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愛しのシェフィ04



 暗い……。
 寒い石室の中。
 ご主人様は、もう起きてくださらない。
 もう、話しかけてくださらない。
 私の頭を撫でてくださらない。
 かなしい。
 とても、寂しい。
 涙ばかり出てくる。
 でも、私のために泣いてくれる人はいない。
 誰も、いない。
 ひとりは、キライ。
 ひとりは、キライ。

 きらきらとした光の中に引っ張りこまれたら、不思議な人がいた。
 見たこともない服。
 青い髪、青い瞳。
 不思議な顔だちをした人だった。
 でも、どうしてだろ?
 私と、似てると思った。
 そのかたは、新しいご主人様。
 でも、<ご主人様>と呼ぶと嫌がるから、名前で呼ぶ。
 ジョゼフ様。
 色んなことを知ってて、優しい。
 でも寂しそうな人。
 だけど、私と一緒だと嬉しそうにしてくれる。
 それがすごく嬉しい。
 綺麗なお花。
 胸の焼印。
 私とジョゼフ様をつなぐ絆。

 夢の中。
 誰かが泣いている?
 泣いているのは、昔の私?
 そうじゃなかった。
 泣いているのは、小さな子供。
 青い髪、青い瞳。
 ジョゼフ様とそっくり。
 その子供は、泣いてばかりいる。
 魔法が使えないって、泣いている。
 背丈も年も違うのに、何故だかジョゼフ様と同じに見えた。
 だから、ぎゅっと抱きしめる。
 そしたら、子供は笑ってくれた。
 ジョゼフ様とそっくりの顔で。
 嬉しいな。
 ジョゼフ様……。
 好き。
 大好き。

