シエスタは、ひたすら前を向いて廊下を走っていた。
恐くて振り向けない。振り返り、迫り来るものを見てしまえば、きっと足がすくんでその場で崩れ落ちてしまうだろう。そうなれば、待っているのはあの女学生と同じ末路だ。
「―おおい!待てよ!待てったら!せっかくの俺の料理、喰わないでなんで逃げるんだよ?―」
聴きなじみのある、だけどそれゆえに今はたまらなく恐ろしい声が段々近づいて来る。
シエスタには、マルトーの変貌の理由が分からなかった。
確かにメイジに対して、あまり好意は抱いていなかった。だが逆に、闇雲に恐怖を覚える事無く対等に近い状態で接していたはずだ。
一流の料理人という立場が、それを可能にしていた。
食は王侯貴族すら支配する。
ソレが料理人の中での常識だった。
マルトーは、まさにソレを体現した存在ではなかったか?
だが現実にメイジに対する不満を蓄積し、ついに外部へ弾き出す結果となってしまった。
なにがマルトーをそうさせたかは分からない。ただ、そのきっかけがあっただろうとしか。この場合、シエスタがホラーの存在を知らなかったことが災いした。
「―おおい!待てよ!待てったら!どうしても待てないってなら―」
背後の声の調子が変わった。振り返ってはいけないのに、シエスタは振り返ってしまった。
マルトーは右腕を振り上げていた。その手にはにび色に輝く包丁。否、包丁と掌が一体化してしまっている。その姿は横幅のある巨大な蟷螂(かまきり)のようだ。
包丁が振り下ろされた。
シエスタはとっさに抱えていた籠を前に突き出した。
全く抵抗なく、籠がまっ二つに分かれた。中に入っていたパイ菓子が粉々になって床に落ちる。
「―終わりだあ!シエスタ、お前も肉になりな―」
眼孔からあふれ出す複眼を鈍く輝かせ、マルトーは最後の一撃を放とうとした。
呪文の詠唱が聴こえたのは、次の瞬間である。
「ファイヤーボール!」「錬金!」
マルトーの右腕の包丁が爆砕した。ついで高速で飛来した火の玉がマルトーの頭を直撃する。異形の料理長はくぐもった悲鳴を上げて吹き飛んだ。
声の聞こえた方向から、真紅の塊が飛び込んできてシエスタの襟首を捉まえた。悲鳴を上げる暇もなく、そのまま廊下の反対側まで引きずられる。
「え、と、サマラマンダー?」
自分を引きずる相手に思い当たる。確か、今年の二年生で火トカゲを召喚した者がいたはずだ。確かあの名前は―。
「ツェルプトー様!?」
豊満な美少女が、その肢体を惜しげもなくさらすような薄物に身を包んでいる。その横には、ネグリジェ姿の桃色の髪の少女。杖を振り下ろした体勢のまま、険しい表情を浮かべた彼女の横には、白いコート姿の剣士が居た。
と―。
剣士が抜刀し、廊下を駆けた。体勢を崩したマルトーの前に立ち、きらめく刀身を頭上に掲げる。
「―わ、我らの剣、助けて、くれ―」
頭部を半壊させたマルトーが哀願する。頭部の断面から、人頭大の白アリが姿を現そうとしていた。
「俺は、お前の剣なんかじゃあ、ない!」
鋼牙は叫ぶと、白アリごとマルトーを一刀両断した。崩れ落ちる、マルトーの身体。
「コウガ、さん」
フレイムに襟首をくわえられたまま、くしゃくしゃの笑顔をシエスタは浮かべる。
鋼牙は力強くうなづき、ルイズの方を振り返った。
「行くぞ。ルイズ。こいつもホラーの本体じゃあなかった」
「やれやれ、行き交う相手全部倒せば、いつかは本体にぶち当たるだろうって、ちょーと無謀じゃあないかしら?」
「仕方ないわよ。誰がギーシュの最後のデートの相手だったか、なんて今となっては分かる術はないものね」
ぼやくように言い合うキュルケとルイズ。既に黒い粘液と化したマルトーを慎重に避けながら近づいて来る。
「私たちの精神力が尽きるのが先か、夜が明けるのが先か」
『まあ、他のところでもメイジが反撃始めたみたいだしな。誰かが本体に行き当たるのを、期待してもいいんじゃあないか?』
首を振るキュルケに、《ザルバ》が楽観的意見を述べる。
「あ、あの」
そんな一行を、遠慮がちな声が遮った。見れば、ようやくフレイムから開放されたシエスタが近づいてきていた。
「どうも、助けていただいてありがとうございました。それと」
「別に大したことじゃあないわよ」と言いかけたルイズは、シエスタの続く言葉に目を見開いた。
「ギーシュさんの最後のデートの相手、私、知ってるかもしれません。あの晩、一緒に行くのを見たんです!」
恐くて振り向けない。振り返り、迫り来るものを見てしまえば、きっと足がすくんでその場で崩れ落ちてしまうだろう。そうなれば、待っているのはあの女学生と同じ末路だ。
「―おおい!待てよ!待てったら!せっかくの俺の料理、喰わないでなんで逃げるんだよ?―」
聴きなじみのある、だけどそれゆえに今はたまらなく恐ろしい声が段々近づいて来る。
シエスタには、マルトーの変貌の理由が分からなかった。
確かにメイジに対して、あまり好意は抱いていなかった。だが逆に、闇雲に恐怖を覚える事無く対等に近い状態で接していたはずだ。
一流の料理人という立場が、それを可能にしていた。
食は王侯貴族すら支配する。
ソレが料理人の中での常識だった。
マルトーは、まさにソレを体現した存在ではなかったか?
だが現実にメイジに対する不満を蓄積し、ついに外部へ弾き出す結果となってしまった。
なにがマルトーをそうさせたかは分からない。ただ、そのきっかけがあっただろうとしか。この場合、シエスタがホラーの存在を知らなかったことが災いした。
「―おおい!待てよ!待てったら!どうしても待てないってなら―」
背後の声の調子が変わった。振り返ってはいけないのに、シエスタは振り返ってしまった。
マルトーは右腕を振り上げていた。その手にはにび色に輝く包丁。否、包丁と掌が一体化してしまっている。その姿は横幅のある巨大な蟷螂(かまきり)のようだ。
包丁が振り下ろされた。
シエスタはとっさに抱えていた籠を前に突き出した。
全く抵抗なく、籠がまっ二つに分かれた。中に入っていたパイ菓子が粉々になって床に落ちる。
「―終わりだあ!シエスタ、お前も肉になりな―」
眼孔からあふれ出す複眼を鈍く輝かせ、マルトーは最後の一撃を放とうとした。
呪文の詠唱が聴こえたのは、次の瞬間である。
「ファイヤーボール!」「錬金!」
マルトーの右腕の包丁が爆砕した。ついで高速で飛来した火の玉がマルトーの頭を直撃する。異形の料理長はくぐもった悲鳴を上げて吹き飛んだ。
声の聞こえた方向から、真紅の塊が飛び込んできてシエスタの襟首を捉まえた。悲鳴を上げる暇もなく、そのまま廊下の反対側まで引きずられる。
「え、と、サマラマンダー?」
自分を引きずる相手に思い当たる。確か、今年の二年生で火トカゲを召喚した者がいたはずだ。確かあの名前は―。
「ツェルプトー様!?」
豊満な美少女が、その肢体を惜しげもなくさらすような薄物に身を包んでいる。その横には、ネグリジェ姿の桃色の髪の少女。杖を振り下ろした体勢のまま、険しい表情を浮かべた彼女の横には、白いコート姿の剣士が居た。
と―。
剣士が抜刀し、廊下を駆けた。体勢を崩したマルトーの前に立ち、きらめく刀身を頭上に掲げる。
「―わ、我らの剣、助けて、くれ―」
頭部を半壊させたマルトーが哀願する。頭部の断面から、人頭大の白アリが姿を現そうとしていた。
「俺は、お前の剣なんかじゃあ、ない!」
鋼牙は叫ぶと、白アリごとマルトーを一刀両断した。崩れ落ちる、マルトーの身体。
「コウガ、さん」
フレイムに襟首をくわえられたまま、くしゃくしゃの笑顔をシエスタは浮かべる。
鋼牙は力強くうなづき、ルイズの方を振り返った。
「行くぞ。ルイズ。こいつもホラーの本体じゃあなかった」
「やれやれ、行き交う相手全部倒せば、いつかは本体にぶち当たるだろうって、ちょーと無謀じゃあないかしら?」
「仕方ないわよ。誰がギーシュの最後のデートの相手だったか、なんて今となっては分かる術はないものね」
ぼやくように言い合うキュルケとルイズ。既に黒い粘液と化したマルトーを慎重に避けながら近づいて来る。
「私たちの精神力が尽きるのが先か、夜が明けるのが先か」
『まあ、他のところでもメイジが反撃始めたみたいだしな。誰かが本体に行き当たるのを、期待してもいいんじゃあないか?』
首を振るキュルケに、《ザルバ》が楽観的意見を述べる。
「あ、あの」
