~GARO 黄金の遣い魔~
光あるところに、漆黒の闇ありき。
古の時代より、人類は闇を恐れた。
しかし、暗黒を断ち切る騎士の剣によって、
人類は希望の光を得たのだ。
古の時代より、人類は闇を恐れた。
しかし、暗黒を断ち切る騎士の剣によって、
人類は希望の光を得たのだ。
行け 疾風のごとく
宿命の戦士よ 異界の大地を
何故戦うのか それは剣に聞け
か弱き命守るため 俺は駈け続ける
闇に生まれ 闇に忍び 闇を切り裂く
遥かな 運命の果て巡り合う 二人だから
行け!疾風の如く 魔戒の剣士よ
異界の双月の下 金色になれ
雄雄しき姿の 孤高の剣士よ
魂を込めた 正義の刃 叩きつけて
気高く吠えろ 牙狼!
宿命の戦士よ 異界の大地を
何故戦うのか それは剣に聞け
か弱き命守るため 俺は駈け続ける
闇に生まれ 闇に忍び 闇を切り裂く
遥かな 運命の果て巡り合う 二人だから
行け!疾風の如く 魔戒の剣士よ
異界の双月の下 金色になれ
雄雄しき姿の 孤高の剣士よ
魂を込めた 正義の刃 叩きつけて
気高く吠えろ 牙狼!
第3話 決闘(Aパート)
朝もやの中、風を斬る音が響いている。
吹き荒れる嵐のように、押し寄せる波頭のように、短い気合と共に繰り出されるソレは、緩急をつけながら次第に激しさを増してゆく。
大気が切り裂かれ、一瞬生じた空隙にまた新たな大気がなだれ込む現象が生じ、結果朝霧は渦を巻いて消滅してゆく。
敵を倒すための、あるいは自分が生き残るために操られる斬刃は只の舞いよりも美しい。
冴島鋼牙の朝の鍛錬に偶然遭遇した、シエスタ・イスルギは息を呑んでその光景に魅入っていた。
トリステイン魔法学院の敷地内、『火』と『風』の塔の間にある、ヴェストリの広場の一角である。
早朝の洗濯を済まし、水汲み場から帰る途中、シエスタはその光景に遭遇したのだ。
流れるような動作で刃を下ろし、途中軌跡を変えて急角度で跳ね上げる。敵の刃を受け、最小の動きと極小の力で回転させ、いなし、体勢の崩れたところへ突き入れる。時には脚を使い、跳ね除けた瞬間相手の腕を傷付け戦闘力を奪う。最後にとどめとばかりに大上段に振りかぶり、防御ごと敵を打ち砕いた。
無駄を徹底的に省かれた、ただ相手を斬る、と言う動作がかくも胸を打つのはなぜだろう?
それは剣を繰る者の、時には厳しく、時に哀しい眼差しのせいかもしれない。
ここには居ない、眼に見えない相手の攻撃を鋼牙が撥ね付け、問答無用の一撃を与えた瞬間、彼女の耳は確かに相手の断末魔の叫びを聞いたのだ。
普通ならば耳を塞ぎたくなるようなソレが、今この瞬間だけは甘美なものとしてすら聴こえてしまう。
美しい。
麗しい。
猛々しい。
早く仕事に取り掛からなければ、後々大変な事になることは十分分かっているはずなのに、魅了された彼女はいつまでも居続けた。
果たしてどれだけの時間続いただろう?
やがて、朝霧の中の剣舞は終わりを告げた。
振り下ろした剣の平を左中指の指輪に沿うように引き、その体勢でしばし静止する。ゆっくりと息を吸って、吐いて、気息を整えながら顔を上げた鋼牙は―。
「誰だ!?」
唐突に誰何の声を放った。
「ふえ!?」
鋭い声音にシエスタは驚き、そしてよろめく。体勢を立て直すのに失敗して、両手で持っていた籠から洗濯物が零れ落ちた。
「ああ!せっかく洗ったばかりなのに!」
嘆きの声と共に落ちた洗濯物を拾おうとして、屈み込んだ拍子に無事な方を落としてしまう。そのことを何度も繰り返して、とうとう最後に彼女はうつむいてしまった。
足元には、間違えて踏んでしまった貴族様のシャツ。純白のソレの背中には、黒々と靴跡が残されていた。
目の前が涙でにじんで歪む。たった数分前の高揚した気持ちから一転、シエスタの心は限りなく絶望に彩られた。
うつむき、嘆き悲しむ彼女の視界に、漆黒のブーツの先端が入ったのはその直後だった。
「すまないことをした」
鋼牙は落ちていたシャツを拾うと、汚れを手で払い、シエスタに背を向けた。
「あ、あのっ!」
シャツを持ったまま、鋼牙は振り返った。端正な、時には厳しいとすら受け取れる横顔に、今まで見たことがない表情が浮かんでいるのが見て取れる。
……もっとも、よほど注意深く眺めてみないと分からないくらい、幽かな変化だったが。
「どうした?洗いなおすのだろう?」
いささかの困惑を浮かべながら、鋼牙は手に持ったシャツを掲げた。向かおうとしているのは、水汲み場だ。
「そんな!悪いです!貴族様にそんなことさせられません!」
あまりに恐れ多い事だと言うシエスタに、だが鋼牙は譲らなかった。
「驚かせてしまったのは俺の方だ。謝りこそすれ、恐縮される理由がない。第一……」
改めて向き直り、シエスタの眼を正面から見つめつつ彼は告げた。
「俺は、『この世界』の貴族なんかじゃあない」
……結局、その言葉がとどめとなった。真摯な眼差しに逆らう事もできず、シエスタは先を歩く鋼牙の後についていった。
ほんの少しだけ、今という時間を嬉しく感じながら。
(そっか、このヒト、貴族じゃあなかったんだ!)
シエスタは前を歩く青年の顔をそっと、覗き込んだ。
吹き荒れる嵐のように、押し寄せる波頭のように、短い気合と共に繰り出されるソレは、緩急をつけながら次第に激しさを増してゆく。
大気が切り裂かれ、一瞬生じた空隙にまた新たな大気がなだれ込む現象が生じ、結果朝霧は渦を巻いて消滅してゆく。
敵を倒すための、あるいは自分が生き残るために操られる斬刃は只の舞いよりも美しい。
冴島鋼牙の朝の鍛錬に偶然遭遇した、シエスタ・イスルギは息を呑んでその光景に魅入っていた。
トリステイン魔法学院の敷地内、『火』と『風』の塔の間にある、ヴェストリの広場の一角である。
早朝の洗濯を済まし、水汲み場から帰る途中、シエスタはその光景に遭遇したのだ。
流れるような動作で刃を下ろし、途中軌跡を変えて急角度で跳ね上げる。敵の刃を受け、最小の動きと極小の力で回転させ、いなし、体勢の崩れたところへ突き入れる。時には脚を使い、跳ね除けた瞬間相手の腕を傷付け戦闘力を奪う。最後にとどめとばかりに大上段に振りかぶり、防御ごと敵を打ち砕いた。
無駄を徹底的に省かれた、ただ相手を斬る、と言う動作がかくも胸を打つのはなぜだろう?
それは剣を繰る者の、時には厳しく、時に哀しい眼差しのせいかもしれない。
ここには居ない、眼に見えない相手の攻撃を鋼牙が撥ね付け、問答無用の一撃を与えた瞬間、彼女の耳は確かに相手の断末魔の叫びを聞いたのだ。
普通ならば耳を塞ぎたくなるようなソレが、今この瞬間だけは甘美なものとしてすら聴こえてしまう。
美しい。
麗しい。
猛々しい。
早く仕事に取り掛からなければ、後々大変な事になることは十分分かっているはずなのに、魅了された彼女はいつまでも居続けた。
果たしてどれだけの時間続いただろう?
