ギュスターヴがルイズの使い魔として召喚されて、早4日が経とうとしていた。
その日もギュスターヴは日の出とともに起床し、カーテンと窓を開けて外気を部屋に招きながら、ルイズを揺すり起こした。
「朝だぞ。起きろ、ルイズ」
「ん……」
やがてゆっくりと体を起こし覚醒するルイズ。それを確認したギュスターヴは、クローゼットから服を選びベッドに置いた。
「じゃ、洗濯を持っていくから。服、着替えておくんだぞ」
「わかってるわよ。……いってらっしゃい」
返事が返ってくるわけでもなく、そのままギュスターヴは洗濯籠を担いで部屋を出て行った。
錬金の失敗以来、ルイズはギュスターヴに高圧的に接しづらくなっていた。慰められたせいもある。
しかしそのことで反ってルイズは、ギュスターヴとの『使い魔と主人の関係』をどう捉えて良いのか分からなくなってしまった。
「もう少し、使い魔らしく振舞ってくれてもいいじゃない……」
頭を下げて傅くわけでもない。敬語も使わない。しかしルイズに見せるギュスターヴの所作は、優しさと敬意が滲み出ている。
それに応えられていない自分がもどかしくて、そう口走る。
一方、廊下を歩くギュスターヴも、学院での生活に順応し始めてはいたものの、一抹の『満たされない』気分を感じ始めていた。
(どうにかして、もとの世界に帰る方法がないものかな……)
別にギュスターヴは今の生活に不満があるわけではない。強いて言えば『物足りない』のだ。それは一国の王として
巨大な国土を支配した人間にとって、納得付くとはいえ従者の生活が窮屈だからであり、だからこそ、
帰還の模索という“それらしい目的”をギュスターヴにちらつかせるのだった。
その日もギュスターヴは日の出とともに起床し、カーテンと窓を開けて外気を部屋に招きながら、ルイズを揺すり起こした。
「朝だぞ。起きろ、ルイズ」
「ん……」
やがてゆっくりと体を起こし覚醒するルイズ。それを確認したギュスターヴは、クローゼットから服を選びベッドに置いた。
「じゃ、洗濯を持っていくから。服、着替えておくんだぞ」
「わかってるわよ。……いってらっしゃい」
返事が返ってくるわけでもなく、そのままギュスターヴは洗濯籠を担いで部屋を出て行った。
錬金の失敗以来、ルイズはギュスターヴに高圧的に接しづらくなっていた。慰められたせいもある。
しかしそのことで反ってルイズは、ギュスターヴとの『使い魔と主人の関係』をどう捉えて良いのか分からなくなってしまった。
「もう少し、使い魔らしく振舞ってくれてもいいじゃない……」
頭を下げて傅くわけでもない。敬語も使わない。しかしルイズに見せるギュスターヴの所作は、優しさと敬意が滲み出ている。
それに応えられていない自分がもどかしくて、そう口走る。
一方、廊下を歩くギュスターヴも、学院での生活に順応し始めてはいたものの、一抹の『満たされない』気分を感じ始めていた。
(どうにかして、もとの世界に帰る方法がないものかな……)
別にギュスターヴは今の生活に不満があるわけではない。強いて言えば『物足りない』のだ。それは一国の王として
巨大な国土を支配した人間にとって、納得付くとはいえ従者の生活が窮屈だからであり、だからこそ、
帰還の模索という“それらしい目的”をギュスターヴにちらつかせるのだった。
『ギュスターヴの決闘』
朝食の時間が終わり、生徒と教師各位は定められた教室で授業をしている。
その間も学院に奉公している平民の人々は割り当てられた仕事をこなす。マルトーは夕食以後の食材の買い付け、シエスタ他メイド達は
廊下や部屋の掃除、生徒寮のリネンに精を出す。しかしシエスタは今日、半日の休みを貰い、どこかに出かけていることを
朝食の折にギュスターヴは知った。
尚、授業時間の間、使い魔の動物達は思い思いに過す。学院の敷地内外に自分の憩いの場を探したり、食べ足りない食事を求めたり。
ギュスターヴはこの数日、学院の内部構造を覚える為に歩き周り、間取りを覚えたばかりだった。
そして今日は、名の知らぬ広場の一角に、いくつかの荷物を持ってたたずんでいた。植え込まれた樹の陰に座り、短剣を鞘から抜く。
鍛え上げられた鋼の光沢には、うっすらと年輪のような文様が浮かんでいる。
ギュスターヴは、短剣の刀身を眺めながらこれからをどう過すべきか考えた。ここには今までのように相談すべき相手がいない。
今まではケルヴィンがいた。フリンがいた。若い頃にはレスリーもいた。しかしここにはいない。ルイズには相談すべきでないと思った。
彼女は自分の事で手一杯なのはギュスターヴ自身がよく分かっていたから。
(まず文字が読めるようにならなければな。確か図書館があったはずだ。文字を習うにはどうするべきか。
やはりルイズに、いや、コルベール先生にでも……)
深く思考に沈降していると、広場の向こう側から誰かが歩いてくる。籠のようなものを背負い、片手に棒のようなものを握っている。
「あ、やっぱり居ましたね。ギュスターヴさん」
「……なんだ。誰かと思えばシエスタじゃないか。しかし……」
広場に入ってきたのは朝食の後から姿を消していたシエスタだった。しかし装いが印象を変えている。普段のメイド服ではない。
皮の当てられたスカートを履き、ブーツもなめした皮でできた丈夫なものだ。頭も山形の皮兜のようなものを被り、
頭の脇に流した若草の髪が汗で張り付いている。手袋も厚布を縫い合わせた丈夫なもので、手に握っていた棒は、
どうやら杖のようなものらしい。
「凄い格好だな。まるでディガーだ」
「ディガー?」
「いや、なんでもない。……その背中のものは?」
これですか、とシエスタは背負っていた籠をギュスターヴの前に降ろした。中にはたくさんの茸、山菜、〆られたばかりの野兎が入っていた。
