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虚無の王-28


 踏みしめた大地は、雲の頼りなさで膝を揺さぶった。
 いつもより数㎝高い重心が、足の運びを妨げた。
 冷たい感触が背筋を這い落ちる。真夏の太陽も、凍り付いた顔を溶かすには及ばない。
 視野の片隅を、空に良く似た車椅子の男が通り過ぎた時も、フーケは峡谷の合間にくすむラ・ロシェールの街を通じて、のんびりと漂う雲を見つめていた。
 麻痺した神経に火が付き、脳が感情を思い出したのは、車椅子の上で笑い声が漏れた時だ。

「空!あんたねえ!」

 怒りと苛立ちが、声の中で入り交じった。
 激情の火花が見せる波紋は、水面に浮かぶ柔らかい物とは違う。薄鉄を幾重にも折り曲げ、重ねた東方の刃に浮く、冷たく鋭い斑模様だ。
 学園でルイズと合流し、ラ・ロシェールを目指すワルドに先んじる為、二人は竜に跨った。
 いかに風竜の快速とは言え、先行するグリフォン、それも魔法衛士が騎乗する幻獣を捉えるのは至難の業だ。
 だが、あちらには思わぬ附属品、魔法学院の紳士達が同行すると言う。
 その事実を知ると、まず空が昼寝を始めた。
 フーケは絵入り新聞を片手に、近頃東方から渡来したばかりの茶を楽しんだ。
 追いつき、追い抜かなければならないのは高々騎馬だ。そう慌てる事は無い。
 二人が揃って騎竜の術と縁が無いと知れたのは、風の王操る風竜が風に巻かれて錐もみ状態に陥った時だった。
 幸い、風竜は無事だった。体中の打ち身と、重たく垂れた手綱が、王都と港街とを結ぶ航路を知恵の輪に変えた。
 何事も思い通りにならないと気が済まない、少年の心を忘れない男が、同乗者ともども竜の背から飛び降りたのは、地平線から石造りの街が頭を覗かせた時だ。

「ああ、スマン。ったく、ワルドの奴みたいにはいかへんわ」

 車椅子の上で、言葉だけが頭を下げると、フーケの肩からも力が抜け落ちた。
 一○○○メイル上空から生身で滑空。ささやかな気配りと下心が体を抱え込んだものだから、杖を振るう事も出来ない。
 ほんの数秒間の落下劇に肝を冷やしたと見られるのは癪だった。

「ったく、目立つ真似するんじゃないよ」

 右拳に残った苛立ちを一言で払い捨てると、フーケは車椅子の轍を踏んだ。
 深緑のタルブ草原を縫って弧を描く街道は、真夏の太陽を弾いて真っ白に輝いている。
 峡谷の隙間には、石造りの尖塔が白い顔を覗かせている。
 街道に沿って視線を上らせると、雲一つ無い空に巨大な岩盤が白く霞む。
 異邦人の脳裏からニュートンの功績を霞ませるのは、白の大陸の別名で呼ばれる浮遊大陸アルビオンだ。

「ええ所や」
「ふん。そうかね」
「なんちゅうても、世界はどこもかしこも皆、空の下やさかい」
「あんた、世界征服でもする気かい?」
「この世界には興味あらへん。せやけど、色々面白い物も見れたし、手にも入りよったからなあ。礼言うんもなんやけど、ルイズにくれたる」

 フーケは今度こそ呆れ返った。
 女が目にする世界がどれほど小さく慎ましいものか。この年になっても、まだ分からないのだろうか。

「お前にも世話になるし、なんなら都市の一つくらいくれたろか?サウスゴータなんてどや?」
「興味無いね。空手形じゃ尚更だよ。世の中そうそう、あんたの思い通りになるとは限らないんだからさ」
「海洋文明と大陸文明がぶつかって、大陸側が勝った例は有らへん。空の国ともなれば無敵やわ」
「だから、その空の国が、いつ、あんたの物になったんだい?」
「もうじきや。そのためにも準備急がな。ワルドの奴、超特急でこっち来とる筈やからな」

 弧を縦に変えた街道を、自在輪が掴んだ。
 峡谷の上には、逃げ水が揺れている。
 重力を肩から払い落とすと、空の車椅子は山道を平地の軽快で伝って行った。



 街道をゆるり、ゆるりと這う風が、生ぬるい指先で首筋を撫でて行く。
 鍔広の旅行者帽子の上では、飾り羽根がゆらり、ゆらりと細い身をくねらせている。
 足下では薄い影が、ゆらり、ゆらりと揺れている。
 日傘が落とす影。薄く削り取られた紋様が、トリスタニアの一角で商いを営む貸し傘屋の物である事を、ギーシュは良く知っている。
 雨傘にしろ、日傘にしろ、どうして高貴なる紳士、淑女が傘を持参し、馬車の用意が無いと喧伝しながら歩く事が出来るだろう。
 どうやら、その辺りの事情は、しがない学生ばかりでなく、子爵位を持つ魔法衛士と雖も変わらないらしい。
 太陽と重なる有翼獅子に目を細めながら、ギーシュは幾許かの共感と、失望とを一つの息に託して吐き出した。