 しあわせ……。

       ○

 あの夜から、シェフィールドはほとんど眠ったままだった。
 何日も高い熱が続き、肉体がどんどん衰弱していく。
 何ともひどい状態であった。
 その病は、現代でいえばさしずめ流感――インフルエンザであろうか……。
 ヴェルサルテイルには腕の良い水メイジは何人もいる。
 それらの尻を叩くようにして診察させたが、いずれも難しい顔をするばかりだった。
「はっきり申し上げて、かなり危険な状態です。もしも、家族がいるのなら連絡してやったほうがいいかもしれません」
 このようなことまで言う始末である。
 当初患者が平民であるから、まともに診る気がないのかと思ったが、そうではないようだった。
「そんなにひどい病なのか……?」
 ジョゼフはそれこそ、病人のように顔を真っ青にしてたずねた。
「水魔法で治すとか、治せるとかいう以前に、患者の肉体が病に負けそうなのです。そうなれば、我々の魔法では……」
「どういうことだ!? 彼女はそんなにも体が弱かったのか!?」
 ジョゼフは目の前が真っ暗になりそうだった。
 信じられなかった、というより信じたくなかった。
 そうだとすれば、それに気づいてやれず、ご主人様などと呼ばれて悦に浸っていた自分はなんと馬鹿者なのか。
「治す方法は、方法はないのか!?」
 ジョゼフは医師につかみかかるようして叫ぶ。
「体力のあるなし、ではないのです。何と言えばいいのか、彼女の体の中に、病に抗う力が著しく低いのですよ」
「……」
 ジョゼフは、医師の言うことが理解できたのか、手を離した。
 現代医学で言えば、さしずめ免疫応答が異常に低い、とでもいっただろう。
 例えばニューギニアの奥地などで、旅行者が持ちこんだ流感が原因で多くの死者が出ることがある。
 ウィルスへの免疫がないために、である。
 シェフィールドの場合も、まさにそれであった。
 この場合は、彼女のほうが来訪者であるため、ハルケギニアという土地の、風土病にやられたとすべきであろうか。
「……できるだけ、彼女についていてあげたほうがよろしいでしょう」
 医師はそう言って、離れていく。
 ジョゼフはへたりこみたくなるような気持ちを無理やりに抑えこみ、シェフィールドのもとへ向かった。
 途中で、幾度も足がもつれて転びそうになった。
 ベッドの上で、シェフィールドは苦しそうな息をしながら眠っていた。
 ジョゼフは、臓腑がえぐられるように苦しかった。
(何故だ。どうして……どうして、シェフィが……!!)
 神でもいい、運命にでもいい。
 あらん限り呪いの言葉を吐きつけてやりたかった。
 ベッドの脇に椅子に座りこみ、ジョゼフは祈るような格好でうつむいていた。
 もしも、願いがかなうのなら。
 古い流行り歌の文句ではないが、これほどまでそれを想ったことはない。
 できることなら、代わってやりたかった。
「死ぬな、シェフィ……。俺たちは、まだ、まだこれからじゃないか……」
 涙が止まらなかった。
 食いしばった歯の隙間から、うめき声が漏れていく。
 苦痛であった。
 涙など、どれだけ流したかわからない。
 魔法が使えぬ無能者、暗愚の王子。
 そんな言葉を受けた後、何度泣いたか数え切れない。
 しかし、今の苦しみに比べれば。そんなものが一体どれほどのものか。
 心から愛する者が死にかけているのに、何もできない。
 このまま魂は天に、肉体は土に還っていくのを見守っているしかないのか。
(いやだ、そんなのはいやだ……)
 もしも、自分の命と引き換えにシェフィールドが救えるのなら、今すぐにでも死んでもいい。
 やれというなら、自分の心臓を抉り出してくれてやる。
 しかし、どれほど強く願ってみても、それは意味をなさぬ。
「……ん」
 かすかに、シェフィールドが声をあげたようだった。
 顔を上げると、シェフィールドがその手を宙に向かってあげている。
 その様子は、弱々しくも、必死で、何かを捜し求めるかのようであった。
 ジョゼフはギュッと、その手を握ってやる。
 すると、シェフィールドがゆっくりと眼を開けた。
「ご主人様は――元気ないですか?」
 少女の優しさをたたえた黒い瞳でジョゼフを見た。
 シェフィールドはとても小さな声で、けれど柔らかい微笑を浮かべて言った。
 本当ならば、このわずかな言葉を話すことすら苦しいであろうに。
「ああ」
 ジョゼフは泣きそうな顔の上、無理やり笑みを浮かべた。
「シェフィが、病気だからな……」
 それ以上は何も言うことができなかった。
 何か口にすれば、そのまま号泣してしまうかもしれない。
 シェフィールドは微笑んだまま、ジョゼフの顔に触れた。
 まるで何かを、ゆっくりと確認でもしているようだった。
「シェフィ、すまない。俺のせいだ。ごめんな……」
 ジョゼフは詫びることしかできなかった。
 もっと彼女のことを気遣ってやるべきであったのだ。
 こんなことは、よく考えてみればわかりそうなものである。
 シェフィールドは、遠い遠い土地の人間なのだ。
 何かのきっかけで病にかかってしまうことは十分にありえた。
 このハルケギニアの中でさえ、旅先で水や食べ物があわず体を壊すなどざらではないか。
「……泣いている」
「え?」
 シェフィールドの言うとおり、抑えていたはずの涙がジョゼフの瞳から溢れ出していた。
 とどめなく流れる涙が、少女の指先を濡らしていった。
「嬉しいな」
 本当に嬉しそうに、シェフィールドは笑った。
「なんだよ」
 ジョゼフは拗ねたような声をあげた。
 自分の命が危ないのに、何故そんな風に笑えるのだ。
「……だって、あの時は誰も泣いてくれなかったから。生きてた時も、ひとりだったから」
 そう、シェフィールドは言った。
 この少女は、どれだけの間、その華奢な体でどれだけの孤独や悲しみに耐えてきたのだろうか。
「もういい。しゃべればしゃべるだけ、体力を削る。今は……」
 シェフィールドが何か言いかけるのを、ジョゼフは止めた。
