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ゼロの魔王伝-21


ゼロの魔王伝――21

 ぱたん、と物悲しい音を小さくたてて、扉は閉じた。交わった二人の運命が離れて行く事を表すように、閉ざされた扉は二度と開く事が無いように見えた。
 本当に部屋を出て行ってしまったDの背を、見えなくなってもしばし幻視していたギーシュは、ひどく悲しげに眉根を寄せて、ルイズを振り返った。
 なんて愚かな事を。そう思う反面、ルイズらしいとも思っていた。震えそうになる声を必死に押し殺して、Dの身を案じるが故に別離の言葉を選んだルイズ。
 彼女がこれまでの人生を灰色に塗り潰していた、“ゼロ”のコンプレックスの底なしの闇に、救いの手をのばしてくれたDを、自ら手放すという選択。
 それを、選ぶ事の出来たルイズだから、Dもこれまでルイズの使い魔としての日々を許諾していたのだろう。そんな二人だから、命懸け、いや命を捨てるにも等しい今度のアルビオンへの旅路では別れる事からしか始まらなかっただろう。
 ギーシュは振り返ってルイズの顔を見て、一層悲しみを増して顔を俯かせた。ルイズの顔は、見る者の心を打つ悲しみに濡れていた。
 そうなると分かっていたのに、君はDに別れを告げたのか。そんな言葉が喉から出かかり、ギーシュはそれを噛み殺した。ひどく、力の要る行為だった。
 ルイズはDの身を案じたというのに、自分はDが同行しないかもしれないと知るや、怖気づいてしまった。そんな自分を卑怯者としか思えなかった。

「ルイズ、明日は早い。早く寝た方がいい」

 結局、ギーシュの口から出たのはそんな言葉だった。多くの人々の目を楽しませ、心に潤いを与えるのが薔薇――そんな言葉を日々口にして置いて、目の前の傷ついた少女の心を慰める術も知らない自分が、ひどく情けなかった。憎くさえあった。

「分かっているわ。貴方も早く部屋へ戻りなさいよ。……今は、誰かと一緒に居たい気分じゃないの」
「ルイズ……。分かったよ。その、元気を出せなんて言えないけれど、無理はしない方がいい。誰も見ていない所で位、泣いても恥ずかしい事じゃないよ」
「……はやく、出て行ってよ」
「ごめん、それから、おやすみ」
「おやすみ」

 再び、Dが開いた時の様に扉が開き、同じように閉じた。ぎい、と蝶番の軋みと共に開き、ぱたんと軽く小さな音を立てて閉じる。ぎい、ぱたん。たったそれだけの音が、ルイズとDの運命の別離を告げる現象だった。
 ルイズは、力無く、操り糸の切れた人形のようにベッドにあおむけに倒れ込んだ。しばらく茫然と天井を見上げる。頭の中が真っ白だった。なにも考えられない。いや、何も考えたくなかった。
 今、自分が部屋に一人でいる意味も。明日魔法学院を発つ時、傍らにDがいないという未来も。Dという名の青年が、自分の傍からいなくなってしまった事実も。それを自分自身が選択したという過去も。

――D、今までありがとう。

 そう告げたのは自分。

――達者でな。

 そう答えたのはD。たったそれだけ、それだけで、二人はもう他人だった。

「……っ、ぅ……うぅ」

 不意に、胸の奥から熱いものが込み上げて来て、視界がぼんやりと揺れて行くのをルイズは感じた。胸が熱い。たぶん、その奥にある心も。まるで鋭い刃物で切られたように胸が痛い、苦しい。張り裂けてしまいそうだった。
 喉の奥から絶え間なく溢れようとしている嗚咽を堪えようと、ルイズはうつ伏せになって枕に顔を押しつけた。
瞳を閉じた。自分に背を向けたDの姿を二度と、幻でも夢の中でも見る事を拒絶する様に。
唇を固く引き締めた。もう二度とDと別れを告げる言葉を紡ぐことが無いようにと、きつく、きつく。

「う、ぅぅ、ひっく、っう、ぇぇえ……うぇえぇ~~~んん…………」

 ルイズの耳に自分の声が聞こえた。泣き声が。暗い夜の森の中でひとりぼっちになってしまった幼子が、手を離してしまった父母を求める様な、そんな声が。
 さよなら、D。これまで、ありがとう。
 閉じた瞼から枯れる事を知らぬように、熱く流れて行く涙と、塞いだ唇の奥から堪え切れずに漏らしてしまう鳴き声が、感謝と別れの言葉の代わりに溢れ出た。
 ルイズは、ずっと泣き続けた。そうしていても、Dが戻ってくる事はないと知っていても、そうする事しか、もうできないと悟っていたからか。

ルイズがアンリエッタ王女から賜った資金と、渡しておいた黄金をパウチにしまい込んだDは、黙して魔法学院の中を歩いていた。
 夜の暗闇と月光の海の中こそが真に在るべき世界と見えるのは、やはりその身に流れる、不死者の血故であろうか。
 慈母の手の様に頬を撫でる月光を浴びていたDが、不意に足を止めた。腰のあたりに垂らした左手から、嗄れた老人の声が聞こえた。気のせいか、どことなく力が無い。