やがて、朝霧の中の剣舞は終わりを告げた。
振り下ろした剣の平を左中指の指輪に沿うように引き、その体勢でしばし静止する。ゆっくりと息を吸って、吐いて、気息を整えながら顔を上げた鋼牙は―。
「誰だ!?」
唐突に誰何の声を放った。
「ふえ!?」
鋭い声音にシエスタは驚き、そしてよろめく。体勢を立て直すのに失敗して、両手で持っていた籠から洗濯物が零れ落ちた。
「ああ!せっかく洗ったばかりなのに!」
嘆きの声と共に落ちた洗濯物を拾おうとして、屈み込んだ拍子に無事な方を落としてしまう。そのことを何度も繰り返して、とうとう最後に彼女はうつむいてしまった。
足元には、間違えて踏んでしまった貴族様のシャツ。純白のソレの背中には、黒々と靴跡が残されていた。
目の前が涙でにじんで歪む。たった数分前の高揚した気持ちから一転、シエスタの心は限りなく絶望に彩られた。
うつむき、嘆き悲しむ彼女の視界に、漆黒のブーツの先端が入ったのはその直後だった。
「すまないことをした」
鋼牙は落ちていたシャツを拾うと、汚れを手で払い、シエスタに背を向けた。
「あ、あのっ!」
シャツを持ったまま、鋼牙は振り返った。端正な、時には厳しいとすら受け取れる横顔に、今まで見たことがない表情が浮かんでいるのが見て取れる。
……もっとも、よほど注意深く眺めてみないと分からないくらい、幽かな変化だったが。
「どうした?洗いなおすのだろう?」
いささかの困惑を浮かべながら、鋼牙は手に持ったシャツを掲げた。向かおうとしているのは、水汲み場だ。
「そんな!悪いです!貴族様にそんなことさせられません!」
あまりに恐れ多い事だと言うシエスタに、だが鋼牙は譲らなかった。
「驚かせてしまったのは俺の方だ。謝りこそすれ、恐縮される理由がない。第一……」
改めて向き直り、シエスタの眼を正面から見つめつつ彼は告げた。
「俺は、『この世界』の貴族なんかじゃあない」
……結局、その言葉がとどめとなった。真摯な眼差しに逆らう事もできず、シエスタは先を歩く鋼牙の後についていった。
ほんの少しだけ、今という時間を嬉しく感じながら。
(そっか、このヒト、貴族じゃあなかったんだ!)
シエスタは前を歩く青年の顔をそっと、覗き込んだ。
朝もやの晴れた庭を渡り、鋼牙が女子寮に辿り着くと、部屋の前にはルイズ・フランソワ-ズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが待っていた。
「遅い!どこ行ってたのよっ!」
普段ならば、共に食堂へ向かう時刻である。ピンクの髪の小柄な少女は、腕組をして彼をねめ上げた。
「全く!ご主人様を待たせといて、自分はメイドと楽しくおしゃべり?遣い魔の癖に生意気なのよ」
どうやら、鋼牙が帰って来るのを待ちわびて、窓から外を覗き込んでいる内に、シエスタを伴って帰る光景を目撃されてしまったらしい。誤解だと言い訳する気にもならず、鋼牙は無言で応対する。
そしてその態度に、名目上の主であるルイズはヒートアップするのだ。
「なによ……この、ムッツリ!」
「メイドなんかに鼻の下伸ばして!」
「アタシが見てないところで、あのメイドにナニかして御覧なさい!名誉あるヴァリエール家の名に泥を塗る……」
ルイズの言っていることは口調こそ高飛車だったが、その実眼は泳いでしまっていた。どこまで言えば、便宜上遣い魔として居る鋼牙が怒り出すのか、その辺りの加減がまるでわからないからだ。
虚勢を張っている、というわけでもない。むしろそれはどこまでの範囲、ヒトに踏み込んで良いのか分からないという事を物語っていた。
……鋼牙は知らない事だが、ルイズは彼が召喚される前はむしろクラス全体から孤立する傾向にあった。常にうつむき、教科書や魔法の指導書を紐解く日々。魔法を使えない、ということで人の目を引かないよう、気にし過ぎるほど気をつかい毎日を過ごしてきたのだ。その結果だろう。一種のコミュニケーション不足の状態に彼女は陥っていた。
例えば仮に、召喚された者が鋼牙のような『触れれば斬る』といった雰囲気を漂わせた年長者ではなくて、ほぼ同年齢の相手ならばどうだっただろう。さしたる特徴も能力も持たない、気兼ねせずにいられるような相手ならば遠慮なく、時には拳や蹴りのような一種の“肉体言語”を通してコミュニケーションを図ることもできたはずである。
いずれにしても、おのれの意思を伝える事が苦手な少女と寡黙な青年、この二者間のみではいつまでたっても相互理解が進まないことは確実だった。
だがここで、二つの存在が両者を仲介する。『一つ』は―。
『まあまあ…お嬢ちゃん…鋼牙だって遅れるつもりはなかったんだ。ただ、あのメイドっ子の仕事の邪魔をしちまってな。そのお詫びをしていたのさ』
鋼牙の左中指にはめられた指輪がカクカクと動いた。魔界語で『友』という意味の名前の『ザルバ』は、鋼牙の遅参の原因について説明した。
「そ、そうなんだ?ふーん」
ぎこちなくうなづくルイズ。そしてそこに『もう一人』が現われ声をかける―。
「あら?」
ルイズの部屋を挟んで、鋼牙に割り当てられたところとは正反対の部屋の扉がいきなり開いた。
声に誘われて見れば、部屋の中から一人の少女が姿を現した。燃えるような紅い髪と健康そうな褐色の肌、並みの男性よりすらりとした容姿がルイズとは対照的だ。
少女はルイズを見ると、ニヤッと笑った。
「おはよう。ルイズ」
対するルイズは、嫌々ながら返答した。
「おはよう。キュルケ」
「あらあら、その方が貴女が召喚したっていう、件の騎士様ね」
キュルケと呼ばれた少女は、蕩けるような視線を投げかけた。
「『サモン・サーヴァント』で人間を召喚した、平民を遣い魔にしたって騒いでたけれど、ううん、なかなか当たりじゃあないの?」
ルイズの目許が小刻みに震えた。いささか声を荒げて、彼女はキュルケに喰ってかかる。
「それ、皮肉のつもり?」
対するキュルケは余裕の態度を崩さなかった。
「違うわよ。遣い魔は、そのメイジに合った存在が召喚される。適性や実力含めてね。騎士様を召喚したってことは、貴女は守ってくれる存在を必要としたんじゃなくって?」
『ほう……ふむ……なかなか面白い意見だなそりゃあ』
《ザルバ》が小さくうなった。
『そうか……《守りし者》ってわけだな』
「《ザルバ》?何を感心している?」
いぶかしむ鋼牙の声は、キュルケの声に消された。
「あたしなんか…ほおら!見て見て!フレイム~」
眼を向ければ、キュルケの背後の開いた扉から、なにかがのっそりと出てきた。
大きさは虎ほど、全身をまっ赤な鱗で覆われ、尻尾の先端にランタンの様に炎が燃え盛っている。全身から熱気を放ち、近づくだけで周囲の気温を上昇させた。
「これって、サラマンダー?」
「そうよー、火トカゲよー。見て?この尻尾。ここまで鮮やかで大きい炎の尻尾は、間違いなく火竜山脈のサラマンダーよ?ブランドものよー、好事家に見せたら、値段なんかつかないわよ?」
ためすがめつ、ルイズが近づいてゆく。触ろうと指を伸ばしかけて、慌てて引っ込めた。
「熱っ!」
「みたいねー。ご主人様の私には、全然熱くなくって、むしろ涼しいくらいなんだけどね。ね?わかった?私の属性にピッタリでしょう?」
「あんた、『火』の属性だものね」
ルイズの指摘に、キュルケは「ごもっとも!」とうなづいた。
「ええ、『微熱のキュルケ』ですもの。ささやかに燃える情熱は微熱。でも、男の子はそれでイチコロなのですわー」
ホホホと口元に手を当てて笑うキュルケ。笑い声を上げるたびに、その豊満な胸がタユリと揺れ、ルイズは悔しそうに歯噛みしながらソレを見上げた。
「あんたみたいにいちいち色気振り撒くほど、暇じゃないだけよ!」
