あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

もう一人の『左手』-20


.
「なぜ知っているだと……? テメエ一体、さっきから何言ってやがるんだ」

 じわりと声に殺気を込めて、平田がそのままカウンターから立ち上がり、風見ににじり寄る。それはまるで、猫科の大型肉食獣が威嚇するような迫力があった。
――が、そんな見る者の目さえ背けさせるような圧力を、風見は無言のまま、弾き返すような鋭い眼光で睨み返している。口元の冷笑さえも、いまだ浮かべたままだ。

(――ちがう)
 不意にフーケは気付いた。

 この男は確かに、風見志郎だ。
 顔と体格が同じというだけではない。そんな外見的特徴など、魔法を使えば、いくらでも似せられる。だが、そんなことでは、絶対に解決出来ない内面的特徴というものがある。
 そういう意味では、この男は紛れもなく風見志郎本人だ。
 この雰囲気、体臭、なにより余人には絶対に真似の出来ない、その氷のような眼差し――『土くれ』の名でトリステインを荒らし回った自分を、一睨みで『死』さえ予感させた鋭い眼光。……こんな目のできる男が、ハルケギニアに二人といるとは思えない。

 だが……だが、違うのだ。
 自分が知っている風見志郎と、この男は……明らかに違う。
 どう違うと問われれば、上手く言語変換できないほどの違和感でしかないが、学院長秘書ミス・ロングビルとして、少なからず彼と接した記憶から照らし合わせ、それだけは断言できる。
――この男は、自分が知る風見志郎とは、明らかに別人だ。
(どういうこと……!!?)
 フーケは混乱した。
 結論から言えば、眼前の男は、風見志郎であって、風見志郎ではない。
 そんな事がありえるだろうか!??

「いいだろう……お前がその気なら、相手になってやろうじゃねえか……!!」
 低い声でそう呟くと、平田は、その場で軽く腰を落とし、瞑目する。それと同時に、彼の全身を、吐き気を催すような緑色の霧が包んだ。そして、彼の殺気が、その煙の中で、歴然と変質してゆく。――妖気ともいうべき、おぞましの空気へ。
 その不気味な煙の中から光る二つの光――それこそまさしく、フーケにも見覚えがある、改造人間カメバズーカの目であった。

「ほう……?」
 平田の煙幕を見た途端、風見の口元からようやく笑みが消える。
 そして彼は、平田の“変身”に呼応するように、自らの両腕を右横に流し、ポーズをとった。その瞬間、彼の腰に出現する変身ベルト――ダブルタイフーン。


「――おやめなさい!!」


 二人の改造人間の間に割って入り、凛とした声を響かせたのは、さきほど紹介された黒いローブの女だった。
「このような愚劣な諍いは許しません!! どうしても続けたければ、私を殺してからになさい!!」
.
――風見は、やや驚いた表情をしていたが、やがてポーズを解き、苦笑しながら平田に背を向けると、無言でこの場を去っていった。
 平田――カメバズーカも、緑の煙の中で無気味に光る瞳を閉じると、その数瞬後に消えた煙の中から現れたのは、……さっきまで不味そうに酒を飲んでいた、中年のおっさんだった。そして、そのまま彼も、部屋の外に姿を消した。

 大した度胸だ。フーケは、女の胆力に思わず舌を巻いた。
 あの二人が、もしその気になれば、女の細首一本など、文字通り一ひねりのはずだ。しかも二人ともに、他人の言葉に容易に従うような男たちではないはずなのに。
 そういえば、フーケが知る風見と共に召喚された、才人という少年も、底抜けに向こう見ずなガキだった。
 そこまで思い出して、あまりに明確な事実にフーケは気付く。

 才人のルーンは、彼の左手の甲に刻まれている。それは伝説の使い魔“ガンダールヴ”のルーン。かつてフーケ自身が才人を拉致して、その能力を利用しようとしたから、それは確認済みだ。
 だが、その情報を盗み聞きした時、オスマンのジジイはこうも言っていた。
 才人と同時に召喚された風見にも、同じ箇所に、全く同じルーンがあると。――むしろ、その事実の方が、驚愕に価する、と。
 しかし、いま見た風見志郎が、その身にルーンを刻んでいたのは、左手ではなく、額であった!!

