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イザベラ管理人-21



イザベラ管理人第21話:炎の色は・後編


メンヌヴィルは、おそらく20年ぶりに背筋が凍るような恐怖を味わっていた。
「クソ…なんだ、なんなんだこれは…ごぁぁ!」
今のはまずい、わき腹を抉られた。
既に右肩を深く抉られ、左腿を貫かれてかなり血を失ってしまっている。この上さらに出血するのは危険すぎる。
「ぐぉぉぉぉぉ!」
炎を生み出し、わき腹の傷を無理やり焼灼することで止血する。
また、”奴”が剣を振った。
メンヌヴィルは凄まじい激痛で意識を朦朧とさせながらも、後ろに倒れこむように体勢を低くすることで見えない攻撃を回避する。
そう、彼には見えていなかった。
だが、今、彼は攻撃を受けていた。
あの、平民だとばかり思っていた剣士。奴が剣をメンヌヴィルに向けて振るたびに、深い傷が刻まれる。
剣を振ると攻撃が飛んでくる…この事実に気づく前に致命傷を受けなかったのはまさに奇跡だ。
ありえない。こんなことはメンヌヴィルの20年に及ぶ殺し合いの経験の中にも一度もなかった。
彼はコルベールに顔を焼かれてから、温度の視界を手に入れた。
この世の全ては温度を持っており、それは空気も然りだ。
故に、彼は盲目などではなかった。何故なら、温度の視界には空気の細やかな温度変化さえも映るからだ。
如何なる攻撃も空気を変化させずに行うことは不可能だ。
炎を操れば周囲の温度が上がるし、氷を作ればその逆。風を操れば不自然に空気の温度が均一化されるし、土のゴーレムが現れれば温度分布が変化する。
加えて、彼の視界は光に左右されない。昼間だろうと、真なる闇だろうと、彼の視界を遮るものは何もない。
それは戦闘という行為において、凄まじいアドバンテージだ。
人間は基本的に視覚への依存度が高い。視覚を奪ってやればどれほどの歴戦の勇士でも戦闘能力は激減するのだ。
彼こそは闇の主。闇こそは彼の領土。
先ほどまで煌々と月光が降り注いでいた広場は、今は無粋な分厚い雲の仕業によって闇に沈んでいる。
光が漏れる食堂から離れたとはいえ、真なる闇というほどではない。そもそも、雲程度で月光が完全に遮断されることなどない。
だが、人間の視覚が効果的に機能するためには、一定以上の光が必要なのだ。
今の状況は、その一定に明らかに達していない。
すなわち、ここは彼の領土なのだ。
にも関わらず…。
奴の背中側に回り込み、メンヌヴィルは杖から巨大な炎を生み出して撃ち出そうとした。
だが、奴が”正確に”こちらを向いて不可視の謎の攻撃を放つ。
その攻撃は彼の炎に直撃して互いに威力を失ったが、至近で炎が飛び散ったせいで、彼は自身が生み出した炎によって体を炙られることとなった。
「クソ…クソォ…!」
何故だ、何故あの男はこちらの居場所がわかるのか。
常人よりも目がいいのかと思い、食堂から引き離したというのに、それでもあの男の攻撃の精度が下がることはない。
こちらが奴の死角に常に回り込んで魔法を撃っているというのに、必ず奴はそれに気づいて反撃してくる。
しかもその攻撃は、彼の視界に映らないのだ。
剣を振ったことはわかる。空気が攪拌されるからだ。だが、その後に飛来してくるはずの”何か”がまるで認識できない。
空気を全く変化させずに放つ攻撃など…見たことも聞いたこともない。
加えて、威力も速度も相当なものだ。威力はトライアングル並み、速度は《エア・ハンマー》より若干劣る程度といったところか。
さらに始末が悪く、また、信じられないことだが…”詠唱していない”。
人間が口を開いて言葉を喋れば、口元の温度が呼吸以上に上昇するはずなのだ。それさえもない。
つまり、あの男は…無詠唱で威力、速度を兼ね備えた遠隔攻撃を剣を振るという行為だけで連射していることになる。
なんなのだ…いったい、自分はどんな悪魔と戦っているのだ!
今だけは彼は光の視界がないことを悔やんでいた。
自分が戦っている悪魔の姿がわからないことがこれほどの恐怖を与えるとは…!
闇の王は、自身が今まで敵に与え続けていた恐怖の味を、初めて己で味わっていた。