「近くの森まで行って採って来ました。子供の頃から山歩きとかが趣味なんです。今日は良いものがたくさん取れました」
「へぇ、意外だな。手に持ってるのは杖、みたいだけど」
シエスタの杖は、硬い樹木を削りだしたような荒っぽい代物で、キュルケやルイズ等、貴族が使うものとは似ても似つかない。
確か、キュルケの友人らしいタバサという少女の持っていたものに近いが、それでも装飾らしいものも無い。
限りなくただの棒切れのような杖である。
「一応、森にも危険がありますから。狼とか、熊くらいなら、これで追い払えますし。オークとかが出てきたら流石に逃げますけど」
こんなふうに、と杖を握って構えるシエスタ。視線鋭く、そのさきに仮想される『敵』に気圧されない迫力がある。
その姿にギュスターヴは、なにか記憶のそこに引っかかるものを感じた。それは10年以上昔、海賊退治の計画を持ちかけてきた
高名なディガーの面影だった。
(タイクーン・ウィルは、今どうしているのだろうか……)
まさにディガーのような装いのシエスタが、遠い郷里の人々に重なって見える。
「…杖を持つということは、術が使える?」
「とんでもない!魔法なんて使えません。こうやって杖を持って歩くと貴族様から苦情を貰うんです。だからこっそり出かけて、
こっそり帰ってくるんです」
埒もない。この世界にアニマの術があるわけが無い。アニマ宿さぬギュスターヴはアニマによって引き起こされる事象を受けにくい。
初日に治療を受けた時も特にそのような干渉は無かったと聞く。であればこちらの魔法というのはアニマの術とは違うものなのだろう。
「でも、故郷のおばあちゃんに教えてもらったんです。森や山の歩き方。植物や鉱石の見分け方、獣の追い払い方……だから、
わたしはこうやって出歩くのが好きなんです」
「そうか。シエスタのお祖母さんは大層な人だな。孫に面白い趣味を仕込まれる」
そうですね、シエスタとギュスターヴは笑いあった。
「……しかし、どうして俺がここに居るってわかったんだ?マルトーさんにも言ってないのに」
「なんていうか……、ギュスターヴさんのいる所って、分かりますよ。その……他の人とすこし違うような…」
「そうかな……」
事実ギュスターヴは異邦人であるから違って当然なのだが、シエスタの言葉にはすこし含みが感じられた。
「あの、私はこれから着替えて仕事に戻るんですけど、私の変わりにこの籠のものをマルトーさんに届けてくれませんか?」
「そんなことか。いいよ。それくらいは」
ありがとうございます。シエスタはギュスターヴに一礼して広場を出て行った。
「タイクーン・シエスタ……なんてな」
埒もない戯言が零れる。
その間も学院に奉公している平民の人々は割り当てられた仕事をこなす。マルトーは夕食以後の食材の買い付け、シエスタ他メイド達は
廊下や部屋の掃除、生徒寮のリネンに精を出す。しかしシエスタは今日、半日の休みを貰い、どこかに出かけていることを
朝食の折にギュスターヴは知った。
尚、授業時間の間、使い魔の動物達は思い思いに過す。学院の敷地内外に自分の憩いの場を探したり、食べ足りない食事を求めたり。
ギュスターヴはこの数日、学院の内部構造を覚える為に歩き周り、間取りを覚えたばかりだった。
そして今日は、名の知らぬ広場の一角に、いくつかの荷物を持ってたたずんでいた。植え込まれた樹の陰に座り、短剣を鞘から抜く。
鍛え上げられた鋼の光沢には、うっすらと年輪のような文様が浮かんでいる。
ギュスターヴは、短剣の刀身を眺めながらこれからをどう過すべきか考えた。ここには今までのように相談すべき相手がいない。
今まではケルヴィンがいた。フリンがいた。若い頃にはレスリーもいた。しかしここにはいない。ルイズには相談すべきでないと思った。
彼女は自分の事で手一杯なのはギュスターヴ自身がよく分かっていたから。
(まず文字が読めるようにならなければな。確か図書館があったはずだ。文字を習うにはどうするべきか。
やはりルイズに、いや、コルベール先生にでも……)
深く思考に沈降していると、広場の向こう側から誰かが歩いてくる。籠のようなものを背負い、片手に棒のようなものを握っている。
「あ、やっぱり居ましたね。ギュスターヴさん」
「……なんだ。誰かと思えばシエスタじゃないか。しかし……」
広場に入ってきたのは朝食の後から姿を消していたシエスタだった。しかし装いが印象を変えている。普段のメイド服ではない。
皮の当てられたスカートを履き、ブーツもなめした皮でできた丈夫なものだ。頭も山形の皮兜のようなものを被り、
頭の脇に流した若草の髪が汗で張り付いている。手袋も厚布を縫い合わせた丈夫なもので、手に握っていた棒は、
どうやら杖のようなものらしい。
「凄い格好だな。まるでディガーだ」
「ディガー?」
「いや、なんでもない。……その背中のものは?」
これですか、とシエスタは背負っていた籠をギュスターヴの前に降ろした。中にはたくさんの茸、山菜、〆られたばかりの野兎が入っていた。
「近くの森まで行って採って来ました。子供の頃から山歩きとかが趣味なんです。今日は良いものがたくさん取れました」
「へぇ、意外だな。手に持ってるのは杖、みたいだけど」
シエスタの杖は、硬い樹木を削りだしたような荒っぽい代物で、キュルケやルイズ等、貴族が使うものとは似ても似つかない。
確か、キュルケの友人らしいタバサという少女の持っていたものに近いが、それでも装飾らしいものも無い。
限りなくただの棒切れのような杖である。
「一応、森にも危険がありますから。狼とか、熊くらいなら、これで追い払えますし。オークとかが出てきたら流石に逃げますけど」
こんなふうに、と杖を握って構えるシエスタ。視線鋭く、そのさきに仮想される『敵』に気圧されない迫力がある。