「あなた」
 不意に声をかけられて、反射的にフーケは振り向く。
「カザミシロウを知っているのね?」
 その微妙に湿り気を帯びた声も、フーケは気にいらなかったが、それでも彼女は訊かずに入られなかった。

「あんたシェフィールド、とか言ったっけ? 一体全体これはどういう事なの……? あのカザミは一体何者なの……?」

 フーケは、もはや恐る恐ると言った感じで尋ねるが、彼女は切れるような笑みを浮かべ、こう答えた。
「それは、あなたが知る必要のないことよ」



「こんなところにいたのか、ルイズ」

 トリステイン船籍のマリーガラント号。そのデッキに、彼女はいた。
「ここは冷える。風邪を引いたら大変だから、なかに入りなさい」
 そう優しく言うワルドに、ルイズはあいまいな笑みで答えた。
「だって子爵様、船の中は、いかにも汚くて……」
 彼女はまだ、あまり元気も回復していないようだったが、それでもマシになった方だと言える。なにせ、往路のグリフォンでは、ロクに口も聞いてくれなかったからな。――そう、ワルドは胸中で呟く。
.
「まあ、客船じゃないんだ。そこはガマンするしかないよ」
「でも――汗臭い平民の船員たちが、大勢いるでしょう。それでつい……」
 その瞬間、ワルドの眉間がピクリと震えたが、――目深に被った羽帽子のおかげで、彼女には気付かれなかったようだ。
「そうか……なら、仕方ない。ぼくも付き合うよ」
「あら、仕方無しなら、別に付き合って戴かなくて結構よ。子爵様」
 ルイズは、ちょっぴり拗ねたような目を向ける。
「おっと、これは失言だったねレディ。ではもう一度」
 ワルドは、片膝をつき、帽子を脱いで、うやうやしくルイズの手にキスを捧げた。
「我が麗しの婚約者よ、どうかこのわたしが、貴女の傍らに侍ることを許したまえ」
「もう―― 子爵様ったら……」
 完成された美丈夫といった雰囲気を持つワルドが、こういう態度をとると、まるで一枚の絵画のようなカッコよさがある。さすがに、そういう大人の男のダンディな魅力にかけては、才人はワルドの足元にも及ばない。

(いやだわ、わたしったら……こんなときでも、またサイトのことなんか……)

 思わずワルドから目を逸らし、ルイズは取り繕うように言った。
「ゆっ、許しますわ、子爵様……。どうぞ、お願いします」
「……ありがとう」
 ワルドは再び、羽帽子を目深に被り、ルイズの傍に立った。
(汗臭い平民、か……)
 その顔色は、もはや帽子に隠れて見えなかった。

「ねえ、子爵様――」
「その、子爵様というのも、いい加減やめないかい? ルイズ」
「え? ――だって」
「さっきも言ったと思うけど、その他人行儀な口の利き方は、そろそろやめよう。ぼくらは、将来を誓い合った仲なんだから」
 そう言われて、ルイズは反射的に俯いた。
「すいません子爵様……でも、その、……やっぱり、帰国したらすぐに結婚と言うのは、早すぎるような気がするんです……お父様にも意見を伺わなくてはいけないし、ですから……」

「そうか」
「……」
「分かった。――まだ当分時間はあるからね。ゆっくり考えてくれたまえ」

 そう。――あせる必要はない。この少女を口説き落とす時間なら、まだまだたっぷり残っている。かつて王都で、プレイボーイの代名詞とまで言われた自分だ。こんな年端も行かぬ少女を惚れさせるなど、それこそ、赤子の手を捻るようなものだ。
 しかし、同時にワルドも理解している。
 いまルイズに、自分のプロポーズにためらわせている本当の理由は、彼女が口にした年齢や公爵の意向などではなく、使い魔である、あの少年の存在なのだという事が。

――だが、手はすでに打ってある。

 早晩、あの少年は間違いなくアルビオンにやってくるだろう。そのときに、改めて彼の自信を砕いてやればいい。自信を無くした男から女を奪うなど、やはり赤子の手を捻るよりも簡単だ。
 ただ、問題はあの風見という男だ。奴がその時どう動くかは、流石のワルドと言えど予想しかねる
(どっちのカザミも、手を焼かせやがる……!!)
 そんな思いはおくびにも出さず、ちらりとワルドは、困惑したような瞳で下を向く婚約者を見る。