アニエスは焦燥を抱えながらも、人質を解放するために木陰で機を窺っていた。
最初の突入が失敗した時点で、彼女は続いて突入するはずだった銃士達に再び待機するように命じていた。
奇襲は失敗した時点で殲滅される危険性が高い。
故に選択した二段構えの突入が保険として機能した。
相手も手練だったのだろう、何らかの方法で最初の突入が察知されたらしく、あの学生メイジ2名も含めて6名の被害を出していた。
残りの銃士はアニエス自身も含めて6人。相手は、あの隊長らしき白髪のメイジも含めて10人ほどか。
その内、コルベールに杖を焼かれた者が一人、奇襲の際の目潰しをまともに浴びた者が何人か…敵の戦力低下はこれだけだ。
目潰しから回復していない間に攻撃を仕掛けるべきなのだが、目潰しを浴びなかった敵は確実に次の攻撃に備えて魔法を用意しているだろう。
そんな中にあって、想定外のことではあったが、風竜に乗って現れた謎の男が隊長のメイジと戦っていることは僥倖と言えるだろう。
未だに倒されていないところを見ると、謎の男はもうしばらくは隊長メイジを釘付けにしてくれそうだ。
だが…こちらはたった6人の銃士で残りの食堂に潜むメイジ全てを倒さねばならない。
加えて、敵の敵は味方として謎の男を扱ってもいいものかは疑問が残るところだ。
正直なところ、分が悪すぎた。奇襲前の戦力のままならばまだやりようもあったが…今更言っても詮無い事である。
さらに今は夜。しかも分厚い雲が双月を隠している。銃の精度が極端に落ちてしまう。
本来ならばマスケット銃の射程は100メイルほどあるが、この手触りすら感じられそうな闇の中からの狙撃では命中させるのは厳しいだろう。
そんな風に銃士隊の長として思考しながら…彼女が焦燥を感じているのは、全く別の要素であった。
本音を言うならば、彼女としては貴族のガキどもなど何人死のうがどうでもいいのだ。
彼女は20年前のダングルテールの事件以来、貴族というものへの尊敬と畏怖など完全に失っている。
皆殺しにしたいとまでは思わないが…貴族というもの全てに対して酷い嫌悪感を抱いているのだ。
そんな彼女がどうしてこんなにも焦っているのか…それは、徴兵にも応えなかったあの腰抜けの昼行灯だと思っていた男、コルベールだ。
まさか…まさか、あんな腰抜けが捜し求めたダングルテールを焼き払った悪魔だったとは!
いや、おそらくは仮面をかぶっていただけだったのだろう。だとしたら、相当な役者であると認めねばならない。
そう…あの男は、ダングルテール唯一の生き残りである彼女が断罪せねばならないのだ。
決して、決して彼女以外の者に殺されてはならない!
だのに、あの男は死にかけている。いや、もしかしたらもう死んでいるかもしれない。
白髪のメイジが放った炎に、謎の男の魔法が横から激突し、コルベールの至近距離で炸裂したのだ。今もコルベールのローブには火が燻っている。
一刻も早く駆けつけてとりあえず火を消し、自らの罪を自覚させてから殺してやりたい。
けれど、今出れば確実に食堂に潜むメイジに狙い撃ちにされる。
魔法の誘導性はマスケット銃などとは比べ物にならない。まったく、平民とメイジの差は度し難い。
アニエスは心中で、貴族に魔法を与えたという始祖へありったけの罵詈雑言を叩きつける以外に出来ることがなかった。

ケティ・ド・ラ・ロッタは下級貴族の次女だ。
下級貴族と言っても、質のいいワイン用の葡萄の栽培などで財を成しており、そこそこに裕福な家である。
そんなロッタ家の次女である彼女がこの学院に在籍している理由は、有力な上級貴族の子弟と縁を作るためと断言しても良い。
彼女としても、恋に恋する年頃であるので、そのことに不満はない。
政略結婚で見も知らぬ男と結婚させられることもなく、こうして学院で相手を選ぶことが出来るのだ、むしろ望むところである。
まぁ最初の相手として選んだギーシュ・ド・グラモンとは破局を迎えたのであるが…その程度でへこたれる彼女ではない。恋する乙女は強いのである。
だが、強いとは言っても、それはあくまで立ち直りの早さという意味だ。決して物理的なものではない。
なにせ彼女の二つ名は燠火であるのだからして、戦闘に耐えうるほどの能力ではないことは誰が聞いても明らかであろう。
さらに火というのは応用範囲が極端に狭く、日常に使える魔法はない。せいぜいが料理する時に便利、掃除した後の始末に便利…程度であるが、貴族である彼女がそんなことをする必要はない。
すなわち、彼女にとっては、魔法の才能に乏しく日常に使える魔法もないとなれば、魔法を学ぶ価値が薄いというものである。
故に、彼女は既に割り切っており、学院では恋を追っているのだ。

