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虚無の王-10


 大岡越前と聞いた時、何を思い出すだろう。
 三方一両損と言うむきも居るかも知れない。
 だが、何と言っても、全国共通誰にでも通じるのは、真実の母だ。

 あいや、子供が痛がるを憐れみ、先に手を放す者こそ、真の母親――――

 キュルケの火トカゲと大モグラは、一分近くに渡って空を苦しめた。
 先に、口を放したのはモグラだった。
 空は残ったフレイムの頭をぽかり、と打擲。昏倒させる事で、漸く事無きを得た。

「なんやっちゅうねん。一体」

 競争相手が目を回して床に倒れると、モグラはまた、空を引っ張った。
 何か用だろうか――――モグラが?

「いや、この場合は、こいつの御主人様か」

 一体、誰だ?
 まあ、ええわ――――どうせ、宿無しの身。空は大モグラに着いて行く事にした。
 モグラは大きなお尻を振りながら、女子寮塔を出た。どうやら、女生徒の使い魔では無いらしい。つまらない話だ。
 頭上には二つの月が浮いている。
 夜空を埋め尽くす星々から、冷たい光がゆっくりと降りて来る。
 トリステインの夜は星だけで十分に明るい。東雲市を滅多に離れる事が無い空にとっては、驚嘆すべき光景だ。
 この国は空が高い。
 風が澄んでいる。
 “塔”の事さえ無ければ、迷わずに永住したかも知れない。
 月の下に、佇む影が有る。

「御足労願う形になりまして、申し訳ない。ミスタ」

 金髪の少年、ギーシュ・ド・グラモンは優雅に一礼した。

「僕が深夜の女子寮に立ち入る事が出来たら良かったのだが――――」

 そう。本当に誰にも咎められる事無く、自由自在気儘に女子寮を出入りする事が出来たら!――――貴族の少年ははらはらと涙を流す。

「おっと、いけない。グラモン家家訓その47!グラモン家の男子たるもの、涙を衆目に晒して許されるのは、親の死に目と、財布を落とした時だけである!」
「……なんや、よう判へんけど、貴族ちゅーのも苦労しとるんやなあ」
「世の中には、二種類の貴族が居るのだよ、ミスタ。お金と仲良しな貴族と、お金に縁の無い貴族だ。そして名誉有る称号は、大抵、貧乏と道連れなのだ」
「なるほど。ボーズの家が、飛び切りの後者やってのは、よく判った」
「我がグラモン家は武勇の誉れ高き家系。父グラモン伯爵は畏くも元帥に叙せられている。一度、戦となれば、家名に恥じぬ陣容を以て馳せ参じなければならない」
「元帥閣下が指揮すんのは、女王陛下の軍隊と違うんか?」
「戦は武門の誉れ。一世一代の晴れ舞台にして、先祖伝来の朝恩に報いる好機。何より国家危急存亡の時、どうして一門の貴族が傍観していられようか。勤倹尚武こそ、我がグラモン家のモットー!
その為、領民はそこそこ豊かだが、我が家は貧乏なのだよ。借金も結構有るし。ああ、そろそろ領民達の家に、屋根を葺いてやらねばならないのだったかな。父はいけすの柳の木を売って予算にすると言っていたが……」
「家くらい、自分達で管理させる訳にはいかんのか?」
「とんでもない。暴動になる」

 ギーシュはすぐ側までやって来た大モグラを抱き締め、頭を撫でてやった。よしよし、僕の可愛いヴェルダンデ。よく、務めを果たしてくれたね――――

「なあ、ボーズ。そのモグラと感覚の共有たら言うんが出来るんやろ」
「ああ、紹介が未だだったね。お察しの通り。これは僕の使い魔ヴェルダンデだ」
「ワイに股裂き食わせたんもわざとかい」
「いやいや。誤解しないで頂きたい」