 俺はこの娘を手に入れる。
 手に入れなければならないのだ。
 そう心に誓う。
 誓う相手は、勿論、ルイズでもなければブリミルごときでもない。
 もうこの世にはいない、ワルドが心底から愛した、ただ一人の女性だ。
 その女性を愛したからこそ、いまのワルドがある。
――そしてワルドは、今の自分をとても誇りに思っていた。ルイズのような、ただの貴族娘とは違う女を愛した自分も。愛することによって、かつての自分と様変わりした、いまの自分も。
.
「ねえ、子爵様」
「――ん?」
「なんで、そんなにわたしとの結婚にこだわるの? だってわたしは、魔法もろくに使えない『ゼロ』なのよ」
 自嘲するようにルイズは言う。

 だが、彼女は知らない。周囲が『ゼロ』と嘲る、魔法失敗による怪現象が、一体何を意味しているか。――しかし、ワルドは知っていた。
 彼女とその使い魔が『土くれのフーケ』を捕らえたと聞いた時に、彼はそれまで放置していた婚約者の情報を、徹底的に集め、吟味したのだ。
 幸い、魔法学院には、同じく“風”のスクウェアたる旧友のギトーが奉職していたので、ルイズの情報を集めるのは簡単だった。退屈な教師生活に飽き飽きしていたギトーは、魔法衛士隊への再就職をほのめかすと、すぐに食いついてきたからだ。
 そして、ギトーからもたらされる情報を分析した結果、結論は、おのずと明らかだった。

「ルイズ、きみは『ゼロ』なんかじゃない。いや、それどころか、きみには計り知れないほどの魔法の才能が眠っているはずだ。それはこのぼくが保障する」
「何を言ってるんです子爵様、わたしは――」
「聞くんだ、ルイズ」

 ワルドは少女の顔を覗き込み、真摯な目線で語り始める。
 きみの魔力によって起こる爆発は、確かに系統魔法では説明不可能な怪現象である。
 しかし、かつて魔法学院の教師たちの中で、魔力の発現が爆発にいたるプロセスを解明した者がいるか? 誰もいやしない。それは彼らが無能だという事もあるが、それ以上に、説明の仕様がないからだ、と。
 逆に考えれば、きみはおそらく、このハルケギニアで唯一、四つの系統で括りきれない魔法を操る事が出来る存在なのだ、と。
 つまり、断じて、ただの失敗魔法などではないのだ、と。
 その証拠に、きみは、サモン・サーヴァントで人間を召喚したではないか。普通、召喚の儀式は、使い魔が高等生物であればあるほど成功とされる。ならば、人類に勝る高等生物が、この世にいるか? いやしない。
 これこそが、きみがただのメイジではない、何よりの証明である、と。

 ワルドの話は、きわめて論理的だった。
 だからこそ、その話は、文字通りルイズの魂を貫いた。
 かつて、こんなに論旨明快に、自分が『ゼロ』であることを否定してくれた者は、どこにもいなかったからだ。

 無論、系統魔法を使えないルイズを慰めてくれた者たちは、いた。
 カトレアを始めとする、彼女の家族。そして、使い魔たる才人。
 だが、家族の慰め方は、常に同じだった。今はともかく、いつかは魔法が使えるようになるでしょう。だから、諦めずに頑張りなさい。端的に言えば、そういう事だ。
 才人にいたっては、この世界に於ける、“魔法の使えない貴族”がいかに惨めな存在かも分かっていない。――だからこそ、余人とは違う偏見のない目線で、彼女を見てくれる、ということなのだが、やはりそれでは、ルイズの心は完全に癒しきれない。
 今は『ゼロ』であっても、いずれはなんとかなる、という家族。
『ゼロ』と呼ばれる事が、おまえの全人格を否定する材料になるのか? という才人。

 だが、違うのだ。
 ルイズが欲していたのは、自分が『ゼロ』ではない、と言ってくれる存在であり、そのことを論理的に証明してくれる者であったのだ。

 無論、ワルドは自分が至った結論の全てを話したわけではない。
 彼女が何者なのかなど、それこそルイズが召喚した使い魔たちのルーンを調べれば、バカでも分かる事なのだが、いまのワルドは、それを彼女に告げるつもりはない。ルイズを自分に惚れさせるためには、彼女の劣等感を残した方が、何かと便利だからだ。
 しかし、ルイズに、そんなワルドの胸中は分からない。