そんな一行を、遠慮がちな声が遮った。見れば、ようやくフレイムから開放されたシエスタが近づいてきていた。
「どうも、助けていただいてありがとうございました。それと」
「別に大したことじゃあないわよ」と言いかけたルイズは、シエスタの続く言葉に目を見開いた。
「ギーシュさんの最後のデートの相手、私、知ってるかもしれません。あの晩、一緒に行くのを見たんです!」
「きりがない」
風の魔法を放ちながら、タバサは呟いた。
トリステイン魔法学院の上空である。
モンモランシーと共に、シルフィードで飛び立った彼女は、学院上空の白アリ型ホラーを駆逐していた。
どうやら相手は擬似的なホラーらしく、全力で魔法をぶつければ倒せないことはなかった。
物理的損傷により、羽や四肢を破壊してしまえば身動きできなくなってしまう。
とは言え、数が数である。次々と湧き出てくるような相手に次第に彼女達は押されていった。良く見れば、学院のあちらこちらから炎や突風が起きている。さすが魔法学院か。生徒たちが反撃に出ているらしい。
「このっ!」
モンモランシーが水の魔法を唱えた。空中に現われ出でた無数の水滴に、タバサが風の魔法を相乗する。トライアングルクラスのヘキサゴンスペルではないが、(属性的にも)相性の良いメイジ間で魔法を重ねがけすることで、その威力を高める事ができる。さらに良い事に、魔法を使う際消耗する精神力を軽減する事ができるのだ。
たちまち生まれた凍てつく礫の嵐が、下方から飛来した白アリの群れにぶち当たった。
真白き怒涛は怪異な昆虫の群れを抑え、ことごとく叩き落す。数十秒にわたる波を押さえきり、再び風竜は上空へと舞い上がった。
「たしかに、このまあじゃあじり貧ね」
高貴なくらいらしからぬ言葉遣いで、モンモランシーは先ほどのタバサの言葉を肯定した。
「こうなれば、本体を叩く以外ない」
「でも、本体だなんて……心当たりあるの?」
モンモランシーの疑問に、珍しくタバサが言いよどむ。しばらく考え、やむない事と口を開いた。
「ギーシュ・ド・グラモン。彼が、最後に付き合っていた相手。その子が、一番可能性が高い」
「……」
しばらく絶句していたモンモランシーだが、やがてため息と共に彼女は口を開いた。
「たぶん、心当たりがあるわ私」
「?」
感情を見せぬ蒼い瞳に向かって、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシは力強くうなづいた。
「ケティ・ド・ラ・ロッタ。それがギーシュが、最後にちょっかい出してた相手」
風の魔法を放ちながら、タバサは呟いた。
トリステイン魔法学院の上空である。
モンモランシーと共に、シルフィードで飛び立った彼女は、学院上空の白アリ型ホラーを駆逐していた。
どうやら相手は擬似的なホラーらしく、全力で魔法をぶつければ倒せないことはなかった。
物理的損傷により、羽や四肢を破壊してしまえば身動きできなくなってしまう。
とは言え、数が数である。次々と湧き出てくるような相手に次第に彼女達は押されていった。良く見れば、学院のあちらこちらから炎や突風が起きている。さすが魔法学院か。生徒たちが反撃に出ているらしい。
「このっ!」
モンモランシーが水の魔法を唱えた。空中に現われ出でた無数の水滴に、タバサが風の魔法を相乗する。トライアングルクラスのヘキサゴンスペルではないが、(属性的にも)相性の良いメイジ間で魔法を重ねがけすることで、その威力を高める事ができる。さらに良い事に、魔法を使う際消耗する精神力を軽減する事ができるのだ。
たちまち生まれた凍てつく礫の嵐が、下方から飛来した白アリの群れにぶち当たった。
真白き怒涛は怪異な昆虫の群れを抑え、ことごとく叩き落す。数十秒にわたる波を押さえきり、再び風竜は上空へと舞い上がった。
「たしかに、このまあじゃあじり貧ね」
高貴なくらいらしからぬ言葉遣いで、モンモランシーは先ほどのタバサの言葉を肯定した。
「こうなれば、本体を叩く以外ない」
「でも、本体だなんて……心当たりあるの?」
モンモランシーの疑問に、珍しくタバサが言いよどむ。しばらく考え、やむない事と口を開いた。
「ギーシュ・ド・グラモン。彼が、最後に付き合っていた相手。その子が、一番可能性が高い」
「……」
しばらく絶句していたモンモランシーだが、やがてため息と共に彼女は口を開いた。
「たぶん、心当たりがあるわ私」
「?」
感情を見せぬ蒼い瞳に向かって、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシは力強くうなづいた。
「ケティ・ド・ラ・ロッタ。それがギーシュが、最後にちょっかい出してた相手」
遠くの喧騒を背に、土属性のメイジの少女はドアの前に立った。
「ケティ、大丈夫?」
幼馴染の少女の名前を呼びながら、扉を叩く。
「先輩達が戦ってるの。今のうちに逃げましょう?」
だが、どれほど声をかけても扉の向こうからの答えはなかった。仕方なく、少女は部屋の中へ押し入る事を決めた。
杖を振り、自分の両側を固める石造りのゴーレムに命令を下す。身長150サントほどの、パワーと機敏さを兼ね合わせた存在だ。頼もしいボディガードのソレたちに、少女はドアを破壊するよう指示を出した。
くぐもった音と共に、ドアが破られる。
案の定、部屋の中はまっ暗だった。けれど生き物の気配はある。微かな生臭い香りと、呼吸音。漣(さざなみ)のような音は、衣擦れの音か。
「ケティ。逃げましょう」
もう一度名前を呼び、室内に入る。足元でなにやら乾いたものが砕けるような音がして、彼女はギョッ!となった。
そんな闇の中、ボウとケティの白い顔が浮かんだ。
「もう!なにしてるの?」
ホッと安堵に胸を撫で下ろし、近づこうとした少女は足を止める。
なにやら、位置関係がおかしい。
この角度と距離、通常ならば幼馴染の頭は天井近くにないといけないはずだ。だが何の支えもなく、ケティがその位置に来る事はありえない。
足元で、かさかさ音がした。
否、その音は足元だけではなく、壁、天井いたるところから聞こえてくる。
まるで軽い生き物の群れが、大量に大量に部屋中包み込むように広がっているみたいで。
少女は、怯える少女はコモン・マジックで部屋の明かりを灯した。
そうして、ああやはり点けるのではなかったと後悔する。
蟲。
足元に蟲。
四方の壁に蟲。
天井一面に生白い蟲のうねりが見える。
そして、正面。
ケティの居る。居たはずのベッドの上。
頑丈なソレを押し潰すように広がる、白くぶよぶよした肉の塊。
時折蠢き、中の人のような姿したものが透けて見えるソレから先に、ケティはいた。
白く生臭い肉塊の上、上半身のみが生えている。黒と赤のダラリとした衣をまとい、上体を起こしてこちらを向いている肌は血の気を失ったように白い。そこから伸びて、長く長く伸びて、天井に突くくらいのところまで首を伸ばしてケティは見て。
哂(わら)った。
凄まじい地響きとともに、学生寮の一角が崩れ落ちた。
上空から接近中だった、シルフィード上のタバサとモンモランシーは目を凝らながら息を呑んだ。
「大きい」
タバサの言葉どおり、巨大な生白い肉塊が瓦礫を押しのけて現われた。
最初白い蛭(ひる)のように見えたが、前側に少女の上体と背部から透明な羽を伸ばし始めたため印象は変わった。
「白アリの女王?」
その姿かたちから、想起されるイメージをモンモランシーが呟く。
「だとしたら危ない。白アリの女王に機能が似ているのであれば」
タバサは金髪の友人のほうを見て告げる。
「交尾―産卵―それに近いことを行なうつもり」
「つまり?」
「コウガの情報が確かならば、『ケティ』は今から胎内で育てたホラーを、出産する」
「そんな!」
驚愕しつつ下界を見下ろすモンモランシー。その背中が何かに怯えるように小さく揺れ動いた。
「見て!」
巨大な白アリの胴体の前部。そこだけが元の少女の面影を留めた上体が、天を仰ぎ、両腕を広げた。
と、両腕を広げたケティの頭上にポツポツと紅い光点が生まれるのが見えた。
「メイジを喰らったホラーは、元のメイジと同じ魔法を扱える」
「あれは、ファイヤーボール?」
見覚えのあるソレに、モンモランシーは首を傾げた。確かにケティの二つ名は『熾火(おきび)』。火系統のメイジである。だが今更、魔法を使ってどうするつもりなのか?