「どうした?」
「いや、気の所為だ」
「なにが?」
「……」

 Dは止めていた足を再び動かし始めた。その耳に、ルイズの泣き声が聞こえた様な気がしたから、足を止めたとは、本人でさえ気付いているかどうか。

「それで、この後どうする気じゃ。幻十を追う気なら一刻も早くせい。今回は夜に戦ったから良かったが、昼間だったらお前でも勝てん相手じゃ。武装した城の奥に引っ込んだ貴族を滅ぼす方がよほど気楽に思えるわい」
「……」
「お嬢ちゃん達、お前の助けなしでは生きて帰ってはこれまい。これで今生の別れか」

 耳が痛くなるほど静まり返った夜の学院の廊下を歩き続け、Dはほどなく目的の部屋の前まで辿り着いた。二色の月光に照らされて、淡く光を纏った様な石壁に嵌め込まれたドアのノッカーを叩き、夜遅くの来訪への返答を待った。
 規則正しく、三度だけ。かん、かん、かん、と。木と木とが打ち合う音は、山彦の様に廊下の奥まで続く夜の闇の中へと響いては、消えていった。
 ほどなくして、部屋の中から足音が聞こえ、ドア越しに訪問者を問う声が聞こえた。若い女のものだ。

「どなた?」
「おれだ」

 冷たい鋼の声。斬り裂くのは声を聴いたものの心だ。冷たい響きと鋼の硬質とが見えない刃となって相手の心に触れる。
 訪問者が誰かを悟り、部屋の主は息を呑んだようだった。いや、ひょっとしたら心の臓が、一瞬止まったのかもしれない。
 夜の訪れを受けるにはあまりにも危険な相手だと悟ったからだろう。Dは部屋の鍵が開かれるのを待った。あまり待たずに済む事は、すでに分かり切っているのか、特別急ぐ風でもない。
 死の運命を告げに来た死神を迎える様に恐ろしげに、扉がゆっくりと開かれて、部屋の中の灯りが廊下の暗闇に差し込み始めた。開くに連れて太くなる光条に合わせて、開いた扉の隙間から、ひょっこりと妙齢の美女が顔を覗かせた。
 薄緑色の髪は艶やかに流れ、声の主の正体に思いを馳せてうっすらと紅色を刷いた雪肌は、嗅いだ者の脳を昏倒させそうな雌の匂いがかすかに立ち上りつつあった。
 ガウンを羽織り、シルク地の白い寝間着姿のフーケであった。春の陽気が夜にも残る時節だからか、寝巻きは随分と薄い。
 薄布を纏って浮かび上がる肉体の淫らなラインは、下心を持たずに訪れた男をその場でケダモノに変えてしまいそうなほど色っぽい。今夜の様なフーケの姿を見た男は、その夜、夢の中で思う様フーケの肢体を貪る淫夢を見る事だろう。
 Dの顔を見て、顔面の筋肉を数秒間崩壊させたフーケは、それからようやく声を絞り出した。喘ぎ声に聞こえない事もない、かすれた声であった。

「な、なんのようだい、こんな時間に」
「頼みがあってな」
「血を、吸いに来たのかい?」

 今にも酸欠を起こしそうな苦しげな声とともに、フーケは左手で寝間着の首元をからげた。わずかに頤を上向かせ、白い首筋をDに見せつける。
 かすかに開かれたフーケの唇から零れる息は熱く、しっとりと濡れているかのようだった。自らの喉に牙を突き立てた、と思い込んでいる相手を前に、フーケはかつてない欲情に細胞の一つ一つを震わせていた。
 Dがいた『辺境』の吸血鬼に、一度でも血を吸われた犠牲者達は、夜ごとに自分達の元を訪れる吸血鬼達を、夢見心地のまま待つという(極稀に、吸血鬼の嗜好や犠牲者の体質によって、常と変わらぬ行動が可能な例外はあるが)。
 自分達を人間から生ける死者、死せる生者たる吸血鬼の眷属へと変える、忌むべき吸血行為を犠牲者たちが待ち望むのは、ひとえに血を吸われる代わりに与えられるこの世ならぬ快楽の為だ。
 血を吸われるごとに肌は白蝋の如く青ざめ、瞳は常に宙を彷徨って自我の光を失い、鼻孔から零れる吐息は細く冷たくかわり、呼吸そのものの回数も極端に減る。熱い血潮を全身に送り出す心臓が、脈打たぬ吸血鬼の心臓へと変わりはじめるのだ。
 体の中に氷があるように自分の体が冷たく変わってゆくのを感じながら、犠牲者達は待ち続ける。性的なエクスタシーなどものともしない、人外の快楽を。

