あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

ゼロのエルクゥ - 16


 ニューカッスル城の港は、大陸の真下に存在した。
 雲と大陸そのものに覆われて真っ暗な中を空飛ぶ船が進むのは、さすがの耕一もいささか肝を冷やした。

「なに、我が王立空軍の航海士には造作もないことさ。真に空を知る者は、奴らのような恥知らずどもに与したりはせぬよ」

 ウェールズは耕一の正直な感想を、そう笑い飛ばした。
 二隻の船は、大陸の真下にぽっかりと開いた鍾乳洞のような洞窟に、するすると滑り込んでいく。
 ヒカリゴケで十分に明るいそこには多くの兵士達が待機していて、イーグル号に続いてマリー・ガラント号が港に入ってくると、割れるような歓声を叫び出した。
 網の目のようなたくさんのロープに繋がれ、並んだ丸太の上にどすんと腰を下ろした船に、まるで飛行機から偉い人が降りてくる時のような木製のタラップが取り付けられ、ウェールズがそれを降っていく。

「ほほ、これはまた、大した戦果ですな、殿下」
「喜べパリー。積荷は硫黄だ! 硫黄!」
「ほほう、硫黄ですと! 火の秘薬ではござらぬか! これで我々の名誉も守られると言うものですな!」

 近寄ってきた老人と、手を叩いて喜び合うウェールズ。
 老人は戦果であるマリー・ガラント号を見て、おいおいと泣き始めてしまった。

「先の陛下よりお仕えして六十年……こんなに嬉しい日はありませんぞ、殿下。反乱が起こってからというもの、苦汁を舐めっぱなしでございましたが……なに、これだけの硫黄があれば」

 泣くのをやめた老人とウェールズが、朗らかに笑った。

「王家の誇りと名誉を、余すところなく叛徒どもに示す事が出来るだろう。始祖にも胸を張って拝謁賜る事が出来るというものだ」
「くく、この老骨、武者震いが致しますぞ」

 洞窟を歩きながらひとしきり笑いあう。
 始祖に会う―――つまりは、死後の世界へ行くというハルケギニアの言い回しに、ルイズと、なぜかそれを理解できてしまった耕一の顔が強張った。

「状況は?」
「きゃつらは数に任せて包囲を敷きながら、未だに沈黙を保っておりまする。総攻撃は近いと思われますが……」
「布告もなく仕掛けてくるほど恥知らずではないと思いたいものだな」
「全くです。ところで、後ろの方々は?」

 皮肉げに一つ笑みを浮かべた後、老人がウェールズの後ろについていたルイズ達を、興味深げな視線で見つめた。

「トリステインからの大使殿一行だ。重要な用件で、我が王国に参られたのだ」

 老人は、一瞬だけ、ぱちくりとまばたきをすると、次の瞬間には柔らかい仕草で敬礼をしていた。

「これはこれは大使殿。遠路はるばるようこそいらっしゃいました。わたくし、殿下の侍従を務めさせてもらっております、パリー・ベアと申しまする。大したもてなしは出来ませぬが、どうぞゆるりとなさっていかれませ」
「パリー・ベア? その名、どこかで聞いた事が……」

 侍従だと言うその老メイジに、ワルドの瞳がキラリと光った。

「防衛戦を特に得意とし、『鉄壁』のパリーと呼ばれた名将軍だ。じいやがいなければ、とっくの昔に王党派は蹴散らされていただろうな!」
「ほう! 『鉄壁』と言えば、アルビオンのイージスとまで謳われた、あのベア元帥ですか! ご高名はかねがね」
「かっかっかっ。誉めすぎですぞ殿下に大使殿。昔取った杵柄というやつですわい」
「敵の策にはまって本陣が奇襲を受けた際、前王ジェラール一世の盾となり、襲いくる剣戟や魔法を全て剣一本で捌ききったという逸話は、士官学校では必ず話題に昇りますからな。いや光栄です」