だが次の瞬間、タバサは慌てた様子で己の風竜に命令した。
「垂直上昇!全力で!」
「きゅい!」
大慌てで翼を打ち振るシルフィード。だがその下方で、彼女らの視界がまっ赤に染まった。
いったい何事かと見ろしたモンモランシーが声を震わせる。
「ファイヤーボールを、あんなにたくさん!」
両腕を広げたケティ。その頭上の空間を、隙間なく埋め尽くすほど大量のファイヤーボールが生み出されていた。まさにまっ赤な炎の海といった光景が、一瞬で弾ける。
何千個、何万個のファイヤーボールが、トリステイン魔法学院の天を地を、全ての建造物を一度に襲った・
「ケティ、大丈夫?」
幼馴染の少女の名前を呼びながら、扉を叩く。
「先輩達が戦ってるの。今のうちに逃げましょう?」
だが、どれほど声をかけても扉の向こうからの答えはなかった。仕方なく、少女は部屋の中へ押し入る事を決めた。
杖を振り、自分の両側を固める石造りのゴーレムに命令を下す。身長150サントほどの、パワーと機敏さを兼ね合わせた存在だ。頼もしいボディガードのソレたちに、少女はドアを破壊するよう指示を出した。
くぐもった音と共に、ドアが破られる。
案の定、部屋の中はまっ暗だった。けれど生き物の気配はある。微かな生臭い香りと、呼吸音。漣(さざなみ)のような音は、衣擦れの音か。
「ケティ。逃げましょう」
もう一度名前を呼び、室内に入る。足元でなにやら乾いたものが砕けるような音がして、彼女はギョッ!となった。
そんな闇の中、ボウとケティの白い顔が浮かんだ。
「もう!なにしてるの?」
ホッと安堵に胸を撫で下ろし、近づこうとした少女は足を止める。
なにやら、位置関係がおかしい。
この角度と距離、通常ならば幼馴染の頭は天井近くにないといけないはずだ。だが何の支えもなく、ケティがその位置に来る事はありえない。
足元で、かさかさ音がした。
否、その音は足元だけではなく、壁、天井いたるところから聞こえてくる。
まるで軽い生き物の群れが、大量に大量に部屋中包み込むように広がっているみたいで。
少女は、怯える少女はコモン・マジックで部屋の明かりを灯した。
そうして、ああやはり点けるのではなかったと後悔する。
蟲。
足元に蟲。
四方の壁に蟲。
天井一面に生白い蟲のうねりが見える。
そして、正面。
ケティの居る。居たはずのベッドの上。
頑丈なソレを押し潰すように広がる、白くぶよぶよした肉の塊。
時折蠢き、中の人のような姿したものが透けて見えるソレから先に、ケティはいた。
白く生臭い肉塊の上、上半身のみが生えている。黒と赤のダラリとした衣をまとい、上体を起こしてこちらを向いている肌は血の気を失ったように白い。そこから伸びて、長く長く伸びて、天井に突くくらいのところまで首を伸ばしてケティは見て。
哂(わら)った。
凄まじい地響きとともに、学生寮の一角が崩れ落ちた。
上空から接近中だった、シルフィード上のタバサとモンモランシーは目を凝らながら息を呑んだ。
「大きい」
タバサの言葉どおり、巨大な生白い肉塊が瓦礫を押しのけて現われた。
最初白い蛭(ひる)のように見えたが、前側に少女の上体と背部から透明な羽を伸ばし始めたため印象は変わった。
「白アリの女王?」
その姿かたちから、想起されるイメージをモンモランシーが呟く。
「だとしたら危ない。白アリの女王に機能が似ているのであれば」
タバサは金髪の友人のほうを見て告げる。
「交尾―産卵―それに近いことを行なうつもり」
「つまり?」
「コウガの情報が確かならば、『ケティ』は今から胎内で育てたホラーを、出産する」
「そんな!」
驚愕しつつ下界を見下ろすモンモランシー。その背中が何かに怯えるように小さく揺れ動いた。
「見て!」
巨大な白アリの胴体の前部。そこだけが元の少女の面影を留めた上体が、天を仰ぎ、両腕を広げた。
と、両腕を広げたケティの頭上にポツポツと紅い光点が生まれるのが見えた。
「メイジを喰らったホラーは、元のメイジと同じ魔法を扱える」
「あれは、ファイヤーボール?」
見覚えのあるソレに、モンモランシーは首を傾げた。確かにケティの二つ名は『熾火(おきび)』。火系統のメイジである。だが今更、魔法を使ってどうするつもりなのか?
だが次の瞬間、タバサは慌てた様子で己の風竜に命令した。
「垂直上昇!全力で!」
「きゅい!」
大慌てで翼を打ち振るシルフィード。だがその下方で、彼女らの視界がまっ赤に染まった。
いったい何事かと見ろしたモンモランシーが声を震わせる。
「ファイヤーボールを、あんなにたくさん!」
両腕を広げたケティ。その頭上の空間を、隙間なく埋め尽くすほど大量のファイヤーボールが生み出されていた。まさにまっ赤な炎の海といった光景が、一瞬で弾ける。
何千個、何万個のファイヤーボールが、トリステイン魔法学院の天を地を、全ての建造物を一度に襲った・
『グレンデルの託卵』。
厳密に言えばこれは、ホラーではない。
内部に二十三体のホラーを休眠状態で保存している、繭のようなものだ。
鋼牙が追っていたホラー シャックスはこれを魔界から現世へと運び、一度に大量のホラーを発生するつもりだった。
その方法は、人間の女性の胎内にこれを埋め込む事で発動する。
その間、母体とされた女性は擬似的にホラー化し、胎児の状態のホラーを護ろうとする。
従って、ケティ=グレンデルマザーは厳密な意味で言えばホラーではない。
ただの、中身を満たすための器に過ぎないのだ。
そしてケティ=グレンデルマザーが生み出した白アリ型のホラーもまた、真のホラーではない。むしろ、ケティ本体の身体の一部分であると認識した方が良いだろう。
これらは物質的側面が強いために、ある程度魔法で倒せるだろう。
だが、ケティの胎内から本物のホラーが現われれば、それらは魔法で防ぐ術はない。学院の何人もの人間に取り憑き、自分一人では倒すことは難しくなるだろう。
これだけの事を伝えながら、鋼牙はルイズとともに廊下を走った。
前方には、ケティ=グレンデルマザーの巨体が見える。
既に臨月に達したであろう下腹部は、大きく波打っていた。
「結局、間に合わなかったわねえ」
「なに言ってるの!まだ余裕はあるわ。ほんのわずかでも可能性に賭けるべきよ」
キュルケとルイズが後方からついて来ている。二人が騎乗しているのは、サラマンダーのフレイムである。大型のワニ位もあるこれは、地上移動にうってつけだ。
勘違いしている者が多いが、ワニなど大型の四足性爬虫類の移動速度は速い。地球での話しになるが、イリエワニの移動速度は時速30キロにも達する。瞬間的ならば時速50キロで移動しヒトを襲った記録もある。サラマンダーの成体は、少女二人を乗せて運ぶのならば、なまじの移動手段よりはるかにましであろう。
フレイムに大股広げてまたがりながら、ルイズは杖を構えた。
「どうするの?」
「あんなデカイ的、外すわけがないでしょ」
言いながら杖を振ろうとする。
だがソレよりも先に、ケティが生み出した大量のファイヤーボールが地上を襲った。
一発一発は、小指の先ほどのささやかなものである。だがそれが何百、何千、何万と一所(ひとところ)を襲えばどうなるだろう。まさに戦いは数。極小の、だが無限に繰り返される打撃は、地上のこと如くを打ち砕いた。
「きゃあっ!」
「ちいっ!」
とっさにキュルケが杖を打ち振るい、自分たちに落ちてくるファイヤーボールの軌跡をそらした。さすがに同じ火属性だけある。その魔法の性質を知り抜いているためにできた技だろう。
「鋼牙!」
とりあえず難を逃れたルイズは、自分たちより先行していたはずの魔戒騎士の名を呼んだ。
「まさか、死ん…」「大丈夫。ほら」
一瞬にして瓦礫の原と化した校庭の一角で、ガラリと音がした。音のした方へ顔を向ければ、大小様々な砂礫を振るい落とし、鋼牙が立ち上がるのが見えた。
「良かった」
安堵の吐息をつく。ソレと同時に、ルイズの心の奥底で何者かが蠢くのを感じた。
「!」
それは―。
ホラーに対する違和感。
ホラーに対する敵愾心。
ホラーと言う、異物を排除しなければならないという使命感。
己の遣い魔を傷付けられた、正しき怒り。
そして、この世界を護るのは自分であると言う、古き時代より受け対がれる誇り。
それらの感覚は、ちょうどホラーと化したギーシュと対峙したときに似ている。
(これは!誰?アタシ?アタシじゃあ、ない……ううん!これも、アタシだ!)