人間という生き物から、呪われた生命と謳われる吸血鬼へと変わる代償に得られる一時の法悦に胸を焦がすのだ。
 ハルケギニアの吸血鬼の吸血行為がそのような快楽を与えるものかどうかは分からない。だが、今のフーケの欲情した姿は、『辺境』の吸血鬼達の犠牲者の姿を思い起こさせるものだった。
 だが、Dはフーケの血を吸ってはいない。ならば、なぜフーケが頬を紅に染め、内股を擦り合わせ、空いた右手は自らを抱きしめる様に腰にまわされて、内からじわじわと燃え上がりつつある肉欲の火を抑えているのか。
 それは、やはりというべきだろう。血を吸われたと思い込まされているフーケは、自分の肌に触れるDの唇に、突き刺さる牙に、そしてDの喉を通って一体となる自らの血を想起して興奮しているのだ。
 この魂までも捧げてしまいたくなるほどに美しい男の唇が触れ、その血肉に自分の血が混じる――倒錯した想いは淫らな熱となってフーケの体を、瘧に掛かった様に震えさせていた。恐怖と歓喜と、淫らな思いを織り交ぜて。
 Dの黒い瞳に、鮮やかな朱を昇らせたフーケのうなじが映っていた。



 ハルケギニアではない地球と呼ばれる星で、今ではないある日、誰かがこう思った――のかもしれなかった。誰か、とは神と呼ぶべき存在だったかもしれない。あるいは悪魔と呼ぶべき存在だったかもしれない。
 その神か悪魔はこう思った。人間は進化の袋小路に入った、と。
 夜天の彼方の月にまで手を伸ばし、翼を持たずに空を飛び、鰓を備えずに海の中を泳ぎまわり、獣の足を持たずに大地を疾駆するまでに進化した人間を、見限ろうとしたのかもしれない。
 人間の科学や魔術、叡智がどれほど『進歩』しようとも、それが『進化』ではない以上、人間は人間の領域を越える事は出来ぬまま、悠久の時の流れの中で、いつかは滅びるだろう。
 だから、誰かは、こうも思ったのかもしれない。ならば、人間を『進化』させよう。今の人間とは全く別の、次の段階に進んだ人間を選んでみよう、作り出してみようと。
 そしてそれには相応しい舞台が必要だった。袋小路に入ってしまった現行の人類が生み出した環境とは全く異なる、それこそ母なる青き星“地球”の誕生以来、これまで存在していなかったような、劇的に異なる環境が必要とされた。
 環境は用意された。
 殺人、盗み、暴力、麻薬、裏切り、ありとあらゆる背徳を集め、過去と未来と現在とに存在するあらゆる魔性の者達を集め、あらゆる背徳を封じ込めた異世界“魔界”という名前の環境。
 魔界は、198×年、9月14日逢魔ヶ時に発生した都市直下型地震を皮切りに、新宿区の変貌という形で青い星の上に、正常な細胞を侵食する癌細胞の様に誕生したのだ。
 『魔震』と呼ばれた地震による直接死亡者数七五四四名、二次災害死亡者数三万七千四百五十六名の生贄と引き換えに生まれいで、人界を犯した魔界は、魔界都市<新宿>と呼ばれる事になる。
 舞台はそうして整えられた。ならば、後はその魔界に相応しいモノの誕生を、促し、試練を与え、やがて姿を現すのを待つだけだ。
 魔界には魔界に相応しい申し子が生まれるだろう。生産は環境が決定する。魔界から生まれた申し子は、尋常なこの世に生まれたこの世ならざる異世界の可能性といえよう。
 そして、魔界都市誕生から十数年を経て、申し子は二人にまで絞られた。
 一人は、秋せつら。月輪も恥じ入るかと見える美貌のせんべい屋兼マン・サーチャー。悪鬼羅刹を名前とし、自らを“僕”、そして“私”と呼ぶ男。
 残る一人は、浪蘭幻十。秋家と長い抗争の歴史を持つ浪蘭家に生まれた秋せつらの幼馴染。そして、今はハルケギニア大陸に召喚された異邦人。
 幼い頃、瓦礫の山となった<新宿>の一角で、かくれんぼや宝探しをして遊んだこともある二人は、どちらかが命を落とさずには決着のつかない死闘を行い、そして幻十が敗れた。
 かつて地球の覇者だった原生人類が、突如出現した新興勢力である現生人類に滅ぼされたように、ネアンデルタールとクロマニヨンの様に、現生人類を淘汰する新たな人間を選ぶ戦いに、幻十は敗北して死ぬはずであった。
 だが、彼はいかなる運命のいたずらか、異世界ハルケギニアに召喚され、生を長らえた。あるいは、それさえも進化の可能性を求める為の布石であったかもしれない。
 地球の覇者たる現在の人類すべてをやがて滅ぼすだろう新人類の礎となるべき青年が、異世界で、はたして何をなすのだろうか。