そんなルイズを余裕の態度で黙殺すると、キュルケは鋼牙に向き直った。
「騎士様のお名前は、なんてゆうのかしら?」
「冴島 鋼牙だ」
「サエジマ コウガ?変わったお名前ね。東方の響きだわ。エルフの支配する土地を越えて、《ロバ・アル・カリイエ》からやってきたのかしら?」
「まあ、そんなところだ」
オールド・オスマンに硬く口止めされていたため、鋼牙はキュルケの質問をはぐらかした。
『ホラー……凶暴な幻獣を追ってた最中だったんだがな。そこをルイズに召喚されたのさ』
カクカク顎を揺らして語る《ザルバ》を見て、キュルケが眼を瞠る。
「すごいじゃない!このマジックアイテム。こんなの持ってるなんて、やっぱり貴方そうとうな地位のヒトなのね~」
『おお!俺様のすごいのがわかるか!?お嬢ちゃんさすが目が高い!よ~しよしよし、もっと誉めてくれ~』
「「《ザルバ》!!」」
鋼牙とルイズ、両方ともが魔導輪に注意を促す。なぜか二人して同時に声を合わせたことに気付き、目が合いそうになって慌てて逸らす。その様子にクスリと微苦笑を浮かべると、キュルケは二人に背を向けて去っていった。ちょこちょこと、大柄な身体に似合わない可愛い動作で、サラマンダーがその後を追う。
「あの女」
鋼牙は顔をしかめつつその後姿を追った。
去り際にキュルケが、鋼牙にだけ聴こえるような声で言い残したからだ。
キュルケはいつくしむ様な笑みを浮かべて、鋼牙に告げた。
「アノ子を守ってあげてね。騎士様」
(どういうことだ?“守れ”とは……俺の使命は)
その横でルイズが「なにキュルケに色目に使われて、ボーッとしてるのよっ!」などとなにやらわめいていたが、おのれの考えに囚われていた鋼牙は、ソレを完全に無視した。
「遅い!どこ行ってたのよっ!」
普段ならば、共に食堂へ向かう時刻である。ピンクの髪の小柄な少女は、腕組をして彼をねめ上げた。
「全く!ご主人様を待たせといて、自分はメイドと楽しくおしゃべり?遣い魔の癖に生意気なのよ」
どうやら、鋼牙が帰って来るのを待ちわびて、窓から外を覗き込んでいる内に、シエスタを伴って帰る光景を目撃されてしまったらしい。誤解だと言い訳する気にもならず、鋼牙は無言で応対する。
そしてその態度に、名目上の主であるルイズはヒートアップするのだ。
「なによ……この、ムッツリ!」
「メイドなんかに鼻の下伸ばして!」
「アタシが見てないところで、あのメイドにナニかして御覧なさい!名誉あるヴァリエール家の名に泥を塗る……」
ルイズの言っていることは口調こそ高飛車だったが、その実眼は泳いでしまっていた。どこまで言えば、便宜上遣い魔として居る鋼牙が怒り出すのか、その辺りの加減がまるでわからないからだ。
虚勢を張っている、というわけでもない。むしろそれはどこまでの範囲、ヒトに踏み込んで良いのか分からないという事を物語っていた。
……鋼牙は知らない事だが、ルイズは彼が召喚される前はむしろクラス全体から孤立する傾向にあった。常にうつむき、教科書や魔法の指導書を紐解く日々。魔法を使えない、ということで人の目を引かないよう、気にし過ぎるほど気をつかい毎日を過ごしてきたのだ。その結果だろう。一種のコミュニケーション不足の状態に彼女は陥っていた。
例えば仮に、召喚された者が鋼牙のような『触れれば斬る』といった雰囲気を漂わせた年長者ではなくて、ほぼ同年齢の相手ならばどうだっただろう。さしたる特徴も能力も持たない、気兼ねせずにいられるような相手ならば遠慮なく、時には拳や蹴りのような一種の“肉体言語”を通してコミュニケーションを図ることもできたはずである。
いずれにしても、おのれの意思を伝える事が苦手な少女と寡黙な青年、この二者間のみではいつまでたっても相互理解が進まないことは確実だった。
だがここで、二つの存在が両者を仲介する。『一つ』は―。
『まあまあ…お嬢ちゃん…鋼牙だって遅れるつもりはなかったんだ。ただ、あのメイドっ子の仕事の邪魔をしちまってな。そのお詫びをしていたのさ』
鋼牙の左中指にはめられた指輪がカクカクと動いた。魔界語で『友』という意味の名前の『ザルバ』は、鋼牙の遅参の原因について説明した。
「そ、そうなんだ?ふーん」
ぎこちなくうなづくルイズ。そしてそこに『もう一人』が現われ声をかける―。
「あら?」
ルイズの部屋を挟んで、鋼牙に割り当てられたところとは正反対の部屋の扉がいきなり開いた。
声に誘われて見れば、部屋の中から一人の少女が姿を現した。燃えるような紅い髪と健康そうな褐色の肌、並みの男性よりすらりとした容姿がルイズとは対照的だ。
少女はルイズを見ると、ニヤッと笑った。
「おはよう。ルイズ」
対するルイズは、嫌々ながら返答した。
「おはよう。キュルケ」
「あらあら、その方が貴女が召喚したっていう、件の騎士様ね」
キュルケと呼ばれた少女は、蕩けるような視線を投げかけた。
「『サモン・サーヴァント』で人間を召喚した、平民を遣い魔にしたって騒いでたけれど、ううん、なかなか当たりじゃあないの?」
ルイズの目許が小刻みに震えた。いささか声を荒げて、彼女はキュルケに喰ってかかる。
「それ、皮肉のつもり?」
対するキュルケは余裕の態度を崩さなかった。
「違うわよ。遣い魔は、そのメイジに合った存在が召喚される。適性や実力含めてね。騎士様を召喚したってことは、貴女は守ってくれる存在を必要としたんじゃなくって?」
『ほう……ふむ……なかなか面白い意見だなそりゃあ』
《ザルバ》が小さくうなった。
『そうか……《守りし者》ってわけだな』
「《ザルバ》?何を感心している?」
いぶかしむ鋼牙の声は、キュルケの声に消された。
「あたしなんか…ほおら!見て見て!フレイム~」
眼を向ければ、キュルケの背後の開いた扉から、なにかがのっそりと出てきた。
大きさは虎ほど、全身をまっ赤な鱗で覆われ、尻尾の先端にランタンの様に炎が燃え盛っている。全身から熱気を放ち、近づくだけで周囲の気温を上昇させた。
「これって、サラマンダー?」
「そうよー、火トカゲよー。見て?この尻尾。ここまで鮮やかで大きい炎の尻尾は、間違いなく火竜山脈のサラマンダーよ?ブランドものよー、好事家に見せたら、値段なんかつかないわよ?」
ためすがめつ、ルイズが近づいてゆく。触ろうと指を伸ばしかけて、慌てて引っ込めた。
「熱っ!」
「みたいねー。ご主人様の私には、全然熱くなくって、むしろ涼しいくらいなんだけどね。ね?わかった?私の属性にピッタリでしょう?」
「あんた、『火』の属性だものね」
ルイズの指摘に、キュルケは「ごもっとも!」とうなづいた。
「ええ、『微熱のキュルケ』ですもの。ささやかに燃える情熱は微熱。でも、男の子はそれでイチコロなのですわー」
ホホホと口元に手を当てて笑うキュルケ。笑い声を上げるたびに、その豊満な胸がタユリと揺れ、ルイズは悔しそうに歯噛みしながらソレを見上げた。
「あんたみたいにいちいち色気振り撒くほど、暇じゃないだけよ!」
そんなルイズを余裕の態度で黙殺すると、キュルケは鋼牙に向き直った。
「騎士様のお名前は、なんてゆうのかしら?」
「冴島 鋼牙だ」
「サエジマ コウガ?変わったお名前ね。東方の響きだわ。エルフの支配する土地を越えて、《ロバ・アル・カリイエ》からやってきたのかしら?」
「まあ、そんなところだ」
オールド・オスマンに硬く口止めされていたため、鋼牙はキュルケの質問をはぐらかした。
『ホラー……凶暴な幻獣を追ってた最中だったんだがな。そこをルイズに召喚されたのさ』
カクカク顎を揺らして語る《ザルバ》を見て、キュルケが眼を瞠る。