 ギーシュは説明する。感覚の共有は一方通行であり、使い魔は主人の感覚を取得出来ない。
 また、遠隔で命令を与えられる訳でも無い、と。

「貴方とて、ミス・ヴァリエールの使い魔なのだろう」
「ああ。ワイらはそれ、出来へんねん」
「む……まあ、人間の使い魔だし、例外的な事も多いのだろう。ともあれ、あれは不幸な事故だ。だが、ヴェルダンテは優しいからね。すぐに放しただろう」
「ま、せやからこっち来たんやけどな」

 まあ、そんな事はどうでも良い。
 こんな時間に、どうして自分を呼びつけたのか。
 改めて問い質すと、今までもそれなりに真面目なつもりでいたらしいギーシュは、更に真剣な顔になった。

「実はミスタ。不躾で申し訳ないが、貴方に決闘を申し込みたい」

 薔薇の杖を抜くと、ギーシュは言い放った。

「なんや。この前の事に、なんぞ不服でも有ったんかい?」
「誤解しないで頂きたい。僕は貴方に何一つ含む所は無い。以前の決闘にしてもそうだ。杖は貴族の誇り。そして、貴方から奪り戻した事で、この杖は一層輝きを増した様に思えてならない。誰が何と言おうと、僕はあの決闘に誇りを持っているのだからね」
「せやったら、なんで決闘や?」
「あの決闘で、僕は誇りを得たが、名誉を失ってしまった」
「ええやん。誰が何と言おうと構わへんのやろ」
「いやいや、ミスタ。名誉を求めない者は、孤高の人でも、高潔の士でも無い。単なる、無謀な下司だ」

 ギーシュは勿体付けた仕草で、薔薇の香を楽しんだ。
 杖は造花だ。きっと、彼にしか判らない香がするのだろう。

「時にミスタ。人生で最も大切な物とは何だろう?」
「なんや、いきなり」
「僕はこう考える。最初に女の子だ。次に女の子だ。更に女の子だ。最後に女の子だ――――そして、皆、とても可愛い。これぞ人生の真実!いや、世界の真理だとは思わないか!」
「あー、まあ、そんな風に考えた時期が、ワイにも有ったけどな。で、それがなんやっちゅうねん」
「ああ!僕は愚かだった。名誉を重んぜよ!命惜しむな、名を惜しめ!そんな、父の言葉を、表面的にしか捉えていなかったのだ。今ほど、痛切にこの言葉の重みを噛み締めている時は無い!」
「……あのな、ボーズ。ワイ、今閑やけど、手短に頼めへんか?」
「ミスタ!ああ、ミスタ!貴方との決闘以来だ!この僕が!“青銅”のギーシュが!トリステイン魔法学院の薔薇たる僕がだ!全く、女の子にモテなくなってしまったのだ!」

 ギーシュは絶望のあまりに、頭を掻きむしった。

「……――――それで、ワイに勝って汚名を雪げば、小娘どもが寄って来る、て考えた訳か」

 ギーシュは真剣な顔で頷いた。
 どうやら、この男、本物らしい。この瞬間、空は思い切り吹き出していた。繰り返し、繰り返し、車椅子の肘掛けを叩く。

「はははっ!ええわっ!やっぱ、ええ兄ちゃんやっ!それでこそ男やっ!」
「では、受けて頂けるのか」
「ああ、ああ、なんぼでも相手したるっ――――せやけど、今回はワイが決闘を受けた訳やから、勝負の方法はこっちに決めさせて貰うで。ええやろ?」
「異論は無い」
「良し、決まりやっ。……所で、さっきの命惜しむな――――はやっぱり家訓?」
「グラモン家のモットーであり、家訓その2だ」
「その1は?」
「グラモン家家訓その1!朝食の席で瓦版を読むべからず!」

 貴族とは本当に大変だ。空はトリステイン貴族として生まれなかった事を、神に感謝した。

「さて、勝負の方法やけど――――」

 不意に、異臭が鼻を衝いた。
 ギーシュも気付いたのか、顔を顰めている。
 嗅ぎ慣れた臭いだった。僚友スピットファイアと共に戦った時、よく嗅いだ臭いだ。
 脂の焦げる臭い。
 “炎の王”は“時”を止め、身動きの叶わない相手を焼き尽くす。
 ――――女子寮塔から、炎が走った。