その姿にギュスターヴは、なにか記憶のそこに引っかかるものを感じた。それは10年以上昔、海賊退治の計画を持ちかけてきた
高名なディガーの面影だった。
(タイクーン・ウィルは、今どうしているのだろうか……)
まさにディガーのような装いのシエスタが、遠い郷里の人々に重なって見える。
「…杖を持つということは、術が使える?」
「とんでもない!魔法なんて使えません。こうやって杖を持って歩くと貴族様から苦情を貰うんです。だからこっそり出かけて、
こっそり帰ってくるんです」
埒もない。この世界にアニマの術があるわけが無い。アニマ宿さぬギュスターヴはアニマによって引き起こされる事象を受けにくい。
初日に治療を受けた時も特にそのような干渉は無かったと聞く。であればこちらの魔法というのはアニマの術とは違うものなのだろう。
「でも、故郷のおばあちゃんに教えてもらったんです。森や山の歩き方。植物や鉱石の見分け方、獣の追い払い方……だから、
わたしはこうやって出歩くのが好きなんです」
「そうか。シエスタのお祖母さんは大層な人だな。孫に面白い趣味を仕込まれる」
そうですね、シエスタとギュスターヴは笑いあった。
「……しかし、どうして俺がここに居るってわかったんだ?マルトーさんにも言ってないのに」
「なんていうか……、ギュスターヴさんのいる所って、分かりますよ。その……他の人とすこし違うような…」
「そうかな……」
事実ギュスターヴは異邦人であるから違って当然なのだが、シエスタの言葉にはすこし含みが感じられた。
「あの、私はこれから着替えて仕事に戻るんですけど、私の変わりにこの籠のものをマルトーさんに届けてくれませんか?」
「そんなことか。いいよ。それくらいは」
ありがとうございます。シエスタはギュスターヴに一礼して広場を出て行った。
「タイクーン・シエスタ……なんてな」
埒もない戯言が零れる。
ギュスターヴは依頼通り、シエスタの収穫品を厨房で仕込みをしていたマルトーに届けた。
すでに厨房は昼食の準備で人が混雑し始めていた。
「いやぁ悪いなギュス。シエスタが外出する時は大抵頼んでるもんでね。貴族様の所望の高級食材、とはいかないが、
これはこれで趣きのある食材でさ。料理のし甲斐があるんだ」
「これくらいは大したことじゃないさ。…それにしてもここはいつも忙しそうだな」
当然よ、と手のひらを上げて応えるマルトー。ここ数日の付き合いでギュスターヴはマルトーとの親交が持てたが、
朝から晩までマルトーは厨房にほぼ掛かりきりだ。他のコックの話では休みらしい休みが年に半月ほどしかないらしい。
「何せ、貴族向けに朝昼晩と300食、作り倒さなきゃいけないからな。賄いはうちの若いのに任せているが、貴族向けは手が抜けない。
トリステインは小国だが、食文化が結構広い。海沿いは海鮮が豊富だし、内陸は肉や野菜だな。
味付けもガリアやゲルマニアに隣接してるところじゃ隣国寄りの方が好まれる。この学院じゃ留学生含めて色んなところから
貴族が集まってるんだ。料理で文句言われないようにするにゃ俺くらいの腕がなきゃな」
文句と自慢が折衷したマルトーの話に相槌のように、「よ、マルトー親方!」「トリステイン一の料理人!」と、若いコックから声が掛かる。
「うるせぃ!おめーらはさっさと仕事しやがれ!」
「はははは……。なら、俺も手伝わせて貰おうかな」
「おいおいギュス。おめぇは客人なんだからそんなことさせられねぇよ」
「そうは言ったって、もう食事の世話ばかり受けてちゃ申し訳ないんだよ。給仕でもいい。なにかさせてくれ」
「そうだなぁ……」
昼食の時間。生徒と教師達は各々が着々と席を埋めていく。
ルイズも午前の授業を終えて昼食を摂っていた。粛々と並べられる食事を胃に入れながら、味わっているというよりもただ流し込んでいる。
その心は目の前の食事に向けられていないからである。
(ギュスターヴのこと、どうしよう。やっぱり『使い魔と主人』として、厳格に振舞うべき?そうなんだろうけど、でもそれは少し違うような気がするわ。
だって、まず私が主人の資格が無いじゃないの……どうすればいいのかしら……)
揺れる心はここにあらず、握られたフォークがぷつぷつと目の前の肉を穴だらけにする。
結局ルイズは昼食に出されたものを半分も口にしないで皿を下げさせ、デザートを食べようとしていた。倦んだ気分を甘いもので紛らわそうとする辺りが、年相応らしい。
カートに載せられて運ばれてくるデザート。ミントの香りのするパイのようだった。
「デザートでございます。ご主人」
「そう。……って、なんであんたがここにいるのよ!」
カートでデザートを運んできたのは、給仕の格好をしたギュスターヴと、仕事に戻っていたシエスタだった。二人はカートに載せられたデザートを運び、
テーブルに着く生徒たちに配っていたのだ。
「普段、食事の面倒をしてもらってるから、手伝わせてもらってるんだ」
「そ、そうなの。まぁいいわ。他のメイド達の邪魔になるんじゃないわよ。恥ずかしいから」
衆目の手前、主人らしく命令するが、それが酷く滑稽な気がして、人知れずルイズに自己嫌悪を与える。
カートは進み、他の生徒たちの方へ移った。ルイズはデザートを摘みながら、シエスタとともにデザートを配膳するギュスターヴをじっと見ている。
ギュスターヴは壮年の体にしっかりとした筋肉の付いた意丈夫だ。背も高く、給仕服と煩くないように撫で付けられた髪が相まって、
本来持つ高貴さが滲み出して魅力を引き出している。
その脇で粛々と配膳を務めるシエスタも、山出しの田舎娘ながら健康的な体躯、特に若さと健康さが主張する胸元や腰つきがあり、磨けば光る逸材なのが判る。
眩しい。彼らは私にない『何か』がある。どうしてそれが私にはないの?