――やっぱり、わたしの本当の騎士(シュヴァリエ)は、この人なのかもしれない……。

 ルイズは熱っぽい視線で、婚約者を見上げながら、何故かズキリと痛む心で、そう思った。
.
「――で、早速、その作戦とやらを聞こうか?」
 ギーシュが鼻水を拭きながら、風見に言う。

 上空数十mの高度を、滑るように飛行する風竜の背。
 その寒気そのものと呼ぶべき薄い空気が、おそるべき風速の向かい風となって乗り手を襲う、ウィンドドラゴンによる高速飛行移動。……寒気忍び寄るこの季節に、それを初体験したギーシュは、ラ・ロシェールに降り立った時、さすがに鼻声になっていた。

「あわてるな。話はツェルプストーたちが帰って来てからだ」
 風見は、振り向きもせず、ギーシュに告げる。
 その口の利き方といい、どう考えても、平民が貴族に対する態度ではない。不遜そのものだ。
――だが彼に、風見と面と向かって、その無礼を咎める度胸はなかった。

 ギーシュは、その端正な顔をゆがめると、才人を振り向き、風見に聞こえぬように囁いた。
「なあサイト、あのカザミってのは、一体何者なんだ? 何であんなに偉そうなんだ?」
 そう問われても、才人としては答えようもない。
「まあ、ナニモノって訊かれても……見た通りの人だとしか……ってか、そんな怒りをおれにぶつけられても、正直こまるんだが……」
「どういうことかね? きみと彼は、同じくルイズの使い魔だったんじゃないのかね?」
「だから言ってるじゃねえか、――見た通りの人だって、よ」
「そっ、それで説明しているつもりかね、きみぃぃっ!!」

 ここは港町ラ・ロシェール。
 タバサ、キュルケ、ギーシュ、そしてギーシュの使い魔ヴェルダンデを乗せたシルフィードは、一度この地で小休止を取っていた。
 乗り手がタバサだけならば、単独でガリアまでの連続飛行すらこなすシルフィードだが、さすがに3人もの少年少女に加え、体重数百kgのジャイアントモールまで背に載せては、その状態で、学院からアルビオンまで直接飛べと言っても、出来ない相談だ。
 それでも、学院から早馬で二日の距離にあるラ・ロシェールまで、たった半日ほどで辿り着けたのは、さすがにシルフィードと言わざるを得ない。
――もっとも、当のシルフィードとしては、眼下の街道を、タンデムに才人を積んで爆走する、風見のハリケーンを、ついに引き離せなかった事の方が、悔しいらしかったが……。

「ただいま」
「ふう、行って来たわ」
 タバサとキュルケが帰ってきた。
 で、どうだった? と風見が訊く前に、キュルケは結論を口にする。

「――ダメね。ここからアルビオンに向かう便は、次はもう、いつになるか分からないってさ」

 ギーシュが、ええっ!?っという表情をする。
 港町からフネが出ないという事は、ここからアルビオンに向かうには当然――。
「つまり、またシルフィードの厄介になるしかないって事よ」
「そっか。……ごめんな、タバサ」
「わたしは構わない」
 才人の謝罪に、タバサはこともなげに言う。
 だが、こんな一文の得にもならない仕事で、他人の使い魔を酷使している事実は、才人にとっては、非常に申し訳ない状況でしかない。

「そうよサイト、どうせ謝るなら、ギーシュに謝った方がいいんじゃないの? これからまた、お寒い思いをさせちゃうけど、頑張ってガマンしてねって、ね?」
 キュルケは、悪戯っぽい流し目でギーシュを振り返る。
 そこには、やや狼狽したまま固まった、金髪の少年がいた。

「なっ、何を言ってるんだキュルケ!! 仮にもぼくは貴族の一員だぞ! 暑さ寒さでコーディネイトを変えるようなポリシーのない真似なんて――」
 そう。彼の上着は、いつもの胸元が開いたフリルの薄手のシャツ一枚に、マントのみという、お世辞にも旅行向きとはいえない格好だった。
 出立前に、あれほどみんなが注意したのに、彼は“ポリシー”の一言で、それを無視したのだ。
 派手好きのキュルケですら、少しは厚手の野暮ったいコートを羽織っているというのに。