再びうつむけていた顔を上げた時、ルイズは今まで浮かべた事のない表情をしていた。
「諸君(みんな)、『わたし』にいい考えがある」
「大丈夫?」
かろうじて不時着した、己の風竜にタバサは声をかけた。
「これ以上は、上空を飛ぶのは危険そうね」
周囲の状況を確かめ、モンモランシーは首を振る。
「徒歩で近づいて、自分達だけで退治できるかしら?」
「それは、無理」
あっさりと、簡潔にタバサは否定する。
「もはや、二人だけでは倒せない」
ならば諦(あきら)めるのか?そのように問うモンモランシーに蒼髪の少女は首を振った。
「私たちが力をあわせれば、あのファイヤーボールの嵐を防ぐ事は可能。問題は―」
「倒す手段が、必要と言うわけでしょう?」
自分たち以外の声がした。振り返れば、ピンク色の髪の少女がこちらに近づいて来るところだった。
「ルイズ?」
思わず疑問形で尋ねてしまったのは、少女が今まで見たことのない表情を浮かべていたせいだった。
不遜?誇り?自信?否、それは為すべき事を為そうとする、絶対の意志を持つ表情。
まるで良く似た他人を見るようで、声をかける事すらためらわれる。
戸惑いを隠せないこちらを無視して、少女は口を開いた。
「こちらには、倒す手段はある」
後ろを振り返る。そこにはあの魔戒騎士とキュルケ、サラマンダーのフレイムが居る。
「でも、反対に防ぐ手立てがないわ」
ルイズはおもむろにうなづくと、改めてモンモランシーとタバサを見た。
抗う事のできない、力強い何かを秘めた視線が両名の瞳の奥を覗き込む。
「協力しあいましょう。今から『わたし』の指示に従って」
モンモランシーは気を呑まれたように、いつの間にかうなづいていた。
瓦礫の原のまっ只中を、鋼牙は駆けてゆく。
その左掌に輝くルーン。《神の盾》ガンダールヴの紋章。そこから伝わる波動は、歓喜の感情をもって異界からの魔戒騎士を疾駆する。
はるか後方にはルイズ。腕を組んで仁王立ちして、突っ込んでゆく己の遣い魔を見つめている。その瞳には揺ぎ無い意志。仇敵を屠るための、絶対の誇り。
両者の延長上、はるか彼方にはホラー ケティ=グレンデルマザー。
真白き腹をあらわに見せ、蠕動しつつ上へ上へと。月夜に腕を差し伸べ、破水の痛みを堪えようとするかのよう。
その面が、恐怖の色に染まる。迫る来る魔戒騎士を見て、怒りと恐れのない混ざった感情を浮かべる。
『―魔戒、騎士―』
『―ギーシュ、様ノ仇!―』
『―今度ハ、ワタシトギーシュ様ノ子供ヲ屠ロウトスルノカ!―』
その頭上に無数の火炎弾が生まれる。一つ一つは小さくとも、寄り集まる事で全てを破壊する炎の連弾。
さらに周囲には、自らの身体を削りだして生み出した擬似ホラーの群れ。
蛍のような火球の群れと、白アリのような異形の群れ。それらは、一斉に魔戒騎士に襲い掛かろうとした。
「今よ!」
ケティ=グレンデルマザーが第一波の攻撃を放ったのを見て、ルイズは振り返った。
「手はず通りにお願い」
「ん」「分かった」
蒼い髪と金の髪。二人の少女は互いに顔を見合わせあい、同時に杖を振るった。
周囲の大気中より水分が抽出され、凝固し水滴へと変わる。濃密な水分の固まりは、霧のヴェールと化して鋼牙とホラーの間に立ちふさがる。
そこへ風が吹いた。全てを冷やし、静寂へと誘う流れ。それは霧のヴェールを一瞬で氷の帳(とばり)へと変える。
ダイヤモンドダスト。
大気中の水分と冷気が、特定の条件によって初めて生み出される氷原の奇跡。ソレは迫り来る火炎弾の嵐にぶつかり、互いに互いを消滅させていった。
そしてホラー。
無数の白アリ型の擬似ホラーが、術者を捕らえようと羽音響かせて迫り来る。
その様子を冷静な目で判断し、ルイズは後方へ控えていた赤髪の少女へ指示を下した。
「キュルケ」
「りょーかい?ルイズ、貴女の指示通り、やってみるわ」
そうして、キュルケは己の遣い魔に命じた。
「フレイム 射撃形態」
「きゅる」
フレイムは上体を起こし、下肢を短く折りたたんだ。結果的に頭部が斜め上方を向く体勢となる。大きく口腔を開けると、その横にキュルケが陣取った。両掌をフレイムの口腔からやや離れた位置、伸びた射線上に竜の顎(あぎと)のような形で構えた。
「常々『わたし』は、主と遣い魔の関係に疑問を持っていた」
一体、どうすれば良いのかと問うキュルケに対して、ルイズが語った言葉だ。
「感覚を共用する?アイテムを探してくる?自分を護ってもらう?それ以外にも、もっと使い道があるんじゃあないかってね」
それは、鋼牙という人間の遣い魔を召喚してしまった彼女にとって、当然の問いかけだったのかもしれない。
「つまり、自分の魔法の増幅装置。ブースターとしての使用。例えばキュルケ、貴女とフレイムだったら、炎の魔法を何乗にも高める結果になるんじゃあないかってね」
「なるほど」
それを聴いたキュルケは大仰にうなづいた。
「まるで、男と女が愛撫し合いお互いを高め合うみたいってわけね」
「……『わたし』にはその例え、良くわからないけど、言いたいことは理解できたわ」
こうして、主従はルイズの新しい考えを験(ため)す事とした。
「んじゃあ行くわよ!フレイム」
大きく開いたフレイムの口腔内に、炎が宿った。始め小さかったソレは次第に膨らみ溶鉱炉の輝きへと変わる。さらにその前方、竜の顎の形に組まれたキュルケの掌の間に、小さな火の粉が散った。最初はポツリポツリと、まばらだったソレが急速に数を増してゆく。終いには両掌の中に、フレイムの口腔の輝きと負けず劣らずの炎の塊が生まれた。
キュルケは慎重に狙いを定め、腕をケティ=グレンデルマザーの方へ向ける。すでに白アリ型の擬似ホラーは鋼牙とぶつかり、戦線を開いている。
それらに向かって、微熱の二つ名を持つ炎のメイジは叫んだ。
「炎!龍!焼!牙!(サラマンドラ・バーン!)」
轟!という音とともにフレイムの口腔から炎が放たれた。ソレは極端に収束された、炎と言うよりむしろ熱線に近い。ソレがキュルケの掌の間の炎にぶち当たり、前方へと加速した。キュルケの手を離れた火の粉が超凝縮された球体は、ぐんぐんと加速されて宙を駆け抜けて行く。
「鋼牙!」
果たしてルイズの声が聞こえたのか、魔戒騎士はキュルケの放った射線上から飛び退いた。
夜の空に、一本の炎の剣が生まれた。長大な、長さ数百メイルに及ぶソレは大地を薙ぎ払い、ケティ=グレンンデルマザーが生んだ白アリの群れを飲み込んだ。さらに炎の剣は勢いを減じる事無く斜め、縦へと振られ、夜空を寸断してゆく。
未だかって地上に存在したことのない、超高熱の柱はとうとうケティ本体にもぶつかった。
巨大な胴体をかすめ、左わき腹から肩口にかけて焼き斬る。
やがて、キュルケの放った超高熱線は唐突に途絶えた。
「ふ~やっぱ『初めて』は辛いわねえ。連続してなんてもうできないわよ」
ベビードール姿のまま、大地に脚を投げ出してキュルケはぼやいた。傍らのサラマンダーもぐったりとしており、尻尾のランタンのような炎もこころなく縮こまってみえる。そんな友人に「ご苦労様」と声をかけ、ルイズは前へと進み出た。
「タバサ、モンモランシーはここで待機。ホラーの攻撃を防いでちょうだい。『わたし』は―」
いつの間にか、一人称が『わたし』となったルイズは、杖を構えて一歩脚を踏み出した。
「我が『盾』を援護する」
厳密に言えばこれは、ホラーではない。
内部に二十三体のホラーを休眠状態で保存している、繭のようなものだ。
鋼牙が追っていたホラー シャックスはこれを魔界から現世へと運び、一度に大量のホラーを発生するつもりだった。
その方法は、人間の女性の胎内にこれを埋め込む事で発動する。
その間、母体とされた女性は擬似的にホラー化し、胎児の状態のホラーを護ろうとする。
従って、ケティ=グレンデルマザーは厳密な意味で言えばホラーではない。