   * * *


 炎が走った。
 文字通りに走った。
 全身を火に包まれた男が、声にならない悲鳴と共に、どこへともなく駆けて行く。

「阿呆っ!」

 空は走る。
 ルーンが光り、補助モーターが唸る。
 時速100㎞/hを突破するまで僅か一瞬。パニックのままに走る男の襟首を引っ掴む。
 人一人を振り回しながら、急速にターン。
 壁を蹴り、跳躍し、向かう先はヴェストリ広場の片隅。五右衛門風呂代わりに使っている大釜だ。
 冷め切った残り湯に、男を頭から放り込む。
 じゅっ、と湯気が上がった。引っ張り出して地面に転がした時、男は失神していた。

「なんやっちゅうねん、一体――――?」

 軽く火傷した手をぬるま湯に浸して、空はぼやいた。
 見た所、学院の生徒だ。何が有った?
 振り向いた時、更にまた一つの火の玉が、広場を駆けて行くのが目に止まる。

「ボーズ!こっちや!」

 空は叫んだ。
 衣服に火が着き、パニックで走っている相手だ。水場を目指す判断力さえ働いていない。
 ワルキューレが三体がかりで、暴れる男を運んで来る。
 ギーシュの姿は未だ見えない。空は引ったくって、水に放り込む。
 続いて三つの炎。
 空は鎮火した二人からマントを剥ぎ取る。ギーシュが姿を見せたのは、その時だ。

「釜持って来い!釜!」

 空は再び全力疾走。
 走る三人を背後から殴り倒すと、ずぶ濡れのマントを被せて鎮火。濛々と湯気が上がる。
 二人の火は殆ど消えたが、完全では無い。一人は景気よく燃えている。
 ワルキューレが四体かかって釜を運んで来る。
 消火――――
 取り敢えず、一段落付いたらしい。次なる炎が現れる気配は無い。

「ガイシャは全員、ここの生徒か」

 一体、何が起きているのだろう。
 現代日本なら痛ましい、猟奇的な事件だが、幸いここは魔法の国トリステイン。水の魔法も有るし、普通なら致命傷と思しき全身火傷も、傷一つ残さずに治るだろう。
 だが、それはあくまで存命中に処置を施せば、の話だ。
 ギーシュが戻って来た。背後には四体のワルキューレ。二体一組で、患者を運んでいる。

「ボーズ、後六体や」
「残念だが、僕が一度に作れるワルキューレは七体までだ」
「せやったら、医務室まで二往復やな。早よ、運んでやり」

 と、女子寮塔の方角に、小さな光が灯った。
 一対の火だ。
 更にもう一対。
 またもう一対――――二人に向かって、真っ直ぐに伸びて来る。
 炎の道を、一つの影が近付いて来る。
 燃える赤毛に褐色の肌。悩ましい肢体を薄いベビードールで包んでいる。

「こんな所に居らしたのね」

 微熱のキュルケは空の手に、そっと掌を重ねると、息が届く距離まで顔を近付けた。

「貴方は、私をはしたない女と思うでしょうね」
「と、言うよりも、君は酷い女だ」

 横合いから、ギーシュが口を挟んだ。

「お黙りっ!……て、あら、ギーシュじゃない。この前の決闘、なかなか素敵だったわよ」
「おっと、それ以上、僕に近付かないでくれ」

 皮肉の調子も無いキュルケから、ギーシュは一歩退いた。どうやらこの少年、女性にも苦手なタイプは居るらしい。

「あー、確かキュルケ言うたな。こいつは?」

 空はワルキューレが抱える重傷患者を指差した。
 ギーシュの態度と、キュルケの属性を考えれば、さすがに犯人は判る。

「ああ、ペリッソン……彼は、その、ただの友達よ」
「この国では、友達をミディアム・レアにするんか。恐ろしい話や」
「ミスタ。誤解されている様だが、彼女はトリステイン貴族では無い。神無き国ゲルマニアからの留学生だ」
「伝統に拘って、国力をズルズル後退させている国の貴族には言われたくないわね」
「よう判らんけど、深夜の来客を火にくべない、くらいの伝統は守った方がええんと違うか?」