ぴちゃぴちゃ、と子猫がミルクを舐める様な水音が長い事、そこに響いていた。薄暗いどこかの部屋と思しい空間だ。窓辺に置かれたベッドに、開け放たれた窓から二色の月光と星の光とが降り注いでいる。
 誰もが一度は身惚れた事があるだろう、天空の輝きを横顔に受けて、浪蘭幻十はより一層美しく映えていた。Dの一刀を浴び、左鎖骨部から右腹部までを横断する斬痕が刻まれている。
 いかなる名医も上回る魔糸による縫合で血管や細胞さえも既に塞がっていた。ベッドの上に仰向けに寝転がり、シャツの前を割いて、美をつかさどる神もうっとりと頬ずりしてしまう様な胸を露わにしている。
 幻十の体に跨り、ぴちゃぴちゃと小さな舌と唇を休む事無く動かして、幻十の胸元を濡らしていた血を舐め啜っているのはエルザだ。
 金そのものを加工したように月光に煌めく髪が、頬に掛かるのを時折かき上げながら、休むことなく舌を幻十の肌に這わせていた。
 病的なまでの輝きを放つ白い肌は、恍惚の桜色に染まり、絶対の主君の体を清め、その血を啜る行為への興奮が如実に表れている。
 ぴちゃぴちゃ、ぴちゃぴちゃと、エルザの舌がそこだけ別の生き物のように淫猥に動き回り、幻十の肌を血と唾液とが混じり合った混合液でぬらぬらと濡らし、それを小さな唇がじゅるじゅると舐め啜る音を立てて吸ってゆく。
 舌が波打つように動き回り、頬をかすかにすぼませて幻十の血を啜る音だけでも、耳にしたものが思わず頬を赤らめてしまいそうなほど、淫らだった。
 事実、外見で言えばわずか五歳かそこらのエルザの尻はゆらゆらとゆれ、喉を通る度に味わう幻十の血の甘美さに、吸血鬼として、そして雌として、エルザは悦楽の極みに達しつつあった。
 妖しい熱に浮かされる様な幼女の痴態は、その手の趣味の持ち主なら目撃したその場で絶頂に達してしまいそうなほどに背徳の色香に充ち溢れていた。
 その様をまるで興味の欠片も見せずに、幻十は見つめていた。幻十の無関心を知らず、エルザはただただ口の動きを繰り返していた。
 不意に、幻十が顔を上げて、窓に切り取られた夜空を見つめた。その先から迫りつつある何かに、気づいたのだ。

「来たか」

 エルザが雷に打たれたように体を強張らせるほど、冷たい声であった。



 朝霧が立ち込める中、ルイズは一人で魔法学院の正門に立っていた。とりあえず三日分の着替えやらを詰め込んだ鞄を馬の鞍に乗せ、同行者であるギーシュの到着を待つ。
 ほどなくしてギーシュが姿を見せた。いつものフリル付きのシャツ姿ではなく、五芒星のタイ留めも外して、裕福な商家の跡取り息子みたいな服装だった。それでも胸元の造花の薔薇だけは相変わらずだ。
 ルイズの顔を見て、おや? と眉を寄せたがすぐに笑顔を浮かべて片手を上げながら挨拶をしてきた。ルイズは珍しく化粧をしていた。しかも一目で厚すぎると分かる不格好な化粧の仕方であった。

「おはよう、ルイズ。制服は着ていかないのかい」
「秘密の任務で、自分達の身分を盛大に宣伝してどうするのよ。貴方だってそんな恰好している位なんだから、分かっているでしょうに」
「まあね」

 足元の乗馬用のブーツはともかく、男装姿と見える乗馬服を着こんだルイズの姿を、まじまじとギーシュは見ていた。艶やかな桃色ブロンドも、邪魔にならないよう絹の組紐で結えていた。
 スカート姿で長く馬に乗るわけにも行かないのは分かるがよくもまあ、トリステインでも三指に入る大貴族ラ・ヴァリエールの子息であるルイズがこんな服を持っていたものだと、感心しているらしい。
 とはいっても、アルビオンへの玄関口であるラ・ロシェールまで早馬でも二日、それまでとそれからの旅路も考えれば、今の二人の格好でもまだ適当なものとは言い切れないが、根っから貴族として育てられた二人にしては及第点の準備をしたと言った所か。
 さて、そんな時、ギーシュがやや気まずそうに口を開いた。ルイズはなによ、と昨夜の睡眠不足からくる苛立ちもあってやや目を吊り上げながら聞いた。

「実は、一つお願いがあるんだが」
「あによ?」

 ルイズの『なによ?』が『あによ?』になる時はすこぶる機嫌の悪い時だ。まだそれが分かるギーシュではなかったが、妙に迫力のあるルイズの様子に、これはもったいぶるのはやめようと即断した。

「ぼくの使い魔を連れていきたいんだ」
「別にいいけど、貴方の使い魔ってどこにいるのよ」
「ここ」
とギーシュは地面を指した。茶色い地面がある。なにもないじゃない、と言おうとして、ルイズは使い魔召喚の儀の時の事を思い出し、ギーシュの使い魔の正体に思い当たった。

「たしか、ジャイアントモール?」
「その通りさ。さあ、おいでぼくのヴェルダンデ!!」

 たん、とギーシュの足が地面を叩くのに応じて、もこもこと地面が盛り上がり、小さな熊ほどもある茶色い生き物が顔を覗かせた。土に汚れてはいるがなかなかに愛嬌のある顔立ちをしている巨大モグラだ。ルイズには、さすがに大きすぎて近寄るのはちょっと怖かったが。