「なあ、ギーシュ」

 馬蹄の響きが、隣に並んだ。

「大丈夫なのか?こんなにゆっくりとしていて。今夜はスヴェルの月夜。月が重なる夜だ」
「ああ。翌朝はアルビオンが最もラ・ロシェールに近付く時。大方のフネはその時を待って出航するだろうな」
「その大切な朝を、道中の駅舎で過ごす羽目になるのだな。このままでいたら」

 眼鏡のレンズが、鏡の煌めきを放った。
 真剣な話をする時、レイナールが見せる常の癖は、却て真剣味を疑わせる類の物だ。

「子爵には何か御考えが有るのだろう。僕達には知らされていない計画だって有るかも知れない」
「それよりも、僕には気になる事が有るのだけれど」

 反対の隣に、自重で潰れた息と、西瓜にも似た臭気が浮いた。
 のんびりとした騎乗とは言え、20㎏もの錘を背負わされては誰しも息を切らす。
 だが、その苦しみは、大抵の人には分からない。

「あの二人、くっつき過ぎじゃないか?」

 そんな自分の不幸を嘆く様子も無く、マリコルヌは目尻を下げた。
 グリフォンの騎上に、ルイズの小さな影が覗く。
 少年の様な肢体を、少年の装いで包んでいる。
 一種、倒錯的な変装は、武内空の手勢の目を欺かんと言うレイナールの発案だ。

「まあ、ワルド子爵は紳士だと言う事だろうな」
「レイナール。それは、どう言う事だい?」
「恐らく、ルイズの正体に気付いておられないのだ」
「なるほど」

 ギーシュは頷いた。頷きかけた。
 反射的に頷きかけた顎を、頭の片隅から常識が釣り上げた。

「いやいや。待て待て、待ち給え、レイナール。君の言っている事はおかしい。何かを間違えている。子爵は婚約者の正体に気付いておられるのだろう」
「なるほど。君には分からない事だな」
「それはどう言う意味だね」
「君には一生、分からない事さ。気にするなよ。世の中、分からない方がいい事だってある」
「愉快になれない言い方だな。まるで、自分だけは何もかもを分かっているかの様だ」
「全てを掌中に出来るのは神だけさ。取り敢えず、僕に分かっているのは、仮に何かが起きた所で、あの二人は婚約者だと言う事だけだ」
「なるほど。気にする必要は無い、と言う事だな」
「興味深くはあるけどね」

 左右の馬上で、二つの目が濁った光を交換した。
 生まれが良く、育ちが悪い少年にとっては決して不愉快な色では無い筈だが、それも、自身の首の後を生温い感触を残して素通りするとあっては、話は別だった。



 中天から落ちる陽は、刃物の鋭さを帯びていた。
 少なくとも、凶器であると言う一点において、初夏の陽光は刃物と変わらない。
 焼けた風が腐臭を運び、瓦礫の中で蜷局を巻いた。
 褐色の掌が、天から零れる炎を掬い上げた。
 太陽ほど豊かな色彩を与える物は無い。
 赤い瞳が、紅鋼玉の深さで虹彩を放つ。
 両掌が解かれた。
 光と健康的な肢体が同時に弾け、黒いマントが翼と踊る。短いスカートを払い、羚羊の脚が旋風を巻き起こす。
 ウィールが動きを止めた時、炎の波が地を駆けた。
 呑み込む息に陽の味を覚えて、シエスタは思わず目を見開いた。
 下生えが濃い緑でそよいだ時も、魔法の力を持たないメイドの娘は自身の錯覚に気付かなかった。
 人間離れした速度と、摩擦で歪んだ風が見せる炎の幻覚。
 だが、微熱の二つ名を冠し、夜ごと人間を火にくべて来た貴族が、足下に炎を従え、廃墟を炭に変えてしまったからと言って、なんの不思議が有るだろう。

「悪くないわね」

 燃える吐息が、豊かな胸元に零れ落ちた。
 褐色の体奥で疼く熾き火は、貴族なら誰しも知っている物だ。
 炎の玉璽〈レガリア〉が伝える微かな振動は、キュルケに初めて杖を手にした夜を思い起こさせた。