嫉妬と羨望が思索を深め、ぷつぷつと再び、デザートが穴だらけになっていく。
「何よ、使い魔らしいこともしないで、メイドと仲良くしちゃって……」
「あら、メイドに嫉妬するなんて心が狭いわねルイズ」
いつの間にか零れた言葉に食いついたのは、隣に座っていたキュルケだった。キュルケは紅茶に口付けて、片目がこちらを覗き込んでいる。
ルイズが物思いにふけり、皿のものを穴だらけにし続けていたのをずっと視ていたらしい。
「あんたには関係ないでしょ、キュルケ。人の食事を盗み見るなんて下世話なゲルマニアらしいわね」
「ずいぶんな言い草ねルイズ。でも、使い魔の彼の事で悩んでいるらしい事は、前から知っていてよ」
ルイズは答えられない。図星だからだ。よりによってこの御家の仇敵に。
「使い魔だからって彼を手足のように使えるなんて、いくら貴方も思ってないでしょ」
「……それは…」
「彼は人間なんでしょ?それは、只の平民なんだろうけど。さしあたりのない使い魔が居ても、関係を作っていくのはそんな優しいことじゃないわ」
キュルケの脳裏には、自室の部屋影でじっとしているフレイムの姿が思い起こされる。
「貴方は普通とは違う使い魔をもらったなら、普通の使い魔と同じような関係を求めるのは少し違うんじゃないかしらね」
「知った風な口を聞かないでよ……」
フォークの爪先でパイを崩しながらぼやくルイズ。
「私はただ、人に馬鹿にされないような使い魔が欲しかったのよ。……ただ、それだけ…」
懊悩するルイズを尻目に、ギュスターヴとシエスタは配膳を続ける。ルイズの席からいくつか離れた席に座る男子生徒の一団が居た。
「なぁギーシュ。いったい誰がお前の彼女なのか教えろよ」
「そうだぜ。いろいろと話を聞くが本命は誰なんだ?」
話はどうやら男女の話らしい。もっともそんな色っぽい領域ではない、まだまだ青臭いところが残る。話の中心に座るギーシュと呼ばれた少年は、
センスの悪いシャツをひらひらとさせながら、なにやら格好つけて質問に答える。
「本命?薔薇の花は皆のものさ。特定の人を選んで交際するなんて、薔薇の役割がわかっていないね」
(ああ、こいつは自分が女にもてていると勘違いしているタイプだな。大方口がうまくて先導がいいから異性が寄ってくるような、そういうのだなぁ、これは)
帝王ながら浮名を流したギュスターヴはこの青っちょろい少年、ギーシュの振る舞いをこそばゆく、一方冷めて見ていた。
ギュスターヴの視線を感じ取ったのか、ギーシュはギュスターヴとシエスタに手招きする。
「給仕君、僕らにもデザートを寄越したまえ」
呼びつけられたギュスターヴは特に返事をすることもなく、軽く会釈して黙ったままデザートを配っていた。同じように紅茶をカップに注いで配るシエスタ。
紅茶を注ぐポットに新たな茶葉を足そうと視線を動かした時、シエスタの視界にきらりと陽光を照り返すものが写った。ポットをカートに戻して床にあるそれを拾う。
それは掌に収まるような小さな小瓶だった。栓がしっかりとされた見事な硝子の瓶。中には鮮やかな紫の液体が8割ほどまで入っている。
テーブルの下に落ちていたのだからきっと目の前の生徒たちが落としたに違いなく、粗相があっては困ると、シエスタは願い出た。
「こちらの小瓶を落とされた方はいらっしゃいませんでしょうか」
屯する男子生徒の前に置かれた小瓶に視線が注ぐ。
「知らないね。僕のじゃないな」
ギーシュはそっけなく答えてカップに口を当てている。
「これは、モンモランシーの香水瓶じゃないのか。彼女が持ち歩いているのを見たことがあるよ」
取り巻きの誰かが言うと、ではお届けしておきますね、とシエスタは機転を利かせて香水瓶を持ってモンモランシーのところへ行ったが、
ギーシュはそれをじっと目で追っていた。
「ミス・モンモランシ。こちらの香水瓶が床に」
飽くまで粗相の無いよう、恭しく香水を差し出したシエスタに、モンモランシーと呼ばれた巻き髪の少女は小首をかしげて答えた。
「あら、これはそこのギーシュに贈ったものよ。返してあげて」
ギーシュとモンモランシーの席の間はそれほど遠くない。ギーシュの取り巻きはそれを聞いてざわついた。
「ギーシュ!お前の本命はモンモランシーだったのか」
「お前がロール髪好きとはマニアックだな」
はやし立てる取り巻きに平静を装って対応するギーシュだが、目がおよぎ始めて明らかにうろたえの色がある。
「落ち着きたまえ諸君。いいかね、これは」
取り巻きをなだめるべく言葉を選んでいると、少し離れたテーブルから硝子の割れる音が聞こえる。音の主はテーブルから立ち上がり、顔を覆って震えている。
「ギーシュ様……」
めざとくギーシュは立ち上がって、音の主の少女に近寄った。
「どうしたんだいケティ?」
「酷いわ!ギーシュ様…ミス・モンモランシーという人が居ながら、私に声をかけるなんて」
「おおなんということだ。君は酷く誤解しているよケティ。いいかい、これは誤解だ」
「これ扱いだなんて随分ね、ギーシュ」
ギーシュが振り向くと、そこには仁王立つ少女モンモランシーが冷ややかな視線をギーシュに、そしてケティに注いでいた。