 ワルドも混ざった軍人連中が話に花を咲かせながら連れ立っていくのに、ルイズと耕一は所在なげに付いていくのだった。

§

 ウェールズの居室は、まがりなりにも城の天守に存在する部屋にしては、質素そのものと言っていい部屋だった。
 粗末なベッドに椅子とテーブルが一組。飾りらしきものは、壁にかけられた戦の様子を描いたタペストリーのみ。よっぽど、魔法学院の寮の方が豪奢と言える。
 ウェールズは椅子に腰を下ろし、引出しを開いた。中には、宝石をあしらった、小さな小箱が一つ。
 それを、またあの―――清冽な諦めの目で見据えると、身につけていたネックレスについていた小さな鍵で、その箱を開けた。
 中には、端々が擦り切れた手紙が一通入っていた。蓋の裏には、この前見た本人よりは少し幼い面影を持つアンリエッタの肖像が描かれている。

「……宝箱でね」

 3人の視線が箱に集まっている事に気付いたウェールズは、はにかむように言った。
 手紙を取り出し、愛おしそうな、それでいて―――やはり、届かぬものを見やるような目でそれに口付け、手紙を開いて読み始めた。
 端がぼろぼろなのは、何度もそうやって読み返されたからなのだろう。
 何度目かもわからない、まるで一つの儀式のようでもあったそれを終えると、ウェールズは丁寧に手紙をたたみ、封筒に戻した。

「これが件の手紙だ。このとおり、確かに返却したぞ」
「……ありがとうございます」

 ルイズは深々と頭を下げ、手紙を受け取った。

「貴族派からの攻撃予告があり次第、例の隠し港から、非戦闘員である女子供を乗せてイーグル号とマリー・ガラント号が出港する手はずになっている。おそらくは今日明日中になるだろう。それに乗って帰るといい」
「はい……」
「部屋を用意させよう。大使の任、ご苦労だった。今日はゆっくり休んでくれ」
「…………」
「どうか、したのかね?」

 ルイズは、しばらくの間、手紙を見つめるようにじっと俯いていたが、やがて顔を上げ、潤んだ目をウェールズに向けた。

「殿下。失礼ですが、少し聞かせていただいてもよろしいですか?
「なんなりと答えよう。明日にも滅ぶ王国に、何も隠し事などないからね」

 ルイズの顔が歪む。そのウェールズの言葉が、ルイズの聞きたい答えであるらしかった。

「……やはり、勝ち目はないのですか」
「ないよ。我が軍は三百。対して反乱軍は五万を下らぬ。どれほどの奇跡が起これば勝てるのか、見当もつかないな」
「死ぬ、おつもりなのですか」
「ははは。負け戦こそ武人の華。死ぬつもりも負けるつもりも毛頭無いが、いつでも覚悟はしているさ」
「……殿下」

 先程の侍従の老人とのやりとりといい、この戦いで真っ先に散るつもりなのだ、というのは、ルイズにもわかった。

「……恋人を置いて、ですか?」
「こ、コーイチ?」

 何も言えなかったルイズの次を、耕一が続けた。

「…………アンリエッタから聞いたのかい?」
「いいえ。……同じような境遇の人を、見知っているので。お姫さまも、あなたも……その人達に、よく似た表情をしていました」
「そうか。まあ、珍しくもない話だからね」

 ウェールズは、特に感情もなく微笑んだ。

「姫さまの、お手紙をしたためる時の切なげな表情と……殿下の、お手紙を読まれる時の物憂げな表情は、そういう事だったのですね」

 ルイズは、どこか納得したように頷いている。

「では、この姫さまから贈られた手紙というのは……」
「……想像の通り、恋文だよ。始祖の名の元に愛を誓っている、ね」
「始祖ブリミルへの誓いは、婚姻の際に行われる永遠のもの……なるほど、確かに、政略結婚とはいえこれから結婚する相手が別の男にそんなものを贈っていたとなれば、ご破談になる可能性は少なくないでしょうな」

 ワルドが捕捉すると、ウェールズは重く頷いた。

「殿下と姫さまが恋仲であったというのなら……なぜ、なぜ死のうとなさるのですか?」
「もう昔の話さ」
「嘘です! 姫さまも殿下も、昔の事だなんていう表情ではありませんでした!」

 ルイズは、熱っぽく声を荒げた。

「殿下! トリステインに亡命なされませ! 殿下さえご健在なら、きっとアルビオンを再興する事も……!」
「ルイズ」

 ワルドがその肩を掴む。しかし、ルイズは止まらない。

「お願いです。姫さまは、愛する人が死ぬとわかっていて見捨てるような方ではありませぬ。きっと、先程の封書にも、亡命を勧める一文があるはずでございます……あの時の、あの時の姫さまが、お苦しそうに最後に書き付けたのは、それのはずでございます!」