ただの、中身を満たすための器に過ぎないのだ。
そしてケティ=グレンデルマザーが生み出した白アリ型のホラーもまた、真のホラーではない。むしろ、ケティ本体の身体の一部分であると認識した方が良いだろう。
これらは物質的側面が強いために、ある程度魔法で倒せるだろう。
だが、ケティの胎内から本物のホラーが現われれば、それらは魔法で防ぐ術はない。学院の何人もの人間に取り憑き、自分一人では倒すことは難しくなるだろう。
これだけの事を伝えながら、鋼牙はルイズとともに廊下を走った。
前方には、ケティ=グレンデルマザーの巨体が見える。
既に臨月に達したであろう下腹部は、大きく波打っていた。
「結局、間に合わなかったわねえ」
「なに言ってるの!まだ余裕はあるわ。ほんのわずかでも可能性に賭けるべきよ」
キュルケとルイズが後方からついて来ている。二人が騎乗しているのは、サラマンダーのフレイムである。大型のワニ位もあるこれは、地上移動にうってつけだ。
勘違いしている者が多いが、ワニなど大型の四足性爬虫類の移動速度は速い。地球での話しになるが、イリエワニの移動速度は時速30キロにも達する。瞬間的ならば時速50キロで移動しヒトを襲った記録もある。サラマンダーの成体は、少女二人を乗せて運ぶのならば、なまじの移動手段よりはるかにましであろう。
フレイムに大股広げてまたがりながら、ルイズは杖を構えた。
「どうするの?」
「あんなデカイ的、外すわけがないでしょ」
言いながら杖を振ろうとする。
だがソレよりも先に、ケティが生み出した大量のファイヤーボールが地上を襲った。
一発一発は、小指の先ほどのささやかなものである。だがそれが何百、何千、何万と一所(ひとところ)を襲えばどうなるだろう。まさに戦いは数。極小の、だが無限に繰り返される打撃は、地上のこと如くを打ち砕いた。
「きゃあっ!」
「ちいっ!」
とっさにキュルケが杖を打ち振るい、自分たちに落ちてくるファイヤーボールの軌跡をそらした。さすがに同じ火属性だけある。その魔法の性質を知り抜いているためにできた技だろう。
「鋼牙!」
とりあえず難を逃れたルイズは、自分たちより先行していたはずの魔戒騎士の名を呼んだ。
「まさか、死ん…」「大丈夫。ほら」
一瞬にして瓦礫の原と化した校庭の一角で、ガラリと音がした。音のした方へ顔を向ければ、大小様々な砂礫を振るい落とし、鋼牙が立ち上がるのが見えた。
「良かった」
安堵の吐息をつく。ソレと同時に、ルイズの心の奥底で何者かが蠢くのを感じた。
「!」
それは―。
ホラーに対する違和感。
ホラーに対する敵愾心。
ホラーと言う、異物を排除しなければならないという使命感。
己の遣い魔を傷付けられた、正しき怒り。
そして、この世界を護るのは自分であると言う、古き時代より受け対がれる誇り。
それらの感覚は、ちょうどホラーと化したギーシュと対峙したときに似ている。
(これは!誰?アタシ?アタシじゃあ、ない……ううん!これも、アタシだ!)
再びうつむけていた顔を上げた時、ルイズは今まで浮かべた事のない表情をしていた。
「諸君(みんな)、『わたし』にいい考えがある」
「大丈夫?」
かろうじて不時着した、己の風竜にタバサは声をかけた。
「これ以上は、上空を飛ぶのは危険そうね」
周囲の状況を確かめ、モンモランシーは首を振る。
「徒歩で近づいて、自分達だけで退治できるかしら?」
「それは、無理」
あっさりと、簡潔にタバサは否定する。
「もはや、二人だけでは倒せない」
ならば諦(あきら)めるのか?そのように問うモンモランシーに蒼髪の少女は首を振った。
「私たちが力をあわせれば、あのファイヤーボールの嵐を防ぐ事は可能。問題は―」
「倒す手段が、必要と言うわけでしょう?」
自分たち以外の声がした。振り返れば、ピンク色の髪の少女がこちらに近づいて来るところだった。
「ルイズ?」
思わず疑問形で尋ねてしまったのは、少女が今まで見たことのない表情を浮かべていたせいだった。
不遜?誇り?自信?否、それは為すべき事を為そうとする、絶対の意志を持つ表情。
まるで良く似た他人を見るようで、声をかける事すらためらわれる。
戸惑いを隠せないこちらを無視して、少女は口を開いた。
「こちらには、倒す手段はある」
後ろを振り返る。そこにはあの魔戒騎士とキュルケ、サラマンダーのフレイムが居る。
「でも、反対に防ぐ手立てがないわ」
ルイズはおもむろにうなづくと、改めてモンモランシーとタバサを見た。
抗う事のできない、力強い何かを秘めた視線が両名の瞳の奥を覗き込む。
「協力しあいましょう。今から『わたし』の指示に従って」
モンモランシーは気を呑まれたように、いつの間にかうなづいていた。
瓦礫の原のまっ只中を、鋼牙は駆けてゆく。
その左掌に輝くルーン。《神の盾》ガンダールヴの紋章。そこから伝わる波動は、歓喜の感情をもって異界からの魔戒騎士を疾駆する。
はるか後方にはルイズ。腕を組んで仁王立ちして、突っ込んでゆく己の遣い魔を見つめている。その瞳には揺ぎ無い意志。仇敵を屠るための、絶対の誇り。
両者の延長上、はるか彼方にはホラー ケティ=グレンデルマザー。
真白き腹をあらわに見せ、蠕動しつつ上へ上へと。月夜に腕を差し伸べ、破水の痛みを堪えようとするかのよう。
その面が、恐怖の色に染まる。迫る来る魔戒騎士を見て、怒りと恐れのない混ざった感情を浮かべる。
『―魔戒、騎士―』
『―ギーシュ、様ノ仇!―』
『―今度ハ、ワタシトギーシュ様ノ子供ヲ屠ロウトスルノカ!―』
その頭上に無数の火炎弾が生まれる。一つ一つは小さくとも、寄り集まる事で全てを破壊する炎の連弾。
さらに周囲には、自らの身体を削りだして生み出した擬似ホラーの群れ。
蛍のような火球の群れと、白アリのような異形の群れ。それらは、一斉に魔戒騎士に襲い掛かろうとした。
「今よ!」
ケティ=グレンデルマザーが第一波の攻撃を放ったのを見て、ルイズは振り返った。
「手はず通りにお願い」
「ん」「分かった」
蒼い髪と金の髪。二人の少女は互いに顔を見合わせあい、同時に杖を振るった。
周囲の大気中より水分が抽出され、凝固し水滴へと変わる。濃密な水分の固まりは、霧のヴェールと化して鋼牙とホラーの間に立ちふさがる。
そこへ風が吹いた。全てを冷やし、静寂へと誘う流れ。それは霧のヴェールを一瞬で氷の帳(とばり)へと変える。
ダイヤモンドダスト。
大気中の水分と冷気が、特定の条件によって初めて生み出される氷原の奇跡。ソレは迫り来る火炎弾の嵐にぶつかり、互いに互いを消滅させていった。
そしてホラー。
無数の白アリ型の擬似ホラーが、術者を捕らえようと羽音響かせて迫り来る。
その様子を冷静な目で判断し、ルイズは後方へ控えていた赤髪の少女へ指示を下した。
「キュルケ」
「りょーかい?ルイズ、貴女の指示通り、やってみるわ」
そうして、キュルケは己の遣い魔に命じた。
「フレイム 射撃形態」
「きゅる」
フレイムは上体を起こし、下肢を短く折りたたんだ。結果的に頭部が斜め上方を向く体勢となる。大きく口腔を開けると、その横にキュルケが陣取った。両掌をフレイムの口腔からやや離れた位置、伸びた射線上に竜の顎(あぎと)のような形で構えた。
「常々『わたし』は、主と遣い魔の関係に疑問を持っていた」
一体、どうすれば良いのかと問うキュルケに対して、ルイズが語った言葉だ。
「感覚を共用する?アイテムを探してくる?自分を護ってもらう?それ以外にも、もっと使い道があるんじゃあないかってね」
それは、鋼牙という人間の遣い魔を召喚してしまった彼女にとって、当然の問いかけだったのかもしれない。
「つまり、自分の魔法の増幅装置。ブースターとしての使用。例えばキュルケ、貴女とフレイムだったら、炎の魔法を何乗にも高める結果になるんじゃあないかってね」