「私が貴方のために丹精込めて作ってあげた香水を『これ』扱いだなんて、酷い侮辱だわ。それに一年生にも手を出していたなんて。遊びでも、不愉快だわ」
『遊び』と呼ばれたケティは衝撃のあまりボロボロと涙をこぼし、そのまま食堂を飛び出してしまった。
それをどこまでも冷ややかに見送るモンモランシーと、徐々に汗を浮かばせるギーシュの二人。
「彼女とはどこまで?」
「いや、その……」
「お答えくださる?ミスタ・グラモン」
じりじりとギーシュに詰め寄るモンモランシーに追い詰められるギーシュ。食堂に居合わせたすべての人間がそれを観賞していた。傍観ともいう。
「……ラ・ロシェールの森まで、二人で遠乗りに……」
「遠乗りしただけ、かしら?」
「いや、その……」
テーブルに追い詰められ、逃げ場なく視線を泳がしながらしどろもどろと答えるギーシュに我慢ならなくなったモンモランシーは、
とっさに近くのテーブルにあった切り分け前のパイを掴み、ギーシュの顔に投げつけた。やわらかなパイ生地がべっとりとギーシュの顔面に張り付き、ズルっと落ちた。
「そうやってそこでしばらく笑いものになりなさい。ギーシュ」
モンモランシーはそう言うと、颯爽と靴音高く食堂を去っていった。
一方取り残された『色男』ギーシュは、ポケットからド紫色のハンケチーフを取り出し、丁寧に顔を拭くと、
「ふぅ、どうやら彼女らは、薔薇の役割がわかっていないようだね」
一言言ったきり、食堂が静かになる。笑いものになれ、といわれたところで、ここで本当に笑ったら非常に厳しい、という空気が暗黙に広がっている。
しかし、人間は目の前で起きた喜劇を黙って観賞できるほど行儀良く出来ているわけではない。ぽつり、ぽつりと忍ぶような笑い声が聞こえてきて、
やがてそれが全体の意思のようになってくると、流石のギーシュも黙っていられない。
「誰だ!僕を笑うのは!」
ギーシュは探した、このばかげた空気を鎮めねばならない。その為にはもっとも危険の少ない誰かを吊り上げて怒鳴りつけるに限る。と、彼は考えた。
そして見つけた。手ごろな生贄を。それは若草髪のメイドだった。
「君か!そこのメイド!」
指突きつけられたシエスタは、ビクリと身を震わせ、そっとギーシュの顔を見定める。
「貴族を笑うとは不届きなメイドだ。大体だ、君が香水瓶を拾ったりしなければ、ああもレディ二人の名誉を傷つけるようなことはなかったんだ。どうしてくれる!」
反論は許されない。シエスタは口つぐんで頭を下げた。反論すればまさに『貴族に逆らう平民』として食堂にいるほぼ全員の生徒から目の敵にされる。
その全員がギーシュの主張が詭弁だとわかっているにも関わらず。
なぜならそれが平民であり、貴族であるから。貴族が白といえば平民は黒と言ってはいけないのだ。それがトリステインであり、ハルケギニアとは
大同小異あれそういう世界なのだ。
だがしかし、ここに少数の例外がいる。魔法の使えないメイジと、その使い魔である。
「それくらいにしておけばギーシュ。どう見ても二股バレた八つ当たりに見えるわよ」
みっともない、とルイズは明らかに蔑んだ目でギーシュを見た。ルイズからすれば、ギーシュの行動は貴族としてやってはならない部類の一つだ。
身分を嵩に行動してはならない。少なくとも彼女の志向する貴族とは、そんなものじゃないからだ。
一方ギーシュから見れば、自分の不始末を有耶無耶にするチャンスを潰そうとする、位ばかり高い無能なメイジは邪魔以外何物でもない。
「なんだねミス・ヴァリエール。君は関係ないじゃないか。それとも、魔法が使えない自分を哀れんで平民の肩を持つというのかね」
彼はこういうときの常套句を知っている。否や、ルイズを知る生徒は皆知っているのだ。
方向性を失ったままだった観客達は、ギーシュの言葉に付いた。
「そうだ!ゼロの癖に貴族ぶってるんじゃないぜ、ルイズ!」
「いっそのこと、そこのメイドの変わりにメイドでもしてろよ!」
昔ならいざ知らず、己の無能は知り果てたつもりだったルイズにとって、周囲の罵声はそよ風だった。
何も知らないから言えるのだ。そう思う。冷たい気持ちが心に掛かる。
だがしかし、彼女の使い魔を以ってこの世界に立つ壮年の男は、主人とは対照的に、奥歯をかみ締め眉間を寄せ、ギーシュの視界に立つ。
「な、なんだね、君は」
「一応、ルイズの使い魔をやっている。主人への言葉を取り消してもらう」
ギーシュとて、ルイズが平民を使い魔にした事は聞いていた。少し驚いたが、また余裕ぶった気障な格好を取ってみせる。
「哀れな主人を守ろうなんて健気だね」
「そんなものじゃない。それより」
ギュスターヴはギーシュの胸倉を掴むと、ぐっと自分のところまで引き寄せた。ギーシュとは身長差が10サント程あるが、それ以上に
立派な体格をしたギュスターヴに詰め寄られて怯む。
「たとえ貴族だろうが、品性のないふるまいをする奴はゴロツキと同じだ。糞餓鬼」
このとき初めてギーシュは、ギュスターヴ自身が己を見下している事を理解した、その瞬間、怯んで引いた血が一気に体を駆け巡って、熱を帯びてくる。
「平民如きが貴族を語るとは。何たる不敬だ!おいそこのメイド!」
ギーシュに再び指差されるシエスタは、身を縮めている。
「その男をヴェストリ広場までつれてくるんだ。そうしたら今回のことは不問にする」