 搾り出すようなルイズの言葉は、正鵠を射ていた。密書の最後に、付け足されたように掛かれた一文は、彼に生き延びて欲しいと言う嘆願であった。

「私の知っているアンリエッタは……自分の情のために、民を危険に晒すような人ではないよ。ミス・ヴァリエール」
「で、殿下?」
「反乱軍……『レコン・キスタ』の大義は三つ。我らテューダー王家は統治者として相応しくないという事。ハルケギニアは一つに統一されるべきであるという事。そして……『聖地』を奪還するという事だ」

 ウェールズの真剣な顔に、ルイズは言葉を呑む。

「王家に対する反乱である以上……その一員である私が亡命するという事は、亡命先の国は、統治者に相応しくない王家をかくまった国であるという事になる。戦争を仕掛ける口実としては、十分だ」
「そんな……あんな恥知らずどもの言う事なんて……っ!」

 ウェールズがトリステインに亡命すれば、間断無くトリステインまでもが戦渦に巻き込まれる。言葉では反論するが、ルイズの目はウェールズの言葉の正しさを悟っていた。

「ハルケギニア統一を謳っている以上、時間の問題ではあるかもしれんが……少なくとも私の亡命は、その何よりも大切な時間を限りなくゼロにする効果しかない。私も、アンリエッタも、王家に産まれた者として、守るべきものがある。わかるかい、大使殿?」
「…………殿、下」

 そこまで言われて、ようやくルイズにも気が付いた。彼は、アンリエッタを庇っているのだと。ここで果てるつもりなのは、アンリエッタを想う故でもあるのだと。

「我ら王家は、内憂を払う事叶わなかった。今ここでこうしている事そのものが、我らが統治者として相応しくないという貴族派の主張が正しい事の裏付けなのだよ。ならば、王が守るべきもの―――国の民達の為、戦いなど一刻も早く終わらせるべきなのだ」
「殿下……」