だというのに…今、自分を襲っているこの状況はいったいどういうことなのか。
常に生徒教師合わせて数百人規模のメイジが在籍する、ある意味このハルケギニアにおいて最も安全であるはずの学院が、謎の男達に奇襲されて自分たちは人質にとられている。
男達が皆徴兵されてしまったところを突いたのだろうが…か弱い婦女子を人質にとるとは、レコン・キスタには羞恥心というものがないのか!
だが、いくら嘆いてもこの状況が変わることはないのである。
恐ろしくて泣いていたら、白髪のメイジに脅されるし、下を向いていたとはいえ光の炸裂のせいで目が痛いし…ケティはまた泣きたくなってきた。
だが、泣くわけにはいかない。白髪のメイジは、光が炸裂した後に外に出て行ったきり戻ってきていないが、他にも10人ほどの男達がまだここには残っているのだ。
けれど、意に反して涙腺は緩み、涙が溢れてくる。
だって、女の子だもん。
ケティは嗚咽を漏らし始めた。ケティの涙が伝染したのか、周囲の少女達も泣き出していく。
「おい、お前ら静かにしやがれ!」
先ほどの光の炸裂のせいか、目を覆っていたメイジが苛立たしげに声を荒げる。
だが、この極限状況では、もはやその怒声は逆効果にしかならなかった。
涙は次々伝播し、大声を上げて泣き出す者もいる。
「て、てめぇら…1分以内に静かにしろ、じゃねぇと全員ぶっ殺すぞ!」
戦場で生きる無法者達にとって、女の甲高い泣き声というのは、神経を鑢で逆撫でされるようなものである。
予想外の反撃にあい、さらに少女達の泣き声を浴びせられて、男達のイライラは極限に達していた。
そうだ、ここには90人もの人質がいるのである。たかだか数人殺したところで全く問題はない。
彼はやっと回復してきた目を血走らせ、どこに魔法を撃ちこんでやろうかと少女達を見回した。
その視界の隅に、何かが走っていた。
彼は瞬時に歴戦の兵としての自覚を取り戻し、そちらへ杖を向け…その正体を知った。
「あ…ネズミ…?なんだよ…」
そう、ネズミだ。小さなハツカネズミが、彼の足元にやってきたのである。
ネズミは彼を見上げ、チューチューとひとしきり鳴いた。
ネズミ…モートソグニルはこう言っているのだった。
「ふ…お前達、命が惜しければすぐに投降しな。さもないと、我が主の輝かしい戦歴を飾る数多の勲章の一つになってしまうぞ?」
そうして、モートソグニルはニヒルな笑い声をあげた。
だが哀しいかな、モートソグニルの言葉を理解できるのは、この場にはその主しかいないのである。
モートソグニルは、使い魔達の中でも屈指のハードボイルドな人生…いやさ、鼠生を送ってきた。
モートソグニルの姿を見れば、荒くれ者の猫といえども道を譲ったものだ。
そんな歴戦の勇士であるモートソグニルにとって、間抜けなオスどもの目を盗んでオスマンに予備の杖を届けることなど造作もないことである。
数々の罠…毒餌やネズミ捕りを突破し、獲物である食料を掻っ攫ったあの時に比べれば、圧倒的にスリルが足りない。
「通じるわけもなし、か。まぁ仕方あるまい。お前達は、俺の子ネズミちゃん達を泣かせた罪を償うがいい」
モートソグニルは『英雄色を好む』という格言の通り数多の子ネズミちゃんを鳴かせて来た色男…いやさ、色ネズミであるが、種族自体が違うのだし、モートソグニルの美意識にとって人間のメスは守備範囲外であった。
だが、オスマンに召喚されたせいか、はたまたオスマンに毎日のように女生徒や女教師達の下着や着替えを覗かされ続けた影響か、いつしか人間のメスも守備範囲に入るようになったのだ。
そんなモートソグニルにとって、この学院はパラダイスと言えた。
そして、モートソグニルのパラダイスを土足で踏み荒らし、あまつさえ彼しか泣かせることを許されない子ネズミちゃん達を泣かせたこの男達にくれてやる憐憫など、最初の投降を呼びかける言葉だけで充分である。
モートソグニルは最後に、他の男達にも嘲笑を浴びせると、食堂の外へと走り出て行った。
男は、何故だか妙に気に障る鳴き声を上げるネズミが走り去っていくのを見送った。
まったく、人間様を驚かせるとは、人騒がせなネズミである。
「ほっほっほ、ほれ君達、もう大丈夫じゃよ。泣かんでもよろしい」
突然あがったその声は、如何なる力を持っていたのか…少女達の泣き声をピタリととめてしまった。
声の主は…杖を奪われ、手を縛られて何の力もないはずのただの老人、オールド・オスマンであった。
食堂中の誰もが彼に注目した。
彼は常のごとく好々爺然とした笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がった。
そしてこれまたゆっくりとした動作で、縛られていたはずの両手を広げた。