 伝統と言うより、これは常識だろう。

「で、こいつは?」
「スティックス。友人と言うより、ただの知り合いね」
「なるほど、ミディアムやな。こいつらは?」
「マニカンにエイジャックスとギムリ。知り合いでも何でも無いわ」

 なら、何故名前が判る。哀れな三人組はこんがりウェルダンに焼き上がっている。

「ま、人手が増えたんは有り難いわ。ボーズ、人形もう一体な。それで一度に運べるやろ」
「それでも、一組足りないのでは?」
「人形七体、ワイ、ボーズにこの嬢ちゃんでいけるやろ」
「僕は杖を手にしていなければならない。貴方にしても、車椅子を操作しながらでは難しいのでは?」

 と、キュルケが杖を振った。一人の体が、宙に浮かび上がる。

「優しいのね、ミスタ」
「いや、放っとかんやろ、フツー」

 空は身を乗り出したが、特にやる事は無かった。
 ギーシュが杖を一振り。それで五人分が揃ったからだ。

「お、凄いな」
「レビテーションを使いながら、ワルキューレを造るのは難しいけど、この順序なら何とかなる」

 先に足を進めたキュルケを追いかける様にして、一人と六体は医務室を目指す。
 空はその場で、ギーシュが戻るのを待つ事にした。


   * * *


 ギーシュが四人の重傷者を医務室に担ぎ込むには、少しばかり時間が必要だった。
 当直のメイジは時ならぬ急患に大わらわ。慌てて同僚を叩き起こしに行く。
 相手が女の子なら、付きっきりで看病もしただろう。
 だが、土のメイジであるギーシュにはこれ以上、出来る事は無く、寒空の下に人を待たせていた。

 あのゲルマニア女め――――

 一人を運んだだけで、さっさと姿を消した薄情者を、ギーシュは内心で罵った。
 彼女がもう一人運んでくれていれば、自分もワルキューレのコントロールに専念出来て、もっと早く済んだのだ。
 当事者として無責任が過ぎる。

「全く!おっぱい貴族の癖して!おおお、おっぱい村のおっぱいさんの癖して!」

 言っている内に、ギーシュは自分が何に対して腹を立てているのか判らなくなった。脳裏に浮かぶのは、扇情的な下着一つを身につけたキュルケの姿だ。
 けしからん!
 全く、けしからん!
 トリステイン貴族として、ゲルマニア人が大きな乳でのさばっているのを、黙って見過ごして良いものだろうか。

「否!断固として否でありますっ!」

 だが、何故だろう。
 魅力的な美少女であるにもかかわらず、どうしてもキュルケには二の足を踏んでしまう。
 ギーシュも武名高きグラモン家の男、おっぱいは決して怖くない。
 自分が好みとする可憐さとは対極にある、アクティヴさが原因だろうか。
 そう、女の子はやはり可愛らしいのが一番だ。
 愛国者たるギーシュは、たとえボリュームにおいて劣ると雖も、清楚可憐なるトリステイン女性こそを魅力的だと考えた。
 勿論、一握りの変態を除いて、巨乳が嫌いな男など居る筈も無いが。
 ギーシュは足を速めた。
 後に六体のワルキューレが続く。これから決闘と言うのに、土に戻してしまう訳にはいかない。
 何しろ、自分が造れる戦乙女は、一度に七体まででは無く、一日に七体までなのだから。

「わかってる。いけない事よ。でも、貴方はきっと許してくださると思うわ」
「判っとる。何も言わんと、ワイに任せておけばええ」
「恋してるのよ。私、貴方に。恋は全く突然ね」