「なるほど」
それを聴いたキュルケは大仰にうなづいた。
「まるで、男と女が愛撫し合いお互いを高め合うみたいってわけね」
「……『わたし』にはその例え、良くわからないけど、言いたいことは理解できたわ」
こうして、主従はルイズの新しい考えを験(ため)す事とした。
「んじゃあ行くわよ!フレイム」
大きく開いたフレイムの口腔内に、炎が宿った。始め小さかったソレは次第に膨らみ溶鉱炉の輝きへと変わる。さらにその前方、竜の顎の形に組まれたキュルケの掌の間に、小さな火の粉が散った。最初はポツリポツリと、まばらだったソレが急速に数を増してゆく。終いには両掌の中に、フレイムの口腔の輝きと負けず劣らずの炎の塊が生まれた。
キュルケは慎重に狙いを定め、腕をケティ=グレンデルマザーの方へ向ける。すでに白アリ型の擬似ホラーは鋼牙とぶつかり、戦線を開いている。
それらに向かって、微熱の二つ名を持つ炎のメイジは叫んだ。
「炎!龍!焼!牙!(サラマンドラ・バーン!)」
轟!という音とともにフレイムの口腔から炎が放たれた。ソレは極端に収束された、炎と言うよりむしろ熱線に近い。ソレがキュルケの掌の間の炎にぶち当たり、前方へと加速した。キュルケの手を離れた火の粉が超凝縮された球体は、ぐんぐんと加速されて宙を駆け抜けて行く。
「鋼牙!」
果たしてルイズの声が聞こえたのか、魔戒騎士はキュルケの放った射線上から飛び退いた。
夜の空に、一本の炎の剣が生まれた。長大な、長さ数百メイルに及ぶソレは大地を薙ぎ払い、ケティ=グレンンデルマザーが生んだ白アリの群れを飲み込んだ。さらに炎の剣は勢いを減じる事無く斜め、縦へと振られ、夜空を寸断してゆく。
未だかって地上に存在したことのない、超高熱の柱はとうとうケティ本体にもぶつかった。
巨大な胴体をかすめ、左わき腹から肩口にかけて焼き斬る。
やがて、キュルケの放った超高熱線は唐突に途絶えた。
「ふ~やっぱ『初めて』は辛いわねえ。連続してなんてもうできないわよ」
ベビードール姿のまま、大地に脚を投げ出してキュルケはぼやいた。傍らのサラマンダーもぐったりとしており、尻尾のランタンのような炎もこころなく縮こまってみえる。そんな友人に「ご苦労様」と声をかけ、ルイズは前へと進み出た。
「タバサ、モンモランシーはここで待機。ホラーの攻撃を防いでちょうだい。『わたし』は―」
いつの間にか、一人称が『わたし』となったルイズは、杖を構えて一歩脚を踏み出した。
「我が『盾』を援護する」
ケティ=グレンデルマザーの攻撃を突破し、鋼牙は既に十メイルの距離まで迫っていた。
右腕を突き出し、魔戒剣のきっ先で空中に真円を描く。まるで剣に切り取られたように、虚空に光の輪が生まれた。
鋼牙は跳躍し、その円弧の内側へと身を投じた。
硬く澄んだ音が鳴り響き、次の瞬間全身を黄金の鎧で身を包んだ騎士が姿を現した。
「雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄」
夜空に轟く、狼の遠吠えのような雄叫び。牙狼の鎧に身を包んだ鋼牙は、巨大な敵を前に、懐から魔導火を取り出した。
魔導火からあふれ出る、碧(みどり)色の炎。粘りつくような質感を帯びたソレを、牙狼は自らの刀身に走らせる。
碧の炎をまとい、牙狼剣そのものが炎の魔剣へと変じた。
「!」
烈火炎装牙狼。
これこそ牙狼最強の武装形態である。
その炎の刃はあらゆる闇を照らし出し、あらゆる悪を焼き尽くす。
炎の魔剣を構え、牙狼は真一文字に振り下ろす。始めは盾に、次は真横に。
空中で交差した剣の軌跡は、十文字の炎の刃となって敵を襲った。
ケティ=グレンデルマザーの巨体を貫き、虚空へと躍り出る炎の十字架。そこへさらに駆け抜けた牙狼の姿が重なった。
碧の炎が渦を巻き、魔戒騎士の身体を舐める。やがて炎は、鎧そのもののように魔戒騎士の全身を装った。
『―熱ィ、暑イイィ―』
炎に切り裂かれ、悶え苦しむケティ=グレンデルマザー。その眼前に、清めの炎を全身にまとった騎士が立った。
「貴様の陰我、この俺が断つ!」
高らかに吠え、再び跳躍する牙狼。
振り下ろされた刃は、悪しき胎児を孕みしその巨体を、頭頂部から大地まで一直線に切り裂いた。
右腕を突き出し、魔戒剣のきっ先で空中に真円を描く。まるで剣に切り取られたように、虚空に光の輪が生まれた。
鋼牙は跳躍し、その円弧の内側へと身を投じた。
硬く澄んだ音が鳴り響き、次の瞬間全身を黄金の鎧で身を包んだ騎士が姿を現した。
「雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄」
夜空に轟く、狼の遠吠えのような雄叫び。牙狼の鎧に身を包んだ鋼牙は、巨大な敵を前に、懐から魔導火を取り出した。
魔導火からあふれ出る、碧(みどり)色の炎。粘りつくような質感を帯びたソレを、牙狼は自らの刀身に走らせる。
碧の炎をまとい、牙狼剣そのものが炎の魔剣へと変じた。
「!」
烈火炎装牙狼。
これこそ牙狼最強の武装形態である。
その炎の刃はあらゆる闇を照らし出し、あらゆる悪を焼き尽くす。
炎の魔剣を構え、牙狼は真一文字に振り下ろす。始めは盾に、次は真横に。
空中で交差した剣の軌跡は、十文字の炎の刃となって敵を襲った。
ケティ=グレンデルマザーの巨体を貫き、虚空へと躍り出る炎の十字架。そこへさらに駆け抜けた牙狼の姿が重なった。
碧の炎が渦を巻き、魔戒騎士の身体を舐める。やがて炎は、鎧そのもののように魔戒騎士の全身を装った。
『―熱ィ、暑イイィ―』
炎に切り裂かれ、悶え苦しむケティ=グレンデルマザー。その眼前に、清めの炎を全身にまとった騎士が立った。
「貴様の陰我、この俺が断つ!」
高らかに吠え、再び跳躍する牙狼。
振り下ろされた刃は、悪しき胎児を孕みしその巨体を、頭頂部から大地まで一直線に切り裂いた。
かって学び舎があった場所は、一面瓦礫の原と化していた。
その中央部。ポッカリすり鉢状に抉れた場所に、小さな影があった。
まっ二つに切り裂かれた身体は、もはや身動きすらしない。
ケティ・ド・ラ・ロッタだった亡骸に、モンモランシーは近づいていった。
「貴女にとっての、悪夢は終わったわ」
幼い子供に言い聞かせるような口調。足元の亡骸にひざまずき、乱れた髪を整えてやる。
「全ては夢。ギーシュに愛された事も、裏切ったことも、喪ったことも、全ては過ぎ去ってしまえば儚い夢の残照」
「けれど貴女は、貴女とギーシュは、現実を思い出という夢の欠片に変える暇(いとま)もなく、悪夢に囚われてしまった」
「ホラー、悪意をもってヒトを喰らう悪夢の中の悪夢」
「けれどその悪夢すら乗り越えて、私たちは生きなければならない」
モンモランシーは立ち上がり、ケティの顔を焼きつけるように見つめ、目を閉じた。
「私はこれから復讐する。命を弄び、愛を蔑み、生きとし生けるもの全てに暗い影を落とすホラーに対して戦いを挑む。それが貴女や、ギーシュにとっての復讐になるかどうかわからないけれど、それでも―」
顔を上げ、視線をまっ直ぐ前方へ向ける。
そこには蒼い髪の小柄な少女と、紅き髪の艶やかな少女が立っていた。
「友と一緒に、私は闘う」
いつか倒れるその日まで、共に歩み続ける戦友(とも)へ向けて、モンモランシーは一歩脚を踏み出した。
その中央部。ポッカリすり鉢状に抉れた場所に、小さな影があった。
まっ二つに切り裂かれた身体は、もはや身動きすらしない。
ケティ・ド・ラ・ロッタだった亡骸に、モンモランシーは近づいていった。
「貴女にとっての、悪夢は終わったわ」
幼い子供に言い聞かせるような口調。足元の亡骸にひざまずき、乱れた髪を整えてやる。
「全ては夢。ギーシュに愛された事も、裏切ったことも、喪ったことも、全ては過ぎ去ってしまえば儚い夢の残照」