「これからワシが、君達にステキなものを見せてやるからのう」
彼はその手に持った木の枝を楽団の指揮者のように上げ…
「なんだ、枝……?杖!?」
その手を振り下ろした。
少女達を囲んでいた4人のメイジの足元の床が一気に盛り上がり、それは人の形を取った。
慌てて他の男達が待機させておいた魔法をオスマンに放つ。
炎や氷柱、風の刃に土の散弾がオスマンを完膚なきまでに破壊すべく飛来する。
ケティは呆然としたまま、学院長がボロ雑巾のようになるのを見届けるしかなく…そして、そんなことにはならなかった。
そう、彼こそは偉大なるオールド・オスマン。
数百年生きたとさえ言われる、強大なる古きメイジ。
杖さえあれば、彼を打倒しうるメイジなどこの世に数人程度しかいない。
突如として、凄まじい突風が足元から巻き起こった。
食堂の床から空気が一気に吹き上げたのだ。
その風は、なんとも器用なことに生徒と女教師だけを避けて、敵の魔法と敵メイジだけを天井にまでその風圧で吹き飛ばした。
「ぶはぁ!」
顔面から天井という床に落下した男達の体は、続いて重力の存在を思い出して一気に落下し、再び床に叩きつけられた。
ありえない威力の風の魔法だ。
食堂に散らばった男達と、オスマンへ向けて放たれた全ての魔法を等しく天井へ吹き飛ばすほどの風をこれほどの広範囲にわたって生み出すなど、スクウェアメイジの中でも可能とする者は稀だろう。
しかも、人質達だけを避けるとは恐ろしいほどに精巧な操作。
加えて、あの異常な詠唱速度。
ゴーレムを生み出した直後にこれほどの魔法を編み上げるとは…偉大なるオールド・オスマンの名は伊達ではない。
「ほっほっほ、眼福眼福、良いものを見せてもらったわい」
全員が呆然と上を見上げている最中、突風を巻き起こしたオスマン本人は床…正確に言うなら、女生徒や女教師達の足元を見つめていた。
あまりの異常事態に誰も気づいていなかったが、全員のスカートがもろにまくれていたのである。
つまりは90人のパンツ見放題というわけだ。このためだけに風の魔法を選択したと言っても過言ではない。オスマンは自分の若さと精神力が回復していくのを感じた。
次に、オスマンは4体のゴーレムを同時に操り、捕えたメイジの杖を奪って絞め技をかけさせて意識を落とす。
そのゴーレムは、信じがたいほどに精緻な美青年の姿をしていた。
「あ…あぁ…うあぁぁぁ!」
強大な力を見せ付けられた敵メイジ達は、隊長であるメンヌヴィルがいないことも手伝って一気に戦意を喪失し、食堂から逃げ出し始めた。
ケティは目の前で恐ろしいメイジを拘束したゴーレムの姿に魅入られていた。
「ステキ…」
そのゴーレムは、彼女の心を一時射止めたギーシュよりもさらに美しい美青年であった。しかも、ただのゴーレムのはずなのに、何故だか気品さえ感じるような気もする。
「そのゴーレム、イカスじゃろ?」
いつの間にかケティの隣にいたオスマンがニヤニヤしながら話しかけてきた。
「はい、とってもステキです…」
ケティは心の底からの尊敬の眼差しを偉大なるメイジに向けた。
美少女からの無垢な尊敬の視線を受けて、オスマンはさらに若返った気がする。
そして、食堂内の女性達全員に聞こえるようにこう言うのだった。
「このゴーレムの姿な、ワシの若い頃なんじゃよ!ほっほっほ、ええんじゃよ?ワシに惚れてもええんじゃよ?」
ケティは後に述懐した。
「やっぱり…高いところから落ちると、その分、より下に落ちちゃいますね…」
偉大なるオールド・オスマンは、一気に最高潮まで高まった威厳を、たった数秒で地の底にまで貶めたのだった。

「な…なんだ…?」
アニエスが焦燥と怒りに歯噛みしていた時、異変が起こった。
食堂から、敵メイジ数人がまろび出てきたのだ。
食堂からの逆光でわかりづらいが、全員が統制を失っているようだ。
ここ以外ないと断言できる千載一遇の好機!
「イリア、ミースは援護しろ!他は私について突撃、奴らを殲滅し、食堂内に突っ込むぞ!」
食堂内で何が起こったかはわからぬが、敵が浮き足立っていることは間違いない。
素早く命令を下し、木陰から走り出る。
食堂からはさらに一人のメイジが現れていた。
他の敵メイジとは違って幾分か小柄で、背も若干曲がっている…あれは間違いなく。
「学院長…だと!?」
その手には木の枝のような杖が握られている。
「ほっほっほ…まずは生徒達に色々と乱暴をしてくれた礼をせねばのう」
好々爺然とした笑い声をあげながらも…その小さな体からは、この場にいる全ての者を圧する強者の迫力が吹き付けている。
偉大なるオールド・オスマンが杖を一振りする。
それだけで…
「うわぁぁぁ!」
逃げ出そうとしていた二人のメイジの足元が盛り上がり、5メイルはありそうなゴーレムが現れた。
驚くべきはその造形と発生箇所。
アニエスにはどういう意味があるのかはわからないが、そのゴーレムはすらりとした体躯をローブに包んだ美青年の姿をしていた。
色が土の茶で5メイルもの巨体でなければ、人にしか見えないほどの精緻さ。
加えて、逃げ出そうとしていた二人のメイジは、オスマンからは10メイルほども離れていた。
その足元を狙ってゴーレムを作り出すなど、いったいどれほどの技量が必要だというのか。
「ほーれ、まだまだ終わらんぞい」
さらにオスマンが杖を振る。
ゴーレムは、両手に持ち上げた二人のメイジを別方向に逃げようとしていた二人のメイジに思い切り投げつける。
「ぎゃああ!」
同時に、オスマンの周囲に風が吹き上がり、空しい反撃を試みていた敵メイジの炎球を巻き上げて吹き消した。
その風はついでにコルベールのローブで燻っていた炎も蹴散らす。
ついで、オスマンの頭上で集結した風によって巻き上げられた微細な塵が、魔法によって操作を受けて冷やされた水蒸気と結びついて雲へと姿を変え、さらに《錬金》によって帯電状態となる。
「若造どもにはまだまだ負けられんからのう」
周囲が一瞬だけ昼間のように明るくなった。
まだ離れた位置にいたアニエスは、光に目を焼かれずにそれを見ることが出来た。
雷雲から幾条もの雷が伸び、オスマンに炎球を放ったメイジや、別方向に逃げようとしていた一人、さらには仲間をぶつけられて団子になっていた4人のメイジに直撃、一瞬にしてその意識を刈り取っていった。
黒焦げになっていないところを見ると、手加減がされているのだろう。さすがに生徒達の前で殺しは出来ぬということか。
だが、それを差し引いても、あれほどに精緻なゴーレムを操作しながらの《ライトニング・クラウド》とは思えぬ射程と精度だ。
「まだ敵は2名いる、逃がすな!」
銃士隊も手をこまねいているわけにはいかない。
まだ逃げ出そうとしている敵メイジの進行方向に射撃を加えて足留めする。
いったい食堂内でオスマンが何をしたのかはわからないが、すっかり戦意をくじかれていたらしいメイジは反撃しようともせずに尻餅をついた。
その間にその手の杖を斬り飛ばし、2名の捕縛も完了させる。
食堂内からは、全く同じ姿に床材の色の2メイルほどの美青年ゴーレム4体が残りの4名の敵メイジを肩に担いで現れた。
「後は隊長格のメイジだけかの…ん、こりゃいかんな」
敵メイジを全て捕縛したことを確認していたオスマンが、コルベールの傷に気づいて皺深い顔にさらに皺を寄せる。
食堂内からは十数人の水属性を操る生徒達が現れ、コルベールや負傷した銃士への治療に当たる。
アニエスは手短に部下達に敵メイジの拘束と負傷者の応急措置、白髪のメイジの捜索を命じ、コルベールへと走り寄った。
「おい、この男は生きているのか!」
アニエスの怒鳴り声に、反応する者はいなかった。
コルベールには6人もの生徒がついて治癒魔法を施しているが…一向に目を覚ます気配がない。
ややあって、コルベールを治療している見事な金髪を巻き毛にした少女が口を開いた。
「なんとか…息はあるけど…火傷が酷すぎて……あぁ…」
言葉の途中で、その生徒は精神力を使い果たしたらしく、力を失った体が崩れ落ちる。
少女の体が地面に倒れこむ直前、その体を下から支える手があった。