「おいギーシュ」
 才人が、さっきのタバサに向けた目と180度真逆の冷たい視線で言う。
「おまえ、ここにいる間に、ちゃんと買っとけよ、防寒着」
.
「とりあえず、今晩はこの町で一泊しましょう。一秒でも早く熱いお風呂を浴びて、ワインでもやらなきゃ、ギーシュじゃないけど眠れそうにないわ」
 キュルケが、そう言いながら宿場町――ラ・ロシェールは、一応港町なので、諸侯や太守クラスの大貴族が利用する官営旅館『本陣』が存在する――の方向に歩き出し、不意に振り向く。
「カザミ、宿ではちゃんと聞かせてもらえるんでしょうね? アルビオンに着いてからプランとやらは!?」

 そう。すでに賽は投げられ、矢は放たれた。
 才人は、この場の誰よりも心配そうな目で、風見を見る。
 聞いた話では、ワルドは『成算はある』と風見に告げたようだが、いまや、そのワルドは一行の中にはいない。いない以上、風見が述べた任務遂行上の問題点――それらを全て、独力で解決しなければならないということだ。

 制空権を握られた、アルビオンへの空路。
 数万の大軍勢が包囲する、ニューカッスル城塞への潜入。
 城塞への潜入後、トリステインの正式大使を名乗り、返還交渉に及ばねばならない王女の“手紙”。
 ちなみに、王女の私的な隠密行動であるため、自分たちが正式な“大使”である事を保障する公式書類は、一枚も用意されてはいない。万が一、事が露見した場合を考えて、アンリエッタは極力、証拠は残さないようにしたいのだろう。

……風見は一体、こんなムチャクチャな任務に、どうやって活路を見出そうと言うのだろう。そもそもワルド子爵は、本当に成算などあったのだろうか?
 いや、不安要素はさらにまだ存在する。
 レコン・キスタが“増援”として送り出したという、もう一人の改造人間カメバズーカこと平田拓馬……!!

 考えるほどに、才人は、これからの旅程のおぞましさに、背筋が寒くなる。
 だが……ルイズはもう、今頃アルビオンに着いているであろう。その傍らに自分がいない。そう思うと、自分たちを待ち受ける困難の、さらに数百倍の後悔と不安が、才人を苛むのだ。
 一刻も早く、ルイズと合流せねばならない。後の事はそれから考えればいい。本音を言えば、こんなところで、ぐずぐず一泊している暇さえ才人には惜しいのだ。

 そして風見は、隣を歩く才人の焦燥など、全く知らぬ者のように、確かな声でキュルケに応える。
「ああ、安心しろ。確実なプランはすでに――」
 そう言って、風見は自分の眉間をちょんちょんと突付くと、
「ここにある」



「大丈夫さ、ルイズ。君はぼくに全てを任せていればいいんだ」

 昨夜、風見が洩らした任務遂行上の問題点。
 さすがのルイズも、今になって少しは不安になってきたらしい。
 が、そんな少女の不安を物ともしない、太い声で、子爵は微笑む。
「ちゃんと、確実なプランは、――ここにあるからね」
 誇らしげに、ワルドは、自分の羽帽子を突付く。――同時刻に、ラ・ロシェールで風見が全く同じ台詞を、全く同じポーズで言ったと知ったなら、彼は思わず失笑するだろうが。

 だが、ワルドと風見では、プランの内容は全く異なる。
 そもそもプランも何も、レコン・キスタの大幹部たる顔を持つワルドにとって、たとえ何万の軍がニューカッスルを囲んでいたとしても、全く関係のないことなのだ。
 何故なら、城塞を包囲する貴族派の母体となった組織こそが、レコン・キスタという反王制思想組織なのだから。つまり彼にとっては、アルビオンを埋め尽くす包囲軍は、敵ではなく味方に過ぎないのだ。
 当然、彼の懐には、レコン・キスタ最高司令官クロムウェルの書付が眠っている。
 これを使えば、道中の不安どころか、道行く貴族派は、逆に、護衛すらつけようと言い出しかねない。勿論、そこまでの好意は、自分がスパイである事を喧伝しているようなものなので、受諾する気はないが。