飽くまでギーシュはシエスタを生贄にするつもりだったが、予定が変わった。どちらにしても二股騒ぎは有耶無耶にできた。
あとはこの苛立たしいゼロの使い魔を使って憂さを晴らすだけだ。
ギーシュが食堂を出て行くと、野次馬気分の生徒たちが食堂を飛び出し、ヴェストリ広場に駆け込んでいく。
シエスタは動転した。自分の行いでギュスターヴが貴族の手に掛かってしまうのだ。
「貴方、殺されちゃう……」
一方、平然とするギュスターヴに、テーブルを立って駆けつけたルイズはギュスターヴに怒鳴りつけた。
「なんであんな事いったのよ!今すぐ謝ってきなさい!」
「できない」
「あんたがどれだけ強いか知らないけどね、平民はメイジに絶対に勝てないの。私も謝るから」
「それだけは駄目だ」
険しい顔で答えるギュス。
「あんなのを貴族だなんて。俺は認めない。たとえ子供でも」
ギュスターヴの怒りは、ルイズとは少し軸を異にした。本質的には間違っていない。貴族たらんなら、身分を越えて義務を務めるべきだ。
しかしギュスターヴは猛る。猛る頭に浮かんだのは、青春に彩られていた若き日々のケルヴィンの姿だった。
あれを『貴族』だなどと。俺は決して認めない。
「先に行っててくれ。荷物を取ってくる」
短く言い、ギュスターヴは給仕服についているエプロンを剥ぎ取ってシエスタに渡すと、そのまま食堂から出て行った。
「もう、知らないから!」
すでに厨房は昼食の準備で人が混雑し始めていた。
「いやぁ悪いなギュス。シエスタが外出する時は大抵頼んでるもんでね。貴族様の所望の高級食材、とはいかないが、
これはこれで趣きのある食材でさ。料理のし甲斐があるんだ」
「これくらいは大したことじゃないさ。…それにしてもここはいつも忙しそうだな」
当然よ、と手のひらを上げて応えるマルトー。ここ数日の付き合いでギュスターヴはマルトーとの親交が持てたが、
朝から晩までマルトーは厨房にほぼ掛かりきりだ。他のコックの話では休みらしい休みが年に半月ほどしかないらしい。
「何せ、貴族向けに朝昼晩と300食、作り倒さなきゃいけないからな。賄いはうちの若いのに任せているが、貴族向けは手が抜けない。
トリステインは小国だが、食文化が結構広い。海沿いは海鮮が豊富だし、内陸は肉や野菜だな。
味付けもガリアやゲルマニアに隣接してるところじゃ隣国寄りの方が好まれる。この学院じゃ留学生含めて色んなところから
貴族が集まってるんだ。料理で文句言われないようにするにゃ俺くらいの腕がなきゃな」
文句と自慢が折衷したマルトーの話に相槌のように、「よ、マルトー親方!」「トリステイン一の料理人!」と、若いコックから声が掛かる。
「うるせぃ!おめーらはさっさと仕事しやがれ!」
「はははは……。なら、俺も手伝わせて貰おうかな」
「おいおいギュス。おめぇは客人なんだからそんなことさせられねぇよ」
「そうは言ったって、もう食事の世話ばかり受けてちゃ申し訳ないんだよ。給仕でもいい。なにかさせてくれ」
「そうだなぁ……」
昼食の時間。生徒と教師達は各々が着々と席を埋めていく。
ルイズも午前の授業を終えて昼食を摂っていた。粛々と並べられる食事を胃に入れながら、味わっているというよりもただ流し込んでいる。
その心は目の前の食事に向けられていないからである。
(ギュスターヴのこと、どうしよう。やっぱり『使い魔と主人』として、厳格に振舞うべき?そうなんだろうけど、でもそれは少し違うような気がするわ。
だって、まず私が主人の資格が無いじゃないの……どうすればいいのかしら……)
揺れる心はここにあらず、握られたフォークがぷつぷつと目の前の肉を穴だらけにする。
結局ルイズは昼食に出されたものを半分も口にしないで皿を下げさせ、デザートを食べようとしていた。倦んだ気分を甘いもので紛らわそうとする辺りが、年相応らしい。
カートに載せられて運ばれてくるデザート。ミントの香りのするパイのようだった。
「デザートでございます。ご主人」
「そう。……って、なんであんたがここにいるのよ!」
カートでデザートを運んできたのは、給仕の格好をしたギュスターヴと、仕事に戻っていたシエスタだった。二人はカートに載せられたデザートを運び、
テーブルに着く生徒たちに配っていたのだ。
「普段、食事の面倒をしてもらってるから、手伝わせてもらってるんだ」
「そ、そうなの。まぁいいわ。他のメイド達の邪魔になるんじゃないわよ。恥ずかしいから」
衆目の手前、主人らしく命令するが、それが酷く滑稽な気がして、人知れずルイズに自己嫌悪を与える。
カートは進み、他の生徒たちの方へ移った。ルイズはデザートを摘みながら、シエスタとともにデザートを配膳するギュスターヴをじっと見ている。
ギュスターヴは壮年の体にしっかりとした筋肉の付いた意丈夫だ。背も高く、給仕服と煩くないように撫で付けられた髪が相まって、
本来持つ高貴さが滲み出して魅力を引き出している。
その脇で粛々と配膳を務めるシエスタも、山出しの田舎娘ながら健康的な体躯、特に若さと健康さが主張する胸元や腰つきがあり、磨けば光る逸材なのが判る。
眩しい。彼らは私にない『何か』がある。どうしてそれが私にはないの?