 ギーシュは肩を落とした。
 そこでは、キュルケが空の首に腕を回して、口説きにかかっていた。
 空もまんざらでも無い様子で、やにさがった顔だ。

「お、ボーズ来たな!……悪い、先約や」

 空はキュルケに目配せを送ると、ギーシュに向き直る。
 どうやら、決闘の事は憶えていたらしい。

「先約?何かしら。男同士で」
「決闘だっ!」

 空に代わって、ギーシュは叫んだ。そうして、自身を奮い立たせた。
 さもなくば、戦う前に心が折れてしまいそうだ。

「決闘?こんな夜に」
「決闘は元来、見せ物では無い。ミス・ヴァリエールを立会人に、と考えていたが、君でも構うまい。さあ、ミスタ!勝負の方法を!」
「懲りないわね。結果は見えてる気がするけど」
「ま、勝負は水物や言うで。ワイは元“ストームライダー”。勝負もその流儀で行こか?」
 パーツ・ウォウFクラス「ダッシュ」――――
「ルールは至って簡単。こっから外壁まで真っ直ぐ行って右に折れる。後は、壁と一番外側の建物の間抜けながら、次に見える最初の塔まで敷地を四半周。先に塔の壁にタッチするか、相手を移動不能にするか、コースから叩き出したら勝ちや」
「……要は何でもアリの駆けっこか?」
「ボーズはこっちのルールは始めてやし、ワイも現役やない。一番初歩的なんで行くのが妥当やろ。別に魔法使こてもいいし、その人形でのタッチも認めるで」

 ギーシュは唸った。この勝負方法は予想外だ。
 空の車椅子はさながら風竜。スピードを競っては、勝ち目が無い。

「後、ボーズはさっき、散々魔法使うてるしな。ハンデや」

 空はキュルケの腰を抱き寄せると、そのまま抱え上げた。

「私は重し?」

 空の耳元で、キュルケは拗ねた声を出して見せる。骨までとろける様な、甘い声。

「特等席やで。面白い物見せたる。しっかり掴まっとき」

 ギーシュは腹を立てた。
 ハンデに重しを人一人。おまけに女とイチャつきながら、だ。
 これは馬鹿にしている。
 到底、決闘のなんたるかを説いた男の取る態度では無い。

「いいだろう。開始の合図は?」
「この帽子が、地面に付いたら」

 ほな、いくで――――空は帽子を放った。
 弧を描く野球帽を、ギーシュは目を皿にして見つめた。
 作戦は決まっている。
 開始の瞬間。狙うは車椅子の駆動輪。槍を突き込んで、その動きを止める。
 帽子が落ちた。
 ギーシュは振り向く。ワルキューレに指令――――そこにはただ土煙。
 空の姿が無い。反射的に前を見る。
 その時、車椅子が女子寮塔の脇を駆け抜けた。
 一瞬だ。距離にして40メイル。
 キュルケは目を瞠る。
 歓声を上げる。
 外壁が迫る。
 車椅子が跳ぶ。
 外壁を捉える。壁走り〈ウォール・ライド〉。
 壁の孤に沿って、吸い付く様に駆け抜ける。

 速い、速い、速過ぎる。
 樹木が、小屋が、石像が、頭上を後へ飛んで行く。
 眼前に建物。
 衛士の詰め所だ。
 外壁に密着している。
 心臓が脈打った時、浮遊感――――

 駆動輪が、三角屋根を蹴った。
 二つの月が、星が見えた。
 風が猛烈な勢いで顔にぶつかった。
 キュルケは声を上げた。
 歓声か、悲鳴か、自分でも判らなかった。
 自分は今、飛んでいる。
 そう、空の車椅子は確かに飛んでいる。
 正面から叩き付ける風に乗り、50メイルを滑空する。