 どうしても、まともな言葉になりそうになかった。
「シェフィ、シェフィ……」
 ジョゼフは何度も少女の名前を呼び、涙を流した。
 シェフィールドは何も言わずに、ジョゼフの手を握り返す。
 散り行く前の花のような美しさだった。
 今にも消え失せてしまいそう弱々しさであった。
「頼む。シェフィ……俺のものなんかでなくっていいんだ。俺の全て、何かも全部お前にやる……」
 小さな手にすがりつくように、ジョゼフは泣きむせぶ。 
「だから、俺を一人にしないでくれ……」
 シェフィールドは微笑んだまま、やはり泣いていた。
 そして、泣いたまま瞳を閉じた。
 それとほぼ同時、であったろうか。
 急に瞳がチカチカとするのを感じ、ジョゼフは顔を上げた。
 すると、どうであろう。
 シェフィールドの胸元のあたりがうっすらと光っているのだ。
(なんだ……?)
 シェフィールドの胸。
(あれは、確か……)
 覚えが、あった。
 あって当たり前である。
 コントラクト・サーヴァントをした時、使い魔のルーンが刻まれた場所は、彼女の胸であった。
 その奇妙な光は、まるでジョゼフに何かを語りかけているようであった。
 導かれるように、ジョゼフはシェフィールドの胸に触れた。
 その瞬間である。
 ゴオッと、ものすごい風の音にも似た轟音が響いたような気がした。
 驚いて片手で頭を押さえるが、耳鳴りのようなものがキンキンと頭というよりも体中に響くのである。
 思わずジョゼフは両膝を床についてしまった。
 その時、ジョゼフの記憶の中から、二つの情報が無理やりに掘り出された。
 ――土のルビー
 ――始祖の香炉
 この二つである。
 それはどちらも、始祖の時代から伝わるとされるガリア王家の秘宝であった。
(何故こんな時に、こんなものが……)
 今はシェフィールドが大変なことになっているというのに、こんなわけのわからないことを……。
 そう思うのだが、その情報はしつこくジョゼフで喰らいついて離れない。
 無理に引き剥がそうとすればするほど、それはへばりつき、ジョゼフの心を刺激し続けるのだ。
(くそっ、何がどうなってる!?)
 ついには狂人のようになって頭を掻き毟りそうになった時である。
 さらに二つの情報が、流れこんできた。
 そのうちの一つはジョゼフの今まで、まったく知りえなかったものであった。
 虚無の魔法。
 そして、
 活性。
(バカな……? 虚無だと?)
 活性。まるで聞いたことのない魔法である。
 傷や病を治癒するための水魔法は存在するが、それらも即効の効果があるものはそう多くはない。
 大体において、水の秘薬とセットでなければその効果を十分に発揮しえないものばかり。
 そもそも、そのように想定されて構築された魔法なのである。
 しかし、突如送りこまれてきた情報によると。
 <活性>、それはこの世界における万物の根源をなす力、その中でもプラスの属性を持つ『陽』の力を用いるもの。
(こんなこと、俺は知らない……。ついに、頭がどうかなかったのか……?)
 苦悩のあまり、妄想に頭を侵されてしまったのだろうか。
 ジョゼフは何度も首を振った。
 シェフィールドを見ると、いつの間にかまた眠ってしまったようだ。
(シェフィ……)
 普通に考えれば、こんなものを単なる妄想であろう。
 だが、今のジョゼフはこの奇妙な現象を信じてみたくなった。
 神の啓示か妄想か、それはわからぬ。
 けれども、もしもこれが何か大いなるものの啓示であるのなら、
(俺はそれに賭けてみたい……)
 刻まれたルーンから発せられた光。
 それを信じてみたかったのだ。
 ジョゼフはそっとシェフィールドに口づけをして、大きな音を出さないように部屋を辞する。
 もはや、青年の眼には何も目に映らなかった。
 途中で出会った顔見知りの貴族も、弟のシャルルも、完全に無視してジョゼフは進む。
 目指すのは、父の執務室であった。
「ジョゼフ、何事だ。ノックもせずに……」
 いきなり入ってきた息子を、ガリア王は驚いて咎めたが、ジョゼフの耳に入らない。
「おい、これ!」
 王は息子を止めようと肩をつかみかけるが、ジョゼフは父の手を邪険に振り払い、机を引っ掻き回し始めた。
 それから、あるものを引っ張り出すと、手早く自分の指にはめる。
 茶色の宝石が輝く指輪、土のルビーと呼ばれる宝物である。
「父上、少しの間お借りします。間違っても城外に持ち出すつもりなどございませんので、どうぞお許しのほどを……」
 ジョゼフの奇矯な行動に、城の人間は騒いでいるが、それらは雑音にもならぬ。
 土のルビーをはめたジョゼフは、次に城の宝物庫へと急いだ。
 厳重に封じられた倉庫を開け放ち、値段すらつけられない宝を乱暴にかきわけて、古びた香炉を取り出した。
 始祖の香炉である。
 ジョゼフは香炉を両手でつかみ、じっと見続けた。
 知りえぬはずの情報によれば、これこそ偉大なる始祖の力が、虚無の呪文が封じられたもの。
 これを使い、呪文を得ることができるのなら、ジョゼフは伝説の<虚無>の担い手ということなのか。
 しかし、ジョゼフにとってそれが是であるか非であるかは、意味を持たない。
 今望むのは、ただ心から愛する女を救いたい。
 それのみなのである。
 伝説や始祖のことなど、本質的にはどうでもいいことだった。
 シェフィールドの命を助けることができれば、それでいいのだ。
 始祖であろうが、あのエルフたちであろうが、関係の話だった。
(一度きりでいい、メイジでなくなってもいい)
 ジョゼフはギュッと香炉を握り締める。
 いや、もとからメイジなんかじゃなかった。
 魔法の使えないメイジなど、メイジではないのだ。
 しかし、もしもできるのなら……。
 この先魔法など永遠に使えなくてもいい。
 自分の命など、いらない。
 魂が望みなら持っていけ。
 血肉が欲しいのなら、血の一滴、肉のひとかけらまでくれてやる。
(名誉も、栄光も、何もいらん……。だから、俺に魔法を使わせてくれ。シェフィの命を救える魔法を!!)