「すごいじゃない!このマジックアイテム。こんなの持ってるなんて、やっぱり貴方そうとうな地位のヒトなのね~」
『おお!俺様のすごいのがわかるか!?お嬢ちゃんさすが目が高い!よ~しよしよし、もっと誉めてくれ~』
「「《ザルバ》!!」」
鋼牙とルイズ、両方ともが魔導輪に注意を促す。なぜか二人して同時に声を合わせたことに気付き、目が合いそうになって慌てて逸らす。その様子にクスリと微苦笑を浮かべると、キュルケは二人に背を向けて去っていった。ちょこちょこと、大柄な身体に似合わない可愛い動作で、サラマンダーがその後を追う。
「あの女」
鋼牙は顔をしかめつつその後姿を追った。
去り際にキュルケが、鋼牙にだけ聴こえるような声で言い残したからだ。
キュルケはいつくしむ様な笑みを浮かべて、鋼牙に告げた。
「アノ子を守ってあげてね。騎士様」
(どういうことだ?“守れ”とは……俺の使命は)
その横でルイズが「なにキュルケに色目に使われて、ボーッとしてるのよっ!」などとなにやらわめいていたが、おのれの考えに囚われていた鋼牙は、ソレを完全に無視した。
盆に盛った料理を掲げ持ちながら、シエスタはテーブルを見回した。
毎度おなじみの、アルヴィーズの食堂である。今は朝食の時とて、かなりの人数でごったがえしていた。
その中、二年生のテーブルの一部がポッカリ空いたようになっている。彼女の記憶が確かならば、そこに目的の人物が居たはずなのだ。
ギーシュ・ド・グラモン。土のドットメイジである。
常からあだ名を流すような少年だが、意外と人付き合いは良い。こうした席ともなれば、いつも周囲を友人が取り巻いている。
だが、今朝はそのテーブルには誰も居らず、従って取り巻き連中の姿もなかった。
「あの……」
思い余ったシエスタは。ギーシュの席の隣に座る少年に声をかけた。
「ギーシュ様は、今朝はまだ来られていないのですか?」
「ん?ああ……」
声をかけられた、がっしりとした少年はシエスタの掲げ持った盆を見て納得したようだった。
「ギーシュの分の食事なら、もう下げたほうが良いね。もう、今の時間から出てくることはないだろう。どうやらずいぶん酷い風邪みたいだからね」
どうやら休んだ学生の食事を下げるべきかどうか、悩んでいると見られたらしい。
「そ、そうですか」
実際は、ギーシュ本人に確かめたい事があって、彼女は探していたのだが。仕方なく彼女は頭を下げて、その場から引き返した。厨房へ入る直前、もう一度ギーシュの席を見る。
「尋ねたいことがあったのに……ミリアの事を」
同室のメイドの名前を口にし、シエスタは眼を伏せた。
毎度おなじみの、アルヴィーズの食堂である。今は朝食の時とて、かなりの人数でごったがえしていた。
その中、二年生のテーブルの一部がポッカリ空いたようになっている。彼女の記憶が確かならば、そこに目的の人物が居たはずなのだ。
ギーシュ・ド・グラモン。土のドットメイジである。
常からあだ名を流すような少年だが、意外と人付き合いは良い。こうした席ともなれば、いつも周囲を友人が取り巻いている。
だが、今朝はそのテーブルには誰も居らず、従って取り巻き連中の姿もなかった。
「あの……」
思い余ったシエスタは。ギーシュの席の隣に座る少年に声をかけた。
「ギーシュ様は、今朝はまだ来られていないのですか?」
「ん?ああ……」
声をかけられた、がっしりとした少年はシエスタの掲げ持った盆を見て納得したようだった。
「ギーシュの分の食事なら、もう下げたほうが良いね。もう、今の時間から出てくることはないだろう。どうやらずいぶん酷い風邪みたいだからね」
どうやら休んだ学生の食事を下げるべきかどうか、悩んでいると見られたらしい。
「そ、そうですか」
実際は、ギーシュ本人に確かめたい事があって、彼女は探していたのだが。仕方なく彼女は頭を下げて、その場から引き返した。厨房へ入る直前、もう一度ギーシュの席を見る。
「尋ねたいことがあったのに……ミリアの事を」
同室のメイドの名前を口にし、シエスタは眼を伏せた。
ミリア・ハニーデイルという少女は、シエスタ・イスルギとはとにかく正反対の人物だった。
まず、外観が派手である。漆黒の髪にかっ色の瞳という地味な彼女に対して、ミリアは貴族の令嬢を思わせる豪奢な金髪を誇っていた。瞳の色もエメラルドをはめ込んだような緑で、その場に居るだけで人目を引く。さらにプロポーションもすばらしく、身分の上下を気にしなければ、かのキュルケ・ツェルプストーと並び立つ双璧と呼ぶ学院関係者も居る。また頭の働きも良くて、魔法の才能を別にすれば、読み書き計算一通りのことはやってのけた。音楽や芸術にも造詣が深く、その点では貴族と話しても飽きさせないだろう。せいぜい、市販の物語小説をようやく読むことができる程度のシエスタとは正反対であった。
だが何よりもミリアを特徴づけていたのは、彼女が『交友関係が広い』ということだろう。
彼女の数百人にも及ぶ『交友関係』は、ここトリステイン魔法学院の使用人だけでなく、れっきとした貴族にさえ広がりを見せていた。
ぞう、ここで言う『交友関係』とは、いわゆる男と女の……肉体的なつながりの事である。正確には魔法学院の男子生徒と金銭のやり取りをして、己の身体を抱かせていたのである。
「……別に『割り切り』な関係だからいいんじゃあない?」
疑問を投げかけるシエスタにミリアが返した言葉はそういうものだった。
「あっちは快楽を得る。こっちは気持ちよくてお金を貰う。どちらも万々歳じゃないの?なまじ愛の言葉だの花束なんて貰っても、何の得にもならないしねえ。服や宝石のほうがお金に代えれるだけまだましよ」
複数の少年から貰った同じデザインのバッグを、質入したミリアは笑った。
「どうしてお金を貯めてるかって?まあ、他ならぬシエスタだからはなすけど、私、トリステインから出て行こうと思ってるんだ」
「……」
絶句するシエスタにミリアはうなづく。
「なんだかんだ言ったってさ、この土地じゃあ、平民に生まれたら一生平民なわけ。どれだけ努力してもね。でも広い世の中、努力すれば平民出身でも貴族になれるところがある。ゲルマニアとかガリアとかね」
「お金はそのために必要。ゲルマニアに行って社交界デヴューして、貴族のボンボンを誑し込んで見せる。知識は相手を引き付けるため、セックスは相手を飽きさせないために必須の技術よ」
「まあ、あまりこの学院にも長居するつもりはないわ。なんたって若さが勝負ですもの。ね?」
そう言ってウインクしたミリアは、髪をすき終わると立ち上がった。
「……また、『お客さん』?」
シエスタが尋ねると、彼女は「うん」とうなづいた。
「ひさしぶりだわ。ギーシュ・ド・グラモンに呼び出されるなんて。あの子の筆下ろしは、私がしたげたのにねえ。二年に上がってからはちっともお誘いがなかったわ」
そうしてチェストの奥にある、避妊具の束を取り出しながら。
「そう言えば、シエスタもやってみない?貴女みたいな純朴な子が良いって貴族のボンボンも居るのよ。マリコルヌとかマリコルヌとかマリコルヌとか……ってあらっ?」
首を傾げたミリアは、最後に扉を開けながらシエスタに告げた。
「ひょっとして帰るのが遅くなるかもしれないわ。鍵は持ってゆくから大丈夫。朝までぐっすり寝てて、ね?まあ、男の子誘い込んでもいいけど。隣には聴こえないようにね」
そうして、憤慨するシエスタを置いてミリアは出ていった。
だが一晩がたち、朝になってもミリアは帰ってこなかった。仕方なくいつもは二人で葉作業する洗濯物を一人で運び、そこで鋼牙に遭遇したのだ。
「ミリア…どうしたのかしら?」
後で時間があるならば、ギーシュ・ド・グラモンの部屋を訪ねてみよう。シエスタはそう、考えた。