「けれど貴女は、貴女とギーシュは、現実を思い出という夢の欠片に変える暇(いとま)もなく、悪夢に囚われてしまった」
「ホラー、悪意をもってヒトを喰らう悪夢の中の悪夢」
「けれどその悪夢すら乗り越えて、私たちは生きなければならない」
モンモランシーは立ち上がり、ケティの顔を焼きつけるように見つめ、目を閉じた。
「私はこれから復讐する。命を弄び、愛を蔑み、生きとし生けるもの全てに暗い影を落とすホラーに対して戦いを挑む。それが貴女や、ギーシュにとっての復讐になるかどうかわからないけれど、それでも―」
顔を上げ、視線をまっ直ぐ前方へ向ける。
そこには蒼い髪の小柄な少女と、紅き髪の艶やかな少女が立っていた。
「友と一緒に、私は闘う」
いつか倒れるその日まで、共に歩み続ける戦友(とも)へ向けて、モンモランシーは一歩脚を踏み出した。
炎に包まれて、真白き身体が朽ち果ててゆく。
吸うだけで肺が腐れ落ちるような異臭が充満する中、桃色の髪の少女はホラーの残骸に近づいていった。
厳密に言えば、『グレンデルの託卵』の本体。白アリの女王の胴体部分に当たる。ケティに取り憑いていた呪的装置の成れの果てだ。
大きな小屋ほどもある、肉の塊がゴボリと揺れる。
始め水面の波紋程度だったソレは、次第に力強く、はっきりとした動きに変わった。
炎に包まれながらも、何者かが産まれようとしているのだ。
ソレは、ケティの胎内で育まれていたものの最後のあがきだった。
だが、『ルイズ』はそのことを予期していたかのように慌てる事無く、杖を向けた。
嘲笑を込めて、彼女は告げる。
「この期に及んで、まだあきらめないつもり?」
その言葉に抵抗するかのように、肉の塊の内側からの抵抗は激しくなった。
『―おGayァAぁォ―』
やがて生白い表皮を突き破るようにして、灰色の塊が現われた。
その形状はヒトの胎児に似ているが、根本的に異なる。骸骨と豚と蝙蝠と蜥蜴をこね合わせたようなソレは、『ルイズ』を見ると威嚇するように鋭い声を上げた。
だが『ルイズ』は淡々とただ一言だけ告げた。
「消えろ」
全くの無詠唱。ただの事務的なもの言いと共に、灰色の異形は内側から砕けた。
雨垂れのような音と共に、周囲に灰色の肉の欠片と漆黒の血潮が舞う。
血に触れた地面は、それだけでグズグズに溶け崩れ、腐っていった。
当然漆黒の血糊は『ルイズ』の方向へも飛び散ったはずだった。
だが血糊は『ルイズ』にかかる寸前、透明な障壁に当たったかのごとく空中で停まってしまった。
「ふん」
『ルイズ』が鼻を鳴らす。同時に血糊は高温に炙られたかのように蒸発し、消えていった。
やがて巨大な肉の塊は、内側から溶けるように消えてゆき、夜が白む頃には完全にその姿を消した。
東の空が明るくなるにつれ、学院を覆っていた瘴気が拭い去られるように消えてゆく。
白いもやが晴れてゆく瓦礫の原。
カラリと音がして、つま先に蹴られた小石が転げていった。
『ルイズ』はゆっくりと振り返る。
そこには、白いコートをまとった魔戒騎士の姿があった。薄明の大地に、その左手のルーンの輝きがひときわ眩く照り映えている。
「ご苦労様」
『ルイズ』のその言葉に、魔戒騎士 冴島鋼牙が小さく笑った。
『ルイズ』は目を閉じると、意識を喪い、慌てて駆け寄った鋼牙にその身をゆだねた。
二十三体のホラーの胎児は、現世に産み落とされる事なく消滅した。
全ては異界の騎士サエジマ・コウガとその主ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールの尽力によるものである。
もはやハルケギニアの地にホラーの脅威はなく、全ては元の平穏へ戻ってゆく。
吸うだけで肺が腐れ落ちるような異臭が充満する中、桃色の髪の少女はホラーの残骸に近づいていった。
厳密に言えば、『グレンデルの託卵』の本体。白アリの女王の胴体部分に当たる。ケティに取り憑いていた呪的装置の成れの果てだ。
大きな小屋ほどもある、肉の塊がゴボリと揺れる。
始め水面の波紋程度だったソレは、次第に力強く、はっきりとした動きに変わった。
炎に包まれながらも、何者かが産まれようとしているのだ。
ソレは、ケティの胎内で育まれていたものの最後のあがきだった。
だが、『ルイズ』はそのことを予期していたかのように慌てる事無く、杖を向けた。
嘲笑を込めて、彼女は告げる。
「この期に及んで、まだあきらめないつもり?」
その言葉に抵抗するかのように、肉の塊の内側からの抵抗は激しくなった。
『―おGayァAぁォ―』
やがて生白い表皮を突き破るようにして、灰色の塊が現われた。
その形状はヒトの胎児に似ているが、根本的に異なる。骸骨と豚と蝙蝠と蜥蜴をこね合わせたようなソレは、『ルイズ』を見ると威嚇するように鋭い声を上げた。
だが『ルイズ』は淡々とただ一言だけ告げた。
「消えろ」
全くの無詠唱。ただの事務的なもの言いと共に、灰色の異形は内側から砕けた。
雨垂れのような音と共に、周囲に灰色の肉の欠片と漆黒の血潮が舞う。
血に触れた地面は、それだけでグズグズに溶け崩れ、腐っていった。
当然漆黒の血糊は『ルイズ』の方向へも飛び散ったはずだった。
だが血糊は『ルイズ』にかかる寸前、透明な障壁に当たったかのごとく空中で停まってしまった。
「ふん」
『ルイズ』が鼻を鳴らす。同時に血糊は高温に炙られたかのように蒸発し、消えていった。
やがて巨大な肉の塊は、内側から溶けるように消えてゆき、夜が白む頃には完全にその姿を消した。
東の空が明るくなるにつれ、学院を覆っていた瘴気が拭い去られるように消えてゆく。
白いもやが晴れてゆく瓦礫の原。
カラリと音がして、つま先に蹴られた小石が転げていった。
『ルイズ』はゆっくりと振り返る。
そこには、白いコートをまとった魔戒騎士の姿があった。薄明の大地に、その左手のルーンの輝きがひときわ眩く照り映えている。
「ご苦労様」
『ルイズ』のその言葉に、魔戒騎士 冴島鋼牙が小さく笑った。
『ルイズ』は目を閉じると、意識を喪い、慌てて駆け寄った鋼牙にその身をゆだねた。
二十三体のホラーの胎児は、現世に産み落とされる事なく消滅した。
全ては異界の騎士サエジマ・コウガとその主ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールの尽力によるものである。
もはやハルケギニアの地にホラーの脅威はなく、全ては元の平穏へ戻ってゆく。
「で、あれば良いのじゃがのう」
白髪美髯の老人は、低く喉を鳴らした。
周囲が闇に塗り固められたような、異空間の中心である。
まるで法廷の裁判官の席のような壇上に、その老人は居た。
ここではない、どこか遠くを見るような目で老人は呟いた。
「さて、異界の魔戒騎士よ。汝の使命は全て終わりを告げたと、そのように思うておるやもしれん」
静かに、ひそやかに、闇の何処か見えぬ果てより、小柄な影が進み出る。
年の頃は七か八。笑顔を浮かべれば、さぞや利発そうに見える表情であろうに、今は硬く凍てついた能面のような表情を浮かべている。
身にまとうのは、純白の執事の装い。真白き革靴のつま先から、絹の手袋の指先まで、全てが不自然なまでに白い。まるで白以外この世には存在しないかのような装束は、見る者に不安感を抱かせる。
「モートソグニル」
それがこの白き美童の名前だろうか、老人が呼ぶと少年は一歩、前へと進み出た。
その両腕でトレイを掲げ持っている。良く見ると、トレイの上には一通の封書が置かれていた。
老人は腕を伸ばし、それを手に取った。
「はてさて、異界の魔戒騎士サエジマ・コウガは、これを見てどのような顔をするであろうな」
差出人の名前も宛名書きもない、一面漆黒のそれを眺めつつ、老人はひそやかに哂った。