 着地。
 急制動――――車体を思い切り傾け、片輪で地面を削る。

「ゴールっ」

 停止と同時に、空が塔の外壁を叩いた。


 キュルケは息を奮わせていた。
 初めて、タバサのシルフィードに乗った時の事を思い出す。
 それまで、自分はフライを、飛行の魔法と考えていた。
 違った。フライはあくまで、“空を歩く”魔法でしか無い。そう思わせる程、風竜の飛翔は速く、力強かった。
 今、胸を激しく揺さぶる興奮は、その時以上。キュルケは衝動的に空の唇を奪おうとして、額を抑えられた。

「待ちや。勝負中」

 ギーシュが追いついて来たのは、二分後だった。

「参った。また、僕の負けだ」
「ボーズの系統が“火”か“風”やったら、こうはイカンかった。後から撃たれとる」
「確かに……」

 息を切らしながら、ギーシュは答えた。
 飛び道具に乏しい。こと、戦う上で、“土”のメイジ最大の弱点だ。

「再戦はいつでも受ける。なんか、アイデア練っとき」
「ミスタ……ひょっとして――――?」

 ここで、ギーシュは言葉を飲み込んだ。
 感極まったキュルケが、空の唇に自身のそれを押しつけたからでは無い。
 不意の出来事だった。
 すぐ隣をルイズが通り過ぎた。
 途中で拾ったのだろう。空の帽子を被っている。
 何故、こんな時間、こんな所に?――――それはどうでも良い。
 その顔にはどんな表情も窺えず、その瞳はいかなる人間的な感情も宿していなかった。

「ヴァリエール。取り込み――――」

 最後まで言う代わりに、キュルケは飛び出す。
 ルイズの手にする杖が、ゆっくりと上がった。


   * * *


 夜の魔法学院に爆音が響く事は無かった。
 キュルケと数秒睨み合ったルイズは、無言で空を連れ去った。
 尤も、それで問題が解決した訳では無い。
 空を寮の自室に入れると、ルイズは後手に鍵を掛けた。無言で机の引き出しから鞭を取り出す。

「……あのな、ワイ、そう言うプレイは、もう卒業したんやけど……」

 振り向いた時、ルイズの表情は一変していた。

「まるでサカリのついた野良犬じゃないの~――――っ!」

 声が震えている。
 ルイズは威嚇する様に床を叩いた。

「もも、物音がすると思って、見てみれば、なな、なんて事かしらっ!こ、この犬!野良犬!ののの、野良犬なら犬らしく扱わなくちゃね。いいい、今まで甘かったわ」
「ルイズ、落ち着け。目がイッとるっ。それに、その鞭は――――」
「乗馬用の鞭よっ。の、野良犬には上等ねっ!」
「は、話せば分かる!」
「問答無用っ!」

 鞭がしなり、空気が弾けた。
 幾ら、自分が馬並みだからと言って、馬並みに扱われては堪らない。

 空は逃げ出す。ルイズが追う。
 狭い室内での逃走劇が始まった。まるで「キューヴ」だ。
 だが、比較的調度品が少ないとは言え、さすがに壁走り〈ウォール・ライド〉は出来ない。部屋が荒れる。
 空は忽ち追い詰められる。

「ま、待て。待ちや、ルイズ。な」
「なによ!あんな女のどこがいいのよっ!」

 ルイズは乗馬用の鞭を折れんばかりに撓らせる。

「はー、ルイズはヤキモチの妬き方、可愛いんはいいんやけどな。初めて会った時も言うたけど――――っ!……おっ、お、!……」

 空は最後まで言い切る事が出来なかった。16の少女が息子に虐待を加えたからだ。これは一種の社会問題と言える。
 空は呻いた。呻いて、車椅子から転げ落ち、這い蹲った。
 背中に衝撃が走る。ルイズが上に座り込んだのた。

「……べ、別にあんたが節操無しなのは、勝手にすればいいんだわ。でも、キュルケは駄目」
「なして……?」
「キュルケはトリステイン人じゃないの。隣国ゲルマニアの貴族よ」
「それは聞いとる」
「私はゲルマニア人が大嫌いなのっ」
「それは初耳やわ」