「急いで医務室から秘薬をありったけ持ってくるんじゃ!はよぅせんかい!」
オスマンが声高に生徒達に指示を飛ばす声が聞こえるが…その声は、アニエスには意味ある言葉として認識されなかった。
「貴様…!」
コルベールが目を覚ましていたのだ。
苦しげに顔を歪め、内臓を傷めたのか、吐血もしているが…確かに目を覚ましていた。
「ゴホッゴホッ…せ、生徒…達は…」
「安心せい、皆無事じゃ。ミスタ・コルベール、君が護ったんじゃ」
「そう…ですか…良かった……」
コルベールに治癒をかけていた生徒達が次々と精神力を使い果たして倒れこむ。
オスマンも杖をコルベールに向け、治癒をかけるが…如何せん、火傷が内臓にも達しているらしく、秘薬なしでは延命程度が関の山だ。
今は絶え間なく治癒をかけ続けて延命し、秘薬の到着を待つしかない。
だが…そんな都合は、アニエスには関係のない話だ。
彼女は抜刀し、その切っ先をコルベールへと向けた。
「貴様が…魔法研究所実験小隊の隊長か?私は…ダングルテールの生き残りだ」
コルベールは言葉の意味を朦朧とした意識の中でゆっくりと咀嚼し…やがて驚愕に目を見開いた。
「何故我が故郷を滅ぼした?答えろ」
コルベールに無理に喋らせようとするアニエスに生徒達が抗議の視線を向ける。
だが、魔法によって精神力を消耗した彼女達の視線など、アニエスにとっては路傍の石ほどにも注意を引かない。
コルベールは復讐の炎を燃え滾らせるアニエスの瞳をしばらく見つめ…話し出した。
「命令だった…。疫病が発生し、焼かねば被害が広がると告げられ…仕方なく焼いた…」
「バカな!疫病などなかった!」
「そうだ…あれは”新教徒狩り”だった…。私は…メンヌヴィルの言う通り、村人を全員焼き殺した。仕方がなかったのだと自分に言い聞かせた…。
 けれど…何の罪もなかった彼らを焼いた”手触り”が毎日私を苛んだ。だから、私は軍をやめ…二度と炎を破壊のためには使わぬと誓った…」
コルベールは虚空を見つめ、今にも途切れそうな意識を必死に繋ぎとめた。
これは、彼の罪だ。彼女は過去からやってきた断罪者だ。
ならば、コルベールは彼女が知りたいと望むことを全て教え…そして、その手の剣で断罪されねばならない。
それまで、決してこの意識は手放してはならない。
「それで…貴様の罪が償えると思うのか?」
コルベールは総身の力を振り絞って、弱々しく首を横に振った。
そう、償えるはずがない。彼は100人以上の村人を全て焼き殺した。何の罪もない彼らを。
一時は死のうとも思った。だが、死とは本当に償いか?違う、それは逃げているだけだ。
彼を断罪していいのは、彼女だけだ。コルベールの命は、コルベールのものではない。
故に彼は、自分の残りの生を人を幸せにするための技術開発に注ごうと決め…過去からの断罪者がやってきたら、その時はこの命を差し出そうと思っていた。
今がその時なのだ。
アニエスが剣を振り上げるのが見える。
彼は穏やかな気持ちで目を瞑った。
死んだと思っていたが、生徒達の無事を確認し、ダングルテールの生き残りである彼女に知りたいことを教えてやることも出来た。
そんな時間を与えてくれた始祖に、彼は心の底から感謝していた。
一瞬だけ、罪人である自分がこんな穏やかな気持ちで断罪を受けていいのだろうかとも思ったが…すぐにそんなことはどうでもよくなる。
今まで無理やり繋ぎとめていた意識を、彼はゆっくりと手放した。
アニエスは、目を瞑ったコルベールに向けて剣を振り下ろそうとした。
だが、それを遮る影があった。
「お願い、やめて」
燃えるような赤い髪の少女だった。
「どけ!私はこの一瞬のためだけに20年生きてきたのだ!貴様などに何がわかる!」
アニエスは少女ごとコルベールを貫くために、剣を逆手に持ち替えた。
コルベールに治癒をかけていた最後の女生徒が、精神力を使い果たして意識を失った。
「お願い…彼はもう”炎蛇”じゃないわ。私達を文字通り命を賭けて救ってくれた”先生”なの…お願い…」
少女の涙と悲しみを湛えた瞳に見つめられ、アニエスの手に力が篭り、柄がギシリと軋む。