 ジョゼフがシェフィールドの部屋に戻った時、数人の医師メイジが集まっていた。
 みんな杖や秘薬の入った薬壜を手にしている。
 シェフィールドは、途切れ途切れの息をしているだけだった。
 素人目にも、かなり危険な状態であることがわかった。
「ジョゼフ様、お気の毒ですが、おそらく今夜が……」
「少し、どいててくれ」
 ジョゼフは医師たちの言葉を最後まで聞かず、シェフィールドのベッドまで歩み寄った。
(うまく、いってくれ)
 そうつぶやきながら、ジョゼフはシェフィールドに杖を向けた。
「な、何をなさるつもりです!?」
 医師たちは目を丸くした。
 ジョゼフが魔法を使えないことは、彼らもよく知っている。
 失敗魔法が、どんな結果を生み出すのかも。
 気の弱い者たちは、あわてて部屋から逃げ出していく。
 誰もが、失敗魔法によって引き起こされる爆発で吹っ飛ばされる少女の姿を思い浮かべたに違いない。
 しかし、ジョゼフはかまわず、呪文を詠唱しだした。
 部屋を出なかった医師たちも、その異様な気迫に、身動きを取れなくなっていた。
 長い呪文を唱え終わると、ジョゼフはすっと杖を振った。
 すると、杖の先に小さな光が灯った。 
 その蛍のような光は、無数に数を増やしていき、シェフィールドの体を包みこんでいく。
「こ、これは、何事……」
 医師たちは息を呑んで状況を見守っていた。
 小さな光は、まるで生き物のように次々とシェフィールドの中へと飛びこんでいった。
 そして、光が吸いこまれていく度に、シェフィールドの呼吸が穏やかになっていくのだ。
 全ての光がシェフィールドの中を消えた時、部屋の中はしんと静まり返っているだけだった。
 ただ、シェフィールドの顔に精気が蘇っていること、ジョゼフがぐったりと床にへたりこんでいることを除いては。
「おい」
 顔を伏せたまま、ジョゼフは医師たちに言った。
「このことは、他言無用だぞ」
 疲労に満ちた声であるのに、そこには先ほど以上の、凄まじい迫力があった。
 医師たちにできたのは、ただ首を縦に振ることだけだった。