.
 アルビオンが見えてきた。

 隣の少女には見えなかっただろうが、グリフォンでの長距離飛行に慣れたワルドの、鍛えられた視力には見えた。その空中にポツンと浮かぶ白い“石ころ”が。
 白く見えるのは、視覚的に月光に反射するのが、大陸の下半分を包む霧の部分だけだからだ。
 これが昼間ならば、下半分の白霧に加え、今は夜空に隠された、上半分の黒々とした山塊という、白黒まだらの見事な“石ころ”が、青空をバックにとても美しく展開するであろう。
 その“石ころ”が、本来の浮遊大陸と呼ぶに相応しい巨大さを、見る者に意識させるには、まだかなりの距離と時間がかかるであろう。――おそらく夜明け頃まで。
 だがワルドは、いまの遠目に見えるアルビオンの眺め――空中にポツンと、寂しげに佇む、孤独な“石ころ”の眺めが、たまらなく好きであった。

(あの者に一度、見せてやりたかった)

 ズキリとした胸の痛みと共に、ある女の顔が浮かぶ。
 彼がまだ、グリフォン隊の平隊士だった頃。
 王都で、“メイジの花形”魔法衛士の名を辱めぬ程度の女遊びに励んでいた、あの当時。
 勿論ただでさえワルドは女にもてた。
 そんな彼が魔法衛士隊の名を出せば、口説けぬ女などいなかった、と言っていい。

 そんな中、出会ってしまった一人の女。
 彼の行きつけのカフェの斜向かいにある、花屋の娘。
 貴族娘のように、驕慢でも横暴でも自侭でもなく、あくまでその場で咲き続ける事を本貫とする、路傍の花。その美しさを必要以上に訴える事すらない、ささやかで、それ以上に淑やかな花。
 それでいて明るく、元気で、傍にいる者――いや傍どころか――斜向かいの店から彼女を見ているワルドさえ、ホッとさせるような、あたたかな空気の持ち主。

 歴とした子爵位を継いでいるワルドにとって、そんな町娘など、釣り合おうはずもない。それどころか、彼は、その娘に話し掛けた事さえなかった。無論、その娘が話し掛けてくる事も。彼は貴族で、何より彼女は平民だったから。

 そして、ある日、彼女は唐突に、――死んだ。
 道行く貴族の馬車を遮ったという理由で、“無礼討ち”として、真っ昼間の公衆の面前で、焼き殺されてしまったのだ。

 カフェの親父から、その事を聞かされた時、ワルドは呆然と立ち尽くした。
 彼は泣く事さえ出来なかった。敬愛していた母の訃報の聞いた時の、さらに数倍の衝撃に、心を攪拌されていたからだ。その、あまりに大き過ぎる衝撃に、彼の心は、その感情をどう表現すべきか、分からなくなってしまっていたのだ。
 そして、ワルドは不意に知った。
 自分は、彼女を愛していたのだ、と。
 しかし、――それでも、彼の心は『慟哭する』という表現解答を、見出せなかった。
 そして、その日から、ワルドは泣けなくなった。

 ワルドは今でも忘れてはいない。彼女の弔問に、花を持っていった時の、突き刺さるような遺族の、いや遺族を含む、すべての平民たちの視線を。
 無論、彼女を殺した貴族はワルドではないし、それどころか、その場に自分がいれば、むざむざ彼女を殺させる事もなかったであろう。
 しかし、彼女が平民であり、貴族に平民を殺す権利がある以上、今この瞬間にも、彼女と同じ、非業の死を遂げている平民たちがいることも間違いないのだ。そして、貴族の権利を始祖が保障しているなら……神がいる以上、平民たちは救われない事になる。

.
 ワルドは、気付いてしまったのだ。世界の大いなる矛盾に。
 万民の幸福を保障すべき、神と始祖が、同じ理屈で、他者の幸福を蹂躙している事実に。

 そして彼は、復讐を誓った。神と始祖と王家を頂点とする、社会の全てに対して。
 口すら利かず、名すら知らぬ、自分がただ一人愛した、平民の少女のために。


 ワルドは、その日から変わった。
 魔法衛士隊のたしなみとも言われた女遊びも、スッパリと足を洗い、ひたすら魔法の勉強と戦闘訓練、そして幻獣調教の腕を上げることに励んだ。