アニエスは、20年間復讐のためだけに生きてきた。
彼女の家族を皆殺しにし、彼女の平和だった世界を焼き滅ぼした者が、安穏と生きながらえていると思うと、腸が煮えくり返るどころか燃え上がりそうだった。
その炎だけを糧に、ただの少女だった彼女は剣を取り、彼女の世界を破壊した者を見つけ出すために女だてらに騎士となった。
そして、その努力が実り、彼女は今まさにこの手を振り下ろすだけで、憎き仇をこの手で殺すことが出来るのだ。
この男を殺すために鍛えられた彼女の力は、少女ごとコルベールを刺し貫くだろう。
だが…彼女は剣を振り下ろせない。
コルベールは騙されていただけの端末に過ぎないが…それを知っても、彼女の怒りになんらの衰えもない。
ならばどうしてこの手を振り下ろせない?
それは……
『お願い、お母さんをいじめないで!』
脳裏に、幼いアニエスの悲鳴がこだまする。
そう、彼女も…こんな風に、殺人者に哀願した。
ならば…今、この男を殺そうとする自分は…あの虐殺者達と同じなのではないか…?
数瞬の葛藤…そして、次に動いたのは赤髪の少女だった。
ハッとした様子で、コルベールの手をとり、手首に触れる。
突然の行動にアニエスは呆然としたまま、何のアクションもとることができなかった。
だから…少女の言葉に、身構えることも出来なかった。
「……死んだわ……」
その言葉は、まるで至近距離から大砲を叩き込まれたように、アニエスの心を打ちのめし、爆砕した。
論理的なことは何も考えられなかった。今自分が抱く感情の名前さえもわからなかった。
様々なものが入り混じり、混沌とした感情に突き上げられ…彼女は剣を改めて振り上げた。
「うあぁぁぁぁぁぁぁ!」
その剣はまっすぐに降り落ち…コルベールの顔のすぐ横に突き立った。
「く…うぅ…うぁぁぁ…」
アニエスは意味のなさないうめき声を上げながら力なく後ずさり…踵を返して、夢遊病者のような足取りで去っていった。
後には赤髪の少女…キュルケと、オスマンだけが残された。
「ふぅ…魔法を使わずに済んだようじゃのう…」
オスマンは治癒をかけながら待機させていた《スリーピング・クラウド》を解除した。
卓越したメイジである彼にとって、二つの魔法を同時に扱う術などは100年以上も前に習得済みの技術である。
キュルケはコルベールの手を取り、目を瞑ってジッと…おそらく、彼女の人生で初めて、始祖に祈りを捧げた。
だから気づかなかった。
暗闇からずっとタバサが彼らを見つめていたことに。
そして、タバサが水蒸気の炸裂によってふらつく体を引きずりながら、離れていったことに。
「コー…スケ…」
彼女の口から漏れた吐息のような言葉は、タバサ自身にさえも聞こえなかった。