まず、外観が派手である。漆黒の髪にかっ色の瞳という地味な彼女に対して、ミリアは貴族の令嬢を思わせる豪奢な金髪を誇っていた。瞳の色もエメラルドをはめ込んだような緑で、その場に居るだけで人目を引く。さらにプロポーションもすばらしく、身分の上下を気にしなければ、かのキュルケ・ツェルプストーと並び立つ双璧と呼ぶ学院関係者も居る。また頭の働きも良くて、魔法の才能を別にすれば、読み書き計算一通りのことはやってのけた。音楽や芸術にも造詣が深く、その点では貴族と話しても飽きさせないだろう。せいぜい、市販の物語小説をようやく読むことができる程度のシエスタとは正反対であった。
だが何よりもミリアを特徴づけていたのは、彼女が『交友関係が広い』ということだろう。
彼女の数百人にも及ぶ『交友関係』は、ここトリステイン魔法学院の使用人だけでなく、れっきとした貴族にさえ広がりを見せていた。
ぞう、ここで言う『交友関係』とは、いわゆる男と女の……肉体的なつながりの事である。正確には魔法学院の男子生徒と金銭のやり取りをして、己の身体を抱かせていたのである。
「……別に『割り切り』な関係だからいいんじゃあない?」
疑問を投げかけるシエスタにミリアが返した言葉はそういうものだった。
「あっちは快楽を得る。こっちは気持ちよくてお金を貰う。どちらも万々歳じゃないの?なまじ愛の言葉だの花束なんて貰っても、何の得にもならないしねえ。服や宝石のほうがお金に代えれるだけまだましよ」
複数の少年から貰った同じデザインのバッグを、質入したミリアは笑った。
「どうしてお金を貯めてるかって?まあ、他ならぬシエスタだからはなすけど、私、トリステインから出て行こうと思ってるんだ」
「……」
絶句するシエスタにミリアはうなづく。
「なんだかんだ言ったってさ、この土地じゃあ、平民に生まれたら一生平民なわけ。どれだけ努力してもね。でも広い世の中、努力すれば平民出身でも貴族になれるところがある。ゲルマニアとかガリアとかね」
「お金はそのために必要。ゲルマニアに行って社交界デヴューして、貴族のボンボンを誑し込んで見せる。知識は相手を引き付けるため、セックスは相手を飽きさせないために必須の技術よ」
「まあ、あまりこの学院にも長居するつもりはないわ。なんたって若さが勝負ですもの。ね?」
そう言ってウインクしたミリアは、髪をすき終わると立ち上がった。
「……また、『お客さん』?」
シエスタが尋ねると、彼女は「うん」とうなづいた。
「ひさしぶりだわ。ギーシュ・ド・グラモンに呼び出されるなんて。あの子の筆下ろしは、私がしたげたのにねえ。二年に上がってからはちっともお誘いがなかったわ」
そうしてチェストの奥にある、避妊具の束を取り出しながら。
「そう言えば、シエスタもやってみない?貴女みたいな純朴な子が良いって貴族のボンボンも居るのよ。マリコルヌとかマリコルヌとかマリコルヌとか……ってあらっ?」
首を傾げたミリアは、最後に扉を開けながらシエスタに告げた。
「ひょっとして帰るのが遅くなるかもしれないわ。鍵は持ってゆくから大丈夫。朝までぐっすり寝てて、ね?まあ、男の子誘い込んでもいいけど。隣には聴こえないようにね」
そうして、憤慨するシエスタを置いてミリアは出ていった。
だが一晩がたち、朝になってもミリアは帰ってこなかった。仕方なくいつもは二人で葉作業する洗濯物を一人で運び、そこで鋼牙に遭遇したのだ。
「ミリア…どうしたのかしら?」
後で時間があるならば、ギーシュ・ド・グラモンの部屋を訪ねてみよう。シエスタはそう、考えた。
「……授業には出られない?」
二つに割ったベーグルにバターとラズベリージャムを塗りながら、ルイズは鋼牙にいぶかしげに尋ねた。
鋼牙とルイズは、今日も隣りあわせでテーブルについていた。その周囲が一席分、ポッカリ空いたようになっているのも相変わらずだ。大勢の学生が入れ替わり立ち代りごったがえす中を、料理を盛った盆を掲げて、メイドたちがクルクル急がしそうに移動していた。その中に、早朝会ったシエスタという少女が居るのが見えた気がした。
「ああ……学院の土地から出て、周囲を調べてみたい」
『どうも、敵はこの学院内に居ないようだ。ホラーの気配が感知できない』
鋼牙を後押しするように、《ザルバ》が補足した。
『時間が経つほど、こっちが不利になる。どうか協力してくれないか?お嬢ちゃん』
「まあ、貴方達なんか居てもいなくても一緒だし……遣い魔らしいこと、一つもしようとしない奴なら同じかしら?」
唇の端を歪めるルイズ。こころなし、眼の端が潤んでいる。そのことに鋼牙は気付いたが、見咎めると逆に収拾がつかない事態になりそうだと感じて、口出しする事はよした。さいわい、《ザルバ》の方も鋼牙の雰囲気を感じとってくれたらしい。この場は沈黙を保った。
「すまないと思う。だが、俺がホラーを狩ることが、ひいてはルイズ、お前やこの学院の者達を守る事につながると、わかって欲しい」
鋼牙の説得に、ルイズはフン!と鼻を鳴らした。前を向き直り、ジャムが垂れてきそうなベーグルに齧りつく。
「まあ、オールド・オスマンには『可能な限り、鋼牙の言う事は聴いて上げる様に』なんて言われたからね。そのくらいかまわないわよ。一応、馬の貸し出しはアタシの名前でやっといたげる。馬には乗れるわよね?仮にも『騎士』なんだから」
「無論だ。まあ、俺には大人しすぎるかもしれないが」
魔界の獣を乗馬としている鋼牙である。その程度のことは雑作もない。
朝食を半分以上テーブルの上に残し、鋼牙はナプキンで口元を拭った。
二つに割ったベーグルにバターとラズベリージャムを塗りながら、ルイズは鋼牙にいぶかしげに尋ねた。
鋼牙とルイズは、今日も隣りあわせでテーブルについていた。その周囲が一席分、ポッカリ空いたようになっているのも相変わらずだ。大勢の学生が入れ替わり立ち代りごったがえす中を、料理を盛った盆を掲げて、メイドたちがクルクル急がしそうに移動していた。その中に、早朝会ったシエスタという少女が居るのが見えた気がした。
「ああ……学院の土地から出て、周囲を調べてみたい」
『どうも、敵はこの学院内に居ないようだ。ホラーの気配が感知できない』
鋼牙を後押しするように、《ザルバ》が補足した。
『時間が経つほど、こっちが不利になる。どうか協力してくれないか?お嬢ちゃん』
「まあ、貴方達なんか居てもいなくても一緒だし……遣い魔らしいこと、一つもしようとしない奴なら同じかしら?」
唇の端を歪めるルイズ。こころなし、眼の端が潤んでいる。そのことに鋼牙は気付いたが、見咎めると逆に収拾がつかない事態になりそうだと感じて、口出しする事はよした。さいわい、《ザルバ》の方も鋼牙の雰囲気を感じとってくれたらしい。この場は沈黙を保った。
「すまないと思う。だが、俺がホラーを狩ることが、ひいてはルイズ、お前やこの学院の者達を守る事につながると、わかって欲しい」
鋼牙の説得に、ルイズはフン!と鼻を鳴らした。前を向き直り、ジャムが垂れてきそうなベーグルに齧りつく。
「まあ、オールド・オスマンには『可能な限り、鋼牙の言う事は聴いて上げる様に』なんて言われたからね。そのくらいかまわないわよ。一応、馬の貸し出しはアタシの名前でやっといたげる。馬には乗れるわよね?仮にも『騎士』なんだから」
「無論だ。まあ、俺には大人しすぎるかもしれないが」
魔界の獣を乗馬としている鋼牙である。その程度のことは雑作もない。
朝食を半分以上テーブルの上に残し、鋼牙はナプキンで口元を拭った。
闇の中に、嘆く声が響いた。
助けを求め、哀願する。若い女の声だ。
すえた香りが漂う部屋の中央、ギーシュ・ド・グラモンは椅子に腰掛けている。