「ああ、ぼくの可愛いヴェルダンデ!! 君はいつ見ても可愛いね。ぼくの可愛いヴェルダンデ、どばどばミミズはお腹いっぱい食べて来たかい?」

 そう言うや否や、すさっと地面に膝を着いてヴェルダンデに頬ずりを始めたギーシュを、ルイズは、うわぁ、と一歩引いた目で見ていた。決闘騒ぎ以来、ルイズの中で株を挙げていたギーシュの評価はこの時、一気に落ちた。ヴェルダンデはもぐもぐ、と嬉しそうに鳴いた。
 モグラって、本当にもぐもぐ、って鳴くのねー、知らなかったわー、とルイズはどことなく投げやりな様子で呟いていた。まあ、それなりに可愛らしくはあるが。

「ルイズ見てくれたまえ、このふさふさとした柔らかな毛並みを!」

 土で汚れちゃって台無しね、と心の中でルイズ。

「ルイズ見てくれたまえ、このつぶらな瞳を。まるで満月がそのまま瞳になった様に美しくはないかね!」

 あー、まあ、確かにつぶらではあるけどね、と心の中でルイズ。

「いつ見ても、どこで見ても可愛いぼくのヴェルダンデ。君と契約できたぼかぁ、五ヶ国一の幸せ者だね!」

 うっとりとヴェルダンデの土に汚れた毛並みに頬擦りするギーシュに、少し気まずげに、そして大いにドン引きした様子で、ルイズはこう言った。

「ねえ、だめよ、ギーシュ。その使い魔は」
「ヴェルダンデと呼んでくれたまえ」

 間髪入れずに訂正を要求するギーシュのやたらと真摯な眼差しに、ルイズはああ、もう面倒くさいわねえと思いながら、仕方なく従った。反論したらもっと面倒くさそうな事になるのは明白だったからだ。

「……ヴェルダンデ」
「もっと、愛を込めて」

 おいおい、愛って。人の使い魔の名前を呼ぶのになんで愛を込めなきゃいけないのよ、と喉まで出かかった言葉をルイズは、ごっくんと音を立てて飲み込んだ。

「ヴェルダンデ」
「もっと、溢れんばかりの、この愛らしいぼくのヴェルダンデの名を呼ぶにふさわしい声で、ヴェ・ル・ダ・ン・デ! はい!!」

 ぱんぱんと手を叩き、厳格な教師の様にギーシュは、ルイズへと一切の妥協を許さぬ声を浴びせた。かなりの使い魔バカらしい。ああもう、朝から何なのよ!? とルイズは半ば自棄になって叫んだ。

「ヴェルダンデ!」
「違う、ヴェルダンデじゃない、ヴェェルダァンデ!! いいかい、ブェ、じゃない。ヴェ、だ。いいかね? はい、もう一度!」
「しつっこい!!」
「はおあ!?」

 思い切りよく振られたルイズの右足が、ギーシュの股間に直撃した。男にとって最も切ない場所への呵責ない一撃に、ギーシュはさっと顔色を紫色にして倒れ伏した。
 両手で股間を抑え、膝を着いて額を地面にこすりつける。ああ、あうあああ、と男なら誰だって同情する様な切ないギーシュの声が零れるが、ルイズは一切斟酌せずに、ふん、と鼻息を荒くしてギーシュを見下ろしていた。

「はは、少しは元気が出たみたいだね」
「え」
「いや、しばらく一緒に行動するんだ。萎れた花みたいに元気の無い君よりも、いつもの君の方が旅のしがいもあるからね」
「貴方ねえ、もう少しましな方法があったんじゃない?」
「そこはそれ、ぼくなりに精いっぱいやったというか」
「ギーシュ、貴方って自分で言うほどモテないでしょ?」

 う、とギーシュは押し黙る。図星だったらしい。やれやれとルイズは溜息を吐き、暗い影がずいぶんと消えた顔になった。不器用な目の前の学友に、少しだけ感謝してあげる事にしよう、そんな気分だった。

「とりあえずお礼は言っておこうかしら?」
「だったら、ルイズ、ぼくのヴェルダンデを」
「それは無理」
「そんな殺生な」
やたらと古風な言い回しをするわね、とルイズは眉を寄せたが、それはそれ、これはこれときっぱり言った。

「あのね、私達はアルビオンに行くのよ。そこのところ分かっているの? 地面の下を掘りながら進んでゆく貴方のモグラの使い魔じゃ連れていけないでしょう。それに馬にだって置いてかれちゃうわよ」
「そんな事無いさ。結構地面の下を掘って進むのだって速いんだぜ。なあ、ヴェルダンデ」

 うんうん、とヴェルダンデは頷く。まん丸いつぶらな瞳に見つめられて、ルイズは多少ぐらついたが、それでもダメを出した。

「じゃあ、それから後はどうするのよ。船にその子を乗せて行くの? ギーシュ、大切な使い魔と離れたくないって言う貴方の気持ちも分からないわけじゃないけど」
「あ、いや、ぼくの方こそ調子に乗っていたよ、すまない」
「いいわよ、別に。それにこれから先は危ないんだし、その子の事が大切なら連れて行かないって選択肢もあるのよ」