嫉妬と羨望が思索を深め、ぷつぷつと再び、デザートが穴だらけになっていく。
「何よ、使い魔らしいこともしないで、メイドと仲良くしちゃって……」
「あら、メイドに嫉妬するなんて心が狭いわねルイズ」
いつの間にか零れた言葉に食いついたのは、隣に座っていたキュルケだった。キュルケは紅茶に口付けて、片目がこちらを覗き込んでいる。
ルイズが物思いにふけり、皿のものを穴だらけにし続けていたのをずっと視ていたらしい。
「あんたには関係ないでしょ、キュルケ。人の食事を盗み見るなんて下世話なゲルマニアらしいわね」
「ずいぶんな言い草ねルイズ。でも、使い魔の彼の事で悩んでいるらしい事は、前から知っていてよ」
ルイズは答えられない。図星だからだ。よりによってこの御家の仇敵に。
「使い魔だからって彼を手足のように使えるなんて、いくら貴方も思ってないでしょ」
「……それは…」
「彼は人間なんでしょ?それは、只の平民なんだろうけど。さしあたりのない使い魔が居ても、関係を作っていくのはそんな優しいことじゃないわ」
キュルケの脳裏には、自室の部屋影でじっとしているフレイムの姿が思い起こされる。
「貴方は普通とは違う使い魔をもらったなら、普通の使い魔と同じような関係を求めるのは少し違うんじゃないかしらね」
「知った風な口を聞かないでよ……」
フォークの爪先でパイを崩しながらぼやくルイズ。
「私はただ、人に馬鹿にされないような使い魔が欲しかったのよ。……ただ、それだけ…」
懊悩するルイズを尻目に、ギュスターヴとシエスタは配膳を続ける。ルイズの席からいくつか離れた席に座る男子生徒の一団が居た。
「なぁギーシュ。いったい誰がお前の彼女なのか教えろよ」
「そうだぜ。いろいろと話を聞くが本命は誰なんだ?」
話はどうやら男女の話らしい。もっともそんな色っぽい領域ではない、まだまだ青臭いところが残る。話の中心に座るギーシュと呼ばれた少年は、
センスの悪いシャツをひらひらとさせながら、なにやら格好つけて質問に答える。
「本命?薔薇の花は皆のものさ。特定の人を選んで交際するなんて、薔薇の役割がわかっていないね」
(ああ、こいつは自分が女にもてていると勘違いしているタイプだな。大方口がうまくて先導がいいから異性が寄ってくるような、そういうのだなぁ、これは)
帝王ながら浮名を流したギュスターヴはこの青っちょろい少年、ギーシュの振る舞いをこそばゆく、一方冷めて見ていた。
ギュスターヴの視線を感じ取ったのか、ギーシュはギュスターヴとシエスタに手招きする。
「給仕君、僕らにもデザートを寄越したまえ」
呼びつけられたギュスターヴは特に返事をすることもなく、軽く会釈して黙ったままデザートを配っていた。同じように紅茶をカップに注いで配るシエスタ。
紅茶を注ぐポットに新たな茶葉を足そうと視線を動かした時、シエスタの視界にきらりと陽光を照り返すものが写った。ポットをカートに戻して床にあるそれを拾う。
それは掌に収まるような小さな小瓶だった。栓がしっかりとされた見事な硝子の瓶。中には鮮やかな紫の液体が8割ほどまで入っている。
テーブルの下に落ちていたのだからきっと目の前の生徒たちが落としたに違いなく、粗相があっては困ると、シエスタは願い出た。
「こちらの小瓶を落とされた方はいらっしゃいませんでしょうか」
屯する男子生徒の前に置かれた小瓶に視線が注ぐ。
「知らないね。僕のじゃないな」
ギーシュはそっけなく答えてカップに口を当てている。
「これは、モンモランシーの香水瓶じゃないのか。彼女が持ち歩いているのを見たことがあるよ」
取り巻きの誰かが言うと、ではお届けしておきますね、とシエスタは機転を利かせて香水瓶を持ってモンモランシーのところへ行ったが、
ギーシュはそれをじっと目で追っていた。
「ミス・モンモランシ。こちらの香水瓶が床に」
飽くまで粗相の無いよう、恭しく香水を差し出したシエスタに、モンモランシーと呼ばれた巻き髪の少女は小首をかしげて答えた。
「あら、これはそこのギーシュに贈ったものよ。返してあげて」
ギーシュとモンモランシーの席の間はそれほど遠くない。ギーシュの取り巻きはそれを聞いてざわついた。
「ギーシュ!お前の本命はモンモランシーだったのか」
「お前がロール髪好きとはマニアックだな」
はやし立てる取り巻きに平静を装って対応するギーシュだが、目がおよぎ始めて明らかにうろたえの色がある。
「落ち着きたまえ諸君。いいかね、これは」
取り巻きをなだめるべく言葉を選んでいると、少し離れたテーブルから硝子の割れる音が聞こえる。音の主はテーブルから立ち上がり、顔を覆って震えている。
「ギーシュ様……」
めざとくギーシュは立ち上がって、音の主の少女に近寄った。
「どうしたんだいケティ?」
「酷いわ!ギーシュ様…ミス・モンモランシーという人が居ながら、私に声をかけるなんて」
「おおなんということだ。君は酷く誤解しているよケティ。いいかい、これは誤解だ」
「これ扱いだなんて随分ね、ギーシュ」
ギーシュが振り向くと、そこには仁王立つ少女モンモランシーが冷ややかな視線をギーシュに、そしてケティに注いでいた。
「私が貴方のために丹精込めて作ってあげた香水を『これ』扱いだなんて、酷い侮辱だわ。それに一年生にも手を出していたなんて。遊びでも、不愉快だわ」
『遊び』と呼ばれたケティは衝撃のあまりボロボロと涙をこぼし、そのまま食堂を飛び出してしまった。
それをどこまでも冷ややかに見送るモンモランシーと、徐々に汗を浮かばせるギーシュの二人。
「彼女とはどこまで?」
「いや、その……」
「お答えくださる?ミスタ・グラモン」
じりじりとギーシュに詰め寄るモンモランシーに追い詰められるギーシュ。食堂に居合わせたすべての人間がそれを観賞していた。傍観ともいう。
「……ラ・ロシェールの森まで、二人で遠乗りに……」
「遠乗りしただけ、かしら?」
「いや、その……」