 ルイズは言う。
 ヴァリエール家とキュルケの実家ツェルプストー家は領地の境を接している。不倶戴天の敵なのだ。

「おまけに、ツェルプストーは色ボケの家系よ!キュルケのひいひいひいおじいさんのツェルプストーは、私のひいひいひいおじいさんの恋人を奪ったのよ!二百年前に!」
「……お前、記憶力ええな」
「あのツェルプストーは散々、ヴァリエールの名を辱めたわ!ひいひいおじいさんは、キュルケのひいひいおじいさんに婚約者を奪われたしっ、ひいおじいさんは奥さんを取られてるのよっ!」
「なんや、お前ん家負けっぱなしやん。ひいばあさんかて、浮気――――」
「なな、なんですって――――!」

 ルイズは空の顎に手をかける。キャメルクラッチ。空の背骨が悲鳴を上げる。

「あだっ!……やめっ!……」
「それだけじゃないわっ!戦争の度に殺し合ってるのよ!お互い、殺し殺された一族は数え切れないのよっ!」
「ゆ、優勝劣敗は、せ、戦場の――――っ」

 空は繰り返し床を叩いた。解放されるまでに数秒かかった。
 それも、ルイズがギブアップを受け容れたからでは無く、単に腕が疲れたからだった。

「と、とにかくっ!キュルケは駄目よ!キュルケだけは ぜっ たい に駄目!禁止!判った!?」
「あーい……」

 馬乗りで暴れるルイズに、空は素直に答えた。

「所でな。忠実なツカイマからお優しい御主人様に頼みがあんねんけど……」
「なによ」
「明日、休みやろ」
「それがどうしたの?」
「街に出たい」


   * * *


 翌朝――――
 ギーシュは悩んでいた。
 どうすれば、空に勝てる?
 こちらから挑む限りで、勝負方法は昨夜の「ダッシュ」とやらになる。
 フライを使った所で、スピードでは勝負にならない。かと言って、自分には飛び道具が無い。
 気付くと、眼前に干し物が並んでいた。普段は近付かない場所だ。
 そこでは、メイドがクルクルと軽快に回りながら、仕事を進めていた。
 確か、シエスタと言う名前だ。
 メイドの動きに併せて、スカートがヒラヒラと舞い、白い脚がチラチラと覗く。
 ギーシュは釘付けになった。
 あっ、惜しい――――もう少し勢い良く回ってはくれないだろうか。
 そんな事を考えた時、或る事に気付いて、はっとなる。

「君!」

 ギーシュはシエスタに近付くと、声をかけた。

「はい。なんでしょう?」

 丁寧に答えながらも、シエスタは緊張した面持ちになった。
 一度、絡まれている若い貴族だ。不意に声をかけられれば身構えもする。

「この前は済まない。僕の態度は紳士に相応しい物では無かった――――所で、お願いが有るのだが」
「なんでしょう?」
「足を見せて欲しい」
「はい?」

 シエスタは声をあげた。
 これは、その、あれだろうか。
 貴族のお坊ちゃんの、気紛れな摘み食いだろうか。
 反応に迷っている間にも、ギーシュはずんずん近付いて来る。そして、事も有ろうに、自分の足下に屈み込んだではないか。
 シエスタは思わず後ずさった。足が縺れ、尻餅をついた。貴族の少年は、好都合とばかりに、脹ら脛を掴む。
 シエスタは息を飲む。蜘蛛の巣にはまった蝶の気分だ。
 奪われてしまうの?私、このまま奪われてしまうの!?
 思わず顔を覆う。
 だが、そこからはいつまで経っても進展しなかった。
 そっと、指の間から窺った時、ギーシュは真剣な顔で、“飛翔の靴”の車輪を弄っていた。

「あ、あの……?」
「はは……ふわははははは……っ!」

 困惑するメイドの声など、聞こえないかの様に、ギーシュは不敵な笑みを浮かべる。

「これなら、勝てる――――っ!」


 ――――To be continued


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