にやにや笑う口元は、人には不可能な角度につりあがっていた。かって端正だった顔にはいまや人外の狂相が浮かんでいる。
テーブルの上のグラスを取り、そこにワインを注ぐ。血のようなまっ赤な液体を透かして、曲がりくねった女の肢体が浮かんだ。
「美しいねえ」
豊満な女の身体が、目の前に浮かんでいた。否、壁に張り付き同化していたのだ。まるで一級品の芸術のように、女は一体のレリーフと化していた。
生きた、だが次第に確実に死へと向かう芸術だ。
ソレを見ながら、杯を掲げる。次第に弱々しくなる声に耳を傾けながら、ごくごくとあおった。
「素晴らしい」
今度の声は、目の前の芸術作品にではない。おのれに向けたものだ。
「メイジの力が、これほどなじむとは」
正確には、ギーシュに憑いたホラー《シャックス》の声だ。
薔薇の造花の杖を取り上げ、目の前で振る。
錬金。壁に張り付いた女の四肢が、末端から色を変じ始める。
通常、錬金は魂を持たぬものにしか作用しない。だが今目の前で起きているのは、この世界の理とは異にする現象である。
ホラーのヒトに作用する力と、メイジの魔法が融合した結果だろう。
目の前の女は、徐々に壁と同じ素材に錬金されていった。
己の身体が、生きながらに別のものに構成され直してゆく。そのことの苦痛に、恐怖に、目の前の女は悲鳴を上げた。
「だが―」
ギーシュ=シャックスは顔をしかめる。
「せいぜい、青銅か。金に錬金できれば、最高の芸術作品になったのにねえ」
そのことに落胆しつつも、さらに彼は魔法の力を振るう。
指―ひじ―二の腕―肩―。
つま先―すね―太もも―腰―。
次第次第に女の身体は色を変じてゆき―。
そして、錬金の力が胸にまで達したとき―。
心臓は鼓動する事を停め、女は生きることを止めた。
助けを求め、哀願する。若い女の声だ。
すえた香りが漂う部屋の中央、ギーシュ・ド・グラモンは椅子に腰掛けている。
にやにや笑う口元は、人には不可能な角度につりあがっていた。かって端正だった顔にはいまや人外の狂相が浮かんでいる。
テーブルの上のグラスを取り、そこにワインを注ぐ。血のようなまっ赤な液体を透かして、曲がりくねった女の肢体が浮かんだ。
「美しいねえ」
豊満な女の身体が、目の前に浮かんでいた。否、壁に張り付き同化していたのだ。まるで一級品の芸術のように、女は一体のレリーフと化していた。
生きた、だが次第に確実に死へと向かう芸術だ。
ソレを見ながら、杯を掲げる。次第に弱々しくなる声に耳を傾けながら、ごくごくとあおった。
「素晴らしい」
今度の声は、目の前の芸術作品にではない。おのれに向けたものだ。
「メイジの力が、これほどなじむとは」
正確には、ギーシュに憑いたホラー《シャックス》の声だ。
薔薇の造花の杖を取り上げ、目の前で振る。
錬金。壁に張り付いた女の四肢が、末端から色を変じ始める。
通常、錬金は魂を持たぬものにしか作用しない。だが今目の前で起きているのは、この世界の理とは異にする現象である。
ホラーのヒトに作用する力と、メイジの魔法が融合した結果だろう。
目の前の女は、徐々に壁と同じ素材に錬金されていった。
己の身体が、生きながらに別のものに構成され直してゆく。そのことの苦痛に、恐怖に、目の前の女は悲鳴を上げた。
「だが―」
ギーシュ=シャックスは顔をしかめる。
「せいぜい、青銅か。金に錬金できれば、最高の芸術作品になったのにねえ」
そのことに落胆しつつも、さらに彼は魔法の力を振るう。
指―ひじ―二の腕―肩―。
つま先―すね―太もも―腰―。
次第次第に女の身体は色を変じてゆき―。
そして、錬金の力が胸にまで達したとき―。
心臓は鼓動する事を停め、女は生きることを止めた。
「これは―!」
驚きと共に、鋼牙は目の前のオベリスクを見上げた。
ラ・ロシェールの森。その最深奥にある、黒曜石のオベリスクのある場所である。
学院の敷地を出て、すぐに《ザルバ》はホラーの気配を感知した。
正確には、『かってホラーが居た』場所の感知だ。
学院で借りた馬を駆り、走らせること小一時間。ほどなく到着した地点で鋼牙が見たものは、あまりに馴染みのあり過ぎる光景だった。
すなわち、溜まりに貯まった陰我を溜め込んだオブジェ―この場合はオベリスク―と、そこにホラーが現われ、ヒトを襲った痕跡だった。
「馬が二頭…それもつい最近か」
オベリスクの周辺の地面を探った鋼牙が呟いた。ところどころ草が踏み荒らされ、土がほじくり返されている。それは何時間か、その場所に馬が停め置かれていた事を示す。
さらにほどなく行くと、黒い染みのようなもので地面が覆われているのが見えた。
『血だな。それも致命傷だ』
地面の血の痕を見た《ザルバ》は断定的な口調で言った。
『髪は…茶か、栗毛か?布切れが残ってるな。マントの切れ端だ』
促され鋼牙が確認する。それは学院で正式採用されているマントと、同じ生地でできていた。
「決まりだな。ここで学院の生徒が襲われた。だが、理解できない。ここでホラーに憑かれた生徒は、学院には帰っていないのか?それならば、すぐ異常に気付くことになるぞ」
『それなんだがな、鋼牙』
《ザルバ》がなにやら言いにくそうにした。
『学院を出てから気付いたんだが…どうやら俺様の感知能力、学院の中では機能してないらしい』
「どういうことだ?つまり、ホラーが居ても俺たちにはわからないと、そういうことか?」
意外な友の言葉に、鋼牙は戸惑いの表情を浮かべた。
『そーゆーことになるな。厳密に言えば、なんらかの結界が張ってあって、それが俺様の感知を阻害しているって感じかな?よほど近づくか、魔導火を使わない限り、無理っぽい』
意外な知らせに、鋼牙は顔をしかめさせた。
「何者かが、俺たちの邪魔をしている?」
『いや、それは違うだろう。どうやら結界は、俺達がこの世界に来る前から、張っていたっぽい。だから始めからその中に居た俺たちは気付かなかったんだ。あくまで、偶然だと思うぜ』
「いずれにしても、学院に戻る必要があるな。結界については―」
『オールド・オスマン。あの爺さんに訊かないといけないだろうなあ』
「ならば、長居は無用だな!」
鋼牙は、コートの裏側の空間から魔戒剣を召喚した。まっ赤な鞘から1メートルほどの直刀を抜き出し、オベリスクに向けて構える。
「!」
烈迫の気合と共に、オベリスク―正確には、その影に潜む陰我を切り裂く。ヒトの負の感情の集積である陰我は、うめき声のようなものを放ちながら雲散霧消した。
完全にオベリスクから陰我が取り払われた事を確認した鋼牙は、待たせていた馬に飛び乗り、馬首をトリステイン学院へと向けた。
「行くぞ!《ザルバ》」
驚きと共に、鋼牙は目の前のオベリスクを見上げた。
ラ・ロシェールの森。その最深奥にある、黒曜石のオベリスクのある場所である。
学院の敷地を出て、すぐに《ザルバ》はホラーの気配を感知した。
正確には、『かってホラーが居た』場所の感知だ。
学院で借りた馬を駆り、走らせること小一時間。ほどなく到着した地点で鋼牙が見たものは、あまりに馴染みのあり過ぎる光景だった。
すなわち、溜まりに貯まった陰我を溜め込んだオブジェ―この場合はオベリスク―と、そこにホラーが現われ、ヒトを襲った痕跡だった。
「馬が二頭…それもつい最近か」
オベリスクの周辺の地面を探った鋼牙が呟いた。ところどころ草が踏み荒らされ、土がほじくり返されている。それは何時間か、その場所に馬が停め置かれていた事を示す。
さらにほどなく行くと、黒い染みのようなもので地面が覆われているのが見えた。
『血だな。それも致命傷だ』
地面の血の痕を見た《ザルバ》は断定的な口調で言った。