 彼の頭を支配していたのはただ一つ、――出世してやる、という一事だった。
 ただひたすらに、王よりも、始祖よりも、神よりも偉くなり、全てをこの手で創り変えてやる。
 それが俺の、この世に対する復讐なのだ、と。
 そのためだけに、ひたすら謹厳実直に隊務を勤め、そして彼はグリフォン隊の隊長にまでなった。
 これまで以上に礼儀正しく、そして平民たちには容赦しなくなった。平民どもに媚びている、という悪評は、出世の足を恐ろしく引っ張る事を知っていたからだ。

 ルイズとの結婚を、いまさら強く望むのも、出世のためだ。
 長女エレオノールの悪名は、貴族サロンに轟き渡っている。いまさら彼女と結婚を前提に交際しようと考える男など、まずいまい。次女カトレアに至っては死病に取り憑かれ、あと数年で死に至るだろう。
 何よりルイズの属性が、彼の予想通り“虚無”であるならば、『虚無の担い手』の夫として、公爵家を継ぐ事さえ、決して夢ではない。

 そして、レコン・キスタという組織を知り、加盟を果たし、今では幹部格の扱いすら受けている。幹部格、どころではない。いまやトリステインにおける貴族派の、事実上の束ね役といっても過言ではないだろう。

 彼らの提唱する『共和制』という概念には、確かに魅力を感じる。
『王家』を固定せず、一国を束ねるに足る能力を持った貴族を、議会“貴族院”が選び、国王に任命する。
 任期は終身。だが世襲権はなく、王の息子が王位を継ぐのは、王位を継ぐに足る器量の所有者と、議会が認めたときのみ。……真に優れた王のみを選ばんとするシステムだ。
 だがいずれ、その精神は失われ、所詮は王家に取って変わりたいだけの俗物が覇を競う、愚劣なパワーゲームの場になってゆくはずだ。そして、司令官クロムウェルや、他の大貴族どもが、小賢しい俗物に過ぎないことを彼は知っている。
 しかし、彼ほどの才覚者が、公爵家の爵位と領地と兵力を継ぎ、『虚無の担い手』ルイズを妻としたならば、――俗物ひしめく貴族派内でワルドに逆らえる者は、すぐにいなくなるだろう。
 ならば、最終的にハルケギニアを、この手に握る事さえ、決して出来ない相談ではない。

 ワルドは、傍らの少女を優しげな眼差しで見下ろした。
 自分の野望のためとは言え、こんな、いたいけな少女に犠牲を強要する事に、まるで胸が痛まないと言えば、いくら何でも、それは嘘だ。
 思えば、不憫な娘だ。――ワルドはそう思う。
 生まれてこの方、魔法が使えないことを周囲にひたすらバカにされ、その挙げ句、ようやく心を通じ合わせた少年とは、生木を裂くように引き離され、この自分に愛のない結婚を選ばされようとしている。
 だから、――せめて、この俺に惚れさせてやる。
 強制的に俺を選ばされたのではなく、俺に惚れて、せめて自分から俺を選んだ、というかたちにしてやる。そのためならば、俺はいくらでも優しくなろう。どんな事でもしてやろう。
 そう思う。

 だが、――心までは、くれてやるつもりはない。

 俺の心はお前の物ではない。
 そして当然、俺の物ですらない。
 俺の心を所有できるのは、所有者の名乗りをあげられるのは、ただ一人、名すら知らぬ、あの少女だけなのだから。


 その時、鐘楼に登った見張りの船員が叫んだ。
「右舷上方の雲中より、フネが接近してきまぁすっ!!」
 なるほど、確かに一隻のフネが、ゆらゆらと近付いてくる。
 それを見てルイズは、
「いやだわ……反乱軍のフネかしら」
 そう、眉をしかめた。

 ならば、逆にこっちとしても、手間が省けるな。
 ワルドは胸の内で呟いた。

 だが、彼は知らなかった。
 ワルドに取っては致命的なことに、……そのフネが、空賊を装った、王党派の私掠船であることを。


新着情報

取得中です。