 その翌日、シェフィールドは昨日までの病状が嘘のように持ち直した。
 まだ体は本調子というわけにはいかないが、少なくとも生きるの、死ぬのということはなくなったのだ。
「もう、平気ですよ」
 シェフィールドはそう言って起きようとしたが、
「病気は治りかけの時が一番肝心なんだ。おとなしく寝ていろ!」
 ジョゼフは普段は、少なくともシェフィールドに対してはまず出さないようなきつい声で言った。
 それは、必死さの表れでもあった。
 主人にそう言いつけられては、メイドのシェフィールドとしては命令を聞くしかない。
 ただもう、ベッドの中で安静にしているしかなかった。
 そんなシェフィールドに、ジョゼフはそばであれこれと世話を焼いていた。
 こういったことは、常識的にはまず考えられないことだった。
 一般的に考えて、主人がメイドに、それも一国の王子がやるようなことはではない。
 けれど、世間の常識とか、他人の視線などというものは、ジョゼフにとってはどうでもいいことだった。
 シェフィールドもやはり嬉しいのか、子供のような顔でジョゼフのことを見つめていた。
 その顔から、笑顔が消えることはなかった。
「なあ、シェフィ」
 果物の皮をナイフで器用にむきながら、ジョゼフは言った。
「はい♪」
「前にも話したが、将来の夢とか、そんなものはないのか? 例えば、したいこととかな」
 生きている間のな、とジョゼフは念を押す。
「んーーーとですね……」
 シェフィールドは天井を見上げながら、真剣な顔で考えこむ。
 じょりじょり、とナイフの音が響く。
 それから、ちょっとはにかんだ。
「私、ジョゼフ様のお側にいて、二人で美味しいもの食べて、ずっと一緒にいられたら、それ以上の夢なんて思いつきません」
 その答えに、ジョゼフはピタリと手を止める。
「それじゃ、駄目ですか」
 シェフィールドはジョゼフを見上げて尋ねた。
「ダメじゃあないが……」
 ジョゼフは赤面しながら、誤魔化すように皮むきを再開させる。
「よかった」
 シェフィールドはほっとした顔で笑う。
「もっといいこと思いついたら、また言いますね」
「あ、ああ」
 ジョゼフは苦笑した。
(やっぱり、かなわないな……)
 自分とシェフィールドでは、器が違うようだ。
 しかし、それが奇妙に心地良いような気もする。
 それは凡庸だけれど、とても大切なものなのだろう。
 ひどく、晴れ晴れとした気分であった。
 暗く冷たい、牢獄からようやく解放されたような気持ちであった。
 外では、花壇の花が緩やかに揺れていた。