「力が消えてしまわずに、いつまでも燃え続けている感じ」
「エアトレックの本質は、力の回生機構だそうだよ」

 枠の向こうで涸れた声が言った。
 明るい額が覗くそこを、窓と呼ぶ事は躊躇われた。
 少なくとも、ゲルマニア貴族の少女にとって、窓とは家屋に付いている物だ。
 壁も天井も破れ落ち、梁が老醜を晒す木材の積み木を、どうして家屋などと呼べるだろう。
 急拵えの寝台には、コルベールがひび割れた体を沈めていた。
 教え子を守らんと異世界からの侵略者に立ち向かった勇敢なる教師は、つい今朝方、一週間ぶりの意識を取り戻した。
 だが、秒速80mで石壁に叩き付けられた肉体は、未だ脳の呼びかけに応答していない。
 目線と声だけが、日当たりの良い広場を窺った。
 半ば失われた本塔と、火の塔の残骸から延びる影だけが、陰気者で知られたヴェストリの広場に残る痕跡の全てだった。
 炎の環が弾けた。
 火線が石壁を舐め、丸屋根を削り、褐色の肢体が太陽の中で一転する。
 シエスタが反射的に空を仰いだ時、黒いマントが地に舞い降りた。
 豊かな胸と、足下のサスが同時に弾んだ。
 滑らかな喉が恍惚の息を漏らす。
 口元の綻びは、明日の武勳を確信する騎士の物だ。

「炎とは自由な物だ。風と同じくね」

 窓越しの声が、笑みに割り入った。

「だからこそ、火の術者は、その力を鎮め、自由を束縛する術を会得しなければならない。さもなくば、何もかもを焼き尽くしてしまう」
「興味ありませんわ」

 残り物の温野菜を見る目が言った。

「それこそ、火の本領。何もかもを焼き尽くして御覧にいれますわ」

 炎が爆ぜ、膨張した風にスカートとマントがはためいた。
 物憂い目線と、小さな悲鳴を背に中屋根を一蹴り、弾力に富む肢体が風に乗る。
 情熱的な口元に、薄い笑みが浮いた。
 年若い貴族の辞書に、抑制や、まして聞き分けが美徳の意味合いで載っている訳が無い。



 高い天井が、冷たい指先で瞳を撫でた。
 ピエール・ショードで組まれた天井も、化粧台も、背丈より高い本棚も、全ては薄闇にくるまれて眠っていた。
 窓の外には月が見えた。
 重く凶暴な空を産み落とし、石組みの学園と六○○○年の歴史を踏み潰した二つの月も、今は優しかった。
 赤と青の月が頬に触れた時、タバサは漸く自分の名前を思い出した。
 あの時もそうだった。身体の機能を失った少女は、目線一つで空を追っていた。
 傷を負い、飛ぶことを忘れた風竜を、長い脚が見下ろした。
 瀕死の使い魔を救う手だては、麻痺した体のどこにも見つからなかった。
 土塊を蹴り飛ばしながら現れた脚は、他ならぬ空自身が捕らえた盗賊の物だ。
 もう一つの脚には見覚えが有った。
 白い仮面の下を脳裏に探そうとした時、意外な声が聞こえた。

「こいつ、治療しといたれ」

 目線と顎先が、シルフィードを指した。
 全く、意外だった。傷付いた韻竜を前に、空の声は、遊び飽きて壊した玩具程度の価値も認めていない。
 気付くと、言っていた。

「あの時の約束……まだ有効?」

 笑みだけが、返って来た。
 無力感が両手足にぶら下がった。夜が水の冷たさで体を這った。
 タバサは目線一つで、雲の流れを追っていた。
 風は自由な存在だ。
 そして、何物からも自由でいたいなら、何物とも無縁でいるか、何物をも独占してしまうしか無い。
 自由の危険とおぞましさが、そこに有る。
 だが、危険や業と無縁のまま手に出来るほど、王族の少女が小さな胸に秘める宿願は穏やかな物では無い。
 あの男は、まだ自分の味方となり得るのではないか。
 そんな考えが脳裏を過ぎる。
 空に怨恨は無い。寧ろ、恩が多い。そして、数十人の貴族を子供の如くあしらった“王”の力。
 空が見せた笑顔の意味を、タバサは捉えかねていた。
 幼いながら、歴戦の騎士だ。だが、歴戦の騎士と雖も、幼い少女に違いは無い。
 未熟な心で図るには、風の奔放も、思春期の心理も、複雑が過ぎる。
 雲の隙間を、影が過ぎった。
 眼鏡はテーブルに置かれていた。
 滲んだ視野でも、風竜の一団である事だけは見て取れた。それ以上の事は一つも判らなかった。
 仮に判ったとしても、出来る事は何もなかっただろう。
 床石を叩く靴音に、麻痺した体が強張った。
 聞き慣れた足音を特定するのは、風メイジならずとも難しくは無い。よく聞き慣れた天敵の気配となれば尚更だ。
 心臓に這い寄る足音が、部屋の前で止まった。
 施錠された扉は、諂う様な軋みを一つ、守るべき主人を売り渡した。
 冷たい闇が渦を巻いて漏れ出し、開け放たれた扉から、祖国が蒼いドレスを纏って顔を覗かせた。

「サリュ。お人形」

 薄闇に三つ目の三日月を浮かべたのは、この場に居る筈の無い人物だった。


 ――――To be continued


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