白髪美髯の老人は、低く喉を鳴らした。
周囲が闇に塗り固められたような、異空間の中心である。
まるで法廷の裁判官の席のような壇上に、その老人は居た。
ここではない、どこか遠くを見るような目で老人は呟いた。
「さて、異界の魔戒騎士よ。汝の使命は全て終わりを告げたと、そのように思うておるやもしれん」
静かに、ひそやかに、闇の何処か見えぬ果てより、小柄な影が進み出る。
年の頃は七か八。笑顔を浮かべれば、さぞや利発そうに見える表情であろうに、今は硬く凍てついた能面のような表情を浮かべている。
身にまとうのは、純白の執事の装い。真白き革靴のつま先から、絹の手袋の指先まで、全てが不自然なまでに白い。まるで白以外この世には存在しないかのような装束は、見る者に不安感を抱かせる。
「モートソグニル」
それがこの白き美童の名前だろうか、老人が呼ぶと少年は一歩、前へと進み出た。
その両腕でトレイを掲げ持っている。良く見ると、トレイの上には一通の封書が置かれていた。
老人は腕を伸ばし、それを手に取った。
「はてさて、異界の魔戒騎士サエジマ・コウガは、これを見てどのような顔をするであろうな」
差出人の名前も宛名書きもない、一面漆黒のそれを眺めつつ、老人はひそやかに哂った。
目を開ければ、キュルケが枕元で心配そうに覗き込んでいた。
「あら?目が覚めた」
「……アタシ……」
なにをしていたのだろうか?頭の中に霧がかかったみたいになって、はっきりしない。笑顔でベッドの向こう側へ振り返るキュルケを見つつ、ルイズは頭を振った。
確か、ホラーに憑かれたのがケティであったと判明して、一年生の寮へ向かった辺りだろうか?それから以降があいまいで、夢の中に居たかのように感じられる。
果たして、自分は何をしたのだろうか?兎に角、心の奥底で「ホラーを倒した」という確信だけが結果としてある。
身を起こそうとすると、モンモランシーが慌てて支えてくれた。
「コウガに急に倒れたと聞いて、心配したけどね」
「精神的過労」
「まあ、お子ちゃまには刺激が強すぎる一晩だったわけで」
いろいろと言いたいことを言ってくれる。モンモランシーやタバサはともかく、キュルケは口が過ぎるだろう。
弱干の憤りを込めて、何か言い返そうと息を吸おうとして気がついた。
三人の背後、壁際に椅子を置いて青年が座っている。
「鋼牙」
剣を傍らに置き、静かな表情で見つめる相手の名前を呼べば、小さくうなづいて彼は言葉を返してくれた。
「良く、頑張ったな」
なにが、というわけではないけれど、自分自身がなにを頑張ったのかわからないけれど、それだけで誇らしい気がして、ルイズは布団の中に赤らんだその顔を埋めた。
「あら?目が覚めた」
「……アタシ……」
なにをしていたのだろうか?頭の中に霧がかかったみたいになって、はっきりしない。笑顔でベッドの向こう側へ振り返るキュルケを見つつ、ルイズは頭を振った。
確か、ホラーに憑かれたのがケティであったと判明して、一年生の寮へ向かった辺りだろうか?それから以降があいまいで、夢の中に居たかのように感じられる。
果たして、自分は何をしたのだろうか?兎に角、心の奥底で「ホラーを倒した」という確信だけが結果としてある。
身を起こそうとすると、モンモランシーが慌てて支えてくれた。
「コウガに急に倒れたと聞いて、心配したけどね」
「精神的過労」
「まあ、お子ちゃまには刺激が強すぎる一晩だったわけで」
いろいろと言いたいことを言ってくれる。モンモランシーやタバサはともかく、キュルケは口が過ぎるだろう。
弱干の憤りを込めて、何か言い返そうと息を吸おうとして気がついた。
三人の背後、壁際に椅子を置いて青年が座っている。
「鋼牙」
剣を傍らに置き、静かな表情で見つめる相手の名前を呼べば、小さくうなづいて彼は言葉を返してくれた。
「良く、頑張ったな」
なにが、というわけではないけれど、自分自身がなにを頑張ったのかわからないけれど、それだけで誇らしい気がして、ルイズは布団の中に赤らんだその顔を埋めた。
第4話 復讐 終了
流れ落ちる涙 抑えきれずに
君は素顔の弱さを 初めて見せた
悲しみはいつか消せるはず
僕はあきらめず 愛を伝えてゆく
全てをなくしたこころが もう一度
夢を見ることができるように
僕が愛を伝えてゆく
流れ落ちる涙 抑えきれずに
君は素顔の弱さを 初めて見せた
悲しみはいつか消せるはず
僕はあきらめず 愛を伝えてゆく
全てをなくしたこころが もう一度
夢を見ることができるように
僕が愛を伝えてゆく
~予告~
ザルバ『魔導輪の俺様には理解できないが、身分の違いって奴は、往々にして様々な悲劇を生み出すものらしい。理不尽な運命にさらされて、人は嘆き、哀しんで陰我を生みだすこととなる。次回『虜囚』。鋼牙……彼女たちに安らかな死を与えてやってくれ』
ザルバ『魔導輪の俺様には理解できないが、身分の違いって奴は、往々にして様々な悲劇を生み出すものらしい。理不尽な運命にさらされて、人は嘆き、哀しんで陰我を生みだすこととなる。次回『虜囚』。鋼牙……彼女たちに安らかな死を与えてやってくれ』
あとがきみたいなもの
復讐のタイトルで魔弾の内容を期待された方、申し訳ありません。今回はむしろ月光の内
容でしたね。今回のケティのデザインはまさにルナーケン。あの衣装メイクに下半身の白
アリの部分をCG合成したと考えてください。
モンモランシーは生き残りました。他の娘たちとともに彼女は今後魔戒○師の道へ……行
くかもしれません。今回書いてて思いましたが、シエスタがカオル的ポジション、ルイズ
らが邪美的ポジションという感じですね。
独自の要素として、今回より『遣い魔との合体攻撃』というものを取り入れました。
原作ではイルククゥがかろうじて輸送手段として活躍している程度で、フレイムはいつの
間にか影も形もなくなってしまいました。これが納得できませんでしてね(仮にも使い魔
なんてタイトルを冠しているなら)。そこでフレイムの地上移動速度の見直しと、増幅装置
としての機能を付け加えました。原作どおりでないといけない方は、以後スルーしていた
だけると幸いです。
気がつけばワードで50ページ弱。
どんどん書いていって、前々回、前回から倍率ドン!さらに倍の世界に突入してしまいま
した。今のペースで行くならば、次回も約2週間後ということになるでしょう。
それでは、また2週間後にお会いできると良いですね。(2007/8/29)
復讐のタイトルで魔弾の内容を期待された方、申し訳ありません。今回はむしろ月光の内
容でしたね。今回のケティのデザインはまさにルナーケン。あの衣装メイクに下半身の白
アリの部分をCG合成したと考えてください。
モンモランシーは生き残りました。他の娘たちとともに彼女は今後魔戒○師の道へ……行
くかもしれません。今回書いてて思いましたが、シエスタがカオル的ポジション、ルイズ
らが邪美的ポジションという感じですね。
独自の要素として、今回より『遣い魔との合体攻撃』というものを取り入れました。
原作ではイルククゥがかろうじて輸送手段として活躍している程度で、フレイムはいつの
間にか影も形もなくなってしまいました。これが納得できませんでしてね(仮にも使い魔
なんてタイトルを冠しているなら)。そこでフレイムの地上移動速度の見直しと、増幅装置
としての機能を付け加えました。原作どおりでないといけない方は、以後スルーしていた
だけると幸いです。
気がつけばワードで50ページ弱。
どんどん書いていって、前々回、前回から倍率ドン!さらに倍の世界に突入してしまいま
した。今のペースで行くならば、次回も約2週間後ということになるでしょう。
それでは、また2週間後にお会いできると良いですね。(2007/8/29)