 ウェールズの語る覚悟の深さに、ルイズとワルドが神妙に頭を下げる。
 どうしようもなく正しい言葉だった。ハルケギニアの人間ならば、誰にも二の句が告げないような。



 ―――しかし。彼は、柏木耕一は、ハルケギニアの人間ではなく。
 その正しい選択がもたらす悲劇を、知り抜いていた。




「少し、昔話をしたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」

 目を閉じ、酷く静かな―――どこか、怒っているような、それとも泣いているような―――平坦な口調で、耕一はそう切り出した。

「……コーイチ?」

 ルイズは、これまでどこかのんびりとした態度を崩さなかった自らの使い魔が初めて見せる雰囲気に、目をパチパチと瞬かせた。

「ふむ。そう長くならないのなら、聞かせてもらおう。どんな話なのかね?」

 ウェールズは、微笑みで答えた。

「そうですね。題は―――『雨月山物語』」

 耕一は目を閉じたまま……何かを思い出すように、口を動かし始めた。

「"それは、遠い遠い昔の事。遥か東の地にある雨月という山に、何処ともなく現れた悪い鬼の一族が住み着きました―――"」

§


 鬼は、人を狩る事が生き甲斐の化け物でした。
 人が死ぬ間際に、蝋燭の炎のように一瞬燃え上がる生命の炎を何よりも好み、その為だけに人々を殺して回りました。
 大木を次々と薙ぎ倒して山中を進み、妖しき数多の術を用いて村々を焼き放ち、強靭なる体躯を以って人々を引き裂き、その地に住んでいた人々を震え上がらせました。
 時の領主は討伐隊を派遣しますが、二度組織された討伐隊は、二度とも散々に討ち滅ぼされてしまいました。
 それは、二度目の戦いの事でした。
 次郎衛門は、第二次討伐隊に参加していた剣士でした。
 戦いの前夜。彼は近くの河原で、一人の少女と出会います。
 言葉が通じない、異国の出で立ちをした少女。不器用な身振り手振りだけの、しかし心温まるやりとりは、これから戦に向かう次郎衛門の心を明るくさせてくれました。
 しかし、鬼達の妖術によって炎を浴びせかけられ、炎の中を押し寄せた鬼の群れに襲われ、討伐隊は全滅を喫します。辛くも生き延びた次郎衛門も、辿り着いた河原に倒れ、生死の境を彷徨います。
 その時、炎の中から現れたのが、その少女でした。
 少女は、鬼達のお姫さまであったのです。
 鬼の姫は、河原で倒れている次郎衛門に、自らの血を飲ませました。
 すると、今にも死ぬ寸前であった次郎衛門の体が、みるみると回復していきました。
 鬼の血を飲んだ次郎衛門の身は鬼と化し、鬼の強靭な肉体を手に入れたのです。
 鬼の姫の名前は、エディフェル。鬼と変えられた事で、言葉が通じるようになっていました。
 近くの小屋で目を覚ました次郎衛門は、しかし、呪わしい鬼へと体を変えられてしまった怒りを、ずっとそばで看病してくれていたエディフェルにぶつけました。
 怒りと恨みにむせび泣く次郎衛門を、エディフェルは優しく抱きしめ続けました。
 エディフェルは、次郎衛門との触れ合いで、彼を愛してしまっていました。
 次郎衛門も、自分の怒りを優しく抱きとめ続けられるうちに、一時会っただけのこの少女に一目惚れしていた事に気付きました。
 二人は愛し合い、夫婦となります。
 人里離れたところでひっそりと暮らすしかありませんでしたが、二人は互いさえ居ればそれだけで幸せでした。
 しかし、幸せは長くは続きませんでした。
 人間を助け、人間と夫婦になったエディフェルは、人を狩る事が生き甲斐の鬼からすれば、許されない裏切り者だったのです。
 彼女の姉である一番上の鬼の姫、リズエルの手によって、エディフェルは殺されてしまいます。鬼の掟では、裏切り者は身内の手によって罰せられなくてはなりませんでした。
 今際の際、エディフェルは、姉を恨まないでと言い残しました。全てわかっていた事だからと。
 次郎衛門は、いつまでも泣き続けました。そして涙が枯れ果てた頃、その心にあったのは、愛する者を奪った鬼に対する、激しい怒りでした。
 そんな次郎衛門の元に、一人の少女が訪れます。
 彼女の名前はリネット。エディフェルの妹でした。
 末娘である彼女と、妹であるエディフェルをその手にかけた長女のリズエル、次郎衛門達とは別に、一人の人間の少女と交流を持った次女、アズエル。
 三女であるエディフェルを亡くした鬼の皇女の四姉妹達は、それぞれの理由で、人を狩るだけという鬼の在り方に疑問を持ち、復讐に燃える次郎衛門に力を貸しました。
 彼女達の助力もあり、次郎衛門がリーダーとなって組織された3回目の討伐隊によって、鬼達は見事退治されました。
 しかしその中で、リズエルは敵の大将に殺され、アズエルはその人間の少女を庇って死んでしまいました。
 リネットは生き残り、次郎衛門の妻となりました。彼女が力を貸したのは、次郎衛門を愛しているからだったのです。
 しかし、共に暮らす次郎衛門の心からエディフェルの事が忘れられる事は、生涯なかったのでした……。

§

「―――めでたし、めでたし」
「…………」
「…………」
「…………」

 3人は、耕一の話をじっと聞いていた。それぞれに思うところがあるのか、退屈そうな顔は誰もしていなかった。
 ふうっ、と、緊張をほぐすように、ウェールズが小さく息を吐く。

「……なかなか興味深いお話だったよ。でも、それをなぜ私に?」
「いえ。ただ、参考になればと思っただけです……残される者の想いと物言わぬ優しさが、さらなる悲劇に繋がる事もあると」
「……そうか」

 ウェールズはさっと目を伏せ、すぐに顔を上げた。窓から、とっぷりと日が暮れた外を見やる。

「少し話が長くなったようだね。今日はもう休みたまえ」

§

「…………」

 窓から覗くアルビオンの空は、どことなくトリステインのそれよりも高い気がした。実際高いのだから当たり前だが、目に見えて違うわけでもないなあ、とかそんなどうでもいい事を考えながら、ワイングラスを少しだけ傾けた。
 以前に家族と旅行で来た時は、そんな事を思った記憶もない。空なんて気にもならなかった。