 使い魔との別れを経験したばかりのルイズの前で少しはしゃぎすぎたかと、ギーシュは遅まきながらに気づき、申し訳なさそうにルイズに謝罪した。人の気持ちが分からない朴念仁ではないらしい。その時だ。巨大モグラが鼻をくんかくんかと引くつかせたのは。

「ん? どうしたんだい、ヴェルダンデ」

 主人の声にこたえるよりも早く、ヴェルダンデはルイズに擦り寄った。

「な、なによ?」

 とややたじろいだ様子のルイズを、ヴェルダンデは容赦なく押し倒した。ルイズのお腹のあたりに鋭い爪のついた手をあてて、傷つけないように器用に掌で押し倒した。
 ルイズは、熟す前の桃みたいに甘酸っぱい魅力に溢れる小さなお尻を地面にぶつけて、ちょっと痛そうに片目を瞑ったが、目の前のモグラが、鼻で自分の体中をつつき回すのに、落ちつく間もなく目を白黒させた。
 先端に行くにつれて細長くなるヴェルダンデの鼻先が、くんかくんかと音をたてながら、ルイズの体を乗馬服越しにまさぐり始めた。
 しっとりとした湿り気を帯びたモグラの鼻先が、うなじや敏感な脇腹、誰にも触れさせた事の無い太ももの内側をかすめる度に、ルイズは、ひゃん、と小さな声を上げて身を小さく震わせる。
 特に耳の裏やうなじ、臍のあたりの感度が抜群に良いらしく、服越しにもヴェルダンデの鼻先が通過し、触れる度にんん、と身じろぎしながら殊の外色っぽい声を挙げる者だから、思わずギーシュもヴェルダンデを止めるよりも見入ってしまう。

「ううむ。巨大モグラと戯れる美少女というのは実に官能的なものだな」

 と大宇宙の真理の一つを解き明かした学者みたいにやたらと真面目な声で呟いた。
 巨大モグラと戯れる美少女=官能的、という公式がギーシュの脳内で導き出されたが、発表しても何の称讃も得られない阿呆な公式であった。

「ば、馬鹿なこと言ってないで、ひゃ、そこは、だめって、言っているでしょ、このモグラ!? あ、ああんたの使い魔でしょ、止めなさいよっ。ひぅ」

 ルイズの右の耳から首筋、肩、二の腕の内側と順に弄っていたヴェルダンデの鼻が、ルイズの右手の薬指のルビーに引き寄せられた。アンリエッタから渡された水のルビーだ。アンリエッタが母より譲られたという王家に伝わる指輪だ。
 先ほどからルイズの体を弄っていたのはその指輪に惹かれたかららしく、ヴェルダンデはルビーに鼻先を擦り寄せて離れようとしない。

「ちょ、この、無礼なモグラね!? 姫様から頂いた指輪に鼻なんかくっつけないでよ」
「なるほど、指輪か。ヴェルダンデは宝石が大好きだからね。ましてやそんなに立派な宝石なら無理もない」
「解釈はいいから止めなさいってば! イヤなモグラね、このもぐもぐは!?」

 なんとかヴェルダンデを引き剥がそうとルイズは悪戦苦闘しているのだが、いかんせん、ルイズの細腕ではヴェルダンデの体重の前には意味を成さない。爆発魔法で吹き飛ばせば簡単だが、自分も多少は煽りを受けるだろうし、流石に可哀想だ。

「イヤとか言わないでくれたまえよ。ヴェルダンデは土の中から宝石や貴重な鉱物をぼくの為に見つけて来てくれるのさ。『土』系統のメイジであるぼくにはこの上ない協力者なのだよ
「ああそう、お似合いね!? でも、だからって、姫様から頂いた指輪なのよ。それを自分の使い魔が舐めまわしました、なんてあんた、姫様に報告できるの!?」
「む、それは、まあ。しかたない、ヴェルダンデ、ルイズから……」
已む無しとヴェルダンデに離れる様に言おうとしたギーシュの目の前で、ヴェルダンデは朝霧を割いて吹き荒れた一陣の風に吹き飛ばされ、地面にどうっと音を立てて倒れて目を回してしまう。
 小さな熊ほどもあるヴェルダンデの体を吹き飛ばしながら、ルイズは髪をやや乱した程度の影響しか受けていない。恐るべき風の精度といえた。
 尽きぬ愛情を注ぐ使い魔が気絶している姿に、ギーシュが即座に怒りで脳を沸騰させた。風の吹き荒れた方へ、薔薇の杖を向けながら怒声を放つ。

「誰だっ!」

 激昂したギーシュに応えるように朝霧の中から、白乳色の粒子を纏った長秦の貴族が姿を見せた。漆黒のマントに身を包み、真白い羽帽子を被っている。まだ若いが歴戦の猛者の風格を漂わす青年であった。