 シェフィールドの体調が回復すると、ジョゼフはかねてからの予定通り、ヴェルサルテイルを出ていった。
 ほんのわずかの従者と、シェフィールドだけを連れて。
 見送る者はほとんどいない、ひっそりとしたものであった。
「兄さん……」
 シャルルは、ひどく情けない顔で兄の出発に立ち会っていた。
 その顔は、国中はおろか、近隣諸国からも賞賛される麒麟児とはとても思えなかった。
「ひどいツラだな。出発の門出だぜ? もっといい顔をしてくれたっていいじゃないのか?」
 弟の顔に、ジョゼフは思わず苦笑した。
「兄さん、ごめんよ、でも、ぼくは……」
 シャルルはうつむきながら、そう告げる。
「何を言ってるのかわからんが、気にするな。俺は気にしない」
「……うん」
「じゃあ、達者でな」
 弟の肩を軽く叩いて、ジョゼフは馬車に乗りこんでいった。
 馬車の中に、先に乗っていたシェフィールドの顔が見えた。
 後ろめたさから、シャルルはつい顔を背けてしまう。
「いい王様になれよ」
 場所から顔を出して、ジョゼフはそう笑いかけた。
「兄さん」
 どんどん離れていく馬車を見つめながら、シャルルはまたつぶやいていた。
 何故か、もう二度と兄とは会えないような気がした。
 馬車がすっかりと見えなくなった後も、シャルルは立ち尽くしたままだった。
 周りの人間が、何か話しかけても、ただそのままだった。
 ぽつねんと、迷子の子供のように立っていた。
「これよ」
 ようやくシャルルが顔を上げたのは、父王に声をかけられた時であった。
「こんなところでいつまでぼけっとしている?」
「父上……」
「次の王になる男が、何という顔をしている」
「……」
「そろそろ、お前にも縁談の話がきておる。ははは、それも山というほどな。花嫁選びは大変だの」
 父の言葉にも、シャルルの表情は虚ろなままだった。
「父上、兄さんは……」
「いい加減にしておけ。いつまでも兄にへばりついてどうするか」
「はい……」
「ジョゼフも、自分の伴侶を見つけたのだ。お前も、見つけねばな」
「彼女は、平民ですよ」
「今さら、何をぬかすか」
 王は笑った。
「そんなことだから、愛想を尽かされるのだ。わしとて、言えた義理ではないがのう」
 そう言って、王は空を見上げる。
「お前はどちらかというと、母親似だと思っていたが、変なところも似たものよな」
「母上に……?」
「あれは、昨日もジョゼフのことについて、ぶつぶつ言っておったよ。よほど気に入らんのだろうな」
「どうして、母上は……」
「別に、あれと離れるのが寂しいわけではない。ただ、出来の悪いバカ息子が女と一緒にどこかへ行くのが気にいらんのだ」
 シャルルは黙ってしまった。
 意味が、わからない。
「理屈ではないよ。人というのは、そういうわけのわからんところがあるものさ。ことに、女はな? お前も気をつけろ」
「……わかりません」
「ま、いいわい」
 王は笑い、馬車の向かった方向へと眼を向ける。
「あの娘には、感謝せねばならんな。もしも、もしもあの娘がおらなんだら、この国は将来どうなっておったことか……」
 感慨深げにつぶやく父の横顔を、シャルルはまだ納得いかぬという顔で見つめていた。