「窓辺で物思いに耽る姿もなかなか様になっているね、ルイズ」
「からかわないで、ワルド」
「……本気のつもりなんだがね」

 向かいの椅子に座るワルドが、同じくグラスを傾けながら苦笑している。

「…………ジローエモン、エディフェル」

 聞き覚えのあるその名前を、小さく呟く。
 確かに覚えている。その名前を。燃え盛る炎の中、再会を誓って死出の口付けを交わした男女の夢を。

 ―――あの夢は……一体、何?

 コーイチ自身の過去なのだろうか?
 ……いや、あの時の男の声は、コーイチのものとは違っていた。夢の中では男そのものになっていたのだから、間違えるはずはない。
 自分の声は、自分で聞くものと他人に聞こえたものとでは違う、という話は知っていたが、それでも違いは明らかだ。夢の中のそれは、野太く逞しく、熟しきった男の声だった。コーイチの声も太い方ではあるが、どこか清潔感というか、少年っぽいところが残っている。
 では、本当に、ただのおとぎ話?
 いや、そんなはずはない。だって―――。
 ぞくり、と背筋が震えた。あの、真っ赤に溶けるような激情を思い出す。
 話をしていたコーイチからは……だいぶ穏やかになってはいたものの、同じ色のシグナルが感じられたからだ。
 それは、ルイズと意識を通じあわせようとしていたわけではなく……溢れる感情を自分でも抑えきれずに周りに放出していたとか、そんな感じのものだった。
 でも、じゃあ、何なのだろう。
 あの夢は。あの昔話は。コーイチ自身は。エルクゥとは。そしてあの……想いは。

「……考えてわかる事じゃないわよね」

 ルイズは頭を振り、そこで考えを打ち切った。夢は夢だ。あの光景が、耕一の語った昔話の実話だという証拠は何にもないのだし。
 それでも……知りたいと思った。事実を知りたいと。

「考え事は済んだのかい?」
「ひゃっ!」
「おっ?」

 ワルドがタイミングを見計らったかのように声をかけると、ルイズはびくっと椅子を引きつらせて驚いた。

「ず、ずっと見てたの? 趣味が悪いわ」
「はは。なに、話があったのだがね。物思いに沈む君も、存外に魅力的だったよ。驚く顔もね」
「……もう」

 ルイズは唇を尖らせた。
 ワルド子爵。この旅が始まってから、常に好意的に接してくれている貴族の青年。
 本人は婚約者だからというけれど……その態度にはどこか違和感が付きまとい、素直に受け止められないでいた。
 まだ子供扱いされているのだ、とルイズは考えている。事実、彼の振る舞いは、恋人にというより、甥や姪、友人の子供に対する親愛の態度のように思えた。自分自身より、自分に付随する親への親愛が先にあって、自分へのそれは二次的なもの。そんな感じだ。
 それが不満か、と言われると、曖昧だ。
 恋人に半人前扱いされたら普通は悔しくなるものだと思うが、特にそんな事は感じなかった。
 歳と実力の差が開き過ぎていて、悔しいと感じるのも通り過ぎているのかもしれない。
 物心ついた頃には憧れていた子爵様。長らく会う事もなかった彼がいきなり積極的になるなんて、まるで夢のようで、実感がないのかもしれない。

「ルイズ」
「なあに?」
「トリステインに帰ったら、僕と結婚しよう」
「ー――へっ?」

 思わずワイングラスを取り落としそうになり、慌てて受け止めた。幸い、中身が零れる事はなかった。

「い、いきなり何を言い出すのよっ!?」
「いきなりじゃないさ。僕達は婚約者だろう?」
「そ、そうだけど……」

 それでも、いきなりだ。ルイズはそう口を開きかけたが、なぜか言えなかった。
 全て言葉の先を越されて言おうとした事を封じられる。そんな気がした。

「僕の事は嫌いかい?」
「そんな……嫌いなわけないじゃない」
「好きでは、ないのかい?」
「それは……」

 ワルドの問いに、ルイズは答えられなかった。
 嫌いではない。それは間違いない。
 けれど、好きかと聞かれると、わからない。恋人として、夫として愛する、という事に、全く現実感が湧かなかった。
 ルイズの成長は、いつも魔法の事と隣り合わせだった。『ゼロ』の二つ名を払拭する為の不断の努力。それが、ルイズを育んできた原動力だ。
 周囲の女のように恋とか愛とかに現を抜かしている暇はなかったし、周囲の男なんて自分を侮蔑して罵倒するか侮り混じりに同情するかの二択だ。恋心なんて経験出来るはずもなかった。