『髪は…茶か、栗毛か?布切れが残ってるな。マントの切れ端だ』
促され鋼牙が確認する。それは学院で正式採用されているマントと、同じ生地でできていた。
「決まりだな。ここで学院の生徒が襲われた。だが、理解できない。ここでホラーに憑かれた生徒は、学院には帰っていないのか?それならば、すぐ異常に気付くことになるぞ」
『それなんだがな、鋼牙』
《ザルバ》がなにやら言いにくそうにした。
『学院を出てから気付いたんだが…どうやら俺様の感知能力、学院の中では機能してないらしい』
「どういうことだ?つまり、ホラーが居ても俺たちにはわからないと、そういうことか?」
意外な友の言葉に、鋼牙は戸惑いの表情を浮かべた。
『そーゆーことになるな。厳密に言えば、なんらかの結界が張ってあって、それが俺様の感知を阻害しているって感じかな?よほど近づくか、魔導火を使わない限り、無理っぽい』
意外な知らせに、鋼牙は顔をしかめさせた。
「何者かが、俺たちの邪魔をしている?」
『いや、それは違うだろう。どうやら結界は、俺達がこの世界に来る前から、張っていたっぽい。だから始めからその中に居た俺たちは気付かなかったんだ。あくまで、偶然だと思うぜ』
「いずれにしても、学院に戻る必要があるな。結界については―」
『オールド・オスマン。あの爺さんに訊かないといけないだろうなあ』
「ならば、長居は無用だな!」
鋼牙は、コートの裏側の空間から魔戒剣を召喚した。まっ赤な鞘から1メートルほどの直刀を抜き出し、オベリスクに向けて構える。
「!」
烈迫の気合と共に、オベリスク―正確には、その影に潜む陰我を切り裂く。ヒトの負の感情の集積である陰我は、うめき声のようなものを放ちながら雲散霧消した。
完全にオベリスクから陰我が取り払われた事を確認した鋼牙は、待たせていた馬に飛び乗り、馬首をトリステイン学院へと向けた。
「行くぞ!《ザルバ》」
ぶすっとした表情を浮かべたまま、ルイズは目の前の料理をつついていた。
……結局、授業中に鋼牙が帰ってくることはなかった。
どこを巡ってくるのか、伝言ひとつ残さず朝方出発し、それきり音沙汰がない。夕方までには帰ってくるかと考えたが、どうやらその気配はないらしい。挙句、キュルケに「どうしたの~、もしかして遣い魔の騎士様に逃げられちゃったかしら?」などと揶揄されて堪忍袋の緒が切れてしまった。二人して廊下で言い合い、その結果夕食の時間に遅れてしまったのだ。ようやく食堂に着いたときには、二人の料理は下げられてしまっていた。
今現在彼女がつついているのは、厨房の好意で出されたまかない料理である。本当ならば様々な食材の旨みが渾然一体となったシチューなのだが、今の彼女にその味を楽しむ余裕はない。
なぜなら、自分の隣ではこともあろうにキュルケが夕食を共にしていたからだ。
「……ったく!」
舌打ちをしながら横目で見ると、満足そうな笑顔でキュルケが、メイドの少女に話しかけていた。
「おいしいわ~これ!こんなのあなた方普段食べてるんだ~ずる~い!『残りものには福がある』って言うけどほんとね~。今度レシピ教えてくれる?」
貴族であるキュルケに気さくに話しかけられて、その地味な髪色のメイドは目を白黒させているようだった。どうやら後片付けの最中だったらしく、トレイには汚れた皿が山積みになっている。
今現在、食堂には彼女達メイド以外にはほとんどヒトが居ない。後は自分、キュルケ、それとその横で本で呼んでいる少女……確か『タバサ』とか言ったか?とっくの昔に食べ終わったはずなのに、自分にとって仇敵とも言えるツェルプストー家の娘の傍に四六時中いるのが納得がいかない……がいる程度である。
否、もう一組居た。食堂の果ても果て、普段から空席になっている場所に何人か居た。黒のマントは自分と同じ、2年生のはずである。中には自分のクラスで見た顔も居る。確かあれは―。
ギーシュ・ド・グラモン。
「え!?」
その名前を思い出し、その顔を見た瞬間、ルイズの背に激しい悪寒が走った。
否、悪寒などと言う生易しいものでは断じてない。名状しがたいものの一端を、彼女は自分の身に体験したのだ。
あえて言うならば、それは恐怖。
疎外感。
異質感。
そのテーブルに着き、会話している姿は果たして自分と同じ人間だろうか?
そんな感覚すら抱くほど、ルイズはギーシュ・ド・グラモンに『違和感』を感じていた。
「どうしたの?全然食べてないじゃないの?」
キュルケのからかい混じりの声に気付かないくらいに。
「そんなのだから、ヴァリエール家の三女はいつまでたっても成長しないのよ。身体も、心も」
果たして、ギーシュの『違和感』に気付いているのは、ルイズだけなのだろうか?キュルケや、その隣の蒼髪の少女は何も感じないのか?
そして、そんな風に見ているルイズの前で、新たなる変事が起こった。
一人のメイドが、ギーシュの元へ近づいていったのである。
……結局、授業中に鋼牙が帰ってくることはなかった。
どこを巡ってくるのか、伝言ひとつ残さず朝方出発し、それきり音沙汰がない。夕方までには帰ってくるかと考えたが、どうやらその気配はないらしい。挙句、キュルケに「どうしたの~、もしかして遣い魔の騎士様に逃げられちゃったかしら?」などと揶揄されて堪忍袋の緒が切れてしまった。二人して廊下で言い合い、その結果夕食の時間に遅れてしまったのだ。ようやく食堂に着いたときには、二人の料理は下げられてしまっていた。
今現在彼女がつついているのは、厨房の好意で出されたまかない料理である。本当ならば様々な食材の旨みが渾然一体となったシチューなのだが、今の彼女にその味を楽しむ余裕はない。
なぜなら、自分の隣ではこともあろうにキュルケが夕食を共にしていたからだ。
「……ったく!」
舌打ちをしながら横目で見ると、満足そうな笑顔でキュルケが、メイドの少女に話しかけていた。
「おいしいわ~これ!こんなのあなた方普段食べてるんだ~ずる~い!『残りものには福がある』って言うけどほんとね~。今度レシピ教えてくれる?」
貴族であるキュルケに気さくに話しかけられて、その地味な髪色のメイドは目を白黒させているようだった。どうやら後片付けの最中だったらしく、トレイには汚れた皿が山積みになっている。
今現在、食堂には彼女達メイド以外にはほとんどヒトが居ない。後は自分、キュルケ、それとその横で本で呼んでいる少女……確か『タバサ』とか言ったか?とっくの昔に食べ終わったはずなのに、自分にとって仇敵とも言えるツェルプストー家の娘の傍に四六時中いるのが納得がいかない……がいる程度である。
否、もう一組居た。食堂の果ても果て、普段から空席になっている場所に何人か居た。黒のマントは自分と同じ、2年生のはずである。中には自分のクラスで見た顔も居る。確かあれは―。
ギーシュ・ド・グラモン。
「え!?」
その名前を思い出し、その顔を見た瞬間、ルイズの背に激しい悪寒が走った。
否、悪寒などと言う生易しいものでは断じてない。名状しがたいものの一端を、彼女は自分の身に体験したのだ。
あえて言うならば、それは恐怖。
疎外感。
異質感。
そのテーブルに着き、会話している姿は果たして自分と同じ人間だろうか?
そんな感覚すら抱くほど、ルイズはギーシュ・ド・グラモンに『違和感』を感じていた。
「どうしたの?全然食べてないじゃないの?」
キュルケのからかい混じりの声に気付かないくらいに。
「そんなのだから、ヴァリエール家の三女はいつまでたっても成長しないのよ。身体も、心も」
果たして、ギーシュの『違和感』に気付いているのは、ルイズだけなのだろうか?キュルケや、その隣の蒼髪の少女は何も感じないのか?
