は、ティファニアには目もくれずサンディへと囁きかけた。その声の居つくしさに充ち溢れた響きに、ティファニアは安堵した。
 突如姿を見せたこの男が、サンディにとって救い以外の何者でもないと、その声だけで分かったのだ。
 医師――メフィストの声が優しく、ゆっくりと語りかけた。

「治療を望むかね?」

 息を荒げ、意識がもうろうとしている筈のサンディの瞳が確かに焦点を結び、世界が色褪せる美貌を見つめた。その瞳に安らかなモノが広がる。今、目の前に居るモノが、自分にとってなんであるかを悟ったから。
 かすかに、サンディの首が縦に振られた。メフィストの口元に浮かぶ微笑はより優しく、無限の慈愛を湛えていた。

「我が治療の門戸を叩く者に生を」

 それ以外の者には死を――。ドクター・メフィストのハルケギニア大陸最初の患者は、このようにして魔界医師の治療を受ける事になったのだった。


 かつん、と硬質の床を靴そこが叩く音を一つ立てて、ティファニアは足を止めて夜空に浮かぶ月を眺めていた。ウエストウッド村に開院されたメフィスト病院の廊下である。
 消灯時刻となり(デンキという明かりらしい)、暗く寝静まった病院の見回りに出ていたところだ。
 メフィストを召喚し、意思のある人間を使い魔には出来ないと――というよりは美しすぎて契約の行為にまで及ぶ気にもなれなかった――ティファニアが固辞した次の日から、メフィストはこの小さな村で病院を開き、治療の日々を送っていた。
 あの日サンディの命を救ってもらった恩、そして自分が返す事も出来ないのに召喚してしまったという負い目を抱いていたティファニアにとって、メフィスト病院の手伝いを申し出るのは至極当然の事だった。
 患者以外に対しては冷厳と言う言葉を越えて冷酷非情の体現者の如く変るメフィストは、特に“女”を必要以上に無意識に主張しているティファニアに対して事の他冷たくはあったが、“教育”を受ける事と引き換えにその主張を認めた。
 “教育”と言うのは、無論メフィスト病院のスタッフとして最低限の能力を身につける事である。
 この基準を満たさぬ限り、どのような者でもメフィストの首を縦に振らせる事は出来ないし、逆に能力さえあればどんな氏素性の持ち主でも病院のスタッフとして採用される事を意味している。
 一人の患者の治療の為なら世界を敵に回す事に何の躊躇も感じず、そして勝ってしまうだろうメフィストらしい採用方針であった。ティファニアがメフィストに施された教育というのも、実に簡単なものだった。
 後日、司祭が教会で寝泊まりに使っていた部屋に呼び出されたティファニアは、粗末な木椅子に腰かけてメフィストと対面した。
 白い医師は相変わらず石ころを見るよりも冷たい瞳をティファニアに向けていたが、背筋を凍らせただけでティファニアは耐え、メフィストの言葉を待った。
 瞼を閉じる様に、と言われたティファニアが素直に言う通りにすると、メフィストがケープから五センチほどの針金を取り出し、それをティファニアの額に押し付けるや水に指したみたいにするするとティファニアの頭の中に入ってしまったのだ。
 目を瞑っていたティファニアには何が起きたか分からなかったが、メフィストに目を開いて良いと言われその通りにした時、唐突に自分の頭の中にそれまでまるで知らなかった様々な知識が溢れている事に気づいた。
 それがメフィストの言う教育だという事もその場で理解できた。その後、開院したメフィスト病院正規看護士として採用され(給与もある)、自分以外全てのスタッフがメフィストの作り出したホムンクルスという環境で、ティファニアは働く事となったのだ。
 120mm戦車砲の直撃にも耐える特殊錬金加工の施されたガラス窓に映る自分の姿を、ティファニアはじっと見つめた。
 抱えてしまえば折れてしまいそうな細腰とは不釣り合いに、爆発的に突き出た、たぷんたぷんとした胸とお尻。その二つを押し込めた、すべすべとした滑らかな肌触りの、ハルケギニアではお目にかかれない生地の白いナース服とナースキャップに白タイツ。
 どこの病院に出しても恥ずかしくない白衣の天使ことハーフエルフナース・ティファニアがそこに居た。

 その二つぴょこんと金の流れから突き出た長い耳。ちょっと気弱そうな顔。でも、今は少しだけ誇らしそうだった。
 メフィストが病院を開院し、周囲の村を回っては治療を施し、道に迷った人々全ての怪我や病気を治癒する事で、すでに近隣の村々にメフィスト病院とその評判は知れ渡っている。
 この病院にエルフの血を引く自分が勤めている事もだ。以前の自分ならそれだけで自分の運命の扉が閉じる重々しい音を幻聴しただろうが、今は違う。看護士として病院で働く中、これまでの人生で出会った人間の数に匹敵するたくさんの人々と会った。
 ほとんどすべての人間は、エルフの特徴を持ち実際に血を引く自分を恐れたが、こちらに悪意がないこと、あくまで病院のスタッフとしてここに居る事を諦めずに言葉で伝えて話しかける事で、徐々にではあるが理解してくれた。
 その事は、小さな世界に埋没していたティファニアの心を大きく励まし、明るい光をあてていた。二十四時間医療の手を休めぬこの病院での日々は忙しくあるが、なによりも充実していた。
 自分が生きている。自分を必要としてくれる人たちがいる。自分が力になれる人たちがいる。自分が居てもいいのだと思える。
 ティファニアにとって、使い魔召喚の儀式は大きく人生を変える分岐点となっていた。ティファニアの瞳が月を見上げ、口元に笑みを浮かべた。この世を去った父と母に私は大丈夫と、伝える様に。
 思わず月も身惚れてしまうほど柔らかく暖かな笑みを浮かべ、メフィスト病院正規看護士ティファニアは残る見回り区域へと足を向けた。

 意図せずティファニアの人生と精神に大きな影響を与えた当のメフィストは、滴ったばかりの血液と変わった吸血鬼化抑制薬を封じた小瓶を片手に、最凶最悪の吸血姫の復活に対して、なにやら思案しているようであった。
 宇宙の真理に挑む学究の徒の様だが、纏う雰囲気の荘厳さは比較にならない。誰かがこの場を目撃したならば、神か悪魔の降臨を目の当たりにしてしまったような感覚に囚われる事だろう。

「あの女が殺されたのはひとえに生きる事に対する絶望だ。絶望を抱かぬ限りあの女を物理的に滅ぼす事は不可能。蘇るとなれば、その絶望を払拭する希望を見つけるか、あるいは絶望を忘れなければならん。忘却、か」

 忘却。その言葉が何を意味するのかメフィストは、姦計謀略を持って人間の魂を奪わんとする悪魔の様な雰囲気を色濃くたたえ、月の光の明るい晩、一人院長室に立ち尽くしていた。




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