 それから、一年もたたぬうちに、僻地で半ば隠棲していたジョゼフはシェフィールドと共に姿を消した。
 シャルルは人手も金も使って必死に捜索したが、ついに見つけることはできなかった。
 ジョゼフが消えた後、住まいと使っていた屋敷の部屋に、
「後は高見の見物」
 そう記された紙片だけが残されていた。
 誘拐説や暗殺説も流れたが、真実は闇の中である。
 ただ、人々は、ジョゼフ王子は平民のメイドと駆け落ちしたのだと、噂しあった。

 それから、年月は流れ。
 舞台は変わり、トリステインにて。

「これは師匠じゃあないですかい!」
「なんだ、マルトーか」
 ミッシェルが久方ぶりに弟子と会ったのは、トリステインの城下町の往来であった。 
 故郷であるガリアを離れ、アルビオンにいったり、ゲルマニアにいったりと諸国を転々としていたが……。
 結局ミッシェルが腰を落ちつけたのは、ガリアにも負けぬ古い歴史を持つこの小国である。
 マルトーは、この国に来て最初にとった弟子であった。
 すでに年相応の貫禄を身につけたマルトーは、今では魔法学院でコック長として大成していると聞く。
「どうだ、調子は」
「相変わらずですよ。どうですか、そのへんで」
 マルトーは酒を飲む仕草をしてみせた。
「ま、いいだろう」
 二人は近くの酒屋で昔話に花を咲かせたが、そのうちに話は自らの近況などに移る。
 ことにマルトーは、魔法学院での愚痴をこぼした。
 貴族やメイジが好きではない、むしろ嫌いな男なので、不満はいくつもあるのだろう。
「それにしても、それだけ嫌いな連中の下でよく包丁が振るえるな」
 あんまりしつこいので、ミッシェルがちょっとからかうように言ってやると、
「そりゃあねえ」
 マルトーは悪戯を咎められた子供のように頭を掻いた。
「給金がいいってのもあるが、やっぱり学院長のお人柄にね……」
「オールド・オスマンか、なかなかに面白い人らしいな」
「普段はとぼけてなさるが、あれでね。人傑のお人ですよ」
「ふふふ」
 マルトーが貴族を褒めるのは珍しい。
「面白いといったらね、また面白い人と知り合いましたよ」
「やっぱりメイジかい?」
「ええ、何でもタルブとかいう村で、お医者代わりとして暮らしてるそうですが……」
「タルブか。いい葡萄ができるところらしいな」
「そう、そこですよ。いや、生き字引とはああいう人を言うんでしょうね。怖いくらいに学がある」
「それで、どう面白いんだ?」
「うまくは、言えないんですが……。他のメイジと違って気取ってないのがいいですよ」
「ほほう」
「メイジってのは、貴族にしろ流れ者にしろ、俺たち平民を見下してやがるのばかりですからね」
 マルトーはそう言って杯を呷る。
「ま、ご本人は、能無で本の虫だったから色々憶えたと、ご謙遜なさってるが……ありゃ、ただものじゃありませんよ」
「ただもんじゃない?」
「もしかすると、どこかの王族の、ご落胤かもしれませんね。顔つきも男前の上、隠しきれない品がある」
「ふふふ……」
 おかしな笑いかたをする師匠に、マルトーは不思議そうな顔をした。
「なんです、師匠」
「いや、俺の生まれ故郷にな、昔、平民のメイドと駆け落ちした王子様がいたのを思い出してな……」
「へえ。そんな人がいたんですか?」
 マルトーは信じられないという顔をした。
「まさか、その面白い人というのは、名前をジョゼフというじゃないよな?」
「いや、ジョルジュというそうですよ。家名は、ラトゥールというんで」
「やっぱり、別人か……」
 ミッシェルは苦笑した。
 あのジョゼフ王子がどうなったのか、ミッシェルの知るところではない。
 けれども、このハルケギニアのどこかで、あの黒髪のメイドと暮らしているのは間違いないだろう。
 多分自分の顔などおぼえてはいないだろうが、また、あの男に会って見たい気がした。

 その頃、トリステイン魔法学院では、メイドの少女が、おかしな服を着た少年と話していた。
 少女の名前は、シエスタという。
 使い魔として召喚されてしまったこの少年は、その態度の悪さもあってか、<ご主人様>の不興を買ってばかりらしい。
「ところで、それがサイトさんのルーンなんですね?」
 話の中、少女は少年の左手に刻まれたルーンに目を落とす。
「ああ……勝手にこんなのつけられて、冗談じゃねえよ」
 少年はぶつくさ不満をこぼしているが、
(あら…?)
 少女はそのルーンに、妙な既視感をおぼえていた。
 どこかで、同じようなものを見た記憶がある。
(あ、そうだ……。ミスタ・ラトゥールの奥さん……)
 シエスタはその人と、サウナ風呂で一緒になったことが何度もある。
 サウナ風呂は村の共同のものなのだから、別におかしくもないのだが。
 東方の生まれだというその女性は、少女と同じ黒髪と黒い瞳をしていた。
 その時に見た夫人の乳房には、これと同じようなものが確かにあった。
 まだ小さかったシエスタが、これはなぁに、と尋ねたところ、夫人はニッコリとして、
「私と、旦那様を結ぶ絆」
 そう答えた。
 ラトゥール夫人は、今もタルブの村に家族と一緒に住んでいる。
 夫と、上から三人の娘に、末の男の子。
 偶然だろうが、男の子の名前はルイといい、目の前にいる少年の主人が男であれば同じ名前になる。
 少女は、自分の幼馴染でもある、夫人の娘たちのことを思い出した。
 広いおでこがチャームポイントの、勝気なイザベラ。
 母親そっくりなのんき者のジョゼフィーヌ。
 歌がとってもうまいけど、ちょっと堅物ポーリーヌ。
 そして最後に、まだ子供だけれど、ものすごく頭が良くって勉強好きのルイ。
 今度まとまった休暇がもらえたら、一度村に帰りたい。
(できれば、サイトさんも、連れて行きたいな……)
 そうシエスタは思ったけれど、あの美人姉妹をサイトに会わせると思うと、ちょっと不安だった。



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