「……恋とか、したことないの。だから、ごめんなさい。わからないわ」
「そうか……婚約者として、喜べばいいのか悲しめばいいのか、微妙なところだね」

 言いながらも、ワルドの表情は、まるで貼り付けたかのように、優しい貴族のもののままだった。

「いや、これまで放っておいたのは僕だから、どちらもその資格はないかな。でも、僕は本気だ。僕には君が必要なんだ。それだけはわかってほしい」
「……『ゼロ』の私が、必要なの?」

 なぜワルドはこんなに自分に固執するのだろう、と浮かんでいた疑問を、そのまま言葉にした。
 わざわざゼロでちんちくりんで可愛げのない自分じゃなくても、魔法衛士隊の隊長のスクウェア・メイジともなれば、女の子には苦労しないだろうに。

「君は『ゼロ』なんかじゃない。僕にはわかっていた。あの、魔法を失敗ばかりして池の小舟の中で泣いていた君の姿に、僕は確かな才能を見つけていたんだ」
「才能……?」

 自分からは一番遠い言葉だ。そんなもの、あるわけがない。

「そうさ。君はいつか偉大なメイジになる。始祖にも肩を並べるほどのね」
「……冗談はよして」

 お世辞にしてもあまりにあまりだ。逆に気分が悪くなりそうだった。

「冗談なんかじゃない。普通のメイジには、亜人なんて使い魔に出来ないだろう。それも、あんな強力な亜人を、だ」
「それは……」
「彼はガンダールヴさ」
「ガンダールヴって……始祖ブリミルの」

 聞き覚えのある単語だった。デルフリンガーが口走ったそれは……。

「そう。始祖が率いたという伝説の使い魔だ。彼に刻まれているルーンは、ガンダールヴのルーンなんだよ」
「そ、そんなの……」

 聞くなり、荒唐無稽と斬り捨てた話。
 あのボロ剣の言っていたそれが、本当だったとでもいうのだろうか?

「私は……」

 ワルドの事。耕一の事。自分の事。世界の事。
 何が嘘で何が本当か、お世辞なのか冗談なのか本気なのか事実なのか。ルイズはまるっきりわからなくなってしまった。
 情報が足りない。推測する経験が足りない。あれだけ勉強したのに、頭の中に渦巻く言葉をまとめることも出来ない。どこに歩いていけばいいのか、わからない。
 しかし、その混乱の中で……ただ一つ、わかった事があった。

「……時間をちょうだい、ワルド」
「時間?」
「帰ったらなんて、やっぱり急過ぎるわ。せめて、学院を卒業するぐらいまで……考えさせてほしいの」

 答えを知りたい、とルイズは思った。
 私は本当に『ゼロ』なのか。それとも、ワルドの言う通り、コーイチを真に使役できるような才能が眠っているのか。
 これまで、『ゼロ』なんて嫌だと、目を閉じ耳を塞いでひたすらに走り続けてきた。『ゼロ』なんて認めない。ヴァリエール公爵家の娘がそんな事なんてありえない。必ず使えるようになってやると。使えるはずだと。
 今、がむしゃらにでも進んでいた方向が、全くわからなくなった事で……ルイズは初めて、真実を知りたいと、強くそう思った。『ゼロ』である事が確定してしまうかもしれない恐怖より、事実ありのまま、本当の事を知りたいという欲求が勝ったのだ。
 そうしてこそ、初めて前に歩き出せると。

 それは奇しくも―――目の前の狂える求道者と、同じ結論であった。

「……そうだね。すまない、僕が急ぎ過ぎていたようだ。待っているよルイズ。君が君の答えに辿り着くのをね」

 神妙な声でルイズから窓の外へと向けられたワルドの瞳は、しかし何者をも映していなかった。


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