食堂から離れた広場は、ねっとりとした闇に支配されていた。
分厚い雲が未だ双月を隠しているせいだ。
そんな粘るような闇の中を、耕介は体を襲う脱力感と緊張に必死に耐えながら泳いでいた。
「耕介様、来ます!」
御架月が敵の魔法行使を察知して声を上げる。
一瞬だけ、御架月が耕介の体の支配権を奪い、感知した方向へ体を向ける。
すぐさま体の制御を耕介が取り戻し、もう何発目になるのかわからない洸牙を放つ。
「がぁ!」
一瞬だけ炎が炸裂して暗闇を蹴散らし、同時に苦悶の声が聞こえる。
だが、耕介も満身創痍であった。
敵…メンヌヴィルは耕介を悪魔と評したが、それは正しくはない。
耕介も、今の状況は辛いものであった。
この暗闇の中では、身体能力的には鍛えた一般人程度である彼にはメンヌヴィルの姿は全く見えていないのだ。
ならば、どうやって攻撃に反応しているかというと…御架月の索敵能力を利用しているのだ。
御架月は、どこで魔力が消費されたかがわかる。故に、メンヌヴィルが魔法を行使した時にその場所を察知し、一瞬だけ耕介の体の制御を奪って、攻撃方向を示しているのだ。
これは逆に言えば、メンヌヴィルが攻撃してこなければ、耕介は何も出来ないということだ。
だが、これ以外に手段がない。
結果、消耗戦となる。洸牙を撃ち続け、しかも一瞬とはいえ、幾度となく御架月に体の支配権を奪われて、霊力が加速度的に消耗される。
せめて、雲が晴れてくれればもう少し視界が明瞭になるのだが…。
「耕介様、大丈夫ですか…?あ、またです!」
「大丈夫だ、御架月、雲が晴れるまで頑張ろう!」
タバサと戦った時以上に霊力を消耗し、意識を保つのが厳しくなってきた。
だが、耕介の事情などお構いなしに敵は攻撃を仕掛けてくる。
果ての見えない消耗戦は、耕介に魂を削っているような錯覚を与えていた。

アニエスが立ち去った後、タバサは耕介を探すために広場へ向かい、そこで死闘を繰り広げる耕介を見つけた。正確に言うなら、耕介と御架月の声を聞いた。
だが、今の彼女ではこの戦いに介入することは出来なかった。
普段ならば、彼女は空気の流れを読み取って、耕介と敵の位置を瞬時に察知できただろう。
しかし、今の彼女は満身創痍であった。
二度にわたる爆発による衝撃を受け、彼女の小さな体は未だにその機能を取り戻していない。
加えて、後頭部を打った影響が未だに抜けず、空気の微細な流れを読み取るような細やかな作業が出来ない。
今のタバサが出て行ったところで、温度の視界を持つメンヌヴィルに人質にでもとられるのがオチだ。
そう判断したタバサは、賭けに出ることにした。
すぐさま、その場から離れてシルフィードを呼び出し、上昇を命じたのだ。
「きゅい、お姉さま、上昇ってどこまで…えぇ!?雲までぇ!?」
渋るシルフィードに無理やり乗り、さらに上昇を命じると、シルフィードは不承不承に飛び上がってくれた。
「ほんとにお姉さまは竜使いが荒いのね…今夜は月も出てなくてシルフィは哀しいのね…」
シルフィードの愚痴を聞きながら、タバサはルーンをゆっくりと詠唱する。
これは一発勝負だ、決してしくじってはならない。
頭が痛み、集中が乱れそうになるが、なんとか抑え込んで詠唱を継続する。
シルフィードはどんどん上昇し、双月を未だに隠す雲が視界いっぱいに広がっていく。
「うぅ…寒いのね…風で遮断するにも限度ってものがあるのね…」
やがて、シルフィードは雲の真下にまで到達した。
もはや学院は豆粒のようにしか見えない高さだ。
タバサは詠唱していた魔法に全精神力を注ぎ込み続けた。
この一発で全てが空っぽになるだろう。
だが、それでも到達するかはわからない。
けれど、到達できなければ…耕介が死ぬ。
そう思うと、心の底から力が生まれてくる。
護りたいという思いが、彼女に力を与える。
(もう…父様を失った時と同じ悲しみを味わうのはイヤ…)
少女の心の叫びが、彼女の護るための魔法に更なる力を与える。
彼女は、今だけは全てを忘れた。復讐を忘れた。母を忘れた。イザベラを忘れた。シルフィードを忘れた。耕介を忘れた。自分自身さえも忘れた。
ただただ、己の全てを燃料に変え、胸に灯る炎に注ぎ込んでいく。
今、確かに彼女はスクウェアクラスの中でもさらに頂点付近へと達していた。
そして、彼女は今注ぎ込みうる自らの全てを込めて…その魔法を解き放った。
「お願い…!」
それは強力に圧縮された《エア・ハンマー》。
シルフィードを覆えるほどの大きさでありながら、その威力はスクウェアメイジが放つ通常の《エア・ハンマー》を軽くしのぐ威力を秘めている。
この《エア・ハンマー》ならば、攻城兵器としてさえ通用するだろう。
主の意を受けて飛翔した巨大な風は、一気に雲を蹴散らしながら上へ上へと昇っていく。
雲を撃ちぬき、ひたすらに月を目指して、少女の祈りを乗せた風は吹き上がっていく。