「貴様、ぼくのヴェルダンデに、なにをする!」

 よほどヴェルダンデを傷つけられた事が悔しいのか、ギーシュはルイズが初めて耳にするほどの怒りを滲ませた声を出すと共に、杖を一振りした。風に舞った花びらの一つがたちまち青銅のゴーレム“ワルキューレ”と化して、青年貴族に襲いかかる。
 ギーシュなりに工夫を加えたものか、あるいはルイズとの決闘の時は隠していただけなのか、ワルキューレは右手に長剣を握っていた。Dが決闘の時に使っていた弧を描く刃と同じ意匠だ。
 鈍く光る刃の煌めきよりも早く、青年貴族の手にした杖が振るわれる方が早かった。よく耳を凝らしても聞きとれぬほどの高速の呪文詠唱と共に、放たれた『ウィンド・ブレイク』が容易くワルキューレを吹き飛ばす。
 自分の足もとまで吹き飛ばされ戻ってきたワルキューレに動揺する素振りを見せず、ギーシュは、二体目のワルキューレを精製する。
 その詠唱の隙を突いて青年貴族が、研ぎ澄まされた刃のように鋭い『エア・カッター』で杖を斬ろうとしたが、ギーシュはそれを自分の足元のワルキューレを起き上がらせて盾にし、見事防いでみせる。
 二体目のワルキューレは、青年貴族の頭上に散らした薔薇の花弁が変じたものだった。突如頭上に青銅の戦乙女が現れた事に、青年貴族は迅速に対応した。
 目を向ける事もなく、悠然と杖の先をちょうど自分の頭に戦鎚を振りおろそうとしていたワルキューレに向けて、小さく唇を動かす。
 放たれた空気の槌『エア・ハンマー』は、一撃でワルキューレを粉砕し、砕かれたワルキューレの破片がぱらぱらと青年貴族の体に降り注いだ。その様子に、ギーシュは不敵な笑みさえ浮かべて見せた。
 わずかに青年貴族の凛々しい眉が寄せられるのと、粉砕されたワルキューレの破片が、姿を変えるのは同時だった。くるりと手の中の薔薇を回転させ、気障な動作を交えながら青年貴族の胸元へ向けて突きつける。
 系統魔法の源は精神力だ。精神力は感情の高ぶりに応じる。ギーシュのいちいち小芝居がかった動作や言い回しも、そのように振る舞う事で自身を鼓舞する為の、ギーシュなりの精神力増強の手段なのだった。
 再び叫ばれるワルキューレの名。さっと身構えた青年貴族の周囲の破片の約半数が、瞬き一つの間に、光を放ってワルキューレのパーツの一部に変わった。
 ワルキューレ全体ではなく、その両腕部のみが出現し、青年貴族のマントや体にしがみついてその動きを封じようとする。肘から先、およそ4、50サントほどだが、中まで隙間なく青銅が埋め尽くし、相当の重量になる。
 青年貴族の体に群がったワルキューレの手の数は数えて八本。ワルキューレの四体分の手の数だ。それがどれほどの重量となって束縛したのか、青年貴族の膝がわずかに屈したではないか。
 更に、残る破片は、地面に落ちると同時にそれぞれが細長い槍衾と化して青年貴族の足もとで変化する。ギーシュが『錬金』で変化させたものである。
 ワルキューレの一部を小出しにする事で温存した精神力を使い、膝を突いたが最後、全身を串刺しにする青銅の槍を作り上げたのだ。
 いずれ、またDやルイズに試合を挑む時の為に温存しておいた攻撃パターンだが、ヴェルダンデを傷つけられた怒りが、ルイズの目の前であっても隠す事を忘却させた。
 自分の必勝を確信し、ギーシュは浮かべた笑みを深いものにした。それと等しい笑みを、青年貴族もまた浮かべる。
 全身にワルキューレをしがみつかせながら、青年貴族の口元が動き、次の瞬間に発生した小型の竜巻が、地面の槍も、ワルキューレの手も全てを吹き飛ばしてみせた。吹き荒れた風に思わず腕で顔を庇ったギーシュの視界から、青年貴族の姿が消えた。
 抑えようとしても抑えきれぬ動揺に突き動かされて、周囲を探るべく首を動かそうとしたギーシュの背に、鋭い何かが押し付けられた。見るまでもない。青年貴族が携えていたレイピアのように鋭い剣杖の先端であろう。

「くっ」
「大したものだ。最近の学院の生徒は君位に出来るのかな?」
「貴様、アルビオンの反乱軍のものか」

 歯噛みするギーシュの言葉に、青年貴族は一瞬、皮肉気な笑みを浮かべたが、すぐにそれを消して、ギーシュの体を挟んで自分を見つめる鳶色の視線を見つめ返していた。ギーシュの質問の答えは、その鳶色の瞳の主、ルイズが出した。

「ワルド様! ギーシュ、その方は反乱軍の手のものなどではないわ。れっきとしたトリステインの魔法衛士隊の方よ。姫様の御一行の中にお姿があったでしょう?」
「え? そういえば、そのマントに刺繍されたグリフォンの雄姿は、グリフォン隊の」
「いや、すまないね。ぼくは敵じゃないよ。今回君達の危険な任務に、姫殿下から同行するよう命じられたものだ。お忍びの任務故に一部隊を着ける事は出来なかったが、ぼくがその代わりというわけさ。
 女王陛下の魔法衛士隊グリフォン隊隊長ワルド子爵だ、よろしく。それと、先程は君の使い魔がぼくの婚約者を襲っているように見えたから見過ごせなかったのだが、少々乱暴に過ぎた。謝るよ」
「い、いえ。ぼくの方こそヴェルダンデが貴方の婚約者を……婚約者?」