そして、そんな風に見ているルイズの前で、新たなる変事が起こった。
一人のメイドが、ギーシュの元へ近づいていったのである。
鈍い音を立てて、左右に分断されたドアは床に落下していった。
トリステイン魔法学院。その男子寮の一室である。
戸口には『ギーシュ・ド・グラモン』と名札が掲げられており、本人の趣味か薔薇の飾り付けまでなされていた。
その室内へと、鋼牙はドアを破り侵入していった。
…ラ・ロシェールの森から帰還した鋼牙がまず行なったことは、厩舎の貸し出し簿を確認する事だった。
ホラーは既にこの学院の生徒に憑いている。その生徒はここ数日の間に、深夜に馬を借りて遠出しているはずである。しかも単独ではなく他の学生と二人連れ。これだけの条件が揃えば、相手を特定する事は可能だった。
そうして浮かび上がったのが、ギーシュ・ド・グラモン。ルイズと同じ二年生である。どうやら彼は二日前、馬を二頭借り出して深夜の乗馬を楽しんだらしい。ただし二頭目に乗った相手の素性は不明だった。その点は帳簿の上からでは確認できなかった。借りる一人が名前を書けば、全員記入しなくてもよいという決まりだったからだ。
何にせよ、相手の素性はわれた。後は一刻も早く、本人を探し出して斬るだけだ。
そうして彼はまず、ギーシュの部屋へと向かった。
「ここにはいない、か?」
気配を探りつつ、鋼牙は部屋の中ほどに進み入った。
部屋の中央には、椅子が置かれていた。住人の趣味らしく、背もたれには見事な薔薇の透かし彫りがなされている。かける部位にも薔薇の意匠の布地が張られ、こだわりが感じられた。その傍らにはテーブルが置かれ、その上には空っぽのワインの瓶とグラスが放置されていた。
『おい鋼牙、気付いてるか?』
「ああ、分かっている」
《ザルバ》の指摘に、鋼牙もうなづいた。
「どうして、何もないはずの壁に向かって、椅子が置かれてるんだ?」
『そーだ。まるで壁の方向にある、ナニかを鑑賞するみたいな配置だ。これはひょっとすると』
鋼牙は無言で壁に向かった。そして手にした魔戒剣を一閃する。次の瞬間、まっ二つに裂かれた壁の構造材が、鋼牙の足元に転がった。
「!」
すえたような匂いが、鋼牙と《ザルバ》を襲った。
「遅かったか」
舌打ちと共に、鋼牙が眼にしたものは、内壁とほぼ一体化した女性の身体だった。年の頃は十八、九。元は柔らかだったろう身体は、一部は壁と同じ、他の一部は青銅と、雑多な材料で構成されていた。
…ただし、変成しているのは胸の辺りまでで、そこから上は生身のままである。
「人体に、錬金の魔法をかけた、か」
『死因はおそらく心臓停止。身体の末端から徐々に別の物質に作りかえられてる。それが心臓まで来て停まったんだろう。これを見る限り、錬金の速度は遅いようだ。戦いの最中に、自分の身体を変えられる心配は薄いだろう。まあ、長引きゃあ別だがな』
「ふん」
少なくとも、戦闘中にいきなり身体を作り変えられることはなさそうだ。そのように判断し、鋼牙はきびすを返そうとして―。
「ん?お前ら、ギーシュの部屋で何やって……」
おそらく隣室の生徒だろう。丸っこい体つきの男子生徒が部屋の中を覗きこんで―。
「ひ、ひいいいいいいいっ!」
腰を抜かした。
「誰か、誰かああああっ!」
廊下に絶叫が響き渡る。鋼牙は舌打ちをし、その少年へ近づいていった。
『急げ鋼牙!学院側の人間に、先にギーシュと接蝕されてはまずい!』
「分かってる。あいかわらず、ホラーの気配は感知できないか?」
『ああ、悔しいがな』
無念そうな《ザルバ》の声。それにうなづくと、鋼牙は目の前の生徒の襟首を捕まえ引き寄せた。
「この部屋の主、ギーシュ・ド・グラモンは何処に居る?」
廊下に面したドアが次々と開いて、学生たちが顔を覗かせる。だが抜き身の刃を持った鋼牙の姿に、彼らは慌てて頭を引っ込めた。
「し、食堂、かも」
ただ一人残された形の、丸っこい生徒がようやく返事をした。
「食堂?アルヴィースの?」
「う、うん」
今の時間、おそらく食堂にはまだ人が残っているだろう。鋼牙は舌打ちをすると、少年をその場に投げ出し駆け出した。
トリステイン魔法学院。その男子寮の一室である。
戸口には『ギーシュ・ド・グラモン』と名札が掲げられており、本人の趣味か薔薇の飾り付けまでなされていた。
その室内へと、鋼牙はドアを破り侵入していった。
…ラ・ロシェールの森から帰還した鋼牙がまず行なったことは、厩舎の貸し出し簿を確認する事だった。
ホラーは既にこの学院の生徒に憑いている。その生徒はここ数日の間に、深夜に馬を借りて遠出しているはずである。しかも単独ではなく他の学生と二人連れ。これだけの条件が揃えば、相手を特定する事は可能だった。
そうして浮かび上がったのが、ギーシュ・ド・グラモン。ルイズと同じ二年生である。どうやら彼は二日前、馬を二頭借り出して深夜の乗馬を楽しんだらしい。ただし二頭目に乗った相手の素性は不明だった。その点は帳簿の上からでは確認できなかった。借りる一人が名前を書けば、全員記入しなくてもよいという決まりだったからだ。
何にせよ、相手の素性はわれた。後は一刻も早く、本人を探し出して斬るだけだ。
そうして彼はまず、ギーシュの部屋へと向かった。
「ここにはいない、か?」
気配を探りつつ、鋼牙は部屋の中ほどに進み入った。
部屋の中央には、椅子が置かれていた。住人の趣味らしく、背もたれには見事な薔薇の透かし彫りがなされている。かける部位にも薔薇の意匠の布地が張られ、こだわりが感じられた。その傍らにはテーブルが置かれ、その上には空っぽのワインの瓶とグラスが放置されていた。
『おい鋼牙、気付いてるか?』
「ああ、分かっている」
《ザルバ》の指摘に、鋼牙もうなづいた。
「どうして、何もないはずの壁に向かって、椅子が置かれてるんだ?」
『そーだ。まるで壁の方向にある、ナニかを鑑賞するみたいな配置だ。これはひょっとすると』
鋼牙は無言で壁に向かった。そして手にした魔戒剣を一閃する。次の瞬間、まっ二つに裂かれた壁の構造材が、鋼牙の足元に転がった。
「!」
すえたような匂いが、鋼牙と《ザルバ》を襲った。
「遅かったか」
舌打ちと共に、鋼牙が眼にしたものは、内壁とほぼ一体化した女性の身体だった。年の頃は十八、九。元は柔らかだったろう身体は、一部は壁と同じ、他の一部は青銅と、雑多な材料で構成されていた。
…ただし、変成しているのは胸の辺りまでで、そこから上は生身のままである。
「人体に、錬金の魔法をかけた、か」
『死因はおそらく心臓停止。身体の末端から徐々に別の物質に作りかえられてる。それが心臓まで来て停まったんだろう。これを見る限り、錬金の速度は遅いようだ。戦いの最中に、自分の身体を変えられる心配は薄いだろう。まあ、長引きゃあ別だがな』
「ふん」
少なくとも、戦闘中にいきなり身体を作り変えられることはなさそうだ。そのように判断し、鋼牙はきびすを返そうとして―。
「ん?お前ら、ギーシュの部屋で何やって……」
おそらく隣室の生徒だろう。丸っこい体つきの男子生徒が部屋の中を覗きこんで―。
「ひ、ひいいいいいいいっ!」
腰を抜かした。
「誰か、誰かああああっ!」
廊下に絶叫が響き渡る。鋼牙は舌打ちをし、その少年へ近づいていった。
『急げ鋼牙!学院側の人間に、先にギーシュと接蝕されてはまずい!』
「分かってる。あいかわらず、ホラーの気配は感知できないか?」
『ああ、悔しいがな』
無念そうな《ザルバ》の声。それにうなづくと、鋼牙は目の前の生徒の襟首を捕まえ引き寄せた。
「この部屋の主、ギーシュ・ド・グラモンは何処に居る?」
廊下に面したドアが次々と開いて、学生たちが顔を覗かせる。だが抜き身の刃を持った鋼牙の姿に、彼らは慌てて頭を引っ込めた。
「し、食堂、かも」
ただ一人残された形の、丸っこい生徒がようやく返事をした。
「食堂?アルヴィースの?」
「う、うん」
今の時間、おそらく食堂にはまだ人が残っているだろう。鋼牙は舌打ちをすると、少年をその場に投げ出し駆け出した。