メンヌヴィルは幾度も繰り返された攻防で、敵の行動パターンを掴み始めていた。
てっきり、敵はメンヌヴィルを空気の流れで察知しているのだと思っていた。
だが、それにしてはおかしい。敵はメンヌヴィルが魔法を使った時は反撃するが、向こうから攻撃してこないのだ。
となると、こちらの炎を目印にしているのかとも思ったが、敵の背後で炎を作り上げても、敵は反応してくる。
それらを考え合わせると…全く理由はわからないが、敵はなんらかの手段で、メンヌヴィルの魔法発動のみを察知しているのかもしれない。
これならば、向こうから攻撃してこないことにも説明がつく。
問題はその理由が全くわからないことだが…今はそんなことを悠長に検証している暇はない。
それに、今は敵も謎の攻撃を放つ度に消耗しているのが温度変化から見て取れる。
遠からずあの敵が力尽きるのは火を見るより明らかだ。
だが、今も彼の体からは出血が続き、体力を奪い続けている。
一刻も早くこの敵を殺し、逃げおおせなくては。
彼はこの作戦が失敗していることをとうに理解していた。
彼の温度の視界に映っていた銃士達が食堂の方へと消えていったのだ。奴らが一度奇襲に失敗しながらももう一度突入をかけたということは、食堂内で何かがあったと判断すべきだ。
加えて、もしも銃士達を撃退したのならば、メンヌヴィルに加勢が来るはずだが、それもない。もう確定だろう。作戦は失敗したのだ。
だが、メンヌヴィルはこの敵がいる限り逃げることも出来ない。
敵は魔法の発動を感知するのだ、《フライ》など唱えようものならば狙い撃ちにされる。
ならば走って逃げるかとも考えたが、仲間達が倒されたのならば、食堂内の学院関係者達も解放されたはずだ。
そして、その中には…”あの”偉大なるオールド・オスマンがいる。
果たして、悠長に走って逃げるメンヌヴィルを見逃してくれるだろうか?
だが、ここで果ての見えない消耗戦を続けて敵が力尽きるのを待つのか、その時間を遁走に当てた方が得策か…?
メンヌヴィルは大量の出血と精神力の消耗で判断力が鈍っていることを自覚した。
結果、彼は消耗戦を続けることを選択した。
魔法を小出しにし、敵に攻撃を使わせることに専念する。
そして、敵にもう二撃使わせたところで…敵ががっくりと膝を突いた。
どうやらメンヌヴィルの予想以上に敵は消耗していたらしい。
「ついに終わりだ…!」
彼はその場で、すぐさまルーンを詠唱し、魔法を練り上げていった。


数十秒の後…巨大な《エア・ハンマー》はついに少女の願いを達成した。
円形に雲をくりぬき、向こう側にある月が姿を現したのだ。
双月が再び、雲間から下界を照らし始める。
幸いにも雲が既に晴れかけていたおかげもある。
だが、そんなことを考える余裕は少女にはなく…全てを使い果たした彼女は、シルフィードの背から落下した。
「きゅい!?お姉さま!?」
空から落下しながら、タバサは3年前からやめていた始祖に祈るという行為を再び行っていた。
(どうか…コースケが…無事でいますように……)



耕介は、もはや体が自分の命令では動かなくなっていることを理解した。
さっきから必死に立ち上がろうとしているが、足はガタガタと瘧にかかったように震えるばかりで、一向に体が持ち上がらない。
いつも軽々と振っている霊剣・御架月はズッシリと重くなり、1mmさえも動かすことが出来ない。
「こ、耕介様!」
御架月の悲鳴も遠く聞こえる。
その時…不意に周囲がわずかに明るくなった。
よもやこれが天からの迎えって奴か…?などとバカなことを考えた耕介は、次の瞬間にこの事実の意味を理解し、総身の力を振り絞って叫んだ。
「御架月ぃ!」
御架月はすぐさま耕介の意図を理解した。
今まで双月を隠していた無粋な雲が突如として晴れ、再びその恩恵を与えられた広場に、自身の血によって白髪を赤く染めたメイジがいる。
彼は耕介の前方5メイルほどの位置に立ち、ルーンを口ずさんでいた。
耕介から御架月へと宗旨替えした耕介の体は、今までの消耗が嘘のように、弾丸のごとき速度でメイジへと肉薄した。
驚愕に染まるメイジの顔を、耕介は無理やり体を動かされる激痛に耐えながら見つめた。
メイジの杖の先に掌ほどの大きさの炎が生まれる。
だが、一瞬だけ耕介の体の方が、メイジを一足刀の間合いに捉える方が早かった。
そこから、力強い踏み込みと共に、袈裟懸けに霊剣・御架月を叩き込む。
世界最高の切れ味を誇る日本刀は、理想的な踏み込みと力を与えられ、杖ごとメイジを一刀両断に斬り捨てた。
「がぁ…あぁぁぁああああ…!」
メイジは、魂切るような断末魔の叫びを上げ…崩れ落ちた。
耕介は、一瞬たりともメイジの顔から目を放さなかった。
放してはならなかった。
そう…この男は、”初めて”耕介が殺した男なのだから…。
体は、再び耕介の支配下に戻り…だが、その体には自身を支える力さえも残っておらず、仰向けに倒れこんだ。
「耕介様、耕介様ぁ!」
御架月が剣から現れ、情けない声で必死に呼びかけてくる。
だが、耕介にはもはや呼びかけに応える力さえも残っていなかった。
朦朧とした視界の中で…遥かな空の彼方から、青い光が降りてくるのが見えた。
「あぁ……綺麗……だな…」
呼吸の音にさえまぎれそうな小さな声は、そばで叫ぶ御架月にさえも届かずに儚く消え去り…耕介はその意識を手放した。




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