 この明らかに自分よりも格上の立派な青年貴族の言う、婚約者が誰だか一瞬分からなかったギーシュは、はてな? と首を捻ったが、その疑問に答える様にワルドと呼ばれた青年はルイズに歩み寄って、軽々と抱き上げた。

「お恥ずかしいですわ」
「相変わらず君は軽いな、まるで羽毛の様だよ!」

 朗らかに笑いながら言うワルドに、ルイズは恥ずかしげに頬を染めて抱きかかえられていた。

「お恥ずかしいですわ。わたくし、十年たっても小さいままなんですもの」
「なに、十年間もほったらかしにしていたぼくからすれば昔に戻った様で親しみやすいよ。もっとも、君自身は眼を剥くほど美しく成長しているけれどね」
「ワルド様ったら」

 これまでDという会話をする甲斐が無いことこの上ない相手と日々を過ごしてきた反動化、饒舌に、しかもルイズを褒めるワルドの言葉に、ルイズは嬉しげに眼を細めた。瞳には懐かしさという名の光が輝いている。

「ふむ、とはいえ、いささか化粧をするには君はまだ早いかな。素のままの君でも十分に魅力的だとぼくは思うけれど」
「これは、その」

 と、ルイズは慣れぬ化粧をした理由をはぐらかした。ワルドはそれを気にするそぶりは見せず、にっこりとルイズに笑いかけた。

「いいさ、君だって女の子だ。綺麗でありたいと願うのは当然の事だ。さて、可愛いぼくのルイズ、彼の事を紹介してくれるかな?」

 ワルドはそういって優しくルイズを地面に下ろした。こほん、とルイズは咳払い。まるで幼子みたいにワルドに扱われた事が恥ずかしいのを、誤魔化すためだろう。
 ワルドは、ギーシュ以外に人影が無いか周囲を探ったが、誰もいない様子に安堵した様な表情を一瞬だけ浮かべた。あの黒尽くめの美影身の姿を恐れたのだろうか。
 口を開こうとするルイズを手で制し、ギーシュが優雅に一礼した。

「ギーシュ・ド・グラモンです」
「グラモン元帥のご子息か。ぼくも一時期、君の父上にはお世話になったよ。あの勇猛なグラモン元帥の血を継ぐとなれば、生徒ながらあれだけのゴーレムを操ってみせたのも分かる。これは心強いな!」

 そういうやワルドはギーシュに近寄ってその華奢な肩をバンバン叩いて、気持の良い豪傑笑いをした。この若さで最エリートである魔法衛士隊の隊長を務めるだけあって、実力だけでなく人徳みたいなものもある。
 それから、ワルドは口笛を吹いた。立ち込める朝霧の向こうから、鷲の頭と獅子の下半身を持った幻獣グリフォンが姿を見せた。雄々しく羽ばたく翼も、鋭く伸びた爪や嘴、毛並みもまた見事なグリフォンだ。
 軽やかにグリフォンの鞍に跨ったワルドは優しくルイズに手を伸ばした。わずかに躊躇する素振りをルイズは見せたが、すぐにおずおずとではあるが、ワルドの手を握ってその後ろに跨った。

ギーシュの方はヴェルダンでの介抱に向かっていたが、ワルド達の方を振り返ってこう言った。

「先に行っていてください。ルイズの馬も返しておきます。どうせ明日は『スヴェル』の夜なんだ。アルビオンへ渡る船は明後日にならないと出ない。どの道ラ・ロシェールで足止めですしね」
「ほう、良く知っているね」

 とワルドは感心したように呟いた。

「いえ、事前に調べておきましたので」
「そうか、では明日の昼頃にでもラ・ロシェールに着くよう、のんびりと行こうか。道中どんな危険があるかもわからないから、なるべく体力は温存しておきたい」

 それに、先程精神力をいくらか消耗してしまったからね、とワルドはルイズに悪戯っぽく囁いた。

「では、ギーシュ君、ぼくたちは先に行くよ」
「ちゃんと追いかけてくるのよ」
「分かっているよ。では、お気をつけて」

 羽ばたいて舞い上がるグリフォンを見送りながら、ギーシュは嘆息した。ルイズが化粧をしている事情を知らぬ以上、ワルド子爵があのように言うのも無理はない事だが、出来ればルイズが化粧をしている事については言及して欲しくはなかった。
 誰の目にもはっきりと分かる位厚い化粧は、そうしなければ泣き腫らした顔を隠す事が出来なかったからだ。

「ルイズ、君にとってDは本当に大切な人だったんだなぁ」

 ギーシュの呟きは、晴れた朝霧の彼方に広がる青い空に吸い込まれて消えた。



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