テーブルに追い詰められ、逃げ場なく視線を泳がしながらしどろもどろと答えるギーシュに我慢ならなくなったモンモランシーは、
とっさに近くのテーブルにあった切り分け前のパイを掴み、ギーシュの顔に投げつけた。やわらかなパイ生地がべっとりとギーシュの顔面に張り付き、ズルっと落ちた。
「そうやってそこでしばらく笑いものになりなさい。ギーシュ」
モンモランシーはそう言うと、颯爽と靴音高く食堂を去っていった。
一方取り残された『色男』ギーシュは、ポケットからド紫色のハンケチーフを取り出し、丁寧に顔を拭くと、
「ふぅ、どうやら彼女らは、薔薇の役割がわかっていないようだね」
一言言ったきり、食堂が静かになる。笑いものになれ、といわれたところで、ここで本当に笑ったら非常に厳しい、という空気が暗黙に広がっている。
しかし、人間は目の前で起きた喜劇を黙って観賞できるほど行儀良く出来ているわけではない。ぽつり、ぽつりと忍ぶような笑い声が聞こえてきて、
やがてそれが全体の意思のようになってくると、流石のギーシュも黙っていられない。
「誰だ!僕を笑うのは!」
ギーシュは探した、このばかげた空気を鎮めねばならない。その為にはもっとも危険の少ない誰かを吊り上げて怒鳴りつけるに限る。と、彼は考えた。
そして見つけた。手ごろな生贄を。それは若草髪のメイドだった。
「君か!そこのメイド!」
指突きつけられたシエスタは、ビクリと身を震わせ、そっとギーシュの顔を見定める。
「貴族を笑うとは不届きなメイドだ。大体だ、君が香水瓶を拾ったりしなければ、ああもレディ二人の名誉を傷つけるようなことはなかったんだ。どうしてくれる!」
反論は許されない。シエスタは口つぐんで頭を下げた。反論すればまさに『貴族に逆らう平民』として食堂にいるほぼ全員の生徒から目の敵にされる。
その全員がギーシュの主張が詭弁だとわかっているにも関わらず。
なぜならそれが平民であり、貴族であるから。貴族が白といえば平民は黒と言ってはいけないのだ。それがトリステインであり、ハルケギニアとは
大同小異あれそういう世界なのだ。
だがしかし、ここに少数の例外がいる。魔法の使えないメイジと、その使い魔である。
「それくらいにしておけばギーシュ。どう見ても二股バレた八つ当たりに見えるわよ」
みっともない、とルイズは明らかに蔑んだ目でギーシュを見た。ルイズからすれば、ギーシュの行動は貴族としてやってはならない部類の一つだ。
身分を嵩に行動してはならない。少なくとも彼女の志向する貴族とは、そんなものじゃないからだ。
一方ギーシュから見れば、自分の不始末を有耶無耶にするチャンスを潰そうとする、位ばかり高い無能なメイジは邪魔以外何物でもない。
「なんだねミス・ヴァリエール。君は関係ないじゃないか。それとも、魔法が使えない自分を哀れんで平民の肩を持つというのかね」
彼はこういうときの常套句を知っている。否や、ルイズを知る生徒は皆知っているのだ。
方向性を失ったままだった観客達は、ギーシュの言葉に付いた。
「そうだ!ゼロの癖に貴族ぶってるんじゃないぜ、ルイズ!」
「いっそのこと、そこのメイドの変わりにメイドでもしてろよ!」
昔ならいざ知らず、己の無能は知り果てたつもりだったルイズにとって、周囲の罵声はそよ風だった。
何も知らないから言えるのだ。そう思う。冷たい気持ちが心に掛かる。
だがしかし、彼女の使い魔を以ってこの世界に立つ壮年の男は、主人とは対照的に、奥歯をかみ締め眉間を寄せ、ギーシュの視界に立つ。
「な、なんだね、君は」
「一応、ルイズの使い魔をやっている。主人への言葉を取り消してもらう」
ギーシュとて、ルイズが平民を使い魔にした事は聞いていた。少し驚いたが、また余裕ぶった気障な格好を取ってみせる。
「哀れな主人を守ろうなんて健気だね」
「そんなものじゃない。それより」
ギュスターヴはギーシュの胸倉を掴むと、ぐっと自分のところまで引き寄せた。ギーシュとは身長差が10サント程あるが、それ以上に
立派な体格をしたギュスターヴに詰め寄られて怯む。
「たとえ貴族だろうが、品性のないふるまいをする奴はゴロツキと同じだ。糞餓鬼」
このとき初めてギーシュは、ギュスターヴ自身が己を見下している事を理解した、その瞬間、怯んで引いた血が一気に体を駆け巡って、熱を帯びてくる。
「平民如きが貴族を語るとは。何たる不敬だ!おいそこのメイド!」
ギーシュに再び指差されるシエスタは、身を縮めている。
「その男をヴェストリ広場までつれてくるんだ。そうしたら今回のことは不問にする」
飽くまでギーシュはシエスタを生贄にするつもりだったが、予定が変わった。どちらにしても二股騒ぎは有耶無耶にできた。
あとはこの苛立たしいゼロの使い魔を使って憂さを晴らすだけだ。
ギーシュが食堂を出て行くと、野次馬気分の生徒たちが食堂を飛び出し、ヴェストリ広場に駆け込んでいく。
シエスタは動転した。自分の行いでギュスターヴが貴族の手に掛かってしまうのだ。
「貴方、殺されちゃう……」
一方、平然とするギュスターヴに、テーブルを立って駆けつけたルイズはギュスターヴに怒鳴りつけた。
「なんであんな事いったのよ!今すぐ謝ってきなさい!」
「できない」
「あんたがどれだけ強いか知らないけどね、平民はメイジに絶対に勝てないの。私も謝るから」
「それだけは駄目だ」
険しい顔で答えるギュス。
「あんなのを貴族だなんて。俺は認めない。たとえ子供でも」
ギュスターヴの怒りは、ルイズとは少し軸を異にした。本質的には間違っていない。貴族たらんなら、身分を越えて義務を務めるべきだ。
しかしギュスターヴは猛る。猛る頭に浮かんだのは、青春に彩られていた若き日々のケルヴィンの姿だった。
あれを『貴族』だなどと。俺は決して認めない。
「先に行っててくれ。荷物を取ってくる」
短く言い、ギュスターヴは給仕服についているエプロンを剥ぎ取ってシエスタに渡すと、そのまま食堂から出て行った。
「もう、知らないから!」